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日本財団会長 笹川陽平ブログ

写真:ハンセン病の現場から「アフリカ・ピグミー族」

leprosy.jp
resize.png日本財団はハンセン病の差別撤廃を訴える応援メッセージサイト「THINK NOW ハンセン病」を開設。皆様からのメッセージを随時募集・配信しています。
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「ちょっといい話」その51―ささやかな卒業祝い 日系人奨学生― [2015年04月24日(Fri)]
「ちょっといい話」その51
―ささやかな卒業祝い 日系人奨学生―


元気いっぱい、日系スカラーのみなさんと.JPG
日系スカラーのみなさん


卒業式のシーズンである。

日本財団の活動方針に一つに、海外の日系人に対する支援活動がある。その中でも、日本人としてのアイデンティティーを持って自国で活動できる優秀な若者を選抜し、日本での勉強の機会を提供している。

特徴の一つは、5年間という長期留学も可能で、学問分野だけでなく、ファッション、ヘアメーク、武道、鍼灸、家具製造、太鼓の製造等々と多彩で、自国での新分野開拓のパイオニアになってもらいたいと願っている。中には先端的学問分野で将来学者を目指している学生もおり、多種多才である。

今回、9人の卒業生のお祝のために30人ほどの在校生と新入生が集まり、ささやかなお祝いをした。

フィリピン、インドネシア、ブラジル、パラグアイ、コロンビア、ペルーと国籍も多彩で、帰国後は、それぞれの国で希望に満ちた人生がスタートします。

日本財団は、彼らとの強い絆を保ち、成功を見守って参ります。

日系スカラーシップ卒業生.jpg

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4月22日(水) [2015年04月22日(Wed)]
4月22日(水)

7:35 財団着

7:40 海野光行、大野修一 日本財団常務理事

8:20 広渡英治 日本吟剣詩舞振興会専務理事

8:40 福祉・就労支援事業打合せ

11:30 国際ジャーナリスト 手嶋龍一様

12:00 日本財団役員ミーティング
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「ダニとの対話」―エチオピアにて― [2015年04月22日(Wed)]
「ダニとの対話」
―エチオピアにて―


私 :日本でもダニは評判が悪い。
   他人の稼ぎを巻き上げて生活する者を「社会のダニ」といって嫌っている。

ダニ:旦那、それは大きな誤解です。
   日本にも約2000種類の仲間がいますが、人間の血を吸うのはわずかです。

私 :それが良くない。
   それに最近、日本でも病気になる悪質なダニが発見されている。

ダニ:一部を見て全体を評価しないで下さい。
   お国の警官や教師などにも不届き者がいるのと同じことです。
 
私 :前回のエチオピア出張では世界遺産の「アリベラ」に行ったよ。
   ダニの名所としても有名なんだね。

ダニ:世界中から観光客が訪れるので、ダニの仲間には大人気なんですよ。

私 :人間によって味も違うのかね。

ダニ:そりゃそうですよ。
   やはり一番人気は日本人ですよ。

私 :どこの国の人間の血だって同じだろう。
   なぜ日本が一番なのかね。

ダニ:そりゃ私たちだって一日も長生きしたいのは人情、いやダニ情ですぜ。
   世界一長寿の日本人の血は世界一でしょう。
   しかし最近、日本人の血は吸えないと、仲間内では大問題なんだ。

私 :どうしてだ!!

ダニ:最近、日本人はダニ防止の薬を塗ってくるので、手も足も出せないんです。

私 :私は薬を塗ってないよ。
   「アリベラ」に行った時は海外青年協力隊や笹川アフリカ協会のピチピチした女性も
   一緒だった。
   そこで皆で、一晩お前たちにご馳走しようと賭けをした。
   一番ダニに愛されて咬まれた者に賞金を出すことにしたんだ。
   驚くべきことに、一番年寄りの私が19カ所咬まれて優勝した。
   お前たちの仲間は人を見る目がないね。

ダニ:いやいや、ちゃんと人は見ていますよ。

私 :ならば何でピチピチした女性を吸わなかったんだ。

ダニ:私らは世界中の観光客の血を吸っているグルメなんだ。
   確かに若い女性の血はうまいよ!! 
   ただ、味は淡泊なんだ。
   旦那の血は老人だが肉は柔らかく、何といっても人生に苦労された方だから何とも
   いえない豊潤な味がするのよ。
   仲間の間では、ワインでいえばビンテージ物だったと評判になっている。

私 :同行者には、現地で全く咬まれなかったのに、日本に帰ってから咬まれて病院に行った
   者もいるぞ。

ダニ:先にも言ったように、日本人は俺たちのあこがれなんだ。
   俺たちの世界もグローバリゼーションだから、海外に行く者も多いよ。

私 :英国のBBC放送の調査では、日本が世界一好感度が高い国だそうだが、お前たちの
   世界でもそうなの?

ダニ:その通り。

私 :私の親父は「世界は一家 人類は兄弟」と言って平和主義者だった。
   倅の私も蟻の行列を眺めたりと昆虫が大好きだが、蚊とダニだけは許せない。

ダニ:たしかに蚊はマラリア、デング熱などを媒介して命に関わるからわかるが、ダニは命
   までは取りませんので、どうぞお目こぼしを願います。

私 :さっき、日本のお前の仲間は命にかかわる相当な悪がいると言っただろう。

ダニ:平和主義者の旦那がダニを目の敵にするのはおかしいですね。
   インドの仏教徒は生きているものは一切殺さないそうですよ。

私 :何事にも例外はあるものだ。
   通常、お前たちは人間の手足を咬むが、今回、私の首筋や肩、胸を咬んだんだ。
   ダニ道に反するのではないか。

ダニ:確かに。
   しかし旦那の体を調べて歩いていると、何とも言えない魅力的な肉体に、ついつい
   我を忘れて咬んでしまったのです。
   ご勘弁ください。

私 :それで味はどうだった?

ダニ:近年まれにみる美味でした。
   通常軽く咬んで血をいただくのですが、つい興奮して深く咬んでしまって申し訳
   ありませんでした。

私 :そんなに美味かったのか?

ダニ:わたしゃ天国に行ってもいいほどの味でした。大満足です。
   旦那、どうしてその年齢で美味な体なんでしょうか?

私 :よくぞ聞いてくれた。
   私は今76歳だが、毎朝5時に起きて竹踏1000回、腕立て伏せ150回を中心に、50分
   のストレッチ体操で体を鍛えているんだ。
   80歳になったら筋肉マンの写真を撮りたくてね。

ダニ:でも腹筋はまだまだですね。

私 :腹筋を鍛えると尾骶骨(びていこつ)の一点に体重がかかるので、痛くて続けられ
   ないんだ。

ダニ:どうりで尾骶骨のところは皮膚が荒れてて、咬む気がしませんでした。

私 :健康維持の努力はダニのためではないぞ!!

ダニ:人生の艱難辛苦に耐えて、なお肉体を鍛えている旦那の血は、なんともいえない
   ほのかな香りと深い味わいがありました。

私 :バカを言え!!
   お前のお陰でハードスケジュールの中、かゆみと痛みに耐え、まるでエチオピアで
   禅の修行をしているようじゃったぞ。

どこにいてもかゆい.JPG
何処にいてもかゆくて・・・

ダニには日干しがいいと言われ、部屋の外に干してはみたが・.JPG
ダニには日干しがいいと言われ、部屋の外に干してはみたが・・・


ダニ:またのエチオピアへのお越をお待ちしていいます。

私 :日本は今、積極的平和外交を展開している。
   これからも人道活動で何回でも来るよ。
   しかし専守防衛が国策だ。
   次回はダニ防止の薬で専守防衛をやる。

ダニ:何てことをおっしゃる!!
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4月21日(火) [2015年04月21日(Tue)]
4月21日(火)

7:30 財団着

8:30 語り場

10:00 理事会

11:15 佐渡島志郎 タイ大使

15:10 窪田新一 笹川平和財団

17:00 森 喜朗 東京オリンピック・パラリンピック競技大会会長

19:00 アーリン・リーメスタ ノルウェー大使主催 北極海問題国際委員会 夕食会

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4月20日(月) [2015年04月20日(Mon)]
4月20日(月)

7:30 財団着

8:30 「トゥースフェアリー」事業打合せ

9:30 寺島紘士 笹川平和財団・海洋政策研究所所長

10:00 鷲頭 誠 運輸政策研究機構国際問題所長

12:00 正木烝司 (株)泰正社長

13:35 鳥井啓一 日本財団参与
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「清々しい訂正記事?」―朝日新聞― [2015年04月20日(Mon)]
「清々しい訂正記事?」
―朝日新聞―


朝日新聞4月17日付朝刊経済面に、「『ひまわり会』の記事を訂正し、おわびします」との2段組訂正記事が掲載された。2014年5月26日付の朝刊に掲載された「報われぬ国第2部 ワンマン理事長暴走」なる記事の訂正・おわびである。

関連して掲載された「社福法人側と本社が和解」によると、問題の記事をめぐっては川崎市の社会福祉法人「ひまわりの会」と理事長が朝日新聞社に損害賠償と謝罪広告の掲載を求める訴訟を東京地裁に起こしており、今回の訂正・おわび記事の掲載は同地裁での和解成立に伴う措置のようだ。

記事掲載から1年近く経過しており、訴訟に委ねることなく、もっと早い段階での解決が可能であったのではないかと釈然としない面もあるが、読者としての率直な印象を言えば、従来の訂正はわずか数行、しぶしぶ載せたことが透けて見えるような扱いが多かった。

訂正記事の大きさ、紙面での扱いも和解条件に入っていたと思われ、一概には言えないが、今回の訂正は全体で46行700字もあり、内容も分かりやすい。「やっとここまで来たか」と評価したい。

朝日新聞は慰安婦報道記事の取り消しなどを受け1月、「信頼回復と再生のための行動計画」で「訂正記事を集めるコーナーの新設」を打ち出し、「間違った記事は速やかに訂正しておわびし、間違えた理由もできる限り詳しく説明していきます」との方針を明らかにしていた。

和解協議にも、こうした方針が反映したのではないかと思う。いずれにしても新聞記事、特に生ニュースは時間との争いの中で作られることが多く、十分な取材が尽くせないまま記事を作らざるを得ないケースも日常的にあるのではないかと思う。

誤報が生まれる危険性は常にあるわけで、われわれ読者もそうした事情は理解している。それ故に読者にとっては、誤りが確認された時点で一日も早く訂正されることが重要で、そうした対応が読者の信頼につながることをメディア関係者にあらためて理解してもらいたく思う。

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4月17日(金) [2015年04月17日(Fri)]
4月17日(金)

7:30 財団着

8:30情報システム関連打合せ

9:00 「日本財団交流会」打合せ

9:30 伊東高廣 ボートレース振興会常務理事

10:00 前田 鳥取県東京事務所長

11:00 笹川平和財団理事会

13:30 ヤングリーダー奨学基金プログラム事業打合せ

15:00 笹川平和財団評議員会

16:30 武見敬三 参議院議員

18:00 小高幹雄 ボートレース振興会会長
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「ハンセン病制圧活動記」その26―モロッコ訪問記 [2015年04月17日(Fri)]
「ハンセン病制圧活動記」その26
―モロッコ訪問記


星塚敬愛園機関誌『姶良野』
2015年新春号


2014年10月27日から30日まで、北アフリカのモロッコを訪問した。モロッコと言えば皆さんは何を思い浮かべるだろうか。イスラム教国、サハラ砂漠、「カサブランカ」を始めとする数々の映画のロケ地…。どこかエキゾチックなイメージをお持ちの方が多いのではないか。そんな魅惑の地、モロッコに今回訪れた目的は2つ。1つ目は、中東地域を対象としたハンセン病と人権に関する国際シンポジウムを開催すること、2つ目はモロッコのハンセン病の実情を視察するためだった。

このシンポジウムは、2010年に国連総会でハンセン病患者・回復者およびその家族に対するスティグマと差別をなくすための決議が採択されたのを受け、その実行を各国に促すため、日本財団が世界5地域で開催しているものである。今回は2012年2月、南北アメリカ大陸を対象としたブラジルでのシンポジウムを皮切りに、インド(アジア地域)、エチオピア(アフリカ地域)と続き、今回で4回目になる。同時並行で具体的な行動計画を策定するワーキンググループが活動しており、最終的な行動指針は2015年、国際連合欧州本部のあるジュネーブのシンポジウムの場での発表を予定している。

モロッコの首都は、カサブランカから海沿いに2時間ほど車を走らせた、ラバトという場所である。10月の気温は25〜30度と、日本であれば初夏の陽気だが、砂漠らしい乾燥した空気と照りつける太陽に、こまめな水分補給が欠かせない。また、どうやらスモーカーにはかなり寛容な国らしく、ホテルや空港は煙と、臭い消しと思われる香水の臭いが混じり合ったものが充満していた。

モロッコでの最初のプログラムが前述のシンポジウムである。全世界の新規患者の8割近くを占めるアジア地域、唯一の未制圧国ブラジルを有するアメリカ地域、制圧後の患者数のコントロールが予断を許さないアフリカ地域に比べ、中東地域では、医療面から社会面−人権の回復や歴史保存−にハンセン病問題がシフトしている国が多い。かつて療養所を有した国も多くがその役目の終末期に入り、高齢の回復者がどうその余生を送るか、建物や病院をどのような形で残して行くのかが課題となっている。モロッコ国内やエジプトの他、アメリカ、エチオピア、ブラジルなどからも回復者や専門家が登壇し、闊達な議論が交わされた。

登壇した中に一人、30代後半の若い女性回復者がいた。カサブランカから来たナイマさんで、これほどの聴衆の前で話をするのは初めてなのだろう、緊張した面持ちでマイクを握り、自身の経験を語り始めた。1984年に9歳で発症し、6ヶ月間入院。その翌年両親を相次いで亡くしたという。5人姉妹の末っ子で、入院した後も、カサブランカの療養所に定期的に6年ほど通った。その後面倒を見てくれていた姉が結婚して家を出て行き、一人になったナイマさんは当時住居施設のあった療養所に住み、家政婦をして生計を立てつつ縫製の研修を受ける。ほどなくして結婚、一男一女に恵まれ、現在はハンセン病回復者が少額融資を受けて小物制作を行うNGOを立ち上げ、メンバー80人をまとめている。手に障害が残っているが、神様がいるから大丈夫です、初めて自分のことをこのような場で話せたことが嬉しいです、と笑顔を見せるその顔からは、当初の不安げな表情は徐々に消え、自信に満ちたものに変わっていき、観客からは惜しみない拍手が送られた。

@ナイマ氏と娘さん(カサブランカの病院にて).JPG
ナイマ氏と娘さん(カサブランカの病院にて)


シンポジウムの翌日、ナイマさんも入院していた、カサブランカの国立ハンセン病病院を尋ねた。この病院は1952年に設立され、ピーク時は200人を超える患者がいたが、現在の入院患者は常時8〜16名、通院患者・回復者は月30名程度。3名の医師(うちハンセン病専門医は1名)が、西サハラ地方で年間数名発見される新規患者の治療と、後遺症のケアを行っている。ハンセン病患者の減少に伴い、皮膚科一般の診療も行っている。病院がこの地に出来た理由は、フランス人のロリー医師というモロッコでのハンセン病治療のパイオニアが、かつて軍の施設だった建物を病院として、患者を診るようになったためとのこと。フランスの統治下であった1950年代まで、患者は3ヶ月間の入院が義務づけられていた。これは隔離のためというよりも確実に治療を完了させるための処置だったといい、入院中は絵画などの文化活動や教育の機会が提供されていた。家族に見放されていたり、自活する財力がなかったりするため、20年以上入院している人もいるという。

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入院されている方々と病院関係者


療養所は白を基調とした建物が並び、緑も多く環境の良い場所だった。迎えてくれたのは女性院長のアスマ医師。到着してすぐ、1952年設立以来の患者のカルテが保存されているという建物に案内された。黄ばんだカルテが引き出しにひとつひとつ丁寧に保存されていた。その後園内を歩き、草木の生い茂った向こうに覗く古びた建物を、これはかつてのアトリエ、これはかつてのモスク、これは以前使っていたキッチン、と案内してくれた。衣食住、祈りの場、文化活動の場と、昔多くの人がこの敷地内で生活のすべてを完結させていた様子が目に浮かんだ。これらの建物が使われなくなったというのは、医療技術の進歩や社会の病気に対する理解促進が進んだことの証であり、歓迎すべきことである一方、これらの建物を朽ち果てさせるだけではなく、ここで起こったことをどのように後世に残して行くかが世界中で問われていることを改めて実感した。

続いて、それぞれ10床ほどのベッドが並ぶ男性病棟と女性病棟へ順に案内された。男性病棟は幅広い年代の人が入院しており楽しそうにおしゃべりを楽しんでおり、カメラを向けると嬉しそうにポーズを決めてくれた。1940年生まれという男性は、16歳で発症、25歳で足を切断したが、膝の辺りの切断面に潰瘍が残ってしまい、当時の外科手術の技術が未発達であったことが窺えた。しかし痛々しい傷跡とは裏腹に当人は明るい表情で握手に応えてくれた。女性病棟では、26歳の若い患者が印象的だった。村で一人感染し、手も変形してしまったため、病気を他人には隠すようになったという。しかし、結婚して子どもも2人生まれ、今は幸せだとのことだった。

病院を統括するアスマ医師は、まだ40歳前後で、以前は皮膚科医として働いていたが3年前にこの病院にやってきた。この病院でもハンセン病は臨床上皮膚科の一部として統合されているが、実際のケアは一般の皮膚科と異なると言い切る。例えば障害による差別のため、心のケアが必要であること。ハンセン病に罹った事実を受け入れられない患者もいるという。また患者が貧困層に多いのが特徴的で、財政的な支援の必要性も感じているらしい。ハンセン病患者・回復者と直に接する経験から、単なる職務以上の思い入れがある様子で、彼女のような若く親身になってくれる医師の存在は貴重だと感じた。

Aアスマ医師(中央)と病室を訪問.JPG
アスマ医師(中央)と病室を訪問


カサブランカを訪問した翌日、車に乗り込んで、海沿いに北へ出発した。この日の最終目的地は、アフリカ大陸とヨーロッパ大陸を隔てるジブラルタル海峡に面したタンジェという港町。その途中にハンセン病回復者が住む小さな村と病院があると聞き、尋ねてみることにした。モロッコと言えば砂漠の印象が強いかもしれないが、地中海に面する北部は温暖な地中海性気候で、4,000メートル級の山があるアトラス山脈には充分な降雨、積雪もある。最初に訪れたのはシャウエンという州にある、海抜700メートルの山岳地帯。右に左に大きく揺れながら山道を上がっていくと、小さな保健所に辿り着いた。迎えてくれたのは、ハンセン病専門看護師のラマダニさん。シャウエンを含むモロッコ北部地域のハンセン病対策活動に35年間関わっており、四輪駆動のない時代はロバで村々を回って、患者発見や回復者のケアに時に自腹で、熱心に回っていたという。現在この保健所は、48集落、31,000人を管轄し、一番遠い地域は30km離れており、さらに上った1,200メートルの高地から診療にやってくる人もいるという。母子保健やワクチン接種、外来診療も行っている。ハンセン病は、80年代に管轄下の住民を一斉に調査したところ、人口の4-5%にあたる2、30人が発見され、ホットスポットの1つであったが、ラマダニさんたちの苦労が功を奏し、過去10年間の新規患者数は12人に留まっている。

ラマダニさんは、ボウハル村というハンセン病回復者の家に案内してくれた。ボウハル村にはセウニ族という人々が住み、人口は232人。皆が親戚筋で、長老のディブさん(66歳)を筆頭に、オリーブ、ぶどう、イチジクなどの農作物や、ヤギ、鶏、羊などの家畜を育て、自給自足の生活をしている。通されたのは自分で建てたという、壁は石造り、屋根の部分に藁と土を使った、白を基調としたちょっとしゃれた家であった。日差しが強く外は暑かったが、中に入ると壁が土作りなのでひんやりと過ごしやすそうだった。三世代家族9人が出迎えてくれ、モロッコ伝統の甘いミントティーを振る舞ってくれた。

ディブさんは2011年、ハンセン病に罹ったが、ラバダニ看護師の診断により早期治療と障害予防ができたため、ラマダニさんを救世主のように思っており、村から80kmほども離れたラバダニさんの勤める病院にわざわざ会いに行くこともあるという。話を聞くと、この村には「ハンセン病」という言葉が存在せず「皮膚の病気」と呼ばれており、感染力の弱さも皆体験的に知っていて、もし周囲の人に症状が出れば医者に診てもらって治し、以前と同じ生活に戻れば良い、と当然のように考えているという。ハンセン病は正しい知識を持っていればなんら恐れる病気ではなく、差別は生まれようがないということを、このモロッコの都会から遠く離れた小さな村の住民たちが身をもって証明していた。

Cディフさんと.JPG
ディフさん

D村に住む男性を診断するラバダニ看護師.JPG
村に住む男性を診断するラバダニ看護師


村を後にし、再び車に揺られながら、さらに北を目指して出発する。目指したのは、テトゥアンという、モロッコの地中海側にあり、ジブラルタル海峡まで南に40kmの場所にある街。位置柄、二つの大陸の文化が混じりあう独特の街で、メディーナと呼ばれる旧市街地は、低層の白い家々が立ち並び職人らが多く住み、世界遺産に登録されている。1956年にモロッコが独立するまでテトゥアンを含むモロッコ北端部はスペイン領だった(南部の大部分はフランス領)ため、住民の多くはアラビア語とスペイン語を話す。

訪れた病院は、モロッコ北部地域のハンセン病の中心施設。入院設備はなく外来のみで、ハンセン病の疑いのある人が診断を受け、陽性であった場合は治療を開始すると同時に、自宅を訪問し、家族に感染がないかを確認するという。外壁、内壁ともに白で統一され、洒落た形の窓が並ぶ立派な病院で、私たちの訪問にあわせて7、8名の患者が集まってくれていた。一人、ハンセン病と診断されたばかりの30歳の若い女性がいた。港町タンジェから車で1時間ほどかけてやってきた患者で、7ヶ月前に初めて症状が現れて複数の医者に診てもらったが誰にも診断できず、この病院に辿り着いたという。おじの息子にハンセン病が見られたといいい、病院のレスニン皮膚科医は、これから家族7名を調査すると話した。イスラムの女性は人前で肌を見せることに抵抗を感じる傾向にあるため、初期症状が気付かれにくい場合もある。そのような中、ラマダニさん他の関係者は、地方当局とも連携を取りながら積極的に患者を探し、信頼関係を大切にしながら治療と感染防止にあたっている。その地道な取り組みが患者数の大幅な減少に貢献していることは間違いなく、心からの賞賛とともに、引き続き努力を続けてほしいと伝えた。

モロッコは患者数だけを見ると決してインドやブラジル、インドネシアのような「蔓延国」ではないが、残された数人、数十人の患者の発見活動や回復者の障害ケアを丁寧に行っており、いずれ徐々にその状況に近づいて行く他の国々にとっても大いに参考になる部分があるはずだ。その鍵となるのは、患者は少なくてもハンセン病に真摯に取り組む医療関係者や、自分と同じ症状が見られる人に早期治療を勧める回復者である。最後の一人の患者が病気とそれに伴う差別から解放されるまで、ハンセン病問題は解決したとは言えないことを、最終局面に差し掛かっているモロッコの地で改めて感じた。
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4月16日(木) [2015年04月16日(Thu)]
4月16日(木)

7:30 デニス・ブレア SPF・USA会長

9:00 東京財団CSR委員会

10:00 アウン・ミン大臣との共同記者会見 於:フォーリンプレスセンター

風景 後から.JPG


4人風景.JPG
左から、タン・テー鉄道運輸大臣、キン・イー入国管理人口大臣
アウン・ミン大統領府付大臣、筆者


12:00 菅義偉官房長官主催 アウン・ミン大臣歓迎昼食会 於:迎賓館赤坂離宮

15:00 松本 崇 大村市市長(寄附金目録渡し)

DSC_0849.jpg
大村市より東日本大震災復興支援のため500万円のご寄付をいただきました
大切に使わせていただきます


15:30 語り場

18:30 日本ミャンマー協会主催 アウン・ミン大臣夕食会
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4月15日(水) [2015年04月15日(Wed)]
4月15日(水)

7:35 財団着

8:00 「グローバル・ヘルスと人間の安全保障」運営委員会

10:00 2015年度国際事業 打合せ

14:00 ミャンマー記者会見打合せ

15:30 理事会

18:00 安倍昭恵 社会貢献支援財団会長
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