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LOVIBE-growing diary-

  ECOと社会貢献と、
うつについて考える東京OL日記

1日、パンとおにぎり1個ずつ (宮城県石巻市被災地) 東日本大震災 

[2011年03月25日(Fri)]
1日、パンとおにぎり1個ずつ (宮城県石巻市被災地) 東日本大震災

被災地には、必要な物資が日々変動してきている、
つまり、ある程度食料は行き渡ってきている・・・と思っていたのだが、
やはりまだ厳しいところがあるようだ。

今日ニュースでは、宮城県石巻市の総合運動公園のテントには、
11万食のパン等があるとあったが、8万人に対して、の数だった。

石巻市近隣の被災地では、
まだ炊き出しできる環境にないため、すぐ食べられるパンやおにぎりなどしか
今は提供が難しいようだった。(アルファ米も有効のようだ)

1日、パン1個とおにぎり1個でなんとか食いつなぐ日もあるようだ。
近くの運動公園の10個程度のテントがあるようだが、そのうち8テントは衣料・毛布等で、
2テントが食料とのこと。

こういった被災地へは、ガスコンロや非常時電源を供給し
早く温かいご飯や野菜、お肉等はいった炊き出し、栄養のあるフルーツなど提供できないか。

自衛隊のヘリコプターで運べる量の問題なのか?
そのニュース番組を見てても、何が問題で石巻市がそういう状態なのか、
肝心な点が見えてこなかった。
報道のあるべき姿は、ただ大変だろう、というような映像を流し感心をもらうだけではだめだ。
政府や自治体、またひとりひとりがどこに盲点があるのか、
そのための情報を流すべきだ。

ただ、おそらくこの報道で石巻の復旧はまたチカラをいれることだろう。
ほかにもまだまだニュースなどで取り上げられていない被災地がたくさんあるだろう。

そういった場所へ、何ができるか・・・。

今日はサイフにあった小銭を全て、お店にあった募金箱に入れた。
早く届け。ガスコンロ。



物流各社全国配達開始 東北関東大震災

[2011年03月24日(Thu)]
物流各社全国配達開始 東北関東大震災

以前宮城県の栗駒でお世話になった自然学校に、
震災により一時預かっている子供がいるので、と物資支援のコメントがあったので、
東京からの物流ルートの確保ができ次第、ぜひ、とメールで2年ぶりくらいに連絡をした。

で、いつ頃送付できるのか、まず日本郵便を調べていたら、
本日から全国配達開始※していた。
※沿岸地域等、震災により直接配送できない一部の地域は、
  支店止めなどで、配送先の方が窓口に取りにいってもらえる場合のみ受け取り可能。

佐川もヤマトも同様に開始していた。
ならばすぐ送れる!と、すぐに訂正のメールを送った。

震災により・・・、つまり孤児となってしまったであろう2名の子供。
私も4歳で親を亡くし、社会人になるまでずっと養護施設で過ごしたが、
子供ながらもいろんな人の支えがいつでもあった事を覚えている。
時々、嫌な事があると、
「私には無条件で愛してくれる家族はいない」
「誰からも必要とされていない」
そんな事を小学生の中学年にはもう考えていたほど、そしてそれを口にだしてしまうほど
感受性豊かというか、妙に反抗心だけ強くて、そして落ち込みやすい子供だったと思う。

これからたくさんの壁があるだろう。
孤独を感じる日ももちろんあるだろう。
けれど、世界中には多くの困難を抱えている人が多くいて、
その人達もまた、社会とかかわりをもって、
自立し、社会や人の役に立ちたいと望んでいる人が多くいる。
そういった人達とつながっていれば、これからの人生に希望を持てる。
そう気づくことで、きっとこの二人もこの先頑張れる。そう信じたい。

今日ニュースで、物資が多く届いている地域もあれば、
被害が大きい大槌町など
まだ物資が届いていない状況を聞いた。
今回の全国配達再開により、現地のボランティアや若者、自治体の方々が
支店止めで受け取れるような体制をとっていただければ、
物資を直接、そういった場所にも送れると思う。

自治体のみなさん、
全国のみんなが、何か役に立ちたいと思っています。
どこの避難所が今は何をどのくらい必要なのかをヒアリングし、
その情報をまとめて、ホームページなどに情報をだして頂けると助かります。
物資の整理は大変だから、こまごましないよう、義援金のほうが使いやすいのかな。


真に必要な経済活動を 東北関東大震災から考えること

[2011年03月22日(Tue)]
真に必要な経済活動を 東北関東大震災から考えること

節電しなきゃ、と先週暖房を切って半纏をかぶって寝ました。
でも現在うちの会社も、救済活動に密接に関係あるので上司達も忙しく、
私もできる事は自分で対応しようと、上司らの仕事も自ら取り組んで帰りも遅くなり・・・
週末は風邪で寝込んでしまいました。なんてこった。
自己も守れないんじゃ、人を守れないじゃないか。
と、3連休ほぼ寝づっぱり。なんとか咳が残る程度で午後から仕事へ。

地震発生直後からは、
家にいる間はとにかく被災地の情報や、原発の情報などを得たいと、
ほとんどNHKをつけっぱなしで見ていました。
一人でいるとどんどん気持ちが落ち込んで、心もふさぎこんでしまっていました。

体調が良くなったら、とにかく週末でもボランティア、
現地では何を必要としているのか、など情報を探していました。

そうしたら、いわきの双葉町の方々18,000人が
さいたまスーパーアリーナへ避難したという情報があったので、
そこまでなら自分で電車で行けるし、近くのビジネスホテルに泊ってボランティアができると
思ったのですが、
すでに受入限度以上のボランティアが殺到したようで、でる幕はないな、と。
でもこうやって、すぐにボランティアが集まることはうれしい限り。
みんな何かやりたいんだ、役に立ちたいんだ、と思いは同じことを知ることができ、
やっと地震発生後元気がでてきました。

また、TVの取材では、いわき市の被災地には放射線の危険があるということだろう、
物資のトラックが途中で折り返ししてしまい、物資が届かないという現状を聞いた。
それも、なんとかできないかとインターネットで探していたら、
服飾関係の会社の社長やモデルをしている桃華さんという人が物資を集め、
運送業者にお願いし物資を大量に送ったとブログにあった。

それぞれ、それぞれ自分なりに頑張っている。

昨日、TVで官房長官が今回の原発の事故について、
東京電力が責任をとり、対応しきれないところは政府が・・・という言い方をしていた。

原発の事故は、確かに直接的には東京電力の問題かもしれない。
けれど、今日までの日本が、日本のために、と守ってきた経済活動は
電力をたくさん使い、お金をたくさん使い、
経済活動を活性化させようとしていた部分も多くあったのではないだろうか。

電化製品は省エネ化と言いながら、10年前には必要なかった電化製品がたくさん増えた。
消臭製品にも電気を使うもの、
ハウスダストの除去も電気を使うもの、
ペットの見張りにも常時電気を使う機器もあるし、
写真のアルバム代わりに電気を使うもの、
インターネット機器は常時接続を推奨しているし、
各1戸の中で、冷蔵庫以外に常時電気を使っているものが多く増えたのでは?

そしてそれは政府だって歓迎していたはずだ。
日本がそれで景気が良くなるならば、と。
経済活動は、安定ラインの確保よりも、
必要以上に、そして短期的な向上の右肩上がりばかり望んでいたからだ。

不要な電気の使用を控えるのは、今だけでいいのか?
原発に頼らなくちゃいけないほど、ムダに使っていたのは誰か?
それに恩恵を預かっていたのは誰か?
東北地方の農家は、日本の第一次産業を支えていたのではないか?
首都圏の大手IT企業たちが、本当に日本の土台を支えているのか?

法律や税制など、真に日本を支えている人達への優遇や補助をしなくてはいけないと、
いい加減認識しなおすべきだ。

日本に、政府に、世界に問う。
10年後30年後、子供たちの将来に必要なものは何か。
そのために、自分達が残すもの、大事とするものは何なのか。
この地震は、その方向を見誤っていた経済大国日本へのしらしめのような気がしてならない。

東日本大震災をうけて

[2011年03月13日(Sun)]
東日本大震災をうけて

地震発生から2日。
ご家族を亡くされた皆様、心からお悔やみ申し上げます。
行方不明、安否確認がとれていない皆様、どうかどうか生きていらっしゃったら、
寒いこの時期、食べ物もとれず暖もとれずお辛いと思いますが、どうかどうか家族のため
頑張って生き延びていてほしい、そう願っております。

会社から家に着いたのは深夜2時過ぎ。
電車はすべて止まっていたので、どうしようかと思っていたら、
職場の方で近隣の方がいたので、ご家族の迎えの際一緒に送ってもらえた。

家に着くと、ガラスの瓶や観葉植物の細かい石などが台所中に飛び散り、
足の踏み場はなかった。
寝室も、衣装ケースが1m以上先に落下しており、
本棚のCDや本が落下し、重いはずの本棚がずれていた。
疲れていたので、先に睡眠をとってしまったが、
後から考えたら、また大きいのがきたとしたら、私はガラスの破片を踏みながら外へ
でていただろう。
さっさと片付けるべきだった。

仙台の営業所の社員の安否は、深夜に確認できたが、
翌日、群馬へ異動した元上司から、
「仙台から東京へ単身で来ている○○さんの自宅、住所からして、
おそらくあの津波に飲まれているのではないか?ご家族は無事なんだろうか」
と悲壮な声で電話があった。

自分が本社勤務という事もあって、そういった情報を知っているのかと思ったようだ。
すぐに、仙台の所長へ連絡をとったが、
津波はそのご自宅とは別の方向に流れていて、無事だったと聞いて
その事を群馬の上司に伝えたら、安堵と、けれどテレビで見る地獄絵図からくるショックの両方で、涙がでた。

身近な人やその家族で、今のところ亡くなった方はいない。
けれど、いまだ孤立地域に残された方々、次々発見される何百の遺体、
心が痛まないことはない。

ご飯を食べるたび、「あの人達はこういったあったかいご飯も食べられないんだろうな」
と思ってしまい、普通に生活できることを本当にありがたく思う。
そして、何かできないかとこの土日ずっと考えている。

今、私たちができることはいくつかあると思う。

1.今回政府指導で計画している、計画停電。つまり節電をする。
2.対応が早い、効果的な団体への募金。
   私も明日には赤十字社へできるだけの募金にいきたいと思っている。
3.チェーンメールや不確定な噂に惑わされない。
  官房長官も言っていたが、不要な110番通報などが増えれば、
  本当に深刻な方への救済が遅れる。その事を頭にいれて、チェーンメールを
  転送しないよう気をつける。
  これは、私もたくさんきたので、その都度事実をネット等で調べ、友人達へ転送禁止を呼び掛けた。
4.直接的に助ける、ボランティア、というのがあるが、これは二次災害を発生し
  現地の方々に迷惑をかける場合があるので、勝手に現地入りしたりしないよう、
  政府や自治体からの受け入れ態勢ができてからにしたほうがよい。
  
5.自分の会社や学校などでできることを考えて声を挙げる。
  今回、サービスを提供しているお客様があきらかに被災されているため、
  そのサービス料金を請求しないなど、何かできないか
  明日上司や親会社へかけあってみたいと思う。

  また緊急時に有効な電子機器も販売しているので、官公庁や自治体への
  無償貸し出しなどをもっとできないかかけあってみたいと思う。


ほかにも色々あるはずだが、それぞれが考えてやってみよう。




伊達直人のランドセル

[2011年01月16日(Sun)]
伊達直人とランドセル

さきほどフジテレビのニュース番組で、
自分が昔いた養護施設にもあの伊達直人が来ていたのを見た。

そういえば自分が施設にいた時は
お古のランドセルを使っていたので
赤というより深紅の古いランドセルで
とっても使いづらかったのを思い出した。

もう古すぎるからだろうか、
内側の革の部分が剥けて、教科書やノートを入れると
端っこが赤く汚れてしまって
新しい教科書もすぐに真っ赤になってしまった。
だから私はランドセルが大嫌いだった。
5年生には、時代の流れでランドセルを持っていない子もいたので
やっとスヌーピーの茶色いかわいいリュックタイプのかばんを貯まったお小遣で買い、
恥ずかしい思いをせず友達と登下校できるようになった。

ランドセルひとつで子供の顔は明るくなるのだ。
そんなことを寄附をした方達みんなが想像しているんだろう。
私はキレイなランドセルはもらわなかったが
施設にいる間、ずっとたくさんの寄附でたくさんの人の善意を感じながら18歳まで過ごした。

今はその恩返しを社会に返して行きたいと思い
仕事で未来の社会を支える事を考え、プライベートでは小さいながら様々な活動をしてきた。
一般的でいう“家族”はいなくとも、社会全体が“家族”なのだと思っている。


一昨日、コンビニで財布の盗難にあった。
まだ犯人も財布も見つからない。
その人も、人との愛情を考えられればそんな事はしなかっただろう。
寂しい人が愛情を感じ、強く生きられる社会を作っていきたい、そう思う。

冬の日光ひとり旅

[2010年12月11日(Sat)]



明神ヶ岳から見た富士山

[2010年05月08日(Sat)]
明神ヶ岳から見た富士山

♪はっこねのやまは〜てんかのけんっ♪

箱根にくると歌いたくなるこの歌。
なぜなら幼少の頃、箱根に一時期住んでいた事もあり、
この歌は、山の中でたくさん歌った思い出が。
あの頃は、大自然の中にいるのが当たり前だったけど、
離れて山の恵み、自然の恵みのありがたみを感じます。

という事で、今回は神奈川県南足柄の明神ヶ岳に行きました。
初心者でも日帰りで行ける山、と雑誌に載っていて、
その頂上から見た富士山の写真に憧れて。

小田原から、大雄山線に乗り換え大雄山線駅まで約25分。
バスに乗り換え、道了尊駅まで約10分。

するとそこには、なんだか懐かしい風景が。


最乗寺の入り口には、
茶屋とかもみじとか、あ、高尾山だ。
ここは高尾山と同じく、天狗が有名みたいだし、雰囲気もよく似てる。



ちょっとお寺も覗いていこう、と、明治や大正に植林された太い杉並木達の真ん中を歩きながら最乗寺に拝観。
今年は京都に行く前にちょっと勉強した事もあり、手水やでの手の洗い方とかちょっと慣れてきました。
モノの順序には、意味があるんだと思えばそれはステキなマナーになる。

ハイキングコースに入って、急な登りを一旦あがりきったところで、
小さな12体の石仏様が。
数体が、陽のひかりにあたって、とっても気持ちよさそうな顔立ちをしていました。


さーて、ここからが勝負。傾斜がある樹林帯の山道をひたすら登ります。
こんなに傾斜があるとは、石もごろごろ。
麓は高尾山と似ていても、道はやはり箱根の山。山道らしい道。
登りがいがありました。

1時間30分くらい(ガイドブックは1時間です)歩いて、見晴らし小屋が。
ここで一旦、バナナ休憩。あー、今日早めでてきて良かった。
こんなにのんびりしてたら、頂上着くのが遅くなっちゃう。
久々の汗をかきながら、そんな事を考えバナナとお水をごっくん。

そこから上にまた登っていくと、
まだ所々スミレが残っていました。
上に登るにつれ、違うスミレの種類を見つけて嬉しいと思いながら、
アップする写真がないのは・・・、もうカメラをだすほど余裕なかったんです、はい。

途中、原っぱのような景色のよい場所にでました。
昔、ロープウェイがあったようで、所々ロープウェイの錆びた土台があります。
なんでだろ、この風景も昔を感じるのは。



また急な傾斜がある道が見えた手前に、ありがたい山の水、
神明水という水場がありました。
ちょうど、ここでペットボトル1本飲みきっていて、
一応もう1本リュックにあったけど、冷えたおいしい水が飲めるなんて
ありがたやありがたや、と1本分頂きました。

山ってすごい。自然ってすごい。
じわりじわりと、たくさんの微生物がいる土の中で、
単純なろ過作業を繰り返し、
こんなおいしいお水を造りだすんだから。

そこから1時間30分くらいですかね、もう足はがくがく。
膝をやられてしまって、ステッキを持ってこなかった事にぶつぶつひとりで反省。
こんなに傾斜があったとは。それでも登るしかないと、進んでいたら、
ようやく見えました!頂上が!
明神ヶ岳1169m到着。
そこには富士山と箱根の外輪山の山々がパノラマ写真のように広がっていました。

夏などは相模湾もくっきり見えるようなんですが、
この季節だからか、霞みがかって見えず。
でも富士山はしっかり。こんなに大きく見えるなんて、いやー感動。
近くで見ればみるほど、他の山から見れば見るほど、いいですねぇ。
手前にあるのは、金時山。こっちも行きたいですねぇ。



本当は、宮城野方面へ下りるつもりが、
間違ってもとの道を下りました。
でもどっちで下りても、温泉があって便利ですね♪
今日はバスの時間がないので、まっすぐ帰り、
うちの近所の銭湯の露天風呂でゆっくり疲れをとりました。

なんでだろう。
山の筋肉痛は痛気持ちイイ。


鶴岡八幡宮の大銀杏との思いで

[2010年03月10日(Wed)]
鶴岡八幡宮の大銀杏との思いで

鎌倉の鶴岡八幡宮の樹齢1000年以上といわれる
大銀杏が倒れてしまったとニュースで流れていた。

鎌倉は、小学校、中学校ともに遠足で行った場所。
小学生の遠足では、あの銀杏の横の階段を友人と仲良く歩いて、
自分達の後ろには、当時の好きな男の子が写っている写真が数枚あったのを思い出した。
また、あの頃の私はかわいかったのも・・・(笑)

それはさておき、大人になっても紅葉時期になると、
よく足を運んでいたので、なんだか自分の小さい頃と大人の時代も知っている
銀杏の木が倒れてしまったのは、とても驚き、また寂しかった。

木は何千年と生きるから、まさか自分が生きている間に
思い出の木が倒れてしまうなんて思ってもいなかった。

原因は当時の強風とか、生育場所が斜面で土壌が薄かったなど
いろいろな要因が重なったようだ。

なんだか、これまで見てきた景色や樹木をもう一度見に行きたくなった。
また、見たことない景色や自然にも、また触れたくなった。
いつかは見れなくなってしまうかもしれない素晴らしいものを見に行き、
経済の流れで壊れてしまいそうなものがあれば、
素晴らしさを伝え、残すことの大切さを伝えていきたい。

そろそろ春到来。でかける身支度をしよう。






ビール工場見学

[2010年03月10日(Wed)]
ビール工場見学ジョッキ

梅もほころぶ、この季節。それでも東京はまだ雪が降る。
先日の休日はマザー牧場へ行く予定だったが、
午後から雨が本降りになるそうだったので、天気が良い日へ延期しよう!
ということで、雨も気にならない場所へ・・・。

と、急に思ったのが、工場見学。
いつもテレビで芸能人の方が面白そうにモノづくりの現場に行く姿を見て、
機会があればいろいろ行ってみたいと思ってたので、
友人に提案してみたが、ちょっと難色を示していた。
「ビール、無料で飲めるよ!」と、お得感をだし、一緒に行ってもらえることに。

実は、私はビールはそんなに好きじゃない。というか、全然飲めない。
でも、これだけ多くの人に消費されるビール。
ビールが作られるまでを知ること、その工場を覗けること、それが楽しそうだな、と。

そこで行ったのは、サッポロビール千葉工場
サッポロビール 千葉工場

シャトルバスがJR津田沼駅、京成津田沼駅両方とも回るため、
駅からもとてもラクチン。

ビール工場見学とあって、どうやら職場の人たちと来ているグループが、
バスに乗る前からノリノリ。ビールが楽しみなんだろうなぁ。

シャトルバスは、かわいい黄色いバス。写真も撮ったんだけど、
PCの環境上、今は掲載できず。また今度。

まずは、最初にどれだけのビールが、この千葉工場で作られているかなど、
その貯蔵している建物などの説明を受ける。
ここ千葉工場では、全国にある工場のうちの4割と、とても大きい工場。

工場の中に入ると、なぜか納豆のような、ちょっとクセのある臭いが・・・。
発酵の匂いかなぁ、と話しながら行くと、
ガイドのお姉さんが、ビールの原材料について現物と合わせて説明しだした。

ビールの原料は、麦芽とホップとお水によってできるんだと。
CMでよく、麦芽が〜、ホップが〜なんてよく聞くけど、両方重要なんですね。
ビールは麦芽の中でも二条麦芽を使うんですって。
麦茶は六条麦芽。だから六条麦茶、なんですね。

で、ホップというのは、緑色の中に種子が入っているような植物。
これ、これが臭かった。
ガイドのお姉さんが、ひとつのホップを剥いて、
「どうぞ、前にきて匂いを嗅いでみてください」
って、友人がずんずん前へ。
子供に気を使う友人は、子供を優先させ、その次に行った。
「なにこれ!」
大人が恥ずかしがる中、私も次に行った。
「くっさ!」
これの匂いだ・・。さっきから臭ってたの・・・。

ホップって臭いんですね。
CMとかで見る感じはきれいな緑色なのに。
こういう発見が、工場見学の醍醐味ですな。

サッポロビールは、現在は100%協働契約栽培。
世界中にある400ほどの農家と直接契約し、すべての農家に足を運んでいるとのこと。
おお。農家の事も考え、消費者のことも考える。
どんなモノづくりにあっても、こういった信用のラインでつながるのは大事なことでしょう。
これだけの大手の会社が、安い原価よりもこういったコストのかかることを導入するのは
きっと当初はたくさんの反対があっただろう。普通の会社ではなかなかできない事だ。
それでも、導入したサッポロビールはすごいと思う。
発案した方、反対を推し進めた方、名前も存じませんが、尊敬いたします。



この日は、土曜日だったので、
製造ラインはお休み。代わりに、映像で製造ラインの説明をしてもらえた。
私は映像を横目に、そこの窓から見える工場内の造りに興味があったので、
動いていない機械だらけの工場の中を見ていた。

工場の中には、マンホールがところどころあった。
ガイドのお姉さんが、
「マンホールの真ん中にはサッポロビールの★のマークがあるんですよ」と。
ホントだ!かわいい!カメラで撮影できない場所だったので、心の思い出に・・。
あと、工場見学を考えて造ったという工場の造りがすごいと思った。
工場の中には柱がなく、体育館のように上部とサイドで支える仕組みとなっていて、
工場見学する際に中を見やすくしてるんだという。
これこそ地域社会と一緒に考えているんだと、参考にしたいと感心。
また、このサイドの柱が交差している形になっていて、これも
サッポロビールの★マークになっている。
ガイドさんが言わなければ、わからなかったー!

工場見学はあっという間で、
残りの時間は、工場で造りたてのビールの試飲。
私たちはエビスビールだった。
ビールを殆ど飲まない私は、エビスビールはおそらく初めて飲む。
ん、この苦み、あれ?ちょっとおいしいかも。
でも、顔はどんどん真っ赤に。半分も飲んでいないのに。
やっぱり弱いのはそのまんまかー。
でも、なんだかビールが前よりも身近に感じた。
やばい。これがきっかけでビール好きになったりして・・・。気をつけよう。

ここの敷地内には、千葉ビール園という、
窓一面オーシャンビューの開放感あふれる、ジンギスカンと、もちろんサッポロのビールが飲める
レストランと、
ビオトープなんかもある。
今度は天気が良ければ、散歩がてらにビオトープなんかも回ってみたい。

お土産は、サッポロビールチョコレート。職場で配ろう。
さーて、次回はどこの工場見学へ行こうかなぁ。
(友人を乗り気にするコースを考えなくちゃ)



西アフリカから教えられたこと

[2010年03月09日(Tue)]
西アフリカから教えられたこと

NHKの世界遺産への招待状という番組で、
西アフリカの人々が議論をしていた。

途中から見たので、話の始まりは何だったのかわからなかったが、
アフリカ人同士が過去の奴隷制度についての理解について議論しているようだった。

一人の男性が、ヨーロッパがアフリカにしたことを訴えている様子で、
それに対し、一人の女性が、
「アフリカも、人を売った事実を認めなきゃ。問題はそこにある」
と訴えていた。

その訴えていた男性が、
「昔も、人を犠牲にして富を得ようとしているのは、一握りの人間だ。
 奴隷制度は、形を変えて今も続いている。
 私はそれを伝えていかなければならない」
と強い目をして訴えかえし、聞いていた現地の人々も真剣に耳を傾けていた。

そうなんだ、奴隷制度が終わって150年たった今でも、
世界はまだ戦争や、著しい貧富の差や飢餓などはなくならない。

ロシアの子供は、親元に暮さずマンホールに住んでいたり、
アフリカでは、病気や飢餓にかかる子供はずっと課題となっており、
ストリートチルドレンや、児童労働があたりまえの国もたくさんある。

大きな問題が表面上解決したように見えても、
まだまだ終わらない問題がたくさんある。

その西アフリカの村で、お祭りが行われ、
文化遺産となっている踊りが始まった。
魔物を追い払うような意味があるようだが、
みんなで太鼓のリズムに合わせて踊り、一緒にダンスをして魔物を追い払う意味があるようだった。

世の中では、意識や見方の違いで、
憎み合うことや、相手の持ち物を奪ってしまうことが絶えずおきている。

私は、目の前の小さな社会の仕組みの中でさえ、
見えていない部分もたくさんあるだろう。

たくさんの人に守られていて、自分が自分をおごっていることに気づかなくなっていた。
いや、気づいていても、それでも他人のせいにし、自分は悪くないと思いたかったんだ。

目上の人に、自分の意見を真剣に聞いてもらうには、
多少強く、また威圧的に言ってしまうことが多い。

また、1度説明しただけでは理解してもらえず、
コミュニケーションがきちんととれないスタッフと話す場合は、
強く押しとおしたり、売られたケンカを買うことも多い。

それができる間は、それでいいと思っていた。
むしろ、意見を貫きとおして何がいけない、
根拠のない自分勝手な意見に負ける気がしない、そう思っていた。

けれど、私のやり方は、
職場での小さな戦争を起こしていたのかもしれない。
弱者は、さまざまな環境を抱えて弱者になったのかもしれない。
私の理論も、裏付けがきちんとしていないことがあっても、
周囲も気を使っているだけかもしれないし、
いづれにしても、威圧的に事を進めていることで、
周りが何も言わないのは、何も言いたくないだけかもしれない。
私のように、みんな言いたい事を言えるわけじゃないんだろう。

私は、人の歴史や人の喜び・悲しみとともに生きてきた人間じゃないのかもしれない。
だから、人の気持ちに鈍感で、自分の意見ばかり貫きとおそうとし、
心も痛まないのかもしれない。

もっと、人の気持ちや、歴史を学び
人と理解しあいながら、議論のできる人になりたい。

西アフリカでは、そんな背景がありながらも、
人々が平和を願う気持ちと、その絆をみて、
自分自身の、これからきちんと社会のために生きていける可能性を、見つけたい、そう思いました。


 

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