教育とはなんぞや
教育とはなんぞや
〜今日のニュースにひとこと〜
東北地方(だけではないと思うが)の高校で、
数百名の高校生が、卒業できないかもしれないというニュースがやっていた。
なんと、複数の学校で、
必修科目の地理か世界史のどちらか履修させねばならないのを、どちらとも省き、
大学受験に必要な科目を重点的に行い、
教育委員会には、必修科目は全て履修させていると嘘の報告をしていたとのことだった。
理由は、大学受験を控えた学生からの希望だと言う学校側、
『生徒によかれと思ってやったことだった、申し訳ない』
なんて、生徒のせいにしていた。
大人がこんなこと言ってちゃ、そりゃ、大人は信用できないなんていわれる世の中になるはずだわ。
教師達がブランド名門校への入学率を増やそうと、
受験項目を重点的にやったことはあからさまだった。
学生でも、『(自分が)理系なのに、今さら文系の項目とる必要はないと思う』
と言っている子もいた。
高校生から、自信満々に自分の世界はそれだけだとほかの分野は切り捨てた、
そんな言葉がでることに、びっくりした。
私はときどき、
学歴はあっても、仕事のうえで、
人とコミュニケーションをとることを好き嫌いで決めていたり、
臨機応変に動くことは苦手で、それを指導すれば否定されたと思い、
根拠なく反対をずっと述べ続けたり、
事実よりも、自分の予想を信じて、確認せずに他者へ伝えたりと、
とにかく、他人や事実よりも、
自分が今知ってることだけや、誰よりも信頼している自分の予想がイチバン正しいんだと
勘違いをしているひとを多くみる。
自分が高学歴ではないので、
卑屈に聞こえてしまうかもしれないが、
実際、みんなの話を聞き、意見をまとめたりとかそういう技術が、
高学歴の方々が、まったくできないことを、日々、身にしみて感じている。
いったい、現在の教育はどうなっとるんだ。
地理と世界史以外の分野ももちろん大事だし、
興味のある分野を専門的に勉強をしても、別にいいと思う。
私が言いたいのは、どの項目が大事で、そうではないのがあるということではない。
必修科目を再度検討するとかそういう専門的な話でもない。
教育でイチバン大事だと思うのは、”広い目”を持てるようにすることだと思っている。
家庭をはじめ、地域社会、環境などを考えたうえで、
自分の仕事などを、働き方を考えること。
私がそれをカンペキにできているわけではないが、
それを教える教師達が、そこを考えずに、ブランド大学への数字しか考えていないことに、
本当に残念だった。
そうではない教師もいるだろう。
地域、家族と一体となって子供を応援し、
”広い目”を持てる大人になれるよう、自立をうながす。
そういった人たちが、もっと前にでる機会を作っていただきたい。
がんばっているのになかなか理解してもらえない子供たちは、
または、頑張り方がわからなくなっている現代の子供たちは、
そういった教師を待ち望んでいると思う。
その中で、
現在、さまざまな団体が行っている、
”環境教育”は、自然・人とのコミュニケーションを通じて、
他者、社会、環境を考えるきっかけとして、とても有効な教育法だと感じている。
まだまだ日本の行政は、
その分野にチカラをいれてはいないが、
各地域の人たちのムーブメントが、いい形で広がり、
地域に根付いた教育方針が活発化していくことを望んでいる。
って、傍観してちゃダメですね。
世界には、
『お金がなく、生き伸びることさえ難しい人たち』と、
『お金はあるのに、人生に空しさを感じたり、誰かをだまし続けまたお金を得たりする人たち』
の双方が存在することが、今現在まで何百年とずっと続いている。
そのことを忘れず、
私も空しさを感じてばかりいないで、
悲しさばかり受け止めていないで、
できることをまずやってみよう。
まだまだ私の大好きな人たちが、笑顔で毎日を送れるように。
〜今日のニュースにひとこと〜
東北地方(だけではないと思うが)の高校で、
数百名の高校生が、卒業できないかもしれないというニュースがやっていた。
なんと、複数の学校で、
必修科目の地理か世界史のどちらか履修させねばならないのを、どちらとも省き、
大学受験に必要な科目を重点的に行い、
教育委員会には、必修科目は全て履修させていると嘘の報告をしていたとのことだった。
理由は、大学受験を控えた学生からの希望だと言う学校側、
『生徒によかれと思ってやったことだった、申し訳ない』
なんて、生徒のせいにしていた。
大人がこんなこと言ってちゃ、そりゃ、大人は信用できないなんていわれる世の中になるはずだわ。
教師達がブランド名門校への入学率を増やそうと、
受験項目を重点的にやったことはあからさまだった。
学生でも、『(自分が)理系なのに、今さら文系の項目とる必要はないと思う』
と言っている子もいた。
高校生から、自信満々に自分の世界はそれだけだとほかの分野は切り捨てた、
そんな言葉がでることに、びっくりした。
私はときどき、
学歴はあっても、仕事のうえで、
人とコミュニケーションをとることを好き嫌いで決めていたり、
臨機応変に動くことは苦手で、それを指導すれば否定されたと思い、
根拠なく反対をずっと述べ続けたり、
事実よりも、自分の予想を信じて、確認せずに他者へ伝えたりと、
とにかく、他人や事実よりも、
自分が今知ってることだけや、誰よりも信頼している自分の予想がイチバン正しいんだと
勘違いをしているひとを多くみる。
自分が高学歴ではないので、
卑屈に聞こえてしまうかもしれないが、
実際、みんなの話を聞き、意見をまとめたりとかそういう技術が、
高学歴の方々が、まったくできないことを、日々、身にしみて感じている。
いったい、現在の教育はどうなっとるんだ。
地理と世界史以外の分野ももちろん大事だし、
興味のある分野を専門的に勉強をしても、別にいいと思う。
私が言いたいのは、どの項目が大事で、そうではないのがあるということではない。
必修科目を再度検討するとかそういう専門的な話でもない。
教育でイチバン大事だと思うのは、”広い目”を持てるようにすることだと思っている。
家庭をはじめ、地域社会、環境などを考えたうえで、
自分の仕事などを、働き方を考えること。
私がそれをカンペキにできているわけではないが、
それを教える教師達が、そこを考えずに、ブランド大学への数字しか考えていないことに、
本当に残念だった。
そうではない教師もいるだろう。
地域、家族と一体となって子供を応援し、
”広い目”を持てる大人になれるよう、自立をうながす。
そういった人たちが、もっと前にでる機会を作っていただきたい。
がんばっているのになかなか理解してもらえない子供たちは、
または、頑張り方がわからなくなっている現代の子供たちは、
そういった教師を待ち望んでいると思う。
その中で、
現在、さまざまな団体が行っている、
”環境教育”は、自然・人とのコミュニケーションを通じて、
他者、社会、環境を考えるきっかけとして、とても有効な教育法だと感じている。
まだまだ日本の行政は、
その分野にチカラをいれてはいないが、
各地域の人たちのムーブメントが、いい形で広がり、
地域に根付いた教育方針が活発化していくことを望んでいる。
って、傍観してちゃダメですね。
世界には、
『お金がなく、生き伸びることさえ難しい人たち』と、
『お金はあるのに、人生に空しさを感じたり、誰かをだまし続けまたお金を得たりする人たち』
の双方が存在することが、今現在まで何百年とずっと続いている。
そのことを忘れず、
私も空しさを感じてばかりいないで、
悲しさばかり受け止めていないで、
できることをまずやってみよう。
まだまだ私の大好きな人たちが、笑顔で毎日を送れるように。



