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コモンビートの中心から代表が叫ぶ!りじちょーブログ更新中!

特別なことじゃないダイバーシティ&インクルージョンの日常を切り取るNPO法人コモンビートりじちょー安達亮のブログです。平日は毎日更新しています!


書き続けて今年100記事目!下半期もぜひ読んでくださいね! [2019年06月28日(Fri)]
このブログは平日に書いているので、今日で2019年上半期分が終わることになります。

今年に入って1月30日から平日は連続で書き続けて、気づけば5ヶ月書き続けていました。タイミングよくこの記事が今年100本目でした!

毎日の生活の中にあるダイバーシティ&インクルージョン話やNPO運営、色んな人との会話から記事に起こしていく思考回路がうまくできてきて、毎日続けられてる気がします。

スマホで書くことにして、文章が長く複雑にならないように心がけてます。少しでも読んでくれる人が増えて、何かの学び・気づきになったらいいなと思ってます。

あまり飾らずに等身大にこれからも記事を書いていけたら良いなと思ってます。

下半期もぜひ読んでくださいね。
今後ともよろしくお願いします!
自分を語る [2019年06月27日(Thu)]
自分を語るってとっても良いことだと思う。
ひとりひとり違う存在なのだから、それぞれが生まれてから、今どう生きているかってのは生き方そのものなわけだ。

だから自分を語るってとても尊いこと。

なぜ今そういう生き方をしているのか。
どんな人と出会ってきたのか。
どんな家族なのか、どんな仲間がいたのか。
何に感動してきたのか。
何に熱くなったのか。
なんでそれが苦手で、なんでそれが得意なのか。
どんな言葉と出会ったのか。
どんな場所に旅をしたのか。
嬉しいのはどんなとき?
悲しいのはどんなとき?

その答えは生まれてから生きる中で、それぞれが積み上げてきたものだ。これがまるっきり「同じ」って人はいない。

だから、自分を語ることは、当たり前だけど、全部「自分のこと」だ。正解も不正解もない。全て自分から滲み出るもんだ。嘘も本当も全部自分なんだ。

自分と向き合うには自分を語るしかない。

自然と育つ [2019年06月26日(Wed)]
人は自然と育つ生き物だ。

コモンビートのミュージカルプログラムの期間は100日間。昔、「農ミュージカル、農ライフ」と題して、ミュージカルをつくりながら、大豆を使ったことがある。当時のプロデューサーのこだわりで、自然や命を感じ取る機会を提供していた。

ある農園さんから畑を借りて、種を蒔き、グループに分かれたキャストたちが、水撒きしたり、雑草抜いたり、自主的にやってもらった。ほっとくと物凄い生命力で雑草が生えてきた。台風が来て折れ曲がったり、それでもまだまだ成長し続ける命の姿が目の前にあった。

農園のご主人も「ほっとくのが一番伸びる」とおっしゃってた。効率よく管理されて生産されていくよりも、自然にしておくのが強く逞しくなるわけだ。きっと人も同じだ。

ミュージカルプログラムに参加するとわかるが、ある程度ほっておかれる。ミュージカルという正解がない芸術だからこそ、自分で応えていくしかない。自分で表現して生きていくしかない。これは放置ではなく、環境的にそうなっている。

最初は戸惑いを隠せないが、そうした環境下で100日かけて自分と向き合ったあとのステージ上の表現は人の心を動かすことができる。

自然に自然に。
死してもなお語り継がれる [2019年06月25日(Tue)]
今日はマイケル・ジャクソンの命日。あれから10年経ったそうだ。
いつも聴いているラジオ局は特番を組み、ほぼマイケル・ジャクソンの曲がかかり、彼の生前のエピソードを伝えている。死してもなお、これだけインパクトがあるってすごいことだ。

ラジオで流れていたエピソードの中で「地球をハグしているような人」という表現が心に残った。実際に会ったことないからわからないけど、そういうメッセージを曲に込めていたり、映画「This is it」で垣間見た彼の発する言葉からしても、きっとそういう人だったんだろうと納得がいく。

会ったことない人なのになぜだか「こんな人」ってのが自分でわかるってことは、周りの人たちが彼を懐かしみ、語ることで、語り継がれてきたからだろう。

たくさんの名曲を聴きながら、少しでも、今日1日でも、地球や世界がハッピーになったら良いなと思った。
席を譲る以外にもやれることがある [2019年06月24日(Mon)]
電車に乗っていて、駅に着いたら右手に杖をつきながら乗車してきた方がいた。席に座ろうとはせずドアに近いところに立たれた。

僕はその方が左手で手すりを掴まれる位置に立っていたので、すっと移動。その方は僕の動きに気づいて「ありがとう」と言って、手すりにつかまった。左手で手すり、右手に杖で安定したようだった。

電車内では「席をゆずるかゆずらないか」みたいな二者択一になりがち。今回の件は、立っていたってできることがあるという、いい例だ。

この場面でも、誰かが席を譲ってくれるのがもちろん一番よかったのかもしれないけど、次の駅で降りるとか、立っていたいというご本人の希望もあると思うので、席を譲ることがベストではない場合もある。逆にこうやって立っている側にもできることがある。

座席が必要な方に座席を譲るのはあたりまえ。自分が座ってなかったら、何もやらなくていいってことではない。その時々によって必要なことがきっとある。

だからこそ、いろんな人が一緒になる電車の中だったり公共な場では、自分のことだけに没頭するんじゃなくて、周りをよく見ていないといけない。

みんなでもうちょっとだけ顔上げて、お互いにお互いを気にしながら生活していきたいものだ。そこに笑顔が溢れたら尚良いな。
言葉の重みの大切さ、軽やかな判断 [2019年06月21日(Fri)]
本日は理事会でした。
前回開催以来、理事会でコモンビートの活動を見つめ直し中。理事会での議論の中から、現場感も大切にしながら、団体を編集している。

4月からこの編集と向き合い、今日は今まで説明してきた表現に加える形で、新しい団体の表現を提案してみた。

さらに新しい観点をたくさんいただき、また改めて編集作業に入っていくわけだが、やはりみなさんの意識が、コモンビートから発される表現に対して、一字一句まで受け取られる印象などを考えくださっていてありがたい。

自分はあまり気にならないところまでも徹底的に意見交換して組み上げようとしてくださる。この第三者的観点を持っていただきながら、あとは話をまとめ決定していくのが自分の仕事になる。わかりやすいし、ガバナンスも効き始めていい感じだ。

言葉の重みを大切にしつつも、軽やかに判断していきたい!
それぞれの時代の話はおもしろい [2019年06月20日(Thu)]
コモンビートの活動では、多くの世代の人たちと出会うことができる。


今日も一緒にアジアンビートを運営している団体の方々からいろんな話を聞かせていただいた。自分の親の世代から、その上の世代まで幅が広い。

生きてきた時代が違うから、考え方も全然違うのかと思いきや、根本は一緒で、同じ気持ちや同じ心がある。時代背景やテクノロジーの発達でもちろん環境的な違いはあるはずだが、それをも感じさせないくらいシンパシーの渦だった。

逆にそれぞれの時代の話はお互いに新鮮なはずだろう。僕にとっては戦後の日本の話(約70年前)や、そこから高度経済成長を迎えていく日本の話は歴史の教科書で読んだ感じだが、それが目の前に「その人の生活と一緒になって」体験として語られると、すごく身近なことに聞こえてくる。

教科書から学ぶこともあるけど、やっぱりいろんな人から聞いたり、教えてもらっていくことの方が大切だ。

これからも多世代とつながってたくさんおしゃべりしたい。
それぞれのリズムやペースで [2019年06月19日(Wed)]
時間という概念をもとに、生まれてからの時間数で人の成長って表されているんじゃないか。

その時間数にいろんな段階や尺度が加わって、何歳になったらこんくらい、この年齢だったらこれができるとか言うようになったんだろな。

そうした成長のスピードと教育ってのが結びついて、小学校→中学校→高校→大学(専門学校)という流れになってたりする。他にも20歳から成人とか、60歳で定年とか、あとは年齢によってお酒飲めたりタバコ吸えたり、車の免許取れたりというのが決められてる。

自分もその流れに乗って行きてきた。でも20歳から大人とか言われてもあんまピンとこなかった。

「何歳だからこれができなきゃだめ」とか「大人なんだから」とか「子どもだから」というような考え方ってとても一律な見方だと思う。

人それぞれに成長のペースやリズムがあるからだ。それぞれが何かを習得するタイミングって、人によるんだと思う。

もちろん社会システムとして一定のものがあることはとても大切だが、その尺度だけに縛られるのではなく、それぞれが生来の自分らしペースを持っているということも同時に意識する必要があると思う。

それぞれのリズムが重なって、良いビートにつながっていくといいなぁ。
「感情」を大切にしながら行動を生み出す [2019年06月18日(Tue)]
大人になるとなかなか「感情を出す」という機会が少なくなっていく。

特に企業で働いていると、その環境の中では感情はなかなか出しづらいし、感情を表に出すこともあまり求められないのが普通だろう。

でも、人間は「感情」がある生き物だし、その感情で心が動いて原動力が生まれて、行動するものだと思う。

なのにその感情を表現できずに行動することはとても抑圧的で苦しいことなんじゃないかと思う。

自分自身はコモンビートに出会って、ミュージカルという表現方法に出会い、そこから自己開示や感情表現をすることへの抵抗が減った。むしろ感情なくしては自分らしくは居られないと思う。

さらに活動に関わってくれる人たちはボランタリーで、気持ち一つで関わってくれているので、感情なく手伝いをお願いしたら、残酷な結果になるはずだ。

感情はとても移ろいやすいし、ひとりひとり違うもの。自分が楽しいと思うことでも、つまらないと思う人もいるわけで。それも含めて、いろんな人がいるよなーとか、そのまんまでいてもいーんだよーとか思えるようになっていかないといけない。感情まで管理しはじめたり、必要ないと思うことは、本当に危ないこと。

だから、行動してもらうためのアプローチは、「こころ」や「感情」からしていけたら、お互いに気持ちがいいはずだ。
ルールは活動を制限するものじゃない [2019年06月17日(Mon)]
今年度に入ってから、コモンビートの外側に向けての表現については、だいぶヒアリングや議論を重ねて、納得のいくものになってきた。

今はそれと同時に、内側の表現の編集にも着手している。15年間、口頭伝承でマニュアルをつくらずにやってきたが、活動規模が大きくなり、口頭だけではなかなか伝わらなくなってきた。なので、一定のガイドラインやルール、規定も整理し始めている。

ルールとか規定とか言い始めると、「なんだ活動が制限されるのか」とか「なんだ自由にやらせてもらえないのか」という声も聞こえてきそうだけど、これはまったく逆である。

何もない状態で、良い悪いも判断する軸がないまま、属人的だったり雰囲気で判断していては、軸のない判断になるし、せっかく動いてくれたことが悪になってしまう場合がある。これじゃいけない。

ちゃんとルールや規定という軸を定めたほうが、むしろ自由にしていい、動いていい範囲がわかるようになる。ルールがあるほうが制限が外れる場合だってある。

あとはどう運用していくかだ。これはコミュニケーション以外に方法がありえないから、これからさらにコミュニケーションの取り方を円滑にできるように設計していかねば。

こういう内外の編集作業を経て、ちょっとずつちょっとずつ、みんなが共感しやすく、応援しやすく、関わりやすい団体になっていっている気がします。
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