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2018年05月24日

102歳の祖母

私事ですが、おととい 102歳の祖母が天国に旅立ちました。老衰で最後はすーっと息を引き取っていきました。何度となく危機を乗り越えてきたので、今回も乗り越えてもう少し頑張ってくれると思っていたので残念でした。キクノという名前のようにお花が大好きだった祖母をたくさんの花と共に天国へ送り出しました。
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そんな、大往生だった祖母の死から、感じたことを ブログに書いてみました。

祖母は大正4年生まれ、幼いころに両親を亡くし 満州に住む年の離れたお姉さんに引き取られ、6歳から引き上げるまでを満州で過ごしました。満州鉄道で働く祖父と結婚し、6歳、4歳、2歳、0歳の子を授かり(当時祖母は30歳)幸せに暮らしていたそうですが、戦争で満州から引き上げなければならなくなり、着の身着のまま逃げ出し、ソ連軍からの爆撃を避けながら夜中4人の子どもと 栄養失調で鳥目になった祖父をつれて日本まで帰って来たそうです。途中、一番小さかった0歳の赤ちゃんは夜中の移動で必死だったので、祖母がおんぶする背中で窒息死していたそうです。当時はさっきまで隣でしゃべっていた人が空爆で死んでしまったり、人の死が当たり前のように繰り返されるので、自分の赤ちゃんが死んでも悲しいとは思う感情が湧かなかったそうです。おむつやミルクなどを他の人に譲ることができ身軽になってほっとしたと。気立てのよかった6歳のおばちゃんは中国人に養女に欲しいと懇願されたけれど断り日本に連れて帰って来たそうです。(中国残留孤児にならなくてよかった)今では考えられない世界です。

祖母が幼いころに過ごした山口に拠点を置き、あまり役に立たなかった祖父に代わって、やったことのない畑仕事の手伝いや、得意のお裁縫で子どもたちを育てたそうです。生活は苦しく子ども達(私の父)に、お弁当を持たせることができず、父は昼食時になると姉さんと弟と一緒に校舎の隅に隠れてみんながお弁当を食べ終わるのを待っていたそうです。

祖母を形容するワードは「働き者」皆が口をそろえて葬儀でも言っていました。物のない時代に育った人はみんなそうなのかもしれませんが、着るもの食べるものすべて手作りだったのを覚えています。布団や、着物、味噌(麹から)、醤油、野菜作りも得意て、出来た野菜や漬物を近所にいつも配っていました。頭もよく、90過ぎても手紙を書いたり、お習字をしたりしていました。

そんな祖母から学んだことを3つ

その1
新鮮な野菜中心の食・・・102歳という長生きの秘訣は何と言っても食生活。畑から取れたてのトマト(これは青臭くてちょっと苦手だった)、トウモロコシ(ビックリするほど甘い)を食べて私も育ってきました。冬になるとほくほくして美味しい里芋をもらって食べていましたが、私たちに美味しい子芋を祖母はガシガシの親芋を食べていました。親芋がマズイとは知りませんでした。

その2
家族・親戚の絆・・・子・孫・ひ孫・玄孫。祖母の訃報を聞いてたくさんの親族が集まりました。一人の女性からこんなにも広がっていくのですね。昔から、盆正月になると実家は兄弟が子どもを連れて帰省し合宿状態でした。いとこ同士で、劇を披露したり歌を歌ったり、祖父母を中心に賑やかに過ごす風習は世代は変わった現在も受け継がれています。私の娘たちも「次はいつ集まる??」と家族親戚の集まりを楽しみにしています。
 また祖母はご先祖様も大切にしていて、私も幼いころからお墓に連れて行かれていました。現在は毎日生活に追われて墓参りにもほとんど行かない日々。お寺の奥さんとお話しする機会があり、ご無沙汰していること恥ずかしく思いました。祖母がお墓に入ったら近況報告をしに半年に1回いや3ヶ月に1回はお墓参りをしようと思っています。お寺の檀家のこととか、何も知らないので両親が生きている間にいろいろ教わり、来るべき時が来た時(親の死に直面居た時)粗相がないようにしたいものです。

その3
ご近所ネットワーク・・・祖母の訃報を聞きつけ沢山のご近所さんが葬儀にかけつけてくれました。中にはひ孫(その子も現在27歳)育てを一緒にしたおばあちゃんも。ひ孫をつれてお互いの家を行き来してました。(私もそうなりたい・・・) ご近所のお寺光厳寺の御住職も「小さいころからキクノさんのお野菜と漬物をよく食べていました」と通夜で言われていました。
 今回の葬儀で実家のご近所の方の顔と名前が一致しないことに大変申し訳なく思い、いかに私が実家近くの方と接していなかったかを知りました。今住んでいる自宅でも、ご近所所の方と話す機会がほとんどなく、隣の人と話したのは何か月前?という状態。地域行事に積極的に参加し、近所の方の顔と名前は分る様ににしたいと思いました。スポ少や部活で忙しいと地域行事に子どもたちもあまり参加していなかったことも反省しています。しかし、そんな子どもたちも成長して大人になりましたが今でも地域のお祭りは大好きです。


取り留めもないことをダラダラと書きましたが、一番に思ったのは生きているうちに両親にいろいろ教わって、時間を共有していきたいということ!一緒に野菜を作るもよし、旅行に行くもよし。
亡くなってから後悔しないように、楽しい時間を過ごさせてあげたいと 祖母の死を通して思いました。


おまけ
おととい、参加予定だった「小鯖未来プロジェクト」急遽欠席してしまいましたが、かなり盛り上がったようです。その様子をさぽレポで紹介します。  コチラ



<こうとく>
posted by さぽらんてスタッフ at 10:50 | Comment(0) | スタッフのつぶやき