「戦後は終わっていない!!」 [2008年07月23日(水)]
![]() 「戦後は終わっていない!!」 戦後62年余が経過した。しかし、フィリピンには今なお困難な生活を強いられ、戦争の苦しみに喘いでいる人達がいる。 この度日本財団が日本国籍取得のために招待した16人をはじめとして、日本国籍を認められる可能性があるフィリピンの残留日本人2世は約160人存在する。 19世紀末から太平洋戦争終結までの間、道路建設や農業開拓のためにフィリピンへ移住した日本人は約3万人といわれている。その多くは現地でフィリピン人女性と結婚し、平穏で豊かな生活を営んでいた。 しかし、戦争により父親を亡くしたり、敗戦後に日本に強制送還されたりするなどして家族が崩壊し、多くのフィリピン人妻やその子供(フィリピン残留日本人2世)が現地に取り残された。 戦後は反日感情による差別や虐待がひどく、婚姻証明書や出席証明書などを破棄したり、フィリピン名を名乗るなどして日本人であることを隠してきた。山中で密かに生活していた人も多く、極貧の中、きびしい戦後を生き延びてきた。 戦後60年以上が経ち反日感情が和らいだ今、日本人のアイデンティティーを回復するために日本国籍の取得を求めるものの、戦中戦後の混乱で身元を証明する書類が全く無いなど、困難を極めている。 日本人としてのアイデンティティーを求め、日本国籍取得に夢を託す彼らは既に高齢であり、残された時間には限りがある。 日本財団のメルマガに、来日16名の内容が記されている。 彼らは必死に日本人としての証明になる手がかりを探している。 メディアの協力も得て、一人だけではあるが、鹿児島で親族を探しあて、日本国籍取得に大きな前進となった。読者のまわりに、かつてフィリピンにいた人やフィリピンで亡くなった人を知っている人は、是非、日本財団のメルマガをご覧になり情報をお寄せいただきたい。 日本財団ではパートナーのフィリピン日系人リーガルサポートセンターの協力を得て、一人一人の話を聞きとり、少しでも日本人として有利な証拠―父親の名前、出身地、友人の日本人名、父親から聞かされた日本の話など―を記録に留め、本人が家庭裁判所へ出頭する際に有利な書類作りをおこなっている。 記者会見で突然一人の老婦人が「見よ東海の空明けて・・・」(愛国行進曲 昭和13年)を歌いだした。日本語は全く話せないが、日本人としてのアイデンティティーを堅持するため、60年間、必死になってこの歌を忘れないように努力してきたのだろうと思うと、思わず目頭が熱くなった。 かつて日本財団は、中国残留日本人孤児の国籍取得に大きな努力を払った。21年間、1006名の国籍取得のため1億1千万円の費用を必要とした。日本人として当然の行為であり誇れる話ではないが、中国の時のようにフィリピンの残留日本人にも日本国民の暖かいご理解、ご支援をいただきたいのである。 中国残留日本人孤児の場合は、中国政府が日本人であるとの証明書を発行することによって、ほとんど無条件で日本国籍を得た。ただし両親は日本人であった。 フィリピン残留日本人2世の場合、父親が日本人で母親がフィリピン人の場合が多い。しかし、どの顔を見ても日本人の顔である。 中山太郎代議士をはじめ日本・フィリピン・友好議員連盟・フィリピン残留日本人問題等特別委員会の方々にも陳情した。この問題は特例で解決する問題であり、政治的に一括処理することがさほど困難とは思えない。 戦後処理問題では領土が未解決であるが、このフィリピン残留日本人2世の問題は人権上の問題であり、日本だけで処理できる問題でもある。 政府の勇断を期待したい。 2006年度 39件 44,300,000円 2007年度 26件 54,900,000円 2008年度 75件 46,217,000円 今年の6月の時点で日本財団の支出は約1億5千万円となり、めでたく7人が日本国籍を得ることができた。 この件は金額が問題なのではない。 海外で塗炭の苦しみに耐えながら日本人としての微かな希望を胸に生き抜いてきた彼らに対する当然の義務であり、なぜもっと早く支援の手が差し延べられなかったのか・・・老婦人の歌う「見よ東海の空明けて・・・」を聞きながら慙愧の念にかられた。 |










