CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る
BLOG 笹川陽平プロフィール 笹川陽平バイオグラフィー

日本財団会長 笹川陽平ブログ

写真:ハンセン病の現場から「アフリカ・ピグミー族」

leprosy.jp
Google
<< 2014年12月 >>
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
プロフィール

笹川 陽平さんの画像
笹川 陽平
プロフィール
ブログ
カテゴリアーカイブ
最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
リンク集
http://blog.canpan.info/sasakawa/index1_0.rdf
http://blog.canpan.info/sasakawa/index2_0.xml
「ミャンマー出張」 [2014年12月19日(Fri)]
「ミャンマー出張」


12月5日にミャンマーから戻り、これで今年の海外出張も終わり、無事終えた1年に感謝・・・と思っていたところ、急遽、又、ミャンマー出張が入りました。

今夜の深夜便で羽田を発ち、24日朝、帰国の予定です。
このエントリーをはてなブックマークに追加
「感染症の世界史」出版―石 弘之先生― [2014年12月19日(Fri)]
「感染症の世界史」出版
―石 弘之先生―


石 弘之先生は私の尊敬する数少ない学者の一人です。ご専門は「環境問題」で、この度『感染症の世界史』(洋泉社、2400円)を出版されました。一読に値する良書です。

51azcHny%2BkL._SY344_BO1,204,203,200_[1].jpg


先生から届いたご本と、その案内の書簡が面白いので公開させていただきます。

先生の了解なしに公開することは師に対する反逆で、出入差止めの可能性は大であります。しかし、先生はユーモアに理解ある方なので「しょうがないなあ!!」と、お許し下さることを期待しております。

神様は実に不公平です。私は秘書の星野妙子の記録によりますと、1982年から今年まで、ハンセン病制圧活動を初めとした人道活動で423回の海外旅行を経験しました。そのほとんどは感染症のデパートといわれるアフリカ約30カ国や南米、アジアの貧困地帯などで、猖獗を極める僻地ばかりです。3年前、ペルーで心臓疾患の診断で手術を受け、ペースメーカーのお世話になって第一級の障害者に合格してしまいました。しかし、知人は大変なことだと心配してくれますが、いたって元気です。それ以外病気とは縁がありません。

それに比べ先生の書簡によれば、『マラリア四回、コレラ、デング熱、アメーバ赤痢、リーシマニア症』等々、多彩な病歴を経験されておられます。先生のまさに命をかけた闘いを紹介したく、私的書簡を尊敬を込めてここに公開します。


*************

笹川陽平 様

しっかり年も押し迫って、何かと慌ただしい毎日かと存じます。このたび拙著『感染症の世界史』(洋泉社刊))を上梓いたしました。このところ「環境史」の著作に専念していますが、今回は「人と病気の環境史」に挑戦いたしました。

著作のきっかけは数年前の人間ドックです。事前の質問表にいい加減な回答を書いたら、若い看護婦さんから「既往歴をしっかり記入してください」とたしなめられました。仕方がないので「マラリア四回、コレラ、デング熱、アメーバ赤痢、リーシマニア症、ダニ発疹熱各一回、原因不明の高熱と下痢数回……」と記入して提出したら、「忙しいんですからふざけないで下さい」と、また叱られました。

ふざけたわけではなく、アフリカ、アマゾン、ボルネオ島などで長く働いていたので、注意はしていたつもりでも様々な熱帯病の洗礼を受けました。思い出すだけでもつらいもので、よくも生き残ったと思うことがあります。その敵討ちのつもりで執筆に取り掛かりました。

書き終わってほっとしていたら、西アフリカでエボラ出血熱のアウトブレイク、そして東京のど真ん中のデング熱発生のニュースが飛び込んできました。あわてて書き足しました。西アフリカのエボラ出血熱の流行地帯で以前に調査していた時、路上で売っているサルやコウモリの肉の燻製を食べたことがあり、ニュースにはぞっとしました。

これで、環境史の著作は、「文明」「森林」「名作」「アフリカ」「自然災害」「火山噴火」「鉄条網」に続いて8冊目になりました。

「なぜ病気は制圧できないのか」というテーマは、これまでも多くの医学史家、環境史家が挑戦してきました。というのも、「医学の発達によって感染症はいずれ制圧されるはず」と多くの人は信じてきたからです。でも、人と微生物の戦いは未来永劫に続くというのが本書の結論です。

SFに登場する人類の終末は、「巨大隕石の衝突」「気候の激変」「宇宙人の襲来」と共に、「凶悪な病原体」も人気のあるテーマです。その敵の正体を探りました。

2014年12月
石 弘之


このエントリーをはてなブックマークに追加
12月18日(木) [2014年12月18日(Thu)]
12月18日(木)

7:40 財団着

8:30 「ママプロジェクト」事業打合せ

9:30 喜多悦子 笹川記念保健協力財団理事長

10:00 看護師起業家養成授業 講義

13:30 「真心絶品」事業打合せ

14:30 冨田勝久 NPO優喜会理事長

14.12.18 DSC左が冨田勝久理事長、右が村岡慎太郎副理事長.JPG
冨田勝久理事長(中央)と岡慎太郎副理事長(右)
ミャンマーに学校を建設するため、100万円のご寄付をいただきました


15:30 眞野勝弘 広島県廿日市市長
このエントリーをはてなブックマークに追加
12月17日(水) [2014年12月17日(Wed)]
12月17日(水)

7:40 財団着

8:30 「ROCKET」チーム報告

9:00〜11:00 東京財団第2回CSR委員会

11:30 吹浦忠正 ユーラシア21理事長

12:00 武部恭枝 プライムコーポレーション社長

13:00 全映宣 韓国Asia文化Contents聨合事務総長

15:00 原野城冶 nippon.com代表理事

16:00 勝俣宣夫 丸紅相談役

18:00 パラオ大統領と安倍首相表敬
このエントリーをはてなブックマークに追加
「日中関係」―中国の良識派― [2014年12月17日(Wed)]
「日中関係」
―中国の良識派―


笹川日中友好基金は、中国が天安門事件で世界から孤立した直後の1989年12月に基金100億円で設立。最も困難な時期から共産党幹部、行政官、人民解放軍、学者、メディア、学生、最近では有力ブロガーまで、幅広い分野の人々を招待。その数、のべ数千人に及ぶ。

私は日・中関係を2000年の交流の歴史から俯瞰(全体を見ること)しているので、最近の関係も特段心配はしていない。こう書くと多くの読者からそれでは楽観視しすぎるとお叱りを受けることは必定であろう。しかし、現在の中国の中には日本との関係なくして中国の未来はない、体制の改革なくして中国の発展はないと断言する知識人もいる、反日一辺倒でないことも確かである。

私は、江沢民が日・中間は「歴史を鑑として未来に進もう」と発言されたことに即座に反論し、中国の『歴史を鑑』とは、近代史において日本が中国にかかわった様々な事件を指すものであり、戦後、長期にわたる多額のODAを含む日本国民の税金こそが中国の発展の基礎作りに寄与してきたことを考えると、日本人にとってはあまり気持ちの良い発言ではない。日・中国交流2000年という時間軸で考えれば、世界史的にも稀な穏やかな二国間関係といえるのではないか。したがって『2000年を鑑として未来に進もう』と『2000年』を追加することを提案。訪中する多くの政治家にこの言葉を使うよう説明して回ったものである。

胡錦濤主席も二度ほど「2000年を鑑として未来に進もう」と発言されたことがあったが、時代が変わり、反日一辺倒の中で、この言葉も死語となってしまった。

ところで先日、中国の知識人たちが笹川日中友好基金の招きで来日し、一晩、赤坂の居酒屋で杯を交わした。飲むほどに一曲歌いたいと小声で口ずさんでくれた歌は、驚くことに『日本人民北方領土返還運動応援歌』であり、左翼の劇団『新制作座』が訪中した折に歌い、1970年代の中国で流行したという。中国人が北方領土返還運動に関心を持ち、中国の知識人は日本を励ましてくれていたらしい。

日本の左翼まで活動した北方領土返還運動も、今や風前の灯である。

通訳してくれた于展さんに日本語に訳してもらった。


                 日本人民北方領土返還運動応援歌

                   濃霧が立ち込める海原
                   我らの漁船は遥か遠くへ
                   強風にも暴雨にもめげず
                   我らは力一杯網を打つ
                   憎らしいソ連の艦艇
                   海上で横暴を極め
                   無尽の資源を強奪し
                   我が同胞を遠くまで連行
                   我らが海岸に立って声高く歌う
                   同胞よ、屈せずに戦え
                   家中のことを案ずるなかれ
                   妻子老幼の面倒は我らに任せ
                   愛しい国後、択捉
                   愛しい歯舞、色丹
                   千島海流に育まれ
                   美しくて豊かな故郷
                   一億人民の怒りが胸中に燃え盛り
                   我らの雄叫びが四方に響く

                   我が領土を返せ
                   我が領土を返せ
                   我が北方領土を返せ

このエントリーをはてなブックマークに追加
12月16日(火) [2014年12月16日(Tue)]
12月16日(火)

7:25 財団着

8:30 グローバルアピール打合せ

9:30 日本財団国際フェローシップ打合せ

10:00 理事会

11:00 山田滝雄 外務省アジア大洋州南部アジア部長

11:50 羽生次郎 笹川平和財団会長

13:00 ミャンマー イェ アウン国軍司令部中将 昼食

16:00 トーマス・エサン・レメンゲサウ・ジュニア パラオ大統領

DSC_0029.JPG
トーマス・エサン・レメンゲサウ・ジュニア大統領


19:00 ミャンマー国軍幹部・送別会
このエントリーをはてなブックマークに追加
12月15日(月) [2014年12月15日(Mon)]
12月15日(月)

7:45 財団着

終日 書類整理、打合せ
このエントリーをはてなブックマークに追加
「ハンセン病サイト 創設」―笹川陽平活動期― [2014年12月15日(Mon)]
「ハンセン病サイト 創設」
―笹川陽平活動記―


私のハンセン病に対する活動を読者に報告するサイトを創設しました。

ブログの左上の「Leprosy.jp」をクリックして下さるとご覧になれます。

一人でも多くの読者に、世界のハンセン病事情と私の活動についてご理解を賜れば幸いです。
このエントリーをはてなブックマークに追加
「ミャンマー国軍と南機関」―ミャンマー国軍司令官来日― [2014年12月15日(Mon)]
「ミャンマー国軍と南機関」
―ミャンマー国軍司令官来日―


今年9月、ミャンマーのミン・アウン・フライン国軍総司令官が初めて来日された。その際、多忙な時間を割いて、わざわざ浜松の帝国陸軍・鈴木敬司陸軍大佐の墓参とその生家を訪れた。

その義理と人情の厚さに感動すると共に、改めてミャンマーと日本の絆の深さに思い入り、戦前の日本軍人がアジア各国の独立に果たした真摯な活動と厚い情熱に深い感動を覚えた。

インド独立のきっかけを作った藤原岩市が心血を注いだインド国軍の創設は、チャンドラ・ボースらの活躍により、インドがイギリスの植民地から解放されるきっかけになったことは以前述べた。

ビルマ(ミャンマー)がイギリスの植民地から解放されたのには、鈴木敬司陸軍大佐を中心にして結成されたビルマ独立義勇軍の誕生が大きく貢献した。今日の日本とミャンマーの友好関係の基礎を築いたのは、今回のフライン国軍総司令官の鈴木敬司陸軍大佐の墓参で理解できる。

ミャンマー国軍の源流ともいうべき『ビルマ独立義勇軍』は鈴木大佐が司令官となり、ビルマ名『ボーモージョー』大将を名乗りスタートした。高級参謀にはアウン・サン(スーチーの父)も参加していた。その経過は省略するとして、1981年のビルマ33回目の独立記念日には独立に貢献した7名の日本人に感謝を込めて『アウン・サン勲章』が授与された。その7名の中には鈴木敬司未亡人も含まれていた。

ミャンマーは長い軍政から現在、テイン・セイン大統領の元で急速に開かれた民主化への道を歩み始めている。ただ、民主化に舵を切って3年余、国軍幹部の中には、この急速な民主化を危惧するグループもいる。そこで日本財団では、ミャンマー国軍の高級幹部10名を毎年5年間にわたり日本に招聘。民主主義国家における国軍の役割はどのようにあるべきか、又、先端企業、近代的農村をはじめ、広く日本を理解していただくための事業を開始した。

9月のフライン国軍総司令官来日の折に合意に達し、今月第一陣がイェ・アウン中将を団長に来日。現在自衛隊での講義を皮切りに全国を視察しているところある。

14.12.08 ミャンマー国軍将官級訪日団.JPG
ミャンマー国軍将官級訪日団


ミャンマー国民和解日本政府代表として、ミャンマー政府と少数民族武装勢力との全面停戦の実現には、ミャンマー国軍の理解なくしては不可能であり、この来日プログラムが、ミャンマー国軍幹部の民主主義国家における国軍の役割、特にシビリアンコントロールへの理解が深まる一助になればと願っている。

舞鶴基地での集合写真.JPG
浜松基地で記念撮影

基地の説明を受ける.JPG
基地の説明を受ける

操縦席を見学する訪日団長のイェ・アウン中将.JPG
操縦席を見学する訪日団団長のイェ・アウン中将

ビルマゆかりの碑に献花.JPG
ビルマゆかりの碑に献花


参考文献
泉谷 達郎「ビルマ独立秘史―その名は南機関」徳間文庫
ボ・ミンガウン「アウンサン将軍と三十人の志士― ビルマ独立義勇軍と日本」中公新書
このエントリーをはてなブックマークに追加
12月12日(金) [2014年12月12日(Fri)]
12月12日(金)

7:40 財団着

9:45 「手話言語法制定を求める全国集会」挨拶

11:30 産経新聞 熊坂隆光社長

13:00 溝渕将史 外務省アジア大洋州局大洋州課企画官

13:30 黒野匡彦 運輸政策研究機構会長

14:00 作田 学 日本禁煙学会理事長

14:30 太田 博 岡崎研究所理事長

15:00 週刊ポスト編集部 澤田佳様

16:30 日枝 久 フジ・メディア・フォールディングス会長

17:40 コミュニティーチーム・忘年会
このエントリーをはてなブックマークに追加
| 次へ