日本の武術と中国武術の太極拳は型も見た目も違うようですが
その発想には共通点が多く、文献を参考にさせてもらっています。
「太極拳経」に書いてある「双重の病」という言葉、解釈がいくつかあるようなのですが、
以前は「双つ重い」で両足への荷重で居着くことを戒めた言葉かと思っていました。
しかしどうやら「双つ重なる」の方が意味としては合っているらしく、
力同士のぶつかり合いを戒めたものという解釈が正しいのではないかと思います。
門外漢ですので現在の太極拳ではどう解釈されているのかは不明です。
ただ、この二種類の言葉の解釈は違ったものだとしても、
動作や機動を考えるとあながち遠い存在ではないと思うのです。
まずは前者、足に関することについて。
重心の移動を腰から身体全体で行うことで滑らかに動くこと。
まるでボールが転がるかのように。
ということは、地面との接地面は常に小さい一点になるのが理想です。
(あくまでも観念論です)
前後左右に一歩動いた時、残った一方の足には何も残っていない状態になっているはず。
「両足への荷重で居着かない」ことの大事さというのは確かにあります。
次にぶつかり合いを考えてみましょう。
腕の力を主に使い、力同士がぶつかり反発する膠着状態。
龍真館では手から動かそうとする意識が、
分かっていても中々抜けないことから「手の病」と呼ぶようになりました。
手を存分に使おうとする人の多くは体幹と腕を切り離して使うか、
腕を支える土台として身体全体を力ませることが多いようです。
手や腕だけを使う場合、足や腰とのつながりも切れてしまっている状態です。
身体全体を力ませる場合はサイコロのような四角いものを転がすようなもの
ですので、一旦角を乗り越えようと足ももちろん力ませて動きますので、
足だとしても「手の病」がありえるのが分かります。
どちらにしろボールが転がるような動き方は不可能です。
ということで、ズシンとその場に居着いた状態では結局のところ
力をぶつけるようにしか動けないのではないか。
「双重の病」の2種類の解釈として根源は同じではないか、と思うわけです。