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コモンビートの中心から代表が叫ぶ!りじちょーブログ更新中!

特別なことじゃないダイバーシティ&インクルージョンの日常を切り取るNPO法人コモンビートりじちょー安達亮のブログです。平日は毎日更新しています!


違いが怖いんじゃなくて、違いに対応できない自分が恥ずかしい [2019年05月17日(Fri)]
自分と「違う」ことってやっぱり怖いし不安になる。だってわからないから。

「わからない」状態って笑われたり、いじられたりするから恥ずかしかったりする。周りもわかってないはずなのに、なぜか自分だけがわかってないんじゃないかと不思議と思い込んでしまうくらい、「違い」って人を惑わせる。

だから、「違い」に対して消極的になったり、線を引いたりするんじゃないか。「違っていること」は理解しているけど、対応する方法がわからないから、わからないと恥ずかしいから避けて通りたくなる。

つまりは相手の問題じゃなくて、自分の問題。

でもその問題を解く方法は学校では教えてくれんかった。社会に出たら学校に通ってた時より「違い」と格段に出会うようになる。でも、対応できない。

だからこそ、敢えて「違い」と出会って、対応方法を自分で学ぶ必要がある。みんな学んできてないから、わからないことは恥ずかしいことじゃない。みんなでこの「違い」に溢れる世の中で、お互いの「違い」への対応方法を一緒に学べばいい。それが一緒に社会で生きるということ。

毎日出会って、毎日学ぼう。
つまりは「優しさ」「思いやり」 [2019年05月16日(Thu)]
電車でご老人に若者が席を譲ったり、階段でベビーカーを降ろすの会社員が手伝ってたり、道に迷ってる外国人に案内をしたり、日々の生活中で垣間見る人の「優しさ」や「思いやり」ってほっこりする。

「ダイバーシティ&インクルージョン」という言葉って専門用語っちゃ専門用語だし、日本の社会にはまだ浸透しきってない。僕らの日々の活動って、その言葉を浸透させることが目的じゃなくて、人それぞれの「違い」や「できないこと」をお互いに活かしあったり支えあったりしたいよねってことを伝えるのが目的なはず。

そもそも全然できてないわけじゃなくて、すでにもうできてることもいっぱいあって(冒頭の日常でみかける風景のように)、でもさらに「違い」が多様化して、顕在化してきて、そこに追いつけていないということで。

でも、追いつくためにはみんなで努力をしなくちゃいけないけど、どうしたらいいか教わってきたわけでもないから、不安だし、見て見ぬ振りもしたくなるのもわかる。

でも、みんなで一緒に生きてる社会だから、みんなで一緒に学んだり、話し合ったり、実践したり、試行錯誤していかなきゃいけない。

だからほんのちょっとだけ今の自分の「優しさ」と「思いやり」の範囲を広げて、できることから始めていけば、少しずつ少しずつ違いを認めあって、支え合って、活かしあえるようになるんじゃないかな!
自分を表すスキルをつくっちゃおう [2019年05月14日(Tue)]
よく「自分にはとりえがないから」とか「能力低いんで」とかいう声を聞く。
本当にそうなのかなと思う。世の中で検定とかまである「能力」は、その検定によって能力の有無が可視化されるけど、じゃあ持っていないとその能力がないのかと言われるとわからないよね。例えば語学の検定持ってなくても、喋れる人はいるわけで。

仕事をする上で、その能力を人に証明する必要があるから必要なことだとはわかってるけど、ある一定の等級を持ってたって、その中に上手い下手はあるし得意不得意もある。

だからわかりやすい「能力」だってそもそも不完全だ。そうであれば、自分で能力見つけたら良いと思う。検定にならない能力いっぱいあるし。

僕だったら昨日のブログにも書いたけど、「人の懐に入る力」すごく高いです(笑)。あとは「物事を俯瞰してみる力」「組織の問題点を見抜く力」「空気を読む力」「わかりやすく説明する力」とかも高いと自分では思ってる。

こうやって、自分の能力をなんでもいいから「◯◯力」で表現してみるのは面白いと思うのでぜひやってみてください。作っちゃえばいいんです、どんどん。だって生きていく力って言い表し難いから。

そしてその自分の力の掛け算が、自分の考えや行動をつくっていくはず!そうやって、自分で自分を生み出していければ、この混沌とした世の中を生き抜けるんじゃないかと思う。
お店の人と仲良くなっちゃう [2019年05月13日(Mon)]
なんかわからんのですが、飲食店の店員さんと仲良くなりやすいんですよね。

自分の性格だったり見た目だったりというのもひとつの効果だと思うのですが、そもそもそういうコミュニケーションが得意というか、ハードルが低いというか。

今日もインド料理屋さんでご飯食べてたんですけど、なぜだかいろいろ話しかけられて、最後は握手してハグして店を出ました(笑)。

僕は英語あんまりできないんですけど、自分は喋れない場合、相手が喋れればいっかくらいに考えてるところもあって、それが気軽なコミュニケーションを生み出すのかもしれません。そうやって仲良くなっちゃうのは別に国籍問わずなんですけどね、結局。

もちろん相手も商売だから、注文させようとコミュニケーションを取って来る場合もかるけど、それも商売なんだから普通だし、向こうもある意味適当だから(笑)、ちゃんとコミュニケーション取らなくてもいいと思うんです。嫌なら嫌とハッキリ言えばいいだけで。

でもそんなコミュニケーションでも、どっちかといえば楽しんで受け止めて、その場のノリでやり取りする方が自然かなと。

100パーセント通じ合うコミュニケーションを目指して躊躇して何もしないよりも、1パーセントでも通じ合うコミュニケーションの行動を!
独り占めしない [2019年04月24日(Wed)]
共有するのって大事だなーって思う。お金も時間も知識も経験も感動も「独り占めしない」て感覚でとらえられたらいいなと思う。
自分の人生は一回しかないからこそ、みんなからのおすそ分けをいただいて、自分の人生も誰かにおすそ分けできるなら、どんどん共有してお互いに豊かになってたら良いと思う。

溜め込むよりも、オープンにして、共有してったほうが、きっと巡りがよくなって、いいループが生まれるはずだし。

自分の考えを共有することも、相手にとっては価値が高いことだったりする。自分を表現することって実は「共有」なのだし、そうやって意見や考えを重ねていくことも、独り占めせずに相手と一緒に生きていくために、必要なことだと思う。

こうやってブログを毎日書いているのも、自分の考えてることが、誰かの人生を豊かにするきっかけになるかもしれないと、頭の片隅で思っているから。自分の頭の中だけで独り占めしないで、みんなと共有してみているわけだ。

インターネットやSNSによって、この辺りは容易に共有できるようになってきていると思うので、ぜひいろんな考えを混ぜあって、いければいいなと思う。
同じと違うを混ぜるんじゃない。違うと違うを混ぜるんだ。 [2019年04月22日(Mon)]
先日、視覚障がいのある友人と話す機会があった。目が見えないという「違い」が浮き彫りになる子ども時代から、目が見えないことが気にならないくらい変な(多様な)友だちができた大学時代を経て、気持ち的に変化があったという。

多様な中にいるほうが、自分の違いが目立たずに、普通に扱ってもらえたことが良かったとのこと。だから、世の中がもっと混ざって、多様になってくれたら良いと願っていた。

これにはハッとした。

気づけば自分は、周りと「違わない」というマジョリティの一部になっていた。「違う」というマイノリティのために混ざったほうが良いとか、響きあった方が良いとか言っていた気がする。

そうじゃない。

本来必要とされていることは、みんな「違ってる」ことを前提に、「違い」と「違い」を混ぜることで、「違わない」と「違う」を混ぜることをやろうとしているんじゃない。

つまり、ダイバーシティ&インクルージョンは、マジョリティとマイノリティを混ぜることじゃない。「違いそのもの同士を混ぜること」だ。

そんな本質を何気ない会話の中で教えてくれた仲間に感謝だ。
「当事者」ver.2.0 [2019年04月19日(Fri)]
昨日、green drinks shibuya というイベントに参加してきた。テーマは「ダイバーシティ&インクルージョンの現在地」というもの。

障がいや病気、ジェンダーやLGBTQなどなどのテーマをもとに活動する団体や企業からプレゼンがありました。

その中で何度も登場したのが「当事者」という言葉。この言葉すごく難しくないですか?

ダイバーシティ&インクルージョンって、違いを認めて活かし合うことを言うから、垣根を超えて混ざり合っていくようなイメージ。

「当事者」かそうでないかって、そこで自分ごとと他人ごとを分けてしまう感じがして、いつもモヤっとする。そりゃ「当事者」は存在するんだけど、そこを超えていく必要性からするとなんか違和感。障がい当事者とかLGBTQ当事者って言えば対象はわかりやすいけど、そうじゃない人にも「当事者」はいるはずなのに、なんか限定的になりすぎるというか。

この社会に生きる、今の時代に生きる自分としての「当事者」感があるし、そういう意味の「当事者」感で繋がっていかないと、インクルージョンまでいけないんじゃないかなと。

みんな違いがあるけど、それを前提としてどんな社会をつくっていく「当事者」感がもっともっと出てくるといいよね。当事者バージョン2.0というか。

イベントでは「多様性は地続き」という言葉が印象的だった。自分にできることは限られてるけど、常に自分ごとに「違い」をとらえられたときに、少しずつ社会がよくなるんじゃないかな。
未知との遭遇を歓迎しよう [2019年04月16日(Tue)]
人生で出会う人の数が多ければ多いほど、「違い」と出会った数が多いということだ。

自分の力で出会える人の数って限界がある。日々の生活の中での新しい人との出会いって、実はそんなにあるもんじゃない。

毎日いろんな人と、いろんな違いと「すれ違っている」けど、それだけじゃ関係性が生まれるわけじゃない。ちゃんとしゃべって、ちゃんとつながりあって始めて、出会えたことになる。

コモンビートのミュージカルプログラムは、多くの人との出会いを生み、対話をする機会と一緒にひとつの目標に向かう経験を生み出す。自分の価値観で生きていたら、絶対につながらないような人たちと、出会ってしまう。そして、深いつながりが生まれていく。

違いと出会った経験が多ければ多いほど、新しい違いと出会った時に対応できる幅が広くなるはずだ。まだ対応できないと思ったら、次回に回せばよい。まだ自分が未熟なだけなんだから。

未知との遭遇を歓迎しながら、少しずつ少しずつ幅を広げていく。諦めずに一歩一歩。
「違いがあること」を前提にする [2019年04月15日(Mon)]
時代は移り変わる。それぞれの時代を生きる人たちにそれぞれの価値観があるわけで、子どもから大人になったら世の中は変化を遂げているわけだ。

人格形成された時の時代と、その後の時代には違いがあるし、自分よりも年上の人と年下の人でも違う。でも共存して生きている。世代だけじゃなく、いろんな人と一緒に生きている。

そこに「違いがある」という前提はあるのだろうか。

人間誰しも違いがあるはずだけど、時に「相手も同じ考えだろう」とか「普通こうだから」とか「常識的にはこうだよね」とか、「同じである」ことを前提にしてしまっていなかろうか。

相手のことをわかろうとする、理解しようとする努力はし続けなくてはいけないが、自分の心の中や頭の中を100パーセント完全にわかってもらうことは無理だ。というかあり得ない。

必ずギャップがあるんだということ、必ず違いがあるんだという「前提」を忘れないようにしないと、それをカバーする配慮や工夫、気遣いが生まれてこない。

「違い」を前提とすること。
「違い」から考えること。
「違い」を楽しむこと。

今の世の中にとても必要な力だと思う。
伝える活動 [2019年04月12日(Fri)]
今日はとあるロータリークラブにお招きを頂き、コモンビートの活動とダイバーシティ&インクルージョンについてお話しさせていただいた。

人に伝える機会があると、伝えたいことを整理するし、伝わりやすいストーリーを組み立てるために足りない情報を補うために調査したり勉強したりする。

日々の活動に追われていると、目の前のことで精一杯になるので、こうやってインプットが必要になることはありがたい。

今朝も調べ物いろいろしていたら、コモンビートの活動をまさに説明しているような文献に出会った。こういう発見が、活動を図太くしてくれる気がしている。

今日の伝える活動も、自分なりには及第点で、少しでもコモンビートの活動の意義や、違いを認め合い、活かし合うことの大切さが世の中には広まっていくといいな。

このような「伝える活動」をどんどん増やして、活動をさらに深めていきたい。

講演依頼は以下のお問い合わせフォームから。
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