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写真:ハンセン病の現場から「アフリカ・ピグミー族」

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8月26日(火) [2014年08月26日(Tue)]
8月26日(火)

7:35 財団着

8:30 アール・ブリュット事業 打合せ

9:00 海野光行 日本財団常務理事

10:00 日英グローバルセミナー 打合せ

13:30 鳥井啓一 日本財団参与

15:30 羽生次郎 笹川平和財団会長

16:15 B.T.スリングスビー グローバルヘルス技術振興基金専務理事

17:00 グローバル・アピール 打合せ

18:00 西村鐡三 キョーワナスタ相談役
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8月25日(月) [2014年08月25日(Mon)]
8月25日(月)

9:25 財団着
    書類整理、打合せ

13:50 笹川記念保健協力財団 紀伊国献三会長、喜多悦子理事長

16:20 浅野直広 テレビマンユニオン・ディレクター
    武部恭枝 プライムコーポレーション社長
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「ブログ休載のお知らせ」 [2014年08月15日(Fri)]
「ブログ休載のお知らせ」


8月18日、20日、22日、25日、27日、29日の6回について、夏季休暇のためお休みさせていただきます。

9月1日より再開します。

よろしくお願い致します。
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「フランスは商売上手」―ロシアへの艦艇売却― [2014年08月15日(Fri)]
「フランスは商売上手」
―ロシアへの艦艇売却―


かつて、池田勇人首相がフランスを訪問した折、たしかドゴール大統領だったと記憶しているが、「日本の首相はトランジスター商人か」と揶揄されたことがある。

サッチャー首相も、日本が高度成長の時期、日本の一人勝ちは許せないと筆者に語ったことがある。

しかし、イギリスもアメリカも、活発なトップセールスを行っている。

ブッシュ大統領の訪日には、自動車メーカーのビッグスリーが同行していた。

日本は、田中角栄首相がハワイでニクソン大統領と会談したのがきっかけでロッキード事件が惹起し、以来、首相に財界人が同行することはなかった。小泉首相になってようやく復活したが、今は中国がこの手法を盛んに行っている。

トップセールスの最も盛んな国は、実はフランスだと思っている。中国の首脳がフランスを初訪問した折、いきなり高速鉄道と原子力発電所を買って欲しいと依頼され、少々驚いたと、直接中国の閣僚より聞いたことがある。そのフランスは確か、台湾に航空機ミラージュを売却したことがあったと記憶しているが、これは定かではない。

今問題になっているのは、ロシアのクリミア、ウクライナの問題。特に、マレーシアの民間機撃墜問題で、EU、アメリカがロシアへ経済制裁を強化する中で、フランスは敵に塩を送るがごとく、最新鋭のミストラル級強襲掲陸艦2隻の売却を進めていることである。

この艦艇は強力な戦力で、16機のヘリコプター、4隻の掲陸艇、70両の車両、そして450名の兵員を運ぶことができ、69台の病院用ベッドも装備されており、2隻で価格は12億ユーロ(1650億円)といわれている。

この売却が実行されると、ロシア海軍の能力を飛躍的に向上させることになり、特に大問題なのは、その1隻がウラジオストックに配備されると予測され、日本の安全保障に重大な懸念が生じることである。

アメリカもEUもロシアへの売却に反対しているが、どうなることであろうか。この件は日本ではあまり報道されていないが、日本が1隻を購入して北海道に配備すれば、海軍の軍事バランスは大きく逆転し、なおかつ、フランスに恩義を売ることにもなる。

我が国にこのような大胆な決断ができる政治家が存在することを期待したい。

ここまで書いたところで、8月4日付『世界日報』は、防衛省は離島防衛強化のため強襲揚陸艦の導入に向け、2015年度の予算で調査費を要求すると報じていた。ならばなおさらのこと、1隻825億円と航空機に比べ安価なこのフランス製を購入することは、フランスはもとよりEUも歓迎するグッド・アイディアだと思うのだが・・・。
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「ちょっといい話」その46―日本サッカーの恩人はミャンマー人― [2014年08月13日(Wed)]
「ちょっといい話」その46
―日本サッカーの恩人はミャンマー人―


今年60周年を迎える日本・ミャンマー外交関係樹立を記念し、日本財団では、若手職員の発意により、セレッソ大阪とミャンマー・ナショナルチームの試合をヤンゴンで開催した。

両チームの選手と握手し、エールを送る.JPG
両チームの選手と握手、エールを送る


昭和初期、日本のサッカーはミャンマー人のチョー・ディン氏の指導と理論の伝授により、画期的な進歩がもたらされたと言われている。キックやパスの基礎、ショートパスをつないで攻める組織サッカーの技術と戦術を教え、日本サッカーの技術は飛躍的に向上。国際舞台での活躍の基礎を作ってくれた恩人なのである。彼が制作した指導テキスト『How to Play Association Football』は、写真や図を多用した具体的かつ理論的なテキストであったという。日本サッカーの歴史に、ミャンマー人のチョー・ディン氏の功績を忘れることはできない。

民主化と共に急速に人気スポーツになってきたサッカーをミャンマーで行うことは、彼への恩返しの試合となった。

ヤンゴンの競技場には東南アジア競技大会(SEA games)以来過去最高の12,000人の観客が集まってくれた。これにはミャンマーに進出した多くの日本企業や日本人会の協力があり、町中のポスターや看板の設置もボランティアが活躍してくれた。いわば手作りの国際試合の開催であった。

試合が始まるとまばらだった席がこんなに!観客は1万2千人とのこと.JPG
観客は過去最高の12,000人


日本体育大学のチアリーダーによるハーフタイムの演技を見るのは、ミャンマーの観客にははじめての経験で、最初は何事かと思ったのか静まりかえっていたが、ポーズが決まると大きな拍手とどよめきが起こった。「ミャンマーでもチアリーダーを育てましょうよ」とミャンマーサッカー連盟の会長に話したら、「これだけは駄目です。ミャンマーの文化では、女性があのように足を広げることはなかなか受け入れられません」と、きっぱりと断られてしまった。

日体大のチアリーダーたち.JPG
初めて目にする華麗な演技にどよめきが・・・


セレッソ大阪にとっても、クラブチームがナショナルチームと対戦したことは名誉なことであり、こちらから御礼を申し上げたいと、岡野雅夫代表はどこまでも謙虚であった。

日本プロサッカーリーグのチェアマン、村井満さんは、ワールドカップが行われたブラジルから60時間かけて駆けつけてくださった。日本財団職員のアイデアが大きな輪となって拡がり、国民レベルの日本・ミャンマー外交関係樹立60周年の最大イベントと評価されたことは、汗をかいた日本財団職員にとっても満足した結果であったと思う。

また、本イベントの開催にあたり、マッチネーミングスポンサーのヤンマー株式会社をはじめ、多数の日本企業、ミャンマー企業にご協力をいただいた。この試合をきっかけに、両国企業の連携がより進むことを期待したい。

翌日、セレッソ大阪サッカースクールのコーチ陣と財団職員、チャリティマッチ支援企業の担当者はヤンゴン南西部の農村地域イラワジ地区の学校に出向き、子供たちにボールやユニフォームをプレゼントすると同時に、練習も指導してくれたことは、メディアを通して大きく報道された。
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「ノーマン・ボーローグ博士生誕100周年」―記念シンポジウム― [2014年08月11日(Mon)]
「ノーマン・ボーローグ博士生誕100周年」
―記念シンポジウム―


笹川アフリカ協会(SAA)主催によるノーマン・ボーローグ博士(インド・パキスタンの緑の革命を指導してノーベル平和賞を受賞)の生誕100周年記念シンポジウムがアフリカのウガンダ南東部の都市ジンジャで、7月10日、11日の二日間開催された。

笹川アフリカ協会は、1986年、ノーマン・ボーローグ博士、ジミー・カーター元米国大統領、日本財団初代会長の笹川良一が共同で設立した協会である。ボーローグ博士は晩年の20年間、SAA理事長としてアフリカの農業問題と闘い続けた。

1989.8 笹川・カーター・ボーローグ.jpg


設立以来『笹川グローバル2000』(SG2000)農業プログラムをサブサハラ14カ国で展開。各国のパートナーと協力しながら、零細農家に対して高収量品種の導入や高生産性農法の活用を奨励することで生産性と収益性の向上を目指しており、現在は、ケニア人のルース・オニャンゴ会長の強いリーダージップのもと、エチオピア、ナイジェリア、マリ、ウガンダの4カ国で重点的に活動を行っている。

世界広しといえども、28年間もアフリカの零細農民を相手に活動してきた団体は他にない。特に近年、宮本正顕常務理事の努力により世界的に評価は高まり、ビル・ゲイツ財団、JICA、ナイジェリア政府、ドイツからの支援金もあり、更に支援を申し出てくれている団体や国があるものの、しっかりとした成果を出すためにはこれ以上急激な組織拡大は望ましくないとのことでお断りしている状態だと、宮本正顕さんは話してくれた。誠にうらやましい限りであり、又、設立当初から関与してきた私にとっても誇らしいことである。

このシンポジウムにはエドワード・セカンディ副大統領、モーゼス・アリ第2副首相、トレス・プチャナヤンディ農業大臣をはじめとするウガンダ閣僚、ボーローグ博士の娘ジーニー・ボーローグ氏と孫のジュリー・ボーローグ氏、ソグロ元ベニン大統領、藤田順三在ウガンダ日本国大使、ウガンダ政府関係者、国際NGO、大学、農業関連企業、ジンジャ周辺地区の農家、学生、青年海外協力隊ウガンダ隊員が参加した。

ウガンダの農業問題に関するパネル・ディスカッションでは、シンポジウムに参加している農家、学生からの質疑応答が活発に行われた。「農家の技術を向上させるために、農業を学校の必修科目にするべきか?」というセンションでは、マチョワ・クリストファー・モガル君(15歳)より、「農業をもっと楽しくするべきだ。農業を楽しむことで、農業にそれほど誇りを感じていなかった将来の世代が、農業に献身するのではないか?もっと農家のモチベーションを上げる仕組みを作れば、ウガンダ農業は発展するはずだ」という意見が出された。

さらに「農家の収入向上のために、どのように農業をファミリービジネスとして促進させればよいか?」というセッションでは、青年海外協力隊の神崎志穂さんが、米の普及による農業収入向上の可能性とそれに係る人材育成の重要性について発表。同じく青年海外協力隊の平野裕士さんは、活動している村の農業組合メンバーとマンゴージャム作りを始めたが、農家がジャム作りを通して食品加工だけでなく、それを売るためのマーケティングやジャムを作る際の衛生管理についても学ことができると発表した。

日本においては、農業も高齢化と共に後継ぎ問題が深刻であるが、若者が農業を誇りに思い、その可能性について議論する場の必要性を痛感した。

会議の休憩時間にボーローグ博士の娘であるジーニーさんと、孫娘のジュリーさんと挨拶を交わした。「父はミネソタの貧しい農家に生まれたの。大学時代はレスリングの選手として活躍したけど、大リーグのシカゴカブスの二塁手になることが夢だったらしいの。控え目な人で、自慢話はしないで一生懸命働く、とても倫理観の強い人だったわ。いつも私たちに教育の大切さを話し、死ぬまで教えることを忘れなかった。父の仕事で南米に何回も同行したけど、飛行場ではいつもDairy Queen(デイリー・クイーン)を探し歩いてアイスクリームを食べるのが楽しみだったみたい。確か死の二日前だったと思うの。癌の治療が終わって病院から帰って来て、突然「最大の問題はアフリカだ」と。晩年の父の頭の中は常に『アフリカ』だった。忘れもしない。死の6時間前に「Take it to the farmers」(その技術を農民の元へ)と言ったの。それが今回のシンポジウムのテーマになったことを、きっと父も喜んでいるでしょう」と語ってくれた。

ボーローグ博士の娘さんとお孫さん.JPG
ボーローグ博士の娘さんとお孫さん


ノーマン・ボーローグ博士は、私に多くのことを教えてくれた恩師である。常に「Never give up」、あきらめるなと、叱咤激励してくれた。ヒューストンで病魔に勝てないことを悟ったノーマン・ボーローグ博士が笹川アフリカ協会会長を辞任され、その感謝の慰労会を親しい関係者とご家族で行った折、私は不覚にも感極まって、生まれて初めて人前で号泣したことも遠い昔のように思い出される。

2000.8 ボーローグ博士.jpg
ボーローグ博士とご一緒した時間は筆者の宝物


葬儀での挨拶、そして今日のスピーチも、多くの方々から感銘を受けたとのお誉めの言葉を頂いた。私の下手なスピーチを補って余り有るスピーチの内容であった。

私のスピーチは、武部恭枝女史の指導のもと、小澤直、渡辺桂子、ヴィッキー本多、田中麻里などの若手が長時間の議論を通じ言葉を選んで作り上げた文章で、日本財団にスピーチライティングチームが存在することは、私の海外活動にとって今や不可欠の存在である。

10〜15分のスピーチの作成に1ヶ月近くの時間をかけて作成する担当者の労に感謝したい。

以下はそのスピーチです。残念ながら原文の英語からの翻訳なので、若干ニュアンスは違うかもしれない。

*************************


ボーローグ・レガシー・シンポジウム
―挨拶要旨―


2014年7月10日
於:ウガンダ・ジンジャ


本日は、ノーベル賞受賞者であり、2009年に天国に旅立たれる最期の日まで笹川アフリカ協会(Sasakawa Africa Association: SAA)の会長を務められた、故ノーマン・ボーローグ博士の生誕100周年記念シンポジウムで皆さまにお目にかかることができ、大変光栄に思います。また、博士の最愛の娘であるジーニーさん、孫娘のジュリーさんもこの会場に駆けつけてくだったことを心より嬉しく思います。

ボーローグ博士と私の出会いは、30 年前に遡ります。ちょうどエチオピアを中心としたアフリカ各国が未曾有の大飢饉に見舞われていた時でした。当時、この飢饉に対し、世界各国がアフリカに食糧を届けました。「世界は一家、人類は皆兄弟姉妹」を基本理念とする私たち日本財団も、アフリカの人々を家族の一員と考え、苦境に陥ったアフリカの兄弟姉妹のために緊急食糧支援を行いました。しかし、このような支援は一時的に人々の空腹を満たすことができても、長期的な解決策にはなり得ないことは明らかでした。そこで、この出来事をきっかけに、私たちは、アフリカが抱える食糧問題を根本から解決するためのプロジェクトを立ち上げることを決意したのです。

この決意のもと、当時の日本財団会長であった私の亡き父、笹川良一と私は1986年にSAAを設立し、ボーローグ博士、そして、ジミー・カーター元米大統領に、私たちのプロジェクトへの協力をお願いしました。カーター元大統領はすぐに申し出を受け入れてくださいましたが、当時73歳だったボーローグ博士は「私はもう引退した身で、新しいことを始めるには年を取り過ぎています。」と躊躇されました。私の父は「私のほうがあなたより13歳も年上です。アフリカへの農業支援は、今からはじめても遅いくらいです。ですから、さっそく明日から一緒に始めましょう!」と説得しました。こうして、私たちのアフリカでのプロジェクトが始まり、飢餓という人類が抱える最も難しい課題のひとつに取り組むことになったのです。

アフリカでは、緊急な対応が必要とされる課題が山積していました。はじめに、農民たちに農業の基本を教える必要がありました。また、当時、多くのアフリカの国々で脆弱であった政府の農業普及サービスを強化していくこと、アフリカ各国政府が農業開発政策の優先順位を高めていくことが必要でした。これらは、本当に気が重くなるような難題でしたが、強い使命感を持ったボーローグ博士は、それらの難題に立ち向かっていったのです。彼は、どんな時も怖気づいたり、途中で投げ出したりすることはありませんでした。彼は、どんな困難な状況においても、いつも笑顔で「ヨウヘイ、諦めてはいけないよ!」と語りかけてくれたのです。

ボーローグ博士の生きる姿勢は、癌を患われてからの晩年になっても変わることはありませんでした。ご自身の身体が病に蝕まれている時でさえ、彼はアフリカの人々のことを最優先に考えていました。ある現場視察の後、ボーローグ博士がひどく咳込んだことがありました。私たちは、彼に出張を早めに切り上げて休むように言いましたが、「私がいるべき場所はフィールドだ」と、病気などものともせず、私たちの心配をよそに、強い闘士さながら、次の目的地に出かけていきました。

ボーローグ博士がSAAを率いてくださった20年の間に、ササカワ・グローバル2000はアフリカ14か国でプロジェクトを展開しました。私たちと一緒に仕事をした農業普及員はこれまでに数万人に達し、そのうち4000名を超える農業普及員をアフリカの大学20校において育成しました。また、私たちのプログラムを通じて、何百万人もの小規模農家の方々との「触れ合い」がありました。

私がここで申し上げた「触れ合い」というのは、アフリカの農民の心や魂に影響を与えるほどの深く、濃い「触れ合い」があったという意味です。ボーローグ博士は、アフリカの小規模農民の潜在能力を信じていました。彼の貢献は、耕運や植え付けの技術の指導という域を超えていました。彼は、農民に寄り添い、現場で共に汗を流すことで、食糧の増産を可能にしただけでなく、農民の心に「自信」という種を植えたのでした。この人道的なアプローチは、ボーローグ博士と共に働く全ての人々にとって、共通の価値観となり、SAAという組織の基盤として引き継がれていきました。

現在、SAAは、アフリカ諸国を中心に様々な国籍の職員で構成されたとてもダイナミックな組織に成長しました。オニャンゴ会長のリーダーシップの下、女性スタッフの数も増えてきています。現在の重点4か国、エチオピア、マリ、ナイジェリア、そしてウガンダにおいて、ノーマン・ボーローグ・スピリットを継承し、多くの開発パートナーと共に、アフリカにおける持続可能な農業の発展に貢献するため、尽力しています。

「Take it to the farmer」というボーローグ博士の言葉を私たちの指針として胸に刻み、この偉人が切り開いてきた道を共に歩み続けていきましょう。「Never give up」というボーローグ・スピリットに基づき、アフリカの農民に寄り添い、彼らの生活を向上させるというコミットメントを再確認し、共に取り組んでいきましょう。そして、子どもたちが空腹のまま眠りにつくことがないように、共に汗を流していきましょう。

********************


*日本財団ライティングチームの名作ですので、当時の弔辞を再録します。

ノーマン・ボーローグ博士 弔辞


2009年10月10日
於:テキサス州A&M大学


早いもので、博士とアフリカの農業開発に取り組み始めて四半世紀が経ちました。「食糧難に苦しむアフリカの人々の空腹を少しでも満たせてあげたい。」父と私は、当時70歳のあなたに無理を承知で協力を要請したところ、快く引き受けてくださいました。以来、あなたはアフリカの農民やその子どもたちのためであれば、いかに多忙であろうと最優先で取り組んでこられました。

Bill、Jean、あなたの父親はあなたたち家族を心より愛していました。そしてあなたの父親はアフリカの農民たちを想い、幸せを願っていました。マラウィで肺炎寸前まで体調を崩したときも、そしてガンに侵されていたときも、自分の心配よりアフリカの農民たちの幸せを考え、行動していました。そして驚くことには、その時のようにどんな苦境に立たされようと、決して苦しいとか辛いとか弱音を吐くことはありませんでした。むしろ困難を正面から受け入れ、それを乗り越えるモチベーションを生きる糧にしているようにさえ見えました。

 博士は可能な限り現地を訪れ、農民と一緒に汗をかきながら優しく丁寧に手ほどきする一方、カントリーディレクターには厳しい姿勢で指導に当たられていました。そして年に一度の収穫祭で、農民たちが歓喜のダンスをしているときに見せる幸せに満ちた博士の笑顔を、私は忘れることができません。

「アフリカの子供たちが空腹を抱えたまま眠りにつかないように・・・。」博士がよく口にしていたその想いを胸に走り続けたその成果は、単に農民やその子どもたちの空腹を満たすだけのものではありませんでした。

Norman、あなたはアフリカの農民の心に、「夢」という、土壌を耕しました。
Norman、あなたはアフリカの農民の心に、「希望」という、種を植えました。
Norman、あなたはアフリカの農民の心に、「情熱」という、水と太陽を注ぎました。
そしてNorman、あなたはアフリカの農民の心に、「自信」という作物を実らせたのです。

あなたは決してあきらめなかった・・・。

私も、あなたがアフリカの人々のために活動を始めた時と同じ70歳になりました。
「アフリカに緑の革命を・・・。」私は、あなたの夢そして我々の夢をボーローグスピリットを継ぐ同志(指導者、学者・研究者、農民)とともに、最後まで追い続けます。
絶対にあきらめません。
ボーローグ博士、どうか安らかにお休み下さい。



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「日本財団在宅看護センター」―起業家育成事業― [2014年08月08日(Fri)]
「日本財団在宅看護センター」
―起業家育成事業―


九州赤十字看護大学の学長を務められ、昨年、笹川記念保健協力財団の理事長に就任された喜多悦子氏は、人生最後の仕事の一つとして、看護師の起業家育成こそ高齢化社会において最も重要な社会的課題であると考えられ、日本全国に在宅看護センターを配置すべく、この度、日本財団と協力して看護師の起業家育成事業を開始した。

以下はその開校式での挨拶です。

―開講式 挨拶要旨―


2014年6月2日
於:日本財団


世の中は常に変化していますが、それにどのように対応していくかが重要です。私たち笹川記念保健協力財団と日本財団は、医療の在り方について、常に先進的なチャレンジをしてきました。

最初は日野原先生ご指導のもと、予防医療を目的とした「ライフプランニングセンター」を立ち上げました。病気になってからでは遅い。ここにおられる方がまだ生まれていらっしゃらない頃です。その頃は、血圧計も聴診器も医師しか扱えませんでした。

病気にならないためにはどうしたら良いかを、ライフプランニングセンターを中心に発信してきました。現在、生活習慣病と呼ばれる病気は、当時は成人病と表現されていました。成人病というと、成人になれば誰もがかかると勘違いする。生活習慣病へと変わったのはここ4、5年の話で、変えるまでに20年以上かかりました。

近頃は食生活の変化もあり、癌が非常に増えてきました。しかし、癌患者に対するケアというのが大変遅れていましたので、終末医療にタッチできる看護師さん、いわゆるホスピスナースを養成しようではないかことで研修制度を立ち上げました。今や緩和ケアなんて当たり前ですが、当時はまったくありませんでした。日本財団と笹川記念保健協力財団は、看護師協会と組んで認定看護師ということから始め、現在までに全国で3400人を養成してきました。

忘れもしません、第1回目は確か24人。このビルに来て頂きました。2、3人の方を除いて全員、病院を退職して来られました。「そんなものを勉強して何になる」、そんな時代でした。それでも終末医療に命を捧げたいという志のある人達が全国から来てくれました。私どももその熱意に報いようと、寮を作ったりして協力し、今も年1回、ここに集まって勉強会を続けております。

ご承知のように、今の医療は技術偏重の時代で、とにかく技術、技術で、医者が患者との間に人間的な触れ合いを作れない。医者はパソコンばかり見て、患者さんの顔を見ないでしゃべるのです。医療は医師と患者が心と心が通う人間関係を築いた上で行われないといけない。そういう医療が変わってしまった。ですから我々は、医師も終末医療についてもっと勉強してほしい考え、遅まきながら、自治医大などで終末医療の課程を作りました。皆さんのような看護師さんの志に比べて、医師は技術、技術の世界になって、患者との人間的な触れ合いを忘れてしまった。極端な話、今や医師が患者さんに対して上手に説明する言葉すら知らない人がいっぱいいるのです。

今から20、30年前は、癌になった患者さんにどのように説明するか、医師はみんなとても悩んだのです。「この人はしっかりしているから全部言っても大丈夫だろうか」「奥さんにそっと話そうか」などと、とても悩みました。今は患者の性格や家庭環境も知らず「あなた癌ですわ」と言う。こういった現在の医療をどう思いますか?

世論調査をみれば、8割9割の人が自宅で終末を迎えたいと願っています。病院の中で、スパゲッティーじゃないけど、いっぱい管をぶら下げられて・・・。そういう方法を望まれる方もいるかもしれませんが、終末は家でという希望が強いわけですから、やはり病院から自宅中心に移していかなければ国民の要望には応えられません。

在宅看護センターの起業家を目指す皆さんにお集まりいただき、第一回の研修会をスタートする今日は、歴史的な日だと思っています。今まで看護師さんはお医者さんに従属して言われたことをやるというお立場だったと思います。これからは、そういう看護師さんの立場が変わり、自ら在宅のケアを中心的にやっていく皆さんは、主役に躍り出るのです。

日本の長い看護の歴史の中で、多分、皆さんが医療の主役になるのは初めての出来事です。志のある皆さんの小さな今日の種が、10年、20年後に花開くよう願っています。看護師の皆さんが起業して、事業として成り立つ形で、かゆい所に手が届く、本当に患者さんと触れ合い、患者をケアしている家族のみなさんの信頼を得て、人生の最後を家の中でおくれる日が来ることを願っています。

終わりよければすべてよし。どんな困難な人生も終末がよければ素晴らしい人生です。栄誉栄華を極め億万のお金を貯め込んでも、終末が寂しければその人生はやはり悔いの残る人生になってしまいます。素晴らしい終末をおくってもらうためにお金は要りません。皆さま方の愛で、皆さん方の志によって多くの人が、本人はもとより家族も、終末をよくやって頂いた、ありがたいと思っていただけるような心の通った医療に日本を変えていく。今日はその出発点です。

日本財団は、単に皆様方に教育を受けて頂く為の協力だけではありません。皆様方には、ここで勉強して経営者として立派な知識を身に付けていただかなくてはなりません。人も雇わなくてはなりませんが、人を雇うって結構難しいのです。自分で働いた方が早いですからね。人を使ってやるというのは苦労を背負うことにもなりますが、これをやらなければならないのです。面倒でもここで勉強して頂いて、晴れて起業する時には日本財団が支援します。事務所を借りるというのなら事務所の費用も、あるいは看護をしたい人を数人預かって面倒みるような施設も含めて、私たちは皆さんと信頼関係を作り、最後まで支援させていただきます。

事業資金を銀行で借りるには保証人が必要になります。借りた金は返さないと怒られます。日本財団は返さなくても私が首になるだけで済みます。これは冗談です。心配いりませんから大船に乗った気持ちで勉強に励んでください。

笹川記念保健協力財団理事長の喜多悦子先生は、自分の長い看護生活の集大成にしようと、熱意に燃えて頑張っておられます。

何よりも皆さんは第一期生です。在宅看護のための組織作りは、皆さん方のこれからの人生の誇りとなることです。みんなが協力します。一緒に頑張りましょう。

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開会式後の懇親会で記念撮影
成功を祈って!
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WANA(西アジア・北アフリカ)フォーラム―スピーチ― [2014年08月06日(Wed)]
WANA(西アジア・北アフリカ)フォーラム
―スピーチ―


WANAフォーラムは、西アジア・北アフリカ地域の経済・環境・エネルギー・教育・社会問題などを、各国の政治指導者、国際機関代表者、学者、研究者、市民社会代表者など幅広い分野を代表する知的指導者が国を越えて知的対話を行う場で、チェコのハヴェル大統領と私が、過去17年間にわたり、共にプラハで行ってきた国際知的対話のプラットフォーム「フォーラム2000」のアラブ版である。

「フォーラム2000」を通じて友人となったヨルダン王国のハッサン・ビン・タラール王子と私が協力して、アラブ諸国、トルコ、イラン、イラクや南アジアに至る国々の知的指導者を招へいして国際会議をヨルダンの首都アンマンで開催してきた。ハッサン王子は、「ローマクラブ」理事長、「人権問題に関する独立委員会事務局」理事長などの要職にあり、中東を代表する賢人として名高い人である。

WANAフォーラムは2009年に第1回を行い、今年は第6回目の会議となった。各回のテーマは以下のとおりである。

第1回 人間の安全保障            参加人数70名
第2回 国境をまたがる課題とその解決に向けて 参加人数130名
第3回 変化しつつあるWANA地域      参加人数61名
第4回 アイデンティティの課題        参加人数123名
第5回 住み慣れた環境を追われた人々     参加人数83名
第6回 司法へのアクセス向上         参加人数196名

毎回20ヶ国ほどの国々からの参加があり、会議は様々な共通課題を取り上げ、盛会ではあったが、具体的成果には到達しておらず、アラブの春は何処へやらで、市民社会の未成熟なWANA地域の混乱は拡大傾向にさえあり、当分収まる気配はない。

この会議の評価は、唯一、今まで存在しなかった各国の知的リーダーの国境を超えたネットワークが出来たことかもしれない。

日本財団が協力機関ということもあり、私たちはWANA地域が直面する経済、環境、エネルギー、市民社会などの諸問題について、日本や東南アジアの例を紹介することにも力を注いだ。過去の会議にはわれわれが紹介したインドネシア、マレーシア、フィリピンなどの知的指導者の参加もあり、日本からは日本政府代表を務められた有馬龍夫大使のご指導を得ながら、西村六善大使、米倉誠一郎一橋大学教授、恒川恵市政策研究学院大学副学長、菊池努青山学院大学教授が、ご多忙の中、発言のため参加して下さった。
厚く御礼申し上げたい。

以下、筆者のスピーチです。

************************


日本財団会長 笹川陽平
2014年6月11日
於:ヨルダン・アンマン


11日 WANAフォーラム開会式.JPG
開会式で挨拶


本日は、第6回西アジア・北アフリカ(West Asia North Africa:WANA)フォーラムでご挨拶をさせていたただけることを大変光栄に思います。はじめに、このフォーラムのホストであるハッサン殿下、アハマド・マンゴー博士、そしてエリカ・ハーパー博士をはじめとするワーキンググループのメンバーの皆さまのご尽力に心より敬意を表します。また、それぞれの国や地域の重要な課題に対し、日々研究を進めてくださっているワーキンググループの皆さまにあらためて感謝申し上げます。

私は殿下と長年にわたり親交を深める中で、WANA地域の平和で安定的な発展に対する殿下の熱い想いを幾度となく伺い、その確かなビジョン、情熱、揺らぐことのない志に大変感銘を受けてきました。

WANA地域に目を向けてみますと、ここが社会的、経済的、政治的、そして自然環境の側面から見ても、世界の中でも極めて重要な地域の一つであるということを痛感します。
しかし、長年の紛争やそれに続く暴動は、人間の安全保障を脅かし、政情不安を煽り、WANA地域に困難な課題をもたらしています。このフォーラムが、WANA地域の成長を妨げ、人々の生活を困難にしている様々な問題に、WANA地域の関係者が取り組むための対話の場を築いてきた経緯は評価すべきことであり、まさに、ハッサン殿下の先見性によるものであると思います。

今年のフォーラムのテーマは「リーガル・エンパワメント」です。世界中の何十億人もの人々が法の保護の外に追いやられていると言われており、WANA地域も例外ではありません。法の支配からの排除は、経済発展や人材育成に弊害をもたらし、さらには、インクルーシブな社会の構築への道を閉ざしてしまうでしょう。

私がこれまで行ってきた人道支援活動においても、このような暗い現実に何度も直面してまいりました。社会や法の保護から置き去りにされた人々。貧困にあえぎ、基本的な権利があることを意識していない人々。そのような人々の中でもハンセン病患者・回復者についてお話したいと思います。

ハンセン病は人類の歴史の中で、誤解され、偏見の対象となってきた病気です。治療をしないまま放置しておくと、顔や手足などに目に見える変形が生じることもあるため、人々に恐怖の念を抱かせました。また、神の罰や祟りであるとも思われてきました。そして、多くの国々では、ハンセン病患者が家族から引き離されて孤島や遠隔地に隔離されてきました。

何世紀にもわたり、ハンセン病患者・回復者は法の保護の外で生きることを余儀なくされ、公共サービスにアクセスすることもなく、彼ら自身の人権を意識することもなく、そして、貧困から脱却することもありませんでした。

最近になってようやく、ハンセン病患者・回復者を取り巻く状況が改善されるようになりました。その背景には、国際機関、政府、NGO、そして、ハンセン病回復者自身など様々な関係者の協力がありました。

こうした関係者との取り組みの中でも「リーガル・エンパワメント」がもたらした成果は顕著なものでした。多くの国々でハンセン病に対する差別法が撤廃されました。さらに、世界中の様々な国々において、ハンセン病回復者が自らのための組織を設立し、法の下に平等な権利を持つ市民であると認識されるようになるための活動をしています。彼らの努力により、ハンセン病患者・回復者が公共施設や社会的リソースを利用できるようになるなど具体的な成果へとつながりました。そして、最も重要なのは、ハンセン病患者・回復者が自ら声を上げ、社会に発信できるようになったことです。

しかし、真の意味でのインクルーシブな社会を実現していくためには、多くの人々の意識を変えるという努力を同時に進めていかなければなりません。私は、公正を欠いた行為が長年の慣習と伝統に根深く結びついているという社会を多く見てまいりました。それはあまりにも根深いため、意識の高い人ですら、このような現実に気づいていないのです。本日のフォーラムでは、ぜひ、こうした視点も検討の対象に含めていただければと思います。

WANA地域において、様々な分野のリーダー的立場にある皆さまが、個人や自国の利益に捉われず、この地域全体のより良い未来を追求するために、忌憚なく議論することができるこのような機会は大変意義深いものです。

WANAフォーラムが、今後WANA地域の発展と人々の明るい未来に貢献することを期待しています。

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8月5日(火) [2014年08月05日(Tue)]
8月5日(火)

7:30 財団着

9:15 中邑賢龍 東京大学先端科学技術研究センター教授

9:30 異才発掘プロジェクト候補生

10:00 異才発掘プロジェクト全国説明会 挨拶

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異才発掘プロジェクト全国説明会で挨拶


11:00 河村俊信 国土交通省海事局総務課長

11:30 遠藤容弘 日本ゲートボール連合専務理事

12:00 文箭安雄 日本ベンチャーキャピタル(株)会長

14:00 香川剛廣 エジプト大使

14:30 大久保満男 日本歯科医師会会長

15:00 羽生次郎 笹川平和財団会長
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8月4日(月) [2014年08月04日(Mon)]
8月4日(月)

7:40 財団着

10:30 菅原悟志 B&G財団専務理事

12:00 鳥井啓一 日本財団参与

13:30 佐野慎輔 産経新聞特別記者

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