笹川日仏財団理事長・冨永重厚氏 [2008年05月16日(金)]
![]() 元興銀マンで元銀座クラブのオーナーである異色の経歴を持つ富永理事長 「笹川日仏財団理事長・冨永重厚氏」 〜笹川日仏財団シリーズ その6〜 冨永さんは、一言でいって愉快な人である。豪快であり、知的でもあり、話題の豊富な人である。 現在は笹川日仏財団の2代目理事長として、ボランティアで八面六臂の活躍をされている。フランス政府は、長年に亘る日仏交流につくされた功績に、レジオンドヌール勲章を授与することで報いている。 日本興業銀行パリ支店長時代にフランスで培われた人脈は経済界のみならず、政治家、学者、芸術家と幅広く、国民的女優のリヌ・ルノー女史を財団の理事に迎い入れた。 今回、大徳寺・真珠庵における前代未聞のツトム・ヤマシタによる『音禅』の仕掛け人でもある。 冨永氏には沢山の楽しいエピソードがあるが、すでに時効の一つを披露する。 冨永氏が東大を卒業して就職した頃の日本興業銀行は産業界のご意見番で、業績不振の大会社に優秀な人材を派遣して再建することから『人材派出夫銀行』とも呼ばれ、多士多才な人材が羨望の眼で見られていた時期であった。 冨永氏、多忙な銀行業務の合間にガルブレイスの『不確実性の時代』という経済書を読み、日本の経営者に絶対読ませたいと10人で勉強会を立上げ翻訳して出版(TBSブリタニカ・都留重人監訳)したところ、バカ当たり。大ベストセラーとなり思わぬ大金が転がり込んだ。 毎夜、銀座のクラブに皆勤しているうちに、これなら自分で小さなクラブを持った方が便利とばかり、メンバークラブ『オフ』を開店した。 連日連夜満員の客でご満悦のオーナー冨永氏。一カ月近くたって異変に気づいた。客は友人、知人ばかり。入金がさっぱりないのである。数カ月で敢え無く閉店。残ったのは借金だけ。 サラリーマンに金を貸す人はいない。思案に倦んだ末、サラリーマン金融の武富士に飛び込んだ。当時の武富士は町の金融に毛の生えた程度である。 誇り高い天下の興銀マンがである。恥を忍んで恐る恐る扉をたたき、名刺を差し出し要件を告げた。カウンターの女性は少し首を傾げながら、上司らしい男性に相談するため名刺を持って奥に入った。 戻ってきた女性は「上司も日本興業銀行など知らないといっている。千葉にある興銀信用組合なら知っている」との返答に、天下の日本興業銀行を知らない人が世間にいると知って、唖然呆然したという。 笑えない本当の話である。 これからが本題。 説明にこれ努め、融資を受け、クラブ閉店にケリがついたのは良かったが、なにしろ一介のサラリーマン。月給の中からでは利息を払うのが精一杯で元金が減らないのである。 同僚の後押しもありパリ支店長として渋々赴任。パリの生活はなんとか滞在手当てで頑張り、数年かかってようやく元金を完済したという。 冨永氏、この苦い経験から「将来の日本興業銀行は大企業中心の融資先から収益力の高い消費者への直接融資の道も開くべし」との大論文?を銀行に提出したが、全く反応はなしでボツとなった。 その後、日本興業銀行は大企業依存型の経営から脱却すべく、1万件の新規取引先の確保を目指して邁進する。 結果は尾上縫なる奇妙キテレツな料亭の女将に数百億円を詐取されてパァー。 興銀マンはそれまで大企業ばかりが融資先で、借主が銀行をだますとは想定外であったらしい。ご存知、その後の興銀は奈落の底へ。今や名もなく富士、一勧とともに、みずほ銀行となっている。 (完) |










