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「ちょっといい話」その111−日本音楽財団の楽器貸与事業− [2019年02月15日(Fri)]
「ちょっといい話」その111
−日本音楽財団の楽器貸与事業−


姉妹財団の日本音楽財団がストラディヴァリ製バイオリンなど世界最高峰の弦楽器を内外の若手演奏家に貸与する事業を1994年に開始して四半世紀が経過し、今や世界の音楽界に広く知られる事業となった。

これを受け日本音楽財団では貸与期間を最高7年以内とするなど運用方法を見直し、3月の1ヶ月間、世界で6セットしか存在が確認されていないストラディヴァリ製カルテットのほかバイオリンとチェロ計4挺の貸与申請を受け付けるという。1人でも多くの若者が名器に触れ、さらに音楽文化の振興と普及に貢献する事業に発展してほしいと思う。

日本音楽財団は現在、ストラディヴァリ製のバイオリン15挺、チェロ3挺、ビオラ1挺、グァルネリ・デル・ジェス製バイオリン2挺を保有し“世界の文化遺産”といった有難い評価もいただいている。うち1735年製のストラディヴァリ製バイオリン「サマズィユ」は東京都内の篤志家のご寄付と日本財団の助成を基に一昨年夏に取得した。

フランス・サマズィユ家が保有したことでこの名が付けられ、昨年8月から1年間、世界で活躍するバイオリニスト竹澤恭子さんに貸与され、デビュー30周年の記念リサイタルで演奏されている。この一環として3月5日に日本音楽財団が東京・銀座の王子ホールで開催するピアニスト江口玲氏とのデュオ・リサイタルでもベートーベンのバイオリンソナタ第9番「クロイツェル」など5曲が演奏される。

リサイタルの売上金は全額、昨年7月の西日本豪雨災害で被災した岡山県の「倉敷市マービーふれあいセンター」に寄付されると聞く。センターは3.5メートルの高さまで浸水、音楽機器が故障したほか天井の一部が落下するなど深刻な被害を受け、20年12月の復旧に向け復興作業が続いている。

思い起こしてみれば、日本音楽財団は2011年3月の東日本大災害で名器「レディ・ブラント」を楽器オークションとしては史上最高額の11億6千万円で売却、日本財団が寄付を受け、被災地の「地域伝統芸能復興資金」として流失した神輿や太鼓、神社の復興・再生に活用し、感謝された。

楽器の貸与先は最終的に「楽器貸与委員会」(会長:原田幸一郎・桐朋学園大教授)で決まるが、日本を拠点に演奏活動をする若手演奏家に「3年以内」、「1年以内」といった短期の貸し出しも検討されるという。幅広い人により親しまれる事業になってほしいと願ってやまない。


バイオリン:音楽財団.jpg
1735年製ストラディヴァリウス「サマズィユ」(日本音楽財団提供)



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【私の毎日】2月14日(水)ミャンマー [2019年02月14日(Thu)]
2月14日(水)ミャンマー

7:00 朝食

10:00 ホテル発

11:30 ヤンゴン発

12:20 ネピドー着

13:00 丸山市郎在ミャンマー日本国特命全権大使との昼食

14:30 ホテル着

17:00 チョー・ティン・スエ国家顧問府大臣

チョー・ティン・スエ国家顧問府大臣.JPG
チョー・ティン・スエ国家顧問府大臣


18:30 チョー・ティン・スエ国家顧問府大臣夕食会
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「ハンセン病制圧活動記」その49―インドネシア― [2019年02月14日(Thu)]
「ハンセン病制圧活動記」その49
―インドネシア―

星塚敬愛園機関誌『姶良野』
2019年1月号

WHOハンセン病制圧特別大使
笹川陽平

昨年2017年11月11日から16日の6日間、インドネシアの首都ジャカルタと北東部のゴロンタロ州を訪問した。この半年で2回目の訪問である。インドネシアにおけるハンセン病の新規患者数は16,826人(2016年)で、この数はインド、ブラジルについで世界で3番目に多い。2000年にWHO(世界保健機関)の制圧目標(人口1万人に1人未満になること)は達成しているが、現在、州レベルでは全34州のうち12州がこの水準を満たしていない。今回は、未制圧州であるゴロンタロ州で、ハンセン病対策の視察を行うとともに、ジャカルタでは副大統領や州知事と面談してハンセン病対策の強化を要請した。

日本からジャカルタを経由し2日がかりでスラウェシ島にあるゴロンタロ州に到着した。活動初日は朝から地元のラジオ局でのトークショーに出演した。ガラス張りのスタジオには、司会者、保健局のアリフ医師、ハンセン病回復者団体「ペルマータ」のアル副代表、筆者が入った。司会者の軽快な声とともに番組がスタートし、アリフ医師がゴロンタロ州におけるハンセン病の現状を説明した。私からは、世界のハンセン病事情を紹介し、「みなさんが怖い病気だと思っているハンセン病は実はそれほど怖いものではありません。もし、皮膚に白い斑紋を見つけたらすぐに病院に行ってください。薬も無料で、障害が残らずに治りますよ。ラジオを聴いている皆さん、家族でチェックをしてください」と訴えた。アル副代表は6歳のときに発病したが恥ずかしくて病院に行かなかったため、手に障害が残ってしまった自らの経験を語り、早く病院に行くことの大切さを訴えた。つくづく当事者自身の話は、説得力があると感じる場面である。この番組の特徴はリスナーからの質問を受ける時間があることだ。質問の中には「患者と一緒に食事をすると感染するのか」といった誤解に基づく質問もあり、1つ1つ丁寧に答えた。これまで、外国のテレビやラジオのトークショーには何度も出演する機会を得ているが、地域住民の率直な疑問に答える番組は初めてで、画期的だと感じた。今後はこうした機会を増やしていきたい。

写真@ラジオ番組に出演。筆者隣がアル副代表.JPG
ラジオ番組に出演。筆者隣がアル副代表

午後には、ハンセン病患者を診察する病院を訪れた。頭にはイスラム教特有の白い「ヒジャブ」という布を被り、清潔感のある白い制服の看護師達が迎えてくれた。雨季であるはずなのに太陽が肌を刺すように暑く、中庭にはサボテンが生い茂り、近くで咲く真っ赤なハイビスカスとのコントラストはまさに南国特有の原色の風景である。ここは1942年に旧日本軍が武器庫として建設した後、ハンセン病専門病院として使用され、現在では一般診療も行う地域の総合病院として年間17,000人の患者が訪れている。

病院の裏には回復者の住む黄色い壁の古い建物があった。私を迎えてくれた回復者1人1人を抱きしめ、挨拶を交わした。そばにいた地元のメディアに、「これまで数千人の人と握手し、抱擁を交わしたが、ハンセン病には罹らなかった」と語りかけ、ハンセン病がうつりにくい病気であることを説明した。次に花柄のヒジャブを被った年配の女性に、「お母さん、調子はいかがですか。私と握手したら、100歳まで生きられますよ」と冗談を言うと、素敵な笑顔を返してくれた。道を挟んだ向かい側には田んぼが広がり、草を食んでいる牛の傍には、藁葺き屋根の小屋が並んでいた。小屋はレンガ火鉢を作る工場として使われていた。火鉢を売ることで彼らは現金収入を得ているのだそうだ。

写真A病院の裏に住む人々と交流.JPG
病院の裏に住む人々と交流

夜はTVRIというテレビの生放送に出演することになった。地元保健局の担当者、回復者団体のアル副代表と私が参加し、午前中のラジオ同様に司会者の進行で視聴者の質問に答える形式の番組であった。まずハンセン病について保健局の担当者が説明し、続いて私は病気だけでなく差別の問題も同時に解決しなければいけないことを伝え、そのことを両輪がうまく回らないとバイクは動かない事を例えに、前輪を病気の問題、後輪を差別の問題として説明した。視聴者からは「ハンセン病になったらどうすればいいのか」や、「ハンセン病患者が妊娠したが生まれてくる子供に問題はないか?」などの質問が寄せられたことに対し、ハンセン病は遺伝する病気ではなく、簡単にはうつらないことを強調した。視聴者とのやり取りを通じて、病気に対する誤解がまだまだあることに愕然とした。

写真Cその場で質問を受けるテレビ生番組に出演.JPG
その場で質問を受けるテレビ生番組に出演

2日目、リンボト小学校で試験的に行われているハンセン病の啓発活動を視察した。幹線道路沿いにあるこぢんまりとした学校の校庭には、200人ほどの児童が目をキラキラさせて私たち一行を歓迎してくれた。私は、「両親からハンセン病は怖い病気と言われているかもしれないが、薬があるので治るようになったと家に帰って話して欲しい」とお願いすると、大きな声で「約束します」と答えてくれた。彼らが帰って家族に正しい知識を伝えてくれることを願い、学校を後にした。

写真B配布されたハンセン病に関するリーフレットを熱心に読む小学生たち.JPG
配布されたハンセン病に関するリーフレットを熱心に読む小学生たち

学校から車で10分ほどのところに回復者が住んでいるというので訪れた。火事で廃墟のようになったイスラム教寺院に住む一家で、夫と死別した母と子供3人が、1週間前に別の州から引っ越して来たばかりという。母親は病院に行くのが遅れたために、左手には障害が出ていた。2ヶ所目は、入り組んだ住宅街の奥に住む高齢の女性で、一度薬を飲んだが副作用が苦しくて途中でやめてしまったために、再発したという。女性のかたわらにいた「大工になるのが夢だ」と言う孫に、私からおばあさんがちゃんと薬を飲むように見ていて欲しいとお願いした。

3日目、出張の最終日は、ジャカルタで要人との面談で、最初にアニス州知事とお会いした。アメリカで教育を受けた若手気鋭の政治学者から政治家に転身し、次の大統領の有力候補とまで言われている。知事には、インドネシアでのハンセン病対策の強化を要請することに加え、ハンセン病回復者団体「ペルマータ」の認知度を上げることだった。そのため、「ペルマータ」のパウルス代表とアル副代表にも会談に同席してもらい、直接彼らの話を知事に聞いてもらった。会談のあと予想を超える数のテレビや新聞社がこのことを報道してくれたことも大きな収穫だった。ハンセン病対策はメディアの協力が欠かせない。我々の活動を報道してくれ有難いことであった。

ジュスフ・カラ副大統領との面談は、2005年にマラッカ・シンガポール海峡の安全確保とハンセン病対策への協力を要請した時以来となる。 副大統領は、海運会社のオーナーであり、ハンセン病蔓延地域のひとつマカッサル出身でもある。私は、「病気が治っても酷い差別が残っているインドネシアのハンセン病を根絶したい。そのため、最重要国として、できるだけ多く訪問したい」と強調した。副大統領は、「私の故郷もハンセン病が蔓延し、昔は多くの施設があった。あなたの活動に心から感謝する」と労ってくれた。

最後に、日本財団が10年に渡って支援している義手や義足を作る義肢装具士養成学校を訪れた。毎年15〜20人の義肢装具士を養成している。来年夏には支援を終え、インドネシア政府にすべての運営を引き継ぐことになっている。卒業生は東南アジア諸国をはじめ海外でも活躍している。私達の訪問を、全校生徒に加えて、卒業生までもが歓迎してくれた。印象的だったのは、「ペルマータ」のアル副代表が義足の製作過程や、リハビリの様子を熱心に見ていたことだった。ハンセン病患者・回復者の中には義足を必要とする人も多く、仲間のために学んで帰りたいという気持ちが痛いほど感じられた。彼は、今回の全行程に同行し、「ペルマータ」を全国組織にしていくことを目標にしたいと言ってくれた。

今回の訪問では、ラジオやテレビを通じて直接視聴者からの質問を受けることで、地元の住民がどんな疑問を持っているのかを知ることができ、対話の重要性を感じた。インドネシアは私の活動の重点国であり、2018年は6回訪問したいと計画している。
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【私の毎日】2月13日(水)バングラデシュ→ミャンマーへ [2019年02月13日(Wed)]
2月13日(水)バングラデシュ→ミャンマーへ

7:00 朝食

12:00 ホテル発

12:30 空港着

13:40 ダッカ発

17:30 バンコク着

18:45 バンコク発

19:50 ミャンマー・ヤンゴン着

20:45 丸山市郎在ミャンマー日本国特命全権大使夕食会

22:45 ホテル着
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「ちょっといい話」その110―世界の仁和寺― [2019年02月13日(Wed)]
「ちょっといい話」その110
―世界の仁和寺―

仁和寺は平安時代の888年に落成した。門跡寺で、かつては皇室関係者が歴代門跡を務め、皇族門や天皇の勅使を務める方々が使用した勅使門もあり、数ある京都の寺院の中でも特別の名刹(めいさつ―名高い寺)の一つである。

日本財団では「いろは日本」プロジェクトの名前で、京都の名刹を中心に宿泊施設のリニューアル費用を負担し、原則1組の宿泊客に1泊から滞在型の人まで、名刹を独占して静かな雰囲気の中で名高い庭園は勿論のこと、近くで拝観できない文化財まで堪能出来る事業を開始。その売上の2割を日本財団にご寄附願い、京都の文化財の復興事業に活用していただくことにしている。世界から集う多くの観光客の中には、高い料金を払ってでも静かにゆったりとした雰囲気で鑑賞したいと考えている方々もおられるであろう。

仁和寺では、独自に1泊100万円の値段をつけたところ大きな話題となり、創設者の宇多法皇が月見をされたのと同じ場所から月見をしたいという日本人や、最近では世界的富豪のロスチャイルド家の方々や英国の王室関係者からの問い合わせもあり、今や世界的に有名になったようで、新年の挨拶にお出でくださった瀬川大秀門跡の話を伺い、ちょっと嬉しくなった。

今後、京都中の寺院がこの事業に参加し、更には奈良そして全国の寺院が参加して大きな事業に発展すると共に、日本財団がその収益金の一部を頂戴して文化財の補修・維持に協力できたらと、初夢ならぬ狸の皮算用をしているところである。
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【私の毎日】2月12日(火)バングラデシュ [2019年02月12日(Tue)]
2月12日(火)バングラデシュ

6:30 朝食

7:30 ホテル発

8:30 ダッカ発

@ロヒンギャの.jpg
ロヒンギャの避難民キャンプ視察のため、コックスバザールへ移動


9:35 コックスバザール(Cox's Bazar)着

9:45 陸路移動約2時間

11:45 ロヒンギャ難民キャンプ視察

A70万人以上が集中的に暮らしているというロヒンギャ難民キャンプ.JPG
70万人以上が集中的に暮らしているというロヒンギャ難民キャンプ

B最近避難して来たという人々の話を聞く.jpg
最近避難して来たという人々の話を聞く

Cジャングルを切り開いで作ったキャンプのため、.JPG
ジャングルを切り開いで作ったキャンプのため象が侵入することがあるとのこと。
象が人に危害を与えないように、監視塔を設置し、威嚇して象の侵入を防ぐという

D大量の雨が降ったらどうなるかが心配である.JPG
大量の雨が降ったらどうなるかが心配である


14:30 陸路移動約1時間半

16:00 コックスバザール空港着

16:35 コックスバザール発

17:40 ダッカ着

19:30 在バングラデシュ日本国大使館・泉裕泰特命全権大使、平田仁バングラデシュJICA所長、
     中柴春乃UNHCRバングラデシュ代表、成田詠子UNFPA副代表、夕食会

21:00 ホテル着
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「教育の魅力化で“人づくりによる地域づくり”を」―特別対談 笹川陽平氏×岩本悠氏― [2019年02月12日(Tue)]
「教育の魅力化で“人づくりによる地域づくり”を」
―特別対談 笹川陽平氏×岩本悠氏―


ウェブメディアサイト「政治山」のご協力で転載しました。


歴史あるこの島は、過疎化と少子化により島唯一の高校が廃校寸前の危機に陥り、町は101億円もの借金を抱え、無人島化の危機を迎えていました。それが今や、全国から注目を浴びる島へと変貌。一体何が起きたのか…。
2018年10月27日、島根県隠岐諸島の「中ノ島」にある海士町で、島の教育「未来」会議が開催されました。一般社団法人海士町観光協会が主催するこの会議は今年で15回目を迎え、今や全国から多くの人がかかわっています。観光協会が「教育」というテーマを扱っているように、教育を切り口に島の未来を変えようと奔走した人たちがいました。
そして、島の人を巻き込んで再生を加速させたのが、2016年日本財団が開催したソーシャルイノベーター制度で最優秀賞を獲得した岩本悠さんです。日本財団は、ソーシャルイノベーションの創出に取り組む革新的な人材・チームを日本中から募り、ソーシャルイノベーターとして選出するコンテストを実施し、第1回目の2016年最優秀賞者には1億円を3年間支援することを約束し取り組みを支援しています。
そこで、最優秀賞を獲得した地域・教育魅力化プラットフォームの岩本悠さん、そしてその活躍を支えている日本財団の笹川陽平会長に、取り組み内容やプロジェクトへの期待についてお伺いしました。

海士町@.jpg
岩本悠さんと笹川陽平日本財団会長(島の教育「未来」会議の会場で)

海士町の取り組みは日本人改革
――笹川会長は、島の教育「未来」会議(以下、未来会議)の前日に海士町に入り、隠岐学習センターなど視察され、さらに未来会議にも出席して現状の取り組みをご覧になりましたが、どのようなご感想をお持ちですか。

【笹川】 海士町では、新たなソーシャルチェンジが起こっていると思います。今回、この歴史のある島、隠岐の島の海士町には初めて来ました。後醍醐天皇が楠正成とともに改革を起こそうとしていたゆらぎのように、今まさに島の人たちが、島の再出発のために新たな改革を起こそうとしているのを感じます。
 島の人たちが意識しているかは分からないのですが、積極的に「欠点を長所に変える」ということをしていること、「私たちにはこんな力があったのか」と海士町から発信していることに誇りを持ってもらいたい。この社会変革の波は教育という切り口から始まりましたが、まさに海士町の取り組みは日本人改革です。日本の社会を変えるきっかけづくりを海士町の方にやっていただいているのです。
 それには、岩本さんみたいな「変人」が必要なわけです。
『文明論之概略』のなかで福沢諭吉が述べていましたが、常に世の中に大きな変化をもたらすものは少数意見で、大多数の人は現状を維持する楽な方を選択する。岩本さんのように、「明日も今日の続きじゃだめだよ」と言うのが変人です。社会の変化の先頭に立っているのは変人です。変人は褒め言葉ですよ。

【岩本】 ありがとうございます。変人と書いて「イノベーター」と読むと僕も思っています。大多数から見ると突然変異体のようなものが、現状にゆらぎを引き起こし、未来の当たり前をつくっていく。生命も社会もそうやって進化を遂げてきています。日本でイノベーションが起こりにくいと言われるのは、こうした異質性を排除しようとする排他性が強いからだと思います。そういう意味でも、変人を応援しようとする日本財団は日本にとって非常に貴重な存在だと感じています。

社会が子どもを子ども扱いしている
――10月27日に海士町で開かれた未来会議で学生と話されていましたが、何か感じたことはありますか。

【笹川】 今回の未来会議で高校生や中学生の数名から質問を受けましたが、やっぱり自立心がありますね。なんとなく学校に行っているのではなく目的意識がある。他の学校にもそうした子はいると思いますが、多くの場合、時代に流されてしまう子が多い中で、目的を持っていると強く感じました。意識の高い子が多く、そういう子には選挙権を与えたいと思いますよ。
 日本財団では、今年の10月から18歳意識調査を始めました。1カ月に2回、18歳を対象に様々な内容で調査を実施します。第1回目の調査結果として、6割の子が自分を「子ども」だと考えているという結果が出た一方、成人年齢の引き下げに関して6割が賛成という結果が出ました。これはどういうことを意味するのか、我々社会の制度を作る大人がこのアンケート結果に真摯に向き合う必要があります。

【岩本】 それについてなのですが、社会が子どもを子ども扱いしているということがあると思います。高校卒業までの18歳は学校という文化の中、あれしてはダメ、これしてはダメと大人から指示され、敷かれたレールの中で競争させられます。学校のルールを自分たちで変えていこうとか、自分たちの地域の課題を自分たちで解決していこうという発想にはなれない環境にいると思います。
 何かを変えていく主体ではなく、保護・管理される対象として扱われ続けて18歳まで生きれば、選挙権を得た年になっても自分が「子ども」だと思うという意識になってしまうのは仕方がないことだと思います。

【笹川】 その通り、枠組みの中にはめてしまう。自分たちで物事を決めていく自主性を、高い立場から寛容な精神で見ていく必要があって、文科省が決めた缶詰型の教育の中にはめ込もうということが、既にそぐわない時代になっていることを知るべきです。

主権者としてどうあるべきかを考える必要がある

【岩本】 18歳に選挙権が与えられたから、主権者教育といって模擬投票をやるのもいいのですが、本当の民主主義を学ぶとか、民主主義の中の一人の主権者としてどうあるべきかを考え実践していく機会があることが本来は必要だと思います。
実際、学校の生徒会においては、競争選挙がなかったり、教員が生徒会長を決めていたり、代表として選ばれたはずの生徒会がやっているのは、定例の学校行事の準備や手伝い、教員に使われているだけだったり。学校の主体として、校則や学習内容、部活動のあり方など自分たちで課題を設定して、小さな社会をより良くつくり直していくとかそういう過程が教育から欠如してしまっていると思います。その過程が欠如してしまうと民主主義の感覚が育たない。
 本当の意味での主権者教育をやるなら、例えば生徒会をもっと本来の民主主義的なやり方でやればいいと思っています。海士町でもそういう視点を教育に取り入れています。学校や地域の課題とかも自分たちで設定して、解決していくプロセスを学習に入れているわけです。

――課題解決型の学習とはどのようなものですか。

【岩本】 自分たちの身のまわりや地域の課題を発見し、その解決に向けて挑戦する中で、これからの社会づくりに必要な力を身につけていく学習です。当然高校生だけでは解決できないので、多様な人たちと協働していくことが求められます。当然、地域の住民や行政、そして政治とぶつかることもありますし、失敗することや怒られることも多くあります。
 そうした過程を通して、地域社会の一員としての自覚が芽生え、政策をつくり議論する視点や課題解決の仕方を学んでいきます。そして18歳になったときには、実社会で政治参加、社会参画していけるというのが本来の主権者教育だと思っています。その基盤となるのが課題解決型の学習です。
 これまで海士町では、人口減少や少子高齢化、財政難といった日本の重要課題の宝庫であり課題先進地であることを活かし、高校教育の一環として、地域を舞台とした課題解決型学習を進めてきました。その結果、全国から生徒が「ここで学びたい」と隠岐島前高校に入学してくるようになりました。
 今は日本財団の支援を通じて、地域・教育魅力化プラットフォームとしてこの取り組みを全国に広げていっています。

海士町は実験舞台、成功例をどんどん広げてほしい
――海士町を訪れて、海士町に期待することはどのようなことですか。

【笹川】 海士町は未来に向けた社会実験の舞台なのです。これを海士町から広げていってほしいというのが切なる願いです。海士町には、教育という視点から社会課題の解決を考え、そこに欠点を長所にするという考え方があります。こうした考え方は、海士町だけでなく、日本全国の社会課題の解決のために広めていくべきです。
 「日本の未来を変えていかなきゃいかん、明るい世界を次の世代に譲るためには、私たちが頑張らなきゃいかん」という大人のマインドセットのためにも、海士町の成功例をどんどん広げていくべきだし、それを期待しています。

――“日本財団という方法”を使い次の世代を育てる

【岩本】 海士町の未来会議での笹川会長のお話の中で非常に面白いなと思ったことは、「日本財団という方法」という言葉です。まさにこれだなと思います。僕らが目指しているところは、一人一人が「日本財団という方法」を体現していけるようになること。つまり、自ら社会課題を見つけ、多様なセクターを巻き込みながらソーシャルインパクトを創り出していくということ。そういった若者が次から次に育っていく社会というのが、みんながみんなで支える社会に繋がっていくと思います。
 僕らがやらせていただいていることは、「日本財団という方法」を体現していける次の世代を育てるために、僕らが率先垂範しながら、日本の地域と教育にシステムチェンジを起こしていく挑戦だと思っています。

海士町A.jpg
対談の様子

未来は変えられるという実感が必要
――ソーシャルチャレンジに必要なことはどのようなことでしょうか。

【岩本】 今の日本の課題は、高校生が自分たちで社会を変えられると思っている割合がものすごく低いことです。自分自身に対する誇りも低いし、できるかどうか分からないことに対する挑戦意欲も他国と比較して低いです。これは大きな社会課題だと思います。
 その原因の一つが先ほど言った「社会が子どもを子ども扱いしている」ことだと思っています。自分たちで決めて課題を解決していくというプロセスを経ず、暗記型の勉強に向かわせていることが、今のそうした子どもたちの意識を作っているのだと思います。それを変えていくために、今の地域・教育魅力化プラットフォームを行っているのです。
 大切なのは、チャレンジできる、解決できる、自分たちで変えていけるという実感を積み重ねられる環境をつくることです。

成熟した社会では大人のマインドセットが必要

【笹川】 成熟し多様化した社会では、戦後70年続いた仕組みが制度疲労を起こしています。この辺でソーシャルチェンジしなければならない。これは行政レベルだけでは解決できなくなっています。官も民も協働して変化するべきです。
 そのためには私たちのマインドセットが必要で、子どもたちを教える先生もそれが必要です。これからは子ども一人一人の特徴をつかんで伸ばすことが先生に求められていると思います。これまでの教育はできないことに視点を当てがちですが、これからは得意なことを伸ばしていくことが大切です。日本財団でも特徴のある子を支援する「異才発掘プロジェクト」は、そういった思いがあるからですね。子どもは子ども自身で自分の得意な部分を発見することは難しいんですよ。

【岩本】 管理、監督、指導してやろうという考え方ではなく、セクターを超えて子どもたちの力を引き出していこうと考え方が大事です。
 そのためには先ほど会長がおっしゃった多様性がとても大切です。教育を親と教員だけに任せず、学校を開き子どもが親と先生以外の地域社会の様々な大人とかかわれるようになっていくと、「こんな自分でもいいんだ」「自分はこんなことができるんだ」「自分はこんな生き方をしていきたい」ということを発見しやすくなります。
 また、私たちの取り組んでいる地域みらい留学は、全国の都市部から地方に留学する仕組みですが、こうした越境により、同質性や同調圧力の強い地方の子ども集団に多様性が生まれていきます。
 都会の子の中には、親も祖父母も都会に住んでいるという、いわゆる「いなか」を持たない子たちが増えています。そうした子たちが地方へ留学することで、日本の深い文化や美しい自然、あたたかい人のつながり、そして解決すべき課題などにリアルに触れながら学ぶことができます。

海士町長になりたい子をつくる
――将来、日本の政治を担う子も出てくると思います。そんな若者たちにメッセージをお願いします。

【笹川】 “政治家とはなんぞや”ということを考えなければならない時代になっています。スウェーデンの知人が2期政治家をやっていたのですが、その友人に「2期もやったんだから、次は大臣になれるんじゃない」と言ったところ、「私は国民として、社会のために奉仕したいと思って政治家をやっているので、2期もやれば国民として役割を果たしたと思っている。あとは自分のやりたい仕事をやる」と言っていました。これが政治の原点だと思います。
 権力のために政治をやるのではなく、人のために政治家をやるという考え方です。問題点と答えは現場にあるのだと言いたいですね。我々は政治家を使うものだと認識すべきだと思います。我々の認識が変われば政治家も変わると思います。
 若者にとって政治家が尊敬される仕事になるべきで、これからの日本は、首相を目指す子どもを生み出す必要がありますね。今回海士町を訪ねて、海士町の島前高校で学んだ学生の中に、将来、海士町長になりたいという子がいることを知りましたが、まさにそういうことですよ。

若者の支援に全力を注ぐ笹川会長のエネルギーの源泉は…

【岩本】 会長は、全世界、日本全国で精力的に活動していますが、そのエネルギーの源泉はどこからくるのでしょうか。

【笹川】 それはね、私が若いころ友人が少なくて孤独に耐える必要があって、人生とは何なのか考えたとき「素晴らしい死に方をしたい」と考えるようになったんです。総理大臣になろうが、何千億円残そうが、関係ないんですね。シェイクスピアがいうように「終わりよければすべてよし」なんです。自分が納得いく人生を歩むことが大事。だから自転車操業で走り続けているんです。
 あれもやっておけばよかった、これもやっておけばよかったという悔いの残る人生にはしたくない。常に全速力。それは25歳のときそう思ったんだよね。人間は、愛する人をいつでもなくすことがあるから、自分が強靭である必要があるんだよね。

【岩本】 どうやってその強靭さを身につけられてきたのでしょうか。

【笹川】 強靭だって思えばいいんだよ。私は、脇も横も見ない未来志向。器用に軽業ができる人間じゃないから、自分の人生を歩むし、野垂れ死んでもいいと思っています。自分で自分の始末をつける。生きているうちに自分がよく思われようが、死んだら忘れられる。死んだ後に何十年か経って、あの人は立派な人だった言われればいいのです。
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【私の毎日】2月11日(月)バングラデシュ [2019年02月11日(Mon)]
2月11日(月)バングラデシュ

7:00 朝食 

@なんともダイナミックな鶏の運び方である.JPG
なんともダイナミックな鶏の運び方である

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ダッカ市内から少し出た幹線道路の歩道には小さな家?が並ぶ


8:30 BRAC(Bangladesh Rural Advancement Committee)Dr. Musa(ムサ常務理事)

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BRACのムサ常務理事


10:30 Mugda Medical College(ムガダ医科大学)

Cムガダ医科大学にて、バングラデシュのハンセン病対策についての意見交換.JPG
ムガダ医科大学にて、バングラデシュのハンセン病対策についての意見交換

Dムガダ医科大学にハンセン病の後遺症の治療に来ていた患者たちと.JPG
ムガダ医科大学にハンセン病の後遺症の治療に来ていた患者たちと


15:00 Dr. Shrin Sharmin Chaudhury(シリン・シャーミン・チョードリー)国会議長 

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チョードリー国会議長


18:30 在バングラデシュ日本国大使館・泉裕泰特命全権大使

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【私の毎日】2月10日(日)バングラデシュ [2019年02月10日(Sun)]
2月10日(日)バングラデシュ

0:50 バングラデシュ・ダッカ着

2:00 ホテル着

7:30 朝食 

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ダッカ市内の交通量の多さは相変わらずのようた

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ダッカ市内のあちこちで目にするケーブルの束。
果たしてこれで大丈夫なのか?


10:00 Dr. Bardan Jung Rana (バーダン・ジュン・ラナ)WHOバングラデシュ代表

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ラナWHO代表

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「一時的に患者数が増えることは良いことと理解してほしい。
隠れた患者発見に力を注いでほしい」


11:15 UNB(United News of Bangladesh)インタビュー

12:00 Mr. Zahid Maleque (ザヒード・マレク)保健大臣面談

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マレク保健大臣(中央)とハッサン副保健大臣も出席して行われた会合

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保健省やWHOのハンセン病担当者が一堂に集まって
今後のハンセン病対策について話し合われた

13:30 関係者との昼食

17:00 在バングラデシュ日本国大使館・泉裕泰特命全権大使

19:00  Ms. Sheik Hasina Wazed(シェイク・ハシナ)首相 

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ハシナ首相

20:00 関係者との夕食
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【私の毎日】2月9日(土)タイ・メーホーンソーン [2019年02月09日(Sat)]
2月9日(土)タイ・メーホーンソーン

0:30 羽田発

5:00 タイ・バンコク着

6:45 バンコク発

8:00 チェンマイ着

9:20 チェンマイ発

10:00 メーホーンソーン着

11:00 ミャンマー少数民族との対話

17:30 メーホーンソーン発️

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1日に6回も飛行機飛行機️に乗るのは記憶では人生初である。
タイ・メーホーンソーンからチェンマイへはプロペラ機で


18:00 チェンマイ着

19:20 チェンマイ発 

20:30 バンコク着 

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飛行機の乗り継ぎの合間に落語を聞く
23:15 バンコク発

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