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【連載第二回】協働が社会契約の基本 [2011年10月05日(水)]
ずいぶん前のこと。
NPO法人の法律が出来た頃だったと思います。

「自分の組織は、NPOだ」って
やってきた人がいたので、

相手にしませんでした。

だって、今日びは、街の魚屋さんでも株式会社。
株式会社が「うちは株式会社だって」って仕事の話しにきますか?

来ないですよね。

うちは、雑貨屋だとか、パソコン屋だとか言って、
要するに、何ができるか、どんな会社なのかを説明して、
相手との接点がどこにあるか語って、
「だから、こういうビジネスしませんか」って

提案になるわけで、

「NPOだから」なんて説明は、
聞いてられない・・・

で、連載第二回・社会契約のお話です。

ルソーは、人間不平等起源論の中で、
自然状態の人間が、社会を形成していく契機として、
「ウサギ狩り」の話を持ち出します。

ウサギはひとりじゃ捕まえられない、
どうしたって、他人と協力しないといけない・・・

ここってすごく重要だと思うのです。

万人の万人に対する闘争を調停するとか、
一般意志がどうだとか・・・

そういうことの前に、
そもそも、人はひとりでは生きていけない、
何もできない、

だから、他人と協働関係を持とうとする、
その時に、労力とか、モノとか、お金とかを持ち寄る・・・

その協働関係についての契約形式が組織によって、いろいろ違う・・・

持ち寄るお金が、

株式会社なら株
NPOなら会費
行政なら税金
宗教組織なら献金とかお布施

名称が違うだけで、協働のために持ち寄っていると言うことは同じ。

そして、都市と農村では、この社会契約のあり方が違う。

僕が仕事ではじめて農村に接したのは、秋田で環境計画を作るお手伝いを
した時。

この時、農村は保守的と言う評価は間違いだと気付きました。
都会人がデスクの上で立てたプランを持っていって、
受け入れられないのは、
農村には農村の論理があるからで、

こちらの提案を受け入れないからと言って、
「閉鎖的」だとか、「新しいことをしようとしない」とかと
批判するのは筋違い・・・

そういう批判って、何かペイガン(異端・異教徒に対する蔑称、原義は「田舎者」)
って相手を見下すみたいな思想が混じっていないか?

そう思ったわけです。

名前は忘れちゃいましたが、
白人の伝道師で、アメリカ・インディアンに
キリスト教を伝えるんじゃなくて、
逆に、白人側にインディアンの文化を
伝えて、両者をつなごうとした人がいたそうですが、

都市と農村の間で、菜園起業家の役割は
まさにそれ。

農村について理解して、都会に説明していく
そして、両者の交流を作りながら、
農村にも新しい風を入れていく・・・

そこから何かが生まれてくる・・・

たぶん、こういうスタンスに立っていたから、
今回、埼玉県初、農林公社からの特定農地貸付を受けて
企業市民農園の開設に成功できたんだと思っています。

では、農村の社会契約は都会とどう違うのか?

その点の説明は、また次回。
(続く)
都市と農村の社会契約 [2011年09月27日(火)]
社会契約論と言えば、ジャン・ジャック・ルソー。

そのルソーの「人間不平等起源論」の中に、
「自然状態における人間」の考察が出てきます。

菜園クラブが進める農村旅行や
地域食農連合、シェア菜園など、

都市と農村の交流企画を考える上で、
なるほどと思う指摘が多数・・・

まず、自然状態での人間は、
「食欲・異性・休息」への欲求+「他人への憐れみの情」で
成り立っていると言う点。

ちょっと孟子・告子論争を思わせます。
孟子 「人には忍びざるの情あり」
告子 「性は生である、すなわち食と色である。」


・・・

いろいろ都市と農村の間を往復してみて、
日本の農村部の人は、都会人より
この自然状態に近いんじゃないかと思います。

まず、情は都会人より絶対に深い。
前にパキスタン人連れて、地方に出かけて、
駅に降り立ったら、お昼食べる時、ラーメン屋さんが一軒しかない。

でも、「この人、ムスリムだ」って説明したら、
ちゃんと、ラード抜きのオムレツ作ってくれました。

都会のラーメン屋さんだとああいうことしてくれないことが多い。
メニューが決まっているからとか言っちゃって・・・。

もう一つ、自分の生が安定していると言うこと。
「食」とか「色」とか「休息」と言うのは、
自分と家族の生活の安定だって考えてみると、
農家の生活は都会人よりしっかりしている。

現金収入は都会より得にくいかもしれないけど、
衣食住の食と住はちゃんとあるんだから・・・。

(逆に言うと、だから、都市との交流とかと言っていても、
面倒くさくなると、「ヤメタ」って言っちゃう農家の人、
けっこういます。

つまり、そんなことしなくても、さしあたり困らないから・・・)

でも、でも、でも、
やっぱり、今のまんまだと、何か困るんだよなあ、
農村側としても・・・

だから、何か外部との交流をしていきたい・・・

都市と農村を結ぶ菜園起業に関わっていて、
ここらあたりのちょっと矛盾した気持ちが農村の
人たちの心情の中にあるように感じることが
多いです。

ルソーは自然状態の人間が、
どこかで「限界」につきあたり、
やがて、社会が形成されていくプロセスを
論じていますが、

このあたりがとても参考になります。

そして、もしかしたら、これは、
ネクスト・ソサエティを考えていく上での
手がかりになるかもしれません。

なぜなら、この問題を考えることは、
そもそも、人はなぜ他人との関わりを求めるのか?

人と人が関わって社会が成り立つとすれば、
人はなぜ社会を必要とするのか?

根源に立ち返って考えることになるからです。

「食・色・休息」への欲求と「他人への情」
その両方を持つ人間が形成する
社会はどうあるべきか?

諸子百家の昔より繰り返されてきた
論争ですが、改めて考えてみたいと思います。

(続く)
【連載第八回】ふれあいは、タッチアンドラブ [2011年09月22日(木)]
「日本」について、世界に発信していこうとすると、
どうしても、日本独特のものや考えを伝えなければなりません。

それをどう伝えるか?

実は、古事記を書くにあたって、
太安萬侶(おおのやすまろ)が、

この難問に取り組んでいます。

古事記は、漢文で書かれていますが、
部分的に、当時の「倭語」をそのまま使っています。

当時はカナがないので、万葉仮名ですが、
古事記の漢文は、
スサノオがイサチル(注:イサチルは、音写)
みたいな書き方になっています。

どうしてこんなことをしたかというと、
漢文では、意味が伝わらない、
かといって、倭語の口承をそのまま延々と
書いていたら、長くなりすぎて、
やっぱり伝わらない

だから、両方をミックスしたと言うわけです。

「いさちる」は、拒否して泣きわめくこと。
スサノオが悪役と言うのは現代人の考え方。

神話の世界観では、赤ん坊がダダをこねて
泣くと、大人の秩序が乱されるように
スサノオが泣くことで、世界が崩れていく、

そこからドラマが始まる・・・

犬がしゃべったり、タイヤキが逃げ出したりすると、
ヒット作が生まれるように、

古事記は、スサノオがイサチルから面白いんで、
それを漢語で「啼泣」なんて書いたら伝わらないから、

「イサチル」ってそのまま使っちゃおうってわけです。

これを現代の英作文に当てはめれば、

I fureau you;
 "Fureau" is Japanese.

って、「ふれあい」をそのままアルファベットで
英文の動詞にしちゃうみたいなものでしょうか。

「菜園」とか、「ふれあい」とか、
確かに英訳しにくい言葉です。

「キッチンガーデン」だと、日々の食事に使うものを
自給する場と言う意味であって、

菜の花畑の情感は伝わってきません。

「アロットメントガーデン」は区切られた場所、
つまり、区画ごとに分けられたレンタル農園的な
イメージで、
そもそも「土とふれあう場」と言う楽しさが
浮かんでこないように思います。

「ふれあい」については、日系カリフォルニア人が、
「タッチアンドラブ」って直訳のコピーを使ってましたが、
いまだに、これが一番伝わるような気がします。

菜園とは、人が土にタッチアンドラブするところの場である。
(関係代名詞直訳調)

何か長いですが、略しちゃえば、「FTLG」・・・?

ただ、これだと、「土(グラウンド)」が目的語。

「土にふれあう」は、「土」の側にも、人に関わってくる
主体性を認めてますが、

英語では、グラウンドやソイルは人間と愛し合ったりしない。

それに、日本語の「土」は、大地そのものと言うニュアンスと
「土づくり」のように、土壌自体の両方を指す

つまり、グラウンドとソイルの両義が含まれているように
思います。

じゃあ、思い切って意訳・・・
ペットは「コンパニオン・アニマル」(人と共生する動物)と言うのだから、
菜園は、「コンパニオン・ガーデン」。

だいぶ、近づいてきたように思いますが、
そもそも、「菜」は自生するものを含んでいます。

山菜に対して、野菜、
野原に生えている食用植物を摘むと言う文化。

いまだにあぜ道のフキやセリを採って食べると言う文化、

ここがガーデンだと、何かしっくりこないような・・・

もう一捻りして、「コンパニオン・フィールド」。

「フィールド」が人と共生する?
でも、フィールドの中に、人もいるんじゃ?

だから、フィールドは自己である、
自己とは、フィールド自身がフィールドに関係するところの
関係であって、その関係にフィールド自身も関係するのである
(キルケゴール調)。

FSRS(フィールド・セルフ・リレーションシップ SATC調)。

菜園において、人と自然は、分離もしないし、消滅もしてしまわないような
独特の形式で結合し、それぞれがその本質を保ちつつ存在し、
かつ関係しあって、その本質を全うする(カルケドン調)。

話が飛んでしまいました。

「日本」のセールスにあたって、
「日本」をどう伝えていくか?

いろいろ考えてみるのは面白いことだと思います。
【連載第七回】「川」タイプの日本文化 [2011年09月14日(水)]
日本のセールス方法、連載第七回です。

この間、川口市で麦みその復活に取り組んでいる食品会社の方と
お話ししました。

川口は元々麦の産地で、1960年代頃まで、
麦ミソの醸造や出荷が盛んに行われていたそうです。

そういう歴史を今の人達に伝え、
プロジェクトに参加していってもらうと同時に
海外にもメッセージを発信していく・・・

そこで出てきたのが、「ジャン」ロードと言うキーワード。

ジャンは、もちろん「醤」。

ベトナムから韓国まで広く分布する東アジア発酵食品文化圏。

もうニョクナムとか、ショッツルとか、コチュジャンとか、
いろんなものが考えられますね。

ここで思い出したのが、歴史学者・安本美典氏の
日本語の起源についての「成立論」。

同氏によると、言語の起源を考えるには、
「系統論」と「成立論」があり、

インド・ヨーロッパ語族の場合には、ひとつの祖語から
枝分かれしていった「系統論」が有効だが、

日本語の場合、いろんなものが流れこんできて、
複合した「成立論」の方が有効じゃないかと言うわけです。

同氏の学説については、いろんな意見があるみたいですが、

ただ、少なくとも、日本語の起源を考える場合、
欧米語の形成モデルをそのまま当てはめるのでなく、

まるで、様々な源流から流れこんできた
要素から生れた川が日本語だという発想は、
聞くべき価値があるように思います。

そして、日本語だけでなく、日本文化そのものが、
「川」のようなもの。

様々な国から流れこんできた文化が入り交じって
生まれています。

「日本」を世界にセールスしていく場合、
「川」であることのメリットとか、特徴とか、
そういうことをもっと考えて見てもいいんじゃないか

麦みそのお話を伺いながら、そんなことも感じました。
【連載第六回】誇りを持った消費者の育成 [2011年09月07日(水)]
この間、「農家専門」の種屋さんとお話ししました。

ちょっと珍しい品種の種がたくさん、

直売所などで野菜を売りたいと考える農家の方向けに
ご商売されているとのこと。

逆に言うと、直売に熱心な農家の方は、
ナスでも、トマトでも、スーパーマーケットに並んでいる野菜
とは一味ちがう種類の野菜を育てていこうとしているとも
言えます。

さて、この種屋さんから聞いた興味深いお話、

それは、「流通の都合」で品種が決まっているとのこと。

例えば、日持ちがするトマトとか・・・

消費者の方は、それに慣らされてしまって、
トマトと言えば、その品種みたいに思っているが
実は違う・・・

前にも大根について、なぜ「青首」が小売店を
席巻しているのかと言う話を聞いたことがあります。

練馬とか、三浦とか、中ぶくら系の品種は、
ダンボール箱に詰めた時に隙間ができる、

だから輸送効率が悪い、
青首は隙間なくぎっしり詰められる・・・

ですから、この種屋さんのお話聞いて思ったのは、
「トマトよ、お前もか」でした。

「日本」と言うものを世界の人達にセールスしていく時、
こういう消費者の意識を変えていく必要があるんじゃないかと
思います。

日本の隅々にある地方文化、地方文化とともに
ある地方品種、そういうものに誇りがもてないと
いけない、

誇り以前に知識も持っていなくて、
ただ、スーパーで売られている野菜が
すべてだと思っている状態、

これは、「日本」を世界にセールスする上で、
根本的な障壁ではないでしょうか?

ご当地野菜を育てる、食べる、意識する、
誇りを持つ

そういう市民が当たり前に存在する国
「日本」、

そういう状態を目指したいですね。
【連載第五回】ハイテクとゆらぎの文化 [2011年08月31日(水)]
先日、「これからのエ〜ネ・ライフスタイルin新宿」http://kokucheese.com/event/index/15672/

と言うイベントで、半農ライフについて語ってきました。

このイベントは、3.11後のライフスタイルをどう考えるかが
テーマでしたが、

イベント中で紹介されたLEDは、今後の日本の再生を考える上で、
貴重な手がかりを与えるものでした。

この時デモされたLED技術は、
100分の1秒と言う単位で、電圧を変化させ、
ゆらぎ照明を創りだすもの。

フィルターを入れると、様々な色合いの照明になり、
シェードを工夫すると、
まるで、昔のランプのような灯りにもなります。

プレゼンでは、ガラス工芸の伝統職人さんとのコラボによる
写真が映しだされました。

こうした優れた照明は、中国製ではできないのだそうです。

ハイテクによる和の灯りの実現、
こうしたものを日本文化とセットにして売っていく。

たとえば、源氏物語とか、竹取物語とか、
ああいうものを映画化して、その中で使い、
画像とともに、海外に発信していったらどうでしょうか?

今回紹介されたLEDは、星のまたたきや蛍の光、自然界にある1/fゆらぎを
現代技術の力で実現した技術だそうです。

では、星や蛍についての日本人の文化、
そういうものを映像とともに、世界に発信していけないか?

そういう形で、「日本」を世界にセールスしていく
可能性があるのでは・・・?

そういうことを感じたゆらぎのLED技術でした。
【連載第四回】漢文で書かれたセールス文書 [2011年08月24日(水)]
「日本のセールス方法」連載第四回です。

日本書紀は、国生み神話で始まり、
壬申の乱の後、日本と言う国が成立した時を
持って終わります。

第二回、第三回で述べてきたとおり、

冒頭部は、
「天地創造の時、『日本』も作られた」、

ラストは、「東・西の連携により、『日本』が生れた」
と言うメッセージを発する物語です。

この2つの物語に挟まれる形で、
日本列島が形成されてから、
「日本」がどのように成立していったかを
書いているのが、日本書紀です。

この日本書紀は、漢文、
すなわち、唐代の中国語で書かれています。

いわば、当時のグローバルスタンダード、
今日で言えば、国際的なレポートが
英語で書かれているようなものです。

日本書紀ははじめから世界に向けたメッセージだった
わけです。

「日本はグローバルスタンダードを承認します。
でも、『日本』と言う国があることも認めて下さい。

『日本』には、東西6千キロにわたって、多様な気候風土の
地域があり、それぞれ様々な地方文化が形成されています。

そうした多様な文化が共生する場として
『日本』は存在しているのです。」

そういうメッセージを、世界共通語である漢文で書いて発信した
それが日本書紀だと言えるでしょう。

だから、日本書紀はセールス文書です。

グローバルの中でローカルを発信する、
それが、「日本」をセールスする原点です。

【連載第三回】東国と西国 [2011年08月17日(水)]
「日本」のセールス方法、連載第三回、
今回は、「日本」の内側にあるローカル文化についてです。

日本の国名が出来たのは、7世紀末から8世紀初め頃だと
言われています。

魏志倭人伝とか、隋書倭国伝とかと言うように、
中国の歴史書には、倭と言う名称が登場してきますが、
日本と言う表現は出てきませんでした。

日本と言う国名が使われるようになったのは、
「唐書」、つまり、唐の時代の歴史書からで、
唐書によると、702年の遣唐使が、日本の名を伝えた
ことになっています。

では、日本が生まれた頃、何があったか?
それは、壬申の乱です。

壬申の乱の後に、飛鳥浄御原令とか、
大宝律令とかが定められ、

その過程の中で、日本と言う国名も
成立したわけです。

では、その壬申の乱とはいかなる戦いだったのか?
この点について、日本書紀は、とても面白いことを書いています。

西国にいた大海人皇子が、東国に向かって
脱出し、東国の人達の支援を受けて、
西国に反攻し、勝利を収めた。

つまり、東・西の連携があって、
「日本」が成立したわけです。

東国・西国と言う呼び名から分かる通り、
当時、東西は別々の国だと思われていました。

今でも関西弁とか、納豆を食べないとか、
西日本の文化は東日本とは
違いますが、
古代にあっては、衣食住とも全然違う文化だったでしょう。

そして、東西の境界には、関所が設けられていました。
(関所より西だから関西、東だから関東です。)

この関所を越えて、東国に行き、
そして戻ってくる。

こういう行動の中で東西が統一されて、
「日本」が出来た。

これが日本書紀が伝えるところです。

東・西、6000キロに伸びる日本列島には、
それぞれの地域に独自の文化が根付いています。

そういう多様な文化が共生する場所、
それが「日本」だと言えるでしょう。
【連載第二回】天地創造の時に「日本」も生れた [2011年08月09日(火)]
「日本」のセールス方法 連載第二回です。

世界の人達に「日本」を説明していく時、
そもそも日本の国土は、天地創造の時に
生れたんだと言う、

こういう言い方ができるんじゃないか、
こういう言い方によって、
グローバルの中で、ローカルを主張していく、

これが今回のポイントです。

日本書紀の冒頭は、
「天地開闢(かいびゃくと読みます)の時に、」

と言う話で、日本の国土が生まれてきたお話が出てきます。

いわゆる「国生み神話」ですが、
こういう神話のあり方は世界でも珍しいと言われています。

普通、たとえば、聖書神話とかギリシャ神話では、
「世界がこんな風に始まった」
「人間がこう作られた」
と言うお話から始まります。

日本書紀では、そういうお話は出てこないわけです。
そして、「天地開闢」というのは、世界が出来た時のことですが、
世界の始まりのお話をしないで、

「世界が生まれるとともに、日本も出来た」

こういう風に言っているのが、日本書紀の特色なわけです。

もう少し詳しく言うと、「天地開闢」というのは、中国神話に
出てくるお話です。

中国の神話では、元々、天も地も一体でしたが、
盤古と言う巨人がそれを2つに分けてしまった

これが天地開闢です。

聖書神話でも、天地の区別はありませんでした。
それが、2つに分かれ、更に、乾いた地と水が集まる海が
出来て、世界が生れたとされています。

このお話は、メソポタミア神話のモチーフが
旧約聖書に反映されたものだそうです。

ギリシャ神話だと、カオスからガイア(大地)が生まれ、
クロノスが死んで、
ゼウス(天)、ハデス(地)、ネプチューン(海)の時代になる、

こういう風に、最初は、渾然一体だった天・地・水が
分離していって、世界が誕生する

これが、当時、ギリシャから中国まで、
ユーラシア大陸に分布していた神話のモチーフです。
いわば、古代のグローバルスタンダードです。

ですから、「天地開闢の時に日本が生れた」
と言うのは、

日本はグローバルスタンダードを承認します。
世界の中で生きていきます。

でも、同時に、「日本」って言うローカルが
存在することも認めてくださいね

と言う主張でもあるわけです。

神様が世界を創った、まさにその時、
東アジアの片隅で、「日本」も生れたんだ

日本書紀は、こういうメッセージから始まっているんだ
と言うことを確認して、今回は終わりにしたいと思います。

次回は、グローバル側からみたローカルについてです。

「日本」のセールス方法 [2011年08月03日(水)]
日本の再生に向けて、
「日本そのもの」を売っていくことが
問われています。

日本の文化、ライフスタイル、自然景観・・・

「日本」という価値をどう世界の人々に伝えていくか?
田園景観保全を目指す菜園起業のミッションとも
重なる問題意識です。

これについての試論を少し述べていきたいと思います。

初回は、そもそも「日本」とは何か?についてです。

こういう問い自体が無理だと言う考え方もあります。

「キリスト教とはそもそも何だったのか、と問うてみても、
その問いそのものが無理な問いなのである。

あれだけ広範で多種多様な動きをはらんだ歴史現象を、
キリスト教とはかくかくしかじかのものである、などと
定義できるわけもないからだ。

そういう問いそのものを放棄することが歴史の幅を広く
理解することにつらなるのである。」
(田川建三 書物としての新約聖書 より)

なかなか、含蓄のある記述です。
さすが一流の学者は違います。

この本で言う「キリスト教」を
「日本」に置き換えてみれば、
同じことかもしれません。

「日本」もやはり広範で多種多様な動きをはらんだ
歴史現象だといえるからです。

だから、日本とはかくかくしかじかである
などと定義することはやっぱり難しいのかもしれません。

でも、日本のことを全く知らない地球の裏側の人に、
「日本」を売り込んでいく、

そのセールスプロモーションをしようと思ったら、
「日本」ってこうなんだぜって言わなきゃいけないと思います。

だから、無理を承知で、「日本」とは何か?
を言う、

そのセールストークに、「日本書紀」を使ったらどうか、
そして、

1)世界の人々と共生する日本
2)多様な地域文化が生き続ける日本

この2つを日本の原点として主張してみたらどうか?
つまり、グローバルとローカル、この二点が両立しているのが、
「日本」なんだと言ってみたらどうか?

その論拠として、日本書紀が使えるんじゃないか?

その理由は次回述べます。


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