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日本財団会長 笹川陽平ブログ

写真:ハンセン病の現場から「アフリカ・ピグミー族」

leprosy.jp
resize.png日本財団はハンセン病の差別撤廃を訴える応援メッセージサイト「THINK NOW ハンセン病」を開設。皆様からのメッセージを随時募集・配信しています。
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「中曽根康弘元首相」―白寿の祝い― [2017年06月26日(Mon)]
「中曽根康弘元首相」
―白寿の祝い―


5月15日、キャピトル東急ホテルで中曽根康弘元首相の「白寿の祝い」が催された。何故か理由はよくわからないが、5人の発起人の末席に名を連ね、何の手伝いをすることもなく、出席させていただいた。

多少御御足(おみあし)は弱られたようではあるが、最近、憲法に関する本も出版され、言語明瞭で、日本国の有り様について気迫のこもった挨拶をされた。

無題.png


友人を代表して、読売新聞代表取締役主筆の渡邉恒雄さんが挨拶され、「白寿は通過点。皇寿まで長寿を」と、珍しい言葉を使って挨拶された。

そこで「皇寿」とはと調べてみたところ、数え年111歳(満110歳)を皇寿と言うことが分かった。

皇の字を分解すると、百の字から一を取ると白寿、数え年99歳となる。したがって皇寿は白の99と王は上下の一と十とに分解されて十二となり、99+12=111歳が皇寿と言うわけである。

ちなみに、節目の祝いの言葉は下記の通り。
数え年   満年齢   お祝いの名称
61歳    60歳    還暦
66歳    65歳    緑寿
70歳    69歳    古希
77歳    76歳    喜寿
80歳    79歳    傘寿
88歳    87歳    米寿
90歳    89歳    卒寿
99歳    98歳    白寿
100歳    99歳    百寿
108歳   107歳    茶寿
110歳   109歳    珍寿
111歳   110歳    皇寿
120歳   119歳    大還暦(還暦の2倍)
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6月23日(木) [2017年06月23日(Fri)]
6月23日(木)

12:10 財団着

13:50 梶田 功 元箕面市長

14:10 「ソーシャルイノベーター」事業打合せ

14:40 ミャンマー関連事業打合せ

15:00 寺島紘士 笹川平和財団常務理事

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「中国の小話」その129―心の平安を保つには― [2017年06月23日(Fri)]
「中国の小話」その129
―心の平安を保つには―


朝は米国を憎み、昼はフィリピンを憎み、午後は日本を憎み、夕方は韓国を憎む。
そして、夜は中国の夢を見る。(チャイナードリーム)

※「チャイナドリーム」とは、習近平主席の指導による中華民族の偉大な復興を実現させ、国家が良ければ民族も良いということで、中華民族の偉大な復興を実現させるのは、近代以来最も偉大な夢であるというものです。
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6月22日(木) [2017年06月22日(Thu)]
6月22日(木)

7:25 財団着

9:00 「遺贈寄付」打合せ

9:45 トルコ共和国 メヴリュット・チャヴショール外務大臣

面談 二人.jpg
メヴリュット・チャヴショール外務大臣


11:00 らい予防法による被害者の名誉回復及び追悼の日 於:厚労省

午後 事務所引越しのための書類整理
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6月21日(水) [2017年06月21日(Wed)]
6月21日(水)

7:30 財団着

8:30 潮田政明 日本モーターボート競走会会長

13:30 国際協力援助金事業打合せ

15:00 笹川平和財団第5回投資委員会

16:30 ベトナム出張打合せ
 
19:00 日本音楽財団主催
    ベンジャミン・ベイルマン ヴァイオリンリサイタル
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「マラリアの話」 [2017年06月21日(Wed)]
「マラリアの話」


私の終生の活動は世界のハンセン病制圧活動で、この活動のためには自ずと世界の僻地を訪れる回数が増えてくる。かつてハンセン病は、ヨーロッパやロシア、カナダなどの寒冷地でも発生したが、今は熱帯地方が中心である。

熱帯地方は感染症のデパートといってもよく、さまざまな奇病もある。圧倒的に多いのはマラリアであるが、幸い私を含め、今まで日本財団でこの病気にかかった者はいない。私など、数百回も熱帯地域で彷徨したのに何の病気にもかからなかったのは奇跡に近い。知人でフランス在住の女性が、アフリカから帰国直後に三日マラリアにかかり、命を落としたことがある。熱帯諸国では乾季が終わり、マラリアやデング熱が発生する雨季に入った。これから訪問を予定している諸国にはあまり知られていない熱帯病が18もあり、気を引き締めて活動しなければならないと覚悟している。

ところで、マラリアはどのような経過をたどるのか不明な点が多かったが、日本科学協会の笹川科学研究助成を受けられた大石高典氏が、京都大学学術出版会から出版された「民族境界の歴史生態学」の中の156〜160ページに、自らのマラリア罹患について、貴重な体験記が書かれているので抜粋して紹介したい。

以下、大石高典氏のマラリア体験である。

***************


マラリアは、毎年数百万もの人間の命を奪う恐ろしい病だが、この病気の発熱時や、治療投薬後に、幻想、妄想や幻聴がみられることがあることはよく知られている。2002年から2003年への年越しの夜、熱帯熱マラリアの初めての罹患時に、私はメフロキンという悪名高い薬を投薬されたこともあり、激しい幻聴と幻覚を経験することになった。それは、具体的にはどういうものかというと、重力感覚が通常の方向に一定せず、ズキズキと痛む後頭部の奥の方からタコ糸で砲丸をぶら下げられ、それがブランブランと振り回されるような重力感覚であったり、会ったことのあるようなないような男から耳元で訳のわからないことを執拗に囁かれたり、衣服を着ているのに裸でいるような感覚になったり、といった変な夢をみることであった。

マラリアの症状としては、一般に発熱や嘔吐、頭痛、痙攣などが知られているが、血液中にマラリア原虫が増殖して、脳内にまで侵入するようになると(脳性マラリア)、意識障害や生命の危険が生じる。マラリア原虫(Plasmodium spp.)は、最初は指先の毛細血管から、そしてそこから身体の中心に向かって血管を埋めていく。詰まった部分は血行が妨げられて冷たくなっていく。その部分はむろん動かない。経験者から聞き知っていた話ではあったが、実際にわが身にそれが起こり始めると、大変慌てた。いくつかある特効薬のうちどれかを飲めば治るはずだと思い込んでいると、たまに効かないことがある。

2004年4月に、アフリカのカメルーンの村から50kmほど離れた森の真っただなかのキャンプ地で発熱した。4日間投薬規定どおりの治療を終えたあとに、おもむろに襲ってきた嘔吐、貧血、それに続く痙攣、当然起き上がっては居れず、テントの中に横になるが、赤ちゃんを仰向けにしたような丸まった格好で、両手両足を胴体にひきつけ、身体全体がきしみ始める。マラリアは何回もやっていたが、これはヤバいと直感する。一緒にキャンプに残ってくれていた少年に、大きな声で漁に出ている仲間を呼び戻してくれるように頼んだ。手指、足指が冷たくなり爪が反対側の皮膚に喰い込んでくる。喰い込んだ指が、もう誰にも引き剥がせない。それから、あれよあれよという間に冷たくなっていく部位が広がっていく。気がつくと、呼吸が荒くなっている。胃や腸など内臓にも絞られるような締めつけと痺れを感じる。友人たちを連れて戻ったきた少年は、あられもない恰格で転がっている私をみて激しく泣き出した。あとで聞くと、「こりゃアカン、死んでしまう。」と思ったのだという。友人は,「死ぬことはない。マラリアはこんなものだ。大丈夫だ。というが、その彼の声のトーンが落ち着いてはいなかった。意識がなくなったら終わりだと思った私は、遺言をいうから書き留めてくれ、と頼んだ。日本にいる家族へお礼と侘びの言葉、研究ノートを無事に村にもって帰ってくれ、親しい友人に伝えてほしい言葉、などを短かなフランス語で途切れ途切れに繰り返し、書きとってもらった。(これらの言葉は、私が最も近くの地方都市の病院にたどり着き、約1週間後に村に生還した時にはほぼすべての村人に知れわたっており、しばらくの間は子供らがまるで「歌のように」して囃し立ててくれたために、とても恥ずかしい思いをした。「ジャポネの遺言」はずいぶん後まで、なにかの機会にもち出され、私はアフリカで軽々しく「遺言」なんて残すものではないことをまざまざと学ぶ結果となった。村人にとっては「科学研究」という名目で居候する私という人間の「凡庸さ」がこの一件でよくわかったようだ。

自分の身体が―結果として一時的に終わったにせよ―部分的に死んでゆき、それが次第に、早い時には1分間に数cmずつ脳へ心臓へと攻め上ってくるのがはっきりとわかるというのは、単純に恐いものだ。とくにひどい貧血で眼がみえなくなってきたりするのが心細く、「死にいたる」であろうまでの《現世》を感じられる時間がとても貴重に思われた。人間なんといっても、痛かろうと苦しかろうと、感じ、考えられるうちが華だと、そう痛感した。と同時に、その時ばかりは、それまでに眼前で、知り合いの村人が亡くなってゆくのを、なすすべもなく見守っていたときの、荒々しい呼吸がある以外に、彼はすでに眼もみえず、声をかけても反応しない―おそらくそのような「ノイズ」は聞こえていない―状態で、死に至る最後の痙攣が波状的に襲ってきて、忽然と呼吸が途切れる、というような死にざまを目にしていただけに、自分も同じように看取られるのかと妙に客観的な形でも死を意識した。そのような諦念と執念の入り混じった覚悟の直後、幸いにして意識が遠くなる前に薬箱のなかに4錠だけ残っていた他の1種類の特効薬がみつかり、結果としてそれを吐き出すことなく咀嚼できたことにより、私は村まで、病院まで行き着くことに成功した。人指し指からとった血液を調べた結果、診断は熱帯熱マラリア原虫と三日熱マラリア原虫のダブル感染であり、進行状況は脳性マラリアの初期段階だった。蚊帳も蚊取り線香もない、やはり蚊だらけの病室で、私はキニーネを静脈注射してもらいながら3日間眠った。

マラリア原虫は肉眼にはみえないが、身体のなかで、血液中に確実に殖える。顕微鏡でみせてもらった染色された血液塗抹標本には、まぎれもないそれがうつっていた。「寄生」関係などと教科書で習っても、あるいは野外で冬虫夏草をみても、なかなか身体感覚的な理解には至らないが、実際に、そのセンチュウのような形状のもの(原虫)が体内で殖え、その結果が自ら触ってわかるという体験は、みえないはずのものが感覚としてみえるようになる、という意味で新鮮なものだった。上述の如く、自らの身体が空間的な連続性をもちながら徐々に仮死していくのを感じるということは、死ということが自分の肉体にも起こりうるという当たり前のことを初めて実感として知ることになった経験だった。「ここまでは死んでいるが、ここからは生きているぞ」と、モノとしての自分の発見である。

マラリアはハマダラ蚊を媒介とする伝染病であり、村のような人間が密集した共同体では、誰かが発症すると、次から次へと雪崩式に罹患発症してゆく。マラリアは乾季から雨季へ、雨季から乾季への変わり目に発症しやすいようだ。発症している人は、手足や唇がぶるぶる震えていたりするので、すぐわかる。
以上

※日本人の海外旅行者は増加の一途をたどっている。マラリアは薬を飲めば治ると軽く思わないでほしい。日本では熱帯病の診療病院は少ない。2006年8月21日のブログでマラリア対策について紹介したことがあるので参考にしてもらいたい。
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6月20日(火) [2017年06月20日(Tue)]
6月20日(火)

7:25 財団着

8:00 「社会的投資推進財団の進捗報告と今後の方針」打合せ

9:00 南里隆宏 笹川記念保健協力財団常務理事

13:30 日本音楽財団楽器貸与者 Mr. Benjamin Bailman

午後 社内打合せ

18:00 退室
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6月19日(月) [2017年06月19日(Mon)]
6月19日(月)

7:20 財団着

終日 書類整理、打合せ

17:00 退室
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「パウロ二世と立川談志」―神はいるか?― [2017年06月19日(Mon)]
「パウロ二世と立川談志」
―神はいるか?―


先般、古い知人の映画監督・山本晋也氏がおいでになった。亡くなられた三浦朱門氏が日本大学芸術部で教鞭をとられた折の第一期生であった由。しばし先生の思い出話の後、最近の私のバチカンでのハンセン病会議の成果の話の中で、パウロ二世のことが話題となった。

山本監督は突然「私はパウロ二世にお会いしたことがあります」と話し始めた。

ヨハネ・パウロ2世はポーランド出身の第264代ローマ教皇で、史上最初のスラヴ系教皇であった。世界平和と戦争反対の呼びかけのため世界各地を訪れ、「空飛ぶ教皇」ともいわれ、27年の長きにわたり勤められた方である。

「監督は朱門先生と同じカトリックですか?」
「いや違います。かつて落語家の立川談志とイタリア旅行に行った時、バチカン近くのレストランで二人で食事をしていたところ、突然談志が「奥にいる僧さんはパウロ二世だぞ。お前、神は本当にいるか聞いて来い」と厳しい口調で命令されたので、仕方なく通訳と共に恐る恐るテーブルに近づき、「教皇さま、神は本当におられるのでしょうか?」と聞いたそうだ。教皇さまは一瞬見なれぬ異邦人に驚かれたようだったが、口元に少し笑みを浮かべて「あなたにとって神がいた方がよいのかいない方がよいのか、どちらですか?」と問いかけられ、監督あわてて「いた方がよろしいです」と返答したところ、教皇さまは「それが答えです」と言って、フォークとナイフを手に食事を続けられたそうだ。

レストランに教皇さまがおいでになるとは信じ難いし、談志が本当にパウロ二世のお顔を知っていたかははなはだ疑問ではあるが、いい話ではある。
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6月16日(金) [2017年06月16日(Fri)]
6月16日(金)

8:10 東京発

11:27 岡山着

11:45 岡山市民文化ホール着

12:00 昼食

12:10 竹下景子氏

12:30 長島愛生園・中尾伸治自治会長、石田雅男・懐子副会長夫妻

13:00 山陽テレビ放送60年特別シンポジウム
    「ハンセン病療養所 世界遺産に向けて〜疫病差別と隔離政策の過ち〜」での特別講演

山陽放送の特別シンポジウムにて特別講演.JPG
山陽放送の特別シンポジウムにて特別講演

「世界のハンセン病の現状」についてお話しさせていただいた.JPG
「世界のハンセン病の現状」についてお話しさせていただいた


14:30 山陽放送インタビュー

山陽放送のインタビューを受ける.JPG
山陽放送のインタビューを受ける


15:08 岡山発

18:30 東京着
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