邑久光明園は、長島愛生園と同じ岡山市の東南35Kmの瀬戸内海に浮かぶ長島にある療養所で、現在169人(平均年齢82.9歳)の方が生活されております。
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巴久光明園機関誌『楓』
2012年3月4日
マリでのハンセン病制圧活動
WHOハンセン病制圧特別大使
笹川陽平
2011年11月1日から4日まで、アフリカ西部のマリを訪問しました。前回の2006年以来5年ぶりで3回目の訪問になります。
マリはアルジェリア、ニジェール、ブルキナファソ、コートジボワール、ギニア、セネガル、モーリタニアと7カ国に国境を接する内陸国です。国土面積は124万平方キロメートルと日本の約3.3倍で、人口は約1300万人。国土の北側3分の1はサハラ砂漠を擁する乾燥地帯で、残りの中南部もニジェール川沿岸の農耕地以外は乾燥地帯です。主要産業は農業で、主に綿花や米などをつくっており、他には鉱物資源として金も産出しています。一次産業に頼る産業構造のため、天候や一次産品の国際価格の影響を受けやすく、経済基盤は脆弱です。国民の80%以上がイスラム教で、伝統的宗教やキリスト教を信仰している人もいます。政治的には、1960年にフランスから独立した後、長い軍事独裁体制が続きましたが、1992年に憲法が制定されてからは5年に1度大統領選挙が実施され民主制がしかれています。
今回のマリ訪問の主目的は笹川アフリカ協会25周年記念シンポジウムに出席することでした。私の父・笹川良一は、1980年代前半にアフリカを襲った大飢饉を契機に、カーター元米大統領とノーベル平和賞受賞者でアメリカの農業学者ノーマン・ボーローグ博士と共にアフリカの食糧増産プロジェクト“ササカワ・グローバル2000”(SG2000)を始めました。その活動を推進してきたのが1986年に創設した笹川アフリカ協会です。これまでアフリカ14カ国でプロジェクトを実施し、各国の食料増産に貢献してきましたが、現在はマリ、エチオピア、ナイジェリア、ウガンダの4カ国で実施しています。今回のシンポジウムは、アフリカ協会創立25周年を記念し、マリの大統領など政府要人や農業関係者、アフリカ関係諸国の元大統領や農業大臣、国際機関やNGOの代表、学者など100人以上が参加し、アフリカの農業について議論する場です。
もう一つの訪問目的はハンセン病に関する視察です。マリは2001年にWHO(世界保健機関)が定める公衆衛生上の問題としてのハンセン病の制圧(有病率が人口1万人あたり1人未満)を全国レベルで達成しています。その後も制圧状態を維持しており、2011年初頭時点で登録患者数は373人、年間新規患者発見数は363人、新規患者の内の障害者の率や子供の率は共に5%と他のアフリカ諸国と比べて高い数字ではありません。保健省によれば、医師や看護師、ヘルスワーカーに対してハンセン病に関する教育を定期的に実施していることや、全国の保健区ごとに最低1名はハンセン病についての教育を受けたヘルスワーカーを配置していることなどが、制圧状態を維持できている要因とのことです。
10月31日に成田を発ち、パリ経由で11月1日夜にマリの首都バマコに到着しました。この時期、日中は35度以上になりますが、夜は気温も下がり少し肌寒いくらいでした。翌2日の朝は、まず保健省でウンスマネ・トゥーレ保健次官を表敬訪問した後に、バマコ近郊のカティ保健所を訪ねました。ここではハンセン病患者を外来で診療しており、私が訪問したときには5人の方がいらっしゃいました。目が見えなくなっている方や手に障害が残っている方がいらっしゃいましたが、みな治療は完了しており、他に9名が治療中とのことでした。マリでは、全ての保健所でハンセン病の診断と治療が可能となっているそうですが、回復後も障害が残っている方々の身体および社会的なリハビリテーションが課題となっています。
次にマルソー研究所と呼ばれていたマリ・ワクチン開発センターを訪れました。1931年にエミール・マルソー氏(1862-1943)が設立したこの研究所は、仏領圏アフリカにおいてハンセン病研究、治療、人材育成の中心機関としての役割を担ってきました。フランス出身の熱帯病研究者マルソー氏は、1923年フランス・ストラスブルグで開催された第3回国際らい学会でハンセン病患者への人道的対応を求め、全患者の隔離は必要ないこと、住居における隔離が必要な場合は人道的に行うことを訴えた方です。その後、国際らい病学会会長や国際ハンセン病協会会長なども歴任されました。マルソー氏が設立し80年の歴史を誇る同研究所は、現在ではハンセン病以外にもHIV/エイズや結核などの研究や他の病気の治療なども行っています。私が訪れた際には、所長のサンボ・ソウ博士がセンターにある様々な施設の紹介をしてくださいました。ハンセン病病棟には10名ほどの患者さんが入院中で、病状をみせてもらいました。サンボ博士が入院中の少年の症状を解説しながら「見た目には分かりづらく一般の医師ではハンセン病と判断できなくても、病気がかなり進行している。ハンセン病の患者数は減ってきているが、だからと言って医療関係者への教育の手を緩めると危険だ」と語っていたのが印象的でした。入院中の患者さんたちは不安な顔をしていましたが「立派な施設で素晴らしいお医者さんに診てもらっているから大丈夫だよ」と励ましたところ、少し笑顔をみせてくれました。センターにはこの他に、ネズミを約2000匹も飼ってハンセン病などの研究をする実験設備や、アフリカで最近多くなってきている細菌感染症の一種であるブルーリ潰瘍や他の重症患者の治療病棟、義足をつくる施設、ワクチン開発のための実験室などがありました。アフリカで唯一のハンセン病研究を行う本格的施設であり、現在の治療薬であるMDTに対する耐性が生じる可能性がゼロではないことを考えると、非常に意義のある施設であると思います。

患者の病状を確認
この後は、ハンセン病回復者たちが山羊や牛を育てて売る生活向上プロジェクトを見学しました。車から外の町並みを眺めていると、道路脇に数千頭もの大量の山羊がいたので驚いていたら、実は回復者の方々が飼っていたものだったのです。そこで働く2百数十人のうち140人ほどが回復者で、1ヶ月で平均5、60頭を売るそうです。1頭5ユーロ(約600円)とのことなので、1月に3万円ほどの売り上げでマリでは安くない金額です。照りつける太陽の下、山羊に草を与えたり、井戸や川で水洗いをしたりと、熱心に働く姿がとても印象的でした。マリで50年以上活動するラウル・フォレロー財団の支援を受けながら回復者の方々が協会をつくり実施しているプロジェクトで、これほどの規模で皆が一緒になってしっかりと働いているところは世界的にも珍しいと言えます。ラウル・フォレロー財団マリ事務所長のティンボ・オウモウ女史は農業エンジニアリングを専門とし、長年の試行錯誤を経ながら現在のかたちになったと話していました。社会から差別されるのではなく、尊敬されるコミュニティになっており、私はここの活動が他の国々にとってもモデルになるのではないかと感じました。見学後に催された回復者の方々との集会では、回復者組織をまとめるゴウロウ・トゥラオレ氏が「皆の笑顔を見ていただき、皆が尊厳をもって生きていることを見ていただけたと思う。コロニーには1472人が暮らしており、プロジェクトをもっと拡大し、コロニーのみんなの生活がよくなるにしていきたい」と自信をもって話してくれました。集会では回復者の方々が結成し結婚式などのイベントで活動しているバンドグループの歌と演奏の披露もあり、最後には私も踊りの輪に入り皆で心を交し合う時間となりました。

回復者の方々が育てている山羊
この日の午後はアマドゥ・トゥマニ・トゥーレ大統領ともお会いしました。トゥーレ大統領は前述の食糧増産プロジェクト“ササカワ・グローバル2000”のよき理解者であり、旧知の仲です。私から、同プロジェクトを通して農民の方々の生活向上を実現させたいという決意を述べるとともに、午前中に訪問したハンセン病の研究所と、回復者が行っている山羊の飼育の取り組みが世界的に見ても素晴らしいとの報告をしました。大統領は「子供の頃からハンセン病の患者、回復者の方々をよく見てきた。笹川さんが朝に見た光景はとても素晴らしいことだ」と語り、ハンセン病への取り組みについても深い理解と関心を示して下さいました。面談の後、笹川アフリカ協会25周年を祝う植樹祭を国立博物館で行い、トゥーレ大統領とナイジェリアのオルセグン・オバサンジョ元大統領、ベナンのニセフォレ・ソグロ元大統領はじめ多くの来賓の皆様にお祝いいただきました。翌3日と4日は、笹川アフリカ協会25周年記念シンポジウムと農業指導を行っている村への訪問を行いマリでの日程を終えました。

トゥーレ大統領に、患者・回復者の生活向上のための協力を依頼
今回のマリ訪問では、ハンセン病関連での時間は短かったものの、アフリカを代表するハンセン病研究所や回復者の方々が大規模に行う畜産活動を見ることができ、大変有意義なものとなりました。ハンセン病はMDTの普及により患者数が激減したものの、MDTに対する耐性が生じる可能性はゼロではなく、さらなる研究を進めていくことの重要性を再認識しました。また、回復者の方々が協会を組織し大規模に活動を展開する取り組みを見て、「一人ひとりの力は小さくても皆が団結することで大きな力になる」という私のかねてからの信念をより強くしました。ハンセン病の病気をなくし、差別をなくしていくために、医療面と社会面の両面において歩みを進めていきたく思います。