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中嶋れん(日本共産党 宮城県議会議員)のブログ
宮城県議会 環境生活農林水産委員。
      障がい児・者福祉調査特別委員会 副委員長。
      「脱原発をめざす宮城県議の会」副会長。
自閉症児の親の会会長。
青森県むつ市大畑町生まれ。青森高校卒(音楽部、将棋同好会に参加)。
東北大学理学部物理学科卒(東北大学男声合唱団に参加)。

「戦争する国」No! 女川原発の再稼働中止 「人間の復興」を追求。
ライフワークは「障害のある人が生きやすい社会をめざす」。
日本国憲法の全面実施をめざす日本共産党に共感、入党して44年に。
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日本共産党の「自由と民主主義の宣言」(1996年7月13日 一部改定)[2019年04月13日(Sat)]
 人類の社会発展の歴史は、搾取と抑圧にたいする、さまざまな民衆のたたかいにいろどられている。そのなかで、自由と権利のためのたたかいは、つねに重要な位置をしめてきた。今日においても現代社会におけるあらゆる種類の抑圧に反対して、自由と民主主義を守りひろげることは、国民の願いであり、また日本共産党の中心的課題の一つである。日本共産党は、1961年の第8回大会以来発展させてきた路線と政策の当然の結実として、ここに、「自由と民主主義の宣言」を発表する。

1、進行する自由と民主主義の危機
 現在、わが国では、対米従属と大資本奉仕の歴代反動政治のもとで、自由と民主主義をめぐる危機が進行している。
 国民が享受すべき自由は、3つの自由、すなわち生存の自由、市民的政治的自由、民族の自由の全体にわたって完全に保障されなければならないが、今日の日本では、3つの自由のそれぞれにたいする重大な抑圧と侵害がおしすすめられている。

 生存の自由の侵害
 人間の生きる自由、すなわち国民の「生存の自由」の社会的保障は、国民の生活と権利の最大の前提であり、国の政治の根本問題の1つである。憲法第25条も生存権、国の社会的使命として、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」と定めている。
 ところが、日本の経済力が世界第2の水準に達し、国民の生存の自由を保障しうる条件が現実に存在しているにもかかわらず、対米追随、大企業奉仕の反動政治によって、国民の生存の自由はさまざまな形で圧迫されている。食糧や石油、原子力などエネルギーの異常な対外依存と自給率の深刻な低下が日本民族の生存の将来を不安におとしいれているだけでなく、現在、軍事費拡大による福祉・教育の切りすて、増税が国民大衆のいのちと暮らしをおびやかしている。
 わが国では、独占資本、大資本家などごく少数のものだけがばく大な富を自由にしている。その反面、低所得者層(年収300万円以下)は1000万世帯にのぼり、多数の国民が低所得のまま放置されている。障害者、病人、母子家庭、高齢者などにたいする福祉はつぎつぎと切りすてられ、生活苦からの悲惨な自殺や心中、餓死、家庭崩壊があとをたたない。被爆者をはじめとする戦争犠牲者への国の対策は、きわめて貧弱である。特有の低賃金にくわえて、長時間・超過密労働、物価上昇と不況、失業のため、多くの国民は、生活水準の引き下げさえ余儀なくされている。農産物輸入自由化による農業経営の危機、中小企業、零細企業の経営困難も増大するばかりである。国民の将来への不安はますますつよまっている。
 生活環境の悪化もはなはだしい。
 異常な高地価は、引き続き勤労者の前にたちふさがり、マイホームの実現を困難にしている。政府は、1988年、大気汚染による公害病患者の認定を打ち切ってしまったが、これまでの認定患者は、国と地方自治体の認定をあわせて10万人を大きくこえ、死者は年々2000人前後にのぼっている。もうけ本位のモータリゼーションと環境整備の遅れで交通事故も多発しており、毎年約1万人の死者をだし、負傷者も毎年7、80万人にのぼっている。大量の犠牲者を出した薬害エイズ問題は、製薬会社の利益を人命のうえにおいてきた反動行政の犯罪性を、明るみにだした。安全無視の操業による労働災害も続発し、年々死者は2000人前後、負傷者は20万人前後に達している。有害食品問題も重大な社会問題となっている。阪神・淡路大震災によりあらわにされた、震災・災害対策の貧困も重大である。
 反動政治は、すでに国民の生命を守り、「生存の自由」を保障するという責任を果たしえなくなっているといわなければならない。

 市民的政治的自由の圧迫
 市民的政治的自由は、人間の尊厳と能力の全面的発揮のためにも、また社会の豊かな発展のためにも不可欠のものである。憲法は、その「第三章 国民の権利及び義務」のなかで思想および良心の自由、信教の自由、集会・結社・表現の自由、学問の自由など、国民の市民的政治的自由の保障をきびしく定めている。
 ところが反動勢力は、その悪政への国民の批判の高まりを恐れ、反動政治の破綻とゆきづまりを強権的方向でのりきろうとし、国民の言論・思想・信条・政治活動の自由にたいする抑圧にのりだしている。
 公職選挙法改悪による言論抑圧や政治活動の規制にくわえ、「言論の府」である国会で反動政党の意に反する発言を会議録から削除するという言論抑圧は、その代表例である。公安警察、憲法違反の破防法による公安調査庁の日本共産党などにたいするしつようなスパイ工作、尾行、盗み撮りが、膨大な国家予算をもってつづけられており、党事務所、集会場、指導的幹部の住居などにしばしば盗聴器が発見された。公務員労働者のストライキ権否定などのように憲法の認める結社の自由、団体行動の自由さえうばわれたままである。
 とくに重視しなければならないのは、多くの職場、なかでも民間大企業で、「職場には憲法なし」として労働者の自由にたいする憲法違反の抑圧が日常化し、ひろがっていることである。日本共産党員や労働組合活動家にたいする会社側の尾行、監視や「職場八分」、変節の強要、昇格、昇給、賃金、資格の差別といった「会社監獄」といわれる事態がいたるところでつくりだされている。ある製薬会社は、1人の活動家から仕事をうばい、20年もただ机に座らせつづけた。「赤旗」を読む自由、ビラを受けとる自由も労働者からうばっている企業もある。企業側が第2組合をつくって、労働者の団結の自由に攻撃をくわえたり、職場や寮、社宅などで日本共産党、民主青年同盟の政治活動を禁止、制限したり、暴力組織をつかって暴力的専制をしくなど、前近代的な雇用制度と戦後の新しい労働者管理とを結合した形で、憲法違反の自由抑圧、おどろくべき人権無視が横行している。反共右翼やニセ「左翼」集団の暴力などもつづいている。これが反動的支配勢力のいう自由の実態である。
 企業における日本共産党員にたいする思想差別については、一連の裁判所の判決で、その違法性・違憲性が指摘された。とりわけ、1995年に、最高裁判所が、「思想・信条の自由」を侵害し職場において「自由な人間関係を形成する自由」を阻害するものとして、これを違法とする判決をくだしたことは、画期的な意味をもった。
 本来、自由と民主主義の推進者であるべき労働組合のなかでも、機関決定によって組合員に特定政党支持を義務づけ、それを強要するために不当な処分まで強行し、政治活動の自由と投票の自由までうばう事態が広くみられる。一部の農山漁村などでは、半封建的残存物と反動政党の支配とが結合して、政党支持の自由、投票の自由まで侵害されている。
 政治的自由の抑圧として、もっとも重大な問題は、反動的党派が国会の圧倒的多数を独占することをねらった小選挙区制導入が強行されたことである。小選挙区制は、政党法や国家機密法のたくらみとともに、政治反動の新たな重大な1歩をなすものであり、日本型ファシズムの憲法改悪陰謀に直結している。同時に導入された政党助成の制度は、自分が支持してもいない政党への政治献金を国民に強要するもので、国民の思想・信条の自由にたいする根本的な侵害となった。
 憲法改悪は、日米軍事同盟の侵略的強化の策動と結びついた、反動勢力の戦略的課題である。それは、憲法5原則〔(1)国民主権と国家主権、(2)恒久平和、(3)基本的人権、(4)議会制民主主義、(5)地方自治〕を否定し、日本の憲法体制を戦前に逆行させ、国民の自由と民主主義を全面的に抑圧しようというものである。年とともに強化されている天皇制礼賛や天皇主義的思想のおしつけも、憲法の主権在民の原則をおかすものである。
 反動政治のもとで、政・財・官の癒着と汚職、政治を金で動かす金権政治が横行している。反動勢力が「守る」と称している「自由」や「民主主義」は、「反動政党の独裁の自由」、「わいろ政治の自由」、大資本による「抑圧と搾取の自由」の別名であり、虚偽の自由である。それは対米従属、大資本奉仕の反動政治の正体をかくして国民をあざむくものにほかならない。

 民族の自由の放棄
 国民の自由にとって、民族自決権、すなわち「民族の自由」もまた欠くことのできないものである。
 日本民族にとって重大な問題は、サンフランシスコ条約と日米安保条約にもとづく日米軍事同盟のもとで、国家主権が侵害され、アメリカ帝国主義が、日本の軍事と外交に、ひきつづき重要な支配力をおよぼしていることである。国民の意思に反して、日本は朝鮮戦争、ベトナム戦争の拠点にされた。沖縄は27年間、日本からきりはなされ米軍の圧政のもとにおかれつづけた。施政権返還後の今日さえ、多くの米軍基地がおかれ、「治外法権」をもった米軍が住民のうえに君臨して、残虐な暴行事件が繰り返されるなど民族的尊厳を傷つけられている。いま大軍拡がおしつけられ、日米共同作戦の体制が、アジア・太平洋地域での戦争行動をめざして強化され、日本の核基地化の危険もひきつづき深刻である。こうして、アメリカ覇権主義の「世界の憲兵」戦略に、日本の基地と軍事力・経済力を動員するのが、日米軍事同盟なのである。進んだ資本主義国で、このような形で民族の自由をうばわれている国はほかにはない。同時に、日本が、アメリカ帝国主義の副官として、アジアの他民族抑圧のための同盟者の役割をになわされつつあることを、重視しなければならない。
 アメリカ帝国主義は、日米安保条約を軸とする多数の条約、協定、とりきめによってわが国の自由を抑圧している。
 MSA協定などにともなう秘密保護法、日米安保条約にもとづく刑事特別法などは、「秘密保護」を口実に日本国民の知る権利を制約している。ロッキード疑獄事件は、アメリカの多国籍企業、さらにはCIA(米中央情報局)が日本の政治に不当な介入と干渉をおこなってきたという重大な事実をあきらかにした。日米安保条約の「経済協力」条項などを根拠に、アメリカの利益と特権を日本に強要する経済的覇権主義も強まっている。軍事費の増強や海外諸国への戦略的援助の要求、農産物の輸入自由化のおしつけ、アメリカの基準にあわせた日本経済の「構造改革」の要求などは、その典型である。
 しかも、反動勢力とその政府は屈辱的な対米従属路線をとりつづけ、日米安保条約の廃棄による日本の独立、中立をめざす国民の運動に敵対している。対米従属政治は、民族の自由の回復にとって最大の障害となっている。
 また力をつよめた日本独占資本は、新植民地主義的対外進出をすすめ、アメリカ帝国主義の目したの同盟者の役割をあらゆる面で能動的に果たしつつ、他民族の搾取、抑圧をつよめている。
 こうして、今日、大資本、アメリカ帝国主義、反動政治による3つの自由の抑圧、侵害とたたかうことなしには、日本国民の自由と民主主義をまもり、拡大することはできなくなっている。

2、日本の民主主義の過去と現在
(イ)わが国における自由と民主主義の問題は、明治以来、ヨーロッパの資本主義諸国とも多くの違いをもつ複雑な経過をたどり、独自な特徴と性格をもっている。
 その第1は、西ヨーロッパ諸国と違って、日本の支配的ブルジョアジーが、民主主義的要求のにない手とならず、初期から絶対主義的天皇制のもとで自由と民主主義の抑圧推進者となってきたことである。
 明治維新(1868年)によって徳川封建幕府が倒れ、上からの急速な資本主義的発展がはじまり、営業の自由、土地売買の自由、職業選択の自由など、一連のブルジョア的自由が導入されはじめたが、絶対主義的天皇制の確立によって、国民の自由と民主主義を圧殺する野蛮な軍事的警察的支配が強化されていった。1889年(明治22年)の「大日本帝国憲法」は、第一条で「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」とし、第三条で「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」とうたっていた。主権は天皇にあり、議会はあっても天皇統治への「協賛」機関にすぎず、国民は天皇の「臣民」とされていた。なかでも女性はとくに隷属的地位におかれ、ながいあいだ政談演説会への参加も禁止され、選挙権はまったくうばわれていた。
 「言論、著作、印行、集会及結社ノ自由」も「法律ノ範囲内ニ於テ」(帝国憲法第二九条)と限定され、治安警察法その他の弾圧法、とくに1920年代以降は治安維持法が思想・信条の自由、言論、集会、結社などの自由を無慈悲に抑圧した。
 そして、財閥=大ブルジョアジーは、労働者にたいするはげしい搾取と収奪に狂奔しつつ、寄生地主制とともに絶対主義的天皇制と癒着し、「富国強兵」の軍国主義と侵略戦争の推進者となり、自由と民主主義にたいする抑圧者となったのである。
 第2の特徴は、こうした歴史的状況のなかで、日本では自由と民主主義を実現するたたかいが、最初から人民の進歩と革命の陣営、とくに労働者階級とその党の肩にになわれるにいたったことである。
 明治10年前後から、農民の重税や徴兵反対のたたかいとも結んで、自由民権運動が国会開設、人民による憲法制定、人民の思想・集会・結社の自由の保障などを要求してひろがった。ブルジョア民主主義運動として歴史的意義をもったこの運動は、天皇制政府の凶暴な弾圧と迫害によって挫折させられた。
 新しく、自由と民主主義の主なにない手となったのは、社会主義運動であり、また階級的な労働組合運動と農民運動であった。1898年(明治31年)に片山潜らの手で「社会主義研究会」がつくられ、1901年(明治34年)にはわが国最初の社会主義政党「社会民主党」が生まれた。社会主義運動は、平等の原則の実現、治安警察法や新聞紙条例など弾圧法の廃止による言論・出版・集会・結社の自由、労働者の団結の自由、普通選挙と貴族院の廃止、8時間労働の実行、小作人保護など、自由民権運動でかかげられた自由と民主主義の要求をさらに充実、発展させていった。明治以来おこなわれてきた進歩的知識人を中心とする民主的な運動は、いわゆる「大正デモクラシー」に発展していった。

(ロ)1922年(大正11年)に結成された日本共産党は、近代日本の自由と民主主義の伝統を継承するものであった。日本共産党は、国民主権の立場から君主制廃止、貴族院の廃止を大胆にかかげ、はじめて男女平等、18歳以上の男女の普通選挙権を要求し、労働者の団結、出版、集会、ストライキの自由、8時間労働、小作人への土地の引きわたしなどをかかげた。
 日本共産党の鮮明な国民主権の立場は、当時の主権在君主義の「国体」とは真っ向から対立した。その侵略戦争反対、諸民族の自由、平等、植民地支配反対の立場も、好戦的軍国主義とは真っ向から対立するものであった。
 そうしたことのゆえに、日本共産党は公然活動の自由をいっさいうばわれ、「国賊」と非難され、治安維持法と特高警察によって世界に類例をみないほど過酷な弾圧をうけた。うむをいわさぬ逮捕、しばしば虐殺にまでいたった拷問、脅迫、長期勾留、特高の筋書きによる予審と暗黒裁判――これらが日本共産党員にたいして常用された。中国東北地方の侵略以来15年間の侵略戦争、とくに日・独・伊反共軍事同盟による太平洋戦争への拡大とともに、気骨ある自由主義者、宗教者にいたるまで弾圧しながら、天皇制権力はファッショ的暗黒体制を極限にまですすめた。治安維持法による犠牲者は、記録されているだけでも死者1682人、逮捕・送検者7万5681人、未送検の逮捕者は数10万人にのぼった。
 そして、まさに国民の自由や権利の最後の一片までの圧殺こそ、アジアと日本の国民にいいようのない苦悩と犠牲を強いることと表裏一体であった。いわゆる15年戦争で戦死・戦病死したものだけで230万人、戦災死亡者50万人以上、海外死亡の民間人30万人、被災者880万人にのぼり、そのほか国民各層の被害と困苦ははかり知れなかった。中国人民をはじめアジア諸国民2000万人以上が犠牲となった。この事実は国民の自由と民主的権利の1つひとつをかちとり、守りぬくことの大切さを、いまもわれわれに痛切に教えている。

(ハ)第2次世界大戦の結果は、この暗黒の歴史に大きな転換をもたらし、自由と民主主義をめぐる状況も一転することとなった。1948年の国連総会では世界人権宣言が採択された。
 反ファッショ連合勢力に敗北した日本の支配層は、「民主化」への同意を余儀なくされた。降伏条件となったポツダム宣言は、民主主義の復活・強化をはばむいっさいの障害の除去、言論、思想、宗教の自由、基本的人権の確立、軍国主義の一掃と平和的、民主的な日本の建設などを要求していた。
 戦前戦中、天皇の神格化と絶対主義支配を「国体」として強要され、ながい無権利状態で圧制に苦しんでいた国民も、日本の民主化と自由の実現を要求する運動に参加し、はじめて公然活動の自由を得た日本共産党はその先頭に立った。
 日本の反動的支配層は、大きな制約をもった占領下の民主主義にさえさまざまの抵抗をこころみた。にもかかわらず、1947年には主権在民をうたった新憲法が生まれた。この憲法は、その成立の経過や当時の複雑な状況を反映して、「象徴」天皇の条項など、国民主権の民主主義とは矛盾するものを残しているものの、積極的な平和的、民主的な条項をもっている。その精神は、さきにのべた憲法五原則に集約することができる。
 憲法第97条は、「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」であると、とくにのべている。自由民権運動や日本共産党をふくめ、進歩的国民の自由と民主主義のための苦難のたたかいもまた、この「自由獲得の努力」の一翼であった。

(ニ)今日、自由と民主主義をめぐる対決は、戦前の日本とは異なった新しい展開をみせている。
 その第1は、日本国民の自由と民主主義の抑圧者として、戦前の絶対主義的天皇制にかわって、戦後、アメリカ帝国主義とそれに従属的に同盟する日本独占資本が登場したことである。
 戦後の日本を占領した連合軍の主力となったアメリカ帝国主義は、日本をアジア侵略の拠点とするために、ポツダム宣言をふみにじって、日本を事実上の従属国とするサンフランシスコ体制をつくり上げた。アメリカ帝国主義と日本独占資本こそ、日本国民の自由と民主主義の侵害と抑圧を生み出す根源となっている。
 第2は、自由と民主主義の課題の内容として、主として封建的、前近代的抑圧に抗して生存の自由、市民的政治的自由をかちとることにあった戦前と異なり、さらに独占資本の横暴や抑圧に抗して生存の自由、市民的政治的自由をかちとるための新しい多面的な課題がくわわり、そしてまた対米従属を一掃して、民族の自由をかちとるという課題がくわわったことである。
 戦後半世紀のあいだに自由と民主主義をめざす国民の運動は、さまざまな流れを合流させて、1つの巨大な潮流に成長しつつある。戦後の憲法の平和的、民主的条項は国民のあいだに広く定着し、日本の民主勢力のたたかいは反動勢力の憲法改悪の策謀をいくたびか挫折させてきた。いのちと暮らしを守る住民運動も底深く発展し、真の住民自治をめざす革新自治体は、1970年代には人口の4割をおおう地域に樹立されるにいたった。明治以来80年近い暗黒政治、事実上数10年にわたる侵略戦争、戦後の占領と日米軍事同盟、大資本奉仕の「高度成長」政策の諸結果など、大きな国民的体験をへて、生存の自由、市民的政治的自由、民族の自由を求める国民のエネルギーは、大きな潜在力をもっている。そのたたかいは、近代民主主義の伝統をひきついでいるだけでなく、横暴きわまる独占資本の社会的規制を求めるもっとも現代的な反独占民主主義の諸要求や、さらに民族の独立を求める反帝国主義的な民族的要求をむすびつけつつ、力づよく発展する可能性と展望をもっている。女性の社会的政治的自覚と運動もめざましく、社会進歩の大きな力に成長している。
 1922年の党創立以来、一貫して自由と民主主義のために不屈にたたかってきた日本共産党は、この国民的運動の先頭に立って奮闘するものである。
 わが党のこの立場は、自由と民主主義の問題にたいする科学的社会主義の本来の立場を自主的、創造的に発展させたものであって、たんなる一時期の戦術ではなく、現在から将来にわたる日本共産党の政策と活動の一貫した特徴をなすものである。

3、科学的社会主義と自由の問題
(イ)マルクス、エンゲルスが創設者となった科学的社会主義の学説と運動は、あらゆる搾取から解放された、真に平等で自由な人間関係の社会――共産主義社会の建設を、根本目標としているが、それは、人類が生み出したすべての価値ある遺産を正当にうけついでおり、民主主義と自由の問題でも、近代民主主義のもっとも発展的な継承者、国民の主権と自由の全面的で徹底した擁護者として、歴史に登場した。
 近代民主主義の諸原則を、世界史のうえで最初に宣言した文書は、アメリカの独立戦争にさいして発表された「独立宣言」(1776年)であった。マルクスはその民主的な意義を高く評価し、1864年、リンカーン大統領にあてた国際労働者協会中央評議会の祝辞のなかで、当時のアメリカを、「まだ1世紀もたたぬ昔に一つの偉大な民主共和国の思想がはじめて生まれた土地、そこから最初の人権宣言が発せられ、18世紀のヨーロッパの諸革命に最初の衝撃があたえられたほかならぬその土地」と、特徴づけた。
 マルクス、エンゲルスら科学的社会主義の学説と事業の創始者たちにとっては、国民の主権と自由の宣言を核心的な内容とする近代民主主義の諸原則は、社会主義への使命をもつ労働者階級にとっても、擁護し、また未来にひきつがれるべき人類社会の貴重な遺産であった。マルクス、エンゲルスは、普通選挙権とそれにもとづく民主共和制が、地球上でまだアメリカなどでの例外的な現象でしかなかった当時から、ヨーロッパ各国で、普通選挙権運動を推進する先頭に立ち、人民主権の民主共和制の旗をつねに高くかかげ、これらの民主的獲得物を破壊しようとする反動の攻撃には、断固とした反撃をくわえた。かれらは、民主共和制を、資本主義国家のもっとも民主的な形態として擁護すると同時に、それが、社会主義の国家にもひきつがれるべき政治形態であることを、しばしば指摘した。
 自由の問題でも、かれらは、出版・結社・集会の自由のための闘争を、労働運動の中心的な政治課題として、一貫して重視した。これらの自由の要求は、資本主義社会の発展とむすびついて生まれたものではあるが、エンゲルスは、それが労働者階級にとっていっそう切実な死活の要求であり、労働者党にとって、「自分自身の本来の生存条件、彼らが息をするのに必要な空気」だとまでのべて、その意義を強調した(「プロイセンの軍事問題と労働者党」1865年)。

(ロ)もちろん、科学的社会主義の事業は、自由と民主主義の問題でも、近代民主主義のたんなる継承者の立場にとどまるものではない。この学説と事業の人類史的な意義は、それが、近代民主主義による国民の政治的解放とその徹底を重視しながらも、それだけに満足せず、搾取制度の廃止による国民の経済的、社会的解放にまで前進することによって、真の人間解放に到達する道を、あきらかにしたところにあった。この問題での、その先進的な特徴は、なによりもまず、つぎの4つの点にある。
 第1は、科学的社会主義が、国民の政治的解放――市民的政治的自由の確立だけでは、労働者階級と人民の貧困や窮乏の問題を解決することができないことを、明確に指摘し、労働者階級をはじめ圧倒的多数の人民を社会的な貧困から解放すること、いいかえれば、すべての人民の「生存の自由」を保障することを、解放運動の根本目標として提起したことである。
 この目標は、人類社会が到達した生産力の全面的な活用を基礎に、資本主義的搾取を廃止し、階級的な差別も対立もない社会主義・共産主義の社会を建設することによって達成される。近代民主主義の最大のブルジョア的限界は、なによりも「搾取の自由」を絶対視しているところにある。この「搾取の自由」の制限と廃止が、人間の生存権の保障をふくむ人間的自由の回復と発展の道であることを発見したのは、科学的社会主義の偉大な功績であった。社会主義段階における「能力におうじてはたらき、労働におうじてうけとる」原則の実現、ついで共産主義段階における「能力におうじてはたらき、必要におうじてうけとる」原則の実現は、「生存の自由」の全面的な開花の中心的な内容である。
 第2は、科学的社会主義が、市民的政治的自由の擁護と拡大の点でも、もっとも徹底した、もっとも首尾一貫した立場に立っていることである。
 もともと成長期の資本主義の政治的要求として生まれた近代民主主義は、最初から多くのブルジョア的制約と限界をもっていた。アメリカの「独立宣言」(1776年)やフランスの「人権宣言」(1789年)で、国民主権が宣言されたが、選挙権ひとつとっても、女性もふくめてすべての国民に参政権を保障する普通選挙権が、主要な資本主義国に確立するまでには、それ以後、百数十年にわたる各国人民の努力が必要だった。国民の自由と人権の問題でも、フランス革命当時は、労働者の団結やストライキは、革命政府自体によって、「自由と人権宣言」を犯す犯罪として禁圧された。労働者の団結権やストライキ権が、近代国家における当然の民主的権利として一般的に確認されるまでには、政府とブルジョアジーの暴圧に抗しての、労働者階級の長期にわたる不屈の闘争が必要だったし、この闘争は、今日の日本においても、なお継続されている。
 19世紀40年代に科学的社会主義者として活動をはじめたマルクス、エンゲルスは、国民の自由と民主主義にたいする、封建的あるいはブルジョア的ないっさいの制限に反対し、人民主権の国家、すべての国民への普通選挙権、出版・結社・集会の自由などを、もっとも徹底した形で実現することを、民主主義の根本問題として主張しつづけた。ブルジョアジーが、人民勢力を恐れて自由と民主主義の旗を捨てた場合でも、労働者階級は、これを自分自身の旗として、その擁護と拡大の闘争に立つべきだ、というのが、各国の社会主義運動にたいするかれらの変わらない忠告であった。
 今日、近代社会でそれぞれの形態と内容で実現されている市民的政治的自由や政治的民主主義の諸制度は、過去のブルジョア革命の所産に単純に還元できるものではない。それはすでにみたように、長期にわたる人民の闘争の成果として今日的な展開をかちとったものである。そしてこの面でも、国民主権と自由の旗を一貫してかかげてきた科学的社会主義の事業は、もっとも重要な先進的貢献をおこなってきたのである。
 第3は、各国の進路と運命は、その国の人民が決定するものであり、他のいかなる国家、いかなる民族も、これに干渉することは許されないという、民族自決の権利――「民族の自由」が、社会発展の不可欠の前提であって、これを全面的に擁護することは、科学的社会主義の本来の原則的立場だ、ということである。
 マルクス、エンゲルスは、すでに「共産党宣言」(1848年)で、社会主義革命がまずそれぞれの国民の民族的事業としておこなわれることを指摘していたし、民族の主権と独立の確保が、それぞれの国民の社会的前進および諸国間の国際的協力の、欠くことのできない前提条件であることを、くりかえし強調し、いっさいの民族的抑圧に反対した。エンゲルスは「全民族の自由な発展と個々の民族の自由な発展」なしには、各国で社会革命について考えることもできないし、相互援助によって、それを完遂することもできない、と強調した(ナデジデへの手紙、1888年1月4日)。かれはまた、人類の社会主義的未来を展望しつつ、「社会主義」の利益を名とする民族の自由の侵犯につよく反対し、さきに社会主義の道にふみだした国ぐにが、他民族に外部から社会主義を押しつけるようなことがもしもあったならば、それは社会主義の国際的事業全体を台なしにする結果になると、きびしく警告した。「勝利をえたプロレタリアートは、ほかの民族に対してどんな恩恵をも、それによって自分自身の勝利を台なしにすることなしには、押しつけることはできない」(エンゲルスのカウツキーへの手紙、1882年9月12日)
 第4は、科学的社会主義の展望する共産主義社会自体が、人間の自由の全面的な実現を本来の特徴とする共同社会だということである。
 共産主義社会は、原始共産制の崩壊以来人類社会を特徴づけてきた社会の階級分裂に終止符をうち、生産力のすばらしい発展と社会生活の新しい内容がうちたてられる社会である。それは、(1)階級的な対立と抑圧の社会にかわって、「各人の自由な発展が万人の自由な発展の条件となる」真に平等で自由な人間関係の社会が生まれるという意味でも、(2)組織的かつ系統的な暴力、一般に人間にたいするあらゆる暴力が廃絶され、戦争も消滅し、原則としていっさいの強制のない、国家権力そのものが不必要になる社会という意味でも、(3)最後に、人間が、いままで人間を支配してきた自然的、社会的な生活諸条件を、その支配と統制のもとにおき、自然と社会の意識的な主人公になるという意味でも、人間的自由が、階級社会では考えられなかった全面性と高度な形態とをもって、実現される。
 マルクスは、共産主義社会を、「各個人の完全で自由な発展を基本原理とする高度な社会形態」(『資本論』)と特徴づけ、エンゲルスはこの社会の成立を「必然の国から自由の国への人類の飛躍」(『反デューリング論』)と意義づけたが、それはまさに、人類史上はじめて、科学的基礎に立ち壮大な世界史的スケールで展望された、真の自由社会なのである。

(ハ)レーニンは、マルクス、エンゲルスが展開した科学的社会主義のこの精神を基本的にうけついで、帝国主義段階をむかえた世界資本主義の政治的、経済的諸条件を全面的に分析し、帝国主義の支配的傾向である政治的反動と民主主義の否定、他民族の併合と抑圧、軍国主義と侵略戦争などをするどく告発した。そして、労働者階級と人民は、終局的には社会主義をめざすその闘争において、民主主義と政治的自由、民族自決などの旗を、いちだんと高くかかげるべきだと主張した。レーニンによれば、労働者階級は、解放闘争の途上で民主主義のための闘争を重視するにとどまらず、社会主義革命の勝利の後にも、民主主義や民族自決の完全な実現をめざすべきであった。
 「勝利をえた社会主義が完全に民主主義を実現しないということがありえないのと同様に、民主主義のための全面的な、一貫した革命的闘争を行なわないようなプロレタリアートは、ブルジョアジーにたいする勝利の準備を整えることはできない」(「社会主義革命と民族自決権〈テーゼ〉」1916年)
 実際、世界の自由と民主主義が重大な脅威にさらされた第2次世界大戦の前夜および大戦中の状況をみても、天皇制軍国主義の暗黒政治と侵略戦争に反対した日本共産党の闘争をはじめ、民主主義と自由、独立と平和の旗をかかげて各国人民の闘争の先頭に立ったのは、共産主義者とその党だった。ヨーロッパの反ファッショの人民戦線の闘争や反ナチ抵抗闘争においても、中国人民その他アジア諸国人民の抗日闘争においても、民主主義と民族解放の事業に無数の共産党員が生命をささげた。これらの闘争は、科学的社会主義の党こそが、民主主義と自由の先進的な闘士であることを、ファシズムや軍国主義との闘争の世界的規模での経験によって実証するものとなった。
 第2次世界大戦後においても、アメリカ帝国主義の侵略戦争を打ち破って、民族の独立と統一をかちとったベトナム人民の抗米救国闘争の勝利は、そのことの新たな証明となった。

(ニ)世界の資本主義は、20世紀とともに、独占資本主義、帝国主義の段階にはいったが、それ以来1世紀のあいだに、世界の人民の自由と民主主義をめざす闘争は、多くの激動と曲折をへながらも、世界史的な前進をかちとってきた。
 20世紀の初めには、実質的な独立国は地球上に20カ国ほどしか存在せず、アジア、アフリカ、ラテンアメリカの圧倒的多数の諸民族は、植民地・半植民地・従属国として、民族的な抑圧に苦しめられていた。それらの諸民族のほとんどが、今日までに独立をかちとった。1960年代には、国連総会決議などで、植民地領有そのものが国際法違反の不法行為として非難されるようになった。現在国連に加盟している世界185カ国(1996年7月現在)のうち、その大部分が、旧植民地・従属諸国である。
 政治体制の面では、20世紀初頭には、君主制が優勢で、主権在民を原則とした共和制を名実ともに達成している国は、数カ国を数えるにすぎなかった。今日では、国連加盟国の大多数が共和制をとっており、君主制の国は29カ国にすぎない。20世紀のあいだに、世界政治の主流は、主権在君の君主制から主権在民の共和制に完全に転換した。
 人権の保障の問題では、人民の生存権――生活権などの社会的権利の保障が、憲法上の人権の規定の重要な部分をなすようになったことは、20世紀に実現した重要な進歩である。それは、「世界人権宣言」(1948年)や「国際人権規約」(1966年)などの国際条約にも明記された。
 自由と民主主義のこれらの前進と達成に、科学的社会主義の事業が重大な貢献をおこなったことは、誰も否定することのできない明白な歴史の事実である。1917年にロシアでおこった社会主義革命は、レーニンが指導にあたった時期には、おくれた社会・経済状態からの発足という歴史的な制約にもかかわらず、またすくなくない試行錯誤をともないながら、科学的社会主義の真価を発揮した業績によって世界の進歩に貢献した。とくに新しい政権が、植民地をふくむ民族自決を世界的な原則として宣言し、旧ロシア帝国の領域内にあった諸民族の自決を実際に実現したこと、男女同権、8時間労働制や有給休暇制、社会保障制度などの宣言と実行によって、人民の生存の自由を基本的人権の内容として前面におしだしたことは、世界の勤労大衆と被抑圧諸民族をはげまし、資本主義諸国にも大きな影響をあたえた。その人類史的な意義は、スターリンらその後の歴代指導者の誤りの累積やその結果おこったソ連の崩壊によっても、失われるものではない。
 スターリン以後のソ連におこった、民族自決権をふくむ自由と民主主義の侵犯は、科学的社会主義の原則をなげすて、レーニン時代にしかれた社会主義への過渡期の路線をくつがえしたものであり、ソ連社会を、社会主義とは無縁な、人民抑圧的な体制に決定的に変質・転落させた。1989年〜91年に起こったソ連とそれへの従属下にあった東ヨーロッパ諸国の支配体制の崩壊は、こうした体制的な変質と転落の帰結である。
 日本共産党は、ソ連などの覇権主義が重大化するなかで、覇権主義のいかなるあらわれにたいしても断固としてたたかう立場を早くからあきらかにし、各国の革命運動、民主運動の自主性と科学的社会主義の原則的立場を擁護し、日本の運動にたいする干渉を打ち破り、チェコスロバキアやアフガニスタンへの侵略に反対するたたかいをすすめてきた。そして、いかなる外国の経験もモデルとせず、高度に発達した資本主義国である日本の条件のもとで、3つの自由を将来ともに擁護、発展させる方向と政策を明確にしてきた。
 日本共産党は、今後とも、自由と民主主義の一貫した擁護者としての科学的社会主義の本来の立場をひきつぎ、発展させながら、国民とともに、独立・民主日本および社会主義日本への独自の道をひきつづき追求するものである。

4、自由と民主主義の確立と発展・開花をめざして
 日本共産党は、高度に発達した資本主義国でありながら、アメリカ帝国主義への従属下にあるわが国で、社会進歩の今後の方向として、当面、民主連合政府によって日本の民主的革新をはかることを、めざしている。そして、さらにすすんでは、反帝反独占の民主主義革命による独立・民主日本の建設、社会主義革命による社会主義日本への前進および共産主義社会への発展を、展望している。これらの諸段階は、それぞれ、日本国民の生活と福祉、権利と自由を拡大向上させる、社会発展の前進的な諸段階をなすものであるが、社会進歩のどのような道をすすむか、そしてその道を、いつどこまで前進するかは、主権者である国民の意思、選挙で表明される国民自身の選択によって決定される問題である。
 日本では、戦後の改革によって国民主権と議会制民主主義の政治制度、一定の市民的政治的自由などが、憲法上確立され、これらはいろいろの反動的攻撃にさらされながらも、民主主義のための闘争における日本国民の重要な獲得物となっている。この日本の条件下で、今後の社会進歩の道を探求するとき、国民の生活上の問題や、主権の完全回復など民族的課題の解決を重視すると同時に、国民の自由と民主主義の問題で、これを侵犯破壊している反動勢力のあらゆる攻撃とたたかい、これまでの民主主義的獲得物を擁護すること、さらに、各種の不当な制約を打破して、国民の民主的な権利と自由、政治的民主主義の制度をいっそう拡大、発展させることが、もっとも重大な方向の1つとなる。
 日本共産党は、1961年第8回党大会で党綱領を採択して以来、一貫してこの見地から自由と民主主義の擁護、発展を最大の特質とする日本の社会進歩の方向を主張し、それを具体化した諸政策を積極的に探求し、提起してきた。
 とくに、自由の問題では、わが党は、日本国民が守りかちとらなければならない自由には、生存の自由、市民的政治的自由、民族の自由という「3つの自由」があることを指摘し、この3つの分野で国民の自由が侵されている日本の現状をきびしく告発するとともに、わが党の展望している社会進歩の方向こそ、この「3つの自由」を確立し、擁護し、充実、拡大する道、文字どおり国民の自由を発展的に開花させる道であることを、あきらかにした。
 自由と民主主義の問題が、日本の進路と国政の方向をめぐる対決のますます大きな焦点の1つとなっている今日、日本共産党は、ここにあらためて、国民の自由の3つの分野のそれぞれについて、現在と将来における自由と民主主義の発展方向とそれにかんする日本共産党の政策・見解をあきらかにし、そのための共同の努力を国民によびかけるものである。

(1)生存の自由――健康で豊かな国民生活の保障
 今日、歴代の反動政治のもとで、より根本的には、大企業による経済支配と対米従属の結果、国民の生存と生活の諸条件は、軍拡の財源づくりなどのための消費税導入による大増税、物価高、低賃金、長時間・超過密労働、労働災害、公害、住宅難、社会保障の貧困など多面的に抑圧、破壊されている。国民の生活条件にたいするこれらの圧迫や侵害をとりのぞいて、すべての国民が健康で文化的な、人間らしい生活をいとなめる条件を確保すること、すなわち国民の「生存の自由」を現実に保障することは、われわれのめざす自由のもっとも重要な内容の1つである。
 民主連合政府による国政の革新は、これまでの大企業本位の経済政策にかわって、国民本位の経済民主主義を国の経済政策の基本にすえ、大企業にたいする民主的規制をつうじてその横暴な経済活動を抑制し、これによって、資本主義経済のわく内ではあるが、国民の「生存の自由」の保障への大きな前進となる。
 独立・民主日本では、この経済民主主義をいっそう拡大し、世界第2の高い経済力を、国民の生活と福祉に有効に役立てるうえで、いちだんと大きな発展がかちとられる。
 社会主義日本では、大企業の手中にある主要な生産手段は、社会全体の所有にうつされ、私的な利潤のためではなく、社会と国民のための生産が経済活動の原理となる。労働者は企業管理、運営への参加で積極的役割を果たす。こうして、生産力をむだなく効果的に活用する社会主義的計画経済によって、すべての国民にこれまでになく高い物質的繁栄と精神的開花が保障されるようになる。

(イ)インフレと物価高、不況と失業、公害による生活環境の破壊などは、本来、資本主義固有の現象であり、とくに大企業による経済支配の産物である。経済民主主義の方向への経済政策の転換と前進は、これらの被害を最小限にくいとめ、国民生活の安定と向上を可能にする。とくに社会主義日本では、物価を安定させるだけでなく、生産力の発展におうじて物価引下げをおこなう条件がつくりだされるし、不況や失業を一掃して、各人の資質、能力におうじた職業選択の自由を保障しつつ、失業のない社会を実現することができる。公害・環境問題でも、社会主義日本では、公害の予防と発生源での除去、生活環境、自然環境の保護と改善が、全国的に確実に実施される。地球の環境保全にも積極的に貢献できる。
 日本における経済民主主義とその拡大、社会主義への前進のなかでは、人間尊重の立場にたって、国民を老後や病気の不安から解放する総合的な社会保障制度の確立が、最優先の国策となる。社会主義日本では、医療費は全額国庫の負担ですべての人に無料化され、年金も老後の生活を十分保障するものに充実し、教育費は大学まですべて無料とされる。
 また、住宅、学校、病院をはじめ国民が健康で文化的な生活をいとなむのに必要な公共施設は、国と地方自治体の責任で計画的に建設され、この分野での国民生活の困難は、急速に解消される。

(ロ)独立・民主日本はもちろん、社会主義日本に移行した段階でも、勤労者の私有財産は保障される。経済の社会主義化にあたって、国有化が必要となる場合にも、その対象となるのは、大企業の手にある主な生産手段だけで、勤労者個人の生活に使う財産――生活手段の私有は、否定されるどころか、家屋や生活に必要な土地をふくめて保障され、社会の発展とともに、すべての国民が生活手段をより豊かにもてるようになる。
 日本のように高度に発達した資本主義国では、大企業の手にある主要な生産手段の社会化が、経済の社会主義化への決定的な歩みとなる。中小商工業や農業、中小漁業などの部門では、私的所有と私的経営が広く残され、国民経済におけるその積極的役割が尊重される。これらの部門での社会主義化の主要な形態としては、協同組合化が予想されるが、そのさいにも、けっして共同化をいそがず、当事者がその方が利益になると考えて共同化を求めるときに実行するという、自発性の原則を厳重に守り、無理に押しつけるやり方はとらない。

(ハ)独立・民主日本でも、社会主義日本でも、日本の高い生産力、国民の高い教育水準と労働意欲を活用し、公害のないつりあいのとれた経済発展によって、国民の求める多様な商品を生産し、衣食住のすべてにわたって国民生活を豊かにする。商品も豊富で、質をよくし、サービスも心のこもったものに改善し、個人個人の商品選択の自由は、広く保障される。
 社会主義日本では、農漁業・中小商工業など私的な発意を尊重するとともに、計画経済と市場経済とを結合して、弾力的で効率的な経済の運営がはかられる。
 社会主義的計画経済は、生産力をむだなく効果的に活用して、国民生活と日本経済の豊かな繁栄を保障するための手段であって、国民の消費生活を統制したり画一化したりするいわゆる「統制経済」は、経済民主主義とも、社会主義日本の経済生活とも、まったく無縁のものである。

(ニ)社会主義社会から共産主義社会へ移行する段階では、人民全体の知的水準の抜本的向上と生産力のすばらしい発展によって、社会生活を維持するために必要な労働時間を大幅に短縮できる条件が、つくりだされる。すべての勤労者が、物質的生産以外の領域でも、その精神的・肉体的な能力を全面的に発展させるために、自由な時間を十分にもつことができるようになる。
 こうして、共産主義社会での生産力の発展と労働時間の短縮は、人間の文化的・精神的な開花と真に自由な発展をささえる物質的基礎となる。「真の自由の国」(マルクス)はこの基礎のうえにのみ、花を開くことができる。

(2)市民的政治的自由――国民の主権と自由の全面的発展
 国民の主権、国の主人公として国民が広く政治に参加する自由、思想・良心の自由、言論・出版・集会・結社・表現の自由、信教の自由、勤労者が団結し団体行動をする自由は、日本の社会発展のすべての段階をつうじて全面的に擁護されなければならない。
 日本共産党は、このような基本的見地に立って、国民の市民的政治的自由を侵害しているいっさいの抑圧を許さず、これらの自由を確立し発展させるために変わることなくたたかう。当面する民主連合政府のもとでも、やがて独立・民主の日本、社会主義の日本になったあかつきにも、人間的尊厳の確立をめざして、あらゆる市民的政治的自由が保障される。共産主義の高い段階では、市民的政治的自由として人類のめざしてきたものが、もっとも高度な姿で開花する。

 政治的民主主義の発展
(イ)国民主権の立場から、独立・民主日本でも、社会主義日本でも、普通選挙権にもとづく国会を名実ともに最高機関とする民主主義国家体制が確立、堅持される。反対党をふくむ複数政党制をとり、すべての政党に活動の自由を保障し、選挙で国民多数の支持をえた政党または政党連合で政権を担当する。この議院内閣制(議会多数派で組閣)によって、政権交代制は当然維持される。
 国の最高機関であり唯一の立法機関である国会にふさわしくその権限を拡大する。国政調査権は、司法権の独立を前提として拡大し、積極的に活用するようにする。そして、国会の民主的運営は、議員の討論や審議権をふくめて十分に保障され、少数意見も当然尊重される。また、国民の意思をできるだけ広く正当に国政に反映できるように、請願権の保障を充実し、18歳以上のすべての男女に選挙権をあたえることをふくめ、選挙制度を徹底的に民主化する。
 国民の生命、身体、財産、住居、往来の安全を守ることに国は責任を負う。暴力で基本的人権と人命、社会制度を破壊する行動は規制される。
 公務員は、主権在民の立場に徹し、いっさいの汚職や職権乱用の行為を厳禁される。

(ロ)現憲法は、その平和的、民主的な条項の大きな柱として、憲法5原則をもっている。(1)国民主権と国家主権(2)恒久平和(3)基本的人権(4)議会制民主主義(5)地方自治という、この憲法五原則は将来ともに守り、さらに充実、発展させる。いわゆる三権分立の原則も、発展的に継承する。これは、国民主権を前提として、立法権、行政権、司法権に相対的な独立性と相互規制の関係をもたせるものであるが、権力の乱用や人権侵害を防止する民主主義的保障の1つとして役立つであろう。
 三権分立制のもとで、裁判所は他の国家機関からの不当な介入をうけることなく、独立して司法権を行使し、裁判官の任命と身分保障も民主的に確立されなければならない。
 地方自治を擁護、発展させて、地方政治への住民参加をひろげる。

国民の自由と人権の保障
 日本共産党は、市民的自由を擁護し発展させることは、不可侵の基本的人権と国民主権の保障にとって不可欠のものだと考える。

(イ)言論、出版その他表現の自由を、用紙や印刷手段の自由な利用の保障などをふくめ、擁護する。検閲を排除し、情報公開を確立する。新聞、テレビ、ラジオなどの報道機関にも、政府批判をふくむ報道の自由が保障される。表現手段などにめぐまれない人びとにたいしても、自己の思想や主張などを発表しうるように物質的な保障を確立する。この物質的保障は、あくまで表現の自由の不可侵を前提としたものであり、それを検閲や統制の手段とすることは許されない。
 集会、示威行進の自由、結社の自由、勤労者の団結権、ストライキ、団体交渉その他の団体行動権を全面的に擁護する。これらの権利の行使に必要な集会場その他の施設を充実する。
 思想・信条の自由、個人の良心の自由を完全に保障する。国民の精神生活への公権力の介入を排除し、思想・信条の違いによる差別を一掃する。いかなる世界観をも「国定の哲学」とせず、さまざまな思想、哲学の自由を保障する。
 企業のなかでも基本的人権と自由を擁護し、政治活動、政党支持の自由を保障する。政党所属や政党支持による差別を根絶し、労働組合組織による特定政党支持の義務づけを排する。
 布教、伝道の自由をふくむ信教の自由を無条件で保障する。すべての宗教的行事は国家にとって私事とみなされ、いかなる公権力の介入もうけない。政教分離の原則を守り、国家は、どんな宗教にも特権をあたえず、かつ差別しない。宗教団体が政治権力の行使に参加することを認めず、また公権力の機関ないし国公立学校が宗教教育その他宗教的活動をすることを認めない。特定の思想や信仰を権力で押しつけたり禁止したりする、いかなるイデオロギー的強制も認めない。

(ロ)学問研究の自由、創造、批判、発表、鑑賞をふくむ文化、芸術活動の自由を保障する。
 学問研究や芸術創造にたいする行政的規制を排除し、自由で民主的な批判、討論を尊重する。大学の自治、教育の自主性を擁護し保障する。学校教育の場で特定政党の支持または反対の教育をおこなわない。教職員の労働条件や教育・研究の諸条件を改善すると同時に、教師や研究者は青少年の教育ないし科学技術の発展について国民にたいして責任を負う。
 スポーツ、レクリエーションについては、大衆的に利用できる公共施設を建設して、国民の権利としてのスポーツ、レクリエーションが保障されるようにする。
 いじめ、体罰など、こどもにたいする人権侵害を許さず、退廃や非行からこどもを守り、その健全な成長と人格形成にふさわしい環境をつくる。青少年のすこやかな成長にたいする社会の責任と、女性の人格尊重を重視し、性の商品化、人間の動物化などから人間的尊厳を守る。

(ハ)男女の平等、同権をあらゆる分野で擁護し、その保障を確立する。女性の独立した人格を尊重し、社会的、法的な地位を高め、その社会的進出や積極的貢献を妨げている障害をとりのぞく。結婚、離婚は、もちろん当事者の自由であるが、そのさい女性が不利な条件におかれることのないようとくに配慮する。社会の各方面に残っている半封建的な残りものをなくし、いわゆる部落問題については国民的融合に努力する。わが国における少数民族というべきアイヌの生活と権利を保障し、その文化を保護する。

(ニ)国民1人ひとりの個人的自由は、最大限に守られなければならないし、私生活(プライバシー)は不当な介入から保護されなければならない。信書、通信の秘密を厳重に保護し、盗聴・盗み撮りはどのような形態のものも禁止される。また、旅行、移動、居住および職業選択の自由はもちろん、海外渡航や出国、国籍選択の自由も全面的に保障する。
 趣味、嗜好、モード、ファッションなどが個人の選択の自由にまかされることは当然である。市民生活へのいかなる統制や干渉も排除する。

(ホ)人身の自由を擁護し保障する。人身売買や暴行、人道に反する待遇、処罰を排除し、虐待をくわえた者は人間尊重の名において罰せられる。国民は、現行犯の場合を除いては令状なしに逮捕されず、法定の手続きによらなければいかなる刑罰も科せられない。政府と異なる意見や政見等を理由に逮捕、追放されるようなことはいかなる形式においてもありえない。刑事事件の被告人は公平で迅速な公開裁判をうける権利を保障される。

(3)民族の自由――日本の自主的発展と対等・平等な国際関係の基礎
 各民族は、自国の社会制度や政治制度を自主的に選択する自由、外交、軍事、経済問題で民族主権を行使する自由をもつ。これは、各民族がもつ固有の権利であり、各民族の自由な発展にとって不可欠な条件である。日本国民がこの民族自決権を確固として回復するとともに、この権利を侵すものにたいしてたたかい、日本民族の自由を全力をあげて守ることは、もっとも重要な国民的課題である。
 自国の民族の自決権を擁護することと、他民族の権利を守ることは不可分のものである。各民族は、軍事、政治、経済などあらゆる分野で他民族を抑圧してはならない。各国人民が自国の進路と運命を自主的に決定する民族自決権を擁護し、帝国主義、覇権主義によるいかなる侵害にも反対しなければならない。日本国民が、他民族にたいするいっさいの干渉、抑圧、侵略に反対することは、すべての民族との対等、平等、互恵の関係を確立する道である。
 こうして日本は、真に独立した、平和な国として発展し、日本民族の自由が保障され、開花する。

(イ)日米軍事同盟から離脱し、日本国民が国の進路を自主的に決定する権利を獲得する。
 日米軍事同盟のもとで、日本は戦争に参加するか否かの決定権まで事実上アメリカににぎられ、世界諸国民の民族自決権を侵犯するアメリカの侵略・干渉基地にされている。この日米軍事同盟から離脱し、アメリカによって主権を侵害されている現状を打破して、日本国民みずからの意思にもとづき、民族の自由な進路をきりひらく。民主連合政府は、国会の承認をえて日米安保条約の廃棄をアメリカ政府に通告し、日米軍事同盟の束縛をなくす。これは、日本の主権を回復する重要な第1歩となる。日米軍事同盟から脱却したあとも、いかなる軍事同盟にもはいらず、非核・非同盟、中立の立場を守る。
 領土問題も民族主権にかかわる基本的問題であり、国際法の原則に立って、千島問題の公正な解決をはかる。中間条約の締結による歯舞、色丹のすみやかな返還、日ロ平和条約の締結による全千島の返還をめざし、ロシアと交渉をすすめる。
 日本は、核兵器を持たず、つくらず、持ちこませずの「非核三原則」を法制化し、人類にとって死活的に重要な緊急課題である核戦争阻止、核兵器廃絶のため核兵器完全禁止・廃絶の国際協定をめざす。またすべての軍事同盟を解消し、軍事同盟のない世界をめざす。

(ロ)他国の民族主権――「民族の自由」の尊重を、日本の外交政策の基本とする。
 日本は、日米軍事同盟によってアメリカの覇権主義的な世界戦略に組みこまれているが、軍事同盟からの離脱と中立の実現は、世界とアジアの平和、諸国民の民族的自決に貢献することになる。同時に、対米従属のもとでの日本軍国主義の復活強化を阻止し、日本独占資本の新植民地主義的な対外進出を根本的に転換させて、近隣諸国の民族に脅威をおよぼしている現状を大きくかえる。

(ハ)他国民の権利と自由を侵すいっさいの干渉主義、覇権主義、新旧植民地主義に反対する。
 現在の国際関係には、依然として他民族にたいする侵略、抑圧、干渉が横行している。アメリカ帝国主義は、ソ連解体後も、他民族にたいする軍事的侵略の政策を放棄しておらず、ベトナム侵略戦争をいまなお「正義の戦争」として美化する態度をとり、これを共通の「価値観」として、同盟諸国にも押しつけている。アメリカの軍政首脳部は、「地域紛争」の「抑止」あるいは「解決」を名目として、自分の気にいらない進歩的政権の転覆をふくめ、他国の内政への干渉をこととする「世界の憲兵」戦略を公然と採用し、これを、世界唯一の超大国・アメリカの当然の権利だとする立場をとっている。これらの干渉主義、覇権主義は、その国の人民が民族的主権にもとづいて自由に表明した自主的な選択を、外部からくつがえそうとするものであり、世界平和の利益と民族的自決の原則のもとで許されることではない。またアメリカ中央情報局(CIA)は、世界各地で謀略活動をおこない、日本でもCIAなどの非公然の形をとった秘密工作による日本の政治にたいする不当な干渉がおこなわれてきた。社会体制の別なく、国と民族の大小を問わず、すべての民族の自決権が尊重されなければならない。いかなる外国からのものであれ、またいかなる形態のものであれ、いっさいの干渉を排除し、民族の自主的な選択を守ることは、民族間の真の友好関係を確立するうえで不可欠である。

(ニ)国際的な経済生活の領域でも、諸民族の主権と自主性を尊重し、平等、互恵の経済関係、新国際経済秩序の確立につとめる。
 帝国主義の新植民地主義政策に反対し、発展途上国をふくむ対等、平等、互恵の国際的な経済関係を確立して、いわゆる「南北問題」を根本的に解決することは、現代の世界における特別に重要な課題である。世界の人口の圧倒的多数を占める発展途上国は、世界の生産ではわずかを占めるにすぎず、数億にのぼるぼう大な人口が、読み書きができないなどの低い文化水準と栄養不良、飢餓に苦しみ、生存の自由をうばわれている。これは、発展途上国にたいする帝国主義の植民地主義的収奪政策の結果である。この状態を放置することは、人類の尊厳、人類全体の生存の自由にとって許されないことである。発展途上国の政治的主権はもとより、資源にたいする民族主権を尊重し、対等、平等、互恵の経済関係を確立することは、現代の世界における民族間の関係の自由で豊かな発展にとってきわめて重大な問題である。
 地球的規模での環境と資源の保全のために、多国籍企業などの無責任な利潤第一主義の行動を規制することも、今日の緊急の人類的な課題となっている。

(ホ)日本が社会主義の道にふみだした段階でも、自国の民族の自由を擁護し、他民族の自由を尊重する方針をひきつづき堅持する。
 社会主義、共産主義の事業の世界的規模での勝利によって諸民族間の関係にも、資本主義、帝国主義の時代には考えられなかった接近と融和の新しい可能性が生み出されるが、戦争も侵略もなくなる諸民族の接近と融和、協調の新しい展望は、民族の自由の徹底的な擁護と実現の道をつうじてのみ、きりひらかれる。

 こうして、日本共産党は現在から将来の社会主義日本にいたるまで、国民の生存の自由を守って、ますます豊かな国民生活をめざしていくと同時に、市民的政治的自由を擁護、開花させ、民族の自由を守り、発展させるために努力する。これらの自由と民主主義の全面的な擁護、発展は、国民の未来への自主的責任にたった日本共産党の確固たる展望である。日本共産党は、この壮大な事業の実現に向かって日本国民とともに前進することを宣言する。
慣習的使用に反対しないが、使用の強制に反対するーー新元号の発表にさいして志位和夫委員長が談話を発表しました。日本共産党が、現行憲法の全条項の全面実施をめざしている党であることを念頭において、ご覧ください。[2019年04月01日(Mon)]
慣習的使用に反対しないが、使用の強制に反対する――新元号の発表にさいして
2019年4月1日 日本共産党委員長 志位和夫

一、元号は、もともとは中国に由来するもので、「君主が空間だけでなく時間まで支配する」という思想に基づくものである。それは日本国憲法の国民主権の原則になじまないものだと考えている。

一、わが党は、国民が元号を慣習的に使用することに反対するものではない。
 同時に、西暦か元号か、いかなる紀年法を用いるかは、自由な国民自身の選択にゆだねられるべきであって、国による使用の強制には反対する。

一、政府は、これまでも「一般国民にまで(元号の)使用を強制することにはならない」ことを「政府統一見解」として明らかにしている。
 この立場を厳格に守ることを、あらためて求める。
続きを読む...
西日本豪雨災害の被災者救援募金を虹の丘で呼びかけましたー創立記念を迎えるにあたり、日本共産党の立党の精神を想いおこしながら[2018年07月15日(Sun)]
 7月14日16時から、みやぎ生協・虹の丘店前の路上で西日本豪雨災害の被災者への救援募金を呼びかけました。大人に混じって、2人の中学生がポケットから小銭を取り出し、募金箱にいれてくれました。ありがとう!
 仙台駅前のアエルビルで小池晃書記局長を招いた日本共産党演説会でも募金を呼びかけ、9万7千円余りをお寄せいただきました。
 「国民の苦難の軽減に奉仕する」ことが日本共産党の「立党の精神」です。
 戦前の昭和三陸津波の際に、岩手県の被災地に保健師等の日本共産党員が救援に入りましたが、官憲に活動を阻まれました。創立96年を迎える日本共産党の歴史を想いおこしながら、街頭でお話ししました。

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映画『マルクス・エンゲルス』を見てー熱いヒューマニズム、民主主義こそ科学的社会主義の原点、私の初心。[2018年06月03日(Sun)]
 カール・マルクス(1818年5月5日〜1883年3月14日)の生誕200周年を記念して製作された映画『マルクス・エンゲルス(THE YOUNG KARL MARX)』の公開が日本でも始まり、居ても立ってもいられなくなり、岩波ホールまで出かけました。
 映画は、小鳥がさえずる森で枯れ木の枝を拾い集めている貧民を、騎馬に乗った官憲がサーベルを振り上げて次々にめった打ちにするシーンから始まりました。ライン新聞の主筆だったマルクスが告発した「木材窃盗取締法」の史実に基づく場面だということはすぐに分かりました。
 19世紀イギリスの紡績工場で、労働者が機械に挟まれて指を2本失ったことに抗議するアイルランド人の女子工員、メアリー・バーンズに経営者はクビを言い渡します。その後をスラム街まで追いかけて「労働者階級の状態を描きたい」「協力してほしい」と訴える社長の息子=フリードリッヒ・エンゲルスは、労働者から鉄拳を見舞われました。「筆者自身の観察と確かな資料による」という注釈が付いた名著『イギリスの労働者階級の状態』が、恋とともに生み出されていく経過が描き出されていました。
 熱いヒューマニズムと民主主義への願い、現状の冷静な観察と鋭い資本主義批判、何よりも「重要なことは変革することである」という社会進歩に対する情熱。
 20歳から模索を始め、22歳の夏に日本共産党に入党を申し込むまで、自分の若き日々を想いおこしながら見ました。
 仙台での上映機会がないのが残念です。
 岩波ホールでの上映は、今のところ6月15日までです。

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私が日本共産党に入党したのは、日本国憲法の民主主義が本当に花開く日本にしたいという願いからです―日本共産党の「自由と民主主義の宣言」をご一読ください。[2018年04月25日(Wed)]
自由と民主主義の宣言
    日本共産党 (1996年7月13日一部改定)

 人類の社会発展の歴史は、搾取と抑圧にたいする、さまざまな民衆のたたかいにいろどられている。そのなかで、自由と権利のためのたたかいは、つねに重要な位置をしめてきた。今日においても現代社会におけるあらゆる種類の抑圧に反対して、自由と民主主義を守りひろげることは、国民の願いであり、また日本共産党の中心的課題の一つである。日本共産党は、1961年の第8回大会以来発展させてきた路線と政策の当然の結実として、ここに、「自由と民主主義の宣言」を発表する。

1、進行する自由と民主主義の危機
 現在、わが国では、対米従属と大資本奉仕の歴代反動政治のもとで、自由と民主主義をめぐる危機が進行している。
 国民が享受すべき自由は、3つの自由、すなわち生存の自由、市民的政治的自由、民族の自由の全体にわたって完全に保障されなければならないが、今日の日本では、3つの自由のそれぞれにたいする重大な抑圧と侵害がおしすすめられている。

 生存の自由の侵害
 人間の生きる自由、すなわち国民の「生存の自由」の社会的保障は、国民の生活と権利の最大の前提であり、国の政治の根本問題の1つである。憲法第25条も生存権、国の社会的使命として、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」と定めている。
 ところが、日本の経済力が世界第2の水準に達し、国民の生存の自由を保障しうる条件が現実に存在しているにもかかわらず、対米追随、大企業奉仕の反動政治によって、国民の生存の自由はさまざまな形で圧迫されている。食糧や石油、原子力などエネルギーの異常な対外依存と自給率の深刻な低下が日本民族の生存の将来を不安におとしいれているだけでなく、現在、軍事費拡大による福祉・教育の切りすて、増税が国民大衆のいのちと暮らしをおびやかしている。
 わが国では、独占資本、大資本家などごく少数のものだけがばく大な富を自由にしている。その反面、低所得者層(年収300万円以下)は1000万世帯にのぼり、多数の国民が低所得のまま放置されている。障害者、病人、母子家庭、高齢者などにたいする福祉はつぎつぎと切りすてられ、生活苦からの悲惨な自殺や心中、餓死、家庭崩壊があとをたたない。被爆者をはじめとする戦争犠牲者への国の対策は、きわめて貧弱である。特有の低賃金にくわえて、長時間・超過密労働、物価上昇と不況、失業のため、多くの国民は、生活水準の引き下げさえ余儀なくされている。農産物輸入自由化による農業経営の危機、中小企業、零細企業の経営困難も増大するばかりである。国民の将来への不安はますますつよまっている。
 生活環境の悪化もはなはだしい。
 異常な高地価は、引き続き勤労者の前にたちふさがり、マイホームの実現を困難にしている。政府は、1988年、大気汚染による公害病患者の認定を打ち切ってしまったが、これまでの認定患者は、国と地方自治体の認定をあわせて10万人を大きくこえ、死者は年々2000人前後にのぼっている。もうけ本位のモータリゼーションと環境整備の遅れで交通事故も多発しており、毎年約1万人の死者をだし、負傷者も毎年7、80万人にのぼっている。大量の犠牲者を出した薬害エイズ問題は、製薬会社の利益を人命のうえにおいてきた反動行政の犯罪性を、明るみにだした。安全無視の操業による労働災害も続発し、年々死者は2000人前後、負傷者は20万人前後に達している。有害食品問題も重大な社会問題となっている。阪神・淡路大震災によりあらわにされた、震災・災害対策の貧困も重大である。
 反動政治は、すでに国民の生命を守り、「生存の自由」を保障するという責任を果たしえなくなっているといわなければならない。

 市民的政治的自由の圧迫
 市民的政治的自由は、人間の尊厳と能力の全面的発揮のためにも、また社会の豊かな発展のためにも不可欠のものである。憲法は、その「第三章 国民の権利及び義務」のなかで思想および良心の自由、信教の自由、集会・結社・表現の自由、学問の自由など、国民の市民的政治的自由の保障をきびしく定めている。
 ところが反動勢力は、その悪政への国民の批判の高まりを恐れ、反動政治の破綻とゆきづまりを強権的方向でのりきろうとし、国民の言論・思想・信条・政治活動の自由にたいする抑圧にのりだしている。
 公職選挙法改悪による言論抑圧や政治活動の規制にくわえ、「言論の府」である国会で反動政党の意に反する発言を会議録から削除するという言論抑圧は、その代表例である。公安警察、憲法違反の破防法による公安調査庁の日本共産党などにたいするしつようなスパイ工作、尾行、盗み撮りが、膨大な国家予算をもってつづけられており、党事務所、集会場、指導的幹部の住居などにしばしば盗聴器が発見された。公務員労働者のストライキ権否定などのように憲法の認める結社の自由、団体行動の自由さえうばわれたままである。
 とくに重視しなければならないのは、多くの職場、なかでも民間大企業で、「職場には憲法なし」として労働者の自由にたいする憲法違反の抑圧が日常化し、ひろがっていることである。日本共産党員や労働組合活動家にたいする会社側の尾行、監視や「職場八分」、変節の強要、昇格、昇給、賃金、資格の差別といった「会社監獄」といわれる事態がいたるところでつくりだされている。ある製薬会社は、1人の活動家から仕事をうばい、20年もただ机に座らせつづけた。「赤旗」を読む自由、ビラを受けとる自由も労働者からうばっている企業もある。企業側が第2組合をつくって、労働者の団結の自由に攻撃をくわえたり、職場や寮、社宅などで日本共産党、民主青年同盟の政治活動を禁止、制限したり、暴力組織をつかって暴力的専制をしくなど、前近代的な雇用制度と戦後の新しい労働者管理とを結合した形で、憲法違反の自由抑圧、おどろくべき人権無視が横行している。反共右翼やニセ「左翼」集団の暴力などもつづいている。これが反動的支配勢力のいう自由の実態である。
 企業における日本共産党員にたいする思想差別については、一連の裁判所の判決で、その違法性・違憲性が指摘された。とりわけ、1995年に、最高裁判所が、「思想・信条の自由」を侵害し職場において「自由な人間関係を形成する自由」を阻害するものとして、これを違法とする判決をくだしたことは、画期的な意味をもった。
 本来、自由と民主主義の推進者であるべき労働組合のなかでも、機関決定によって組合員に特定政党支持を義務づけ、それを強要するために不当な処分まで強行し、政治活動の自由と投票の自由までうばう事態が広くみられる。一部の農山漁村などでは、半封建的残存物と反動政党の支配とが結合して、政党支持の自由、投票の自由まで侵害されている。
 政治的自由の抑圧として、もっとも重大な問題は、反動的党派が国会の圧倒的多数を独占することをねらった小選挙区制導入が強行されたことである。小選挙区制は、政党法や国家機密法のたくらみとともに、政治反動の新たな重大な1歩をなすものであり、日本型ファシズムの憲法改悪陰謀に直結している。同時に導入された政党助成の制度は、自分が支持してもいない政党への政治献金を国民に強要するもので、国民の思想・信条の自由にたいする根本的な侵害となった。
 憲法改悪は、日米軍事同盟の侵略的強化の策動と結びついた、反動勢力の戦略的課題である。それは、憲法5原則〔(1)国民主権と国家主権、(2)恒久平和、(3)基本的人権、(4)議会制民主主義、(5)地方自治〕を否定し、日本の憲法体制を戦前に逆行させ、国民の自由と民主主義を全面的に抑圧しようというものである。年とともに強化されている天皇制礼賛や天皇主義的思想のおしつけも、憲法の主権在民の原則をおかすものである。
 反動政治のもとで、政・財・官の癒着と汚職、政治を金で動かす金権政治が横行している。反動勢力が「守る」と称している「自由」や「民主主義」は、「反動政党の独裁の自由」、「わいろ政治の自由」、大資本による「抑圧と搾取の自由」の別名であり、虚偽の自由である。それは対米従属、大資本奉仕の反動政治の正体をかくして国民をあざむくものにほかならない。

 民族の自由の放棄
 国民の自由にとって、民族自決権、すなわち「民族の自由」もまた欠くことのできないものである。
 日本民族にとって重大な問題は、サンフランシスコ条約と日米安保条約にもとづく日米軍事同盟のもとで、国家主権が侵害され、アメリカ帝国主義が、日本の軍事と外交に、ひきつづき重要な支配力をおよぼしていることである。国民の意思に反して、日本は朝鮮戦争、ベトナム戦争の拠点にされた。沖縄は27年間、日本からきりはなされ米軍の圧政のもとにおかれつづけた。施政権返還後の今日さえ、多くの米軍基地がおかれ、「治外法権」をもった米軍が住民のうえに君臨して、残虐な暴行事件が繰り返されるなど民族的尊厳を傷つけられている。いま大軍拡がおしつけられ、日米共同作戦の体制が、アジア・太平洋地域での戦争行動をめざして強化され、日本の核基地化の危険もひきつづき深刻である。こうして、アメリカ覇権主義の「世界の憲兵」戦略に、日本の基地と軍事力・経済力を動員するのが、日米軍事同盟なのである。進んだ資本主義国で、このような形で民族の自由をうばわれている国はほかにはない。同時に、日本が、アメリカ帝国主義の副官として、アジアの他民族抑圧のための同盟者の役割をになわされつつあることを、重視しなければならない。
 アメリカ帝国主義は、日米安保条約を軸とする多数の条約、協定、とりきめによってわが国の自由を抑圧している。
 MSA協定などにともなう秘密保護法、日米安保条約にもとづく刑事特別法などは、「秘密保護」を口実に日本国民の知る権利を制約している。ロッキード疑獄事件は、アメリカの多国籍企業、さらにはCIA(米中央情報局)が日本の政治に不当な介入と干渉をおこなってきたという重大な事実をあきらかにした。日米安保条約の「経済協力」条項などを根拠に、アメリカの利益と特権を日本に強要する経済的覇権主義も強まっている。軍事費の増強や海外諸国への戦略的援助の要求、農産物の輸入自由化のおしつけ、アメリカの基準にあわせた日本経済の「構造改革」の要求などは、その典型である。
 しかも、反動勢力とその政府は屈辱的な対米従属路線をとりつづけ、日米安保条約の廃棄による日本の独立、中立をめざす国民の運動に敵対している。対米従属政治は、民族の自由の回復にとって最大の障害となっている。
 また力をつよめた日本独占資本は、新植民地主義的対外進出をすすめ、アメリカ帝国主義の目したの同盟者の役割をあらゆる面で能動的に果たしつつ、他民族の搾取、抑圧をつよめている。
 こうして、今日、大資本、アメリカ帝国主義、反動政治による3つの自由の抑圧、侵害とたたかうことなしには、日本国民の自由と民主主義をまもり、拡大することはできなくなっている。

2、日本の民主主義の過去と現在

(イ)わが国における自由と民主主義の問題は、明治以来、ヨーロッパの資本主義諸国とも多くの違いをもつ複雑な経過をたどり、独自な特徴と性格をもっている。
 その第1は、西ヨーロッパ諸国と違って、日本の支配的ブルジョアジーが、民主主義的要求のにない手とならず、初期から絶対主義的天皇制のもとで自由と民主主義の抑圧推進者となってきたことである。
 明治維新(1868年)によって徳川封建幕府が倒れ、上からの急速な資本主義的発展がはじまり、営業の自由、土地売買の自由、職業選択の自由など、一連のブルジョア的自由が導入されはじめたが、絶対主義的天皇制の確立によって、国民の自由と民主主義を圧殺する野蛮な軍事的警察的支配が強化されていった。1889年(明治22年)の「大日本帝国憲法」は、第一条で「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」とし、第三条で「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」とうたっていた。主権は天皇にあり、議会はあっても天皇統治への「協賛」機関にすぎず、国民は天皇の「臣民」とされていた。なかでも女性はとくに隷属的地位におかれ、ながいあいだ政談演説会への参加も禁止され、選挙権はまったくうばわれていた。
 「言論、著作、印行、集会及結社ノ自由」も「法律ノ範囲内ニ於テ」(帝国憲法第二九条)と限定され、治安警察法その他の弾圧法、とくに1920年代以降は治安維持法が思想・信条の自由、言論、集会、結社などの自由を無慈悲に抑圧した。
 そして、財閥=大ブルジョアジーは、労働者にたいするはげしい搾取と収奪に狂奔しつつ、寄生地主制とともに絶対主義的天皇制と癒着し、「富国強兵」の軍国主義と侵略戦争の推進者となり、自由と民主主義にたいする抑圧者となったのである。
 第2の特徴は、こうした歴史的状況のなかで、日本では自由と民主主義を実現するたたかいが、最初から人民の進歩と革命の陣営、とくに労働者階級とその党の肩にになわれるにいたったことである。
 明治10年前後から、農民の重税や徴兵反対のたたかいとも結んで、自由民権運動が国会開設、人民による憲法制定、人民の思想・集会・結社の自由の保障などを要求してひろがった。ブルジョア民主主義運動として歴史的意義をもったこの運動は、天皇制政府の凶暴な弾圧と迫害によって挫折させられた。
 新しく、自由と民主主義の主なにない手となったのは、社会主義運動であり、また階級的な労働組合運動と農民運動であった。1898年(明治31年)に片山潜らの手で「社会主義研究会」がつくられ、1901年(明治34年)にはわが国最初の社会主義政党「社会民主党」が生まれた。社会主義運動は、平等の原則の実現、治安警察法や新聞紙条例など弾圧法の廃止による言論・出版・集会・結社の自由、労働者の団結の自由、普通選挙と貴族院の廃止、8時間労働の実行、小作人保護など、自由民権運動でかかげられた自由と民主主義の要求をさらに充実、発展させていった。明治以来おこなわれてきた進歩的知識人を中心とする民主的な運動は、いわゆる「大正デモクラシー」に発展していった。

(ロ)1922年(大正11年)に結成された日本共産党は、近代日本の自由と民主主義の伝統を継承するものであった。日本共産党は、国民主権の立場から君主制廃止、貴族院の廃止を大胆にかかげ、はじめて男女平等、18歳以上の男女の普通選挙権を要求し、労働者の団結、出版、集会、ストライキの自由、8時間労働、小作人への土地の引きわたしなどをかかげた。
 日本共産党の鮮明な国民主権の立場は、当時の主権在君主義の「国体」とは真っ向から対立した。その侵略戦争反対、諸民族の自由、平等、植民地支配反対の立場も、好戦的軍国主義とは真っ向から対立するものであった。
 そうしたことのゆえに、日本共産党は公然活動の自由をいっさいうばわれ、「国賊」と非難され、治安維持法と特高警察によって世界に類例をみないほど過酷な弾圧をうけた。うむをいわさぬ逮捕、しばしば虐殺にまでいたった拷問、脅迫、長期勾留、特高の筋書きによる予審と暗黒裁判――これらが日本共産党員にたいして常用された。中国東北地方の侵略以来15年間の侵略戦争、とくに日・独・伊反共軍事同盟による太平洋戦争への拡大とともに、気骨ある自由主義者、宗教者にいたるまで弾圧しながら、天皇制権力はファッショ的暗黒体制を極限にまですすめた。治安維持法による犠牲者は、記録されているだけでも死者1682人、逮捕・送検者7万5681人、未送検の逮捕者は数10万人にのぼった。
 そして、まさに国民の自由や権利の最後の一片までの圧殺こそ、アジアと日本の国民にいいようのない苦悩と犠牲を強いることと表裏一体であった。いわゆる15年戦争で戦死・戦病死したものだけで230万人、戦災死亡者50万人以上、海外死亡の民間人30万人、被災者880万人にのぼり、そのほか国民各層の被害と困苦ははかり知れなかった。中国人民をはじめアジア諸国民2000万人以上が犠牲となった。この事実は国民の自由と民主的権利の1つひとつをかちとり、守りぬくことの大切さを、いまもわれわれに痛切に教えている。

(ハ)第2次世界大戦の結果は、この暗黒の歴史に大きな転換をもたらし、自由と民主主義をめぐる状況も一転することとなった。1948年の国連総会では世界人権宣言が採択された。
 反ファッショ連合勢力に敗北した日本の支配層は、「民主化」への同意を余儀なくされた。降伏条件となったポツダム宣言は、民主主義の復活・強化をはばむいっさいの障害の除去、言論、思想、宗教の自由、基本的人権の確立、軍国主義の一掃と平和的、民主的な日本の建設などを要求していた。
 戦前戦中、天皇の神格化と絶対主義支配を「国体」として強要され、ながい無権利状態で圧制に苦しんでいた国民も、日本の民主化と自由の実現を要求する運動に参加し、はじめて公然活動の自由を得た日本共産党はその先頭に立った。
 日本の反動的支配層は、大きな制約をもった占領下の民主主義にさえさまざまの抵抗をこころみた。にもかかわらず、1947年には主権在民をうたった新憲法が生まれた。この憲法は、その成立の経過や当時の複雑な状況を反映して、「象徴」天皇の条項など、国民主権の民主主義とは矛盾するものを残しているものの、積極的な平和的、民主的な条項をもっている。その精神は、さきにのべた憲法五原則に集約することができる。
 憲法第97条は、「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」であると、とくにのべている。自由民権運動や日本共産党をふくめ、進歩的国民の自由と民主主義のための苦難のたたかいもまた、この「自由獲得の努力」の一翼であった。

(ニ)今日、自由と民主主義をめぐる対決は、戦前の日本とは異なった新しい展開をみせている。
 その第1は、日本国民の自由と民主主義の抑圧者として、戦前の絶対主義的天皇制にかわって、戦後、アメリカ帝国主義とそれに従属的に同盟する日本独占資本が登場したことである。
 戦後の日本を占領した連合軍の主力となったアメリカ帝国主義は、日本をアジア侵略の拠点とするために、ポツダム宣言をふみにじって、日本を事実上の従属国とするサンフランシスコ体制をつくり上げた。アメリカ帝国主義と日本独占資本こそ、日本国民の自由と民主主義の侵害と抑圧を生み出す根源となっている。
 第2は、自由と民主主義の課題の内容として、主として封建的、前近代的抑圧に抗して生存の自由、市民的政治的自由をかちとることにあった戦前と異なり、さらに独占資本の横暴や抑圧に抗して生存の自由、市民的政治的自由をかちとるための新しい多面的な課題がくわわり、そしてまた対米従属を一掃して、民族の自由をかちとるという課題がくわわったことである。
 戦後半世紀のあいだに自由と民主主義をめざす国民の運動は、さまざまな流れを合流させて、1つの巨大な潮流に成長しつつある。戦後の憲法の平和的、民主的条項は国民のあいだに広く定着し、日本の民主勢力のたたかいは反動勢力の憲法改悪の策謀をいくたびか挫折させてきた。いのちと暮らしを守る住民運動も底深く発展し、真の住民自治をめざす革新自治体は、1970年代には人口の4割をおおう地域に樹立されるにいたった。明治以来80年近い暗黒政治、事実上数10年にわたる侵略戦争、戦後の占領と日米軍事同盟、大資本奉仕の「高度成長」政策の諸結果など、大きな国民的体験をへて、生存の自由、市民的政治的自由、民族の自由を求める国民のエネルギーは、大きな潜在力をもっている。そのたたかいは、近代民主主義の伝統をひきついでいるだけでなく、横暴きわまる独占資本の社会的規制を求めるもっとも現代的な反独占民主主義の諸要求や、さらに民族の独立を求める反帝国主義的な民族的要求をむすびつけつつ、力づよく発展する可能性と展望をもっている。女性の社会的政治的自覚と運動もめざましく、社会進歩の大きな力に成長している。
 1922年の党創立以来、一貫して自由と民主主義のために不屈にたたかってきた日本共産党は、この国民的運動の先頭に立って奮闘するものである。
 わが党のこの立場は、自由と民主主義の問題にたいする科学的社会主義の本来の立場を自主的、創造的に発展させたものであって、たんなる一時期の戦術ではなく、現在から将来にわたる日本共産党の政策と活動の一貫した特徴をなすものである。

3、科学的社会主義と自由の問題

(イ)マルクス、エンゲルスが創設者となった科学的社会主義の学説と運動は、あらゆる搾取から解放された、真に平等で自由な人間関係の社会――共産主義社会の建設を、根本目標としているが、それは、人類が生み出したすべての価値ある遺産を正当にうけついでおり、民主主義と自由の問題でも、近代民主主義のもっとも発展的な継承者、国民の主権と自由の全面的で徹底した擁護者として、歴史に登場した。
 近代民主主義の諸原則を、世界史のうえで最初に宣言した文書は、アメリカの独立戦争にさいして発表された「独立宣言」(1776年)であった。マルクスはその民主的な意義を高く評価し、1864年、リンカーン大統領にあてた国際労働者協会中央評議会の祝辞のなかで、当時のアメリカを、「まだ1世紀もたたぬ昔に一つの偉大な民主共和国の思想がはじめて生まれた土地、そこから最初の人権宣言が発せられ、18世紀のヨーロッパの諸革命に最初の衝撃があたえられたほかならぬその土地」と、特徴づけた。
 マルクス、エンゲルスら科学的社会主義の学説と事業の創始者たちにとっては、国民の主権と自由の宣言を核心的な内容とする近代民主主義の諸原則は、社会主義への使命をもつ労働者階級にとっても、擁護し、また未来にひきつがれるべき人類社会の貴重な遺産であった。マルクス、エンゲルスは、普通選挙権とそれにもとづく民主共和制が、地球上でまだアメリカなどでの例外的な現象でしかなかった当時から、ヨーロッパ各国で、普通選挙権運動を推進する先頭に立ち、人民主権の民主共和制の旗をつねに高くかかげ、これらの民主的獲得物を破壊しようとする反動の攻撃には、断固とした反撃をくわえた。かれらは、民主共和制を、資本主義国家のもっとも民主的な形態として擁護すると同時に、それが、社会主義の国家にもひきつがれるべき政治形態であることを、しばしば指摘した。
 自由の問題でも、かれらは、出版・結社・集会の自由のための闘争を、労働運動の中心的な政治課題として、一貫して重視した。これらの自由の要求は、資本主義社会の発展とむすびついて生まれたものではあるが、エンゲルスは、それが労働者階級にとっていっそう切実な死活の要求であり、労働者党にとって、「自分自身の本来の生存条件、彼らが息をするのに必要な空気」だとまでのべて、その意義を強調した(「プロイセンの軍事問題と労働者党」1865年)。

(ロ)もちろん、科学的社会主義の事業は、自由と民主主義の問題でも、近代民主主義のたんなる継承者の立場にとどまるものではない。この学説と事業の人類史的な意義は、それが、近代民主主義による国民の政治的解放とその徹底を重視しながらも、それだけに満足せず、搾取制度の廃止による国民の経済的、社会的解放にまで前進することによって、真の人間解放に到達する道を、あきらかにしたところにあった。この問題での、その先進的な特徴は、なによりもまず、つぎの4つの点にある。
 第1は、科学的社会主義が、国民の政治的解放――市民的政治的自由の確立だけでは、労働者階級と人民の貧困や窮乏の問題を解決することができないことを、明確に指摘し、労働者階級をはじめ圧倒的多数の人民を社会的な貧困から解放すること、いいかえれば、すべての人民の「生存の自由」を保障することを、解放運動の根本目標として提起したことである。
 この目標は、人類社会が到達した生産力の全面的な活用を基礎に、資本主義的搾取を廃止し、階級的な差別も対立もない社会主義・共産主義の社会を建設することによって達成される。近代民主主義の最大のブルジョア的限界は、なによりも「搾取の自由」を絶対視しているところにある。この「搾取の自由」の制限と廃止が、人間の生存権の保障をふくむ人間的自由の回復と発展の道であることを発見したのは、科学的社会主義の偉大な功績であった。社会主義段階における「能力におうじてはたらき、労働におうじてうけとる」原則の実現、ついで共産主義段階における「能力におうじてはたらき、必要におうじてうけとる」原則の実現は、「生存の自由」の全面的な開花の中心的な内容である。
 第2は、科学的社会主義が、市民的政治的自由の擁護と拡大の点でも、もっとも徹底した、もっとも首尾一貫した立場に立っていることである。
 もともと成長期の資本主義の政治的要求として生まれた近代民主主義は、最初から多くのブルジョア的制約と限界をもっていた。アメリカの「独立宣言」(1776年)やフランスの「人権宣言」(1789年)で、国民主権が宣言されたが、選挙権ひとつとっても、女性もふくめてすべての国民に参政権を保障する普通選挙権が、主要な資本主義国に確立するまでには、それ以後、百数十年にわたる各国人民の努力が必要だった。国民の自由と人権の問題でも、フランス革命当時は、労働者の団結やストライキは、革命政府自体によって、「自由と人権宣言」を犯す犯罪として禁圧された。労働者の団結権やストライキ権が、近代国家における当然の民主的権利として一般的に確認されるまでには、政府とブルジョアジーの暴圧に抗しての、労働者階級の長期にわたる不屈の闘争が必要だったし、この闘争は、今日の日本においても、なお継続されている。
 19世紀40年代に科学的社会主義者として活動をはじめたマルクス、エンゲルスは、国民の自由と民主主義にたいする、封建的あるいはブルジョア的ないっさいの制限に反対し、人民主権の国家、すべての国民への普通選挙権、出版・結社・集会の自由などを、もっとも徹底した形で実現することを、民主主義の根本問題として主張しつづけた。ブルジョアジーが、人民勢力を恐れて自由と民主主義の旗を捨てた場合でも、労働者階級は、これを自分自身の旗として、その擁護と拡大の闘争に立つべきだ、というのが、各国の社会主義運動にたいするかれらの変わらない忠告であった。
 今日、近代社会でそれぞれの形態と内容で実現されている市民的政治的自由や政治的民主主義の諸制度は、過去のブルジョア革命の所産に単純に還元できるものではない。それはすでにみたように、長期にわたる人民の闘争の成果として今日的な展開をかちとったものである。そしてこの面でも、国民主権と自由の旗を一貫してかかげてきた科学的社会主義の事業は、もっとも重要な先進的貢献をおこなってきたのである。
 第3は、各国の進路と運命は、その国の人民が決定するものであり、他のいかなる国家、いかなる民族も、これに干渉することは許されないという、民族自決の権利――「民族の自由」が、社会発展の不可欠の前提であって、これを全面的に擁護することは、科学的社会主義の本来の原則的立場だ、ということである。
 マルクス、エンゲルスは、すでに「共産党宣言」(1848年)で、社会主義革命がまずそれぞれの国民の民族的事業としておこなわれることを指摘していたし、民族の主権と独立の確保が、それぞれの国民の社会的前進および諸国間の国際的協力の、欠くことのできない前提条件であることを、くりかえし強調し、いっさいの民族的抑圧に反対した。エンゲルスは「全民族の自由な発展と個々の民族の自由な発展」なしには、各国で社会革命について考えることもできないし、相互援助によって、それを完遂することもできない、と強調した(ナデジデへの手紙、1888年1月4日)。かれはまた、人類の社会主義的未来を展望しつつ、「社会主義」の利益を名とする民族の自由の侵犯につよく反対し、さきに社会主義の道にふみだした国ぐにが、他民族に外部から社会主義を押しつけるようなことがもしもあったならば、それは社会主義の国際的事業全体を台なしにする結果になると、きびしく警告した。「勝利をえたプロレタリアートは、ほかの民族に対してどんな恩恵をも、それによって自分自身の勝利を台なしにすることなしには、押しつけることはできない」(エンゲルスのカウツキーへの手紙、1882年9月12日)
 第4は、科学的社会主義の展望する共産主義社会自体が、人間の自由の全面的な実現を本来の特徴とする共同社会だということである。
 共産主義社会は、原始共産制の崩壊以来人類社会を特徴づけてきた社会の階級分裂に終止符をうち、生産力のすばらしい発展と社会生活の新しい内容がうちたてられる社会である。それは、(1)階級的な対立と抑圧の社会にかわって、「各人の自由な発展が万人の自由な発展の条件となる」真に平等で自由な人間関係の社会が生まれるという意味でも、(2)組織的かつ系統的な暴力、一般に人間にたいするあらゆる暴力が廃絶され、戦争も消滅し、原則としていっさいの強制のない、国家権力そのものが不必要になる社会という意味でも、(3)最後に、人間が、いままで人間を支配してきた自然的、社会的な生活諸条件を、その支配と統制のもとにおき、自然と社会の意識的な主人公になるという意味でも、人間的自由が、階級社会では考えられなかった全面性と高度な形態とをもって、実現される。
 マルクスは、共産主義社会を、「各個人の完全で自由な発展を基本原理とする高度な社会形態」(『資本論』)と特徴づけ、エンゲルスはこの社会の成立を「必然の国から自由の国への人類の飛躍」(『反デューリング論』)と意義づけたが、それはまさに、人類史上はじめて、科学的基礎に立ち壮大な世界史的スケールで展望された、真の自由社会なのである。

(ハ)レーニンは、マルクス、エンゲルスが展開した科学的社会主義のこの精神を基本的にうけついで、帝国主義段階をむかえた世界資本主義の政治的、経済的諸条件を全面的に分析し、帝国主義の支配的傾向である政治的反動と民主主義の否定、他民族の併合と抑圧、軍国主義と侵略戦争などをするどく告発した。そして、労働者階級と人民は、終局的には社会主義をめざすその闘争において、民主主義と政治的自由、民族自決などの旗を、いちだんと高くかかげるべきだと主張した。レーニンによれば、労働者階級は、解放闘争の途上で民主主義のための闘争を重視するにとどまらず、社会主義革命の勝利の後にも、民主主義や民族自決の完全な実現をめざすべきであった。
 「勝利をえた社会主義が完全に民主主義を実現しないということがありえないのと同様に、民主主義のための全面的な、一貫した革命的闘争を行なわないようなプロレタリアートは、ブルジョアジーにたいする勝利の準備を整えることはできない」(「社会主義革命と民族自決権〈テーゼ〉」1916年)
 実際、世界の自由と民主主義が重大な脅威にさらされた第2次世界大戦の前夜および大戦中の状況をみても、天皇制軍国主義の暗黒政治と侵略戦争に反対した日本共産党の闘争をはじめ、民主主義と自由、独立と平和の旗をかかげて各国人民の闘争の先頭に立ったのは、共産主義者とその党だった。ヨーロッパの反ファッショの人民戦線の闘争や反ナチ抵抗闘争においても、中国人民その他アジア諸国人民の抗日闘争においても、民主主義と民族解放の事業に無数の共産党員が生命をささげた。これらの闘争は、科学的社会主義の党こそが、民主主義と自由の先進的な闘士であることを、ファシズムや軍国主義との闘争の世界的規模での経験によって実証するものとなった。
 第2次世界大戦後においても、アメリカ帝国主義の侵略戦争を打ち破って、民族の独立と統一をかちとったベトナム人民の抗米救国闘争の勝利は、そのことの新たな証明となった。

(ニ)世界の資本主義は、20世紀とともに、独占資本主義、帝国主義の段階にはいったが、それ以来1世紀のあいだに、世界の人民の自由と民主主義をめざす闘争は、多くの激動と曲折をへながらも、世界史的な前進をかちとってきた。
 20世紀の初めには、実質的な独立国は地球上に20カ国ほどしか存在せず、アジア、アフリカ、ラテンアメリカの圧倒的多数の諸民族は、植民地・半植民地・従属国として、民族的な抑圧に苦しめられていた。それらの諸民族のほとんどが、今日までに独立をかちとった。1960年代には、国連総会決議などで、植民地領有そのものが国際法違反の不法行為として非難されるようになった。現在国連に加盟している世界185カ国(1996年7月現在)のうち、その大部分が、旧植民地・従属諸国である。
 政治体制の面では、20世紀初頭には、君主制が優勢で、主権在民を原則とした共和制を名実ともに達成している国は、数カ国を数えるにすぎなかった。今日では、国連加盟国の大多数が共和制をとっており、君主制の国は29カ国にすぎない。20世紀のあいだに、世界政治の主流は、主権在君の君主制から主権在民の共和制に完全に転換した。
 人権の保障の問題では、人民の生存権――生活権などの社会的権利の保障が、憲法上の人権の規定の重要な部分をなすようになったことは、20世紀に実現した重要な進歩である。それは、「世界人権宣言」(1948年)や「国際人権規約」(1966年)などの国際条約にも明記された。
 自由と民主主義のこれらの前進と達成に、科学的社会主義の事業が重大な貢献をおこなったことは、誰も否定することのできない明白な歴史の事実である。1917年にロシアでおこった社会主義革命は、レーニンが指導にあたった時期には、おくれた社会・経済状態からの発足という歴史的な制約にもかかわらず、またすくなくない試行錯誤をともないながら、科学的社会主義の真価を発揮した業績によって世界の進歩に貢献した。とくに新しい政権が、植民地をふくむ民族自決を世界的な原則として宣言し、旧ロシア帝国の領域内にあった諸民族の自決を実際に実現したこと、男女同権、8時間労働制や有給休暇制、社会保障制度などの宣言と実行によって、人民の生存の自由を基本的人権の内容として前面におしだしたことは、世界の勤労大衆と被抑圧諸民族をはげまし、資本主義諸国にも大きな影響をあたえた。その人類史的な意義は、スターリンらその後の歴代指導者の誤りの累積やその結果おこったソ連の崩壊によっても、失われるものではない。
 スターリン以後のソ連におこった、民族自決権をふくむ自由と民主主義の侵犯は、科学的社会主義の原則をなげすて、レーニン時代にしかれた社会主義への過渡期の路線をくつがえしたものであり、ソ連社会を、社会主義とは無縁な、人民抑圧的な体制に決定的に変質・転落させた。1989年〜91年に起こったソ連とそれへの従属下にあった東ヨーロッパ諸国の支配体制の崩壊は、こうした体制的な変質と転落の帰結である。
 日本共産党は、ソ連などの覇権主義が重大化するなかで、覇権主義のいかなるあらわれにたいしても断固としてたたかう立場を早くからあきらかにし、各国の革命運動、民主運動の自主性と科学的社会主義の原則的立場を擁護し、日本の運動にたいする干渉を打ち破り、チェコスロバキアやアフガニスタンへの侵略に反対するたたかいをすすめてきた。そして、いかなる外国の経験もモデルとせず、高度に発達した資本主義国である日本の条件のもとで、3つの自由を将来ともに擁護、発展させる方向と政策を明確にしてきた。
 日本共産党は、今後とも、自由と民主主義の一貫した擁護者としての科学的社会主義の本来の立場をひきつぎ、発展させながら、国民とともに、独立・民主日本および社会主義日本への独自の道をひきつづき追求するものである。

4、自由と民主主義の確立と発展・開花をめざして

 日本共産党は、高度に発達した資本主義国でありながら、アメリカ帝国主義への従属下にあるわが国で、社会進歩の今後の方向として、当面、民主連合政府によって日本の民主的革新をはかることを、めざしている。そして、さらにすすんでは、反帝反独占の民主主義革命による独立・民主日本の建設、社会主義革命による社会主義日本への前進および共産主義社会への発展を、展望している。これらの諸段階は、それぞれ、日本国民の生活と福祉、権利と自由を拡大向上させる、社会発展の前進的な諸段階をなすものであるが、社会進歩のどのような道をすすむか、そしてその道を、いつどこまで前進するかは、主権者である国民の意思、選挙で表明される国民自身の選択によって決定される問題である。
 日本では、戦後の改革によって国民主権と議会制民主主義の政治制度、一定の市民的政治的自由などが、憲法上確立され、これらはいろいろの反動的攻撃にさらされながらも、民主主義のための闘争における日本国民の重要な獲得物となっている。この日本の条件下で、今後の社会進歩の道を探求するとき、国民の生活上の問題や、主権の完全回復など民族的課題の解決を重視すると同時に、国民の自由と民主主義の問題で、これを侵犯破壊している反動勢力のあらゆる攻撃とたたかい、これまでの民主主義的獲得物を擁護すること、さらに、各種の不当な制約を打破して、国民の民主的な権利と自由、政治的民主主義の制度をいっそう拡大、発展させることが、もっとも重大な方向の1つとなる。
 日本共産党は、1961年第8回党大会で党綱領を採択して以来、一貫してこの見地から自由と民主主義の擁護、発展を最大の特質とする日本の社会進歩の方向を主張し、それを具体化した諸政策を積極的に探求し、提起してきた。
 とくに、自由の問題では、わが党は、日本国民が守りかちとらなければならない自由には、生存の自由、市民的政治的自由、民族の自由という「3つの自由」があることを指摘し、この3つの分野で国民の自由が侵されている日本の現状をきびしく告発するとともに、わが党の展望している社会進歩の方向こそ、この「3つの自由」を確立し、擁護し、充実、拡大する道、文字どおり国民の自由を発展的に開花させる道であることを、あきらかにした。
 自由と民主主義の問題が、日本の進路と国政の方向をめぐる対決のますます大きな焦点の1つとなっている今日、日本共産党は、ここにあらためて、国民の自由の3つの分野のそれぞれについて、現在と将来における自由と民主主義の発展方向とそれにかんする日本共産党の政策・見解をあきらかにし、そのための共同の努力を国民によびかけるものである。

(1)生存の自由――健康で豊かな国民生活の保障
 今日、歴代の反動政治のもとで、より根本的には、大企業による経済支配と対米従属の結果、国民の生存と生活の諸条件は、軍拡の財源づくりなどのための消費税導入による大増税、物価高、低賃金、長時間・超過密労働、労働災害、公害、住宅難、社会保障の貧困など多面的に抑圧、破壊されている。国民の生活条件にたいするこれらの圧迫や侵害をとりのぞいて、すべての国民が健康で文化的な、人間らしい生活をいとなめる条件を確保すること、すなわち国民の「生存の自由」を現実に保障することは、われわれのめざす自由のもっとも重要な内容の1つである。
 民主連合政府による国政の革新は、これまでの大企業本位の経済政策にかわって、国民本位の経済民主主義を国の経済政策の基本にすえ、大企業にたいする民主的規制をつうじてその横暴な経済活動を抑制し、これによって、資本主義経済のわく内ではあるが、国民の「生存の自由」の保障への大きな前進となる。
 独立・民主日本では、この経済民主主義をいっそう拡大し、世界第2の高い経済力を、国民の生活と福祉に有効に役立てるうえで、いちだんと大きな発展がかちとられる。
 社会主義日本では、大企業の手中にある主要な生産手段は、社会全体の所有にうつされ、私的な利潤のためではなく、社会と国民のための生産が経済活動の原理となる。労働者は企業管理、運営への参加で積極的役割を果たす。こうして、生産力をむだなく効果的に活用する社会主義的計画経済によって、すべての国民にこれまでになく高い物質的繁栄と精神的開花が保障されるようになる。
 (イ)インフレと物価高、不況と失業、公害による生活環境の破壊などは、本来、資本主義固有の現象であり、とくに大企業による経済支配の産物である。経済民主主義の方向への経済政策の転換と前進は、これらの被害を最小限にくいとめ、国民生活の安定と向上を可能にする。とくに社会主義日本では、物価を安定させるだけでなく、生産力の発展におうじて物価引下げをおこなう条件がつくりだされるし、不況や失業を一掃して、各人の資質、能力におうじた職業選択の自由を保障しつつ、失業のない社会を実現することができる。公害・環境問題でも、社会主義日本では、公害の予防と発生源での除去、生活環境、自然環境の保護と改善が、全国的に確実に実施される。地球の環境保全にも積極的に貢献できる。
 日本における経済民主主義とその拡大、社会主義への前進のなかでは、人間尊重の立場にたって、国民を老後や病気の不安から解放する総合的な社会保障制度の確立が、最優先の国策となる。社会主義日本では、医療費は全額国庫の負担ですべての人に無料化され、年金も老後の生活を十分保障するものに充実し、教育費は大学まですべて無料とされる。
 また、住宅、学校、病院をはじめ国民が健康で文化的な生活をいとなむのに必要な公共施設は、国と地方自治体の責任で計画的に建設され、この分野での国民生活の困難は、急速に解消される。

(ロ)独立・民主日本はもちろん、社会主義日本に移行した段階でも、勤労者の私有財産は保障される。経済の社会主義化にあたって、国有化が必要となる場合にも、その対象となるのは、大企業の手にある主な生産手段だけで、勤労者個人の生活に使う財産――生活手段の私有は、否定されるどころか、家屋や生活に必要な土地をふくめて保障され、社会の発展とともに、すべての国民が生活手段をより豊かにもてるようになる。
 日本のように高度に発達した資本主義国では、大企業の手にある主要な生産手段の社会化が、経済の社会主義化への決定的な歩みとなる。中小商工業や農業、中小漁業などの部門では、私的所有と私的経営が広く残され、国民経済におけるその積極的役割が尊重される。これらの部門での社会主義化の主要な形態としては、協同組合化が予想されるが、そのさいにも、けっして共同化をいそがず、当事者がその方が利益になると考えて共同化を求めるときに実行するという、自発性の原則を厳重に守り、無理に押しつけるやり方はとらない。

(ハ)独立・民主日本でも、社会主義日本でも、日本の高い生産力、国民の高い教育水準と労働意欲を活用し、公害のないつりあいのとれた経済発展によって、国民の求める多様な商品を生産し、衣食住のすべてにわたって国民生活を豊かにする。商品も豊富で、質をよくし、サービスも心のこもったものに改善し、個人個人の商品選択の自由は、広く保障される。
 社会主義日本では、農漁業・中小商工業など私的な発意を尊重するとともに、計画経済と市場経済とを結合して、弾力的で効率的な経済の運営がはかられる。
 社会主義的計画経済は、生産力をむだなく効果的に活用して、国民生活と日本経済の豊かな繁栄を保障するための手段であって、国民の消費生活を統制したり画一化したりするいわゆる「統制経済」は、経済民主主義とも、社会主義日本の経済生活とも、まったく無縁のものである。

(ニ)社会主義社会から共産主義社会へ移行する段階では、人民全体の知的水準の抜本的向上と生産力のすばらしい発展によって、社会生活を維持するために必要な労働時間を大幅に短縮できる条件が、つくりだされる。すべての勤労者が、物質的生産以外の領域でも、その精神的・肉体的な能力を全面的に発展させるために、自由な時間を十分にもつことができるようになる。
 こうして、共産主義社会での生産力の発展と労働時間の短縮は、人間の文化的・精神的な開花と真に自由な発展をささえる物質的基礎となる。「真の自由の国」(マルクス)はこの基礎のうえにのみ、花を開くことができる。

(2)市民的政治的自由――国民の主権と自由の全面的発展
 国民の主権、国の主人公として国民が広く政治に参加する自由、思想・良心の自由、言論・出版・集会・結社・表現の自由、信教の自由、勤労者が団結し団体行動をする自由は、日本の社会発展のすべての段階をつうじて全面的に擁護されなければならない。
 日本共産党は、このような基本的見地に立って、国民の市民的政治的自由を侵害しているいっさいの抑圧を許さず、これらの自由を確立し発展させるために変わることなくたたかう。当面する民主連合政府のもとでも、やがて独立・民主の日本、社会主義の日本になったあかつきにも、人間的尊厳の確立をめざして、あらゆる市民的政治的自由が保障される。共産主義の高い段階では、市民的政治的自由として人類のめざしてきたものが、もっとも高度な姿で開花する。

 政治的民主主義の発展

(イ)国民主権の立場から、独立・民主日本でも、社会主義日本でも、普通選挙権にもとづく国会を名実ともに最高機関とする民主主義国家体制が確立、堅持される。反対党をふくむ複数政党制をとり、すべての政党に活動の自由を保障し、選挙で国民多数の支持をえた政党または政党連合で政権を担当する。この議院内閣制(議会多数派で組閣)によって、政権交代制は当然維持される。
 国の最高機関であり唯一の立法機関である国会にふさわしくその権限を拡大する。国政調査権は、司法権の独立を前提として拡大し、積極的に活用するようにする。そして、国会の民主的運営は、議員の討論や審議権をふくめて十分に保障され、少数意見も当然尊重される。また、国民の意思をできるだけ広く正当に国政に反映できるように、請願権の保障を充実し、18歳以上のすべての男女に選挙権をあたえることをふくめ、選挙制度を徹底的に民主化する。
 国民の生命、身体、財産、住居、往来の安全を守ることに国は責任を負う。暴力で基本的人権と人命、社会制度を破壊する行動は規制される。
 公務員は、主権在民の立場に徹し、いっさいの汚職や職権乱用の行為を厳禁される。

(ロ)現憲法は、その平和的、民主的な条項の大きな柱として、憲法5原則をもっている。(1)国民主権と国家主権(2)恒久平和(3)基本的人権(4)議会制民主主義(5)地方自治という、この憲法五原則は将来ともに守り、さらに充実、発展させる。いわゆる三権分立の原則も、発展的に継承する。これは、国民主権を前提として、立法権、行政権、司法権に相対的な独立性と相互規制の関係をもたせるものであるが、権力の乱用や人権侵害を防止する民主主義的保障の1つとして役立つであろう。
 三権分立制のもとで、裁判所は他の国家機関からの不当な介入をうけることなく、独立して司法権を行使し、裁判官の任命と身分保障も民主的に確立されなければならない。
 地方自治を擁護、発展させて、地方政治への住民参加をひろげる。

 国民の自由と人権の保障

 日本共産党は、市民的自由を擁護し発展させることは、不可侵の基本的人権と国民主権の保障にとって不可欠のものだと考える。

(イ)言論、出版その他表現の自由を、用紙や印刷手段の自由な利用の保障などをふくめ、擁護する。検閲を排除し、情報公開を確立する。新聞、テレビ、ラジオなどの報道機関にも、政府批判をふくむ報道の自由が保障される。表現手段などにめぐまれない人びとにたいしても、自己の思想や主張などを発表しうるように物質的な保障を確立する。この物質的保障は、あくまで表現の自由の不可侵を前提としたものであり、それを検閲や統制の手段とすることは許されない。
 集会、示威行進の自由、結社の自由、勤労者の団結権、ストライキ、団体交渉その他の団体行動権を全面的に擁護する。これらの権利の行使に必要な集会場その他の施設を充実する。
 思想・信条の自由、個人の良心の自由を完全に保障する。国民の精神生活への公権力の介入を排除し、思想・信条の違いによる差別を一掃する。いかなる世界観をも「国定の哲学」とせず、さまざまな思想、哲学の自由を保障する。
 企業のなかでも基本的人権と自由を擁護し、政治活動、政党支持の自由を保障する。政党所属や政党支持による差別を根絶し、労働組合組織による特定政党支持の義務づけを排する。
 布教、伝道の自由をふくむ信教の自由を無条件で保障する。すべての宗教的行事は国家にとって私事とみなされ、いかなる公権力の介入もうけない。政教分離の原則を守り、国家は、どんな宗教にも特権をあたえず、かつ差別しない。宗教団体が政治権力の行使に参加することを認めず、また公権力の機関ないし国公立学校が宗教教育その他宗教的活動をすることを認めない。特定の思想や信仰を権力で押しつけたり禁止したりする、いかなるイデオロギー的強制も認めない。

(ロ)学問研究の自由、創造、批判、発表、鑑賞をふくむ文化、芸術活動の自由を保障する。
 学問研究や芸術創造にたいする行政的規制を排除し、自由で民主的な批判、討論を尊重する。大学の自治、教育の自主性を擁護し保障する。学校教育の場で特定政党の支持または反対の教育をおこなわない。教職員の労働条件や教育・研究の諸条件を改善すると同時に、教師や研究者は青少年の教育ないし科学技術の発展について国民にたいして責任を負う。
 スポーツ、レクリエーションについては、大衆的に利用できる公共施設を建設して、国民の権利としてのスポーツ、レクリエーションが保障されるようにする。
 いじめ、体罰など、こどもにたいする人権侵害を許さず、退廃や非行からこどもを守り、その健全な成長と人格形成にふさわしい環境をつくる。青少年のすこやかな成長にたいする社会の責任と、女性の人格尊重を重視し、性の商品化、人間の動物化などから人間的尊厳を守る。

(ハ)男女の平等、同権をあらゆる分野で擁護し、その保障を確立する。女性の独立した人格を尊重し、社会的、法的な地位を高め、その社会的進出や積極的貢献を妨げている障害をとりのぞく。結婚、離婚は、もちろん当事者の自由であるが、そのさい女性が不利な条件におかれることのないようとくに配慮する。社会の各方面に残っている半封建的な残りものをなくし、いわゆる部落問題については国民的融合に努力する。わが国における少数民族というべきアイヌの生活と権利を保障し、その文化を保護する。

(ニ)国民1人ひとりの個人的自由は、最大限に守られなければならないし、私生活(プライバシー)は不当な介入から保護されなければならない。信書、通信の秘密を厳重に保護し、盗聴・盗み撮りはどのような形態のものも禁止される。また、旅行、移動、居住および職業選択の自由はもちろん、海外渡航や出国、国籍選択の自由も全面的に保障する。
 趣味、嗜好、モード、ファッションなどが個人の選択の自由にまかされることは当然である。市民生活へのいかなる統制や干渉も排除する。

(ホ)人身の自由を擁護し保障する。人身売買や暴行、人道に反する待遇、処罰を排除し、虐待をくわえた者は人間尊重の名において罰せられる。国民は、現行犯の場合を除いては令状なしに逮捕されず、法定の手続きによらなければいかなる刑罰も科せられない。政府と異なる意見や政見等を理由に逮捕、追放されるようなことはいかなる形式においてもありえない。刑事事件の被告人は公平で迅速な公開裁判をうける権利を保障される。

 (3)民族の自由――日本の自主的発展と対等・平等な国際関係の基礎
 各民族は、自国の社会制度や政治制度を自主的に選択する自由、外交、軍事、経済問題で民族主権を行使する自由をもつ。これは、各民族がもつ固有の権利であり、各民族の自由な発展にとって不可欠な条件である。日本国民がこの民族自決権を確固として回復するとともに、この権利を侵すものにたいしてたたかい、日本民族の自由を全力をあげて守ることは、もっとも重要な国民的課題である。
 自国の民族の自決権を擁護することと、他民族の権利を守ることは不可分のものである。各民族は、軍事、政治、経済などあらゆる分野で他民族を抑圧してはならない。各国人民が自国の進路と運命を自主的に決定する民族自決権を擁護し、帝国主義、覇権主義によるいかなる侵害にも反対しなければならない。日本国民が、他民族にたいするいっさいの干渉、抑圧、侵略に反対することは、すべての民族との対等、平等、互恵の関係を確立する道である。
 こうして日本は、真に独立した、平和な国として発展し、日本民族の自由が保障され、開花する。

(イ)日米軍事同盟から離脱し、日本国民が国の進路を自主的に決定する権利を獲得する。
 日米軍事同盟のもとで、日本は戦争に参加するか否かの決定権まで事実上アメリカににぎられ、世界諸国民の民族自決権を侵犯するアメリカの侵略・干渉基地にされている。この日米軍事同盟から離脱し、アメリカによって主権を侵害されている現状を打破して、日本国民みずからの意思にもとづき、民族の自由な進路をきりひらく。民主連合政府は、国会の承認をえて日米安保条約の廃棄をアメリカ政府に通告し、日米軍事同盟の束縛をなくす。これは、日本の主権を回復する重要な第1歩となる。日米軍事同盟から脱却したあとも、いかなる軍事同盟にもはいらず、非核・非同盟、中立の立場を守る。
 領土問題も民族主権にかかわる基本的問題であり、国際法の原則に立って、千島問題の公正な解決をはかる。中間条約の締結による歯舞、色丹のすみやかな返還、日ロ平和条約の締結による全千島の返還をめざし、ロシアと交渉をすすめる。
 日本は、核兵器を持たず、つくらず、持ちこませずの「非核三原則」を法制化し、人類にとって死活的に重要な緊急課題である核戦争阻止、核兵器廃絶のため核兵器完全禁止・廃絶の国際協定をめざす。またすべての軍事同盟を解消し、軍事同盟のない世界をめざす。

(ロ)他国の民族主権――「民族の自由」の尊重を、日本の外交政策の基本とする。
 日本は、日米軍事同盟によってアメリカの覇権主義的な世界戦略に組みこまれているが、軍事同盟からの離脱と中立の実現は、世界とアジアの平和、諸国民の民族的自決に貢献することになる。同時に、対米従属のもとでの日本軍国主義の復活強化を阻止し、日本独占資本の新植民地主義的な対外進出を根本的に転換させて、近隣諸国の民族に脅威をおよぼしている現状を大きくかえる。

(ハ)他国民の権利と自由を侵すいっさいの干渉主義、覇権主義、新旧植民地主義に反対する。現在の国際関係には、依然として他民族にたいする侵略、抑圧、干渉が横行している。アメリカ帝国主義は、ソ連解体後も、他民族にたいする軍事的侵略の政策を放棄しておらず、ベトナム侵略戦争をいまなお「正義の戦争」として美化する態度をとり、これを共通の「価値観」として、同盟諸国にも押しつけている。アメリカの軍政首脳部は、「地域紛争」の「抑止」あるいは「解決」を名目として、自分の気にいらない進歩的政権の転覆をふくめ、他国の内政への干渉をこととする「世界の憲兵」戦略を公然と採用し、これを、世界唯一の超大国・アメリカの当然の権利だとする立場をとっている。これらの干渉主義、覇権主義は、その国の人民が民族的主権にもとづいて自由に表明した自主的な選択を、外部からくつがえそうとするものであり、世界平和の利益と民族的自決の原則のもとで許されることではない。またアメリカ中央情報局(CIA)は、世界各地で謀略活動をおこない、日本でもCIAなどの非公然の形をとった秘密工作による日本の政治にたいする不当な干渉がおこなわれてきた。社会体制の別なく、国と民族の大小を問わず、すべての民族の自決権が尊重されなければならない。いかなる外国からのものであれ、またいかなる形態のものであれ、いっさいの干渉を排除し、民族の自主的な選択を守ることは、民族間の真の友好関係を確立するうえで不可欠である。

(ニ)国際的な経済生活の領域でも、諸民族の主権と自主性を尊重し、平等、互恵の経済関係、新国際経済秩序の確立につとめる。
 帝国主義の新植民地主義政策に反対し、発展途上国をふくむ対等、平等、互恵の国際的な経済関係を確立して、いわゆる「南北問題」を根本的に解決することは、現代の世界における特別に重要な課題である。世界の人口の圧倒的多数を占める発展途上国は、世界の生産ではわずかを占めるにすぎず、数億にのぼるぼう大な人口が、読み書きができないなどの低い文化水準と栄養不良、飢餓に苦しみ、生存の自由をうばわれている。これは、発展途上国にたいする帝国主義の植民地主義的収奪政策の結果である。この状態を放置することは、人類の尊厳、人類全体の生存の自由にとって許されないことである。発展途上国の政治的主権はもとより、資源にたいする民族主権を尊重し、対等、平等、互恵の経済関係を確立することは、現代の世界における民族間の関係の自由で豊かな発展にとってきわめて重大な問題である。
 地球的規模での環境と資源の保全のために、多国籍企業などの無責任な利潤第一主義の行動を規制することも、今日の緊急の人類的な課題となっている。

(ホ)日本が社会主義の道にふみだした段階でも、自国の民族の自由を擁護し、他民族の自由を尊重する方針をひきつづき堅持する。社会主義、共産主義の事業の世界的規模での勝利によって諸民族間の関係にも、資本主義、帝国主義の時代には考えられなかった接近と融和の新しい可能性が生み出されるが、戦争も侵略もなくなる諸民族の接近と融和、協調の新しい展望は、民族の自由の徹底的な擁護と実現の道をつうじてのみ、きりひらかれる。
 こうして、日本共産党は現在から将来の社会主義日本にいたるまで、国民の生存の自由を守って、ますます豊かな国民生活をめざしていくと同時に、市民的政治的自由を擁護、開花させ、民族の自由を守り、発展させるために努力する。これらの自由と民主主義の全面的な擁護、発展は、国民の未来への自主的責任にたった日本共産党の確固たる展望である。日本共産党は、この壮大な事業の実現に向かって日本国民とともに前進することを宣言する。
(了)
76回目の12・8−戦時下の東北大学を振り返り、今を生きる姿勢を考えました[2017年12月10日(Sun)]
 76回目の12・8−エルソーラで開催された宮城革新懇の集会で柳原敏昭・東北大学文学部教授の講演を聞きました。
 柳原氏は歴史学者で専門は中世史ですが、東北大学100年史の編纂に携わりました。
 東北大学では、戦時下に軍事研究のために理工系の研究所が次々につくられ、定員削減も学徒動員も最初は法文学部に対して行われました。最近の下村博文・文部科学大臣による人文科系学問を軽視する発言を歴史の中に置いて考えると、戦争する国家づくりと人文系学問軽視が表裏一体であることが浮かび上がります。
 昭和3年当時に「左翼学生のいない大学」と言われた東北大学でも昭和8年に学内浄化運動がおこり、侵略戦争と植民地支配に突き進む時流への抗いがありました。しかし、1937年の人民戦線事件のあと、時流に迎合する動きが生まれ、坂道を転がり落ちるように破局に向かっていきました。
 歴史に「たら」「れば」は禁物ですが、人民戦線運動が持ちこたえていたら、それがもっと力をもっていればと考えてしまいました。現在の「市民と野党の共同」を広げることの意義が歴史から浮かび上がってきた、すばらしい講演でした。

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日本共産党の不破哲三・前議長が、自由と民主主義をめざすことが社会主義の神髄だと解説ーロシア革命100年を問う「朝日新聞」のインタビュー[2017年11月18日(Sat)]
 日本共産党の不破哲三・前議長のインタビューが11月17日の「朝日新聞」に掲載されました。
 ロシア革命から百年が経過した節目を機にした記事で、不破氏はロシア革命が民主主義の原則を世界中に定着させた転機になったと論じています。
 一方で、旧・ソ連が積極的役割を果たしたのは短い期間で、レーニンの後で「指導者」になったスターリンが、ナチス・ヒトラーと組んで世界分割に乗り出し、大国主義の害悪を広げたことを紹介。「過去に覇権を握った歴史を持つ国は、新政権ができても大国主義が復活しやすい」として、中国への危惧を表明しています。私は、「日本もどうか」と考えてしまいました。
 不破氏は、スターリンとその後のソ連・中国などの大国主義・覇権主義を念頭に置いて、徹底的な自由をめざすマルクスの思想が誤解されていると指摘し、日本共産党の名前を変えてはどうかという意見に対して、「誤解を取り除く本格的努力をしないで、名前だけ変えて当面を糊塗する」やり方はとらないという考えを示しています。
 自民党政治について不破氏は、最近の自民党は劣化していると述べています。興味深く読みました。
 聞き手は、「朝日新聞」の三浦俊章氏と池田伸壹の二人です。


 ロシア革命から100年。労働者による革命で社会主義を打ち立てようというマルクスの思想が、ソ連という国家の形で実現し、世界は大きく揺さぶられた。だが、国際社会を二分する冷戦を経て、ソ連は1991年に消滅する。革命は世界をどう変えたのか。いま社会主義とは何か。日本共産党の不破哲三前議長に聞いた。

――ロシア革命を今日、どう評価しますか。

 「20世紀初頭は、資本主義が全世界を支配していた時代でした。その時、資本主義に代わる新しい社会を目指す革命がロシアで勝利した。マルクスの理論の中でしかなかった社会主義が現実化し、世界に大きな衝撃を与えたのです。社会党などがあった国では、左派が共産党に発展する。日本のように社会主義者はいるが、政党がなかった国にも共産党が生まれた。影響は世界に広がり、第2次大戦後には、中国やベトナムなどで革命が起きた」
 「もうひとつ大事なことは、ロシア革命が起点となって、民主主義の原則が新たな形で世界に定着したことです。のちに社会的権利と呼ばれる労働者の権利が、革命後の人民の権利宣言で初めてうたわれた。男女平等を初めて憲法に盛り込んだのもソ連の最初の憲法でした。革命は第1次世界大戦中に起きたが、革命政権は、大戦終結の条件として、民族自決権の世界的確立を求めた。これは国連の植民地廃止宣言に実りました。世界の民主的国際秩序の先駆けとなる原則を打ち立てました」

――ロシア革命の功罪のうちの「功」ですね。では、「罪」はどうでしょうか。

 「ソ連が積極的役割を果たしたのは革命後の短い期間、レーニン(1870〜1924)が指導した時期でした。それをどんでん返しにしたのがスターリン(1879〜1953)です。晩年のレーニンはスターリンの大国主義など危険性に気づいて闘争を開始したが、その途中で病に倒れた。スターリンは、一連の内部闘争を経て30年代には共産党と政府の絶対的な支配権を握り、社会主義とは本来無縁の独裁者になってしまった」

――スターリンの負の側面が暴かれたのは56年のフルシチョフによる批判以降です。それ以前の、たとえば不破さんのスターリン観は。

 「ソ連は革命後の困難を乗り越えて、第2次世界大戦で米英と組んで勝利したのだから、スターリンはすごい人物だと思い、スターリン全集なども全巻読んで研究したものです。ソ連で起こったスターリン批判はまだごく部分的なものだった。私は、1964年、党本部に入って理論部門を担当して、ソ連の『悪』にぶつかり、スターリンの指揮でソ連が日本共産党に内部干渉して、党を一時分裂させた歴史も知った。日本の革命は日本の党自身で考えて答えを出すという『自主独立路線』はこの痛苦の歴史から確立したものです」
 「スターリンについては、コミンテルン(共産主義インターナショナル)書記長ディミトロフが詳細な日記を残しており、私は最近、これらの内部資料を使って全6巻の『スターリン秘史』を書き上げました」

――何がわかりましたか。

 「スターリンは、第2次世界大戦でヒトラーを破ったが、戦争の始まる瞬間まで、ヒトラーと組んで世界を再分割する夢に酔っていた。戦争の時期にも、大国主義の野望は捨てない。東欧を支配し、対日参戦の条件に領土を要求する。今の中国にもその危険があるが、過去に覇権を握った歴史を持つ国は、新政権ができても大国主義が復活しやすい」
    
――現代の世界についてはどう見ているのでしょう。

 「21世紀ほど貧困と格差がひどくなった時代はないでしょう。さらに資本主義による最大の害悪は、地球温暖化だと思います。エネルギー消費量がケタ違いに増えてこれほど環境を破壊するとは、誰も予想しなかった。この問題を解決できるかどうかで、資本主義の、人間社会を担う力が試されると言ってもよい」

――それを解く力が社会主義にあるということですか。社会主義も現実には、統制経済の破綻(はたん)など失敗の連続ではありませんか。

 「マルクスの考えは、十分な生産力が発達し、自由な人間関係が生まれる経済的基盤があって初めて社会主義が生まれるというものです。しかし、現在までに革命を成功させた国は、欧米の先進国ではなく、ロシアやアジアなど発展の遅れた国でした。社会主義に到達した国は世界にまだ存在しないのです」

――マルクス主義の可能性はまだあると。

 「マルクスの理論は、長く誤解されてきました。本当に自由な社会をつくるのが、社会主義の根本論なんですよ。政治的自由だけでなく、生活が保証された上で、自由に使える時間があり、人間の能力を自由に発展できる社会を目指していた。資本主義の段階で生産力をそこまで発展させるのが大前提でした。日本ぐらいの生産力があれば、人間の自由を保障することは十分できる。資本主義に取って代わる社会像に向けての変革の運動とその成功の条件は、資本主義自体の中から生み出されると思います」

――不破さんは日本政治の変遷を見てきました。政治はどう変わりましたか。印象に残る人物は。

 「80年に一部の野党が『共産党を除く』という原則を唐突に打ち立てました。戦前の抑圧とは違うが、共産党排除という異様な政治体制が34年続きました。それ以前はマスコミでも、ひとつの政党として自然体で見られていました」
 「60年代、私が国会議員になる前に新聞の企画で、幹事長時代の田中角栄さんと顔を合わせました。政治家としてなかなか面白かった。彼が首相の時に、私が書記局長で国会論戦をずいぶんやったけれども、石油ショック後の物価高のこと、米軍の原子力潜水艦の入港の際の放射能監視のでたらめさなど、問題を指摘するとしっかりと認めて、『自分の責任でやる』と言って、実行するだけの幅がありました。いまの安倍晋三首相は野党との論戦に応じようとしない。自民党は劣化したんだと思いますね」

――なぜ劣化したのでしょう。

 「自民党政治の中身は財界密着と対米従属で、昔から変わりませんが、今は『戦前回帰』というウルトラ右翼の潮流が加わった。それに小選挙区制の問題もあります。党本部が候補者を選ぶので、派閥を超えて総裁が体制をがっちりと握っている。かつて『三角大福中』が首相の座を競い合ったような活力はない。さらに秘密保護法をやり、上級官僚の人事を全て官邸が行う。政治私物化の道具立てがそろってしまった」
 「野党が憲法に従って臨時国会を要求したら、遅らせて、いざ開くとなったら冒頭解散。選挙まで私物化した。自信のなさの裏返しではないか。昔の自民党のほうが強かったのではないでしょうか」
    
――今回の総選挙で共産党は大幅に議席を減らしました。過去にもブームがありましたが、ある地点で壁にぶつかります。

 「日本共産党が前進したときには、必ず反攻作戦が組織されるのが、戦後政治の一つの特徴で、先ほどの『共産党を除く』の壁もその代表的な一つでした。それに負けないで前進する条件をつくってきたのが、私たちの歴史だった。今度の党自身の後退は、『市民と野党の共闘』をめぐる状況の突然の変化の中で起こったことで、『壁』の再現とは位置づけていません」

――共産党と他の野党との協力は野合だと批判されました。

 「綱領の一致は政党の『合同』の条件であって、『共闘』の条件ではない。綱領の違う政党が当面の国民的重大問題で一致してたたかうのが、共闘の本来の精神です。選挙中も訴えたことだが、第2次世界大戦でヒトラーがフランスを占領した時、宗教界から『神を信じる者も信じない者も』という声が上がり、これが抵抗運動・レジスタンスの精神になりました。今、日本の『市民と野党の共闘』を支えているのは、まさにこの精神だと思います」

――共産党という名にアレルギーがある人もいます。より広い層に訴えるために党名変更すべきだ、という議論があります。

 「いわゆるアレルギーの大もとには、いろいろな誤解があります。例えば、ソ連型、あるいは中国型の社会を目指している、という誤解。今度の選挙戦の教訓からも、そういう誤解を取り除いてゆく日常的な努力を全党を挙げて強めるつもりでいます。日本共産党は、戦前から95年、この名前で活動してきたが、将来的には、21世紀から22世紀をも展望しながら、日本に理想社会をつくるために活動する政党です。党名には、その目標が体現されています。誤解を取り除く本格的努力をしないで、名前だけ変えて当面を糊塗(こと)するといったやり方は、日本共産党の辞書にはありません」
  
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日本共産党は、民間企業に何を期待し、何を約束するか(不破哲三氏の講演記録)[2016年04月14日(Thu)]
日本共産党は、民間企業に何を期待し、何を約束するか
不破 哲三
雑誌『前衛』(1999年2月号)より
 
 1998年12月4日、高井伸夫法律事務所主催の年末講演会で日本共産党の不破哲三委員長(当時)が、上記テーマの講演をおこないました。高井事務所は、企業の顧問弁護士として人事労務の代理業務をおこなっている事務所です。講演会には、東証一部上場の企業経営者や人事労務担当者など四百人近くが参加し、熱心にメモをとる姿やしきりにうなずく姿がめだちました。
 不破委員長の講演終了後には、「現状分析には、ほぼ同感だ」「怖いものみたさできたが、民主的改革を国民多数の意思で、という話は初めて聞いた」「従来いだいていた共産党のイメージとは違うと思った」などの感想がだされました。
 以下は、不破委員長の講演の全文です(本誌掲載にあたり、不破委員長が、若干の整理・加筆をおこないました)。
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一 演題のいわれ
 みなさん、こんにちは。
 いま、私がこの講師になって驚かれたというご紹介がありましたが、私もたいへん驚いております。(笑い)
 ひとつは、頼まれたのがおととしの十二月なんですね。この会合はいつもそうなのかもしれませんが、だいたい来年の話ではなく再来年の話を、しかも十二月の話を二年前に持ってこられたというのは、私としても初めてのことでありまして(笑い)、もちろんそんな先まで日程が詰まってはいませんから、一も二もなくお引き受けしたのです。これがひとつの驚きです。
 それから、二カ月ほど前でしたか、高井さんがお見えになって、演題はこう決めたといわれるんです。何かと聞きましたら、「日本共産党は、民間企業に何を期待し、何を約束するか」と(笑い)。これも私、こういう話はやったことがありませんから、おもしろいテーマだと思い、そのままお引き受けしました。このふたつが、今日の会合にうかがう前に私が驚いたことであります。
 なかなか大きな問題で、どういう角度からお話ししたらいいかを考えたんですが、私たちが、日本の社会、日本の政治、日本の経済というものを、どのように改革したいと思っているのか、そのことをお話しし、私たちの考えを聞いていただいて、そこから期待とかお約束とかいうものも――あとでそれなりにいいますけれども――汲み取っていただければと考えまして、少しそういう大づかみな話をさせていただきたいと思います。

二 私たちの日本社会・改革論
 私たちが、社会や政治、経済の改革を考えるとき、そこには大きくいって特徴がふたつあります。
 ひとつは、世の中というものは、いっぺんでがらっと変わるものではなくて、段階を追うように一歩一歩変わってゆくものだということです。
 どんな改革でも、国民のみなさんの間でその条件が熟して、この改革が必要だということになって、それで初めて前へすすむことができます。
 そのように考えている政党ですから、私たちは、社会の「段階的改革論」者といいましょうか、「段階的な発展論」者といいましょうか、そういう立場で、戦前から筋をとおしてきました。
 もうひとつは、その段階――階段にたとえてみますと、その一段一段ですが、そこを上がるのは誰かというと、私たち日本共産党が勝手に上がるわけではないんですね。
 「国民が主人公」という主権在民の国ですから、この階段を上がるのがいいのか悪いのかということについて、われわれは提案をいたしますが、実際に階段をその意思で上がるのは国民のみなさんです。どんな場合でも、国の主権者であり、主人公である国民のみなさんの多数の意思で階段を上がる。かりに上がったら失敗だったという場合も、下りるときには多数の意思で下りる。
 どんな改革も国民多数の意思でやるということ、社会科学の用語で「革命」という言葉を使いますと、これは、「多数者革命」ということになります。
 このふたつの点、階段を上がるように社会を一段一段変えてゆくということと、その階段のどんな一段も、国民の多数の合意でやるということ。これが、私たちのいわば信条といいましょうか、私たちの日本改革論のいちばんの基本なんですね。

三 いま目の前にあるのはどんな階段か
 では、いま日本共産党は、日本の社会はどんな階段を目の前にしていると考えているのかというと、これは社会主義の階段ではないのです。
 私たち、このごろよく「ソフト」といわれますが、そういわれるようになってから「ソフト」な話をしはじめたわけではありません(笑い)。実は、三十数年前に、党の綱領というものを決めるとき、ずいぶん議論がありました。「すぐ社会主義への改革だ」という意見もあったんですが、そうではないんだということで決めたのが、いまの綱領です。その改革の中身を私たちは「資本主義の枠内での民主的な改革」と呼び、この言葉でいまの日本社会が直面している改革というものをとらえています。
 実をいいますと、世界に共産党という名前の党はずいぶんあって、ヨーロッパの資本主義国にも、他の資本主義国にも、大きい党、小さい党、いろいろあるんですが、当面の改革の問題を、「資本主義の枠内の民主的な改革」として、そこまできちんと性格づけてとらえている党は、わりあい少ないんです。
 ソ連があって、その影響が強かったころは、「改革」といえば、まず何をおいても社会主義だ、そこまでゆかなくても国有化だ、という考えが各国でかなり流行(はやり)ました。しかし私たちは、そのなかでも、三十数年前から、この立場でずっと通してきました。
 ですから、外国のいろいろな党と交流しますと、ある時期までは私たちの自主独立の立場に非常に興味があり、ソ連とも中国とも論争したりたたかったりしてきた党ということで、私たちのところに話を聞きにきたものですが、かなり交流がすすみますと、こんどは、「資本主義の枠内での民主的な改革」とは、いったい何をやろうとしているんだ、というところに、興味・関心が向けられてきました。ヨーロッパの人たち、アメリカの人たち、そのなかには共産党の人もいれば、そうでない人もいるのですが、たいへん強い関心でした。
 私たちは、そうした考え方に立っているということを、まずあらかじめひとつの大前提として、見ておいていただきたいと思うんです。

四 「資本主義の枠内の民主的改革」とは
  安保・外交――基地国家から非同盟・中立・独立の日本へ

 つぎに、その「資本主義の枠内の民主的な改革」とは何なのかということですが、私ははっきりいって、いまの日本は、世界の資本主義国のなかでも、ゆがんでいる度合い、いびつの度合いが相当ひどいと思っています。政治・外交・安保でも、あるいは国内の内政・経済でも、いびつの度合いがひどい。このひどいゆがみを直す――一口でいえば、「資本主義の枠内の民主的改革」とは、そういうことだと考えていただいて結構です。
 今日は、各分野の経営者をはじめ経済界のみなさんの集まりですから、重点は経済ということにして、外交・安保の話は簡略にしましょう。
 いま世界にアメリカと軍事同盟をむすんでいる国はずいぶんあり、アメリカの軍隊がいる国もあります。しかし、その国を守る任務をもたない、もっぱら海外遠征が任務だという軍隊を大量において、そこを足場にして外へ出ることが基地の役目だという国は、世界に日本しかないのです。
 海兵隊というのは、海外出撃専門の地上部隊で、アメリカには三個師団ありますが、海外にいるのは沖縄の第三海兵師団だけです。あとは全部本国です。つまり、これは、海外出撃専門の部隊だから、普通なら他の国にはおけないものなんです。しかし、日本は、第二次大戦でアメリカに負けて占領されたということで、その海兵隊がずっとおかれています。
 さらに航空母艦を中心にした機動部隊があります。航空母艦ですから、もっぱら外国に出てゆき、いざというときには外国を攻撃する部隊です。アメリカの機動部隊で、アメリカ以外の国に「母港」をもっているのは、横須賀を「母港」とする第七艦隊だけです。いま米海軍には、たしか十二隻の空母(現役)がありますが、大西洋で活動している部隊でも、地中海で活動している部隊でも、仕事が終われば「母港」がある本国に帰る。アメリカの第七艦隊に属する航空母艦だけが、ひと仕事したら「母港」の横須賀に帰って家族に会ったり、必要な修理や補給をしてまた出かけてゆく。こうした空母機動部隊にも、「母港」を提供する国は、日本のほかにはないんですね。
 アメリカのペンタゴン(国防総省)の文書を見ても、日本にいる在日米軍部隊は「日本防衛の任務」をもっていない。日本を足場に海外に出撃することが主任務なんです。
 ですから、アメリカが戦争状態に入ったら、日本はいやおうなしにそのアメリカと運命共同体になる。そのために、ふだんから、日本の外交もゆがみ、沖縄などがひどい目にあっている――これが日本の現状です。
 日本ももう戦後五十年以上たっているのだから、そろそろ世間なみに、外国の基地のない本当の主権国家――われわれは非同盟・中立・独立といいますが、そうした国になって、アメリカとも軍事同盟ではない普通の平和友好条約を結ぼうではないか、こうして外交・安保面のいびつを直そうというのが、この面でのわれわれの改革の提案です。

五 内政――「ルールなき資本主義」からの脱却
  (その一)企業の活動の面での民主的なルールづくり

 今日の本題である経済の問題についていいますと、私たちは、日本の資本主義というのは、国民の生活や権利を守るルールがなさすぎるといいますか、弱すぎるといいますか、これが非常に大きな特徴だと考え、現状を「ルールなき資本主義」という言葉で呼んでいます。
 この状態から脱却して、せめて世間なみのルールのある社会のしくみ、経済のしくみをつくろうではないかというのが、私たちの大きな改革の目標です。
 このいびつさについて、一年前の赤旗まつりという私たちのお祭りのときでしたが、私は、あだ名をつけたことがあります。外交・安保面でのいびつさは「アメリカ基地国家」、米軍基地がすべてということです。内政の面でいうと、「大企業・ゼネコン国家」と名づけました。今年の演説では、それだけでは足りなくなって、「大企業・ゼネコン・大銀行国家」と呼びました。憲法では国民が主役になっていますが、実態としての主役は違う。そこらあたりを改革しようというのが私たちの大きな改革の基本方向なんです。
 よく、「共産党は大企業を敵だと思っているのではないか」という方がいますが、私たちは、そういう立場ではありません。私たちの改革では、大企業の横暴、特権のいびつさを直そうというのが目標で、日本経済で大企業がはたす役割は否定しないし、経済のまとまな発展の一翼をになってほしい、と考えています。その立場からも、大企業の横暴、特権のいびつな現状を直すことが大事で、このことを経済改革の目標にかかげてずっとやってきました。
 日本の資本主義の特別のゆがみ、いびつさには、大きくいって二つの面があります。
 きょうは経済界のみなさんが多いので恐縮ですが、まず第一に、企業の行動のいびつさがあります。それから、第二に、政府と経済の関係にかかわるいびつさがあります。

企業の活動に世間なみのルールがない――経済界のトップの論文から

 まず企業の行動についていうと、六年ほど前に、経済界のトップの方が、ある雑誌に論文を書きました。それを読みましたら、立場はまったく違うのですが、私たちの考えと非常によく似ている。その方は、いまは現役を退いていますが、論文の内容は私たちはいまも拝借してよく紹介します。それは、当時ソニーの会長だった盛田昭夫さんが、『文芸春秋』九二年二月号に書いた「『日本型経営』が危ない」、サブ見出しは「『良いものを安く』が欧米に批判される理由」という文章です。
 自分が、電機関係の経営のトップとして、ヨーロッパにゆく、アメリカにゆく。その国の政府とのつきあいもあれば、財界とも会う。そうやってつきあってゆくと、“日本でこれがいいと思ってやってきたことを、このままやっていると世界で相手にされなくなる”、そういう危機感から、現状批判と改革論を提案されたのです。
 経営トップで財界の方ですから、われわれとはずいぶん違う話をされるのだろうと思ったのですが、具体的に読んでみるとそうではありませんでした。
 たとえば盛田さんは、日本の企業の活動について、“これは世界に通用しない”という問題点を六つほどあげています。

 一つは、従業員との関係で、まず労働時間の面で欧米と格差が広がってしまった。イギリス、ドイツ、フランス、アメリカの労働時間と比較して、大きな格差がついているということです(盛田さんは、一九八九年の年間総労働時間の比較として、日本の二千百五十九時間にたいして、アメリカ千九百五十七時間、旧西ドイツ千六百三十八時間、フランス千六百四十六時間という数字をあげています)。いまは不況ですから日本の労働時間は平均的に減っていますが、大もとの関係では、いまもこの格差がつづいています。
 二つ目は、従業員にたいする成果の配分――賃金の問題になりますが、この割合が欧米とくらべてたいへん悪い(盛田さんがあげているのは、一九八〇年〜八四年の五年間平均の労働分配率で、日本の七七・八%にたいして、アメリカ八〇・三%、旧西ドイツ八八・八%、フランス八九・二%という数字です)。
 三つ目は、株主の配当が非常に低い。
 四つ目は、取引先・下請け企業との関係が対等・平等でない。「セットメーカーと部品供給企業の関係を例にとると、欧米では両者の関係が対等であるのに対し、日本では一般的には長期継続的取引が行われて両者に安定的な関係が築かれる半面、納期や納入価格などの面でセットメーカー側に有利なように決定されることが見受けられます」(盛田)。ずいぶん遠慮がちな言い方ですが、要するに親企業が下請け企業をいじめすぎている、ということでしょう。
 五つ目が、地域社会との関係で、「日本の企業は地域社会への貢献に積極的とは言いがたい」(盛田)。
 六つ目に(これは、改革提言の部分でですが)、盛田さんは、「環境保護および省資源対策に十分配慮しているか?」「環境、資源、エネルギーは人類共通の財産であることを強く認識するべきではないか」という問題をあげています。やはり、日本企業が環境の汚染や破壊に無関心であることを、痛感しているのでしょう。

 このような問題点をあげ、ここを解決しないと、いくら「よい製品を安く」つくっても、世界から「ルール破りだ」と叩かれるだけ、そこをなんとかしないと、世界のなかでやってゆけなくなる、こういうことで一連の改革の提案をしていました。
 盛田さんのこの提案は、私たちが“「ルールなき資本主義」から脱却し、国民の利益にかなうちゃんとしたルールを確立しようではないか”といっていることと、ほとんど合致しています。
ルールづくりは社会全体のしくみの改革が大切
 盛田さんの議論でもうひとつ共感したのは、そうした改革を、ではどのようにやったらよいのか、ということについての考え方の問題です。「日本の現在の企業風土では、敢えてどこか一社が改革をやろうとすれば、その会社が結果的に経営危機に追い込まれてしまうような状況が存在しています」(盛田)。まわりがやらないのに自分だけがやったら、かならず失敗してしまうということです。実は私は、この文章を読んだあとでソニーの職場の労働者に会ったとき、「盛田さんはこんな論文を書いているけど、会社はどんな調子?」と聞きました。「いやぜんぜん変わってません」というのが答えでしたが、やはり、一社では無理だということですね。
 一社では無理だから、社会全体のしくみとして変えなくてはならない。盛田さんの主張では、ここで提案しているような「日本企業の経営理念の根本的な変革は、一部の企業のみの対応で解決される問題ではなく、日本の経済・社会のシステム全体を変えていくことによって、初めてその実現が可能になる」。一社ではできない改革も、こうすればできるようになる、ということです。
 この意見は、私たちが、政治と社会の側できちんとしたしくみとルールをつくり、これを社会的に守ってゆく体制をつくろうではないか、といっていること――大企業にたいする民主的規制――と、いわば方法論がよく似ていることを痛感しました。
 このように、私たちが感じていることを、ぜんぜん別の側にいる企業のトップの方が同じように感じている。私は、そのことをたいへん印象深くくみとりながら、この論文を読みました。
 率直にいって、いまの国会は「規制緩和」ばやりです。もちろん、官僚的な古い規制を撤廃したり直したりすることは当然のことですが、日本では、いまあげたような、企業の行動にかかわるいちばん大事な問題で、社会的コントロールが弱いのが実態です。欧米にはあっても日本にはルールがないという問題がいっぱいある。残業時間ひとつをとっても、その上限が法律で決まっていない。そうした問題について、世界を見渡しながら、日本の資本主義のルールづくり、世界に通用するルールの確立を、企業の活動の面でも考えたいというのが、私たちが考えている民主的改革のひとつの柱です。

六 内政――「ルールなき資本主義」からの脱却
 (その二)あまりにも大企業本位の異常な逆立ち政治をただす
  政府には、十年、二十年先の日本社会を考えて政治にとりくむ責任がある

 もう一つの柱は、政治と経済のかかわりというか、経済への政府の側からのかかわりです。さきほど「大企業・ゼネコン・大銀行国家」と、この席にはあまり好ましくないと思う方もいらっしゃるかもしれないあだ名を紹介しましたが、そういって不思議でないくらい、この面でも日本でのゆがみは極端になっています。
 最近、経済界の何人かの方がたと話しあう機会がありました。そのときのことですが、外国の政府と日本の政府の違いが話題になって、ヨーロッパのある政府などは、なかなか先をよく見てやっている、という方がいました。私はそのとき話したのですが、やはり資本主義の国であっても、国をあずかっている政府というのは、いまのこと、一年先のことだけを考えてやっていたのでは役目は果たせない、やはり十年先、二十年先を考えて政治をやらなければならない。いまこれをやったら、当面経済界に不利になるからダメだということであっても、十年、二十年先を見通して社会を維持してゆくには、これが必要だということを、政府はやらなければならない。ところが日本では、政府の政策もすべて財界との相談ずくだから、ゆがみが毎年積み上がって、最後にはたいへんなことになる。こういう話をしましたら、その席にいた経済界の方がたともかなり意見が一致したんです。そうした問題点が、日本の政治には大きくあります。
 政治のゆがみというその問題を、今日は三つほどの角度からあげてみたいと思います。
大銀行への応援だけで景気対策になるのか
 ひとつは、いまの深刻な不景気のなかでの景気対策です。参議院選挙のときに、私たちは、いまの不景気は昨年の消費税増税をはじめとした九兆円の負担増にある、そこから国民の個人消費がずっと冷え込んできた、だから、そこをまず直そうではないか、消費税を減税して税率をもとの三%にもどそうではないか、という提案をしてきました。
 ところが、政権党である自民党のほうは、国民生活よりも金融があぶない、銀行をどう助けるか、その体制をどうつくるかが大問題だ、それが片づけば、日本経済はうまい軌道にのるという言い方で、今年初めから、三十兆円の銀行支援の枠組みづくりなどにもっぱら力をそそいできました。だから私たちは、選挙のとき、“政治が大銀行の応援団になるのか、それとも国民の消費の味方、暮らしの味方になるのか”というスローガンを中心におしだして、訴えました。
 しかし、選挙後の八月〜十一月の臨時国会では、完全に銀行応援の話だけに終始し、しかも銀行応援に税金をつぎこむ枠組みは、最初の提案の三十兆円が最後には六十兆円にふくれあがりました。本来なら、それにつづくいまの臨時国会で、本格的な景気対策を検討するはずでしたが、そこでも、肝心の、国民多数の消費をあたためる話は、ろくろく出てこないのです。
 いったい、こういうやり方が、世界の資本主義国どこでも当たり前の話なのか、世間並みなのかというと、これがまた、世界の資本主義国での常識との違いがたいへん大きく出ている分野なのです。
 そのことを、先日、アメリカの経済学者の書いた文章を読んで、あらためて痛感しました。
 アメリカにガルブレイスさんという、七〇年代にアメリカ経済学会の会長をやったこともあり、六〇年代にはケネディ政権のインド大使をやったこともある、政界にも経済界にも関係深い方がいます(現在はハーバード大学の名誉教授)。その方が日本経済新聞(九八年十月九日付)の「経済教室」という欄に、いうならば、日本政府とアメリカ政府に忠告するという立場から文章を書いていました。これを読むと、いままさに日本の国会で議論していること、選挙で問題になったことについて、アメリカの主流の経済学者がどう見ているかが、非常によくわかります。

ガルブレイス教授の忠告

 ガルブレイス教授は、最近の経済情勢について、アジアの危機に日本も巻き込まれ、アメリカもあぶなくなってきた、正直にいって「米国経済もまた深刻で危険なもろさを抱えており、そのぜい弱性はますます顕在化しつつある。世界経済の安定にむけて、米国はもはや確実に信頼できる力を持っていないのである」との見方をまずのべます。
 そして、そのアメリカと日本に、「危機」が波及したとき何をなすべきかについて提言したい、として、こういいます。
 ――バブルの崩壊は別にめずらしいことではない。これは、「資本主義下で市場経済システムが内包する基本的な特質」であって、投機ブームとその崩壊の歴史は数百年前にさかのぼるものだ、だから、バブルとその崩壊を、「通常の経済的現象の一部」として見ること、とくに「バブル崩壊」が「経済の調整が進展する過程」としてとらえるべきである。
 つまり、バブルがあれば、そのあと必ず崩壊する、それは、経済の矛盾を調整する過程であって、そこで無謀、無能な組織は市場から排除されることになる。それは痛みをともなうが、それは必要な調整過程であって、それによって、見識のないものも正常な感覚をとりもどすようになる、そこが大事だというのです。
 こういう見方にたつと、バブルの崩壊後に、政治がなにをやるべきか、なにをやってはならないのかが、よく分かると、ガルブレイスはいいます。
 そうした時期に、政治がいちばんやってはならないことだが、ついやりたがることがある、といってなかなか面白いことを指摘するのです。
 それは何か。
 ――無謀にも投機ブームを招き、バブルを膨張させた経済主体を救済するようなことは避けるべきなのだが、経済危機のごく初期にはよくこの過ちを犯す。……すなわち、経済危機を招いた張本人が最初に救われるのが実態なのである。

 これは、日本の政府のやってきたことへの痛烈な批判となっています。
 問題を日本に引きなおして見ますと、バブルを引きおこし、今日の経済危機を招いた張本人は銀行でしょう。また銀行の裏には不動産・建設関係があります。ここがバブルを仕掛けた「経済主体」だし、その崩壊で日本を大変な不況におとしこんだ「経済主体」です。バブルが崩壊したときには、当然、銀行・ゼネコンの経営も苦しくなります。しかし、そこはバブルを引き起こした中心なんだから、政府としてはそこを助けたくなるかもしれないが、それをやってはダメなんだ、というのが、ガルブレイスの第一の主張なのです。
 そんなことをやると経済の調整がすすまなくなる、経済危機のごく初期にこの過ちを犯すと、危機をずるずる長引かせて、問題の企業のまわりの“罪なきもの”をいっそうひどい目にあわせることになる。罪もない従業員とか関係の下請け企業に転嫁されたり、一般国民にツケがまわされる。だから、これはやってはいけないことだと、きわめて明確に断言しています。
 ガルブレイスはつづけていいます。「崩壊したバブルへの的確な対応は、経営方針を誤ったり投機に走った銀行や企業には自ら責任をとらせることにある」。責任をとらせれば、つぶれるところも出てくるし、失業者も出てくる。そういう“罪なき”人たちにたいして、国が、その現場で援助することが大事だというのです。
 「それによる経済への悪影響は、罪なく苦境に陥った人たち――ガルブレイスは、バブルとその崩壊に責任・罪のある人と、罪がないのにその結果によってひどい目にあう人たちとを厳格に区別するのが特徴ですが――とくに失業者とその家族への公的資金を進めることでカバーすべきである」(ガルブレイス)。
 それから、国はさらに、公共サービスを増やして新たな雇用機会を最大限提供しなければいけない、といいます。「公共」といっても日本とは違い、ゼネコン型公共事業は出てきません。まず、一般の「公共サービス」、さらに「教育」のサービスを増やさなければならないといい、そのあとに「建設」がでてくる。これも、国民無視のゼネコン仕事ではもちろんありません。「社会的に必要で有益な活動分野」で新たな雇用機会を最大限提供してゆくことです。
 さらにガルブレイスは、「もう一つ欠かせないものがある」、それは「機動力があって的確な判断力を備えた政府である」といいます。これも、「機動力と判断力」に欠けた日本の政府の現状を心配しての忠告と聞こえますが、そうした機動力と判断力をもった政府の役目は何かというと、「それは破たんした企業を救済することではない」と重ねていいます。「そうではなく、非難されるいわれのない国民の所得や雇用、福祉を改善・向上させることがより重要であり、それが政府の使命だからである。所得を消費に向かわせ、購買力を持続させるよう政策的に支援すべきである」。こうすれば、消費が拡大して不景気から抜けだすのに役立つ。
 これはおそらく、アメリカの経済学界では常識なんでしょう。最近の日本やアメリカを見ていると、どうもこの常識からずれて、おかしくなっている、常識をきちんとわきまえて経済危機にふさわしい行動をとるよう、日本とアメリカの政府に忠告したい、という言い方です。
 このように、政治にかなり関係の深いアメリカの経済学者が、“やってはいけない”といっていることを、日本の政治はずいぶんやってきたし、“やらなければいけない”といっていることをやらないできた。いちばん“やらなければいけない”とされていることは、十一月〜十二月の臨時国会でもまったく出てきません。
 これは、日本の大きなゆがみの一つです。私たちは、これを「逆立ち政治」といっていますが、これは本当に大きな問題だと思います。
 この点にも関連することですが、ヨーロッパの政治を見ていると、たとえば、いまフランスも失業が増えていますが、政府や国会が取り組んでいる対策の第一は、労働時間の短縮です。もともとフランスの労働時間は日本にくらべるとかなり短い。その労働時間をもっと短くすることによって雇用が増えるような仕組みの法律を国会で審議する。つまり、雇用が減ったら、雇用をどうやって現実的に増やすかという、現場の具体策がすぐとられています。
 ところが日本では、雇用が減って失業が増えると、企業が大変だからこうなるんだ、大企業を応援して、大企業が活力をもてば、おのずから雇用も増えるだろうという理屈で、まずやられるのは大企業へのテコ入れです。しかし、企業にテコ入れしても、いまの不況だとリストラ強化を方針にしていますから、いくら応援しても雇用の増加にはつながらない。つまり、テコ入れした結果が、この面で、経済に何もかえってきません。
 このやり方、企業を応援すれば“おのずとまわりも潤うだろう”というやり方、考え方は、アメリカでも、九〇年代のはじめからもう効果がないといわれていることです。にもかかわらず日本は、そのやり方をずっとつづけている。ここにも、日本流の「逆立ち」があります。

七 内政――「ルールなき資本主義」からの脱却
 (その三)税金の使い方・産業政策でも逆立ち政治をただすことが急務
  税金の使い方の逆立ち――「公共事業」の名による世界に例のないむだ遣い

 もう一つの極端な「逆立ち」は、税金の使い方の「逆立ち」です。これは選挙戦のなかでも大いに宣伝したことですから、すでに聞いていただいた方も多いと思います。
 国と地方の財政分を合わせて、いま日本で社会保障に使われている公費負担は二十兆円です。九四年度で見ると十九兆四千七百六十一億円。公共事業につぎ込んでいるお金は四十七兆八千二百十億円、約五十兆円です。「公共事業に五十兆円、社会保障に二十兆円」というのが、日本では、毎年の当たり前の税金の使い方になっています。しかも、いま借金の元利払いをのぞくと、実際に年々使える税金は七十兆円そこそこですから、その七割に匹敵する金額――そこには直接的には税金以外のお金ももちろんふくまれますが――、五十兆円ものお金を公共事業につぎこむというやり方は、国でも地方でも膨大な赤字のいちばんのおおもとになり、それが年々積み重なって、はてしない財政破綻をひきおこしています。
 外国を見ますと、公共事業にこんなに税金をつぎこんでいる国はありません。たとえばドイツでいうと、公共事業に使うお金の三倍を社会保障に注ぎ込んでいます。アメリカは公共事業に使うお金の四倍が社会保障、イギリスでは六倍です。三倍から六倍まで数字に多少の違いはありますが、社会保障など全国民の暮らしを支える仕事のほうが予算の主役で、その何分の一かを公共事業に投資するという関係は、どの国でも変わりがない。日本だけが全国民向けの社会保障には二十兆円で、その二倍半ものお金を公共事業に使う。この逆立ちぶりは、本当に極端なものです。
 それだけの税金を使って、実際にはムダな公共事業がやられているではないかという問題は、このごろマスコミでもずいぶんとりあげられるようになっています。
 第一、いま日本の政府と自治体が発注するゼネコン中心の公共事業は、だいたい目的不明のものが多いのです。ひどい例としては、よく港の話が問題になり、“何百億円の釣り堀”という話があちこちに流行しているでしょう。なぜ巨額の費用をかけてつくった新港が釣り堀になってしまうかというと、もともと田中角栄内閣――例の「日本列島改造論」の時代に、日本各地に工業コンビナートや大工業地帯をつくる開発計画がたてられ、それに付属するものとして新しい工業港をつくる計画ができたのです。ところが、工業地帯の造成計画はみなつぶれて、新港を必要とする事情は二十〜三十年前になくなってしまったのに、港の建設計画だけはとりやめないでそのままずっとつづけてきた。だから、港はできてもその港に船が入ってこず、もっぱら釣り人むけの釣り堀になってしまうということが全国で起こっているのです。こうした釣り堀は全国いたるところにあります。
 最近、政府が、むつ小川原の大コンビナート計画を考え直すといいはじめましたが、これもコンビナート計画そのものの失敗は七〇年代の初めに明らかになったのに、その後も港だけはつくりつづけてきて、ようやく最近になって方針転換を問題にしはじめたのです。こういう目的のはっきりしない巨大開発は本当にあちこちにあります。
 第二に、いまの開発は、採算もまともに考えません。もちろん、公共事業によっては、採算を考えないでよいものもあります。しかし、橋とかトンネルとか空港などは、採算を考え、何十年かたったら、きちんと減価償却もできるということで、やっているはずの事業です。ところが実際には、多くの場合、その見積もりは、はっきりいって机の上のうわべを取り繕っただけの計算にすぎず、現実には、その種の大型公共事業で採算がとれる事業は、ほとんどどこにもないというのが、実態です。
 たとえば、本州と四国をつなぐ本四架橋ですが、来年には、児島?高松ルート、明石?鳴門ルートに、尾道?松山ルートがくわわって、三本がそろうようですが、新しくできた明石?鳴門はもちろん、いちばん最初にできた児島?高松でさえ、交通量からいって、毎年の交通料金収入では利子と維持費を支払えるか払えないかという収入水準で、減価償却にまではとても手がとどきません。海ホタルで有名な東京湾横断道路も、採算の見通しがたたない点では、まったく同じです。
 本来、公共事業をやるときには採算を建前にしているのだが、日本の大型開発は、すべて責任をもった採算計画なしでやっている。これは、とくに七〇年代から当然扱いされているやり方です。
 第三に、開発によって環境が破壊されるのも、当たり前のことになっています。私は、以前、京都の大学に研究にきていたイギリスの学者が、日本の環境アセスメントと、アメリカやイギリスの環境アセスメントとを比較して、その結論をその大学の雑誌に書いたものを読んだことがあります。日本のように、なんの制約もなしに開発が大手をふってまかりとおる国はないと、本当にびっくりしていました。アセスメントという同じ言葉を使っても内容も発想もまったく違うというのです。この面でも、それぐらい、ひどい状態があります。
 つけくわえていうと、こういうやり方が、国の財政を壊しているだけでなく、国からの開発事業のおしつけが、地方財政を壊していることも、大問題です。最近の地方自治体の財政危機の主因は、こうした採算無視の公共事業によって引き起こされているといってもよいでしょう。
 ですから、最近では、政府が公共事業中心の補正予算を組んでも、なかなか執行されません。地方自治体が、その公共事業をうけとめ、自分で予算をつけてやりましょうというところが出てこないため、空回りに終わってしまう例が増えています。調べてみると、これも、田中内閣の列島改造時代には、国が開発の負担を大きく引き受けていましたが、だんだん国の財政が苦しくなってきて、国の負担分を減らして地方に回すという傾向が強くなり、それが二十〜三十年も重なってきた結果です。そのため地方財政は大赤字になってしまったのです。
 こういうことを痛感しているとき、今年の六月に、経済同友会が発表した「公共事業改革の本質――既得権益構造の打破――」という提言を読みました。ついに財界団体も、このむちゃな公共事業をやめようといいだしたなと思って感心し、八月の国会質問でもとりあげました。内容はなかなか大胆な提案で、現在の公共事業は「既得権益の集約」となって「壮大な無駄」を生んでいる、このやり方をあらためないかぎり、日本は大変なことになるといって、公共事業の全体の規模の削減、建設国債と赤字国債の区分の撤廃、公共事業関係の長期計画の廃止、特定財源の制度の廃止、入札制度の見直しなど、私たちも賛成できる一連の思い切った改革を提言していました。
 財界団体の一つが、こういう提言をする、事態はそこまできているのです。
 ところが、政府はこれにもまったく無反応で、平然として「五十兆円・二十兆円」体制をつづけ、景気対策といえば、効果のないことが分かっているのに、公共事業予算の積み増し、積み増しをくりかえしています。総枠としても、アメリカと約束した十三年間で公共事業六百三十兆円という大枠は一歩も引かない構えです。これは「逆立ちのきわみ」ですが、これが、いまの日本政府です。

中小企業と農業をこんな現状にほおっておいていいか

 もう一つの「逆立ち」は、産業政策です。
 日本という国は、商工業のいろんな分野で、中小企業の役割が非常に大きなことが特徴になっています。どんな大企業でも、部品はほとんど中小企業の製品にたよっているでしょう。おなじ自動車企業でも、アメリカなどへゆくと、部品もだいたい自分の企業内でつくるのが普通ですが、日本では部品は大部分を中小企業に依存して、本社工場では組み立てだけというところもあります。
 日本経済のなかでの中小企業の比重をしめす統計をとってみますと、事業所の数では全国の六百六十四万の事業所のうち、政府がきめた「中小企業」の基準にてらして、中小企業の数は六百五十六万、約九九%です。従業員の数では、総数五千二百三十五万人のうち四千二百四十九万人が中小企業の従業員で、約七八%です。小売業の販売実績は七七%、卸売の実績は六一%、製造業の出荷高は五一%、統計のうえで中小企業はこれだけの比重をしめています。
 私はよく「中小企業は日本経済の主役」といいますが、実態からいって、中小企業は、それだけの大きな比重を占めています。
 ところが、日本経済の大半をになっているその中小企業にたいして、国からの援助が日本ほどお粗末な国はありません。今年の中小企業対策予算は千八百五十八億円です。一般会計のわずか〇・四三%。以前、中小企業対策基本法をつくったときには、もっと予算に占める比重は多かったのですが、政府は“それでは足りない、中小企業基本法をつくって、もっと予算を増やすんだ”と鳴り物入りの宣伝をしたものです。ところが、現実には、それから年々切り下げられて、いまではこんなにひどい状態です。
 この千八百五十八億円という数字がいったい、どれほど少ない金額なのか。銀行にたいする政府の応援ぶりと比較してみましょう。政府は前の国会で六十兆円の銀行支援の枠組みを決めました。それで、資本注入の第一回分を計画していますが、その最初の分だといって、十五の銀行が申請したのが、合計五兆七千億円になると報道されていました。これは一行当たりに平均すると三千八百億円です。中小企業対策予算は、その半分にもなりません。日本経済の大半をになっている中小企業のための全国的な対策予算が、銀行への応援のために、政府が第一回目としてとりあえずだそうとしている資金一行あたりの半分以下。逆立ちぶりは、あまりにもひどいのではないでしょうか。
 もう一つの産業政策の「逆立ち」がきわだっているのは農業です。いま日本の食料自給率は四二%(カロリー自給率)まで落ちました。四二%ということは、一億二千万人の国民のうち、五千万人分しか国内ではまかなえず、七千万人分の食料はもっぱら輸入にたよる、ということです。将来の見通しというのは、なかなかむずかしいものですが、いま世界の食料事情を分析している専門家の研究では、膨大な人口をもつアジアの発展途上国などの経済水準が高まるにつれて食料需要は強まり、二十一世紀には世界的な食料不足が必至になるだろうというのが、大方の一致した見通しになっています。
 そういう時代に、七千万人分もの食料を外国からの輸入にたより、自給率を高める手だてはいっさい講じないような国が、いったい国民の食料にたいする責任をはたしてゆけるのか。問題はそれほど深刻なのです。
 サミットに集まる国・七カ国のなかでも、日本のような無責任な国はありません。イギリスなどは、一時五〇%台かそれを割る年も出るほど自給率が落ちたことがあります。そうしたらこのままでよいのかと国をあげての大騒ぎになり、自給率向上と農業重視政策によって、いまでは食料自給率を七〇%台にまで回復させています。自給率を高めるという点では、あのような島国でもそれぐらい力を入れる。サミットに集まる国で、四〇%を割りかねない水準になっても、平気な顔をしてのうのうとしている国は、文字どおり日本のほかにはないのです。
 しかも、こうした現状を打開するための対策、方針をもとうともしないのが、日本の政治の現状です。七〇年代までの日本政府は、「自給率向上」ということを、言葉のうえだけではあっても、一応は国策の「目標」にしていました。しかし、八〇年の農政審の答申を転機に、「自給率向上」という言葉すら、日本の農政の「目標」からはずされてしまいました。「自給率」を「自給力」にかえて、現実には食料を外国に依存していても、いざというときには、農業を復活させる潜在力をもっていればいいではないか。こんなごまかしの「理屈」をつけて、八〇年以後は、自給率は下がっても結構という方針を公式にとりだしたのです。それがそのまま、今日までずっとつづいています。
 このような産業政策の「逆立ち」とは、結局のところ、自民党政治が、企業献金の元になるような大企業・大産業だけを大事にする方針をとっているということだといわざるをえません。こんなことでは、国の将来すら危うくしてゆくことになりかねませんが、私はその危険が、農業・食料問題にいちばん深刻に出ていると思います。
政治の切り替えは二十一世紀に日本が生きてゆく条件にかかわる
 このように、同じ資本主義国であるヨーロッパその他の国ぐにと比較しても、日本の政治は、本当に目先のことだけに目を奪われて、大局を失っている政治だといえます。景気対策でもそうでした。税金の使い方もそうですし、産業政策もそうです。
 この政治を、まともな方向に切り替える仕事をいまやるかやらないか、それは、二十一世紀に日本が生きてゆく条件にかかわってきます。私たちはこう考え、その切り替えを提案しているのです。
 ですから、外交・安保の面では、いまの日米軍事同盟と米軍基地の体制から、外国の基地も軍事同盟もない非同盟・中立の日本に切り替える。内政の面では、あまりにも異常な大企業中心主義で各国から笑われているいまの状態を抜本的に切り替える。ここで外国から笑われている実例を一つつけくわえますと、昨年、アメリカの「ニューヨーク・タイムス」紙が三月、日本がなぜ公共事業に度をこえて熱中するのか、という問題をとりあげて、「日本の破滅への道は公共事業によって舗装されている」という皮肉な題で、痛烈な批判の論説をかかげました。それぐらい異常さが際立ってきている。この異常な状態をあらためる改革を本気でやる政治をつくらないと、将来は大変だというのが、私たちの率直な実感です。

八 政権の問題――修正資本主義の党も、民主的政権での連合の相手になれる

 私たちは、政治の改革をいま説明した方向で考えています。実は昨年九月の党大会(第二十一回党大会)で、二十一世紀の早い時期に、民主連合政府とわれわれがよんでいる民主的政権をつくろう、という目標をきめました。
 その民主的政権は何をやるのかといえば、いままでのべてきた「資本主義の枠内での民主的改革」をやろうということです。そうした政権をつくろうということを、党大会として、広く国民によびかけたのです。
 では、民主連合政府というからは、連合の相手はいるはずだ、その相手はいるのかという問題ですが、いまの政治と政党の現状では、まだまだだといわなければなりません。
 日本の国会では、一九八〇年以来のかなり長いあいだ「日本共産党をのぞく」というまちがった枠組みががっちりとあって、どんな問題でも、他党との共同ということはなかなかできませんでした。政治の情勢も変わり、日本共産党の選挙での躍進が連続するというなかで、それまでの「日本共産党をのぞく」という悪い筋書きがだんだん消えて、一致する点ではいっしょにやろうという雰囲気がある程度できてきたのは、今年(一九九八年)になってからのことです。一月からの通常国会では、民主党、自由党、共産党の三党で、内閣不信任案を共同提出するとか、参院選後の八月からの臨時国会で首相指名選挙で共同行動をとるとか、一致できる問題では、野党共闘の形でいろんなことをやってきました。しかし、まだごく部分的な共闘が始まったという、そういう段階ですから、政権をつくって、こういう切り替えを抜本的にやろうではないかというところまで、考えが一致している相手はいません。
 ただ、政治は動くものです。その動きのなかには、こんどの「自自連合」のように、これまでの野党が急に与党になるという動き方もあれば、野党が共闘をやってゆくなかで、政治の改革の内容やそれにとりくむ立場で、話がより突っ込んだものになってゆく、という場合もありえます。日本の政党状況は、全体としてまだまだ流動的ですから、これからも、いろんな動きが出てくると思っています。
 私たちは、日本を改革する仕事のどんな段階でも、単独で政権を担おうと考えたことはない政党です。いまの民主的改革の仕事でも、そういう動きのなかで、いっしょに仕事のできる政党は必ず生みだされてくる、と思っています。いまの政治の動きは、それほどの激動の時期です。
 では、将来を見渡して、どんな政党、どんな勢力が連合の相手になりうるのか、このことが問題になったとき、昨年の党大会で私はこう報告しました。
 ――私たちのめざす改革の方向は、資本主義の枠内の民主的な改革なのだから、資本主義賛成の政党でも民主連合政府では連合の相手になれる。つまり、いわゆる「修正資本主義」の党でも、現在のこの異常なしくみをこのように改革しようという改革の中身で一致すれば、いっしょに連合政権をつくることが十分にできる。
 私は、この点では、保守政治の流れのなかからも、そのような連携がおこりうると思います。今年は一月から金融国会がつづきましたが、保守的な政党の流れのなかにいた方で、アメリカで企業の副社長をやった経験ももっている方が、われわれとほとんど同じ立場から、銀行破綻のときには銀行が自分で責任を負うべきであって、国民の税金を投入すべきではない、という議論を展開し、それが資本主義のルールではないかと強く主張していました。その方は、「しんぶん赤旗」にも寄稿して、“いまの日本にはおかしなことがある。それは、『資本主義のルール』をきちんと守れといっているのが共産党だということだ”といっていました。保守政治の流れのなかでも、いまの日本の異様さに気づいて、そうした声をあげる方がポツポツですが出てきていますから、私は、日本の政治は、これから二十一世紀にかけての激動の時期には、いろんな新しい発展の可能性を豊かに生みだすだろうと思っています。
 そういう点で、二十一世紀を希望をもてる時代にしたい。希望のもてる時代の、いわばその中心に政治が先頭に立てるような、そういう政治をつくりたいものです。

九 民間企業への期待と約束

 ここで話を結ぼうかと思いましたら、大事なことを忘れるところでした。民間企業への「期待と約束」(笑い)がありました。
 私たちの日本改革論は、いまのべたようなことですから、民間企業への「期待と約束」というものも、おのずからそこから出てくると思います。
 まず「期待」ですが、日本共産党が、こうした改革の目標をもっていることを、念頭においていただき、その改革というのは、自分たち経営者にとって、どういう意味をもっているのかなど、考えてもいただきたいし、私たちも、大いに意見を交換したいと思います。そして、意見を交換し、考えていただいたうえで、この点は筋が通っていると多少とも思われることがあったら、改革の考えのあうところでご協力をいただきたい。これが、私たちからの「期待」です。ご協力といっても、私たちは、企業や団体からの政治献金はいただきませんから(笑い)、「この点で賛成していただけるなら、どうか献金をください」などということは絶対にいいませんから(笑い)、安心してご協力をいただきたい。それが「期待」であり、お願いであります。
 それから「約束」ですが、これも、やはり私が最初にのべた二つのことにつきる、と思います。一つは、私たちがいま全力をあげ、しかも、二十一世紀の早い時期に実現をめざしているもの――これもかなり長い視野で実行しようとしているものですが――は、資本主義の廃止ではなく、「資本主義の枠内での民主的な改革」だということです。日本共産党は、党の綱領でこの方針をきめてから(一九六一年の第八回党大会)、三十数年にわたってその立場でがんばっているわけですから、その方針からそれて違った方向に足を踏み外すということは絶対にいたしません。
 もう一つのお約束は、私たちは、将来の改革を段階的に考えているといいましたが、将来問題になるどんな段階でも、日本の条件を飛び越して何か机のうえで考えた勝手な改革プランを、国民多数の合意なしに、社会に押しつけるということは絶対にやらない、ということです。
 この二つは、私たちの党の信条にかかわる問題として、お約束できることです。

一〇 社会主義の問題など

 最後に、まだ少し時間があるようですので、私たちが将来の展望としている社会主義の問題について、一言のべたいと思います。
 社会主義というと、七年前に崩壊したソ連のことだと思われる方が、まだたいへん多くおられるのですが、私たちは、あのソ連の社会は、社会主義とは似ても似つかないもの、いわば社会主義の反対物だったとみなしています。それは、私たちが党の大会で出した責任ある結論です。
 このあいだ、知人のある文学者が文学賞をもらい、呼ばれてその受賞のレセプションにゆきました。その席で、そこにこられたある企業の社長さんから、こういう質問をされました。“世界では共産党の調子が悪いのに、なぜ日本では調子がいいんですか?”と。そのときも、民主的改革の話もしましたが、なにしろ長話はできない席でしたから、こんな話をしました。
 世界で共産党の調子が悪くなったといわれる大きな背景には、やはりソ連の問題があります。なんといっても世界では、ソ連の影響の大きい、またソ連とのつながりの深い共産党が多かった。だからソ連が崩壊したときに、いわば本山がつぶれたように落胆をしたり、それがどんな意味をもつかの説明もできないところが結構あったんです。しかし私たち日本共産党はそうではなかった。逆に三十四年前(ソ連の崩壊から数えて)に、ソ連から、日本共産党をソ連のいいなりの党にしようという乱暴な攻撃をうけ、その時から、私たちは、社会主義を建前にした国が資本主義国で苦労している仲間の党にこんな無法な攻撃をしかけるとは何事だと、全面的な批判と闘争をした。そのころから、私たちは、いったいこのソ連とは何者なのかということを研究して、もともと社会主義とは縁がない国だなと思っていたものですから、ソ連が崩壊したときには、世界の進歩をじゃまする「巨悪」――巨大な妨害物がなくなって晴々とした気持ちだという声明をだしました。これは、やせ我慢ではなく本音でした。ほんとうに三十四年間、さんざんの攻撃や悪巧みとのたたかいで苦労してきましたから。
 そういう気持ちで、あのソ連の崩壊を歓迎した党と、本山がつぶれて大変だと思ってしまった党とは、ずいぶん運動のあり方でも違うわけで、そこらへんに、いまの調子の違いがあるんですよ、と話しました。
 私たちが「階段」というときには、いまの「民主的な改革」の階段だけでなく、その先をもちろん考えており、共産党という名前をもつ政党ですから、将来の展望には、社会主義への改革という階段も展望しています。しかしこれは、ソ連などにあった体制とは全然違うんです。
 だいたい共産主義、社会主義というのは、いちばんの合言葉は「人間が社会の主人公になる」です。ところがソ連という国は、主人公どころか、あんなに人間が抑圧されていた国はない。アフガニスタンとかチェコとか外国を侵略して抑圧するというだけではなく、また、わが党がうけたように、外国の自主独立の党に攻撃をかけるというだけではない。ソ連自身の国内でも、人間を人間らしく扱わなかった国です。これは、スターリン以後のことで、スターリンが社会主義の理想をめざす道を投げ捨てて、専制的な体制をうちたて、あんな人間抑圧型の社会をつくってしまった。あのようなものは社会主義でもなければ、社会主義にいたる途中の段階といえるものでもありません。まったくその理想とは反対の抑圧社会です。
 社会主義とは、一口でいえば、利潤が経済を動かす社会(資本主義)をのりこえて、社会全体の利益が経済を動かす大目的になるような社会に前進しよう、ということです。
 これまで世界では、いろいろな国で、資本主義をのりこえて社会主義をめざそうという動きがありましたが、それはすべて、出発点が、経済の発展のおくれた国でした。日本のように資本主義の時代に大きな経済的な発展をとげ、その発展水準をひきつぎながら、新しい社会をめざそうとした国は、なかったのです。さきほど、スターリンが社会主義の理想を捨てて、抑圧型の社会をつくったという話をしましたが、それにくわえて、出発点での資本主義のおくれという問題が、客観的にみて、たいへんな悪条件となりました。
 しかし、日本が、将来、階段を一段一段あがりながら、社会主義にむかって前進をはじめるとしたら、それは、資本主義の時代に生みだした価値あるすべてのものをひきつぎ、より発展させながらの前進となります。そういう条件のもとで、経済のしくみでも、利潤中心でなく、社会の利益――国民の利益が名実ともに中心になるような新しい社会、これを、国民みんなの合意でつくってゆこうというのが、私たちの考えです。
 そのとき、政治の体制はどうなるのか。この問題も、ずいぶん前から明らかにしていることですが、いろんな立場の政党が選挙で争いあい、選挙での国民の審判で誰が政権を担うかが決まるという政権交代制、複数政党制、議会制民主主義を、徹底して守ってゆくというのが、われわれの立場です。
 そういう点で、二十一世紀には、世界どこでもやったことがない、国民が中心の新しい国づくりを国民みんなですすめるんだという意気込みで、将来も楽しく展望しながら、当面の民主的改革の仕事に全力であたりたいと、考えています。
 きょうは、将来の階段の問題については、あまり詳しく話す時間はなかったのですが、まだとうぶんは、民主的改革の仕事で、みなさんといっしょに力を合わせて苦労しなければなりませんので、この程度でごかんべん願いたいと思います。(ふわ・てつぞう)
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