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中嶋れん(日本共産党 宮城県委員会政策委員長)のブログ
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76回目の12・8−戦時下の東北大学を振り返り、今を生きる姿勢を考えました[2017年12月10日(Sun)]
 76回目の12・8−エルソーラで開催された宮城革新懇の集会で柳原敏昭・東北大学文学部教授の講演を聞きました。
 柳原氏は歴史学者で専門は中世史ですが、東北大学100年史の編纂に携わりました。
 東北大学では、戦時下に軍事研究のために理工系の研究所が次々につくられ、定員削減も学徒動員も最初は法文学部に対して行われました。最近の下村博文・文部科学大臣による人文科系学問を軽視する発言を歴史の中に置いて考えると、戦争する国家づくりと人文系学問軽視が表裏一体であることが浮かび上がります。
 昭和3年当時に「左翼学生のいない大学」と言われた東北大学でも昭和8年に学内浄化運動がおこり、侵略戦争と植民地支配に突き進む時流への抗いがありました。しかし、1937年の人民戦線事件のあと、時流に迎合する動きが生まれ、坂道を転がり落ちるように破局に向かっていきました。
 歴史に「たら」「れば」は禁物ですが、人民戦線運動が持ちこたえていたら、それがもっと力をもっていればと考えてしまいました。現在の「市民と野党の共同」を広げることの意義が歴史から浮かび上がってきた、すばらしい講演でした。

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