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日本財団会長 笹川陽平ブログ

写真:ハンセン病の現場から「アフリカ・ピグミー族」

leprosy.jp
resize.png日本財団はハンセン病の差別撤廃を訴える応援メッセージサイト「THINK NOW ハンセン病」を開設。皆様からのメッセージを随時募集・配信しています。
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「カメルーン出張」 [2016年07月01日(Fri)]
「カメルーン出張」


3日の深夜便でカメルーンに出張いたします。

アフリカの原始林を移動して生活する民族、ピグミー族のハンセン病の実態調査のため、森深くまで入る予定です。

帰国は13日の予定です。
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「ソフィア大学名誉博士」―ブルガリア最古の大学― [2016年07月01日(Fri)]
「ソフィア大学名誉博士」
―ブルガリア最古の大学―


余り晴れがましいことは私の性格に合わないのでブログで書くことはほとんどないが、このところ海外活動が多く、来週からアフリカのカメルーンでピグミーのハンセン病実態調査に入るためブログの種が不足してきてしまい、恥ずかしながら、表題の記事になってしまった。

この度、1888年に設置されたブルガリア最古のソフィア大学より名誉博士号を授与された。

1987年、未来の世界を担う修士・博士課程の優秀な学生に奨学金を提供する「笹川良一ヤングリーダー奨学金制度」を設置。現在は世界69大学に設置されているが、ソフィア大学は1992年に設置された大学のうちの一校である。

日本人のブルガリアに対するイメージは、ヨーグルトに美しい薔薇、引退した相撲力士くらいかも知れないが、約1400人が日本語を学んでおり、約450名の国費留学生、約800人のJICAで研修経験のある方々がおり、日本の伝統文化や武道の同好会もあると、小泉崇ブルガリア大使は教えて下さった。

私にとって嬉しいことは、この奨学金第一号を受けられたパシレフさんが、その後、年間100万本を生産するワイナリーの実業家として成功したのみならず、ブルガリアの政財界の有力者としても活躍されていることであった。

ソフィア滞在中は心を込めてアテンドして下さり、その上、写真のように、家宝である73年前、1943年産のワインを2本もプレゼントして下さった。学生時代の恩義を忘れず、その後、私のハンセン病との闘いに注視して下さり、名誉博士に推薦して下さったようだ。

DSC_1198.JPG
1943年産のワイン2本!


伝統ある大学での古式豊かな式典の様子はテレビで何回も放映されたと、在日本ブルガリア大使館から知らせをいただいた。

博士号授与の理由であるハンセン病について、10分間の映像の後、講演の機会をいただいた。既にヨーロッパではハンセン病は過去の話になっており、どのような過酷な歴史があったかは書物で若干知っている方がいる程度なので、映像に驚き、目頭を押さえる聴衆もいた。

以下、ハンセン病について比較的分かりやすく述べていますので、お読みいただければ幸甚です。

***************

「ソフィア大学名誉博士号授与式スピーチ」
―ハンセン病の病気と差別の制圧に向けた闘い―


2016年6月6日
於:ブルガリア・ソフィア大学


ハンセン病に関するレクチャーをさせていただく.jpg


この度は、ブルガリアで最古かつ最大の大学であるソフィア・聖クリメント・オフリドスキ大学から名誉博士号をいただくことができ、大変光栄に思います。また本日は、ハンセン病の制圧という私の生涯をかけた活動について、皆さまにお話しさせていただく機会をいただき、感謝申し上げます。

先ほどショートフィルムをご覧いただいたのは、この病気に苦しめられ、今もなお苦しんでいる人たちの現実を皆さまにご覧いただきたかったからです。映像にもありました通り、ハンセン病は何世紀にも亘り不治の病、神の罰などとされ、人々から恐れ嫌われてきました。

しかし1980年代になると、有効な治療法の確立により、ハンセン病は治るようになりました。簡単なことではないとはわかっていましたが、私はこの薬を、病気に苦しむ全ての人たちに届けることを決意しました。そして日本財団は、WHOと協力し、ハンセン病治療薬の無料配布を開始しました。

有効な薬を配るのですから、私たちはある一定の効果はすぐに現れるだろうと期待していました。しかし、多くの予期していなかった事態に遭遇しました。

例えば私は、世界には多くの人が薬の飲み方を知らないという事実を目の当たりにしました。それまで伝統医療薬しか飲んだことがないという人たちに対し、私は、まずブリスターパックと呼ばれる包装から錠剤を取り出し、水で飲み込むという薬の飲み方から教えなくてはならなりませんでした。

また、アフリカのある部族の人たちは食べ物を平等に分け合うという習慣があるため、配布された薬をも同じ村の人たちで分け合ってしまっていました。これでは当然、薬の効果は現れません。

また、無料なのに患者が薬を取りに来ないということもありました。痛みを伴う初期症状がないため、もしくは差別を恐れたためです。

薬を無料で配るだけでは効果的ではないということは明らかでした。私たちは、治療薬の配布に際し、その土地の習慣や文化なども考慮しなければならなかったのです。

このことを念頭に、より効果的に薬を患者に届けるために、私たちはWHOや各国の保健省、医療関係者、NGOなどと協力し、活動を続けました。

その結果、より多くの患者が病気を治療、治癒し、多くの蔓延国においてハンセン病患者の数は大きく減っていきました。私は、治療薬普及の成果が現れてきたことに、一種の達成感を感じ始めていました。

しかし、患者の数が減ったにも関わらず、私がハンセン病コロニーで目にした現実は、病気から回復した人たちの生活が治療前からあまり変わっていないということでした。彼らは治癒した後も、患者だったときと同じようにハンセン病療養所やコロニーで暮らし続けていました。そこは、草木も生えていないくぼ地のようなところで、外側からは単なる岩山にしか見えないような場所だったり、線路脇の土手のわずかな空間だったりしました。彼らはハンセン病を患ったときから、そのような場所に集まって暮らしていました。その場所と外の世界との境界に目に見える塀などは何もありません。しかし、まるでそこには目に見えない壁が立ちはだかっているかのように、彼らの住む場所とその外を行き来する人はいません。彼らはもう患者ではないのに、こうして「ハンセン病の元患者」として生活しつづけていました。

この状況を見て私は、私がそれまでハンセン病の差別やスティグマの問題を楽観視しすぎていたことに気づきました。私は単純に、病気を治すことは差別をなくすことにもつながるだろうと考えていました。しかし実際は、治癒してもなお、彼らは「元患者」から抜け出せていませんでした。これは特にハンセン病に顕著に見られる問題のように思います。

私は、ハンセン病の問題は医療の問題だけではないことに気づきました。それは私たちの意識の問題です。私は、この意識の問題にも取り組むことにしました。

ハンセン病の闘いについて話をするとき、私はよく、モーターバイクに例えて説明します。前輪は病気を治すための医療面のアプローチです。そして後輪は、スティグマと差別をなくすための社会面のアプローチを指します。この前輪、後輪が同時に動かなければ前に進まないモーターバイクのように、ハンセン病とその差別をなくすためには、医療面、社会面双方のアプローチを同時に進める必要があると、私は考えています。

後輪の差別の問題について取り組むにあたり、私は何から始めればいいのかわかりませんでした。医療面のアプローチのためには、WHOや保健省、医療専門家の方々と活動しましたが、社会面のアプローチには、新たな関係者を巻き込む必要があると感じました。

私はハンセン病の差別とスティグマの問題は人権問題であると感じました。それが、私が国際連合へ働きかけることにした理由でした。

私がジュネーブの国連人権高等弁務官事務所を初めて訪ねたのは2003年のことでした。そこで私が言われたことは、ハンセン病の問題についてそれまで誰も訴えてこなかったため、ハンセン病の差別の問題は人権問題として認識されていないということでした。

なぜそのようになってしまったのか、想像するのは難しくありませんでした――ハンセン病から治癒した人たちは、声をあげ、自らの人権を主張することをためらっていました。彼らは差別を恐れていたのです。彼らの多くは、自分たちに人権があるとすら考えていなかったのかもしれません。ハンセン病から治癒したある人は、私にこう質問しました。

「本当に私たちに人権などあるのですか?」

私は、彼らの苦しみにこれ以上目をつむることはできませんでした。そして、このハンセン病の差別の問題を提起する必要があると思いました。

その後、この問題に注意を向けてもらうために、私はジュネーブを何度も訪れ、会議やポスターセッションなどを開催しました。この問題に対し、注目を集めようとしましたが、ことは簡単には運びませんでした。

しかし、私が人権委員会の小委員会で鮮明に覚えている瞬間があります。それは、私がハンセン病の回復者の人たち5人と会議に出席していたときのことでした。会議場で話をする機会に、私は自分が簡単に話した後、彼らのうちの一人の女性にマイクを譲ることにしました。インドから来た女性でした。

彼女は立ち上がり、「私はハンセン病でした」と言いました。

それまで、話半分に聞いていた会場中の人がその瞬間に振り向き、発言した彼女の顔を見ました。

その瞬間は、今でも忘れられない瞬間です。

そしてその瞬間は、私にとって、ハンセン病の差別の問題を人権問題として国連が初めて認識した瞬間だったように思います。

私の最初の国連訪問から7年、2010年にニューヨークの国連総会で、ハンセン病の患者と回復者、そしてその家族に対する差別撤廃の決議が採択されました。現在、加盟各国がこの決議の内容を実行に移そうと進めてくださっています。

社会的なアプローチを進める上で、私は、ハンセン病の差別やスティグマの問題をなくすには、当事者を巻き込むことが不可欠だと考えています。彼らに声をあげてもらうよう働きかけ、彼らの声を聞いてもらうことが重要なのだと思います。私が彼らの声を代弁することはできても、彼ら自身の声よりも説得力を持つことはないのだということに、私は経験を通じて気づきました。

ソフィアの後、私はバチカン市国でローマ教皇庁と共に、異なる宗教家、NGO、政府高官などとハンセン病回復者の包括的なケアと尊厳を考えるシンポジウムに参加する予定です。そのような時には必ず、回復者の声が直接、聴衆に届くよう、彼らを招待し、ご出席いただいています。

このような私の活動に対し、「ハンセン病は過去の問題ではないか、今さら取り組む必要はないのではないか」という人がいます。しかし私は、ハンセン病を考えることは、今まさに私たちがすべきことではないかと考えています。それは、ハンセン病を考えることが人間を考えることにつながるからです。ハンセン病の歴史は世界中で忘れ去られ、消されようとしている「負の歴史」として語られることが多いです。

しかし、ハンセン病の歴史は同時に、患者や回復者の方々が過酷な状況に置かれながらも、差別を乗り越えて生きてゆく、生命の輝きの歴史でもあります。名前を失い、故郷を失い、家族、友人をも失い、社会との関わりを断たれながらも、一人の人間として、生きようとしてきたその軌跡は、人間の強さと寛容さを私たちに教えてくれる、かけがえのない歴史でもあります。

だからこそ、ハンセン病を患った人たちの経験や記録を次世代に引き継ぐことで、人類がこの経験を忘れないようにしていくことが重要ではないでしょうか。彼らの声を次世代に届けていくこと。このことも、私の重要な仕事だと思い、ハンセン病の歴史保存の取り組みも進めています。

本日、この名誉ある学位をいただいたことで、皆さまより私のこれからの活動を後押ししていただけた想いがし、とても心強く感じております。

ありがとうございました。
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6月29日(水) [2016年06月29日(Wed)]
6月29日(水)

7:30 財団着

8:00 語り場

9:30 「アールブリュット」事業打合せ

10:00 山本 隆 東京都副知事

10:20 黒野匡彦 運輸政策研究機構会長

11:00 評議員会 

13:30 波多野茂丸 芦屋町長

芦屋 波多野町長より寄付1.png
芦屋町の波多野町長より、熊本地震に1000万円
パラリンピックサポートセンターに500万円のご寄付をいただきました
大切に使わせていただきます


14:00 「ソーシャルイノベーションフォーラム」打合せ

15:30 スピーチ打合せ

16:00 理事会

19:00 飯島 勲 内閣参与
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「熊本地震現状報告」―日本財団支援― [2016年06月29日(Wed)]
「熊本地震現状報告」
―日本財団支援―


4月14日、熊本地震(前震と呼ぶそうです)発生。日本財団は翌15日、災害支援の専門家・黒澤司をリーダーに、職員4名と救助犬を先遣隊として派遣。

16日に本震発生。

日本財団は、4月26日の記者会見で、下記の救援策を発表しました。
@ NPO、ボランティアグループに、1件100万円を限度に支援。
A 住宅の全壊並びに大規模半壊について、1世帯20万円。
 アパートなど集合住宅で生活する世帯にも、世帯ごとに支給。
B 死者、行方不明者への弔慰金・御見舞金、お一人に10万円。
C 金融機関を通じての無担保、利子補給の融資のために30億円。
D 熊本城再建資金、30億円。

以上の件について、中間報告いたします。

正直なところ、@〜Cの支援策より、熊本城再建支援金30億円が話題の中心になったのは驚きでした。しかし、@〜Cについても着実に実施しています。

現時点(6月22日)現在では
@ NPO支援金は202件、1億8715万円が実施されました。
B 死者49方不明者1名に対し、支払金は10名100万円。
 (6月25日に一番被害者が多かった益城町20名のご遺族へ支払い予定)
C 熊本県庁、金融機関と実施向けて調整中

問題はAの住宅全壊並びに大規模半壊です。前例のない強い余震と豪雨により現在も被害が拡大しているのです。当初1万件、20億円と推計しておりましたが、余震が続き、被害の大幅な増加が予想されており、総額93億円の予算が超過する恐れが出てきました。しかし、東日本大震災の教訓から災害積立金を200億円用意してありましたので、予想外の出費にも対応することが出来ます。罹災表明が行政から発行され、現在は約1万件を受領しました。7月15日から順次支払いを開始します。

又、日本財団では熊本出身の梅谷佳明(うめたによしあき)を所長に、地震から10日目に熊本県庁前の「ヨネザワ熊本県庁前ビル」の4階約230uを賃貸し、「日本財団災害復興支援センター熊本本部」を設置して活動をしておりますが、東日本大震災の反省から、この対策本部を他のNPO、ボランティア11団体にも無料開放して情報の共有、そして、県・市・村の行政との折衝窓口にも利用していただいています。何よりも、1年間は活動を続けることを約束しており、それにより行政より高い信頼をいただくと同時に、定期的に避難所や被災者から生の声を聞き取り、調査結果をメディアに発表して好評を得ています。

手前味噌な報告になりましたが、困難な生活を強いられている被災者に同情するだけでなく、同胞として、可能な限りの支援を続けたいと願っています。

これまで皆様から頂戴した支援金は、6月22日現在、202,259,090円です。
これからも支援金へのご寄付、重ねてお願いいたします。

振込先:三菱東京UFJ銀行
支店名:きよなみ支店
預金種別:普通
口座番号:2443179
口座名(漢字):公益財団法人日本財団
口座名(カナ):ザイ)ニッポンザイダン

尚、詳細は下記をクリックして下さい。
寄付先:熊本地震ボランティア活動資金

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6月28日(火) [2016年06月28日(Tue)]
6月28日(火)

7:25 財団着

8:00 語り場

9:40 森田文憲 日本文化興隆財団相談役

10:00 南 尚 大島造船所会長

10:30 中島緑子様

11:00 上瀧和則 日本モーターボート選手会会長

11:30 羽尾一郎 国交省海事局長

13:00〜16:00 国内採用最終面接試験

17:00 西村幸夫 日本イコモス国内委員会委員長
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6月27日(月) [2016年06月27日(Mon)]
6月27日(月)

6:15 ヤンゴン発

8:30 バンコク着

10:25 バンコク発

18:40 羽田着
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「イラン訪問」―安倍昭恵氏と共に― [2016年06月27日(Mon)]
「イラン訪問」
―安倍昭恵氏と共に―


最近、イランはアメリカとの関係改善を目指し始めており、欧米からも注目が集まっている。元来、親日国のイランと日本の関係だが、率直に言って、現状は若干出遅れ気味と言わざるを得ない。

笹川平和財団では、イラン国際問題研究所との共催で「平和と持続可能な開発に果たす女性の役割」と題する国際シンポジウムを、5月9日、イランの首都テヘランで開催した。

女性問題、特にアジアにおける女性の社会参加に関心を持ち活動されている社会貢献支援財団の安倍昭恵会長は、テヘランに夕刻到着、翌日の深夜便で現地を発つという強行日程で出席された。別紙のスピーチは勿論のこと、記者会見でも落ち着いた態度で静かに恂々(じゅんじゅん―真心のあるさま)と話される姿に、関係者は勿論、多くの記者団にも大好評で、テレビ、新聞でも大きく報道された。

私はシャー時代以来、45年振りのイラン訪問であった。この時代の女性たちは、ヒジャブ(スカーフのようなもの)を脱ぎ捨て、西欧化が進んでいた時代だった。その後、1979年にホメイニ革命があり、先例のないウラマー(イスラム法学者)による直接統治のシステムが導入され、伝統的なイスラームに基づく社会改革が行われ、反欧米的な政治体制になった。

イランの女性文学者・アザール・ナフィーシーの「テヘランでロリータを読む」は、アメリカで150万部のベストセラーになったが、革命後のイランは生活の隅々まで当局の監視の目が光る息苦しい社会となり、特に女性は厳しい道徳や規制を強制される恐怖の毎日だったようだ。ヒジャブをしっかり被り、黒のロングスカートだけが許され、少しでも化粧をしたりヒジャブから髪の毛が出ているだけで革命防衛隊に捕らえられ、最悪の場合、投獄されたこともあったようだ。著者は秘密の読書会でささやかな自由の場を得ていたが、その後、アメリカに移住された。

この書籍を読んだ直後のイラン訪問だったので、大いに興味をそそられた。正直なところ、国際シンポジウムの「平和と持続可能な開発に果たす女性の役割」というテーマには違和感を持ったが、イラン側は二人の女性副大統領、モラヴェルディ女性・家族問題担当副大統領とエブテカール副大統領兼環境庁長官は、服装こそホメイニ時代そのままであったが、さすが副大統領だけあって、思慮深く雄弁な方々であった。

E2人の女性副大統領と総理夫人と.jpg
二人の女性副大統領と安倍昭恵会長


バザールの雑踏の中の女性の服装をよく観察してみると、ヒジャブから金髪が出ている人、中には真っ赤なマニュキアをしている女性も数名歩いていた。

D午後はグランドバザールを散策[1].jpg
グランドバザールを散策


改革派のロウハニ大統領の影響かも知れないが、最高指導者ハメネイ師との関係は、ロウハニ大統領にとって、今後は難しい舵取りが予想される。

最近、イランの次期最高指導者を選出する専門家会議の議長に、保守強行派のジャンナティ師が任命された。こうなってくると、2期目を目指すロウハニ大統領の来年の大統領選挙出馬をハメネイ師が認めるかどうか、疑問が出てくる。

昨年、英国はイラン大使館を再開しているが、アメリカのイランにおける利益代表は在テヘランのスイス大使館が担当しており、アメリカにおけるイランの利益代表は、在ワシントンのパキスタン大使が担当している。何とか正常な外交関係を確立しもらいたいものである。 

ともあれ、イランと日本は歴史的にも良好な関係にあり、しかも、地政学的にも重要な中近東の大国・イランとの関係改善のためには、このような民間レベルの交流は非常に重要で、更に活動を活発化したいものである。

**************


以下、安倍昭恵氏の基調講演です。

D安倍総理夫人も社会貢献支援財団会長として基調講演を行いました.jpg
講演する安倍昭恵会長


サラマレーコン
みなさま、おはようございます。
社会貢献支援財団会長安倍昭恵でございます。
本日は、ジャヒーンドフト・モーラヴェルディ・イラン・イスラム共和国女性・家庭環境担当副大統領閣下およびマースーメ・エブテカール・イラン・イスラム共和国副大統領兼環境庁長官殿がご列席されている本国際シンポジウムにお招き頂き、心より御礼申し上げます。

C女性についてのシンポジウムだけに、参加者も女性が圧倒的に多かった.jpg
参加者は圧倒的に女性が多かった


主人の安倍晋三も常々イラン訪問を希望しておりますため、私自身が、今回このイランを訪問させて頂きましたことを大変嬉しく思います。また、本シンポジウムの開催にご尽力下さいましたイラン女性省、イラン外務省、国際問題研究所及び笹川平和財団の皆様に、敬意を表するとともに、心より感謝申し上げます。

イランと日本は、1500年以上前からシルクロードを通じての交流があり、この長い歴史の中で一度も紛争に至ることなく、友好な関係を築いてきました。日本人として、両国の友好関係を誇りに思うとともに、大変嬉しく思います。

また、イランは、イスラム教下において、女性の地位向上のために様々な取組をされている進歩的な国家であると伺っております。私も、1人の女性として、女性の社会的地位向上、女性が働きやすい環境作りのため、様々な活動に取組みながら、女性の活躍を応援しています。本日は、私自身の活動等を通じて考える「社会における女性の役割」について、お話させて頂きたいと考えております。

皆様ご存知の通り、2011年3月11日に、日本は1000年に一度の大地震と津波に見舞われ、甚大な被害を被るとともに、沢山の尊い命を失いました。いわゆる東日本大震災です。この地震のために、関東、東北の太平洋側の広い地域において、交通機関やライフラインが一時的に遮断されました。そのため、私が暮らしていた東京都内においても、食料が手に入らなくなるのではないかという不安が広がり、都内に暮らす人々が大量に食料を買い込み、一時都内のスーパーマーケットなどに食料が無くなるという事態が生じました。私は、このような状況を目の当たりにして、人々の生活において、如何に「食」が重要であるかを改めて認識するとともに、緊急の事態が生じた場合においても、日本国内に食料が安定的に供給できる仕組みが必要と認識しました。

私は、「食」をどのような場面においても安全・安心に提供するためには、農作地が豊富な地方において、安定的に農業を営むことが必要不可欠であると考えています。しかしながら、日本の農業は、農業従事者の減少・高齢化などの理由から、安定した農業を営むことが難しくなりつつあります。このような状況を少しでも改善できればと、私自身も東日本震災後に主人の選挙区である山口県において、こだわりのあるお米作りを行うようになりました。自ら農業に携わると、同じような思いを持つ農業従事者とのネットワークが広がり、最近では、若い女性が、環境にも健康にも良いこだわりのある食材を生産するなどの事例も耳にするようになりました。

昔から、日本のみならずイランや世界各国において、女性が家庭での食事を用意する役割を担ってきました。家族の健康を考えながら、その土地で収穫できる食材を上手く活用した美味しい料理を作り、家族を支えてきたのは、まさしく女性です。私は、このように、家族が口にする食材を厳しい目で判断してきた女性が、自ら農業に従事することによって、安全・安心な食材を生産するとともに、安定的な農業が営まれ、ひいては今後の日本の「食」を支えて下さるのではないかと期待しています。

次に、私は、環境問題、特に、四方を海に囲まれ、海の恵みによって生かされている日本人として、早急に海洋環境の問題に取組む必要があると考えております。近年人間による海洋環境への負荷や海洋資源の乱獲の結果、海洋の自然回復力が低下し、海洋生物資源や生態系が絶滅の危機に瀕しています。しかしながら、海洋問題への対応は、気候変動などの環境問題と比して、条約などの枠組みもなく、対応が遅れています。私は、このような状況を改善させるため、この問題を世界に広く認知してもらい、国・地域を超えて解決策を共に考えるフォーラムの開催を検討している団体を応援したいと考えています。このフォーラムは、複数の組織の女性が中心となり、国・地域・組織間の枠組みを超えた海洋問題解決を検討する場を提供することを目的として現在進められています。

イランも豊かな海の恵みを享受されておられ、石油資源を世界へ輸送する手段としても海を活用されておられますので、この海洋問題に早急に取組まなければいけないことをご理解頂けると信じております。この場をお借りして、イランの皆様にも、この海洋問題をご理解頂き、ご協力頂ければと考えております。そしていつの日か、イラン、日本のみならず、世界各国が手を取り合い、海洋問題解決に取り組んで頂くことを希望します。

日本の社会は、これまで男性が中心となってピラミッド型の縦社会構造を確立させ、各々が、国益又は自らの利益のため、縦社会内において自らの役割を果たしてきました。しかしながら、皆様もご存知の通り、国益を優先させる縦社会の構造は、自らの国益を優先させる必要があることから、国益と国益がぶつかり合い、結果として、世界平和ではなく、戦争をもたらしました。私は、真の世界平和をもたらすためには、男性が作り上げた国益最優先のピラミッド型縦社会ではなく、生命を産み繋いでいく女性が、この縦社会という枠組みを超えて、横の繋がりを作っていく役割を担うことが必要なのではないかと考えています。そのために、まさにこれから女性の活躍を推進していくことが必要不可欠ではないでしょうか。真の世界平和のため、世界中において女性が活躍できる社会が確立されることを期待します。

今回日本側の主催者であります笹川平和財団は、毎年、国際関係学院の外交官候補生を約10名、これまで合計56名の学生を日本へ招聘され、イランの若い世代に日本への関心を高めてもらうための事業を実施されていると伺っています。このような取組みがあってこそ、これまでのイランと日本との友好関係が構築されたのだと思います。今後は、本事業に女性も参加頂きながら、イスラム社会における女性活躍を推進頂くとともに、イランの若者が日本に対し好印象を頂き、近い将来、イランと日本両国の架け橋としてご活躍されるきっかけとなりますことを期待しています。

最後に、本シンポジウムを通じて、イラン及び日本の友好関係の進展、相互における女性の社会進出促進が前進、そして本日お集まりの皆様のご健勝・ご多幸を心より祈念して、私のお話を終わらせて頂きます。

本日は、ありがとうございました。

***************


以下、笹川の開会スピーチです。

Aシンポジウムにて開会挨拶.jpg
シンポジウムで開会挨拶


モラヴェルディ女性・家庭環境担当副大統領、エブテカール副大統領兼環境庁長官、安倍昭恵社会貢献支援財団会長、ご列席の皆さま。本日はようこそおいでくださいました。イランと日本両国から多くの方々にご出席いただき嬉しく思っております。

私たち日本人にとって、イランは古い友人です。シルクロードの終点であり8世紀に日本の都だった奈良を訪れれば、皆さまは多くの古代ペルシャの芸術品に出会うことでしょう。これらの芸術品は千年以上前に日本にもたらされたと言われており、そのいくつかは国宝に指定されています。このことからも、遥か昔から日本ではイランの文化が高く評価されていることが分かり、その影響を今なお、日本の文化や芸術の中に垣間見ることができます。

今回、私は40年ぶりにイランを訪れました。当時と今では状況が大きく変わっていると思いますので、その変化をこの目で見ることを楽しみにしています。

さて、私が会長を務める日本財団は50年以上前に設立されました。より良い社会を目指して幅広い活動を行っている民間団体です。またこのシンポジウムの共催者である姉妹財団の笹川平和財団は、世界の平和と安全、そして様々な問題解決を目指して活動しており、イランと日本二国間における相互の信頼と理解を促進するための事業もいくつか行っています。

具体的には、イラン外務省附属のイラン国際問題研究所と協力し、外交問題を議論する「日本−イラン会議」や国際関係学院の研修生を日本に招へいする交流事業があります。

「日本−イラン会議」は2010年からほぼ毎年、東京とテヘランで交互に開催してきました。この会議は政府関係者、研究者や学者などが国際的に重要な問題を議論する場です。2014年にエブテカール副大統領が来日された際には特別講演をお願いし、副大統領の平和や環境問題に対する考察をお話しいただきました。本日の特別講演でもさらにお話が聞けるのを楽しみにしております。

本日のシンポジウムは、笹川平和財団が新たに企画している様々な事業の一つで、イラン大統領府女性局、イラン国際問題研究所、そして笹川平和財団の三団体の共催で行われます。テーマは「女性と平和と持続可能な開発」です。平和と持続可能な開発とは、社会を構成するそれぞれの人たちが支持することで初めて実現されるものであるため、このテーマは非常に適切だと思います。本日は、特に女性の視点や役割に焦点を当てて議論が行われます。

近年、世界各国は女性が能力を発揮できるような環境の整備に取り組んでおり、このことが、持続可能な成長や発展の実現に貢献することになるでしょう。女性は既に多岐にわたる分野で活躍しており、家庭、保健、教育、ビジネス、政治など、社会の様々な分野で、重要な役割を果たしています。

日本においても、今まで以上に女性が果たす役割はますます重要になってきており、政策の大きな柱として位置づけてられています。イランでも同様に、社会における女性の活躍について大きな関心が寄せられています。国によって文化や状況は異なりますが、私たちはそれぞれの事情に合わせた対策を検討しているところです。

ところで本日はご多忙の中、この会議の重要性をご理解され、安倍昭恵さんがご出席くださいました。安倍さんは社会貢献支援財団という日本のNPOの会長を務められています。彼女は世界中、特にアジア各国を訪問して、グラスルーツでより良い社会を作るために活動をしている方たちを積極的に発掘して顕彰する活動をされています。社会貢献支援財団では、その活動を通じて社会貢献の意識を高めようとされています。

今日の会議では、安倍さんに加え、様々な分野からスピーカーやパネリストをお迎えしています。社会における女性の役割についての実り多い議論を期待しています。

最後に、笹川平和財団は、長期的な視野に立ってイランとの二国間の交流を継続してまいります。

ここでの私たちの議論や今後展開する事業が、平和と持続可能な発展に資する対話をもたらすことでしょう。

ありがとうございました。

***************


最後はイランの小話です。

イランの田舎での出来事ですが・・・

ある家の奥さんが歯痛で苦しみ、村の長老がまじないをしたり薬を飲ませても痛みは取れない。

困った長老は、夫に抱いてやれと言ったら、不思議なことに、途端に歯痛は治ってしまった。

以来、村の全ての奥さんは、歯が痛いと言い出したそうだ。

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6月26日(日) [2016年06月26日(Sun)]
6月26日(日)

11:00 成田発

15:40 ミャンマー・ヤンゴン着

17:00 要人面談 於:在ミャンマー日本大使館
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「ミャンマー出張」 [2016年06月24日(Fri)]
「ミャンマー出張」


26日の日曜日から1泊でミャンマーに出張いたします。

ミャンマー国民和解日本政府代表としての仕事です。
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「ちょっといい話」その70―ホームホスピス われもこう― [2016年06月24日(Fri)]
「ちょっといい話」その70
―ホームホスピス われもこう―


ホームホスピス「われもこう」(竹熊千晶理事長)は、熊本市内に2カ所ある。昨年初めて訪れたが、その後地震でどうなったのか心配で、熊本市長に救援活動の報告の後、寸暇を惜しんで慰問に訪れた。

屋根瓦の損傷が激しく、見積もりでは2000万円ほどが必要だと竹熊さんは顔を曇らせたが、「皆さん、怪我はなかったですか?」との問いには「全員無事で何とかやっております」と、少し微笑んで下さった。

地震の被害は大きくなかったとはいえ、屋根瓦が剥がれて室内に雨漏りがするとのこと.JPG
屋根にはブルーシート
地震の被害は大きくなかったが、屋根瓦が剥がれて雨漏りが・・・

地震後、多くの支援物資が届いたと、竹熊千晶理事長が説明してくださいました.JPG
地震後、多くの支援物資が届きました!


大きな屋敷の中では9人の患者さんが生活しており、台所で介護の女性たちと楽しそうに談笑している方、安堵した安らかな顔で眠りについている方もいた。

われもこうには現在9名の入所者の方がいらっしゃいます.JPG
家庭にいるような雰囲気の中で・・・


昨年訪れた折には、この家をホームホスピスとして提供したおばあさんが、病を得てまたこの家に戻り、仏間で安心したように静かに寝ている姿が印象的だった。人さまの終末医療に自宅を提供した積善の方が、自らも病のために自宅に戻られ療養している姿は、何とも心温まる思いがした。一年振りにお元気で再会できたことも嬉しいことでした。

多くの終末期に近い患者は、自宅、又はこのような家庭的な雰囲気のホームホスピスを希望されるという。日本財団では、自宅での療養を希望する患者さんを支える在宅ホスピスケアの実践者を養成するプログラムを実施している。看護師、介護士などケアの専門家である彼らの意欲は高く、既に40名が受講を修了して各地で活動を開始している。日本財団では、研修中の生活費は勿論、起業に必要な費用も助成している。

また、ホームホスピス用として篤志家から提供された家屋などの改装費に、この3年間で34件、4億2900万円を提供してきた。

この活動を全国に拡げ、一人でも多くの高齢者が終末期をこのような家庭的な心温まる環境で迎えられるように活動を強化していきたいと、努力を続けているところである。
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