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日本財団会長 笹川陽平ブログ

写真:ハンセン病の現場から「アフリカ・ピグミー族」

leprosy.jp
resize.png日本財団はハンセン病の差別撤廃を訴える応援メッセージサイト「THINK NOW ハンセン病」を開設。皆様からのメッセージを随時募集・配信しています。
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「中国の小話」その62―抗日戦争勝利70周年― [2015年09月04日(Fri)]
「中国の小話」その62
―抗日戦争勝利70周年―


昨日3日、中国では「抗日戦争勝利70周年記念」として、天安門広場で記念式典と軍事パレードを実施した。

台湾の馬英九総統は、蒋介石率いる中華民国国軍が日本と戦ったのであって、共産党軍は補助的役割を果たしたに過ぎないとの談話を発表した。歴史は馬英九総統の言う通りである。

習近平主席は「正しい歴史観を持とう」と呼びかけたが、中国の国民の一部には、下記のように小学生の口を借りて「抗日戦争勝利70周年」を皮肉るものもある。

近年の中国の言論統制は、かつてないほどが厳しい。しかし、国民も負けてはいない。

天安門広場を行進する国軍.jpg
天安門広場を行進する国軍


***************


国語の授業で、先生は『なんと!』という副詞を使って作文を作るように生徒に言った。

明君はクラスでも成績優秀な生徒。
早速次のような文を作った。

「1949年に建国したある国は『なんと!』、建国よりも早く、1945年に戦勝国になった」

勢いにのって、更に一文を作った。

「この国は建国66周年を祝う時、『なんと!』、軍事パレードで戦勝70周年を祝うことになっている」

しかし、発表を聞いた先生は激怒し、明君を教室から追い出してしまったとか・・・。

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9月3日(木) [2015年09月03日(Thu)]
9月3日(木)

7:30 笹川平和財団ビル視察

10:00 鷲頭 誠 運輸政策研究機構国際問題所長 

10:30 ジャーナリスト 森健様 取材
 
13:00 英文パンフレット刷新のためのインタビュー

14:30 渡邉恒雄 読売新聞会長

16:00 森喜朗 東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長

17:00 国際開発ジャーナル・インタビュー 荒木光彌主幹
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9月2日(水) [2015年09月02日(Wed)]
9月2日(水)

8:00 ホテル発

8:30 間伐材を活用した取組みについてヒアリング 藤田様(賀露おやじの会)

9:30 鳥取発

10:30 倉吉着 
    牧師 大塩廣幸様

11:30 沢田圭太郎 日本海新聞西部本社編集局長

12:30 倉吉発

13:30 大山着 
    ものつくり学校・視察、地域起こし協力隊の若者達と意見交換
     
写真1.JPG
中央は佐々木正志さん
東日本大震災の時、財団が主催する学生ボランティア活動(通称:GAKUVO)にも参加して下さった


14:30 大山発

15:30 江府町着 
    (株)安達商事が経営するスーパー「あいきょう」江尾店と移動販売の取り組みを視察。

写真2.JPG
江府町の人口は3,500人を割り込んみ、過疎が進んでいる
そのような中、安達商事の安達さんは町内に点在する集落を地道に回って移動販売を続けている
左端が安達さん


写真3.JPG
移動販売車の中には日用品が所狭しと並べられている


15:45 江府町発

17:00 米子空港着

17:25 米子発

18:55 羽田着

20:00 自宅着
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「ハンセン病制圧活動記」その29―デリー訪問記― [2015年09月02日(Wed)]
「ハンセン病制圧活動記」その29
―デリー訪問記―


巴久光明園機関誌『楓』
2015年7・8月号


2015年3月10日から12日まで、インドのハンセン病対策における重要な会議に出席するため、首都デリーを訪れた。インドへは1984年からこれまでに50回以上訪れているが、一度の訪問で都市部での政府やWHOなどの関係者との協議と、コロニーなどへのフィールド視察の両方を行うことが多いため、今回のようにデリーだけを訪れるというのは珍しい。

現在、世界で1年間に発見されるハンセン病の新規患者約22万人のうち、6割近い約13万人がインドで見つかっている。インドは関係者の尽力の結果、WHO(世界保健機関)が定める制圧基準(人口1万人あたり登録患者が1人未満になること)を2005年に達成した。しかしながら、その後10年を経て、患者数の減少は停滞状況に陥っている。国レベルでは制圧が達成されたが、まだ36のうち1州と1連邦直轄領では制圧を達成していない。州のさらに下位行政区画である県は2014年現在676あるが、うち140が制圧未達成である。遠隔地域や国境・州境付近、都市近郊のスラムなどサービスが行き届いていない場所に患者が集中する傾向にあり、発見されず放置していると、症状が進むにつれ、身体に障害が出てきてしまい、差別の原因となりうる。

このような状況下で、もちろんインド政府やWHOなどの関係者は何もせずにただ手をこまねいていたわけではない。中央政府保健省の国家ハンセン病プログラムでは、5年ごとに具体的な達成目標を盛り込んだ活動計画を策定しており、昨年は外部専門家による現行計画の中間評価が行われた。他にも、高蔓延県に集中した特別プログラムを実行したり、子どもの患者を見つけるための戸別訪問を行ったり、歩合制の有償ボランティアである女性保健普及員(ASHA)に対するハンセン病の知識普及を進めたりなど、様々な策を講じている。ハンセン病プログラム実行の鍵となるのが、各州の保健局のハンセン病担当官。中央政府の計画と各州の状況を照らし合わせ、効果的な戦略を練って実行する役割を担う。今回の出張は、毎年全州のハンセン病担当官が集まって議論する会議と、引き続いて行われたハンセン病対策関係者会議に出席することが目的だった。

DSC_4794.JPG
会議のオープニングにて


インドは年中暑いと思われがちだが、北部デリーの冬の気温は一桁まで下がり、日中の気温は20度前半と過ごしやすい。州ハンセン病担当官会議の会場であるホテルの一室に入ると、州ハンセン担当官やWHO関係者約100名が集まり、熱気にあふれていた。冒頭、本会議開催に奔走した、中央政府保健省のアグラワル・ハンセン病担当局長が、改めて問題意識を共有し、まだ未制圧の州や県において更なる努力をする必要があると熱弁をふるった。また、WHOインド事務所のメナブデ所長は、どの場所で患者が多いのか、障害率や子どもの患者が多いのか、マッピングを行って把握し、ニーズに即した対策が必要と指摘する一方で人権の重要性を強調、差別の撤廃なくしては制圧が達成されたとは言えないと話した。私もご挨拶の機会を得、関係者の取り組みに感謝した上で、差別を生みだす障害率の低下、特に子どもたちが障害を負う前に治療してあげてほしい、患者の発見に回復者の力を積極的に活用していただきたいと訴えた。病気を経験した回復者だからこそ、その症状や特徴、放っておくとどうなるか、などについて身をもって知っていることがある。

DSC_4846.JPG
会議の冒頭で挨拶する筆者


その後、各州のハンセン病担当官がプレゼンテーションを行った。12億5千万の人口を有し、一つの州が一国の人口や大きさを持つインドは、抱える問題も多種多様。へき地に住む先住民族へのリーチが難しい、県のハンセン病担当官のポストが空席である、隣接州からの移住者の治療状況が追い切れないといった課題に対し、私の州ではこうである、こんな対策を取ったらどうか、などの意見が出され、闊達な議論が交わされた。ハンセン病回復者協会(APAL)のナルサッパ会長、ベヌゴパール副会長も駆けつけ、インド全土に広がる協会のネットワークを通じて、患者発見やカウンセリングに協力したいと述べた。

DSC_4864.JPG
各州の代表者が集まりハンセン病の戦略が話し合われた


2日間にわたった州ハンセン病担当者会議の翌日は、ハンセン病対策関係者会議が行われた。これは、前述の会議に出席した保健省・州ハンセン病担当官・WHO、回復者などに加えて、障害者NGO、メディア専門家など、幅広い関係者が集まって、ハンセン病の病気と差別をなくしていくための方法を話し合う場として設けられた、初の試みである。ハンセン患者を発見して治療を行うことはもちろん重要であるが、どのようにして感染の疑いのある患者にその兆候に関する知識を届けるか、6か月間ないし12か月の治療中に途切れずに保健所などへ薬をもらいに足を運び治療を完了させるために必要とされる各医療機関と患者の連携、治療終了後に再発した場合の対応、障害のケアなど、ハンセン病にまつわる課題は多種多様である。これを解決するためには、ハンセン病を専門に仕事をしていない人々も巻き込んで、皆でこの病気について考えなければならない。

会議へはシャルマ中央保健省次官がご出席になり、患者が多く発見される「スポット」と呼ばれる地域に集中した対策を行うことが重要である、ある限りのツールを利用して戦略を練り、持続的にプログラムを進めていきたいと心強いお言葉をくださった。私は挨拶の中で、マハトマ・ガンジーが国作りのマニフェストの中に「ハンセン病の患者をなくすことはその人の生活を変えるだけでなく、村を変え、国を変えることだ」と定めたことを引用し、ハンセン病と人権問題が密接に関連していることを改めて訴えた。また、会議終了時には参加者が総意で、この問題を解決するため最後まで関係者が協力し合うことを宣言した。

DSC_5114.JPG
シャルマ保健次官と


ハンセン病対策は複合的で、特にインドのような広大で土地によって状況が大きく異なる国では、関係者との情報共有や連携が非常に重要である。マラリアや結核など、他の病気に比べれば患者数が少ないので、政治課題として人々の注目を集め続けるのは容易ではない。しかし、少しでも多くの、とりわけ蔓延地域にいる人々に病気について知らせ、疑いがあればすぐに病院に呼び寄せ、障害が出る前に治療するという地道な活動を、それぞれの現場で行わなければ、「ハンセン病問題のないインド」の実現は近付かない。全ての患者と回復者が病気と差別の苦しみから解放されるまでできることを、一つ一つ進めて行きたい。

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9月1日(火) [2015年09月01日(Tue)]
9月1日(火)

7:35 財団着

9:00 ミャンマー、インド、ロンドン出張打合せ

9:40 外務省欧州局 中・東欧課 池上正喜課長

10:00〜12:00 理事会

12:00 伊藤 隆 東京大学名誉教授

15:30 財団発、羽田空港へ

16:50 羽田発

18:05 鳥取着

19:00 日本海新聞社の方たちとの夕食会
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8月31日(月) [2015年08月31日(Mon)]
8月31日(月)

7:40 財団着

8:00 テレビCM説明打合せ

8:30 「社会的投資」事業打合せ

9:30 シン・ヨンス WHO西太平洋地域事務局長
 
10:00 喜多悦子 笹川記念保健協力財団理事長

10:30-11:30 季刊誌『皇室』取材

12:10 渡邉秀央 日本ミャンマー協会会長

13:30〜16:00 国内新卒採用面接試験

16:00 「渚の交番」中・長期計画事業打合せ

16:50 羽生次郎 笹川平和財団会長

17:10 田中伸男 笹川平和財団理事長

18:30 「東京国際文芸フェスティバル2016」ローンチパーティー 挨拶

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ローンチパーティーで挨拶

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企画委員の方々

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ローンチパーティー会場

  
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「中国の小話」その61―恒例の北戴河会議中止?― [2015年08月31日(Mon)]
「中国の小話」その61
―恒例の北戴河会議中止?―


中国では毎年8月、河北省の保養地・北戴河で、中国共産党最高幹部やOBを含めた幹部会議が開催される。

かつて、胡耀邦総書記に面会するため、王震国家副主席(当時)と共に軍用飛行機で北戴河を訪ねたことがある。北戴河は共産党幹部の保養地の一つで、海岸近くの林の中に点々と何棟もの平屋もしくは二階建の建物が点在していた。ビーチには古めかしい水着を着た高級幹部の家族が水と戯れていたが、海水は濁っていたことを思い出す。

習近平総書記は今年の8月、北京で2回も政治局会議を開催したが、江沢民一派との闘いのためなのか、恒例の北戴河会議は中止したのだろうか?

いや、この夏も中国指導部主要幹部と引退した長老たちは北戴河集まり、指導部の人事や経済運営の方向性について議論したらしい。

8月中旬の人民日報では、習近平の指示なのか、退職した上級幹部が現職の幹部に口出しする現象を批判する社説が掲載され、中国共産党内指導部の権力闘争の一端を曝け出したことで波紋を広げた。

それを背景に、下記のような小話が誕生した。
孫文を使って江沢民を連想させるところに味噌がある。

****************


革命を追求し、数々の試練に耐えてきた。

上海のある派閥とは、綿々と関係が続いた。

世紀の更迭から11年離れた動乱により、国家元首になった。
(1911年の辛亥革命と1989年の天安門事件)

「三」を頭文字とする理論を発表した。
(孫文の三民主義と江沢民の三つの代表理論)

英語が流暢で、欧米諸国を訪問し、上流階級の名士たちと活発に交流した。
(孫はハワイや日本など、江はアメリカ、ドイツ、ロシア)

自分の年齢と大きく離れた宋という名字の女性を愛していた。
(孫文の妻である宋慶齢 江沢民の愛人である宋祖英=民謡歌手)

退職した後も、国家元首扱いにされた。

*孫文は中国民族民主革命の開拓者と評価され、中国国民の父といわれる。
*江沢民は十三年前に退職したが、胡錦濤を操り人形に、習近平政権になっても政治局に半数以上のシンパを入れた。習近平の反腐敗も江沢民勢力に抵抗するためのものだとも見られている。
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8月28日(金) [2015年08月28日(Fri)]
8月28日(金)

7:40 財団着

10:00 手話言語法制定に向けての決起集会 於:参議院議員会館1F「講堂」 

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決起集会

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決起集会で挨拶

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平井伸治鳥取県知事


11:00 ワルストロム国連事務総長特別代表

11:50 手話言語法制定に向けてのパレード
    日比谷公園霞門発⇒各官公庁前⇒国会議事堂前⇒旧永田小学校前

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日比谷公園を出発して・・・

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国会議事堂 衆議院前にて


15:30 「おかやま希望学園20周年記念誌」のための対談
     黒瀬堅志 おかやま希望学園理事長

16:20 坂下広焉@海事局局長
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「中国の小話」その60―天津大爆発 その2― [2015年08月28日(Fri)]
「中国の小話」その60
―天津大爆発 その2―


天津の爆発事故では、首都圏の市民たちが、有害物質が空気中に飛散したとして大気汚染を心配していたが、政府の発表によると、観測データーでは普段よりも汚染物質が少なく、空気がきれいだということであった。

政府発表に不信感を募る市民たちからは、以下のような小話が誕生した。

*************


農民が収穫後にわらを焼くと、重度な大気汚染を観察したので、厳禁にした。

春節前後に爆竹を鳴らしたら、重度な大気汚染のデーターが出たので、厳禁にした。

屋台で串焼き屋さんたちが商売を始めると、重度な大気汚染を裏付けるデーターが示されて、これも厳禁にした。

にもかかわらず、今回は百年に一回ともいわれる化学有害物の大爆発が起きたが、不思議なことに、政府が発表した大気や水に関するすべての数値が逆に正常になっていた。

唯一考えられるのは、大爆発した化学物質は空気洗浄剤の可能性が高い。これで首都圏上空に立ち込める靄(もや)や大気中の有害物質を一気に吹き飛ばしたのかも知れない。
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8月27日(木) [2015年08月27日(Thu)]
8月27日(木)

7:20 財団着

12:00 鳥井啓一 日本財団参与

15:00 紀伊国献三 笹川記念保健協力財団会長

17:00 川口順子 明治大学国際総合研究所特任教授
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