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日本財団会長 笹川陽平ブログ

写真:ハンセン病の現場から「アフリカ・ピグミー族」

leprosy.jp
resize.png日本財団はハンセン病の差別撤廃を訴える応援メッセージサイト「THINK NOW ハンセン病」を開設。皆様からのメッセージを随時募集・配信しています。
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9月28日(水) [2016年09月28日(Wed)]
9月28日(水)

7:20 財団着

9:00 ソーシャルイノベーションフォーラム打合せ

10:00 ネレウス・プログラム共同統括 太田義孝博士

11:00 文化新規事業打合せ

11:30 佐野慎輔 産経新聞特別記者

12:30 小泉進次郎 衆議院議員

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基調講演をしてくださった小泉進次郎議員


13:00〜17:00 「日本財団ソーシャルイノベーションフォーラム2016」主催者挨拶 

主催者挨拶.JPG
主催者挨拶

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満員の会場

ソーシャルイノベーターたちの活動が紹介された.JPG
ソーシャルイノベーターたちの活動が紹介されました

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「視覚障害者世界大会」 [2016年09月28日(Wed)]
「視覚障害者世界大会」


世界盲人連合と国際視覚障害者教育協議会との初めての合同総会が8月22日、フロリダ州のオーランドで開催され、世界盲人連合の会長である英国貴族院のコリン・マーケンジー・ロウ卿からのお誘いを受け、スピーチの機会を得た。

ロウ卿は、1942年にスコットランドのエディンバラで生まれ、3歳で全盲となられた。世界盲人連合の会長として盲人を含む障害者の権利について積極的に活動され、特に盲人の教育分野では、テクノロジーを利用して晴眼の生徒と同じ学校で学べる野心的な活動をモーリシャスとバングラディシュでパイロット事業として開始するために努力をされておられる。

今回、過去30年におよぶ日本財団の視覚障害者に対する教育支援の実績から、インクルーシブな社会の実現に向けて話をするようにとの要請があった。

フロリダではこの会議の2ヶ月前に米国史上最悪の銃撃事件が発生し49人が死亡、53人が負傷した事件があり、世界から参集する参加者に影響はないか心配していたが、128ヵ国841名の参加者は、白杖一本を頼りに開催場所のローゼンセンターホテルに集合。無用の危惧であったことに、内心胸をなでおろした。

C128カ国から約841人もの関係者が集った.JPG
128カ国から約841人もの関係者が集った


数十匹の盲導犬も主人を助けるために忠実に活動していた。盲導犬は他の盲導犬がいても興味を示さず、鳴き声を出すこともなく主人の傍に長時間、身動き一つせず座っているのには、大いに感心させられるだけでなく、深い感動すら覚えたものである。

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会場のあちこちに静かに主人を待つ盲導犬が


日本の盲導犬の育成には、日本財団でも1974年から取り組んできた。効率的な運営で1頭でも多く提供したいと願い9法人の大同団結を試みたが、力不足で失敗に終わった。その間の盲導犬育成団体への支援金総額は2億7432万9000円であった。平成11年には有識者による「盲導犬に関する調査」の報告書を発行しているので、ご興味のある方は日本財団に請求してください。その後、アイメイト協会を除く8グループが全国盲導犬施設連合会を結成し、一人でも多くの盲人に盲導犬を提供するために活動されている。しかし今もまだ需要を100%満足させるまでには至っていない。

話が逸れたが、ホテルの中は日本より少し長い白杖を頼りに大胆に大股で歩く人、弱視の方を先頭に4〜5人が前の人の肩に手を置いてグループで歩く人たちが行き交っていたが、お互いがぶつからないのが不思議であった。食堂はビュッフェスタイルだったが、ホテルの従業員のサービスは秀れており、白杖の方が入って来ると手を取ってテーブルに案内し、メニューを説明して盲人の注文通りの料理を皿にとってテーブルに並べるのである。驚いたことに、盲人はまるで晴眼者のようにきれいに食べる。筆者よりも美しく食事をする姿に、思わず姿勢を正してしまった。

11.JPG
ホテル内を長い白杖を頼りに大股で歩く人々


世界各地から複雑な経路を辿って集まってきた盲人たちの姿を見ると、各国の指導者として、幾多の困難を乗り越え時代を担う若者の盲人のためにより良い環境を作りたいとの情熱には、正直なところ、頭(こうべ)をたれるより方法がなかった。

旧知の全盲の堀内よしみさんは、タイ・チェンマイから100kmも離れた所から来たそうで、「舗装道路もなく、雨季にはドロ道で足を取られて大変よ!!」と、元気一杯である。彼女はそこで移動図書館を含む二つの図書館や子供たちに読み書きや計算を教える教育センターを運営している。タイ語、英語はネイティブといわれるほど素晴らしく、いつも笑顔で快活である。彼女の強靭な精神力はどのように身につけたのだろうか。筆者は彼女に逢うたびに己の努力の足りなさに反省させられる。「そろそろ日本に帰って活躍されては」と水を向けると「四国の母はもう諦めていますから心配要りません」と、ケラケラと快活に大きく口を開いて笑った。障害者支援を目的の一つにしている日本財団ではあるが、いつも障害者の方々に教えられ、励まされることが多い。

Cと.JPG
タイで移動図書館を運営する堀内氏


以下は筆者のスピーチです。

*****************


2016年8月22日
米国フロリダ州オークランド


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開会式にてスピーチ


皆さま、おはようございます。この度は世界盲人連合(World Blind Union: WBU)および国際視覚障害者教育協議会(International Council for Education of People with Visual Impairment :ICEVI)の合同会議にお招きいただき光栄です。ロウ卿、 ホルト会長をはじめ主催者の皆さま、本日お集まりの皆さまの前でお話しする機会をいただいたことを心より嬉しく思います。

これから数日に亘り、WBUとICEVIはそれぞれの経験を共有し合い、重要な課題について議論されると伺っています。この機会に、日本財団の活動をご紹介させていただけることを感謝いたします。

私が会長を務める日本財団は、日本の民間非営利組織です。私たちは設立以来50年以上に亘り、日本国内だけでなく世界中で活動を行っております。

私たちのビジョンは、多様性を尊重し、誰もが積極的な役割を果たすことができるインクルーシブな社会を実現することです。そのために様々なプロジェクトを行っています。その中で私は、特に開発途上国で、多くの子どもや若者たちが様々な理由で、適切な教育を受けられないでいる状況を目の当たりにしてきました。障害があることを理由に、適切な教育を受けられないでいる人たちもいます。私たちの目標は、そのような若者たちに教育へのアクセスを提供することです。

日本財団が最初に視覚障害者に対する教育支援を始めたのは、1980年代、米国にあるオーバーブルック盲学校に基金を設置したことがきっかけでした。この基金を通じて、視覚障害者の高等教育推進の重要性を力強く説いていらっしゃるラリー・キャンベル博士とお仕事をさせていただくようになりました。

当時、視覚障害者の教育支援は、特に東南アジアの開発途上国において、高等教育よりも初等・中等教育支援に集中していました。

私たちは、ラリーとの議論の中で、この初等・中等教育に加え、高等教育への支援も必要とされる時期に来たと合意しました。こうして、1990年代後半から、ICEVIとの高等教育支援プロジェクトが始まったのです。

日本財団とICEVIの共同プロジェクトは、ASEAN地域の6カ国で、視覚障害のある若者に高等教育を受ける機会を提供するものです。これまで1,500人を超える学生たちに高等教育機関で学ぶ機会を提供してきました。

そこで、このプロジェクトがどのように実施されているかご紹介させてください。まず、私たちは大学に対して、視覚障害のある学生を受け入れることへの理解を促します。また、彼らに視覚障害のある学生のニーズを受け入れる体制を整えていただくように働きかけます。具体的には、彼らが入学試験を受験する際の配慮、入学後に勉学に集中できるようにするための適切な支援を提案します。

ここで重要なことは、教職員側の理解を得ることです。また、学生側も、授業を理解するのに必要なスキルを身に付ける必要があります。この点を考慮し、このプロジェクトでは、サポートセンターを設置し、教職員と学生双方に対して必要なワークショップやトレーニングを実施しています。教職員と学生はサポートセンターに気軽に立ち寄り、アドバイスを受けることができます。

近年、私たちは、学生が卒業後、彼らのキャリア形成を助けるための就職支援にも力を入れています。ご存知の通り、ICEVIはこの分野に尽力しています。私たちは、多くの学生が仕事を見つけたとの報告を受け、大変嬉しく思っております。

いくつかの国において、私たちは教育省と連携し、視覚障害学生が高等教育を受けるための政策づくりにも関わっています。こうした活動が実を結び、視覚障害学生の高等教育への進学率と就職率が大きく改善しました。

このような変化がもたらされたのは、彼らを勇気づけた先生や家族のサポートに加え、彼らが高い向上心を持ち、自らの能力を信じていたからだと思います。

私たちは、彼らの人生に変化をもたらしたいという思いでこのプロジェクトをはじめました。そして、私たちが目指していた方向に近づいてきていることは、大変喜ばしいことです。

本日の午後のワークショップでは、このプロジェクトに参加したカンボジア、ベトナム、ミャンマー、ラオス、日本の5カ国の人たちが、それぞれの経験を語ってくれることになっています。彼らは、後に続く若者たちが自信を持って、自分の潜在的な能力を発揮し、目標を達成できるよう働きかけることができるロール・モデルであるといえます。

ここまでICEVIと日本財団が実施してきたプロジェクトについてお話してきました。ここでもう1つ、日本財団が取り組んでいる障害者の方々の生命に関わる重要なテーマについてお話させてください。

皆さまは、5年前に日本を襲った東日本大震災と津波の災害のことを覚えていらっしゃるかもしれません。この時、多くの尊い命が失われましたが、残念なことに、障害者の死亡率は犠牲者全体の死亡率の約2倍にも上っていたことがその後の調査で判明しました。障害者に多くの犠牲者が出てしまった要因の1つとして、これまで防災計画の策定や実施に障害当事者が参加していなかったことが挙げられます。

2015年、被災地である仙台で第3回国連防災会議が開催されました。私は、この会議には、障害者が参加することの必要性を痛感しました。なぜなら、防災計画を考える上で、障害者の防災計画を当事者の視点を含めて考えることは非常に重要なことだからです。

それまで、国連が開催する防災会議では、障害者は重要なステークホルダーとして参加できませんでした。この震災後、私は、彼らがこの会議で発言力を持って議論に参加できるよう国連に提案をしました。日本財団は、視覚・聴覚障害者や車椅子利用者たちが会議に参加しやすくなるようなアクセシビリティを確保するための支援を行いました。

こうして、多くの障害者の方々がこの会議に参加し、重要な役割を果たすという画期的な結果につながりました。

私は、政策策定の場において彼らが声をあげ、彼らの個別のニーズを伝えることが重要だと考えています。このことは、よりインクルーシブな社会の実現のための一歩となるでしょう。

本日は、本会議のセッションやワークショップでの活発な議論を通して、皆さまの活動について、より多くの学びを得ることを楽しみにしています。

この素晴らしい機会をくださったロウ卿、ホルトさんにあらためて感謝申し上げます。そして、長年の友人であるラリーさんはじめ、私たちのプロジェクトに参加してくださった全ての皆さまに御礼を申し上げます。

ありがとうございました。
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9月27日(火) [2016年09月27日(Tue)]
9月27日(火)

7:00 朝食

8:30 「第5回放射線と健康についての福島国際専門家会議」2日目

10:00 内堀雅雄 福島県知事

@福島県知事を表敬訪問.JPG
福島県知事を表敬訪問


11:00 「第5回放射線と健康についての福島国際専門家会議」

13:30 記者会見

A専門家全員にご登壇いただいた記者会見.JPG
専門家全員にご登壇いただいた記者会見

B主催者として挨拶.JPG
主催者として挨拶

C専門会へ多くの質問がなされた.JPG
専門会へ多くの質問がなされた


15:16 福島発

16:48 東京着
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9月26日(月) [2016年09月26日(Mon)]
9月26日(月)

8:30 菊地臣一 福島県立医科大学学長
    畠 利行 福島県副知事

9:00 「第5回放射線と健康についての福島国際専門家会議」開会式 挨拶

A専門家会議.JPG
専門家会議

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開会式で挨拶

B専門家会議出席者のみなさんと.JPG
専門家会議出席者


12:30 会議関係者との昼食

13:30 福島県立医科大学附属病院総合周産期母子医療センター訪問

C福島県立医科大学病院訪問(中央は細矢光亮主任教授).JPG
福島県立医科大学病院訪問(中央は細矢光亮主任教授)


14:40 「NPO法人 パンダハウスを育てる会」訪問

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パンダハウス訪問

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パンダハウスの山本佳子理事長(左)とボランティアの皆さん


16:00 「第5回放射線と健康についての福島国際専門家会議」

19:30 会議出席の専門家、関係者との夕食会
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「21世紀のピンロン会議」―日本政府代表として出席― [2016年09月26日(Mon)]
「21世紀のピンロン会議」
―日本政府代表として出席―


総選挙で大勝したアウン・サン・スー・チー国家最高顧問は、新政権発足後、少数民族武装勢力との全面停戦によるミャンマー連邦統一国家実現のため「21世紀のピンロン会議」の開催を発言してきた。

そもそもピンロン会議とは、1947年、父親のアウン・サン将軍が少数民族代表との間で、英国の植民地から独立して連邦制の下で新しい国家を設立することに合意したピンロン条約にちなんで名付けられたもので、その時、アウン・サン・スー・チーは、確か、2歳であった。

「21世紀のピンロン会議」は、8月31日〜9月3日まで、ミャンマーの首都ネピドーで開催された。日本政府代表としてこの会議に出席するため、アフリカのケニアで開催された日本政府主催の「アフリカ開発会議」(TICAD Y)に出席の後、ケニア〜ドバイ〜バンコク〜ヤンゴン〜ネピドーと飛行機を乗り継ぎ、会議が開催されるネピドーに入った。

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ピンロン会議会場

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会議で開会スピーチをするアウン・サン・スー・チー国家最高顧問


潘基文国連事務総長も招かれ、各国外交団、そしてティン・セイン政権で停戦合意に汗を流した幹部、ミン・アウン・フライン国軍司令官を中心に国軍の幹部、少数民族武装勢では前政権で署名した8武装組織や未署名グループも参加して華やかに開催された。

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潘基文 国連事務総長


しかし、これはいわば新政権によるキックオフの会議で、今後厳しい実質交渉が展開されて行くものと予想される。残念ながら、アウン・サン・スー・チーの夢であった全ての少数民族の参加実現は、中国系コーカン族のミャンマー民族民主同盟軍、北東部シャン州の3勢力の不参加で実現しなかった。

筆者は日本政府代表として和平実現のため、政府と少数民族武装勢力との間をこの3年間で54回訪問した。今回の開催は、勿論、政府側と少数民族武装勢力双方の幹部同士の努力に負うところ大であるが、当初、アウン・サン・スー・チー新政権の交渉責任者は少数民族武装勢力指導者との面識がなかった。そのため彼女が望んでいた8月中の開催は不可能と考えられていたが、筆者は在ミャンマー大使館の樋口大使や丸山公使の協力もあり、双方の指導者の初めての会談の機会を設定した。それがきっかけとなって、今回の「21世紀ピンロン会議」が開催の運びとなった。

記念すべき会議に出席し、一人密かに喜びをかみしめながら今後の交渉が順調に進展することを願っていた。

筆者は外交官ではないが、かつてのスウェーデンの外交官グンーナー・ヤリング大使のサイレントディプロマシー(沈黙の外交)の信奉者なので、ここに詳細経過を記することができないことはお許し願いたい。ただ70年に及ぶミャンマーの紛争は、多数の少数民族武装勢力がおり、武装勢力同士の確執もあって、その解決には一般的な平和構築の理論や論理は通用しない。とにもかくにも筆者は双方より信頼を得るため、静かに、機会あるごとに何回でも行き来し、極めて泥臭い手法ではあるが、それによって対立する双方の信頼醸成の一助になるべく、今後も精力的に活動して参ります。

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9月23日(金) [2016年09月23日(Fri)]
9月23日(金)

7:30 財団着

8:00-9:00 鳥海美郎 日本財団アドバイザー

9:00 スピーチ打合せ
     
11:30 「義足」事業打合せ

13:00 大竹美喜 国際科学振興財団会長
    丸山茂徳 東京工業大学教授
    戎崎俊一 理化学研究所主任研究員 

15:00 ニッポンドットコム・スタジオ内覧

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新装なったスタジオにて


16:00 鍬本浩司 笹川平和財団・笹川太平洋島嶼国基金事業室長

16:30 前川美湖 笹川平和財団・海洋研究調査部海洋政策チーム

18:30 運輸総合研究所・懇親会(挨拶) 
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「第5回放射線と健康についての専門家会議」―甲状腺課題の解決に向けて― [2016年09月23日(Fri)]
「第5回放射線と健康についての専門家会議」
―甲状腺課題の解決に向けて―


チェルノブイリ原発事故から30年、福島原発事故から5年半が経過した。日本財団では9月26、27の両日、福島県立医科大、長崎大学、笹川記念保健協力財団との共催で「第5回放射線と健康についての福島国際専門家会議」を福島市で開催する。

タイトルは「福島における甲状腺課題の解決に向けて〜チェルノブイリ30周年の教訓を福島原発事故5年に活かす」。世界保健機関(WHO)、原子力放射線の影響に関する国連科学委員会(UNSCEAR)、国際原子力機関(IAEA)や福島県立医科大、長崎大など内外の専門家が参加、甲状腺がんに焦点を絞り、科学的証拠の検証や住民に対する長期の健康見守り事業の在り方などを検討し、今後に向けた提言をまとめる予定だ。

過去4回の会議などで示された各国際機関や専門家の見解は「福島原発事故に伴う被爆レベルは放射線による影響がみられない程に低く、将来的にもその可能性は低いだろうとデータが示している」とする点でほぼ一致している。その一方で事故発生当時18歳以下だった福島県内の子供37万人を対象にした甲状腺調査の結果、130人を超す子供が甲状腺がんの手術を受けている事実もある。

背景に甲状腺がんや導入された甲状腺超音波検査に対する認識の違いがあると思われるが、何よりも放射能に対する不安が事態を一層、深刻化させている面が強い。日本財団と笹川記念保健協力財団ではチェルノブイリ原発事故で10年間にわたり18万人の子供たちを診察支援した実績があり、専門家会議はチェルノブイリ事故で甲状腺被害を調べた専門家の見解や福島の現状に対する各国際機関の報告を基に、福島の現状をより正確に把握するのを目的としている。

私はチェルノブイリや福島の原発事故で特に科学者に対し「信念と責任を持って、分かり易い言葉で真実を伝える勇気持ってほしい」という願いを強く持ってきた。東日本大震災6カ月後に開催した第1回の専門家会議の提言には「私たち科学者は、もっと国民に易しい理解のできる言葉で説明する能力に欠けていた」との自己批判も入っている。

半年も前の話になるが、公益財団法人日本科学協会が日本財団の助成を受け実施する笹川科学研究助成の研究発表会・研究奨励の会が4月、東京都内のホテルで開かれ、私は研究生を前に以下のような話をした。

「福島原発事故が起きて突然1ミリシーベルトとか100ミリシーベルトとか、馴染のない言葉が氾濫し人々を恐怖のどん底に陥れました。中には名の通った先生が何の検証結果もないのに“10万人の人が癌で死ぬ”といった発言をし、メディアがその方向に動いてしまった面もあったように感じます。私はその時、新聞の投稿欄に、除染基準となった1ミリシーベルトに疑問を投げ掛けました。インドのケララ州のように天然の放射線が10ミリシーベルトを上回る地域が世界には数十カ所もあるのに何故1ミリシーベルトなのか。海外の放射線学者からも驚きの声が出ましたが、結局これが除染基準となり、故郷を離れた人たちに、もう故郷には戻れないという恐怖心をトラウマとして植え付けてしまったのです。

原発に賛成とか反対と言っているのではありません。当時の福島の住民の避難と健康の問題について話しています。ある新聞は福島にいた方が北海道で甲状腺がんを発病したと一面トップで報じました。山で採れるキノコや山菜は内部被爆を起こすから絶対に食べてはいけない、という記事もありました。私に言わせれば、自分たちの故郷の山で採れた山菜が食べられないというストレスの方が遥かに大きいのです。だから科学者を目指す皆さんには、何が真実か、責任を持って語る勇気を持ってほしいのです」

会では日本科学協会の大島美恵子会長も「研究というものはあなた方自身の研究ではなく、人間社会の未来をより豊かに、より安全にするための研究であり、研究者だけの世界であってはいけません」とするとともに、「皆さんの専門的な研究、課題をお聞きしても難しくてさっぱり分かりません。どのように分かりやすい言葉で国民の人たちに説明できるかということも科学者を目指す皆さんには大変重要なことです」と指摘された。

福島の甲状腺被害をめぐっては現在も専門家の間で激しい議論が続いている。Webを開いても「福島の議論はなぜ決着がつかないのか:科学の限界と科学者の責任」、「福島の甲状腺がんが被爆影響と認められなかったら追及されるもの」、「政府側科学者たちの不審な言動」といった激しい見出しが目に付く。

第5回国際会議では現実を踏まえた冷静な議論を通じて国民にも理解されやすい提言がまとまるよう期待している。

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9月21日(水) [2016年09月21日(Wed)]
9月21日(水)

11:00 スピーチ打合せ

13:00 羅 怡文 ラオックス(株)社長

13:30 坂井俊之 唐津市長

14:00 理事会

16:00 「軽井沢の奨学金」事業打合せ

16:30 于 展 笹川日中友好基金特任室長
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「ちょっといい話」その72―救急船寄贈― [2016年09月21日(Wed)]
「ちょっといい話」その72
―救急船寄贈―


日本財団の資金源である交付金は、モーターボートを主催する35の県・市・町・村より売り上げの2.6%を交付金として納入して頂き、運営している。

全国24レース場に出場するモーターボート選手は1587名で、最近は美男・美女も多く、話題が豊富で、ユニークなコマーシャルと共に若者の心をつかみ、今年前半の売り上げも5.5%増と好調である。

この選手会は、上瀧和則会長の統率のもと社会貢献活動にも熱心で、選手会として毎年多額の寄付をしてくださるだけでなく、東日本大震災では、地震発生当初から今日までの5年間、継続して現地でボランティア活動を続けており、熊本地震での活躍は8月5日のブログで報告した通りで、チャリティーオークションは勿論のこと、自主的に現場に入り活動してくれている選手も多い。プロ選手の集団がこれほど社会貢献活動に積極的に参加している例は世界でも珍しく、私たち関係者の誇りでもある。

閑話休題
 フィリピンにはクリオン島という島がある。かつて全国からハンセン病の患者が強制的に集められた島で「絶望の島」といわれていたが、10年ほど前、100周年記念式典に参加した折には、島民の努力で多くの人が他の島から移住してくる「希望の島」になっていた。
 我々の仲間である医師・クナナン氏は父親がハンセン病患者であった。彼は医師になったが、首都マニラには行かず、島の住民の健康維持のために献身的に働くだけでなく、ハンセン病の国際会議にも良く顔を出される。先般、南太平洋のキリバスを訪問した時、現地でハンセン病の診断をされているところに出会い、偶然とはいえ、お互い驚いたものである。クナナン医師のハンセン病の歴史を忘れてはいけないとの信念から、収集されたハンセン病に関わるさまざまな資料を展示する博物館の建設費用は笹川記念保健協力財団が支援した。

旧知のクリオン島のクナナン医師もスキンクリニックのために来訪.JPG
クリオン島で活動する旧知のクナナン医師とキリバスで偶然の出会い!


さて、本題に入るのに前置きが長いのは私の悪い癖で、読者には随分迷惑をかけていることであろう。高齢と共に話が長くなるのはどこの集まりに出ても感じることだが、佐藤栄作元首相は、結婚式で「一言ご挨拶を願います」との司会者の言葉を受け、ゆっくりと椅子を引いて立ち上がり、一言「おめでとう」と言って座ったという、嘘のような本当の話がある。私の話は短いが書くと長くなるのは、高齢のせいかも知れない。

またまた横道にそれてしまった。

本題はモーターボート選手会の諸君の浄財で、このクリオン島を中心に4つの島で使用する病人用の「救急船」を寄贈した。その引き渡し式に上瀧会長が出席したのだが、その途中「救急船」が座礁しててしまい、上瀧会長も海に入って船を脱出させたのはいいが、足を負傷して4針も縫う怪我をしてしまったという。それでも元気で帰国されたとのことで、ホッと一息であった。

クリオン島写真ー1.JPG
航海安全の祈りを捧げる牧師様、ブスアンガ市長、
上瀧会長、喜多理事長、コロン市長、クリオン市長


4つの島の住民にとって、この「救急船」は最も希望するものだったそうで、管理費用は皆で集めるのでまったく心配しないで欲しいと、引渡し式に参加した4つの島の4人の市長は明言されたという。

クリオン島写真ー3.JPG
完成したSEA AMBULANCE(救急船)


建設費用 13,527,840円
全長   12.9メートル
最大出力 24ノット
の高速船である。

島民の喜びの顔が浮かぶようである。
選手の皆さん、ありがとう!!



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9月20日(火) [2016年09月20日(Tue)]
9月20日(火)

7:30 財団着
  
終日 書類整理、打合せ

18:50 退室

ご報告が遅れましたが、9月18日〜20日、中国出張の予定でしたが、諸般の事情により中止になりました。
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