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コモンビートの中心から代表が叫ぶ!りじちょーブログ更新中!

特別なことじゃないダイバーシティ&インクルージョンの日常を切り取るNPO法人コモンビートりじちょー安達亮のブログです。平日は毎日更新しています!


古き良きもいいけど、新しさも歓迎せねば [2019年08月30日(Fri)]
コモンビートの活動が始まった15年前の2004年はどんな時代だったのか。

・インターネットはダイヤルアップ
・Wi-Fiなんてない
・パカパカ携帯、スマホはない
・メールでやりとり
・SNSはそもそもない
・チャットツールもない
・デジカメ出てきたくらい
・SDカードの容量256MBくらい

そういう意味ではアナログ感満載で、今に比べたらまだまだ直接会わないと解決しない仕事が沢山あった気がする。それでも「直接コミュニケーションを取ることが大切だ!」ってキャストに訴えかけてた。

それから15年経って、今やスマホでなんでもできる。スマホとWi-Fiあればもはや困ることはないくらい、右手の中でほとんどの物ごとが解決する。直接会わないでも仕事はできるようになったし、今だからこそ「直接コミュニケーションは大事だ」と訴えかけたい。

ただ、もう環境が変わってる。デジタルネイティブたちもこれからやってくる。僕が経験した15年前の環境と今の環境は全然違うことを認識しなければいけない。同じ「直接コミュニケーションは大切だ!」という訴えかけも、環境と相手が変わったら、やり方を変えていかなければいけない。「スマホ使うな!」って言うわけわからん問いかけにならないように。

古き良きもよいけど、新しさも歓迎する。

その変化にちゃんとついていくことも大切だし、時に抗いながら大切なものを見つめて、でもそれさえも変化を辞さない柔軟さでとらえておきたい。

コモンビートの活動も今、「新しさ」を歓迎して変化するべき時に来ている気がするので、いろいろ動いてみてるんだ。
市民活動に参加する費用は下げていくべきではないか [2019年08月29日(Thu)]
コモンビートのミュージカルプログラムは、違いを認めあうセンスを磨く教育プログラムだ。
 
多様な100人が集まり、異文化理解の大切さをテーマとしたミュージカルを100日間で作るという学校のようなものだ。

これだけ社会が「違い」に溢れている今だからこそ、その「違い」に対応するための力を磨く必要がある。

必要な教育なのであるならば、できるだけ多くの人が受けられるようにしたいものだ。今は参加費を頂いているけど、これも無料に近いところ(お金を払うことにも意味があるとと思うので)で設定できると良い。これによって、もっと多様な人たちで溢れるミュージカルになると、更に磨き合いができて、よりセンスが磨かれる。

こういうプログラムの「参加費」ってコストに応じて値上げして行きがちだけど、むしろ値下げすることに努力する方がNPO活動・市民活動ならではの考え方なのではないか。

いかに参加費を下げながら、下げた分を別のところから資金調達して立て替える構造を作れるかが勝負だ。100万円調達できれば、参加費を1万円下げられるというわけだ。

利益を追求せず、活動へ参加してもらうことを追求する。この根本を忘れちゃいけない気がする。
瞬間的な「個性が響きあう社会」の実現 [2019年08月28日(Wed)]
「個性が響きあう社会」の実現を目指して活動しているわけだが、その実現はものすごい遠いものだと感じると同時に、実は瞬間的に実現しているのかもと思う。

どういうことか。

ミュージカル公演のあのフィナーレの瞬間に、「あ、これかも」っていう感覚がある。

舞台の上には多様なバックグラウンドを持つキャストが響きあっていて、それを客席にいるこれまた多様なバックグラウンドを持つお客様が受け止めている。共鳴している。

ミュージカル「A COMMON BEAT」という作品が会場を包み込むような瞬間がある。

とっても感覚的でかつ主観的で恐縮なのだけど、その瞬間は「個性が響きあう社会」が実現しているのではないかと思う。

それはなかなか持続しないから、ふと我に帰ると実現には程遠いものだと感じるのだが。

でも一瞬でもそんな感覚を持ち得るのであれば、この活動は捨てたもんじゃない、価値あるものだと思える。そんな価値ある瞬間を生み出し続けられたら、きっと「個性が響きあう社会」もぐっと実現に近づくのだろう。
きっかけがきっかけをつくる [2019年08月27日(Tue)]
この土日に第51期群馬公演が無事に終了しました。2年前の第39期群馬公演に続いて群馬では2回目の公演でした。

第1回があったからこその第2回目であり、第1回でまかれた「きっかけ」の種が今回花開いたわけです。第1回が行われたことにも別のきっかけがあり、そのきっかけにもきっかけがあり連鎖していくわけです。辿って行ったらコモンビートの設立に行き着くわけだし、それにもしっかけがあり、発起人の人生の中にもそのきっかけがあり、さらにそれにもきっかけがある。

きっかけはきっかけをつくる。

今回の群馬での2回目の公演もきっと何かのきっかけになってるはず。きっかけは未来の行動を作り出すはず。今回生まれた「きっかけ」が未来にどんな花を咲かせるのかとっても楽しみだ。
線を引いているのはあなた [2019年08月26日(Mon)]
世の中にはいろんな「線」が引かれている。

それって誰が引いたのだろうか。
誰の都合で引かれたのだろうか。
なぜ隔てられているのだろうか。

その線は実は自分で引いたり消したりできるもの。あなた自身が「線」だから。

先日終了した群馬公演には聴覚障がいのあるキャストが参加していました。千秋楽公演のスタッフからキャストへの歌のプレゼントに手話がついていました。彼女にも伝えたいと思ったスタッフの自然な行動がとっても素敵でした。

伝えたいと思ったら、伝わる手段を創意工夫すれば良い。伝わらないと思い込んでいたら始まらない。できる、できないという線引きもどんどんアイディアで超えていくことができる。

「線」を自由自在に引いたり消したりできる、そんなセンスが身につくと素敵だな。
顔を合わせるタイミングを決める時間感覚とても大切 [2019年08月23日(Fri)]
明日からの群馬公演運営のため、今日から前橋入りしています。3月の鹿児島公演ぶりなので、結構久しぶりのミュージカル公演運営となります。

団体の事業計画を考えるときには、年間ずっとやり続けるというよりかは、メリハリをもったり、考える時期と動く時期をつくったりとコントロールするものだと思います。

でも、なんか前日になって思うのは、この5ヶ月は計画的にミュージカル公演をやらない期間を作ったはずなのに、なんか逆に5ヶ月ぶりの公演となってしまい、久し振りになりすぎたなという感覚があります。

公演には全国のミュージカル参加経験者が集まります。彼らがいいペース感で出会うこともとても大切。そのタイミングがこの5ヶ月はなんだか間が空いてしまった感じで心がうまく繋がってこなかった感じがします。でも明日明後日でみんなが顔を合わせたらそれはそれで大丈夫なんですけどね(笑)。それがコモンビートの強いところ。

計画的に予定を空けたつもりが、感覚的には空きすぎた感じになってしまった今回。この感覚をどれだけ反映させて次から計画を立てられるかがとても大切な気がします。

全国の仲間同士が顔を合わせるタイミングは、経営的に頭の中で計画するタイミングよりも、もうちょいだけ早い方がいい気がしています。これからの計画にはこの説明のつかない感覚としてのタイミングを大いに盛り込んでいきたいと思います!
自分たちの活動を知らない人の方が圧倒的に多いのだから [2019年08月22日(Thu)]
いくらコモンビートか全国にミュージカルプログラムを展開しているからといっても、ほとんどの人はコモンビートのことを知らないわけで。今も電車で帰宅中だけど、この車内にコモンビートを知ってる人はほぼいないはずだ(少しだけいてほしいけど)。

だからこそ活動を伝え続けなくてはいけないし、存在が伝わったらそれがきっかけとなって活動参加につながり、個性が響きあう社会づくりの一歩になっていくのだから。

だから、いろんなイベントに顔出して、名刺交換したり自己紹介しながら、ゼロをイチにしていくことがとっても大切だと思ってる。苦手な会社にだって訪問していかなきゃだめだ。

人と会うのが仕事。そして、伝えるのが仕事。新しい出会いから、新しい力を生み出すのが仕事。そうやってコモンビートを応援する、される存在になってビジョンに向けて進んでいけるといいな。
心はひとつに個性はバラバラに [2019年08月21日(Wed)]
先日、サイボウズの青野社長の講演を聞いた。「100人100通りの働き方」について話されていて、「多様性」についてたくさん言及されていた。

一律の管理じゃなくてパーソナライズされた、それぞれの働き方を生み出していく考え方は、シンプルで楽しくて、とても面白かったです。

多様さを組織内で許容していくには、「共有すること」が大切とおっしゃられてて、バラバラな人たちが共存する場合、情報格差を作らずに、フラットで同じ情報を持ち合った環境を作ることで、多様でバラバラでもひとつにまとまっていく力を持てるようになるということで、これまた大共感。

コモンビートもバラバラな100人でひとつのミュージカルをつくっていくので、歌や踊り演技の練習をしながらも、キャスト相互のコミュニケーションに多くの時間を割いてる。ミュージカルをつくるという目標のもとに、仲間として人として繋がり合うことで、違いがあってもまとまっていくことができるのではと思ってます。

100人100通りの生き方があり、それぞれの表現の仕方がある。心はひとつに個性はバラバラに。それをステージでどう見せていくか。

そこが、作品のテーマである異文化理解の大切さを伝える真髄なんだと、このミュージカルを通じて世の中には訴えかけていきたい。
管理をやめる。自分でやるべき管理をやってもらう。 [2019年08月20日(Tue)]
組織による管理には人は反発したり、我慢したりしてあまり良く思わないことがほとんどだ。

じゃあ、その組織によって管理されている部分を「自分で管理」することができれば、組織も管理をしなくなる。自分でちゃんとやれば良いだけなんだけど、人間は怠惰だったりするわけで、なかなか管理されてないと自分を律して行動できないから厄介だ。

そういう意味では、管理してもらわないと仕事ができないのであれば管理されていることに文句を言える立場にはないし、逆に自分で管理ができるのであれば組織は文句を言える立場にない。

だからこそ、自分で自分のことを知り、どんなペースでありのままに仕事をするのが一番適しているのかを把握して、それを組織に求めていければとても気持ちの良い働き方になるはずだ。組織はその申し出に対して、積極的に環境を整えてあげるだけでよい。だって自分で自分を管理することが前提なのだから。

もし組織の働き方には文句があるけど、あまり自分自身を管理できないということであるならば、今すぐ組織に文句をつけるのではなく、自分自身を管理できないことに問いを立てるべきだ。

組織に変われと言うよりも、自分が在り方を変えていく努力をする方が、きっと豊かな人生を送れることになるだろう!
自分で主導権を握る覚悟を決めたら、めちゃくちゃ動きやすくなる [2019年08月19日(Mon)]
何か物事をやるときに、一番気持ちが良いのは自分が好きなことを好きなだけ好きなようにやること。他人から言われてやるよりも自分からやる方が気持ちがいいはずだ。

だけど、なかなか自分から主導権を取って動くことって実は少ないんじゃないかと思う。好きなことを好きなようにやってる人を基本は羨ましがるわけだし。主導権を取るって責任や覚悟も紐付いてくるから、それをリスクと取るとなかなか踏み出せない場合もある。

でもなんか物事を進めるときに、主導権を取っていないと、なんか他人のせいにしてしまうことってありません?本当は自分が主導権を取れないことに後ろめたさを感じてたり。僕が何か物事を進めるときにもこういう状態によく陥ります。

でも、どこかで自分で覚悟を決めて主導権を握ることができたら、それはそれで気持ちよく動くことができると思ってる。他人によるやらされ仕事も考え方を変えられれば自分によるやりたい仕事にできるはずで、その変換点が「主導権を持つか持たないか」なんじゃないかと思ってる。

そうやって自分で自分の取り組み方を変えられるようになることは、活動を推進していくために大切な考え方だと思う。

はじめよう自分から。
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