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『機密情報は誰のものか』 “〜ウィキリークスを追う” [2012年04月01日(Sun)]
『機密情報は誰のものか』 “〜ウィキリークスを追う”
制作:NHK 2010
放映:2010年12月29日

 アメリカ政府によって「国家の敵」とされたのはウィキリークスだが、インターネットでウィキリークスを検索するとウィキペディアが出てくる。そしてクリックすると、「注意:ウィキリークスは、百科事典プロジェクト・ウィキペディアを運営しているウィキメディア財団とは全く関連ありません。Wikipedia:ウィキリークスとウィキペディアは関係ありません もご覧ください。」という注意書きが出てくる。その名前から、混同されることも少なくないようである。
 Wikiとは、「情報の集積に便利なウェブ・プログラムの形態。一般のウェブサイトと同様に閲覧できるほか、誰でも手軽に内容を追加・編集でき、編集過程の全バージョンが保存される」ことを意味するが、元々はハワイの現地語で「素早い」という意味を持ち、そこからヒントを得て命名されたのが「Wikipedia ウィキペディア」である。そして現在は、そのソフトウェアやシステムを利用して作成された文書の集まり全体を“wiki”と呼ぶようになっている。関係ないがwikiupといえば、アメリカ先住民が一時しのぎに建てる小屋を指す。
 ウィキリークスはオーストラリア出身の元ハッカー、ジュリアン・ポール・アサンジュによって創設された内部告発された情報をインターネット上で公開するという組織である。すでに2009年頃から世界中のメディアで取り上げられ、アサンジュ(またはアサンジと呼ばれる男性)が、スウェーデン女性への暴行容疑でロンドンにいるところを逮捕されたこともすでによく知られたことである。彼は10代の頃からハッカーとして有名であり、NASAのシステムに侵入し機能停止に追い込んだことすらある。ウィキリークスが公表した情報は世界の秩序に大きな波紋と疑問を投げかけた。あまりに知らないことが多すぎるのではないか。その不信感は政府や大企業など社会的に大きな権力を持つ組織や個人に向けられることになり、それを伝えないメディアへの不信へとつながっていく。
 番組はNHKが1ヶ月以上かけてアサンジュ氏に取材の申し込み、成功したインタビューをベースにしたものである。アサンジュ氏はウィキリークスを立ち上げた理由の1つとして、「知らないことが多すぎる」ということだった。ハッカーとして知った多くの機密は隠しておいてはいけないことばかりだという。ウィキリークスが公表した外交文書や機密情報の多くが、一般市民には衝撃的なものであった。最大の影響を受けたのはアイスランドという国家そのものだった。金融危機がおこり国内の大手の銀行複数が危険な状態に陥った。これらの銀行に対する政府の支援の内幕をウィキリークスがウェブ上で公開すると、インターネット普及率世界1位のアイスランドでは、大波乱を巻き起こした。政府に対する国民の怒りは過去に類を見ないものと行ってもよい。結果として国の体質そのものが変わろうとしている。一番良い例は、内部告発者を保護する法律が国会に提出され更に世界中どの国にもある「公務員の守秘義務」すらなくそうという動きにつながっている。
 
 さらにウィキリークスは文書だけではなく、映像を公開しはじめた。そして「マニング上等兵」事件が起こったのである。情報分析官であるブラッドレー・マニング上等兵はイラクで次々に起こるアメリカ兵による民間人への誤射誤爆、時には無差別な攻撃などの情報をウィキリークスに提供したのである。この映像がウェブ上で公開され、アメリカ国内ではイラクへの派兵・駐留を今すぐやめるようにデモが起こったほどである。こうして、世界中のできごとに関して、多くの人がこれまで見えなかった部分を見ることになった。こうして提供された情報によって、イラクで殺害されたイギリス“The Guardian”紙のカメラマンと取材助手他現地人数名が殺害され、二人の子供が大けがをした事件に大手メディアがアメリカ政府へ情報公開をせまり、そしてウィキリークスを支援する形になっていった。実際にすでに多くのジャーナリストや報道機関が協力関係にあるといわれる。

 このインタビューの後、アサンジュ氏は暴行容疑での逮捕となる。こう考えると、アサンジュ氏とウィキリークスは強大な権力に抵抗するヒーローのようである一方で、彼らの行動は間違っていると考える人々もいる。機密というのは国家や組織の枢機にかかわる極秘ものであり、これが外部に漏れれば多くの生命や財産を失うことになるものを指す。そして、これはすべて公的なもののみを指す。こうしたものが外部に漏れないようにしなければ、自国民の生命の安全が確保できない事につながる。国益・国民益を損なうものであれば、情報の機密性を維持する必要があると考えることができる。そういった意味でも組織が大きければ大きいほど、漏洩した情報によっては多くの人命に危機が迫る場合があることになる。つまり、公表すれば悪用される危険性が常に伴うため、機密に関する管理はどのような組織でも最高レベルの管理体制を維持することに力を注ぐのである。
裏を返せば、「臭いものに蓋」も可能であり、「なかったことにする」事も可能になる。権力の魔力と人間の性なのか、「ヤバイ」ことをすることが必須条件のようになっている。1市民である私の目から見れば「知られて困ることは最初からしなければ良い」と思うのだが、そうは問屋が卸さないというのが「社会的人間」が形成する「人間社会」の1つの習性ということなのだろう。
 
 機密…に限らず、「情報」とは誰のものなのかという問題は常に私たちについてまわる。昨今ソーシャルネットワークサービスの発展と躍進が国家の構造、組織、社会体制すら変えようとしている。身近な話しをすれば、大学生諸君はご両親の収入がどれほどのものなのか知っているだろうか?そして自分の学費は全部含めていくらかかっているのか考えてみたことがあるだろうか。こうした身近な情報にこそ注意を払う必要があるが、目新しく興味を引く情報ばかりが手のひらサイズの端末に放り込まれてそればかりに気をとられてしまう。「理解・認識」されて初めて情報となるという前提条件を理解して、ウィキリークスはその部分の究極を追求したのかどうかということに1つの論点があるといえる。本当に必要な情報とはいったい何であろうかという事が問われる。
 
 私たちは日常的に「スクープ」情報が大好きである。それがスキャンダラスなものであればよりそうであるが、問題はその「質」である。番組を見て、何を提起しようとしているのかをあれこれ考えてみた。詳しくウィキリークスの件に触れれば、公共放送としては「国益」に資する報道活動を行う必要があるという前提で見ると…諸刃の剣となって自らの存在意義に疑問を懐かれることにつながる。一方で世界最大規模のテレビ局として考えると、盛り込まれていた情報とその編集は非常に質が高い。海外で評価の高いドキュメンタリーと充分並べられるレベルのものを作ることができるのもNHKである。どのような情報でもそうなのだが、どのような情報を何の目的で、いつ、どれほどの量、どれほどの質をもって、何を媒体(メディア)として発信するのかで、その効果、影響力は大きく変わってしまうのだ。話題になっている時に、アサンジュ氏がちょうど逮捕された直後に放映したことで人の関心は高かったはずである。情報の質もそれなりに高かったのだが、「いったい何を提起しようとしているのか」が見えにくい部分があった。ウィキリークスの価値を認める人々と認めない人々の意見が採り上げられたのであって、そこからどこへわれわれが向かっていくのかは「自分で考えてください」という「議題を提起する」という所に落ち着いたというところだろうか。
 
 2012年、民主党が政権をとってから、そして東日本大震災から、日本では隠されてきた情報がまるでゆで卵の皮をむくように表に出るようになってきた。一方で一切見えない情報がある点も事実である。沖縄の基地のけん、消費税の件、なぜ地上波デジタル化だったのかその本当の意味など、見えない情報がたくさんある。その真相に迫っているのがウィキリークスの持つ情報の中にあるのかもしれない。国益が国民益であるか否か、機密情報とまでいかなくても情報とは誰のものであろうか?
『麦家』 “中国 激突する鉄と鎌” [2012年03月30日(Fri)]
『麦家』 “中国 激突する鉄と鎌”
制作:NHK 2002年
放映:2010年12月30日

 「先富起来」とはケ小平による改革開放のための基本原則であり、「先に豊かになれる者から豊かになろう」という先富論の言葉である。誰かが豊かになれば当然消費が増える。そのため、お金は下へと流れるため富の分配が進むという考え方である。これは全員への平等分配が労働意欲の低下につながり、生産力が落ちるという社会・共産主義の限界を直視したものである。そこで、「社会主義の公有制を主体とすること」を基本に個人の経済的発展を認める。
 これがひとつの基盤となって現在の中国経済の急速な発展があるといえる。その中で明らかになってきたのは、これまでには考えられない経済格差が生まれたということである。NHK制作のこの120分に及ぶ長編ドキュメンタリーは農業、特に中国の主食となる小麦生産の現場になくてはならない「麦家」を中心に「先富起来」に成功した者と取り残された者を描いた見応えのある作品である。
 
 中国の小麦の生産量は全世界全体の18%におよび、この量はEU27カ国の生産量とほぼ同じである。一国での生産量は世界一であり、次にインド、アメリカ、ロシアと続く。世界の在庫量は30%以上を中国一国で担っているのが現状だ。ちなみに輸出量が最も多いのはアメリカである。 中国国内で消費される小麦の量は生産された量とほぼ同じであり、実質輸出入はほとんどないと考えられる。ところが、広大な土地を機械化で一気に開拓し、農地面積を増やしてきた中国が直面しているのは砂漠化という現実であり、内陸に行けば行くほど環境の悪化が目立つ場所もある。
 そうした中、小麦畑にも先富起来の影響はあった。ロシアなどでよく見られる大型の複合型耕作機械の導入である。人の手で刈れば1日かかる広さを1時間ほどで刈り上げ、脱穀までする。通称“コンバイン”である。正直日本人の目には「新規導入」されたその機械すらかなり旧式にうつるが、それでも飛躍的に生産にかかる時間が変わることには違いない。
 
 農業の歴史には世界の多くの場所で共通の点がある。収穫の時期などにはどこからか人が集まり作業を集団で行う。ヨーロッパでは葡萄の収穫時期には人が集まる。日本では稲刈りの時期に村ごとに手を貸し合う。中国でも麦刈りの時期になるとどこからともなく「麦家」があらわれる。彼らは内陸の貧しい農村部から鎌を持って広大な小麦畑に現れ、刈り取りを請け負い、面積に応じた賃金を得る。独特の形をした鎌で、T字に近く刈り取った麦を束ねる作業を楽にする。麦家は少数民族の多い寧夏回族(ウイグル族)自治区からバス、鉄道を乗り継いで河南省へ出てくる。ほとんどの人の名字が「馬」であることからイスラム教徒だと考えられる。(イスラム教が中国に伝わった時、マホメットのマを馬の音にあてて名字にしたという節がある。) 麦家はこの民族が代々と副業としてきた。貧しさから抜け出すには教育というのは今や当たり前の事となった中国で、平均的な中国の子供にかかる学費は年間2000元という。(もちろん中学・高等学校までの学費)子供の学費を稼ぎたいと願う父もあれば、生活の安定のために家畜を殖やそうと考える父もある。
 
 都市部に近い農村では経済発展の影響が強く、多くの農家がコンバインを導入しはじめている。中には農業以外の副業を持ち、更に出稼ぎをする。そうした彼らが新たな「麦家」となり、麦家の世界に経済的な格差を生み出した。広大な中国の国土は南北にも東西にも長い。麦の刈り取り時期は南部から徐々に北上するため、北部の農家は刈り入れの早い南部へとコンバインを走らせ出稼ぎを行い、高額な副収入を得るようになった。隊列を組んで町村単位で800kmも南下し、そこから北上しながら各地の刈り取りを行う。市町村の役人が様々な手配を行い、あらかじめ農家と契約を取り付け、経験の長さなどで仕事を割り振る組織的な出稼ぎである。刈り取りの時期は限られているため、農家がコンバインを所有する新しい麦家を奪い合うこともある。時速30kmほどしか出ないコンバインを60時間かけて南下するこの機械化した麦家を「鉄麦家」とよぶらしい。「鉄麦家」の高額な収入に惹きつけられ、新たにコンバインを購入して「鉄麦家」を副業とする人も少なくない。
 一方、ウイグル自治区からやって来る伝統的な麦家を「老麦家」と呼び、鉄麦家によって老麦家の仕事場は奪われていった。大型機械の入れない高地の畑が活躍の場になるが、賃金はほとんど上がることはなく、また働く先もどんどん減っているようだ。もともと貧しい農村暮らしのため、最低限の旅費で出稼ぎを行う。1ヶ月の出稼ぎ期間でわずか150元(2200円ほど)の元手で彼らは旅立つ。時には石炭などの貨物列車に無賃乗車をしながら、風雨の寒さに震えながら、目的地へと歩みを進める。父から息子へと受け継がれ、村から出たことのない若者が広い世界を見る限られた機会だが富へのあこがれは増していくことは避けられない。内陸部の少数民族地区が改革開放と経済的成長から取り残されているとしても影響は出るものである。
 都市部や沿海地域と比べ決して豊かとはいえない河南省の農家ですら、老麦家達には夢のような暮らしといえた。3〜4人で12時間をかけて6畝(1畝=600u)を刈り取り、一人30〜45元を得る。鉄麦家なら30分ほどで刈り取る広さである。機械化のせいで賃金はどんどん下がり、効率の悪さをあからさまに批判され、それでも老麦家達は守る家族と生活のために次の職場を探して歩く。1ヶ月の間、仕事を求めて麦の実りと共に北上し、前年同様に600元を稼いで郷里に帰る。万能視される機械に行く手を遮られた老麦家はこの先消えてゆくだけの存在なのだろうか。
 
 一方鉄麦家も決して順風満帆というわけではない。この分野にいち早く進出し百戦錬磨の「先富起来」を実現した鉄麦家がいる一方でその過酷さと駆け引きの難しさに打ちのめされる鉄麦家もいる。機械化に夢を託し、鉄麦家に仕事を頼む農家は機械への「神話」的な万能さを勝手に創りあげ、鉄麦家達に無理難題を言うこともある。大型機械では作業ができない土地も多くある。農家と鉄麦家という豊かさを性急に求めすぎる双方の利害が様々なトラブルを引き起こしているのも現実だった。機械化は更に多くの問題を生み出す。農地拡大が広がれば森林伐採が進み水源たる森林が失われ、砂漠化が進む。更に酸素生産することができない上に、機械化で起こる二酸化炭素及び排気ガスに含まれる有害物質が大量に放出され、土壌を汚す。生産量を上げるために化学肥料や農薬を大量に使用し、田畑は結果として生産能力を失ってゆく。わかっていても気がつかないふりをするのは簡単なことだ。
 今やそれら夢のような成長が過去のものであると正しく理解し始めている日本人の中には、過去の過ちを受け止める冷静さと失ったものの大きさを感じるが人々もいるが、急速な経済成長を遂げる社会の多くが見失う秩序や冷静さは、その渦中にいる人々には全く見えていない。そして、将来に忽然とあらわれる巨大な落とし穴を自ら穿っていることがわからないであろうし、わかろうと思うことすら否定するだろう。衣食住は人が生きる基本だが、水と空気を犠牲にして生まれる豊かさとは何だろうかと感じた。
長い間の放置 [2012年03月16日(Fri)]
 2010年に長年使ったHDD-DVDが故障して、ずっとご無沙汰しておりました。
その後、まもなく買い換えたのですがあまりに多忙な日々を送り、
かれこれ2年も一本もかけないままで放置された状態です。

 いろいろな意味で、文章というのは書き続けませんと「書けなくなる」ものです。
実際には10年ほど前からその「病」を患っていたため、せめて症状を悪化させないために
あれこれ短い文章を書いてきました。

 その後、人前でしゃべることの方があまりに忙しくなってしまい、
必要な長い文章を書くことにしばらく専念したためこちらもご無沙汰になりました。
買い換えたHDD-DVDももはや使い込みすぎて、容量オーバーしそうな状態ですが、
またこちらも少しずつ再開しようと…あまり誰も見ていないサイトですが、
自分で宣言してみようと思います。

 ということで、またちょっとずつはじめます。
故障中 [2010年08月25日(Wed)]
 院生時代に購入したDVD-HDDレコーダーがとうとう故障しました。すでに録画したモノは見られるのですが、DVDなどにあるモノが見られません。DVDなども読み込めません。

 ですので、しばし更新不可能になりました。とても残念です。
『グリーン』“Green” [2010年03月21日(Sun)]
『グリーン』“Green”
制作:TAWAK PICTURESフランス 2009
放映:2010年3月21日 NHK BS1(再放送)

 ドキュメンタリーを見慣れると、この作品については「音声別どりでつけ忘れた?」と思えるほど静かである。ドキュメンタリーの多くはナレーションがすべてを語ってしまう。ナレーションが伝えるとおりに場景を見てしまう。たとえば「100年かけてできた森林の伐採は、人間の手にかかると数時間である」といわれてブルドーザーなどが地面をならしていれば、「そこは元森林」だと思える。

 しかし、この作品にはそういった一切の演出も脚色も何もない。ナレーションはない。オランウータンが一頭、顔だけを出して首までファスナーが閉じられた青いスポーツバッグに詰め込まれ、トラックの荷台で力なく揺れている。その直後にNHKの見慣れたアナウンサーが現れて「ナレーションなどがありません」と解説する。
 
 そして現れるのは様々な森に暮らす生き物である。虫、象、そして多くが猿などの霊長類だ。彼らの声、森を移動するときの枝の揺れた音、鳥らしき声、そんなものが響き渡る。テレビが旧式のブラウン管であることを非常に悔やんだのは今回が初めてであるほど、美しい映像だった。が、オランウータン、その名前が「グリーン」というのだが、彼はちょっとこぎれいな部屋にベッドに寝かされおむつをして点滴をうけている。けだるそうな目で周りを見渡している。カメラはあたかもグリーンの目線で見える景色を写して見せた。窓の外には森がある。その森には躍動感にあふれた動物がいる一方で、大木を切り倒してゆく人間がいる。そんな風にコラージュされている。グリーンを世話する人が数名出てきて、食事を与えたりしている。けれどそこには言葉も何もない。

 町の通りにはかごに入れられた幾種類もの動物が並べられ、物憂げにかごの外を見る。特に霊長類などにはその表情がはっきりと見られた。象の足には鎖が付けられ身体の動きが制限され、足首は鎖で皮膚がめくれ上がっている。切り刻まれた森とむき出しの赤土、やせ衰えた木々、足かせに皮膚の破れた動物、人間が他の生き物に対して行った支配力の壮絶さがわずかな音楽と実際の音でつづられている。環境をテーマとしたドキュメンタリーとして高い評価を受けた作品だ。この日の『朝日新聞』のテレビ欄では「世界のドキュ 森林伐採」と小さくなっている欄に記されている。

 森が焼かれそこには椰子の木が植えられる。それは油をとるために植えられたもので、日本でも大量に使われているものだ。そのため、長く住み分けができていたはずの森の民の暮らしが荒らされ、椰子樹林に入り込んだ彼らは罠にかかったり、石を投げられておいて立てられたりしていた。製油工場が移された後、町の暮らしが軽快な音楽と共に映し出される。洗剤、化粧品、クッキー、アイスクリーム、ありとあらゆるものにこのヤシ油が使われていることに今更思いが至った。環境にいいからと思って使っていた食器用洗剤の原料だとふと思い当たると、環境によいと思っていた裏側の環境破壊と他の生命の犠牲を思わざるを得ない。純植物性だから環境にはいいはずだったが今は何となくそうは思えない。ただ、化学薬品にまみれた洗剤に今から戻ることはもっとできない。矛盾を感じる。

 森の民達は枯死しかかっている裸の木にのぼっている。渡る先を探しているのだろうか。手を伸ばしてつかんだ枝は乾いた音で折れてゆく。遠く、遠くまで荒れた大地は、きっと深くて豊かな森だったのだろうということをナレーションではなくその枯死した木に捕まっている彼らの存在が示している。

 森がなくなり、瀕死のオランウータンが野生動物からヤシ畑を守るために人間が施した塹壕にはまりもがいている。人に保護されたのかつかまえられたのか、戦争中の拷問された後の捕虜達のような姿が目に浮かんだ。目が生きる気力を失っていた。青いバッグに入れられて人間がいるところに連れて行かれて、点滴を受ける。食べ物を受け付けなくなる。ベッドが上げられ、部屋は掃除され、そして何か重たいものが黒いビニール袋に入れられてどこかへ運ばれていった。

 これ見よがしなナレーションよりもそれぞれ見た人の心が何を感じるのかを試しているような、そんな作品としてこれはとても優れている。ジャクソンホール自然番組映像祭の2009年最優秀作品受賞作品として選ばれた作品の中でも異色でそしてかつてないすばらしさだと思った。子供達が見ても、大人が見ても充分に伝えるものがあるという静かだが力強い作品であり、おすすめである。NHKはリクエストを出せば再放送があるはずだし、この映画祭の最優秀作品はこれまでにも何度も何度もこれでもか!というほど放映されているので是非ごらんいただきたい。


《映画祭ホームページからの抜粋》
The Jackson Hole Film Festival is a biennial 6-day conference, well-known and the most prestigious media event of the year devoted to the nature conservation, which gathers more than 650 international leaders in science, broadcasting, conservation, and media. That festival is dedicated to helping filmmakers find their own audiences, providing acquisition, marketing and distribution services. Also Jackson Hole Film Festival is a very exciting, social and educational event devoted to the Wild Nature, its problems and forecasts. It is supported by Jackson Hole Film Institute, a non-profit organization, whose mission is to empower filmmakers and audiences through film and new media.
 ジャクソンホール映画祭は隔年開催の六日間の集まりで自然環境に関わるメディアイベントとして最も格式の高いものです。科学、放送、保護活動、メディアなど650以上の国際的なリーダー達が集結する映画祭酢。この映画祭は自身の視聴者を得るために、保護のために、そしてマーケティングを行いより多くの場所で放映、公開されるように映像作家を支援するために開催されています。また、この映画祭は自然環境問題とこれからをテーマとして取り上げた、とても魅力にあふれた社会的、教育的イベントです。この映画祭は、映画やニュー・メディアを通して映像作家や視聴者を支援するNPOであるジャクソンホール映画協会よって主催されています。
http://www.jacksonholefilmfestival.org/
『アフリカの大地を緑に 〜ノーベル平和賞受賞 ワンガリ・マータイ』 [2010年03月20日(Sat)]
*推敲前の文章をそのまま掲載するので誤字・エラー表現など多数あります。ご了承ください。後日ちゃんとなおします。


『アフリカの大地を緑に 〜ノーベル平和賞受賞 ワンガリ・マータイ』
2003年3月21日(再放送) NHK BS1

 2004年にノーベル平和賞を受賞したケニアの女性活動家ワンガリ・マータイへのインタビューをベースにしたNHKのドキュメンタリーである。現在、マータイ氏は「MOTTAINAI」で知る人は多いであろう。彼女が日本で見いだした価値観である。ほかの言語にも似たようなものがあるが、実際に一言で表すものがあまりないらしい。その彼女の活動は現在世界中に広がりを見せている。このドキュメンタリーは「MOTTAINAI」よりもずっと前に始まった彼女の最も重要な活動に対してノーベル財団が注目したという、その部分についてである。

 近年では、中東で初めての女性受賞者であるイランのシリン・エバディ氏がいる。彼女は受賞のメダルと賞状を政府に押収され、さらに賞金に対する税金1/3が課せられたことでも有名である。また、弁護士資格の剥奪など、受賞による弊害もみられる。
ワンガリ・マータイ氏を「緑の闘士」と呼ぶ。これが本来の彼女の姿である。アフリカの女性としても初受賞であり、ノーベル平和賞では初めて環境保護活動を対象とした受賞である。評価されたのは「グリーンベルト運動」(“Green Belt Movement”)である。環境保護のために世界中で8万人が参加し、3000万本以上の植林活動へとつながっていったその活動が評価された。しかしこれがなぜ平和活動だったのか、このドキュメンタリーは柔らかく描き出している。実態は遙かに厳しいものであったはずだ。
 
 この平和賞は2009年にアメリカのオバマ大統領が受賞したことで物議を醸している世界的にいろいろな意味で有名な賞であることは間違いない。しかし、その受賞によって活動にさらなる広がりを見せるなど世界的な認知度を得ることで世界規模の社会貢献にさらに拍車をかけているものもたくさんある。「平和」は反戦活動、紛争解決、そして人権活動などが対象となってきたが、マータイ氏の活動は主として植林活動から始まったものである。
 
 第二次世界大戦が終わるとアフリカでは徐々に宗主国からの独立が始まった。イギリス、フランス、ポルトガル、イタリア、スペイン、ベルギーなどの国が植民地としていた地域が国際的な合意に基づいて植民地支配から手を引いていったのである。1960年代に春と次々と独立国家が生まれ、マータイ氏のケニアは1963年にアフリカで34番目の独立国(旧宗主国:イギリス)となった。国連の機関の本部はほとんどがヨーロッパとアメリカにある中で、ケニアにはアフリカで唯一の本部が設置されている(国連環境計画)。ちなみにアジアでは日本だけのはずである(国連大学)。ケニアの独立にともないアメリカのケネディ政権が若い人材育成のための留学生を受け入れた。そのときケニアで選ばれた最初の女性留学生の一人だったのがワンガリ・マータイ氏だった。彼女は1940年に農家に生まれた。アメリカでは生物学を学び、ケニアに戻ってからはケニア大学の初めての女性教員となった。環境副大臣にもなっている。
 
 受賞のきっかけとなった「グリーンベルト運動」(“Green Belt Movement”)を始めたのは彼女が36歳の時で、そのきっかけは国土の荒廃だった。アフリカの国土の荒廃はその多くの原因が先進国にある。独立したとはいえ、潤沢な資金と資源をもって独立したわけではなく、さらに旧宗主国との関係は深い。現在では中国やロシアの影響力が大変強いが、重要な資源は主として欧米の企業に押さえられ、天然資源が生み出す利益はアフリカには降り注がない。アフリカには公害や環境破壊が残されているのである。国土の荒廃の原因の一つは「商品作物”Cash Crops”」の生産にある。コーヒーを始め豊かな国々で売られる作物の栽培をアフリカの大地が担っているのである。日本でも時々アフリカ産の野菜が店頭に並んでいるのをみることがある。こうした作物を大量消費国家のために大量生産することがアフリカの大地に課せられた役目となった。これにより森林伐採が一気に行われたのである。そして、わずか半世紀で人口が6倍に増加するということが起こった。

 かつてケニアの国土の30%が森林だったという。このインタビューで彼女は今や2%にまで減ってしまったことを憂慮していた。「グリーンベルト運動」(“Green Belt Movement”)では、地元でよく育つ苗木を育てて植林することだった。自宅の庭に7本の苗木を植え育てては植林をすることからはじめた。しかしそれだけではどうすることもできないのだが、彼女は地域の女性に苗を育ててもらうことを勧めた。この苗を育てると一株5セントの現金を支払うのである。植民地化されたアフリカでは、女性の地位は一気に低下させられたとマータイ氏はいう。ヨーロッパの価値観を押しつけられたと言い換えることができるかもしれない。それ以前のアフリカでは女性は家庭でも地域でもちゃんとした発言権があり、影響力の持っていたという。しかし、植民地化された後のケニアの女性にのしかかったのは、水くみ、畑仕事、薪拾いなどありとあらゆる生活全般に関わる事柄だった。商品作物の生産が拡大し、森林が伐採されると大地の保水力が低下し干上がる。これにより、これまで毎日自然に落ちた木の枝や枯死した樹木などで十分に薪になっていたものがなくなる。当然取り尽くすことになり、薪拾いはかなりの距離を歩かなければならなくなる。それ以上に重大なのは水である。水は樹木があって初めて大地がもたらす恵みとなるのだが、森林がなくなったため水くみは一大重労働になってしまった。都市部でも薪を使うのは日常的だという。

 そんなことだから当然ながら、生活環境が悪化し、生活水準も悪化する。当然子供たちの教育にも影響が生まれ、貧困度が増していくのだ。だから、苗を育てることでえら得る現金収入は女性の家庭での地位の向上につながり、植林することで地元の緑が復活し、水資源も薪も身近に得られるようになるのだ。そういうことは家事を一手に担う女性だから教育があろうとなかろうと植林が生活に直結していることをすぐに理解できることだったとマータイ氏はいう。その一方で女性に様々な家族計画など貧困を押さえるための重要な教育を施していったのである。
 
 「罠にはめられたように状況は悪化する」と彼女は環境破壊が貧困への悪循環を生み出すという。そして貧困がさらなる環境破壊へとつながっていることを理解できれば、お金もいらない、意欲だけあれば木を育てるという誰にでもできることで大きな改善につながる。彼女のふるさとも決して例外ではなかった。自宅の近くにあった大きなイチジクの木は村の人は絶対に切ろうとはしなかった。薪として枝をとってくるとその木の枝をとってはいけないといわれた。小川の水は消毒する必要もないほどきれいで飲み水に利用できた。しかし、村も商品作物の生産のために森林を切り、イチジクの木を切ったことで村の水源であった小川は干上がった。このことと彼女が大学教授であった時期に参加した女性に関するフォーラムに参加して農村部の女性の困難と結びついたことが植林活動へと向かわせたようだった。自宅の周りに木を植え続ければ、自然と小さな森ができ、鳥がやってくる。木陰ができ、そして大地の豊かさは増すのである。

 こうした活動が、人権活動につながっていったのは彼女が言う「環境や資源を巡って起こる戦争」につながっていることを証明したといえるだろう。彼女は独立国家になった後の独裁的なケニアの政権に対してでも活動を行った。26年間続いた独裁的なモイ政権は先進国とつながりを強くし、商品作物生産のための開発に力を注いでいった。これによってそれまでの自給自足の生活が一変し、家族のための食料を育てる農地すら失うことになった。そして権力者は私的な利益のために豪邸を建てて売るために、森を伐採していったのである。だからこそ、マータイ氏は植林活動をより活発に行いより多くの女性に参加してもらう必要があった。ところが独裁政権は国民が9人以上集まって集会をしてはいけないという法律の壁に阻まれることになった。それ故に、でも活動を行い「緑の闘士」は何度も投獄され、時には意識不明になるほどの暴力にもあった。

 自然の成り行きで自然科学である生物学者ワンガリ・マータイ氏は社会学的な行動へと進んでいったのである。彼女は日本の行ったODAにも痛烈な批判を行った。ソンドゥ・ミリゥ川の水力発電所の建設は日本の援助によって行われたが、彼女はこれを断固反対したのである。森林伐採を行った地域を流れるソンドゥ川、ミリゥ川にはすでに独裁政権が作ったダムが建設されていたが、伐採によって保水力のない山脈は川の流れに大量の土砂を含んでおり、建設されたダムは数年で発電不可能になったという。その流域と同じところに日本のODAでダムの建設が行わたのである。こうしたことへの反対行動が政府の警戒するところとなって、逆に彼女は自分たちの存在意義の重要性を政府も理解していると知ったという。
より発展した国に出て行った人は、多くが母国に戻ることをしなくなるのだが彼女は「ケニアのために」という送り出されたときの言葉を常に意識していたという。そして彼女は、アフリカで起こっている紛争のほとんどが資源をめぐる問題だと指摘した。アラブ系とアフリカ系の紛争といわれているスーダンのダルフール問題でも「生きるため」の争いであるという。彼女は農地や資源の平等分配のシステム構築が絶対条件であるという。そのためには先進国の企業による無責任な森林伐採をおこない、収入のために現地の政府がそれを容認しているという現状がある。資源を使う側は「無駄遣い」になりがちで、資源を提供する側には多大な負担がかかっている。大量生産・大量消費の問題が取りざたされるにもかかわらず、先進国の人々はそのライフスタイルを変えることがない。そのことについて改めて考えてもらいたい、マータイ氏はそう訴える。

 民主主義、環境の保護、平和という三つの柱がきちんとできあがって初めて人々は安心し、発展できる社会が生まれるのではないかと「緑の闘士」ワンガリ・マータイ氏はいう。

 彼女の「グリーンベルト運動」(“Green Belt Movement”)については彼女の本をごらんいただくのが一番よい。誰がつけたのか知らないが原題は「グリーンベルト運動」(“Green Belt Movement”)というタイトルだったと思うのだが、『モッタイナイで地球は緑になる』というタイトルになっている。個人的にはオリジナルの方がごにょごにょ…と思っている。
『農村に医療バスを走らせたい』 [2010年03月18日(Thu)]
“Mobile Medics” 『農村に医療バスを走らせたい』
制作:NHK 放映:2007年9月15日  NHK BS1

 「社会起業家」のシリーズとして放映されたドキュメンタリーである。このシリーズは3本で構成されており、各国での異なった活動ながらその社会的貢献度の高い営利企業・会社の活動を紹介している。これは会社であって慈善活動ではないという点で非常に興味深いものであるといえる。

 一人の若者がソーシャル・ベンチャーのビジネスモデルコンテストで優勝した。そのモデルとは言うなれば「宅配医療」とでも表せばよいだろうか。もちろん単なる医師の往診というのとは異なっている。この若者のプランでは医療を直接農村に運んでいくものである。
 インドでは7億人が農村に住んでいるという、街の病院には外来の患者であふれ1日で300人が訪れ、少ない医療スタッフで対応しきれない患者であふれかえるのが日常らしい。3時間待って診察は5分という本当に治癒に向かうのかすらわからない状態である。都市部でも3万人に一つの医療施設という状態で、農村部には30万人に一つの医療施設しかない状態だという。高い交通費を支払ってそして5分の診察を受けるのでは貧しい農村ではとても支払えるものではない。一方、農村部の若者は教育を受ける機会が生まれ、村から都市へでて働くことにより経済的には大きな変化をもたらしている。しかしその格差は甚だしいことに変わりはない。
 
 そこでこの若者が考えたのは国産の800ccのワゴン車に医療器具と基本的な薬剤を積み、医師、看護師、薬剤師、運転手、そして社長である若者本人がチームとなって村々を回ろうというものである。どんな病気でも診察1回につき30ルピー(約\90)で、処方箋をもらって薬を買うとだいたい全体で90ルピーになる。この費用は街の病院と同じで交通費がかからない分安く済むと考えた。診察は一つの村で2時間程度だが、村一つの人口から見れば充分な時間かもしれない。そうして1日3つから4つの村を回るというこのプランを彼は体当たりで実行していく。3つほどのルートに分けて一日ずつ回るというものである。そして成功すればインド全体に普及させることを考えていた。

 北部ピラニーにあるビルラ理工大学の経済学部を卒業したカヴィクルトが5人の仲間とこの医療バスシステムを考えだした。仲間の一人が祖父の村を訪れた時、風邪をひいた人が街の病院に出かけていったが診療費よりも交通費が高くなったという話を聞いたのがきっかけとなった。インドの医者の8割は都市にいて患者の8割が農村にいるという社会的な矛盾に向き合って考え出されたものであることがわかる。インドでは1日$4以下で暮らしているのが平均的な農村の現状で、そうした現実に向き合った点が評価されコンテストで優勝し、賞金2万5千ドルを受け取った。そしてこれまで誰もそれを試したことがないというユニークさを持っている。

 実際に医療バスを走らせてみたが、何も知らない村人、そして信頼できるのかすらわからない若者集団の突然の活動が受け入れられるわけはなかった。発展途上国に多いのが、無資格の医師の存在である。時には呪術師が医師の役割を果たしている場合があり、街からやってきた医療バスの活動を妨げる原因にもなっていた。またインドの保守的な習慣には新しいものへの強い警戒感が有る。さらに、彼らは村の人々に自分たちの活動について充分説明をしていなかった。結果、3ヶ月で1万ルピーの赤字が発生し、あっという間に行き詰まった。
 ドキュメンタリーではよくあるのが成功例ばかりを並べるものだが、教育を受け経済的にも恵まれた若者たちとそうした格差の下半分に置かれている村人の間の溝がはっきりと描かれていた。急激な経済成長による社会格差の大きさがこうした点からもよくわかる。農村には水道も道路もないということはまだ当たり前のことなのだ。23歳の若者の行き詰まりと打開への模索といったところで終わってしまうのが非常に残念で、その後どうなったのかを改めて現在を取材してもらいたいと思う作品だった。

 一つ指摘しておきたいのが、人材の流出である。インド人の優秀な医師は世界中で活動している。彼らは裕福な家庭に生まれイギリスやアメリカの大学で学ぶ。しかし本国に帰ってくるものは決して多くはない。経済的な発展の見込めない母国よりもすでに経済的に豊かで、そして高い技術に対して高額の報酬が見込める外国で暮らすことを決断するのは決して難しいことではない。また、先進国もそうした人材の引き抜きを行うのだ。インドに関しては特に「英語」の問題がないという点で圧倒的に人材が流出しやすいのだ。医療だけではなく先進科学技術や経済の様々な分野で優秀なインド人が活躍している。
 そうした中で、カヴィクルト氏のような若い人材が自分の国で自分の国のために何かをしよう、そしてそうした中で利益を得ることはその志に値すると考えられる。また、非常に興味深かったのは、大学がそうした若い人材に無償でオフィスを提供するというシステムである。支援体制ができつつあることにこれからの将来を感じるものがある。
『裸足のソーラーエンジニアたち』 [2010年03月07日(Sun)]
“The Barefoot Women Who Make Light”
『裸足のソーラーエンジニアたち』08.2.21 NHKBS1 2007年シンガポールによる作品
 
 炎天下でも夫婦で石切場で働く。暑さで死にそうになっても働かなくてはいけない。村の女性はほとんどが村から出たことすらない。日が沈むと、頼りになるのは石油ランプだけである。この石油も闇市で買う。子供達がうちに帰って勉強するための灯りはない。

 世界のエネルギー資源のほとんどが先進国で使われている。資源を供給する側にいる途上国ではそれは自国民のために使われないままほとんどが国外へと出て行くのである。
このドキュメンタリーは、インドのアンドラプラデシュ州の女性達を取り上げたエネルギーと生活との戦いの一面を切り取ったものであると考える。そもそも女性は能力が低いとされる。これはどの文化圏に行っても女性が直面する問題である。それは先進国であっても同じだろう。日本であって未だに女性は公平で公正な扱いを受けているとはいえない。ここに登場する女性は全体として「奴隷のように働く」と紹介される。教育を受けることもなく、そもそも地域の学校のレベルすら充分であろうはずもない。
 
 国立地方開発研究所というのがハイデラバードにある。ここにあるのがソーラー・パワーハウスという施設があり、教育を受けていない女性を集め6ヶ月の研修で技術を身につけさせてエンジニアとして働くことができるようにする。ここで身につける技術は家庭用のソーラーパネルを設置する仕事に必要な技術であり、ある種の専門技術者を養成する役割を果たしている。この地域の一般家庭では月500ルピーの収入が平均である。日本円で約1500円ほどしかなく、石切場での収入では400ルピーにしかならない。ところがエンジニアになると約6倍の3000ルピー、9000円程になる。この高額収入を得られる仕事につくための要請プログラムに4人の女性が選ばれた。イェランマ、チェナンマ、ザヒーダ、カラバチは子供がいる女性達で決して若いという印象はない。彼女たちの中には村から外へ出たことすらないということも珍しくなく、とても怖くて逃げだそうとしてこともあったという。ところが、この研修で2日で1000個の電灯を組み立てて初めて自信がついたという。そしてできあがったのが「裸足のエンジニア協会」である。
 
 一世帯25ドルの出資と毎月2.5ドルの積み立てをしていく。5年後のバッテリーの交換やメインテナンスの費用、そしてエンジニア達の給料などがここから支払われる。アンドラプラデシュ州の100歳の老女は4人の女性エンジニアが村にくるまで、村の暮らしは良くならなかった。ターミングーラ村は山岳地帯にあり電線が引けない。そうした時にベア・フットエンジニア達によって設置された太陽光発電による電灯は大きな変化をもたらした。こうしてインド国内10州で実績を上げたその活動はインドの多くの国民の生活に様々な変化をもたらした。しかし、その変化は決して良いものばかりとはいえない。人は得ればより多くを得ようとする。曇りの日にはほぼ機能せず、扇風機もテレビもつかないのであれば村人は不満を持ち始める。不満がたまることになりそのために積立金を支払わなくなった人々が増えることになった。結果として設置された発電システムは放棄され放置される。
 
 なぜ女性だけなのだろう。彼女たちは気配りがあり、根気があり、そして生活に密着した収入を目の当たりにするため熱心である。こうした特性はインドのみならず世界各国に広がっていった。特に南米やアフリカでは女性の労働の負担は先進国の比ではない。何キロも歩いて水をくみに出かけ、炊事洗濯をこなす。そのための燃料は薪だが多くが商品作物を作るために森が伐採されて土地が痩せ、薪すらも身近では手に入らないのである。そうしたことの多くの原因は先進国・新興国の大量消費生活にあるのだが現実を見たとしても改善されることはない。こうした負担がすべて女性にかかっていた。そして電気も水もない生活の中で埋もれていたのである。ボリビアから、カメルーンから、ザンビアから、アフガニスタンから女性達が研修に来る。乾燥地帯から来る女性達にとってインドでの暮らしは非常に大変だという。それでも彼女たちは毎日技術習得に励んでいる。

 大学への入学試験は学力ではない。人柄である。しかもほとんどが40代以上の女性で若い女性は見かけない。若い女性は技術を身につけると村に帰ってこなくなるからだという。村の切実な願いを背負って選ばれるのは確実に村に戻ってくる家族のある女性達ばかりだった。ところが、そんな女性達も研修を終えて戻ってくると夫がいなくなっていたりすることがあるという。他の女性の所に去っていったというのだから驚く。とはいっても彼女たちには今や自立する手段を持っているため夫のはたらきに頼る必要はない。
こうして技術を身につけた女性達は20キロもあるパネルを裸足で運んでインフラの全く行き届かない村々に夜の灯りを付けようとしている。彼女たちが発展途上国の希望の灯りになればよいと思わせる作品だった。
 
 
 マハトマ・ガンジーの言葉が最後に紹介された。

自分の進む道をひたすら信じ、決然として突き進むものが少しでもいれば
歴史を変えることができる
『南アフリカの病院列車』“The Miracle Train” [2009年11月11日(Wed)]
『南アフリカの病院列車』“The Miracle Train” 制作:システムTV2004年 放映:05年5月29日 NHKBS1

 このドキュメンタリーはこれまでに何度も講義で紹介し、別のブログなどでも紹介してきたが、数々の反響があり、情報の問い合わせもあった。アフリカ支援を考える学生団体や、世界規模での医療問題の研究をしている人々、人権活動をしている人々、そして身近な学生からの反応もあり、自分自身としては満を持してというよりも若干遅きに失しての紹介である。

 「ガンの人も?」「Yes!」、「エイズの人も?」「Yes!」子供達の質問に学校の先生がそう答える。実際に治療を受けられるわけではないのだが、カウンセラーがいて情報をくれたり話を聞いてくれる。
 原題を“The Miracle Train”というこのドキュメンタリーは、南アフリカ共和国に長年解決されることなく存在する被差別地域の医療問題に深く切り込んでいる。列車を丸ごとい用施設に改造し、歯科と眼科の医者を乗せて線路のある地域を回ってゆくのである。正規の医師と医学部の実習生らで構成された医療スタッフが9ヶ月間をかけて「忘れ去られた」区々をゆくのだ。
 列車の名前を「Phelophepa(ピロペパ)号」という。現地の言葉で「健康」を表す。「Canon Collins Trust」という組織が運営する事業の一つである。キャノン・コリンズは反アパルトヘイトの活動家でその名前を冠した組織であり基金である。1981年に創設され、南アフリカやナミビアの個人や家族に対する援助や難民の保護活動を行っていた。その後1990年のネルソン・マンデラの釈放からさらなる活動を行い奨学金制度などを更に充実させるなどして、現在はアフリカ南部全体の教育活動を中心とした様々な支援活動を行っている。こうした情報は番組内では紹介されていない。英文で書いてあるので英語の読める方はぜひウェブサイトをごらんいただきたい。ピロペパ号についてはこのブログからリンクしているのでそこからTrustのほうにもつながっている。

 南アフリカでは平均寿命が45歳で、結核やエイズでの死亡率が非常に高い。500万人以上がHIV感染者といわれ、1日平均1,000人がエイズにより死亡している。民主化から10年たっても親の世代と子供の世代では考え方も違ってきているが、何世代も差別になれてきた人々の気持ちはそう簡単に変わるものではないだろう。

 医療スタッフを乗せて1,600キロを移動するこの列車は、アピントンからポストマスブルグの間の活動が紹介されている。北ケープ州は乾燥地帯で、首都のヨハネスブルグからは南西に当たり、近い都市としてはダーバンがある。南アフリカの1/3にはまだ電気がない。アピントンにもこの頃ようやく水道が通ったばかりだった。人口7万2,000人のこの街ではアパルトヘイトが廃止された以降も白人とそれ以外の住人の住み分けが明確に残っている。現地黒人や黒人との混血の子供が通う学校では学校給食が一日で唯一の食事となる子供も少なくない。そんな状態で医療施設があるわけもなく、国家の運営する学校が全国にあることを想像することは難しいだろう。それでも学校は運営され、英語で授業が進められている。先生も子供達も母国語ではないため決して流暢とはいえないが、「invitation」として先生が子供達に列車の到着を大人にも伝える様に知らせる。主に目と歯を診てくれるが、どんな人でも来て良いというと子供達は「エイズの人も?」と聞き返す。何のためらいもなく聞いた様に見える。それほどまでに子供達の生活にエイズは当たり前に存在するのだ。

 公立病院がないわけではない。しかし、診察料が100ランド(およそ\1800)かかり、待ち時間も信じがたい程長い。失業率30%以上のこの国で、子供もろくに食事のできないなかでこの料金を支払える人はごくわずかだろう。更に、エイズでの死亡率が高いこの国では働き手である大人を多く失っており、子供達が孤児となっていることは稀ではない。10代も早い時期から働きに出なくてはいけない。だからこそ病院列車には期待が寄せられる。
14歳の少年は両親がなく、同じ境遇の子供達が身を寄せ合って暮らす郊外の集落からバスに乗って学校に通っていた。彼は目が悪いため2年も留年していた。日々頭痛に悩まされているともいう。彼の兄はすでに街で働いている。水道が通ったとはいえ、電気のないこの地域では燃料はすべて薪で、女性も子供も木の枝を大きな束にして頭に乗せて運ぶ、アフリカではよくある光景だ。

 アピントンに病院列車がやってくる。すると人々が早朝まだ暗いうちから駅に集まってくる。14歳の少年も兄と一緒にやってきた。兄は歯の治療をしてもらいに来たが、その日受け付けは締め切られていた。余りに人数が多くきたためである。少年は診察に向けて頭をきれいに刈り込んで身ぎれいにしてやってきていた。彼なりにこの日は特別な日であることを思わせる。診察を受けると視力が非常に弱く、メガネが必要になった。少年は兄からのプレゼントでめがねを作ってもらうことができた。めがねは日本円でわずか\720だが、彼らには決して安い買い物ではあり得ない。メガネができたことで新しい人生が始まるという。わずか\720で起こる奇跡だった。

 この病院列車にはリーダーがいる。リリアン・シンゴという年齢は明確ではないが50代ではないだろうか。彼女はアパルトヘイト時代にロンドンに逃れそこで看護学や心理学を学んだ。ピロペパ号の帰国し、毎回の旅にリーダーとして参加している。彼女は実習生達にこういう。

We are here to support. We are here to treat and prevent disease. We are here to guide. We are here to listen to the patients. We are here to explain. If they get positive attitude from you, even before you treat them, you started healing process already.

 「私たちは支えるためにここにいます。私たちは治療をし、病気を予防するためにここにいます。私たちは導くためにここにいます。私たちは患者の声を聞くためにここにいます。私たちは説明するためにここにいます。皆さんから積極的な態度を見れば、患者にとってたとえそれが実際の治療が始まる前であったとしても、すでに治癒のプロセスが始まっているのです。」

 彼女はこうして2週間、彼らを導く。常に先頭に立ち、常に支え、常に患者達の前に姿を見せて支援を行う。お金がなくて幼い子供診察が受けられない母親にわずかの治療費を与えることもあった。施しを受けた人だって気持ちがいいものではないが、どうしようもないと彼女はいう。本当の意味での解決にはなっていないことは、与えた方も与えられた方もわかっているからだ。もし500ランドのお金があれば、100人の患者の生活が変えられると彼女はいう。毎朝4時半の起床し、列車の安全確認を行い、医師達を起こし、声をかけ元気づけて、そして列車の到着した地元の医療関係者と話し合って、列車が行った様な事業を続けて欲しいと話す。地元企業のスポンサーもお願いする。すべて基本は地元の自助能力を発揮させることでより効果を上げるのはいかなる地域支援でもいえることだ。外部からの支援はそのきっかけとシステム作りの端緒を持ち込むことであるともいえる。

 年間で4万人の患者とふれあい、中には5年も列車を待ってメガネを作ることのできた老女がいた。メガネを受け取ったかの所の目に涙が浮かんでいたそうだ。そんな彼女にももちろん家族もあり、孫も生まれたそうだ。彼女は自分にはチャンスもあり恵まれている、だからいろいろな意味で恵まれている自分が頑張らなくてはいけないという。

 医師の中にもリーダーがいる。ここでは歯科医のリーダーとしてモーリンという女性が紹介されている。20代後半の彼女は学生時代にこのピロペパ号に乗ったことがきっかけで常勤スタッフになった。実習生達にとって、この列車での経験は大きな力となる。彼女にとってもそうだったのだろう。大学では1週間に4人の治療をするだけだが、列車に乗れば1日で20人を診察する。そうした15人の医学部最終学年の実習生達を彼女は最後まで指導し支援していく。ほとんどがヨーロッパ系の白人学生達で中には中国系の学生もいる様だった。今南アフリカは中国の進出が著しい。

 彼女は停車した駅の近隣の小学校などにも出かけてゆき歯科検診を行い治療の必要な子供には列車に来る様に伝える。歯磨き指導も行っていた。家族がそれぞれの歯ブラシを買うお金はない。歯ブラシを買うくらいなら食べ物を買うのだからと、アメリカ、コルゲイトの支援があるのだろう、子供達に歯ブラシを配る。
 9ヶ月の列車の生活は個室があるとはいえ両腕を伸ばすことができない程の狭い部屋で、それも疲労のため気にならなくなるという。恋人もなく、こんな所にいていいのかと不安にもなる。医師としての責任感と若い女性としての素顔とがかいま見える。スタッフの側にも人間ドラマがある。

 眼科には医師のマリッサの他にもう一人、アンドリーズ・マココという現地のスタッフがいる。彼は44歳のヨハネスブルグ近郊出身のメガネ技師助手である。南アフリカ人で、白人系ではない。人種差別で学校にもろくに通えなかったが、独学で処方箋が読める迄になり、この列車の常勤スタッフとして働いている。一日60組のメガネを作るのである。彼はいう、10分でできあがるメガネが患者の人生を変えることに誇りを感じる。同じ南アフリカの人間として彼は生き生きとしていた。彼であるが故にわかる南アフリカの忘れられた人々の現状がある。寒さに震え、高い失業率により貧困は過酷な生活状況を強いられる。とても人が住める様な場所ではないところに人々はトタン屋根の粗末な家を建て、国家事業のブロックの家を建てて住んでいる。我々が見てもそれがどれほどのモノか、わかるはずもない。郊外に住む人々は自分などに価値がないと考える人も少なくないため、こうした列車の存在に驚き、喜び、そして感謝する人が多くいるという。

 まだまだ紹介したいあれこれがあるが、リリアン・シンゴの言葉をもう一つ紹介しておきたい。これは先ほどの実習生達に彼女が行った言葉の一部である。

 This train is not only about physical healing, but emotional, psychological, and mental healing, and you know that a lot of people you serve need that healing.

 「この列車は、ただたんに肉体的な治療を行うだけのものではありません、この列車は感情の面で、心理的な面で、そして精神的な面での治療を行い、そしてここには多くの人がそうした治癒・治療を必要としているのです。」
経済学者 ジェフリー・サックス 〜貧困のない世界を目指して〜 [2009年10月19日(Mon)]
2009年5月6日(再放送)NHK BS1
『未来への提言 経済学者 ジェフリー・サックス 〜貧困のない世界を目指して〜』

「パンクロッカーの様な反骨精神のある世界的な経済学者だ」

  U2のボノ氏が称したのは、米コロンビア大学地球研究所所長のジェフリー・サックス氏である。NHK/BS1の『未来への提言』では、世界的に活動を行い、人間社会の矛盾を解決しようと日々努力する人々を取り上げている。2009年5月6日放映の同番組では、このジェフリー・サックス氏が取り上げられた。ロングインタビューを行ったのは、元国連事務次長を務めた明石康氏である。彼らは共に、国連事務総長の元で世界平和のために尽力した間柄である。

  国際連合は、2000年を迎えた時「国連ミレニアム宣言」を採択した。そこには「国連ミレニアム開発目標」というものが掲げられた。

  (1)極度の貧困と飢餓の撲滅
  (2)普遍的な初等教育の達成
  (3)ジェンダーの平等の推進と女性の地位向上
  (4)幼児死亡率の引き下げ
  (5)妊産婦の健康状態の改善
  (6)HIV/エイズ、マラリア、その他の疾病の蔓延の防止
  (7)環境の持続可能性の確保
  (8)開発のためのグローバル・パートナーシップの構築
http://www.unic.or.jp/mdg/goal.html

  
  以上の8項目が掲げられ、2015年までにこれらの目標を達成することを現在加盟の189カ国が誓約した。しかし、残すところあと6年ほどになり、今年2009年は丁度中間の時期に当たる。極度の貧困状態にある(1日1ドル未満の生活状態にある)人は世界で5人に1人という状況を半分にしようとする試みが始まったが、サブプライム問題、そして世界的な経済不況のなかで、明石氏はサックス氏に達成可能な目標であるのかと厳しい質問をいきなり投げかけた。
  サックス氏の答えは決して見通しの明るいものであるとはいけなかった。「可能性は信じるが、順調ではない」と正直な解答をする。現実を見据えた、その意志の感じられる口調に、何かしら漠然とした希望を見いだせる何かがあった。

  『アフリカを緑の大地に』で、ワンガリ・マータイ氏がアフリカの現状について語った様に、アフリカでは女性の仕事は過酷である。幼い少女が何キロも離れた水場に重い容器を抱えて夜明け前から出かけてゆき、何倍もの重さになった水を運んで帰ってくる。それが済むと、乾燥してカラカラになり、すべての樹木が枯死したかつての草原に、燃料となる薪を拾いに行く。20キロほどにもなるものを女性達は毎日探しに出かける。日常的に樹木が育つ土地では、自然に枝が堕ちてくる。それは、そのまま自然の恵みとして燃料に利用できる。また、水も同様に樹木によって大地に保水力が生まれる。マータイ氏はそれを植林によってよみがえらせることを試みた。すでに30万本以上の植林が行われた。
  ジェフリー・サックス氏は、特にサハラ砂漠以南の特に貧困の激しい地域に「ミレニアム・ヴィレッジ」を指定し、小さなインフラ整備を行うことを始めた。1日25セント以下で暮らす人が人口の40%以上というセネガルの村をミレニアム・ヴィレッジとして、一本の水道を引く。すると、女性達は朝の水くみをしなくてもよい。更に、その手伝いをしていた少女達は学校に通う時間が生まれた。当然、水くみに行く時間がなくなるので、家族の朝食にも気を配ることが可能になり、毎日の洗濯も可能になる。こうして公衆衛生のレベルが上がる。これは、単なる貧困の解決だけではなくて、生命の存続に直結している。これらのインフラ整備は、加盟国先進国の資金援助に、アメリカからの水道管の無償提供があったことが背景にあった。
  ミレニアム・ヴィレッジは、サックス氏の計画では10年計画で進行していくプログラムである。最初の5年は援助で、次の5年はビジネスへと移行し自らが収入を得ていく、または経済活動を行っていくというものである。そのビジネスが農業ビジネスであり、ここにもまた世界の最先端の技術の一つを持つ日本が貢献する場があるのだ。具体的な内容についてはほとんど触れていないが、アフリカでの農業ビジネスは、多くの場合ヨーロッパなどに輸出するための商品作物(cash crops)のために森林を伐採し農業を大規模で行ったことで逆に土地が荒れ、貧困につながっていったという過去がある。さらに、そうして作られた作物は生産者の口にほとんど入らないものであり、また同時に信じがたい安値で買いたたかれてゆくのである。ここで取り上げられていないのはフェアトレードのことである。農業ビジネスに転換するとして、その作物はどのようなルートに流れていくのか、フェアトレードが保証されているのかこうした点については疑問が残った。

  ”Ladder of Development” 発展のはしごの一番下の段にまず足をかける手助けをすることで、自力で一段ずつ上がってゆける大きなきっかけになるのだという。ただ、この最初の一段がなかなか大変なものであることは今の世界情勢の一片でも見ればわかる様に思われる。こうした活動に、今一番貢献できるのは日本かもしれない。サックス氏は、1868年明治維新における日本の転換期のすばらしさを一つのモデルとしているという。挙国一致の社会のパラダイムを転換させた日本のその後の発展のその過程は、現在様々な社会的困難から脱却できていない極度の貧困状態にあるアフリカを中心とした国々の今後に様々な形で一つのお手本になる。つまり、その歴史を肌で知っている日本人が、すでに最先端の技術を持ち、そしてジャパン・マネーという世界中から期待される切り札を持っているなかで、より世界的な存在意義を示すことができるということになるからである。
  また、日本国内で行き詰まりを見せ、むしろ社会的な毒素となりつつある公共事業はアフリカには巨大な市場がある。ミレニアム・ヴィレッジの対象となりたい村はたくさんある。しかし、それには資金がない。長期的な展望で、最初の一押しに手を貸すことができれば、多くの最貧国は貧困の罠から抜け出ることができるのだという。

  社会活動家のほとんどが使う表現がある。“Sustainable Development”( 環境維持開発、持続可能な発展[開発])はこれまで取り上げられてきたほとんどの人権活動家、平和活動か、経済学者や支援活動をしている人々が世界平和のために必要なものとしてあげる。持続可能な平和と開発は、日本にいてはほとんど感じることのないできごとと大きな関わりを持つ。紛争や貧困、そのほとんどは内戦や民族紛争などだが、これは深刻な経済問題へとつながっている。一晩で数十万人が難民となることが起こる現在、こうした人々が国境を越えて他国に逃れた際に、そこでさらなる対立の原因が生まれることがある。こうした際に、暴力行為が劇化し、戦争に発展する。先進国にこうしたことが影響しないわけはない。援助を求めてくる人々、民族、地域があったとしても、利害関係でどちらにつくかが決まってしまう。そして、先進国では生産された軍事品を消費する必要もあってか、支援は多くの場合軍隊を送り爆撃をすることにつながる。ところが、コソヴォ紛争でも明らかになった様に、軍隊を送り武力鎮圧を試みるが逆に難民を増加させてしまい、復興のきっかけをつぶしてしまうことにつながっている。紛争は政治的な側面ばかりではないのだとサックス氏はいう。マータイ氏の環境活動も結果として人権活動につながっていき、それが貧困救済のための社会活動にもつながっていった。これも同様に“Sustainable Development”につながっていったのだが、自然再生の活動を続けていた彼女も同様に政治だけの問題ではないという。経済の問題、人権の問題、社会全体の問題がある。
  人々が希望を持てること、敵か味方かだけのこだわりは紛争の再発につながると、サックス氏は言う。だから、外部からの支援で社会的な余裕を作り出し、緊張を和らげて解決の糸口を作る。そのために重要な社会のバランスの取り方について、サックス氏は自由市場のダイナミズムにのるある種の原理主義ではなく、@市場、A国家、そしてBNGO・NPOのこの健全なバランスが重要であり、このバランスが健全な社会に重要だという。政府だけでもなく、市場だけでもなく、一つに頼る原理主義ではない社会で、人的要素、市民セクターであるNGO・NPOのチェック機能や研究者による検証を生かしながらSafety Netを失わない社会が今後必要とされる。これは、現在貧困に苦しむ社会に対していっているのではなく先進国も含めたすべての社会に必要だとサックス氏は提言する。
  ジェフリー・サックス氏が大切にしている言葉がある。それは故ケネディー大統領による平和の演説である。

「お互いのちがいを直視しよう。しかし、共通の利益にも目を向けちがいを解消する方法を探そう。そしてもし今、ちがいが解消できなくても、せめて多様性を許容する世界を目指せるはずだ。」


  平和にいたる力は我々の内面から、相手にどうせよというのではなく我々自身の態度が重要である。敵も人間であり、平和を願う心は同じである。理想の力を信じようとジェフリー・サックス氏はいう。

For the world to cooperate to achieve Peace and Sustainable Development.
平和と持続可能な発展を達成するために世界は協力する。

善意の結集が求められる今世紀である。
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