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「中国の小話」その36―中国国営中央テレビ(CCTV)と西側メディアの報道の違い― [2014年09月01日(Mon)]
「中国の小話」その36
―中国国営中央テレビ(CCTV)と西側メディアの報道の違い―


共産主義や社会主義を標榜(ひょうぼう)する国は勿論のこと、民主主義を掲げている国でも、今なおテレビ、新聞、ラジオ等の報道において、完全に言論の自由が保障されている国は少ない。そのため、報道の意図を裏読みする眼力が必要になってくる。

日本には『眼光紙背に徹する』とか『文章の行間を読む』などという言葉もあるが、中国ではそんな生易しいものではない。
下記の通りである。

1)偽造商品や食中毒事件が起きた場合。
  西側メディア:政府が反省し、管理監督を強化し、責任逃れはできない。
  CCTV  :公民は自己防御の意識を強化し、偽物を識別する能力を高めるべき。
         期限切れの品物や品質に問題のある食品を購入しないこと。

2)貧しい山間地域の子供が学校にいけず、田舎の教師が懸命にフォローしている場合。
  西側メディア:これは教育部門と社会福祉部門の無責任の結果と恥じるべきだ。
  CCTV  :田舎の教師に学ぼう。この教師は時代の英雄であり、国家の誇りである。

3)腐敗幹部を逮捕し、巨額の横領金を返還させた場合。
  西側メディア:国の監督体制に問題がある。責任追及をしなければならない。
  CCTV  :監督部門が問題を発見し、国のために巨額の損失を挽回し、成果が大きい。

4)炭鉱事故が頻出した場合。
  西側メディア:政府の安全監督管理部門の責任者が引責辞任すべき。
  CCTV  :安全監督部門は事故を高度に重視し、直ちに関連部門に指示を出し、
         関係者の法律責任を追及するよう指示した。

5)凶暴な犯罪者に遭遇した場合。
  西側メディア:市民が直ちに110番に通報し、犯人との衝突を避ける。
  CCTV  :公民が勇敢に犯人と戦えば、社会治安もよくなる。

6)管轄内の村が貧しく、村人が病気しても治療するお金がない場合。
  西側メディア:地元の政治家の支持率ががた落ちし、人々の不満が爆発した。
  CCTV  :党と政府の幹部が村に入り、農民に思いやりを届けた。
         農民たちは感動し、幹部たちを人民の公僕、良きリーダー、親よりも
         優しいと賞賛する。

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8月29日(金) [2014年08月29日(Fri)]
8月29日(金)

7:30 財団着

9:30 異才発掘プロジェクト 全国説明会 於:東京大学先端科学技術研究センター

14:00 船越 眞 ボートレース振興会常務理事

14:20 嘉冶美佐子 在ジュネーブ日本政府代表部大使

15:15 菅 義偉 官房長官

15:40 今井尚哉 首相秘書官
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8月28日(木) [2014年08月28日(Thu)]
8月28日(木)

7:40 財団着

8:30 「今後の語り場」「休眠口座の進捗状況報告」「全施記念誌」打合せ

9:30 古川秀雄 Gakuvo専務理事

13:30 日本財団アール・ブリュット美術館合同企画展
    「TURN/陸から海へ」第1回東京フォーラム オープニング挨拶

DSC_0973.JPG
「TURN」東京フォーラムのオープニングで挨拶

DSC_0970.JPG
「TURN」展の監修者、東京藝術大学の日比野勝彦教授をご紹介

DSC_0988.JPG
会場には沢山の出席者が
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8月27日(水) [2014年08月27日(Wed)]
8月27日(水)

7:30 財団着

11:00 笹川平和財団評議員会

14:00 福島国際専門家会議打合せ

15:30 皆川浩二 前会長ご家族

17:00 日本財団後援 文楽記者プレビュー 於:六本木ヒルズ
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8月26日(火) [2014年08月26日(Tue)]
8月26日(火)

7:35 財団着

8:30 アール・ブリュット事業 打合せ

9:00 海野光行 日本財団常務理事

10:00 日英グローバルセミナー 打合せ

13:30 鳥井啓一 日本財団参与

15:30 羽生次郎 笹川平和財団会長

16:15 B.T.スリングスビー グローバルヘルス技術振興基金専務理事

17:00 グローバル・アピール 打合せ

18:00 西村鐡三 キョーワナスタ相談役
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8月25日(月) [2014年08月25日(Mon)]
8月25日(月)

9:25 財団着
    書類整理、打合せ

13:50 笹川記念保健協力財団 紀伊国献三会長、喜多悦子理事長

16:20 浅野直広 テレビマンユニオン・ディレクター
    武部恭枝 プライムコーポレーション社長
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「ブログ休載のお知らせ」 [2014年08月15日(Fri)]
「ブログ休載のお知らせ」


8月18日、20日、22日、25日、27日、29日の6回について、夏季休暇のためお休みさせていただきます。

9月1日より再開します。

よろしくお願い致します。
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「フランスは商売上手」―ロシアへの艦艇売却― [2014年08月15日(Fri)]
「フランスは商売上手」
―ロシアへの艦艇売却―


かつて、池田勇人首相がフランスを訪問した折、たしかドゴール大統領だったと記憶しているが、「日本の首相はトランジスター商人か」と揶揄されたことがある。

サッチャー首相も、日本が高度成長の時期、日本の一人勝ちは許せないと筆者に語ったことがある。

しかし、イギリスもアメリカも、活発なトップセールスを行っている。

ブッシュ大統領の訪日には、自動車メーカーのビッグスリーが同行していた。

日本は、田中角栄首相がハワイでニクソン大統領と会談したのがきっかけでロッキード事件が惹起し、以来、首相に財界人が同行することはなかった。小泉首相になってようやく復活したが、今は中国がこの手法を盛んに行っている。

トップセールスの最も盛んな国は、実はフランスだと思っている。中国の首脳がフランスを初訪問した折、いきなり高速鉄道と原子力発電所を買って欲しいと依頼され、少々驚いたと、直接中国の閣僚より聞いたことがある。そのフランスは確か、台湾に航空機ミラージュを売却したことがあったと記憶しているが、これは定かではない。

今問題になっているのは、ロシアのクリミア、ウクライナの問題。特に、マレーシアの民間機撃墜問題で、EU、アメリカがロシアへ経済制裁を強化する中で、フランスは敵に塩を送るがごとく、最新鋭のミストラル級強襲掲陸艦2隻の売却を進めていることである。

この艦艇は強力な戦力で、16機のヘリコプター、4隻の掲陸艇、70両の車両、そして450名の兵員を運ぶことができ、69台の病院用ベッドも装備されており、2隻で価格は12億ユーロ(1650億円)といわれている。

この売却が実行されると、ロシア海軍の能力を飛躍的に向上させることになり、特に大問題なのは、その1隻がウラジオストックに配備されると予測され、日本の安全保障に重大な懸念が生じることである。

アメリカもEUもロシアへの売却に反対しているが、どうなることであろうか。この件は日本ではあまり報道されていないが、日本が1隻を購入して北海道に配備すれば、海軍の軍事バランスは大きく逆転し、なおかつ、フランスに恩義を売ることにもなる。

我が国にこのような大胆な決断ができる政治家が存在することを期待したい。

ここまで書いたところで、8月4日付『世界日報』は、防衛省は離島防衛強化のため強襲揚陸艦の導入に向け、2015年度の予算で調査費を要求すると報じていた。ならばなおさらのこと、1隻825億円と航空機に比べ安価なこのフランス製を購入することは、フランスはもとよりEUも歓迎するグッド・アイディアだと思うのだが・・・。
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「ちょっといい話」その46―日本サッカーの恩人はミャンマー人― [2014年08月13日(Wed)]
「ちょっといい話」その46
―日本サッカーの恩人はミャンマー人―


今年60周年を迎える日本・ミャンマー外交関係樹立を記念し、日本財団では、若手職員の発意により、セレッソ大阪とミャンマー・ナショナルチームの試合をヤンゴンで開催した。

両チームの選手と握手し、エールを送る.JPG
両チームの選手と握手、エールを送る


昭和初期、日本のサッカーはミャンマー人のチョー・ディン氏の指導と理論の伝授により、画期的な進歩がもたらされたと言われている。キックやパスの基礎、ショートパスをつないで攻める組織サッカーの技術と戦術を教え、日本サッカーの技術は飛躍的に向上。国際舞台での活躍の基礎を作ってくれた恩人なのである。彼が制作した指導テキスト『How to Play Association Football』は、写真や図を多用した具体的かつ理論的なテキストであったという。日本サッカーの歴史に、ミャンマー人のチョー・ディン氏の功績を忘れることはできない。

民主化と共に急速に人気スポーツになってきたサッカーをミャンマーで行うことは、彼への恩返しの試合となった。

ヤンゴンの競技場には東南アジア競技大会(SEA games)以来過去最高の12,000人の観客が集まってくれた。これにはミャンマーに進出した多くの日本企業や日本人会の協力があり、町中のポスターや看板の設置もボランティアが活躍してくれた。いわば手作りの国際試合の開催であった。

試合が始まるとまばらだった席がこんなに!観客は1万2千人とのこと.JPG
観客は過去最高の12,000人


日本体育大学のチアリーダーによるハーフタイムの演技を見るのは、ミャンマーの観客にははじめての経験で、最初は何事かと思ったのか静まりかえっていたが、ポーズが決まると大きな拍手とどよめきが起こった。「ミャンマーでもチアリーダーを育てましょうよ」とミャンマーサッカー連盟の会長に話したら、「これだけは駄目です。ミャンマーの文化では、女性があのように足を広げることはなかなか受け入れられません」と、きっぱりと断られてしまった。

日体大のチアリーダーたち.JPG
初めて目にする華麗な演技にどよめきが・・・


セレッソ大阪にとっても、クラブチームがナショナルチームと対戦したことは名誉なことであり、こちらから御礼を申し上げたいと、岡野雅夫代表はどこまでも謙虚であった。

日本プロサッカーリーグのチェアマン、村井満さんは、ワールドカップが行われたブラジルから60時間かけて駆けつけてくださった。日本財団職員のアイデアが大きな輪となって拡がり、国民レベルの日本・ミャンマー外交関係樹立60周年の最大イベントと評価されたことは、汗をかいた日本財団職員にとっても満足した結果であったと思う。

また、本イベントの開催にあたり、マッチネーミングスポンサーのヤンマー株式会社をはじめ、多数の日本企業、ミャンマー企業にご協力をいただいた。この試合をきっかけに、両国企業の連携がより進むことを期待したい。

翌日、セレッソ大阪サッカースクールのコーチ陣と財団職員、チャリティマッチ支援企業の担当者はヤンゴン南西部の農村地域イラワジ地区の学校に出向き、子供たちにボールやユニフォームをプレゼントすると同時に、練習も指導してくれたことは、メディアを通して大きく報道された。
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「ノーマン・ボーローグ博士生誕100周年」―記念シンポジウム― [2014年08月11日(Mon)]
「ノーマン・ボーローグ博士生誕100周年」
―記念シンポジウム―


笹川アフリカ協会(SAA)主催によるノーマン・ボーローグ博士(インド・パキスタンの緑の革命を指導してノーベル平和賞を受賞)の生誕100周年記念シンポジウムがアフリカのウガンダ南東部の都市ジンジャで、7月10日、11日の二日間開催された。

笹川アフリカ協会は、1986年、ノーマン・ボーローグ博士、ジミー・カーター元米国大統領、日本財団初代会長の笹川良一が共同で設立した協会である。ボーローグ博士は晩年の20年間、SAA理事長としてアフリカの農業問題と闘い続けた。

1989.8 笹川・カーター・ボーローグ.jpg


設立以来『笹川グローバル2000』(SG2000)農業プログラムをサブサハラ14カ国で展開。各国のパートナーと協力しながら、零細農家に対して高収量品種の導入や高生産性農法の活用を奨励することで生産性と収益性の向上を目指しており、現在は、ケニア人のルース・オニャンゴ会長の強いリーダージップのもと、エチオピア、ナイジェリア、マリ、ウガンダの4カ国で重点的に活動を行っている。

世界広しといえども、28年間もアフリカの零細農民を相手に活動してきた団体は他にない。特に近年、宮本正顕常務理事の努力により世界的に評価は高まり、ビル・ゲイツ財団、JICA、ナイジェリア政府、ドイツからの支援金もあり、更に支援を申し出てくれている団体や国があるものの、しっかりとした成果を出すためにはこれ以上急激な組織拡大は望ましくないとのことでお断りしている状態だと、宮本正顕さんは話してくれた。誠にうらやましい限りであり、又、設立当初から関与してきた私にとっても誇らしいことである。

このシンポジウムにはエドワード・セカンディ副大統領、モーゼス・アリ第2副首相、トレス・プチャナヤンディ農業大臣をはじめとするウガンダ閣僚、ボーローグ博士の娘ジーニー・ボーローグ氏と孫のジュリー・ボーローグ氏、ソグロ元ベニン大統領、藤田順三在ウガンダ日本国大使、ウガンダ政府関係者、国際NGO、大学、農業関連企業、ジンジャ周辺地区の農家、学生、青年海外協力隊ウガンダ隊員が参加した。

ウガンダの農業問題に関するパネル・ディスカッションでは、シンポジウムに参加している農家、学生からの質疑応答が活発に行われた。「農家の技術を向上させるために、農業を学校の必修科目にするべきか?」というセンションでは、マチョワ・クリストファー・モガル君(15歳)より、「農業をもっと楽しくするべきだ。農業を楽しむことで、農業にそれほど誇りを感じていなかった将来の世代が、農業に献身するのではないか?もっと農家のモチベーションを上げる仕組みを作れば、ウガンダ農業は発展するはずだ」という意見が出された。

さらに「農家の収入向上のために、どのように農業をファミリービジネスとして促進させればよいか?」というセッションでは、青年海外協力隊の神崎志穂さんが、米の普及による農業収入向上の可能性とそれに係る人材育成の重要性について発表。同じく青年海外協力隊の平野裕士さんは、活動している村の農業組合メンバーとマンゴージャム作りを始めたが、農家がジャム作りを通して食品加工だけでなく、それを売るためのマーケティングやジャムを作る際の衛生管理についても学ことができると発表した。

日本においては、農業も高齢化と共に後継ぎ問題が深刻であるが、若者が農業を誇りに思い、その可能性について議論する場の必要性を痛感した。

会議の休憩時間にボーローグ博士の娘であるジーニーさんと、孫娘のジュリーさんと挨拶を交わした。「父はミネソタの貧しい農家に生まれたの。大学時代はレスリングの選手として活躍したけど、大リーグのシカゴカブスの二塁手になることが夢だったらしいの。控え目な人で、自慢話はしないで一生懸命働く、とても倫理観の強い人だったわ。いつも私たちに教育の大切さを話し、死ぬまで教えることを忘れなかった。父の仕事で南米に何回も同行したけど、飛行場ではいつもDairy Queen(デイリー・クイーン)を探し歩いてアイスクリームを食べるのが楽しみだったみたい。確か死の二日前だったと思うの。癌の治療が終わって病院から帰って来て、突然「最大の問題はアフリカだ」と。晩年の父の頭の中は常に『アフリカ』だった。忘れもしない。死の6時間前に「Take it to the farmers」(その技術を農民の元へ)と言ったの。それが今回のシンポジウムのテーマになったことを、きっと父も喜んでいるでしょう」と語ってくれた。

ボーローグ博士の娘さんとお孫さん.JPG
ボーローグ博士の娘さんとお孫さん


ノーマン・ボーローグ博士は、私に多くのことを教えてくれた恩師である。常に「Never give up」、あきらめるなと、叱咤激励してくれた。ヒューストンで病魔に勝てないことを悟ったノーマン・ボーローグ博士が笹川アフリカ協会会長を辞任され、その感謝の慰労会を親しい関係者とご家族で行った折、私は不覚にも感極まって、生まれて初めて人前で号泣したことも遠い昔のように思い出される。

2000.8 ボーローグ博士.jpg
ボーローグ博士とご一緒した時間は筆者の宝物


葬儀での挨拶、そして今日のスピーチも、多くの方々から感銘を受けたとのお誉めの言葉を頂いた。私の下手なスピーチを補って余り有るスピーチの内容であった。

私のスピーチは、武部恭枝女史の指導のもと、小澤直、渡辺桂子、ヴィッキー本多、田中麻里などの若手が長時間の議論を通じ言葉を選んで作り上げた文章で、日本財団にスピーチライティングチームが存在することは、私の海外活動にとって今や不可欠の存在である。

10〜15分のスピーチの作成に1ヶ月近くの時間をかけて作成する担当者の労に感謝したい。

以下はそのスピーチです。残念ながら原文の英語からの翻訳なので、若干ニュアンスは違うかもしれない。

*************************


ボーローグ・レガシー・シンポジウム
―挨拶要旨―


2014年7月10日
於:ウガンダ・ジンジャ


本日は、ノーベル賞受賞者であり、2009年に天国に旅立たれる最期の日まで笹川アフリカ協会(Sasakawa Africa Association: SAA)の会長を務められた、故ノーマン・ボーローグ博士の生誕100周年記念シンポジウムで皆さまにお目にかかることができ、大変光栄に思います。また、博士の最愛の娘であるジーニーさん、孫娘のジュリーさんもこの会場に駆けつけてくだったことを心より嬉しく思います。

ボーローグ博士と私の出会いは、30 年前に遡ります。ちょうどエチオピアを中心としたアフリカ各国が未曾有の大飢饉に見舞われていた時でした。当時、この飢饉に対し、世界各国がアフリカに食糧を届けました。「世界は一家、人類は皆兄弟姉妹」を基本理念とする私たち日本財団も、アフリカの人々を家族の一員と考え、苦境に陥ったアフリカの兄弟姉妹のために緊急食糧支援を行いました。しかし、このような支援は一時的に人々の空腹を満たすことができても、長期的な解決策にはなり得ないことは明らかでした。そこで、この出来事をきっかけに、私たちは、アフリカが抱える食糧問題を根本から解決するためのプロジェクトを立ち上げることを決意したのです。

この決意のもと、当時の日本財団会長であった私の亡き父、笹川良一と私は1986年にSAAを設立し、ボーローグ博士、そして、ジミー・カーター元米大統領に、私たちのプロジェクトへの協力をお願いしました。カーター元大統領はすぐに申し出を受け入れてくださいましたが、当時73歳だったボーローグ博士は「私はもう引退した身で、新しいことを始めるには年を取り過ぎています。」と躊躇されました。私の父は「私のほうがあなたより13歳も年上です。アフリカへの農業支援は、今からはじめても遅いくらいです。ですから、さっそく明日から一緒に始めましょう!」と説得しました。こうして、私たちのアフリカでのプロジェクトが始まり、飢餓という人類が抱える最も難しい課題のひとつに取り組むことになったのです。

アフリカでは、緊急な対応が必要とされる課題が山積していました。はじめに、農民たちに農業の基本を教える必要がありました。また、当時、多くのアフリカの国々で脆弱であった政府の農業普及サービスを強化していくこと、アフリカ各国政府が農業開発政策の優先順位を高めていくことが必要でした。これらは、本当に気が重くなるような難題でしたが、強い使命感を持ったボーローグ博士は、それらの難題に立ち向かっていったのです。彼は、どんな時も怖気づいたり、途中で投げ出したりすることはありませんでした。彼は、どんな困難な状況においても、いつも笑顔で「ヨウヘイ、諦めてはいけないよ!」と語りかけてくれたのです。

ボーローグ博士の生きる姿勢は、癌を患われてからの晩年になっても変わることはありませんでした。ご自身の身体が病に蝕まれている時でさえ、彼はアフリカの人々のことを最優先に考えていました。ある現場視察の後、ボーローグ博士がひどく咳込んだことがありました。私たちは、彼に出張を早めに切り上げて休むように言いましたが、「私がいるべき場所はフィールドだ」と、病気などものともせず、私たちの心配をよそに、強い闘士さながら、次の目的地に出かけていきました。

ボーローグ博士がSAAを率いてくださった20年の間に、ササカワ・グローバル2000はアフリカ14か国でプロジェクトを展開しました。私たちと一緒に仕事をした農業普及員はこれまでに数万人に達し、そのうち4000名を超える農業普及員をアフリカの大学20校において育成しました。また、私たちのプログラムを通じて、何百万人もの小規模農家の方々との「触れ合い」がありました。

私がここで申し上げた「触れ合い」というのは、アフリカの農民の心や魂に影響を与えるほどの深く、濃い「触れ合い」があったという意味です。ボーローグ博士は、アフリカの小規模農民の潜在能力を信じていました。彼の貢献は、耕運や植え付けの技術の指導という域を超えていました。彼は、農民に寄り添い、現場で共に汗を流すことで、食糧の増産を可能にしただけでなく、農民の心に「自信」という種を植えたのでした。この人道的なアプローチは、ボーローグ博士と共に働く全ての人々にとって、共通の価値観となり、SAAという組織の基盤として引き継がれていきました。

現在、SAAは、アフリカ諸国を中心に様々な国籍の職員で構成されたとてもダイナミックな組織に成長しました。オニャンゴ会長のリーダーシップの下、女性スタッフの数も増えてきています。現在の重点4か国、エチオピア、マリ、ナイジェリア、そしてウガンダにおいて、ノーマン・ボーローグ・スピリットを継承し、多くの開発パートナーと共に、アフリカにおける持続可能な農業の発展に貢献するため、尽力しています。

「Take it to the farmer」というボーローグ博士の言葉を私たちの指針として胸に刻み、この偉人が切り開いてきた道を共に歩み続けていきましょう。「Never give up」というボーローグ・スピリットに基づき、アフリカの農民に寄り添い、彼らの生活を向上させるというコミットメントを再確認し、共に取り組んでいきましょう。そして、子どもたちが空腹のまま眠りにつくことがないように、共に汗を流していきましょう。

********************


*日本財団ライティングチームの名作ですので、当時の弔辞を再録します。

ノーマン・ボーローグ博士 弔辞


2009年10月10日
於:テキサス州A&M大学


早いもので、博士とアフリカの農業開発に取り組み始めて四半世紀が経ちました。「食糧難に苦しむアフリカの人々の空腹を少しでも満たせてあげたい。」父と私は、当時70歳のあなたに無理を承知で協力を要請したところ、快く引き受けてくださいました。以来、あなたはアフリカの農民やその子どもたちのためであれば、いかに多忙であろうと最優先で取り組んでこられました。

Bill、Jean、あなたの父親はあなたたち家族を心より愛していました。そしてあなたの父親はアフリカの農民たちを想い、幸せを願っていました。マラウィで肺炎寸前まで体調を崩したときも、そしてガンに侵されていたときも、自分の心配よりアフリカの農民たちの幸せを考え、行動していました。そして驚くことには、その時のようにどんな苦境に立たされようと、決して苦しいとか辛いとか弱音を吐くことはありませんでした。むしろ困難を正面から受け入れ、それを乗り越えるモチベーションを生きる糧にしているようにさえ見えました。

 博士は可能な限り現地を訪れ、農民と一緒に汗をかきながら優しく丁寧に手ほどきする一方、カントリーディレクターには厳しい姿勢で指導に当たられていました。そして年に一度の収穫祭で、農民たちが歓喜のダンスをしているときに見せる幸せに満ちた博士の笑顔を、私は忘れることができません。

「アフリカの子供たちが空腹を抱えたまま眠りにつかないように・・・。」博士がよく口にしていたその想いを胸に走り続けたその成果は、単に農民やその子どもたちの空腹を満たすだけのものではありませんでした。

Norman、あなたはアフリカの農民の心に、「夢」という、土壌を耕しました。
Norman、あなたはアフリカの農民の心に、「希望」という、種を植えました。
Norman、あなたはアフリカの農民の心に、「情熱」という、水と太陽を注ぎました。
そしてNorman、あなたはアフリカの農民の心に、「自信」という作物を実らせたのです。

あなたは決してあきらめなかった・・・。

私も、あなたがアフリカの人々のために活動を始めた時と同じ70歳になりました。
「アフリカに緑の革命を・・・。」私は、あなたの夢そして我々の夢をボーローグスピリットを継ぐ同志(指導者、学者・研究者、農民)とともに、最後まで追い続けます。
絶対にあきらめません。
ボーローグ博士、どうか安らかにお休み下さい。



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