そもそも「疑問」は分からないという状態があるときに起こってくる問いの
ことです。ですから、本当は分からないという状態で止まっている状態――す
なわち、分からないから困っているとか、どうすればいいか悩んでいるとか、
もう諦めようかと思っているといった迷いの状態――を指すのではありません。
疑問を発するということは、分からないという迷妄の状態から脱出するため
に、粘土の塊がある形を生み出せるように捻り上げるような工夫を要する行為
です。また、崖にぶら下がった状態から脱却するために、岩肌にハーケンを打
ち込んで何らかの足場を作ろうとする勇気と決断力の必要な行為に似ています。
分からない状態は宙ぶらりんで苦しいものですが、そこで分かることと分か
らないことを整理して問いを発していって分かるようになることは、あたかも
粘土で作品の形を生み出すような、あるいは崖をよじ登っていくような、独特
の達成感があるものです。また、それだけに頭を使った疲労感もあるものです。
これに較べて、思いつくままに身を任せることは何と楽なことでしょう――。
分からない状態は、誰もがもっているものです。そして論文を作成するため
のカギでもあります。しかし、そこから「問い」を発するためには、分からな
い状態から「問い」を形作ろうとする意志が必要な場合があります。
問いは自然に湧きあがることもありますが、意志を持って生み出そうとしな
ければ形作ることが出来ない場合もあるのです。そして、試験論文のように、
課題のテーマに対して分析を試みようとするときのような、自分の日常の思考
の範囲を超えた疑問にぶつかって苦しんでしまうときは、なおさら強い意志が
なくては問いを生み出すことは出来ません。
また、分からない状態に対してどのような問いをぶつければ一歩分かること
ができるのかを知らない場合――往々にして論理的思考の経験が少ない人はど
うすれば良いか分からないもので、それはこの問いの出し方が分からないとい
うことなのですが――、簡単な問いを生みだす方法を学び、徐々に解明するた
めの問いの出し方を学んでいくように知る必要があると思います。
本来、論文の指導を受けるということは、分からない状態に対して立ち向か
っていく方法を課題を通してアドバイスしてもらうことにならなくてはなりま
せん。
つまり、誰もが論文を書くことは出来ますが、それは、誰もが分からない状
態を抱えているからです。そして、実際に論文を書こうとするならば、分から
ない状態から問いを発して少しでも分かる状態に向かって進む必要があり、そ
の努力がスムーズにできるようにするためには、自問自答の方法を学ぶ必要が
あるということなのです。
論理的思考とは
小論文の書き方