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日本財団会長 笹川陽平ブログ

笹川陽平(ささかわようへい)の国内外における活動の記録。このブログを通じて、私の毎日を覗いてみてください。

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 三菱東京UFJ銀行/支店名:本店/普通口座:0492440/
 名義:日本財団(ニッポンザイダン)
 ※詳細はこちらから

寄付金合計: 4,990,424,140円 (5月18日)

■活動状況はマンスリー・レポートからご覧いただけます。
5月11日(金) [2012年05月11日(Fri)]
5月11日(金)

7:30 日本財団

9:30 日本動画コンテスト打合せ

9:50 森田文憲 船の科学館館長

10:10 鳥井啓一 日本財団参与

10:30 渡邉秀央 元衆議院議員

11:30 細野豪志・環境大臣

12:00 日本財団福祉チーム職員と昼食
 
16:30 三菱商事 佐々木幹夫相談役

19:00 ノルウェー王国 Mr.Trond Giske貿易産業大臣
      
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「バングラデシュ雑感」その2―バングラデシュの正月― [2012年05月11日(Fri)]
「バングラデシュ雑感」その2
―バングラデシュの正月―


バングラデシュの首都滞在中の4月14日はこの国の正月であった。

前日、WHOのマンナン・バンガリ博士は別れ際に「正月風景を案内するから朝6時に迎えに行く。楽しみに!」と言う。なぜ早朝なのかと聞くと、公園では歌や踊りの催事が繰り広げられ、観客で超満員になるので早い時間が良いとのこと。

朝6時の公園には、既に思い思いの衣装で着飾った人々が集まり始めていた。園内のあちこちにはシートを広げ家族や恋人と食べ物を前に談笑する人たちもいる。催される舞台からは大音量の歌や踊りの声が聞こえてくる。日本の正月風景と異なり夥しい人々の雑踏と喧噪(けんそう)だけで、これが正月風景かとがっくりする。

公園への入場者の長蛇の列を見て二度びっくり。これだけの人が公園に入るには少なくとも1時間以上かかるだろう。しかも公園内は既に雑踏の渦。ただこれだけがバングラの正月風景であった。

04.14公園内のイベント会場は朝の6時半でこのの人だかり!.JPG
イベント会場は朝の6時半でこの賑わい


04.14 筆者が帰る頃には公園に入場するためにこの長蛇の列!.JPG
帰る頃には長蛇の列が


公園を一回りしただけで帰路に着く。ホテルに帰るとロビーの柱に目立たないレリーフがあった。よく見ると英語、日本語、ベンガル語で書かれており、「現代において・・・人類が生き残るためには一家族として結ばれなければならない。私のバングラデシュに対する愛情と情熱は、かかる理想に向かってのチャレンジであり、実験でもある」(早川崇)とあった。

早川崇(たかし)についてはご存じない方も多いかと思うので、簡単に略歴を紹介したい。

東京大学では有名な矢部貞次の門下生で、中曽根康弘と同期生。厚生、労働、自治大臣を歴任。学究肌の政治家で、イギリス政治についての著作や翻訳多数。日本バングラデシュ協会の初代会長で、1971年のパキスタンとの独立戦争でいち早くバングラデシュを独立国として承認すべく活動された政治家で、その後の復興援助に協力し、第二の故郷として遺骨の一部はダッカの仏教寺院に埋葬されているという。和歌山県出身。7回も政党を移動した動機は不明だが、今、外交で求められている政治家は、早川のような政治家、つまり、アジアそれぞれの国に遺骨の一部を分骨するくらいの覚悟で当該国と日本との信頼関係を作ってくれる政治家である。現在元首相は8人いる。それぞれの元首相がアジア諸国の一ヶ国と早川のような関係を確立してくれたら、日本国の評価と信頼は格段に上がるのだが・・・。

近々政府は、森喜朗元首相にロシアを訪問してプーチン大統領と会談するよう依頼するようだが、プーチン大統領と胸襟を開いて話が出来る日本人は森元首相が唯一の人である。

森元首相のお父上・茂喜氏は、石川県能美郡根上町(ねあがりまち)の町長を長く勤めた人格者で、旧ソ連といえば左翼勢力の独壇場であった当時、一町長として地道にロシアとの交流に尽くされ、イルク−ツクには分骨され立派な墓石が建立されている。森元総理は現職首相時代、初対面のプーチン大統領に「私の父の墓はイルク−ツクにある」と墓石の写真を見せたことで一気に信頼関係が確立されたという。

手前味噌だが、その写真は私がイルクーツクに墓参した折に撮影したものであった。

写真 (5).jpg
イルクーツクに眠る森茂喜氏


永田町での政局遊びをやめ、アジア諸国のために汗を流す元首相が一人でも多く活躍下さることを願ってやまない。

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5月10日(木) [2012年05月10日(Thu)]
5月10日(木)

7:30 日本財団

9:00 LPC健康診断

9:30 小池保夫 日本モーターボート競走会理事長

12:00 正木烝司 泰正社長

13:00 森 喜朗 元総理

14:00 中川秀直 衆議院議員

15:00 ジュネーブ、ヨルダン出張打合せ

15:30 岡田秀一 経済産業省審議官
 
16:15 柳井 正 ユニクロCEO

18:30 モンゴル フレルバータル大使
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5月9日(水) [2012年05月09日(Wed)]
5月9日(水)

7:30 日本財団

9:30 笹川平和財団汎アジア基金 グエン・テイ・ハインさん

10:00 秋山昌廣 海洋政策研究財団会長
 
11:15 宿利正史 国交省事務次官

12:00 武部恭枝 プライムコーポレーション社長

14:00 ラジオ日本・収録

120509_1.jpeg


17:50 紀伊国献三 笹川記念保健協力財団理事長
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「バングラデシュ雑感」その1 [2012年05月09日(Wed)]
「バングラデシュ雑感」その1


ハンセン病制圧活動で久しぶりにバングラデシュを訪れた。

途上国の都市部の交通渋滞はいずこも凄まじいものがある。それでもある程度の交通ルールは存在しているが、バングラデシュの首都ダッカはほとんど無秩序である。

04.15 ダッカ市内の道路はやはりぐちゃぐちゃ。.JPG
目的地に着けるのは・・・


急速な自動車の増加の中、バスにトラック、旧来の三輪オートタクシー、人力車、それに通行人が左右前後より重なり合い、クラクションだけが鳴り響く。勇気ある日本人でもさすがにここでは運転出来まい。ほとんどのバスの塗料ははげ落ち、ベコベコになった状態である。

ダッカから約250kmに位置するインド・アッサム州に隣接する国境の街・スリモンゴル到着まで、ダッカの市内を脱出するのに約2時間、元警察官の運転手は「腕には自信があるから心配するな」と言うが、いたるところでバスやトラックを追越すために反対車線に入り、対向車とのチキンレースでは何度も衝突寸前に。身を固くすること6時間のドライブであった。

スリモンゴルは平坦地の多いバングラデシュでは珍しくなだらかな丘陵地帯で、インド・アッサムにかけて茶畑が続く。だが、静岡の茶畑のように美しく整備されてはおらず、乱雑に生えている茶木を車窓から眺めると、自然の植生と思われるほど手入れが悪い。

04.14 スリモンゴルに到着。茶畑が広がる.JPG


スリモンゴルの茶畑で働くハンセン病回復者を激励の後、3kmほど先のインドとの国境を訪ねた。竹竿の遮断機はインド側にもあり、その間の約50mほどが緩衝地帯となっている。警備の兵士は写真禁止と手を振るが、同行の富永夏子は首からブラ下げたままでカメラのシャッター押すので誰も気づかない。実に手慣れたものである。

04.15 ちょい悪おやじは国境線を越えた!?.JPG
警備の兵士を横目に、ちょい悪おやじ国境を超える!


道路の両脇は、以前、ネパールとインド・ビハール州の国境で見たような簡単に超えられる塀ではなく、7〜8mはある高いフェンスが国境線に沿ってどこまでも続いている。現地新聞には、4月14日はバングラの正月で、国境で分断された親族同士が思い思いの贈り物をフェンス越しに交換する写真が掲載されていた。島国日本では想像もできない国境線の悲劇は世界の至る所にあり、紛争の原因になっている場所が多い。永年生活してきた部族の分断の悲劇はアフリカに顕著だが、このアジアにも多数存在する。

現地滞在約2時間で往復11時間の身の縮むような運転に身を任せての1日となった。

発展途上国での活動は、常にこのような危険な交通事情の中で行われている。今まで一度も交通事故に遭わなかったのは不思議なことで、神のご加護があるのかも知れない。
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5月8日(火) [2012年05月08日(Tue)]
5月8日(火)

7:30 日本財団

9:30 北川弘光 海洋政策研究財団特別研究員

10:00 理事会 

11:00 竹中平蔵 慶應義塾大学グローバルセキュリティ研究所所長

11:30 CSR打合せ

16:00 堀 義人学校法人グロービス経営大学院学長 
 
17:30 日本レジャーチャンネルJLC20周年・懇談会
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5月7日(月) [2012年05月07日(Mon)]
5月7日(月)

7:30 日本財団

10:00 工藤栄介 海洋政策研究財団顧問

10:30 松村純一 日本船舶電装協会専務

11:30 羽生次郎 笹川平和財団会長

12:00 日本財団復興支援チームと昼食
 
14:00 駒崎弘樹 NPOフローレンス代表

15:00 元文芸春秋 樋渡優子女史

16:10 高木雄次 笹川平和財団理事長

16:00 外交評論家 岡本行夫氏

18:00 「日本財団国際フェロー」2012年度派遣フェローとの懇親会
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アメリカのダブルスタンダード [2012年05月07日(Mon)]
「アメリカのダブルスタンダード」


「弱きを助け強きを挫(くじ)く」は日本人が好きな言葉である。したがってテレビ「水戸黄門」は日本人の琴線に触れ、人気の長寿番組であった。

この話とアメリカ外交を同列に扱うのは如何とは思うが、アメリカ外交の基本姿勢は自由・平等・人権・民主主義を掲げ、強きを挫き弱きを助けるのが基本であった。しかし近年のアメリカ外交は、強きを助け弱きを挫く外交になっているのではと、外交半可通の筆者には思えてならない。

隣の大国やロシアに対しての人権外交は全く影を秘め、ミャンマーやスリランカのような貧しい途上国には猛々しい。

スリランカなど、北部タミル人地域との長い内戦が終了し、3年近く一回の爆弾事故もなく、シンハラ人とタミル人の関係も良好で、国の再建に懸命に取り組んでいても、アメリカは現在も経済制裁をかけたままで一顧だにしない。

ミャンマーについては、読者ご高承の通り、驚くべき大胆さで軍事政権から民政移管をして民主的選挙が実施され、今や世界中からミャンマーの民主化は本物との評価を得て各国からのODAも本格化している。

しかし、アメリカの経済制裁はミャンマーへの新規投資の一部解禁を含む制裁緩和を進めるだけで、なお全面制裁解除には時間がかかるどころか、クリントン国務長官は「改革プロセスの道程は長く、未来は不透明だ」と指摘。「制裁の全面解除には全政治囚の無条件釈放や少数民族との和解が必要」としている。

1.jpg
クリントン長官、満面の笑みでスーチーさんと握手はしたが・・・


ミャンマーは、現在も少数民族が多数武器を保持しているため、一度混乱が発生すればバルカン半島のように国がいくつにも分裂することを最も恐れており、この少数民族との和解に苦慮してきた歴史でもある。

クリントン発言はそっくり隣の大国やロシアに発言したら如何なものだろうか。

アメリカはかつて、イスラエルと対峙するパレスチナに民主的選挙を呼びかけ実施させた。選挙の結果、強硬派のハマスが大勝すると、アメリカはその選挙結果を無視。ジミー・カーター元大統領は「民主的選挙によって選ばれた政権を無視することは民主主義に反する」と、ワシントンの反対を押し切ってパレスチナに入り要人との面談を強行したところ、帰国後メディアの大反発に合い、さすがのカーターも沈黙したことがある。民主的選挙であっても勝者によっては態度を変える、よい例である。

それぞれの国にはそれぞれの歴史があり、一挙に民主化できない国々も多く、民主主義を標榜しながら強いメディアの規制があったり、実質警察国家である国もある。現在のところ、日米同盟が日本の安全保障の基軸であることは事実だが、その範囲においても、日本がアジアから信頼される外交展開の余地は多いにある。

日本はアジアを良く知っている。そろそろアメリカ追従外交から脱皮し、アジアの兄貴分として尊敬され、頼りになる国になる時期ではないだろうか。


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マリでのハンセン病制圧活動 [2012年05月03日(Thu)]

邑久光明園は、長島愛生園と同じ岡山市の東南35Kmの瀬戸内海に浮かぶ長島にある療養所で、現在169人(平均年齢82.9歳)の方が生活されております。

*******************

巴久光明園機関誌『楓』
2012年3月4日


マリでのハンセン病制圧活動


WHOハンセン病制圧特別大使
笹川陽平


2011年11月1日から4日まで、アフリカ西部のマリを訪問しました。前回の2006年以来5年ぶりで3回目の訪問になります。

マリはアルジェリア、ニジェール、ブルキナファソ、コートジボワール、ギニア、セネガル、モーリタニアと7カ国に国境を接する内陸国です。国土面積は124万平方キロメートルと日本の約3.3倍で、人口は約1300万人。国土の北側3分の1はサハラ砂漠を擁する乾燥地帯で、残りの中南部もニジェール川沿岸の農耕地以外は乾燥地帯です。主要産業は農業で、主に綿花や米などをつくっており、他には鉱物資源として金も産出しています。一次産業に頼る産業構造のため、天候や一次産品の国際価格の影響を受けやすく、経済基盤は脆弱です。国民の80%以上がイスラム教で、伝統的宗教やキリスト教を信仰している人もいます。政治的には、1960年にフランスから独立した後、長い軍事独裁体制が続きましたが、1992年に憲法が制定されてからは5年に1度大統領選挙が実施され民主制がしかれています。

今回のマリ訪問の主目的は笹川アフリカ協会25周年記念シンポジウムに出席することでした。私の父・笹川良一は、1980年代前半にアフリカを襲った大飢饉を契機に、カーター元米大統領とノーベル平和賞受賞者でアメリカの農業学者ノーマン・ボーローグ博士と共にアフリカの食糧増産プロジェクト“ササカワ・グローバル2000”(SG2000)を始めました。その活動を推進してきたのが1986年に創設した笹川アフリカ協会です。これまでアフリカ14カ国でプロジェクトを実施し、各国の食料増産に貢献してきましたが、現在はマリ、エチオピア、ナイジェリア、ウガンダの4カ国で実施しています。今回のシンポジウムは、アフリカ協会創立25周年を記念し、マリの大統領など政府要人や農業関係者、アフリカ関係諸国の元大統領や農業大臣、国際機関やNGOの代表、学者など100人以上が参加し、アフリカの農業について議論する場です。

もう一つの訪問目的はハンセン病に関する視察です。マリは2001年にWHO(世界保健機関)が定める公衆衛生上の問題としてのハンセン病の制圧(有病率が人口1万人あたり1人未満)を全国レベルで達成しています。その後も制圧状態を維持しており、2011年初頭時点で登録患者数は373人、年間新規患者発見数は363人、新規患者の内の障害者の率や子供の率は共に5%と他のアフリカ諸国と比べて高い数字ではありません。保健省によれば、医師や看護師、ヘルスワーカーに対してハンセン病に関する教育を定期的に実施していることや、全国の保健区ごとに最低1名はハンセン病についての教育を受けたヘルスワーカーを配置していることなどが、制圧状態を維持できている要因とのことです。

10月31日に成田を発ち、パリ経由で11月1日夜にマリの首都バマコに到着しました。この時期、日中は35度以上になりますが、夜は気温も下がり少し肌寒いくらいでした。翌2日の朝は、まず保健省でウンスマネ・トゥーレ保健次官を表敬訪問した後に、バマコ近郊のカティ保健所を訪ねました。ここではハンセン病患者を外来で診療しており、私が訪問したときには5人の方がいらっしゃいました。目が見えなくなっている方や手に障害が残っている方がいらっしゃいましたが、みな治療は完了しており、他に9名が治療中とのことでした。マリでは、全ての保健所でハンセン病の診断と治療が可能となっているそうですが、回復後も障害が残っている方々の身体および社会的なリハビリテーションが課題となっています。

次にマルソー研究所と呼ばれていたマリ・ワクチン開発センターを訪れました。1931年にエミール・マルソー氏(1862-1943)が設立したこの研究所は、仏領圏アフリカにおいてハンセン病研究、治療、人材育成の中心機関としての役割を担ってきました。フランス出身の熱帯病研究者マルソー氏は、1923年フランス・ストラスブルグで開催された第3回国際らい学会でハンセン病患者への人道的対応を求め、全患者の隔離は必要ないこと、住居における隔離が必要な場合は人道的に行うことを訴えた方です。その後、国際らい病学会会長や国際ハンセン病協会会長なども歴任されました。マルソー氏が設立し80年の歴史を誇る同研究所は、現在ではハンセン病以外にもHIV/エイズや結核などの研究や他の病気の治療なども行っています。私が訪れた際には、所長のサンボ・ソウ博士がセンターにある様々な施設の紹介をしてくださいました。ハンセン病病棟には10名ほどの患者さんが入院中で、病状をみせてもらいました。サンボ博士が入院中の少年の症状を解説しながら「見た目には分かりづらく一般の医師ではハンセン病と判断できなくても、病気がかなり進行している。ハンセン病の患者数は減ってきているが、だからと言って医療関係者への教育の手を緩めると危険だ」と語っていたのが印象的でした。入院中の患者さんたちは不安な顔をしていましたが「立派な施設で素晴らしいお医者さんに診てもらっているから大丈夫だよ」と励ましたところ、少し笑顔をみせてくれました。センターにはこの他に、ネズミを約2000匹も飼ってハンセン病などの研究をする実験設備や、アフリカで最近多くなってきている細菌感染症の一種であるブルーリ潰瘍や他の重症患者の治療病棟、義足をつくる施設、ワクチン開発のための実験室などがありました。アフリカで唯一のハンセン病研究を行う本格的施設であり、現在の治療薬であるMDTに対する耐性が生じる可能性がゼロではないことを考えると、非常に意義のある施設であると思います。

2.jpg
患者の病状を確認


この後は、ハンセン病回復者たちが山羊や牛を育てて売る生活向上プロジェクトを見学しました。車から外の町並みを眺めていると、道路脇に数千頭もの大量の山羊がいたので驚いていたら、実は回復者の方々が飼っていたものだったのです。そこで働く2百数十人のうち140人ほどが回復者で、1ヶ月で平均5、60頭を売るそうです。1頭5ユーロ(約600円)とのことなので、1月に3万円ほどの売り上げでマリでは安くない金額です。照りつける太陽の下、山羊に草を与えたり、井戸や川で水洗いをしたりと、熱心に働く姿がとても印象的でした。マリで50年以上活動するラウル・フォレロー財団の支援を受けながら回復者の方々が協会をつくり実施しているプロジェクトで、これほどの規模で皆が一緒になってしっかりと働いているところは世界的にも珍しいと言えます。ラウル・フォレロー財団マリ事務所長のティンボ・オウモウ女史は農業エンジニアリングを専門とし、長年の試行錯誤を経ながら現在のかたちになったと話していました。社会から差別されるのではなく、尊敬されるコミュニティになっており、私はここの活動が他の国々にとってもモデルになるのではないかと感じました。見学後に催された回復者の方々との集会では、回復者組織をまとめるゴウロウ・トゥラオレ氏が「皆の笑顔を見ていただき、皆が尊厳をもって生きていることを見ていただけたと思う。コロニーには1472人が暮らしており、プロジェクトをもっと拡大し、コロニーのみんなの生活がよくなるにしていきたい」と自信をもって話してくれました。集会では回復者の方々が結成し結婚式などのイベントで活動しているバンドグループの歌と演奏の披露もあり、最後には私も踊りの輪に入り皆で心を交し合う時間となりました。

3.jpg
回復者の方々が育てている山羊


この日の午後はアマドゥ・トゥマニ・トゥーレ大統領ともお会いしました。トゥーレ大統領は前述の食糧増産プロジェクト“ササカワ・グローバル2000”のよき理解者であり、旧知の仲です。私から、同プロジェクトを通して農民の方々の生活向上を実現させたいという決意を述べるとともに、午前中に訪問したハンセン病の研究所と、回復者が行っている山羊の飼育の取り組みが世界的に見ても素晴らしいとの報告をしました。大統領は「子供の頃からハンセン病の患者、回復者の方々をよく見てきた。笹川さんが朝に見た光景はとても素晴らしいことだ」と語り、ハンセン病への取り組みについても深い理解と関心を示して下さいました。面談の後、笹川アフリカ協会25周年を祝う植樹祭を国立博物館で行い、トゥーレ大統領とナイジェリアのオルセグン・オバサンジョ元大統領、ベナンのニセフォレ・ソグロ元大統領はじめ多くの来賓の皆様にお祝いいただきました。翌3日と4日は、笹川アフリカ協会25周年記念シンポジウムと農業指導を行っている村への訪問を行いマリでの日程を終えました。

1.jpg
トゥーレ大統領に、患者・回復者の生活向上のための協力を依頼


今回のマリ訪問では、ハンセン病関連での時間は短かったものの、アフリカを代表するハンセン病研究所や回復者の方々が大規模に行う畜産活動を見ることができ、大変有意義なものとなりました。ハンセン病はMDTの普及により患者数が激減したものの、MDTに対する耐性が生じる可能性はゼロではなく、さらなる研究を進めていくことの重要性を再認識しました。また、回復者の方々が協会を組織し大規模に活動を展開する取り組みを見て、「一人ひとりの力は小さくても皆が団結することで大きな力になる」という私のかねてからの信念をより強くしました。ハンセン病の病気をなくし、差別をなくしていくために、医療面と社会面の両面において歩みを進めていきたく思います。

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黒澤 司君のこと [2012年05月02日(Wed)]
3.jpg


「黒澤 司君のこと」


黒澤 司君はかつて日本財団に在籍し、阪神・淡路大震災から今回の東日本大震災まで、計28回の災害救援活動に献身的活動をしたその道の専門家である。

2008年8月、家族の事情で退職。宮城県の片田舎でつつましく「木こり」で生計をたてていた。その彼が運命に導かれるように3月11日に被災地に居たことで、彼の豊富な過去の経験が被災地での大活躍の原動力となった。

彼から日本財団に届いた素早い地元からの第一報で現地対策本部を設営。全国的な災害ボランティアへの連絡・動員。「必要な物資を必要な人々に一刻も早く」を合言葉に日本財団職員と共に獅子奮迅の大活躍。

日本財団は東日本大震災の1年前に「日本財団学生ボランティアセンター」を組織していた。通称「学ボ」は、事前研修と統制のとれたボランティアとして現地ではすこぶる好評で、福島原発の被災者の仮設住宅がある厳冬の雪深い会津でも活躍してくれた。

被災地で黒澤 司の名前を知らない人はいない。しかし、彼はあくまでも謙虚で「自分は『最強の足軽』として被災者とともにありたい」との固い信念で、今も泥まみれになって働いてくれている。

黒澤のブログ「続・雨ニモマケズ 風ニモマケズ」はその筋の人々には有名である。
彼はボランティアの恩恵を受けた被災者の気持ちを代弁した以下のような詩を送ってくれた。

―俺らの神様―

学生ボランティアが浜に来るまで
俺ら漁師は毎日毎日海を見ては
溜息ばかりついていた。

本当に力が出なかった。
何もする気になれなかった。
何から手を付けていいのかわからなかった。

学生ボランティアが浜に来て
一生懸命牡蠣ダルや網を
山に入って集めてくれた。

その若い力を見ていて
立ち上がらなければならないと思った。

学生たちに引っ張られ
俺らも動こうと思った。
立ち上がれる気持ちに変わった。

津波があってからこの世に神様なんか居ないと思った。
もしも神様が居たら
何にも悪いことしてない人たちを
こんなに苦しめることはしないと。

でも今はやっぱり神様は居ると思うようになった。
俺らにとっての神様は
ボランティアのみんななんだよ。

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