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「日中関係史1972−2012」出版 その3―北京で刊行発表会― [2014年07月23日(Wed)]
「日中関係史1972−2012」出版 その3
―北京で刊行発表会―


6月28日(土)、北京で『日中関係史1972−2012』4巻の刊行発表会と、有識者による意見交換会が開かれた。出席者は末尾に記載したが、政治編は編者の高原明生・東京大学大学院教授、経済編は編者の丸川知雄・東京大学教授、社会文化編と民間編については園田茂人・東京大学京教授がそれぞれ報告した。

日中関係史出版座談会.jpg
日中関係史出版座談会


それに対する中国側のコメントの要旨は下記の通りであった。

*********************


【政治編について】
北京大学梁雲祥教授からのコメント:
「政治編」の第8章と第15章の論文が削除された形で出版され、著書本来の姿で読者に提供できないのは残念だ。海外の学者の論文の翻訳なので、主張に同意できなくても、著作は原文のまま訳出し、出版すべきだ。現に中日両国の国家発展の戦略が一部衝突するものがあり、それが拡大されて今日の対立に発展した。これを今後どう調整し、調和していくかを検討する重要な時期にあたって、本シリーズ図書の出版は大変参考になり、重要な意義を持つ。

【経済編について】
中国社会科学院日本研究所の張李風研究員からのコメント:
日中関係の『強靭性』を裏付ける要素として取り上げられてきた経済協力も危機に面していることは、最近の日中貿易額、特に日本の対中国投資の大幅な下落によって示されたように、思われたほどの『強靭性』を持てなくなっており、手放しで安心できない。『強靭性』そのものが『脆弱性』に変わりつつあるので、これを楽観視せず、両国に警鐘を鳴らしておく必要がある。

【社会文化編・民間編】
第3巻「社会文化編」と第4巻「民間編」の編者・園田茂人東大教授の主旨説明に対し、清華大学の王忠忱教授からのコメント:
福田元首相のインタビューを読めば分かるように、日本側の多くの日中協力の推進者たちは、自らが中国と付き合う中で、相手国に対する印象を形成し、それを固定化することなく、絶えず認識を相対化してきた。中国人の日本イメージは固定化の悪影響をうけ、両極端に走っている。日本側についても同じことが言える。相手のイメージの固定化を打破することこそ関係者にとって喫緊の課題である。この見地からみれば、本シリーズ図書が日本側学者の中国社会に対する多角的なとらえ方が示されたので、相手を認識する時の固定観念を打破する意味で特に有意義である。

北京大学牛軍教授のコメント:
自分は日中関係を専門に研究していないが、本シリーズ図書には、日本側の史料が豊富に使用されているので、中国側の研究者にとって大いに参考になる。これらの資料を共有し、吟味しながら、日中双方の関係者が今の日中間の対立について考え、日中関係史の史実の中でメディアによって無限に拡大された部分は何か、また、両国のリーダーたちを支配してきたものは何かを共に考えたい。

北京大学王暁秋教授のコメント:
本シリーズ図書は最高のタイミングで翻訳・出版された。中日関係には、民を以て官を促し、学を以て官を促す歴史がある。中日関係のこの困難な時期にこそ、学者は自分たちの責任を今一度真剣に考える必要がある。

南開大学日本研究院宋志勇院長のコメント:
両国の学者、有識者が本シリーズ図書を必ず自国の指導部に渡し、中日関係の改善に、学者なりの貢献をしていきたい。

中国現代国際関係研究院日本研究所胡継平所長のコメント:
日中関係が空前の困難に直面している今、本書に反映された理性的な声が少ないだけに、この翻訳・出版が重要な意義を持っている。

*********************


このシリーズの出版に尽力された先生方並びに東京大学出版会、中国社会科学文献出版社に感謝申し上げる。

また、笹川日中友好基金の胡一平女史の責任感あふれる忍耐力と、この事業にかけた熱い思いなくして実現しなかったことを記録し、心からの感謝を捧げたい。
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7月22日(火) [2014年07月22日(Tue)]
7月22日(火)

7:30 財団着

10:00 BS朝日録画打合せ

12:50 東京発

15:23 新大阪着
    墓参

18:00 「文楽」観賞

21:00 文楽関係者との打ち合わせ
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7月19日(土)、7月20日(日) [2014年07月20日(Sun)]
7月19日(土)

0:25 羽田発

5:00 バンコク着(2時間待機)

7:10 バンコク発

8:20 チャンマイ着

    関係者とのミーティング

19:20 チェンマイ発

20:30 バンコク着(2時間待機)

22:25 バンコク発、羽田空港へ



7月20日(日)

6:40 バンコクより、羽田着

8:00 自宅着
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7月18日(金) [2014年07月18日(Fri)]
7月18日(金)

7:50 財団着

9:30 仁坂吉伸 和歌山県知事

11:30 勝俣宣夫 丸紅相談役

13:00〜17:00 職員採用最終面接

18:30 御厨 貴 東京大学名誉教授

22:00 羽田空港着

00:25 羽田発、タイへ
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「タイ出張」―ゼロ泊三日の旅― [2014年07月18日(Fri)]
「タイ出張」
―ゼロ泊三日の旅―


今夜の深夜便でタイに出張。

会議終了後、その日の夜行便で帰国。

成田には日曜日に到着です。
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産経新聞【正論】「海の日」を前に再度提案する [2014年07月18日(Fri)]
「海の日」を前に再度提案する


産経新聞【正論】
2014年7月14日


 今年も21日に「海の日」を迎える。これを前にふたつの提案をしたい。ひとつは7月の第3月曜日となっている海の日の固定化、もうひとつは懸案の初等中等教育における海洋教育の強化である。

 ≪日定め首相が世界に声明を≫
 ともに「海洋国家日本」の存在に関わる問題であり、特に「海の日」に関しては日を定め、総合海洋政策本部長である首相が、海の平和を守る声明を世界に発信されるよう求める。それが国際社会における日本のプレゼンスを高める結果にもなる。

 国土交通省によると、海の日は世界の多くの国が設けているが、日本のように国民の祝日にしている国はない。1996年の施行以来7年間、7月20日に固定されていたが、2003年からハッピーマンデー制度の導入で第3月曜日に変更された。

 海の日の意義より連休づくりが優先された形で違和感が残る。日本の祝日は17日もあり、連休も多い。海の日を特定の一日に定め、首相が力強いメッセージを出せば、国民の受け止め方を前進させるきっかけにもなる。

 一方の海洋教育の強化。昨年1月の当欄でも、海に囲まれ大きな恩恵を受ける海洋国家として、07年に制定された海洋基本法や翌年の海洋基本計画で、学校教育での海洋教育の推進を謳(うた)いながら、改善が進まない現状を「画竜点睛(がりょうてんせい)を欠く」と指摘、改善を求めた。

 現状は小学4年の理科と5年の社会に「海」が断片的に記されているものの、一昨年、東京大学、海洋政策研究財団とともに行った全国調査では70%が海洋教育という言葉自体を知らなかった。

 かつて盛んだった臨海学校も、プールの普及や安全に対する学校現場の配慮もあって姿を消し、ゆとり教育の中で生まれた「総合的な学習の時間」に、海に関する体験学習を取り込む学校も極めて少ない。これでは「仏作って魂入れず」で、海洋国家に相応しい人材育成は期待できない。

 ≪明確な位置付け欠く海洋教育≫
 学習指導要領で海洋教育が明確に位置付けられていないのが一因で、次の改訂版では海洋教育の強化を明確に打ち出す必要がある。学習指導要領はほぼ10年ごとに改訂され、次期改訂作業は当初17、18年と見られていたが、グローバル化に対応する人材育成の高まりなどで作業を前倒しし、東京五輪が開催される20年の完全実施を目指す方針と聞く。

 現在の学習指導要領は、小中学校が07年、高校が08年に改訂された。海洋基本法や海洋基本計画が制定、策定された年に当たり、その分、海洋基本法や海洋基本計画の目的を中央教育審議会の議論に反映できなかった事情がある。

 今回は文部科学大臣の諮問を受け中教審の議論を経て答申がまとまるまでに十分な時間がある。昨年、策定5年後の見直しが行われた政府の海洋基本計画も、前計画にはなかった学習指導要領の言葉を2度も使い、「学習指導要領を踏まえ、海洋に関する教育を充実させる」「必要に応じ学習指導要領における取扱いも含め、有効な方策を検討する」と積極的な姿勢を打ち出している。

 われわれも学識者を交えた海洋教育戦略会議で、学習指導要領の「総則」に「海洋の教育」もしくは「海洋」を、「総合的な学習の時間」の学習活動の例示にも「海洋の教育」もしくは「環境(海洋を含む)」をそれぞれ明記するよう提言した。

 「海洋」の教科を持つ国は世界にも見当たらない。理科、社会、歴史など、すべての教科に関連する海洋の特殊性からも、学習指導要領で明確な位置付けをしたうえで、各教科や総合的な学習の中で広く「海」を教えるのが目指すべき姿と考える。

 世界の人口は今世紀末にも100億人に達し、漁業資源だけでなく、海中、海底のエネルギー資源や領海、EEZ(排他的経済水域)をめぐる対立と緊張が一層、激しくなる。17世紀オランダの国際法学者グロチウスが唱えた「海洋の自由な利用」はとうの昔に終わり、国際的な秩序と協調の確立が喫緊の課題となっている。

 食糧、エネルギー資源など「母なる海」に対する人類の依存度は一層高まり、海の恵みをひたすら受けてきた海洋国家日本が果たすべき役割も必然的に大きくなる。

 ≪海洋国家日本が目指すべき姿≫
 未曽有の被害をもたらした東日本大震災の大津波は、漁業や水産業だけでなく、伝統文化も海と深く結び付いた地域社会の姿、さらに、海の視点を持たない防災がもはや成り立たない現実を浮き彫りにした。

 過日、文科相経験者4人とお話しする機会があった。英語や日本の歴史、伝統文化などの強化は当然として、海洋教育の一層の充実を図る点で異論はなかった。

 次期学習指導要領では、海洋教育の強化が間違いなく打ち出されると確信する。「海の日」を活用した外交戦略、海洋教育の強化とも海洋国家日本が目指すべき当然の姿であり、国際社会でこの国が負う責務でもある。
(ささかわ ようへい)
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7月17日(木) [2014年07月17日(Thu)]
7月17日(木)

7:30 財団着

8:30 「文楽」支援事業打合せ

9:30 城内 実 衆議院議員

10:30 柳井俊二 国連海洋裁判所裁判長

11:00 山口由美 国交省観光庁次長

11:30 檜垣清隆 日本中小型造船工業会会長

14:00〜17:00 職員採用最終面接
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7月16日(水) [2014年07月16日(Wed)]
7月16日(水)

7:30 財団着

10:00 西尾雄志 Gakuvo代表

10:30 鳥井啓一 日本財団参与

12:00 バングラディッシュ ムハマド・ユヌス氏(ノーベル平和賞受賞者)

15:00 第1回 再犯防止を考える官民合同勉強会

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谷垣禎一法務大臣もご出席下さり

DSC_0009.JPG
真剣な議論が交わされた


16:00 木寺昌人 中国大使

17:30 再犯防止プロジェクト勉強会・懇親会

18:30 今井尚哉 総理秘書官

19:00 総理主催 在京イスラム諸国外交団とのイフタール(ラマダン)
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「日中関係史1972−2012」出版 その2―日中関係 笹川良一からの系譜― [2014年07月16日(Wed)]
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「日中関係史1972−2012」出版 その2
―日中関係 笹川良一からの系譜―


1972年の日中国交正常化から2012年までの40年間の日中関係について、『日中関係史1972−2012』T政治、U経済、V社会・文化、W民間の4巻として東京大学出版会から刊行されたことは前回お伝えした。

その中の『民間』編で、日本財団を中心に中国との関わりの歴史を筆者が口述したことを、園田茂人・東京大学教授が編集していますので、以下、掲載します。

なお、具体的な事業についても詳しく掲載されていますので、ご興味のある方は『日中関係史1972−2012』民間編、東京大学出版会(3000円)をお読み下さい。

*****************


【それでも交流は続けるべきだ】――笹川陽平

 私どもと中国とのお付き合いは、1982年から始まりました。
 初代国連大使の黄華夫人の何理良女史が友人を通じて「私に会いたい」と言ってこられ、ホテルニューオータニでお会いしたのが最初の接触です。その後、人口問題について計画生育委員会の主任から招待を受け、笹川良一と共に釣魚台に参りました。
 笹川記念保健協力財団は、以前からハンセン病制圧支援のための世界的ネットワークを作ってきましたが、長征にも参加し、医師として評判が高かったレバノン系アメリカ人の馬海徳(ジョージ・ハテム)氏は、中国でもハンセン病対策に尽力されておられましたが、長く中国では「ハンセン病は存在しない」とされてきました。馬海徳さんはそんなことはないと、私たちに協力を求めてきました。1985年、広東省で「第一回中国国際ハンセン病学術会議」が開かれ、私たちは財政的な支援はもちろんのこと、会議開催へ積極的に協力を行いましたが、これが中国との実質的な作業の始まりです。

戦略的だった中国との交流
 私たちは、今まで中国と多くの交流をしてきましたが、私としてはわりと戦略的に交流を進めてきたつもりでいます。
 中国は、その政治体制から、まずは政府の指導者の方々の面識を得る必要があります。当初はこの点に重点をおいて活動しました。ケ小平さんに会うところから始まり、歴代の党総記、国家主席をはじめ政治局常務委員クラスの方々とは、ほぼすべてのみなさんと面会してきました。物事がトップダウンで決まる国ですから、これは必要不可欠な仕事でした。
 他方で、1989年の天安門事件を契機に、中国が国際化するには、法制度を含め、制度の近代化は喫緊の改題であると考え、中央政府はもちろんのこと、地方の制度改革を進めてもらうべく専門家の来日プログラムを数多く実施しました。国有企業の民営化問題など、今となっては懐かしい議論をしたものです。
 黄菊さんが上海市長だった頃に日本へ招待して、浦東開発に関する説明会を日本ではじめて開催しました。あまりにも多くの代表団を招待するものですから、日本の省庁も「笹川さん、あまりにも多くの人々がおいでになり、困っております」と声を上げるほどでした。
 第三段階では、いわゆる人民レベルの交流を活性化させようと、日本語教育の充実をめざしました。1999年から2013年6月まで、日本科学協会を通じて、300万冊以上の日本語図書を寄贈しました。
 最新の資料でも、世界全体の日本語学習者のうち約7割が中国人ですから、中国のの日本語教育を支援することには大きな意義があります。
 私たちとしては、親日派を養成するという意図はまったくありません。それよりも、日本をよく知る知日派を作りたい。そのため教科書の作成に始まり、日本語教育の充実や図書の普及を目指すようになりました。中国の大学におけるクイズ大会や弁論大会、論文コンペなどを支援するようにもなりました。
 また、北京や上海といった大都市だけでなく、地方のメディア関係者やブロガーたちを招聘したり、沿海部ではなく内陸部の人たちの来日を支援するプログラムを実施したりするようになりました。こうした交流の変化は、最初から予期していたものではありません。実際に交流し、試行錯誤しながら、このような方向で進んできました。

交流そのものに困難はない
 もともと中国は海外、特に日本から知識を吸収したい気持ちが強くありました。しかも日本に対する親近感があったので、交流すること自体、特段むずかしくはありませんでした。この点について、2つのエピソードを紹介しましょう。
 1989年の天安門事件の後、G8(西側先進国)による厳しい経済制裁が実施され、中国は非常に困難な状況に追い込まれました。「何とかこの経済制裁を解除してほしい」。当時の国家主席であった楊尚昆さんから、こうした依頼を人民大会堂で受けました。当時私と同行したのが、経済同友会の牛尾治朗さんと東京大学の衞藤瀋吉先生でしたが、その時は台湾問題や北朝鮮問題を含め、多くのことをざっくばらんに意見交換しました。
 楊尚昆さんは、私たちに、初めて胸襟を開いて話してくださったのだと思ますが、帰国後すぐに竹下登元首相に事情を説明して、「これからの中国の将来や、隣国としての立場を考えると、現在の経済制裁を解除し、第三次円借款を開始すべきではないか」と進言いたしました。竹下元首相は、日本と中国との関係は西洋諸国とは異なり、長く深い関係がある。なんとかしようと明言され、竹下元首相一流の根回しによって、当時の安倍外相がホワイトハウスを訪問、海部首相がヒューストン・サミットで「中国への経済制裁を解除すべきだ」と提案することで、結果的に制裁が解除されることになりました。これは日本がG8で主導権を持って解決した第一号の案件となりました。
 これにより日本からの第三次借款が再開され、6800億円の借款が実施されるようになったのです。これが中国における近代化の実質的なスタートで、その意味でも、これは歴史的な事件であったと思っています。
 2つ目のエピソードに、北京大学で国際関係学院を立ち上げたことがあります。
 1990年代の初頭、中国には1200弱の大学があったものの、国際関係論を専門的に研究・教育する機関がありませんでした。中国が国際社会の一員として活躍するためには、国際関係論をしっかり学んだ学生を育てる必要があります。そこで、東大名誉教授の衞藤藩吉先生にも相談し、北京大学に国際関係学院の修士課程を作るといった、夢のようなプロジェクトが始まりました。
 実は、最初の3年ほどはうまくいきませんでした。ところが今では、中国の大学院修士課程の中でも、もっとも入試の難易度が高くなるほどに発展しました。卒業生は国務院や外交部、大企業やメディアなど第一線で活躍する優秀な卒業生を輩出してきました。その後、早稲田大学と東京大学との学生交換を始めるようになり、現在にいたっています。
 1か月間日本で指導教員を選定して研究を進めるプログラムもありますが、その際提出される研究計画書のリストを眺めてみると、ある時はアメリカ、ある時は台湾や日本の安全保障問題の研究と、学生たちが何に興味を持っているかがわかりました。中国の医者の来日プログラムや、この北京大学国際関係学院の創設は当時、中国の喫緊の問題であった。レベルの高い人材養成に大きく貢献できたとの自負もあります。

軍人交流という難事業
 もっとも、うまくいった事業もあれば、うまくいかなかった事業もあります。人民解放軍と日本の自衛隊との交流は、前者のケースです。
 世の中には、「軍人とは好戦的な人だ」といった誤った考え方が流布しています。ところが、軍人は一番死にたくない人たちです。どの国も文民統制をしていて、文民が「戦争をしよう」というから、仕方なく戦場に赴かなければならないだけなのです。
 日中関係を眺めてみたとき、最も距離が遠かったのが軍関係者でしたから、人民解放軍と自衛隊の交流を進めようと考えました。これだけ近距離にいながら、お互い相手のことをまったく知らないのですね。統合幕僚長や人民解放軍の総参謀長レベルでは、儀礼的交流はありましたが、互いの基地を訪問したり、相手国の農村部や社会を見たり、といったプログラムはありませんでした。
 中国は中国で、反日教育一辺倒で育ってきていますから、最初に日本に来られた時はびっくりしたようです。兵隊に溢れた軍事国家日本のイメージを抱いてきたのに、「街に兵隊がいないのはどうしてか、みな私服に着替えているだけなのか」と聞かれ、こちらが当惑したものでした。日本は日本で、中国がこんなに発展しているとは考えてもいなかったようで、10日間程度の交流は互いにとって非常によかったと思います。
 中国人民解放軍が発行している『解放軍報』という新聞がありますが、そこの記者が同行され、日本での見聞を広めたのですが、後に「今まで私たちは、間違ったことを人びとに教えてきた。中国には資料がないので、こういったものだと思って教育してきたけれど、日本にやってきて率直に反省した。私たちは日本の正しい姿を伝える義務がある」とまでおっしゃいました。その方は、その後娘さんに「お金を出すから日本に行って勉強してきなさい」と言ったようですが、娘さんは「お父さん、簡単に転向してしまったのね」と言い返し、いまだに日本に来てくれないと笑っておられました。

トラック2の重要性
 私は、トラック2という考え方を重視しています。
 政府間レベルでは、緊張関係が高まれば、国家の威信もあれば、置かれた政治指導者の立場もありますから、関係が悪化するのです。その点、私たちのような民間が絡むことになれば、リスクが減ります。トラック2、正確にはトラック1.5というべきでしょうが、これもこうした困難な時にこそ交流をするのが大切だという発想に基づいています。
 上述の軍人交流は、単に軍事施設を見るだけではなく、お互いの社会、最新鋭の工場もあれば農村見学もある。この交流は、軍人がお互いの国の社会全般を理解する上で大きな効果があり、中国政府においても高い評価をしたプロジェクトでした。中国の潜水艦が日本の領海に侵入した時にも、小泉首相の靖国参拝の時にも、交流は続けられました。
 こうした困難な時期にあっても、直接対話をするルートをもっていたことで、私たちの活動は国際的に高く評価されてきたのですが、残念ながら、中国で軍部指導者の交替があり、尖閣問題で、「交流を延期したい」という書簡が送られてきました。「こうした時だからこそ、交流すべきだ」と思いましたが、うまくいかず、結局、私たちはこのプログラムを廃止することにしました。
 大変残念な結果ですが、時期が来ればプログラムを組み直し、また交流を進める必要があります。トラック2を維持するのは大切ですし、中国海軍によるレーダー照射事件が起こりましたが、日中間で「この一線を越えてはならない」という内々の秘密合意を持っておかないことには、大事件に繋がってしまう恐れがあります。
 世界の歴史を見るとわかるように、隣国同士の関係が良好なところはありませんし、どちらかの国家が消えるようなことが多くありました。ところが2000年の長きにわたり、中国と日本の交流は世界史的に見ても、例外的にうまくやってきていると思います。
 地政学的に見ても、切っても切れない隣国としての関係は、今や互いが重要な貿易相手国となり、経済的には相互補完関係にありますから、日中関係は、政治家や国家の思惑だけではどうにもならない、「いい状態」に置かれていると思います。いくら中国ががんばっても、日本との協調的な関係がなければ中国の経済成長はありえませんし、日本の食料や衣料の多くは中国からやってきています。
 国民レベルでは、こうした相互補完関係が出来上がっていますが、一方で政治的に、近親憎悪的な心理もある。こうした状況にあって最も避けるべきは、互いの民族主義を煽ることです。冷静に対処すべき時に民族主義を煽ると、悲劇が起こる可能性があります。
 中国の若者は、近代史の一部にばかり目がいっています。これは中国共産党が、日中の近代史の一部を切り取り、拡大して国民に見せている、いわゆる反日教育に徹せざるを得ないところに原因があります。私は、そこに中国の限界があると思っていますが、ともあれ、これを突破できたときに、日中関係は本当に良好な関係となるでしょう。

強圧的な体制は長続きしない
 ここ最近、中国では「物言う民」が生まれてきており、日本政府や中国政府に強硬な物言いをする人たちが出てきていますが、これは健康な状態だと思います。
 とはいえ、中国の対日世論が硬化しているのは、中国共産党が繰り返し行ってきた反日教育の結果と理解することもできます。子々孫々までの日中友好を謳いながら、テレビを含めて過激なまでの反日教育を進めざるを得なかった「咎め」が、こういった形で生まれてきているのです。
 国家は「柔構造」の方が健全です。多様な意見、多様な組織を受け入れるには、一種の柔らかさがなければなりません。ところが現在の体制は非常に硬直して、不満分子を頭から押さえつけようとしています。
 私は現在の体制は、ケ小平さんに会って以来、最も強圧的な政権だと考えています。不満分子があっちこっちで、いろいろと不満を述べてくれていた方が社会はある意味健全であり、安定は保たれるはずなのですが、政治体制としてこうしたことを許すことができないのでしょう。
 世界史を紐解いてみればわかるように、開明派はいつも少数派です。日本海軍もそうでしたし、北朝鮮や中国にも開明派はいます。ところが開明派は「すぐ海外と安易に話し合いをする売国奴」と批判され、国内的には民族主義の方が強くなるといった構図が広く見られます。そして、これが常に騒動のもとになってきました。今や中国は世界の超大国になりました。グローバリゼーションのこの時代、世界あっての中国であり、決して中国あっての世界ではありません。
 中国では、温家宝さんも胡錦濤さんも、何度も海外に行って、世界がどのような状況かよく知っています。グローバリゼーションの時代、経済を含めていろいろな一体化が進んでいますから、一国だけで生きていくことなど不可能なはずなのに、ほとんどの中国人は、中国以外のことは知らず、反日教育を受けていますから、そこから一歩も出られない。そのため民族主義が力をつけてしまうといった、悪循環が生まれてしまっています。
 本当は人びとがある程度言いたいことを言った方がガス抜きできるのに、今の政権は都合の悪いことを言った者を虱潰しに弾圧し、中国は国内的に非常に緊張した状況に置かれています。

それでも交流は続けるべきだ
 中国がこうした状況に置かれていても、交流は続けなければいけません。良くても悪くても続けていくしかないのです。
 今まで私たちは2300名の中国人医師を受け入れてきましたが、天安門事件の時、3名ほど逃げたものの、それ以外はみな中国に戻っており、「プログラムが終わって中国に戻ってくるのは、笹川のプログラムだけです」と高い評価を当時、中国政府よりもらったものです。
 天安門事件の時、「どうぞ、逃げたい人は僕に相談してください」と言ったのですが、2人がカナダ、1人がアメリカに、相談なしに逃げて行った。しかし、それ以外は皆、帰国して中国の医学界で活躍し、人民に奉仕され、尊敬を受けておられます。
 当時欧米に行った人たちはまったく帰ってこないと、中国側から不満があったのですが、この高度経済成長が続く中にあって、中国人留学生のほとんどが中国に帰るようになりました。時代は変わりました。
 彼らは西洋の先進的な政治制度、経済の仕組み、社会のあり方、すべてを学んできて、みんな知っています。私たち以上に、よく勉強されています。その気持ちを率直に表現できないもどかしさがあるだけで、自分たちの国が世界の中でどのような位置にあるのか、彼らは身に染みて理解しています。口に出さないだけで、中国がどちらの方向に進むべきかについて、よくわかっていると思います。私たちは中国の日本語教育で使われる教科書を作っていますが、日中関係が厳しい状況に置かれた2012年においても、日本語を学ぶ人の数は100万人を超えるまでになりました。こうした政治を超えた人々の地道な努力が大切なのです。
 先般も、内陸部で日本に関する論文で優秀賞を獲得した人を日本に招待する作業を進めていました。受賞した人たちは「夢みたいな話だ」と大喜びしてくれたのですが、ご両親は「日本は危険な国だから日本には行ってはいけない」と、彼らの来日を許してくれない。そこで私はご両親に手紙を書き、「日本は安全ですから、是非ともお子さんを日本によこしてください」とお願いしました。
 このように、多くの中国人は日本のことを知らないし、60年間、毎日毎日、反日教育を受けてきましたから、彼らの考えを変えることは並大抵のことではありません。(遼寧省の)瀋陽あたりの、知日派の多いところでも、「周囲から日本に行ったら危ないと言われてきたけど、来てみたら大丈夫だった」といったケースが多くあります。

原点は国民レベルでの交流
 先日、富士山が世界遺産登録されることになりました。そのニュースが流れた時、私は富士山にいたのですが、そこには多くの中国人観光客がいました。大いに結構なことです。政治体制など関係なく、最後は民と民の関係なのですから、観光をもっと自由化してもらい、1人でも多くの中国人に本当の日本の姿をもっと見てもらうことが必要だと思います。
 交流の裾野は、目に見えないところで拡がっています。日中関係を政治や安全保障の視点ばかりから見るから問題なので、私は、国民レベルでの交流が原点だと思います。日中は、今まで先人がいろいろな知恵を出して、交流を続けてきました。トラブルは常にあります。これをいかに乗り越えるかが、知恵の出しどころです。トラブルのない隣国関係なんてないのですから。
 政治家や指導者の皆さんには、自分の政治的立場からの主張だけでなく両国の人々が相互理解を進展させ、大局的見地からの平和的な二国間関係を構築してもらいたいものです。
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7月15日(火) [2014年07月15日(Tue)]
7月15日(火)

7:32 財団着

9:50 枡野龍二 国土交通省顧問

10:00 理事会

11:30 本田 勝 国土交通省事務次官

13:00 海洋船舶ビル建替え現場視察

15:00 デニス・ブレア 笹川平和財団USA会長

16:30 沼田幹夫 前ミャンマー大使

17:30 森 喜朗 元総理
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