とっぴんぱらり
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地方によって昔話のおわりに「とっぴんぱらりのぷぅ」とか、「どっとはらい」などの結び文字がつくものです。うとうとと、夢と現実のはざまできいたさまざまなお話。ピュアな心で読んで戴きたいお話を綴ります。うそか、ほんとか、夢か現実か・・・?その判断は、読者様におまかせします。日常の中に、ちょっとしたブレイクを。
ja
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幸か不幸か
久しぶりにブログを更新します。初孫がこの世に生まれて二日目に難病を発症しました。はじめは産婦人科にいて、夜間、母親である娘が異変に気づき地域で一番大きな総合病院へ朝4時半、孫は緊急搬送されました。新生児専門の集中治療室「NICU」で母親とも隔離され、治療されていましたが、病名は二転三転し、7か月を経た今でも変わる可能性があり、治療は難航しています。原因は不明。ゆえに治療法も確定していない。検査と治療を繰り返し、似たような症例を全国から情報を集めて試しています。手を尽くしても完..
生きる
小田 航
2023-07-21T14:00:27+09:00
久しぶりにブログを更新します。
初孫が
この世に生まれて二日目に
難病を発症しました。
はじめは産婦人科にいて、夜間、
母親である娘が異変に気づき
地域で一番大きな総合病院へ
朝4時半、孫は緊急搬送されました。
新生児専門の集中治療室「NICU」で
母親とも隔離され、治療されていましたが、
病名は二転三転し、7か月を経た今でも
変わる可能性があり、治療は難航しています。
原因は不明。ゆえに治療法も確定していない。
検査と治療を繰り返し、似たような症例を
全国から情報を集めて試しています。
手を尽くしても完治が難しい。
それが「難病」なのだと理解しました。
原因不明の難病になった孫は
不運ではありました。
幸せともいえないでしょう。
しかし不幸せなのか、というと、
そうではないように思えるのです。
多くの人にかかわってもらい、
日々手厚く看護され、
両親から愛され、大切にされて、
24時間、誰か身内がそばにいます。
なにか少しでもできるようになったことがあれば
みんなが大喜びして褒めてもくれます。
そんなときは、なんだか嬉しそうです。
孫は特別な病ゆえ、
これから大きくなってもきっと、
誰かと競争することを強いられることは
きっとないでしょう。
状況的にみて、犯罪を犯すことも、
ゲームにおぼれて不登校になることも、
意図的に誰かを傷つけることも、
無い人生になるしょう。
私は長く教員をしていて、
様々な家庭や子供を見てきて
何が幸せで何が不幸なのか、
さんざん考えてきました。
何があれば幸せで
何がなければ不幸せなのか
その定義は 基準は 価値観は
私たち それぞれの 心の中にあります。
だから孫も娘も私も
幸か不幸かは自分の心が決めます。
他人から見れば
初孫が難病なんて、お気の毒でしかないでしょう。
いわんや娘たち夫婦をや、です。
たしかに最初は、
受け入れがたい現実ではありました。
しかし、生まれてからずっと、
様々な治療に文句も言わず耐える孫の、
疑いのない澄んだ瞳を覗く時、
指を置けば強く握り返してくる小さな手の
柔らかさと温かさを感じる問、
言葉にできない涙が
溢れてきます。
ただ真摯に生きようと一生懸命な
小さな命に、人はどう生きるべきかを
本当に大切にすべきものは何か、を
思い出させてもらうような、
教えてもらっているような
そんな気がして 泣けるのです。
まだ口もきけぬ 難病の孫から
教えてもらうことがあるのです。
孫が難病になって、
はじめて知る世界もありました。
還暦を過ぎて、教師を30年もやってきて、
NPOやボランティアで様々なことを
してきたにもかかわらず、知らなかった
これまでどこでも学べなかった知識や、
知り得なかった人の生きざま、努力、
社会 英知、哲学、心理…。
それは死ぬまでに知っておけてよかった、
と思うことばかりでした。
娘は、必死で育児と看護をしています。
孫に「アナタがいてくれて幸せよ」
と、言いながら…。
急遽退職した私に
「毎日何をなさっているのですか?」
と聞く人がいますが、
私は、娘の応援団長をしています。
(孫については口出し無用!)
この命ある間は、身体が動く間は、
できるサポートはしていきます。
為すべきことがあることは、
人として幸いなことなのです。
ここへきて、
人生がさらに深くなっているなぁ、と
感じているので、お伝えすべきことあれば
またここに記してまいります。
・・・・・・・・・・・・・
とっぴんぱらり。
この物語が
ハッピーエンドでありますように。
おつきあいいただき、ありがとうございました。
皆様も今日が善き日でありますように。
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コロナでも心は動く
すっかりご無沙汰をいたしました。コロナ禍の新年を、皆様いかがお過ごしでしょうか。また、大雪に見舞われた地域の皆様にはお見舞い申し上げます。本当に地球に試されているような日々です。人生において大切なものがたくさん、封じ込められているような、奪われていくような大変な時代に突入しました。しかしただ黙って何もせずにはおられぬ我が性分。せっせと断捨離、リフォーム、資格取得などなど。おかげで家のことで気になるところはほぼなくすことはできました。そんな折、娘があれよあれよという間に良いご縁..
恋愛・結婚
小田 航
2021-01-11T16:51:32+09:00
すっかりご無沙汰をいたしました。
コロナ禍の新年を、皆様いかがお過ごしでしょうか。
また、大雪に見舞われた地域の皆様には
お見舞い申し上げます。
本当に地球に試されているような日々です。
人生において大切なものがたくさん、
封じ込められているような、奪われていくような
大変な時代に突入しました。
しかし
ただ黙って何もせずにはおられぬ我が性分。
せっせと断捨離、リフォーム、資格取得などなど。
おかげで家のことで気になるところは
ほぼなくすことはできました。
そんな折、娘があれよあれよという間に
良いご縁に恵まれ、結婚の運びとなったのです。
先の断捨離とリフォームは、絶妙なタイミングで
お相手の方を招き入れるにふさわしく
整ったのは不幸中の幸いでした。
それはともかく、
このコロナ禍で、娘と伴侶となる方は
互いに互いの家族や職場に
万が一にも感染の脅威を巻き起こさぬよう、
それはそれは涙ぐましい努力の末、
逢瀬を重ねて愛を育んだようです。
この若い二人を観て感じるのは、
コロナ禍でも人の心が動くことは
決して止められない、ということ。
そして私自身が日々思うのは
コロナ禍だからこそ、
自分にとって本当に大切な人、
大切なことは何か、
それが明確になるということ。
物への執着などは、ほぼなくなりました。
あれほど大好きだった旅行にも
全く行こうという気になりません。
物事の優先順位が変化したのです。
皆さまはいかがですか?
娘たちの話に戻しますと、
両家の顔合わせはリモートで完了。
結納は割愛。結婚式や新婚旅行は
ほぼ無期延期。
親族へは電話で報告のみです。
初めて娘を嫁に出すのですから、
私にも「理想」とか「夢」のようなものは
ありました。それは。でも、
そんなものは、どうでもよいのです。
大事なのは、今、第2の人生をここから
スタートさせようとする若き二人を
祝福し、応援する事だけです。
「これからお金がかかるのに、
宝石が付いた婚約指輪はいりません」
そういう娘に彼は、
「will you marry me?」と印字された
真っ赤なバラのブリザーブドフラワーを
リボンをかけた可愛い箱から出してくれたそうです。
コロナ禍だから余計に「帰る場所」
心の安住の地が欲しかった、そこには
彼女が必要ですと、彼は私に言いました。
我が娘も誰かの「必要な人」となった。
それは素晴らしいこと!
さて、私も忙しくなります。
娘の引っ越しを手伝いましょう。
思い出話でもしながら。
何でしょう。・・・泣きたい気持ち。
二人の前途に幸あれ。
母は毎朝毎晩、
神棚に手を合わせて祈ります。
・・・・・・・・・・・・
とっぴんぱらり。
人生、上り坂、下り坂、そして
「まさか!」という坂があると、
教員仲間の結婚式ではよく
スピーチに出てくるフレーズです。
今回は嬉しい「まさか!」でした。
皆様の無事とお幸せを祈ります。
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こんな時こそ、大人は子供の手本でいて
皆様 いかがお過ごしでしょうか。コロナで何もかも自粛であり、世界のどこでも、生活のすべてが変わらざるを得ない状況です。私はようやく今日、初めての「在宅勤務」となり、つい先ほど、その勤務時間が終わりましたので数か月振りに、このブログを書いています。一部の大人たちが「コロナに感染したら自己責任だと思ってる。だからこれくらいは自由にさせてもらう」と、他県にまで足を運んでいた人がニュースになっていた先週、私は小学校の学童保育の補助に出ていました。そこにいたのは、主に医療従事者のお子さ..
教育
小田 航
2020-05-01T16:30:06+09:00
皆様 いかがお過ごしでしょうか。
コロナで何もかも自粛であり、世界のどこでも、
生活のすべてが変わらざるを得ない状況です。
私はようやく今日、初めての「在宅勤務」となり、
つい先ほど、その勤務時間が終わりましたので
数か月振りに、このブログを書いています。
一部の大人たちが
「コロナに感染したら自己責任だと思ってる。
だからこれくらいは自由にさせてもらう」と、
他県にまで足を運んでいた人がニュースになっていた先週、
私は小学校の学童保育の補助に出ていました。
そこにいたのは、主に医療従事者のお子さんや
スーパーなどに勤務していて、仕事が休めない
方々のお子さんでした。
そこでは朝7時半から夕方6時過ぎまで、
友達はいるが、そばには行ってはいけない。
勉強はするが、もちろん机は
いつもの倍、離して座る。おしゃべりはできません。
遊びの時間はあるが、これも集まってはいけない。
外でも、中でも。(外遊びはわずかの時間)
もちろんマスクはつけるのが義務。
お弁当は黙って前向きで食べる。
おやつは入念に手を洗って、
できる限り袋から出さず、手で持たないように
工夫して食べる・・・。
この不自由さ。もうほぼ一か月です。
子どもたちに選択肢はないのです。
「ここで待っててね」といわれたら、
お迎えに来てもらうまで、待つしかない。
でも。
その状況に、だれも文句を言いません。
表情が暗いわけでもない。
ちょっとしたやり取りがあったら、
目が笑っているのがわかります。
元気がないわけじゃない。
走り出したいのを、早歩きして、
今できることを一生懸命やっていました。
「コロナが終わったら、いっぱい遊ぼうね!」
女の子たちの、ひそひそ声が聞こえます。
小学校1年生や2年生も大勢います。
あまりに健気で、偉くて、
みていて泣きそうになりました。
我慢とか忍耐とか、そんな重さはなくて、
「辛抱している」というのが、
子どもたちと過ごしてきた印象です。
「コロナに感染したらしたで仕方ない」
そんなことを言っていた大人に想像してほしい。
自分で自分の世話ができなくなるのがコロナです。
感染すれば、必ず誰かに世話をかけるのです。
そして、こんな風に毎日毎日、辛抱して、
病院で働くお母さんを待っている子たちを
イメージしてほしい。
子どもたちはずっと待っています。
大人の作ったルールをしっかり守りながら、
お母さんとお家でゆっくりすごせる日々を。
お友達と手を繋いで遊びに行ける日を。
大人の皆さま、子供たちのお手本でいましょう。
私も「辛抱」しつつ、できることを頑張ります!
・・・・・・・・・・・・・・・・・
とっぴんぱらり。
子供たちってほんとうにすごい。
偉いんです。感動すらしました。
でもそれに甘えてはいけないですよね。
一日も早くコロナが終息しますように。
すべてのお留守番をしなければならない
子どもたちと、
何らかの公共の奉仕のため、
お仕事に出なければならない皆様の
ご無事と安全を祈っています。
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女湯で出会った美女の話
ここしばらく、かなり長い間、様々なことであまりに忙しすぎました。ブログどころか、仕事以外で自宅パソコンを開く時間も心の余裕もほぼ皆無でありました。へとへとです。それが昨日、漸くひと段落して娘らに誘われて温泉へ行ってきました。温泉に行くと私たちは、いつも3人バラバラになってそれぞれのペースで湯に浸かります。実は多少なりとも絵を描く私は、単独行動になると無意識にモデルになりそうな女性はいないかと周囲を物色しているのですがこの人の裸体を描いてみたいと思えるような女性にはなかなか出会..
出来事
小田 航
2018-04-16T22:58:48+09:00
ここしばらく、
かなり長い間、様々なことで
あまりに忙しすぎました。
ブログどころか、仕事以外で
自宅パソコンを開く時間も心の余裕も
ほぼ皆無でありました。へとへとです。
それが昨日、漸くひと段落して
娘らに誘われて温泉へ行ってきました。
温泉に行くと私たちは、
いつも3人バラバラになって
それぞれのペースで湯に浸かります。
実は多少なりとも絵を描く私は、
単独行動になると無意識に
モデルになりそうな女性はいないかと
周囲を物色しているのですが
この人の裸体を描いてみたいと
思えるような女性にはなかなか
出会えないものです。
しかし今回は違いました。
思わずじっと見入るような美女が
私の隣にそっと入ってきたのです。
といっても、
気づいた時には湯船の中でしたから、
全身をまじまじと見たわけではありません。
でも湯船から上の姿だけでも
なんとも言えない、惚れ惚れする美女でした。
30代前半くらいでしょうか。
私はこれくらいの女性が一番
味があって美しいと思っています。
その彼女が白い腕を伸ばして
静かに指のマッサージをする姿は
同性の私から見ても目を奪われる
しなやかさと艶っぽさがありました。
恋人はいるでしょうね。
これほどの美女ですもの。
こんな女性を娶れる男性は幸せだなぁ、
などと考えていたところ、ふと
彼女のそのしなやかな指の
左手の薬指に、うっすらと指輪の跡?
と思われる色の違いがあるのに気づきました。
色白の指でしたが、指輪の跡は
さらに白い肌の色をしていたのです。
既婚者だったのか・・・しかも別れた?
若くて美しいけれど、それだけではない
とは感じていたけれど・・・
でもさらにそのあと
「ママ!」と7歳くらいの女の子が
彼女の横に入ってきたので、
私はまたまた驚きました。
そしてその子の後ろにいた50代の女性の
存在も知ってなんとなく事情を察したのです。
彼女の美しさは深かった。
ただ若さからくる美しさだけではなく
人生の様々な光と影が融合した美しい人。
左手の薬指を愛でるように撫でる仕草は
決して悲しいわけではなく
かといって憎むでもなく、また
うれしいとか喜ばしい風情でもなかった。
そう、しいていえば
憂いのある表情ではありました。
一人でいる彼女はただの美しい人でした。
でも「ママ!」と呼ばれt振り向いた彼女は
まぎれもなく美しい「母親」でした。
「女性」から「母親」の顔に変わる瞬間を
私は少し高揚しながら見ていました。
人生は複雑で。時に残酷で
矛盾を抱えて
光があれば影もできて、
甘いかと思えば苦かったりします。
不思議ですね。
ただの待合室にいるときより
様々なことが見えてくる。
あの女性の未来が明るいとよいなぁ。
そんなところも
私が温泉好きな理由の一つ
なのかもしれません。
・・・・・・
とっぴんぱらり。
数か月ぶりの記事が女湯の話で
・・・・どうなのでしょう?
少々疲れすぎてます。ごめんなさい(笑)
見直さずにアップするのも
お許しを。
明日も善い日でありますように。
皆様のお幸せを祈ります。
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冬の荒野を行く心
雪舟が描いた達磨である。私は到底この修行僧にのように黙って忍耐する強靭な精神が宿っていない。でも少しなら忍耐できる。今日はそんな話。仕事上の、と言っても教育的な指導のため、どうしてもひいてはいけない局面に接して放課後、ある生徒を追いかけた。たかが1℃の気温の日に5キロの道のりを薄着で歩いたくらい昔ならなんでもなかったのに、今回は背中からの寒風もあってだろう、軽くだったが膀胱炎になってしまった。今でも歩いたり走ったりするだけなら早くはないが、10キロくらいはいける。しかし、今回..
仕事
小田 航
2018-02-24T22:54:14+09:00
雪舟が描いた達磨である。
私は到底この修行僧にのように
黙って忍耐する強靭な精神が
宿っていない。でも少しなら
忍耐できる。今日はそんな話。
仕事上の、と言っても
教育的な指導のため、どうしても
ひいてはいけない局面に接して
放課後、ある生徒を追いかけた。
たかが1℃の気温の日に
5キロの道のりを薄着で歩いたくらい
昔ならなんでもなかったのに、今回は
背中からの寒風もあってだろう、
軽くだったが膀胱炎になってしまった。
今でも歩いたり走ったりするだけなら
早くはないが、10キロくらいはいける。
しかし、今回はまず、
もともとずっとトイレを我慢しながら
下校指導をしていて、
見つけてはいけないものを
見つけてしまって、黙認できなかった。
当然、生徒と対峙することになった。
向こうは逃げる。足は速い。
でも逃げるが勝ちと、
そんな学習をさせるわけにはいかない。
その子の未来のためにも、
見逃がすわけにはいかなかった。
しかしその子の家は遠かった。
途中、私は膀胱が痛くなってきたが、
だからといって投げ出すことは
その子を見捨てることだと思ったから、
どこまでも追いかけた。
ウザイとか、帰れ!とか言っていたが
追い詰められた子供の社交辞令だ。
そんな罵声は右から左へ流しておいた。
長いので途中は割愛して、
最後はどうなったかというと、
ついに家に到着してしまったので
相手はあきらめて、(呆れて?)
ついには私の言葉に「はい」といった。
これで帰れると思い、復路につくが、
我が膀胱は限界に近づいていた。
脂汗か冷や汗かわからないが、
汗がにじみ始めて、焦った。
周りは荒野だ。正しくは
稲を刈り取った後の枯れた田であるが、
何もないその閑散とした風景に、
私は荒野を一人歩く旅人のようだと
漫然と感じていた。
今までとは別の緊張感が走る。
これは、学校まではもたない。
どこかでトイレを借りられないか。
すると老人福祉施設があった!
外部の人間はすぐには入れないが、
運よく受付に人がいて、ガラス越しに
目が合った。会釈をすると
ドアを開けてくれた。
ここでなんとかトイレを借り、
事なきを得たと思ったが
私の下腹部いやな痛みが残っていた。
身体を壊してまでは仕事をしない。
5年前からそう決めたのではあるが、
この仕事は理屈では割り切れないし、
損得ではないから、やむを得まい、
と、なんとか自分を納得させた。
いざとなれば労災で病院へ行こう。
施設の人にお礼を言って学校に戻ったが、
私が荒野を旅してきたことは、誰も
知らなかったので、上に報告すると、
そういうしつこさが大切なんです、
ご苦労様でした、と労われた。
行きはよいよい、帰りは怖い。
教育は荒野を行くが如し。
荒野を行くには、情熱を準備が必要。
人の心が荒野のようになった時、
私はその固くて冷たい土の上にも
次の春には何か芽吹くと信じて
種を撒くだけだ。
子どもを信じているから、追いかけた。
どうにもならんと思っていたら、
放っておいただろう。
ただそこのところだけ、
その子がなんとなくでも
感じてくれたなら、それでいい。
感じられなかったとしても、
それはそれで仕方ない。
ただ、やるだけのことはやる。
それが私の仕事だから。
・・・・・・・・・
とっぴんぱらり。
膀胱炎は軽く済みました。
おかげさまで。
皆様のお幸せを祈ります。
明日も善き日でありますように。
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「恵方巻は手作りに限る」理由
「今日は恵方巻を作るよ~」というと娘たちが喜ぶので、家で作るようになって10年以上になります。しかし私の記憶では「節分」の夜は、木の升一杯の豆を抱えた父が平日だろうが休日だろうがお構いなしに「鬼は~外!福は~内!」と思いっきり声を張り上げて家じゅうに豆を撒いて歩いて節分は終了。夕飯はいつもの母の手料理でした。お寿司の類ではありませんでした。でも節分には玄関には、母手作りの、「藁で結ばれためざしとヒイラギ」のオブジェ?がぶら下げてありました。子供ながらに、節分は魔除け厄除けの行..
行事
小田 航
2018-02-03T21:44:44+09:00
「今日は恵方巻を作るよ~」
というと娘たちが喜ぶので、家で
作るようになって10年以上になります。
しかし私の記憶では「節分」の夜は、
木の升一杯の豆を抱えた父が
平日だろうが休日だろうがお構いなしに
「鬼は~外!福は~内!」と
思いっきり声を張り上げて
家じゅうに豆を撒いて歩いて節分は終了。
夕飯はいつもの母の手料理でした。
お寿司の類ではありませんでした。
でも節分には玄関には、母手作りの、
「藁で結ばれためざしとヒイラギ」の
オブジェ?がぶら下げてありました。
子供ながらに、節分は魔除け厄除けの
行事だと自然に認識していたのです。
なのに私は、結婚して自分の家を持ち
節分を迎えると、すっかりうっかり、
めざしとヒイラギは忘れ去りました。
子どもが喜ぶ豆まきだけになって、
数年が経ちました。
さらに数年後、するっと「恵方巻」が
世に登場し、我が家では「恵方巻」が
豆よりも優位になってしまったのです。
(両親には申し訳ない思いです。とほほ)
恵方巻って「海鮮太巻き」ですよね。
自分の好きな具を入れて作れば、
絶対に美味しい巻物になります。
我が家は「家で作る派」ですが
理由は美味しさ以外にもあります。
恵方巻は、食べ方の定義など、
昔からの節分のしきたりからすると
様々に、かなり曖昧で、どうしても
関西の商売人に「乗せられた?」感が
私の中にはあり、本当にこれは節分の
必要不可欠なの?という疑念が
作りながらも、未だに払拭できません。
(この日に巻寿司を作って食べてる時点で
充分作為に乗せられてはいるのですが)
まず、家族みんなで吉方位を
向いていたら誰とも目が合わない。
せっかくの美味しい夕飯なのだから
もっと「おいしいね~」と言い合って
楽しく戴きたいと思うのです。
‥と思いながらも、しっかりと恵方巻を
作って食べる家族のささやかな抵抗として
一本を半分にして、半分だけは黙って食べ、
あと半分は、楽しく談笑して戴きました。
美味しいものを戴いて、元気が出れば
鬼も入ってこられないでしょうし、
神様と一緒に戴いている、と
そう思うことにしています。
疑うよりも信じたほうが、
美味しいようです。恵方巻は。
・・・・・・・・・・・・
とっぴんぱらり。
ともあれ、今日を境に様々な
見えないものが変わっていきます。
本格的な「今年の運勢」は
ここから始まるのです。
地面の下では春の準備が
始まっています。
明日も善き日でありますように。
皆様のお幸せを祈ります。
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福袋を買いに
ある花屋店の前で福袋が売られていました。一万円相当の品が入った3000円の福袋。花屋の福袋は珍しいので、私もちょっと気になって、袋の中身を覗こうとしました。でもぴったりととじられた袋には何が入っているのかわかりません。そこへ10歳くらいの少女がきました。迷いなく「これください」というのでおせっかいながら聞いたのです。「何が入っているのか知ってるの?」すると彼女はつぶらな瞳をくるんと回していいました。「お花屋さんの福袋なんだもの、 幸せの種が一つは入ってるんだよ」「一つは、って..
ものがたり
小田 航
2018-01-03T20:57:53+09:00
ある花屋店の前で
福袋が売られていました。
一万円相当の品が入った
3000円の福袋。
花屋の福袋は珍しいので、
私もちょっと気になって、
袋の中身を覗こうとしました。
でもぴったりととじられた袋には
何が入っているのかわかりません。
そこへ10歳くらいの少女がきました。
迷いなく「これください」というので
おせっかいながら聞いたのです。
「何が入っているのか知ってるの?」
すると彼女はつぶらな瞳を
くるんと回していいました。
「お花屋さんの福袋なんだもの、
幸せの種が一つは入ってるんだよ」
「一つは、って、他はなにが入ってるの?」
「その種を育てるのに必要なもの。
幸せは勝手にはやってこないって、
そして欲張らない方がいいんだって、
ママがいってた。それから、う~ん、
幸せは自分で育てるものなんだって」
「それであなたがその種を育てたいの?」
「ううん。私は幸せだからママにあげるの」
「ママは幸せじゃないの?」
「そうでもないよ。私がいれば幸せだって、
言ってるけど、ママにはもっと幸せで
いてほしいから・・・」
なんだか聞いてはいけないことを
聴いてしまったような・・・・
その小さなやさしい哲学者さんは、
握りしめた3000円で、
花屋の福袋を買っていきました。
何が入っていようと、
ママはきっと大喜びでしょう。
「私の幸せの種はおまえよ」
おかあさんは
きっとそう思っているはず。
大きく育った私の幸せの種たち。
いまでは頼りになる同志でもあります。
目が合った花屋の店員さんも笑顔。
福袋を抱えた女の子を見送って、
私も家路につきました。
・・・・・・・
とっぴんぱらり。
子どもたちのまっすぐな優しさには
私も時々泣かされました。
子どもたちがいてくれたから
人生の谷から這い上がれたのです。
何年も買っていなかった福袋。
昔は本当に驚くようなものが入っていて、
たのしみだったなぁ。
今は福袋用の商品が同じように
入っていたりするので買わなくなりました。
あの少女の買った福袋には
いいものが入っていますように。
今頃は母子に
歓声が上がっていることを願いつつ。
明日から仕事始めですね。
よい一日となりますように。
皆様のお幸せを祈ります。
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出会いは人生の宝
初春のお慶びを申し上げます。歳神様がいらっしゃる日は月も美しく輝き、太陽の光も優しく降りそそぐ・・・良い一年になりそうなそんな元旦でうれしかったですね。人生の宝は「人との出会い」と思っていますが、実は昨年秋、私はとても不思議で貴重な出会いのご縁をいただいたのです。代々神社の神主を務める家の生まれで山伏のような修行を幼い頃から積んで、最高位の神主の資格をもち、霊が見えて、除霊ができて、かつ結界を脹ることができる方でした。その方から見ると、私には病気で亡くなった方の霊が腰から下に..
出会い
小田 航
2018-01-02T22:58:00+09:00
初春のお慶びを申し上げます。
歳神様がいらっしゃる日は
月も美しく輝き、
太陽の光も優しく降りそそぐ・・・
良い一年になりそうな
そんな元旦でうれしかったですね。
人生の宝は
「人との出会い」と思っていますが、
実は昨年秋、私はとても不思議で
貴重な出会いのご縁をいただいたのです。
代々神社の神主を務める家の生まれで
山伏のような修行を幼い頃から積んで、
最高位の神主の資格をもち、
霊が見えて、除霊ができて、かつ
結界を脹ることができる方でした。
その方から見ると、私には
病気で亡くなった方の霊が
腰から下に30人もついていたそうで
それをその日にお祓いしていただき、
結界を張ってくださいました。
つまり、霊感体質の私が
また同じようなことにならぬように、
生涯そうならぬようにしてくださった
恩人のような方というわけです。
私にはその直後から様々な変化があり、
まず頭痛がなくなり、体調がよくなって
重くて半分しか開いていないような
気がしていた眼が「ぱちっ」と開いて
心身共にとても軽くなりました。
思い込みだろうとお思いでしょう?
そういわれることはよくわかりますが、
原因不明の体調不良で、月に一度は
フラフラになって早退し、ひたすら
寝込んでいた私からしたら、
ありえない改善なのです。
CTまでとっても異常なしなのに、
体調は非常に悪い。つらい。
つらいけれども更年期障害か老いかと
半分諦めていたのです。
しかしそれからはすっかり改善されて
睡眠不足もなんのその!元気です。
実家にいる霊感の強い母に
「あれ?目がはっきり開いたね」と
元旦に会ってすぐに言われました。
母には私の変化がわかったのです。
理由を話すと、「なるほどね」と
軽く納得していました。
いやはや、世の中には
不思議なことがたくさんあるのだと、
半世紀以上生きても驚くばかりです。
それともうひとつ不思議なことが。
私は気学と易学も勉強しているのですが、
その方はその方面の勉強はされていない。
なのに、
いつからどのように何が変わるか
易や気学で観る私の今後と
その方の仰ることがほぼ同じ。
これにも驚きました。
その方は私の瞳の奥を観て、
そこに映る映像で、今後の私を
予見してくださったのです。
そういう力もおありの方でした。
それも本当に信じられないほど不思議。
でも、それが嘘か誠かは、
近い将来すぐにわかります。かなり
私的な話であり、私以外の人間も
絡む話ですので、伏せますけれども。
ともかく不思議なご縁であり、
衝撃的な出会いでした。もちろん、
とても幸いだったと思っています。
皆様にも善き出会い、ご縁が
今年たくさんありますように。
本年もどうぞよろしく
おねがい申し上げます。
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「憤死」などで死なないために
今日は仏教哲学を学ぶ日でした。大きなテーマは「十二縁起」で、そのラストにお釈迦様が語られた3行についての講義でした。十二縁起とは輪廻思想の中の前世から今世、そして来世へと命はどのような因縁で移り変わるのか、その原因と結果を解くものです。一年以上をかけて学んだ十二縁起のパーリ語で書かれたその最後の三行には、こう記されています。十二演技の12番め、「生があることから老死がある」のさらに後ろに、付け足すようにある言葉。「それによって憂 悲泣 身の苦しみ 絶望が生じるのである。この..
生きる
小田 航
2017-12-10T00:25:46+09:00
今日は仏教哲学を学ぶ日でした。
大きなテーマは「十二縁起」で、
そのラストにお釈迦様が語られた
3行についての講義でした。
十二縁起とは輪廻思想の中の
前世から今世、そして来世へと
命はどのような因縁で移り変わるのか、
その原因と結果を解くものです。
一年以上をかけて学んだ十二縁起の
パーリ語で書かれた
その最後の三行には、こう記されています。
十二演技の12番め、
「生があることから老死がある」のさらに
後ろに、付け足すようにある言葉。
「それによって憂 悲泣 身の苦しみ
絶望が生じるのである。このように
この身体の一切の苦しみは、
五おん(スミマセン漢字が出てきません)
の身体が原因となって」起こることが
明らかである」
漢字は出てきませんでしたが、
五おんとは、目口鼻耳蝕の感受に関係する
諸々のことで、そこから生じる様々に
執着したり、こだわったり、むさぼったり
すれば苦しみになるわけです。
なぜなら、それらすべては自分の
思い通りにはならないものだからです。
人は、生まれれば、必ず老いていき、
病にかかり、死んでいきます。
それが当たり前のことで、真理であるけれど
人はそれを悲しみや苦しみと感じます。
それが普通です。けれども、泣きすぎて
その感情に浸れば、やがて絶望します。
喚き散らしたりしても、心は崩れます。
そこから怒りが生まれることもあります。
思い通りにならないことを、怒る。
それが大きければ大きいほど、
心臓は激しく鼓動します。
そして頂点に達したとき、止まる。
これが「憤死」です。
同じ死ぬなら、それまでの様々に
感謝しながら、笑顔で逝きたい。
「よく生きた。よくやった」と
自分を褒めて目を閉じたい。私は。
よく韓国ドラマで見る憤死は
怒りの引き起こした心臓発作です。
なるほど、と納得した日でした。
・・・・・・・・・・・・・
とっぴんぱらり。
どう死ぬかは、どう生きるか、
と同意語だと思っています。
物事の原因と結果を知ることは
知恵を持っているということです。
偏差値には表せないけれど、
これは人間にしか知ることのできない
真理の一つです。
この世のすべての真理を見つけられた
それが「悟り」を得たということで、
それを得た方が、お釈迦様なのですね。
何度もいいましたが、これはすごいこと。
経典は研究論文のよう。そう思えます。
明日も善き日でありますように。
皆様のお幸せを祈ります。
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神様から「お願いされる」人
秋も終わりますね。休日の朝、地域のボランティアで、神社の落ち葉掃きに出ました。すると、私の中ではこの辺りで一番の心の器が大きく、男伊達!と思う仲良しの初老の男性もいらしていました。夜露を吸い込んだ落ち葉は重く、このままじゃ日が暮れる~!とばかりに一心不乱に竹箒を振るう私をみつけ、その方は「お~!久しぶりだなぁ!」と声をかけてくださいました。一年ぶりくらいでしょうか。でも、私がすぐにその方見つけられなかったのは、時が経っていたせいではありません。その方は健康のためにだいぶ痩せら..
出会い
小田 航
2017-12-03T13:47:18+09:00
秋も終わりますね。
休日の朝、地域のボランティアで、
神社の落ち葉掃きに出ました。
すると、私の中ではこの辺りで一番の
心の器が大きく、男伊達!と思う
仲良しの初老の男性もいらしていました。
夜露を吸い込んだ落ち葉は重く、
このままじゃ日が暮れる~!とばかりに
一心不乱に竹箒を振るう私をみつけ、
その方は「お~!久しぶりだなぁ!」と
声をかけてくださいました。
一年ぶりくらいでしょうか。でも、
私がすぐにその方見つけられなかったのは、
時が経っていたせいではありません。
その方は健康のためにだいぶ痩せられ、
私の存じ上げていたシルエットでは
なかったため、見つけられなかったのです。
私がお身体を気遣うと、その方は笑って
「なあに、身体は物質だから古くなって
いろいろあるけど、心は元気だから!」
と、以前と変わらずの笑顔。
ほっと安心していると、
他県から団体さんの参拝者が続々と、
まだ掃除中の神社へ押し寄せてきました。
すると老若男女の参拝者の方々、
「ここには御朱印はないのですか?」
「トイレは借りられますか?」
などと次々とその方に尋ねるのです。
他にもボランティアの男性たちが
大勢いるのに、他には目もくれず。
作業着を着ているけれど、
神主さんのような風格というか
威厳というか、神々しさのようなものが
その方にはあるるのです。
「ここには神主はいないから、
御朱印はないんだ。でもご利益はあるから
しっかりお参りしていってください」
そんな風に答えながら、その方は私に、
小さい声でこういったのです。
「俺は神様にお願いするのじゃなくて、
神様にお願いされる方だからね」
「え?どういうことですか?」
驚いて尋ねると、
「数年前、この神社が老朽化して、
神主もいないし、どうするかって時が
あったでしょう? あの時、俺の夢に
ここの弁天様が出てきて、あんたに頼む。
ここを直してくれ、と言うんだよ」
「へ~!不思議なお話!それで?」
「神様に頼まれたらやるしかないよ。
だから、まず俺が最初にある程度の
まとまった寄付を出すから、皆さん後に
続いてほしい、氏神様を守りましょう、と
説得して回ったわけ。そしたらなんと、
お社を改修して、さらに寄合所まで
できるくらいの寄付が集まったわけよ」
「あれはNさんが発起人だったのですね!
我が家は微々たる寄付でした。スミマセン!」
「いやいや、子育て中の人は仕方ないさ」
「でもこんなに立派に改修されて、
他県からまで参拝されて素晴らしいですね」
「うん。お金っていうのは、使い方次第で、
生きてくるし、自分も生かされる。俺は
益々商売が忙しくなって、使いたいところに
お金が使えるようになったよ。今はね、
原爆の恐ろしさと平和を訴える映画の
オフィシャル・スポンサー?ってやつに
なったりしてね」
「映画のスポンサーですか!」
「志を持ってる監督だから、支援してる。
そうそう、来年の春あたり、
我が家でもちょっとロケがあるんだ。
その時は呼ぶから、一緒に写っったらいい」
映画のスポンサーになるのは二本目だそうで、
一本目は私も知っている映画でした。
びっくり仰天の楽しいお話でした。
この方のご自宅は何しろ広い!
行政が指定した銘木が何本もあり、
紅葉の季節には「どなたでもどうぞ」と、
お庭を無料開放されていらっしゃいます。
母屋と離れは、太鼓橋を渡って行くという、
素敵なしつらえは、憧れですね。
この奥にも鳥居があって、
お家の守り神様がいらっしゃるとか。
私はもう何度かお伺いして紅葉狩りを
愉しませていただきました。
見事な木の下の東屋で、お茶を頂きながら。
人生の宝は人との出会いですね。
澄んだ空気が額を撫でてゆきました。
・・・・・・・・・・・・・・・
とっぴんぱらり。
良い使い方をすれば
お金は良い形で回っていくと、
その方はおっしゃいます。
こういう方にはたくさんの
武勇伝があって、それを伺うのも
とても楽しく面白いですが、
ここには書けません(笑)
明日も善き日でありますように。
皆様のお幸せを祈ります。
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「子どもの絵」に惹かれて
芸術の秋。上野の森美術館での「怖い絵」展が大盛況ですね。絵画は作者の心や思いが色やモチーフ、構図、タッチなどなど、様々な所に、写真には映せないものが描き出されているものです。ですから「怖い絵」でなくともその制作秘話や作者の心情を知るとどんな絵でも興味深く鑑賞できます。でも今日はただ自由に表現する子供たちの可愛くて美しい作品を紹介します。私の教え子ではありません。市内の小学校の子供たちの作品です。いわゆる「市展」というやつですね。すてきでしょう?でもこの作品たちより「素敵」な作..
美術
小田 航
2017-11-13T22:15:13+09:00
芸術の秋。
上野の森美術館での
「怖い絵」展が大盛況ですね。
絵画は作者の心や思いが
色やモチーフ、構図、タッチなどなど、
様々な所に、写真には映せないものが
描き出されているものです。
ですから「怖い絵」でなくとも
その制作秘話や作者の心情を知ると
どんな絵でも興味深く鑑賞できます。
でも今日は
ただ自由に表現する子供たちの
可愛くて美しい作品を紹介します。
私の教え子ではありません。
市内の小学校の子供たちの作品です。
いわゆる「市展」というやつですね。
すてきでしょう?
でもこの作品たちより「素敵」な
作品が「県展」に出品されるのです。
これより素敵な作品が、
これらの学校にはまだある!ってこと、
凄いと思いませんか?
上の作品は小学校3年から6年までの
子どもたちです。
昨日の作品は中学1年生の作品。
構成美の要素を教えて、
平面構成させたものですから、
いろいろ縛りがあって固くなります。
基礎基本を教えねばならないので
仕方ないのですが、固い作品になります。
この柔軟さ!自由さ!よいですね~。
子どもってみんな天才だなぁ。
私の絵本の挿絵を描いてほしいぞ。
「怖い絵」も素晴らしいですが、
日本の子供たちの絵もなかなかです。
心がたっぷり膨らんだ私は
イチョウ並木を幸せな気持ちで
落ち葉を踏み踏み帰りました。
・・・・・・・・・・
とっぴんぱらり。
家に飾るなら、
高価な「怖い絵」より
子どもの作品ですね。
なんったって、癒されますもの。
明日が善き日でありますように。
皆様のお幸せを祈ります。
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落とした財布と掃除の関係
ついこの間、夏が終わったかと思いきや秋は足早に過ぎてなんだかもう冬の気配ですね。先週の日曜には炬燵をだして、敷物を冬のものに変えました。本職の仕事がない日も外で様々活動があるので、なかなか家事もできませんが、先の日曜は晴れたので家事に専念。しかし家にいれば地域の仕事もあって、日曜には朝から、地域の神社の大掃除に出かけてきました。若者たちはなにかと忙しいらしく、ご高齢の方々がほとんどで、私などでも一番「若者」だったかも。若者でもないくせにいつもなら出てこない我が夫がこの日はなぜ..
出来事
小田 航
2017-11-09T22:46:39+09:00
ついこの間、
夏が終わったかと思いきや
秋は足早に過ぎて
なんだかもう冬の気配ですね。
先週の日曜には炬燵をだして、
敷物を冬のものに変えました。
本職の仕事がない日も外で
様々活動があるので、
なかなか家事もできませんが、
先の日曜は晴れたので家事に専念。
しかし
家にいれば地域の仕事もあって、
日曜には朝から、地域の神社の
大掃除に出かけてきました。
若者たちはなにかと忙しいらしく、
ご高齢の方々がほとんどで、
私などでも一番「若者」だったかも。
若者でもないくせに
いつもなら出てこない我が夫が
この日はなぜか境内の掃除に参加。
どうしてかというと、
前日、落とした財布がいまだ
見つからないからです。
「善行を積めば良いこともある」
そういって出てきた私の言葉が
心に刺さったようで、
しぶしぶ後に続いたわけです。
彼にしてはせっせとはたらいて
家に帰って一息ついていた時、
なんと警察から電話が。
「え?財布が届いているって?」
まさかのタイミングに二人でびっくり。
ありがたいことに、その財布は
よ程よい方に拾われたらしく
小銭から多少の札、定期、カード、
全て手つかずのそのままで届けられ
無事、彼の手に戻ったのです。
奇跡です。こんな時代に。はい。
これは偶然なのかもしれませんが
彼はこう言ってます。
「次の掃除もいくよ」と。
名乗らずに財布を置いて行った
どなたかの代わりに捧げる、
お礼の気持ちですって。
人を変えるのは、幸せな体験かも。
次だけじゃなく、
ずっと続けましょうよ。ね?
あなたは知らないでしょうけれども
私は30年、境内のお掃除続けてます。
おかげさまで良いことたくさん
ありました。どんないいことだったか?
それは、ナイショ♬
・・・・・・・・・・・・・
とっぴんぱらり。
書くことは山ほどありましたが
忙しすぎて、またこのブログは
CMとかスポンサーはなく、
「いいね!とか閲覧数などは
まったく関係ないところなので
しばらく更新せずにおりました。
なのに、毎日200人以上の方が
読んでくださっていて恐縮してます。
今後はさらに多忙になりそうです。
どうか皆様もご自愛ください。
明日も善き日でありますように。
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花のように生きられたなら
あの風雨に耐えたコスモスが午後の日差しの中 顔を上げていたその細い体で大きな花びらを支えつぼみを守ったなんてあなたたちは 本当にすごいただ黙って ごうごうと吹く風 長く止まない風に揺らされながらも凛として折れずに咲く強さと美しさ人間の出すスピーカーからの音の騒々しさとは対照的な 花の静けさ気高くさえあるその生きざまただ欲しいものだけを連呼する人の悲しさと情けなさ何を目指して 何をしたいのか成すべきことは見えているのか人の世を回していると思っているあの人たち花の命の使い方は一つ..
自然
小田 航
2017-10-23T20:34:43+09:00
あの風雨に耐えたコスモスが
午後の日差しの中 顔を上げていた
その細い体で
大きな花びらを支え
つぼみを守ったなんて
あなたたちは 本当にすごい
ただ黙って ごうごうと吹く風
長く止まない風に揺らされながらも
凛として折れずに咲く強さと美しさ
人間の出すスピーカーからの音の
騒々しさとは対照的な 花の静けさ
気高くさえあるその生きざま
ただ欲しいものだけを連呼する
人の悲しさと情けなさ
何を目指して 何をしたいのか
成すべきことは見えているのか
人の世を回していると思っている
あの人たち
花の命の使い方は一つだけ
ただ精一杯 咲くだけなのだ
誰とも戦わず 文句も言わず
互いに寄り添い 陽を感じ合い
風に吹かれ 雨に打たれて翻弄されて
それでも命ある限り上を向いて咲く
こんな生き方ができたならと思う
花にこそ 私は学ぼう
台風一過の空が高い
目指す場所は遥か彼方にある
・・・・・・・・・・・・・・
とっぴんぱらり。
本当にこの国の未来を
この世界の、この地球の未来を
見据えて動いている人が
一体どれだけいるのでしょう
人間が持てるどんな力も
天災には太刀打ちできない
その弱さと脆さを真摯に受け止め
国を超えて英知を絞りませんか
たくさん政党を作るより
徹底的に論議したらいい
チーム・ジャパンはいつになったら
できるのでしょう
台風で被害を受けた皆様へ
心よりお見舞い申し上げます
一日も早く穏やかな日々が
戻りますよう願っています
明日は善き日でありますように
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ああ 憧れの「あずさ2号」
秋の空になりましたね。旅にでたいなぁ。まったく時間はありませんが。夏に長野にいきましたが、ひとつ驚いたことがありました。懐メロにある♬八時ちょうどの あずさ2号で~♪はちょっと憧れでしたが、現在新宿駅から出ている八時ちょうど発の長野方面行の列車は「スーパーあずさ5号」でした。(写真下)「なんだ、あずさ2号じゃないの?」同行した年上のお友達たちは誰もがちょっとショック、かなり残念。でも元気に朝の新宿駅を出ました。もちろん旅は、スタートしてしまえばあずさ2号が5号になっても関係な..
旅
小田 航
2017-09-27T20:56:14+09:00
秋の空になりましたね。
旅にでたいなぁ。
まったく時間はありませんが。
夏に長野にいきましたが、
ひとつ驚いたことがありました。
懐メロにある
♬八時ちょうどの あずさ2号で~♪
はちょっと憧れでしたが、
現在新宿駅から出ている
八時ちょうど発の長野方面行の列車は
「スーパーあずさ5号」でした。
(写真下)
「なんだ、あずさ2号じゃないの?」
同行した年上のお友達たちは誰もが
ちょっとショック、かなり残念。
でも元気に朝の新宿駅を出ました。
もちろん旅は、スタートしてしまえば
あずさ2号が5号になっても関係なく
ドラマチックでダイナミック?な
楽しい旅となりました。
長野、おススメです。
・・・・・・・・・・
とっぴんぱらり。
前回の写真が長く続くのを
阻止するために美しい写真を
載せました。
秋は星空を見に行きたいですね。
ああ、でも暇がない。とほほ。
明日が善き日でありますように。
皆様のお幸せを祈ります。
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https://blog.canpan.info/sagara/archive/973
タメイキがでるドリル
これ、大人気なのですって。夏休みあたり、書店の入り口にずらっと並んでいましたね。いわゆる「家庭学習」のために親が買い与えるものですから、男女問わす購入されるのかしら?「面白く勉強ができるように」というのが制作者の意図だそうです。もちろん中身も拝見しました。便はかわいいキャラクターに描かれていて、全体に明るくスッキリした構成です。文も、学校指定のドリルの例文より、ユーモアも混じった柔らかい感じ。「勉強」というイメージはy弱まり、遊びの要素を多く感じます。勉強嫌いの子は、ほっとす..
意見
小田 航
2017-09-24T12:07:44+09:00
これ、大人気なのですって。
夏休みあたり、書店の入り口に
ずらっと並んでいましたね。
いわゆる「家庭学習」のために
親が買い与えるものですから、
男女問わす購入されるのかしら?
「面白く勉強ができるように」
というのが制作者の意図だそうです。
もちろん中身も拝見しました。便は
かわいいキャラクターに描かれていて、
全体に明るくスッキリした構成です。
文も、学校指定のドリルの例文より、
ユーモアも混じった柔らかい感じ。
「勉強」というイメージはy弱まり、
遊びの要素を多く感じます。
勉強嫌いの子は、ほっとするかも。
でも、もし自分が子育て期だったら
これを買ったか〓…自問しました。
応えはNO,です。
知識と知性は似て非なるもの。
知性には「品格」も伴うものと
私は考えています。
私が育てたいと思っていたのは、
「知性を伴う人格」を持つ人であって、
ただの知識人ではありませんでした。
いえ、今も教育の現場にいて、
他人の子であっても、未来を担う者、
そうあってほしいと願いつつ、
関わっています。
人間は知能が高い動物です。
だからこそ、陰と陽の双方を持つ。
陰の部分を増長させれば、いじめや
犯罪、暴力、戦争に繋がります。
高い知識を、使うべきところに使う、
知性と理性を備えた人格に育てたい。
そういう者が創る社会に生きたい。
でなければ、老人などどうなることか。
たかが子供の家庭学習用ドリルですが、
私は怖いと思ってしまいました。
特にまじめぶるつもりはありません。
でも、笑えなかった、という話です。
教育の根幹にあるのは
人格教育であることは、
曲げられない、曲げてはならない、
と思っています。
それには、日常こそ大事。
習慣が人格の元となるからです。
企業とはいえ、もう少し、違う要素で
面白さを追求してほしかった。
子どもに与えるものは、特に慎重に。
これはあくまで私見です。
購入された方を否定する意図は
ございません。悪しからず。
・・・・・・・・・・・・
とっぴんぱらり。
人間は教育によって人になります。
オトナはそれを
常に意識して子供に接しなければ。
面白さには種類があります。
虫を殺して喜ぶ子供、
誰かをいじめて楽しむ子供、
誰かと争うのが日常の子供、
みんなそのままではどうなりますか。
池田小事件の犯人は
だんだんエスカレートして
あのような悲惨な事件を起こしました。
法廷で三度、口笛を吹いたという、
その反省しない人間性は、幼少期、
途中で何とかしなければいけなかった。
信念を持った大人が本気で関われば、
子どもの持つ陰の力への興味関心は、
もう少しなんとかできたはずだと、
思えてなりません。
普通の人間は
陰の部分を持っているのは仕方がない。
でも、増長させないようにするのが
オトナの役目ではないでしょうか。
なんでも隠せとはいいません。
人の性や生態は隠しきれないし、
ありのままということが悪ではない。
生き物は全て、生きるために食べ
生きるために排泄する。
決して美しいばかりではない。
でも、秘すれば花、も教えなければ。
それが美徳、それが知性とか、
品性なのではないでしょうか。
それを持つことができるのは
週百億ともいわれる地球上の生物で
唯一、人間だけ、なのです。
明日が善き日でありますように。
いじめや犯罪、戦争がなくなりますように。
皆様のお幸せを祈ります。
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