CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る
« 2019年08月 | Main | 2019年10月 »
<< 2019年09月 >>
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          
最新記事
カテゴリアーカイブ
月別アーカイブ
日別アーカイブ
いいこと何もない消費税アップ[2019年09月30日(Mon)]

耐乏生活が始まっている

◆消費税増税を前にテレビは小売店の対応、軽減税率などなど、微に入り細をうがち報道する。
9時のNHKニュースは、消費税10%スタートまであと「2時間〇〇分××秒」とカウントダウンの画面まで示して駆け込み購入を煽り立てる。
歳末商戦さながらだ。

だが、民草の気分はそんなものではない。
大震災後、あるいはもっと古く73年秋のオイルショック当時の行動に近い。

◆近所のドラッグストアに寄って驚いた。
トイレットペーパーの棚がスッカラカンだったからだ。
閉店前間近な時間なのに、レジに行列ができるほどだった。

他には水の類いの棚も売り切れ状態。

みんな耐乏を覚悟し、生活防衛に必死であるように見える。
こんなことなら、真剣に1票を投じるべきだった――と悔やんでいるかどうか……

*******

ある日ある時    黒田三郎

秋の空が青く美しいという
ただそれだけで
何かしらいいことがありそうな気のする
そんなときはないか
空高く噴(ふ)き上げては
むなしく地に落ちる噴水の水も
わびしく梢(こずえ)をはなれる一枚の落葉さえ
なにかしら喜びに踊っているように見える
そんなときが


詩集『ある日ある時』(昭森社, 1968)所収。
中央公論社『日本の詩歌 27 現代詩集』に拠った。

***

DSCN1509_Aマグリット「レカミエ夫人」.JPG
ルネ・マグリット〈レカミエ夫人〉1967年(横浜美術館にて)

◆ジャック=ルイ・ダヴィドの絵で知られる絶世の美女・ジュリエット・レカミエがソファに身を委ねた姿を棺の中にしまい込み、ブロンズ像に仕立てた作品。

レカミエ夫人の生涯と彼女をめぐる人士の数々を知れば、マグリットによるこのデフォルメは、人は誰も死を免れない、という寓意以上のさまざまな想像を掻き立てるだろう(マグリットは同様の趣向の絵画も制作している)。

元の絵は、彼女に言い寄っていたナポレオンが彼女への贈りものにすべくダヴィドに制作を依頼したが、レカミエ夫人はこれをはねつけ、ために絵は未完成に終わったという。

縄なひ機[2019年09月29日(Sun)]


縄なひ機   井伏鱒二

  故郷の木下夕爾君の詩「東京行」を
  読んで故郷の近江卓爾君に。

君が縄なひ機を買つたことは
をととしの君の手紙で知つた
君の操縦する縄なひ機は
夜汽車の走るやうな音を出し
君を旅に誘ひ出さうとする
そのことは去年の君の手紙で知つた

なぜ縄なひを始めたのだらう
僕は不思議なことに思つてゐた
けふ木下君のよこした詩を読んで
漸く君の意中を量り得た

君は東京見物に来たがつてゐる
旅費を稼がうとして縄をなふが
旅費がたまりかけると汽車賃があがる
「縄なひ機械を踏む速度では
とても物価に追ひつけない……
なひあげた縄の長さは
北海道にも達するだらう……」
木下君はさういう風に書いてゐる

僕は近く田舎に出かけるので
君の縄なひ機も見て来たい
汽車のやうな音がするのでは
紅殻塗りの旧式ではないだらうか
ともかく眼福の栄にあづかりたい


*「眼福の栄にあづかりたい」…拝見したい

◆井伏鱒二『厄除け詩集』の〈拾遺抄〉にある一篇。

◆消費税値上げが近い。給料上がらぬのに何から何まで値上げでは、綯(な)った縄のよからぬ使い方がフト頭をかすめそうになる。

空前の黒字をあげながら、人員整理を断行しようという大手企業もあると聞く。
もうけを貯めこんで何を企んでいるのだろう。
会社の「社」という字の本義、「土地の神」をも恐れぬ所業ではないか。

◆井伏の詩は同郷(広島県福山市)の友への愛情をユーモアに包んだものだが、「稼ぎに追いつく貧乏なし」ではなく、「値上げは続くよ、どこまでも」で、ひたむきな労働は永遠に報われないごとくであるわけだ。なった縄の長さが福山から東京をとっくに越え、北海道に届くほどの長さをなったはずなのに、汗して稼いだお金を嘲笑うように物の値段も汽車賃も上がるばかり。

*「縄ない機」というものがかつてあった。
馬か牛の耳よりも大きな2つのラッパ管に藁(わら)を入れてやると、幾つものギヤが回りながら縄をなって行って前方のドラムに巻き取られていく仕掛けである。
畑で使う縄を綯ってもらうよう親に言いつかって、縄ない機のある親戚の家に行き、一巻き出来上がるまで眺めていて飽きなかった記憶がある。藁を入れるのもやらせてもらったかも知れない。
動力は足踏み式のもあり、発動機で動くものもあったが、なかなか良くできた堅牢な機械であった。詩にあるように相当大きな音をたてていたように記憶する。
縄自体は地元の農協で売っているのを最近見かけた。自家で縄ないをする農家はもうあるまい。

**YouTubeに縄ない機を動かしている動画がアップされていた。
説明付きで分かりやすい。

足踏み式⇒https://www.youtube.com/watch?v=rIvdaxdMnZM
動力式⇒https://www.youtube.com/watch?v=d-Hb-Ee6zd8



堀口大學〈夕ぐれの時はよい時〉[2019年09月28日(Sat)]

DSCF0001-A.jpg

◆夕焼けの美しい季節となった。
歩みはゆったりとなり息も深く静かになる時間。
「夕ぐれの時はよい時」というリフレインが印象的な堀口大學の詩が似つかわしい。


夕ぐれの時はよい時  堀口大學

夕ぐれの時はよい時、
かぎりなくやさしいひと時。

それは季節にかかはらぬ、
冬なれば煖炉(だんろ)のかたはら、
夏なれば大樹の木(こ)かげ、
それはいつも神秘に満ち、
それはいつも人の心を誘ふ、
それは人の心が、
ときに、しばしば、
静寂を愛することを
知つてゐるものの様に、
小声にささやき、小声にかたる……

夕ぐれの時はよい時、
かぎりなくやさしいひと時。

若さににほふ人々の為(た)めには、
それは愛撫に満ちたひと時、
それはやさしさに溢(あふ)れたひと時、
それは希望でいつぱいなひと時、
また青春の夢とほく
失ひはてた人々の為めには、
それはやさしい思ひ出のひと時、
それは過ぎ去つた夢の酩酊(めいてい)
それは今日の心には痛いけれど
しかも全く忘れかねた
その上(かみ)の日のなつかしい移り香(が)

夕ぐれの時はよい時、
かぎりなくやさしいひと時。

夕ぐれのこの憂鬱は何所(どこ)から来るのだらうか?
だれもそれを知らぬ!
(おお! だれが何を知つてゐるものか?)
それは夜とともに密度を増し、
人をより強き夢幻へみちびく……

夕ぐれの時はよい時、
かぎりなくやさしいひと時。

夕ぐれ時、
自然は人に安息をすすめる様だ。
風は落ち、
ものの響は絶え、
人は花の呼吸をきき得るやうな気がする、
今まで風にゆられてゐた草の葉も
たちまちに静まりかへり、
小鳥は翼の間に頭(かうべ)をうづめる……

夕ぐれの時はよい時、
かぎりなくやさしいひと時。



◆ゆったりと夜の濃い闇に包まれることが約束されているのなら、それは憂鬱を伴いながらも安息にほかならない。人の生涯もまた同様であるならば時に身を任せ、悠揚と玩味するにしくはなし、と納得させられる。

*大學の第一詩集『月光とピエロ』(1919年)の一篇。
当時、大學は外交官の父に従ってブラジルにいた。青春期の海外滞在の中でも最も長いあしかけ5年をブラジルで暮らした。
**中央公論社『日本の詩歌 17』(1968年)によった。




ボロ切れの苛立ち[2019年09月26日(Thu)]

DSCN1829.JPG

***

◆先日取り上げた中村稔『言葉について』の最初の一冊が偶然手に入った。
20篇のソネット(十四行詩)を収める。
そのうちの一つを――


言葉について 4   中村稔

言葉は時間の流れの中で黄ばみ、
ぶざまに歪み、無数に裂け、
つくろいようもなく傷ついた
私たちの意思伝達の道具であり、また、私たち自身だ。

私たちの言葉はまるで古ぼけた一枚のボロ布(きれ)だ。
裾はすり切れ、処々に穴があき、
きたならしく汚れているから
私たちの意思を正確に伝達できない。

見たまえ、二枚のボロ布が向かい合って対話している。
対話しているのは私たち自身なのだが、
たがいに苛立ち、不信感をつのらせるばかり。

私たちの社会に吹きすさぶ風が
二枚のボロ布を揺らしている。
ボロ布は空しく風に揺れるのに身を任せるより他はない。




中村稔『言葉について』(1)2016年表紙_01-A.jpg


足もとのニュースが知りたい[2019年09月25日(Wed)]

DSCN1839.JPG
ムクドリたちの朝餉

*******

NHKはどこの国の放送局なのか

◆国連の気候行動サミットでの高校生グレタ・トゥランベリさんの演説が話題だ。
毎週金曜日に学校を休みスウェーデン国会前で温暖化対策を訴え続けてきた彼女の活動は世界中に広まり、国連でのサミットに合わせた世界同時行動を!という呼びかけは、先週9月20日までで150ヶ国、400万人が参加する大運動になった。

◆NHKのデータ放送にニューヨークを中心にアメリカの動きを伝える長文記事がアップされていた。

【温暖化対策訴え 若者中心のデモ 世界150か国以上で】(2019年9月21日20時26分) 
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190921/k10012093571000.html?utm_int=detail_contents_news-related_002


◆TV画面で10数頁ある上の記事を読み通して妙だと思ったことがある。
見出しを裏切って、日本の動きが全く取り上げられていなかったことだ。

念のためにネットでNHK NEWS WEBを見ると、同じ21日の朝、もう一本、長文記事が載っていた。

【温暖化対策求めるデモ 世界各国で若者参加 過去最大規模に】(2019年9月21日 8時35分)
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190921/k10012092841000.html?utm_int=detail_contents_news-related_002

◆見出しも記事の主旨も同様で、ベルリンやデンマークの若者の動きを伝えている。
しかしやはり日本の若者については一言も触れていない。
まるでそうした動きがこの国では存在しないかのようだ。

◆だが、ジャーナリスト志葉玲氏のレポートによれば、日本でも20日には静岡、京都、大阪、兵庫など23都府県で「グローバル気候マーチ」が行われ、若い世代を中心に5,000人余りが参加、東京でも約2800人が渋谷の街を練り歩いたという。

志葉玲 【日本人が知らない世界のトレンド「気候正義」とは?約150カ国で同時行動、東京でも決行】9/23(月) 12:06
https://news.yahoo.co.jp/byline/shivarei/20190923-00143833/

◆目の前の動きをしっかり取り上げないでいては〈公共放送〉の看板が泣くだろう。
海外支局の記事に続けて国内の動きも取材し、関連記事として一本載せるべきなのである。

政治に関してNHKに〈公共放送〉の任はもう期待しないが、せめて世界で起きていることと足もとの社会の動きをつなげて報じるドメスティックな放送機関として手抜きはするな、と切に願う。

それとも、官邸発の「日本の若者たちをデモや授業欠席へとメディアが煽ることは一切まかりならぬ」などという厳命が、萩生田文科大臣+電波停止発言で名をはせ再登板の高市総務大臣経由で届けられている、ということなのだろうか?

だとしたら、トゥランベリさんではないが〈How dare you!〉(よくもそんなこと!)と言わざるを得ない。

*****

◆明日、9月26日放送の「クローズアップ現代+」は〈16才の少女が訴える 温暖化非常事態〉と予告された。日本の運動〈Fridays For Future Tokyo〉のリーダーも出演予定とのことだ。
いっさいの忖度ナシで存分に語らせてほしいものだ。

*****

*その後、もう一つニュースが加わった。追記しておく。
もう1つのノーベル平和賞とも言われる「ライト・ライブリフッド賞」を受賞したとの報。

【NHK NEWS WEB】16歳 グレタさん “もう1つのノーベル平和賞”受賞  2019年9月25日 21時38分
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190925/k10012099161000.html?utm_int=news_contents_news-main_001

〈大空にはだんだんがある〉[2019年09月24日(Tue)]

DSCN1834.JPG

レンズ雲というのか、面白いかたちの雲が層を成していた。
秋らしい爽快な空は朝だけ。
午後は暑さが戻ってドヨンとした一日。
稲刈りが始まった。

◆ ◇ ◆

玄玄天  草野心平

ひろいひろい大空にはだんだんがある。

空気天。
透明天。
青天。
玄天。
玄玄天。
即ち深い八方天。

自分は一人。
地上から。
無限の天を見上げるのだが。

(層積雲が動いてきて。
(そしてまた北方に消えていつた。

無限のその。
玄玄の天は見えない。
見えるのは単純な。
Nippon Blueだ。


詩集『幻景』(筑摩書房、1985)所収。
岩波文庫『草野心平詩集』(入沢康夫編、1991年)に拠った。

◆ ◇ ◆

DSCN1832.JPG



〈まちがいはどこへゆくか〉[2019年09月23日(Mon)]

まちがいはどこへゆくか  鶴見俊輔

まちがいは どこへ行くか
遠くはるかに
世界をこえて
とびちってゆく
世界はなんと
小さく見えることか
錯誤をだきとることのできるものは
なんとおおきいか


鶴見俊輔『詩と自由』(思潮社・詩の森文庫、2007年)

井上ひさし「日の浦姫物語」を生み出したトーマス・マン「選ばれた人」を読み終えた。

序章〈誰が鐘を鳴らすのか〉のわずか7頁ほどを読むのに難渋したのも懐かしい。
鐘楼守の手によらずして、ローマ中のあちこちで已むことなく鳴りひびく不思議な鐘の音が、読み進もうとする者を大音響の中に立ち尽くさせる感じがあった。

だが、ジビュラとグリゴリウスの物語は読む者にも同じだけの時間を経験させる。

物語が大団円に向かう中、罪の子グリゴルスが聖者グリゴリウスとして入京し教皇として戴冠する日まで3日間鳴り続けた鐘は、この世界という大伽藍に祝福と恩寵として鳴りひびいたものであることが知られる。

◆この物語の後にたまたま手にした鶴見俊輔の詩は、ストンと腑に落ちるものであった。

まちがいを抱き取るものの存在に気づくことができるのは、我が行いを悔い、苦しみ続けた者だけである。


中也の〈魂〉⇒中村稔[2019年09月22日(Sun)]



DSCN1502ジョアン・ミロ(1893-1983) 『女の頭部』(1975)-A.jpg
ジョアン・ミロ〈女の頭部〉1975年 横浜美術館にて

*******


むすび・言葉について30章より  その20   中村稔

「陽気で、坦々として、而も己を売らないことをと、
わが魂の願ふことであつた!
この詩句の「わが魂」を
「わが心」とおきかえることはできない。

心は、私たちの知性、感性が外界に向かって働きかけ、
外界からの働きをうけて反応し、働きかえす。
魂は、私の中のもう一人の私であり、
私を瞶(みつ)め、また時に叱咤し、また時に決意をうながす。

心といい、魂といい、
似ていながら、それぞれ千差万別、多様な意味をもつ。
私たちが的確にこれらの言葉を使い分けることは難しい。

しかし「わが魂の願ふこと」は信条告白だ。
この決意をうながすのは魂だ。だから「わが魂」なのだ。
こうして言葉はそのふさわしい位置を占めるのだ。


中原中也「寒い夜の自我像」



◆「己を売る」とは、他人の値踏みに己の肉体も精神も委ねること。
時には自分で自らの「値」を相手に示して、さあ、これで買い上げよと迫る者もいるだろうか。
その場合も相手の算盤がはじいた我が値段を視野の片隅に置いての演技ならば、主導権は向こうにある理屈である。

主体性を保つことが難しい、というより、生きている間のあらかたは、誰かに合わせ、顔色を伺い、迎合・卑屈もいとわず汗臭い笑みで身を低くして過ごすのが一般だろう。
それだけに「魂の願ふこと」は切実だ。
中村が「信条告白」と表現するゆえんである。

◆中村稔のこの詩で、中也の詩に初めて出会った時のことを久しぶりに思い出した。
通学列車で友が開いた劇画の黒々とした頁に、中也の「魂」の詩が在った。
朝の光が差し込む車内で、友と己との間にできた暗がりの中に揺れている「魂」の文字。
それに目と魂を引き寄せられながら秘密の共有をしたような時間(そのころ、中也の詩は教科書に載るようなものではなかった)。

中村稔むすび・言葉について_20190922_0001.jpg
中村稔『むすび・言葉について 30章』(青土社、2019年)
 *すべて14行詩の体裁で言葉への考察を綴った連作全100章、その結びとなる詩集。


Y.N.ハラリ氏インタビューより〈独裁者による情報掌握〉[2019年09月21日(Sat)]

◆朝日新聞9月21日朝刊のオピニオン頁はユヴァル・ノア・ハラリ(ヘブライ大・歴史学。1976年生まれ)という方へのロング・インタビュー〈AIが支配する世界〉。

◆ハラリ氏によれば、私たちは3つの大きな課題に直面していて、それは、
(1)核戦争を含む世界戦争、(2)地球温暖化などの環境破壊
そして(3)破壊的な技術革新、これが最も複雑で深刻だ、とする。
AIとバイオテクノロジーの進歩が社会と我々の暮らしを完全に変えてしまい、新たな監視技術の進歩で、歴史上存在したことのない全体主義的な政府の誕生につながるだろう、と警告を発するのである。

*我が国において連想するのは、小・中学生への学力テストに続いて高校生への「学びの基礎診断」、更には大学入試・英語の民間試験利用と国語・数学への記述式問題導入に絡めた民間による採点……という一連の「教育改革」だ。
個々人の情報が連続的に集積され、膨大なデータとして民間教育産業の扱うところとなる。
だが、その危険性は一般に共有されていない。
*政府は高等教育への修学支援新制度(いわゆる大学等の「無償化」政策)を2020年4月からスタートさせるが、その申請にあたっては、生徒および保護者のマイナンバーの申告を求めている。
これもまた、所得・家族構成など、さまざまな個人情報が一元的に国家に管理されて行くことの一例である。

◆「なぜ世界各地でポピュリズムが隆盛を迎えているのか?」という質問に対してハラリ氏は、次の重要な指摘をしている。

一つは、それを支持する人々の気分について――

〈大多数の人にとって世界を理解するのは『物語』を通じてです。事実や統計に基づいて、ではありません。
その『物語』が次々と崩壊し、真空状態にある。
真空状態は良識ある未来へのビジョンではなく、過去への郷愁に満ちた空想(を語るポピュリズム)によって埋められています。〉


21世紀における東京オリンピックも大阪万博も、共に「過去への郷愁」=成功再現を現代にと幻想することに他ならない。
ビジョンを持っていないので古いおもちゃ箱をひっくり返してみるしかなかった、と考えれば分かりやすい。
だがそれを冷笑して済むわけではない。

◆「ポピュリストの何が問題なのか?」

〈独裁的な傾向を持っていることです。
間違いを認めない。物事がうまくいかないときは、外敵や裏切り者のせいにする。
『力が足りないから失敗したんだ。だからもっと強大な力をくれ』と。
だが、彼らに力を与えても、また失敗する。未来へのビジョンがないのですから。
すると、『まだ裏切り者がいる。さらに力を与えよ』と言うでしょう。
ファシズムや独裁主義への道につながります〉


◆私たちの大半は自分自身を社会に対する「裏切り者」だ、などと意識して暮らしているわけではない。むしろその逆だろう。

だが、「裏切り者」かどうか認定するのは、私たちではなく、独裁者の方なのである。




台風その後、五輪のその後は[2019年09月20日(Fri)]

DSCN1619「海・波・船」辻晋堂1958年横浜市庁舎-X.jpg

◆現在の横浜市庁舎にある陶壁「海・波・船」(部分)1958年
作者は彫刻家・辻晋堂(つじ・しんどう 1910-81)。
新庁舎が辨天橋ぎわに2020年6月供用を期して建設中で、移転作業が本格化すると、この作品、それも全体を眺める機会はしばらくないかも知れない。現庁舎自体、慌ただしく仮設工事の現場の雰囲気になりつつある。

辻晋堂の生涯と作品については以下を。感興あふれる彫刻作品が多い。
http://www.shindo-tsuji.net/index.php?lang=jp&page=index

*******

◆4日間の休眠中、漫然とTV画面の番組表を眺めている時間もあった。その日の各チャンネルが並ぶ状態から、特定の局の1週間ぶんほどを一覧することもできる。それで気がつくのだが、すでに連日、判で押したように20年オリンピック関連の番組がガッシリと組み込まれている。
だが、内容を確かめる気も起きない。
暑気におおわれるように仰臥しているためばかりでなく、「それどころではない」という気持ちがあるからだ。大震災を復興と社会システムの組み立て直しの契機にすべきところを、景気づくりと見せかけの「やってる感」演出のためにウソと恥の上塗りを重ねている現状。
そうしたやり方がもう持たないことはハッキリ分かる。
むろん、64年頃との時代の気分や経済・社会の勢いの違いは歴然とある。いかに名シーンを並べ立て、精彩なデジタル画面やタレントらのトークで演出しようとも、だ。

◆雰囲気としては、大きな不安を内に蔵しながら、"不安が現実のものになりませんよう"(もしくは"不安に耐える余力などないので、ここらあたりから狂躁の一年を突っ走り、考えないことで不安を忘れよう")という瘴気が番組編成にも立ちこめているように感じるのである。

◆TV・新聞を中心とする翼賛メディアが鉦・太鼓をにぎやかに鳴らして笛を吹いたところで、気分は踊らない、どころか、押し黙り視線を落としたまま動きたくない、という気分。

◆端的に言えば、「2020年には三波春夫の『東京五輪音頭』がない」ということになろうか。
64年当時、盆踊りのためにお宮の境内に仮設した拡声器から家庭の「電蓄」に至るまで、津々浦々に流れ、踊られたテーマソングに相当するものが見あたらないようなのである。
イメージソングのようなものが番宣で繰り返し流れているのかもしれないが、広く浸透して体を動かすようなものがあるのかどうか。
(承知の通り三波春夫は70年の万博のテーマソングを競演した歌手たちの中でも、最も支持された歌い手であり、いわば、64年から70年に向かう右肩上がりの時代の象徴であった。同時に、応召して満州に渡って4年にわたるシベリア抑留を経験、帰国して浪曲師・演歌歌手として活躍し社会的影響力を持つにつれ、政治的には体制支持の「右」に軸足を置いて活動した人物であることも知られている。)

◆むろん「五輪音頭」の代替物を待望する気分でもない。
「国民」として一体感を味わうことを「市民」意識を育ててきた人々はもはや必要としていない。
むしろその危険性や、高揚した統合意識が、「異分子」の排除と攻撃へと易々と向かうことの危険を知っているからである。

すなわち、オリンピックが、2020年と「政治的に」期限を切って政策のゴリ押しを重ねる総理Aの、AによるAのための五輪であることを我々は知ってしまっているからだ。

この十日余り、黙々と家の周りの枝や吹き溜まった葉を片付けている地域のお年寄りも、千葉で片付け手が到着しない電柱周りの倒木を、「少しでも早く復旧すれば」と念じて営々と片付け続ける老人も、そのことを敢えて言わないだけである。
あるいは、そうしたつぶやきが取材され報じられることが無いだけである。
(全国紙でも各地に駐在する支局員は大幅に削減され、足で取材する記者の数が激減しているのだという。そうした事情もあろうか。)

◆罹災証明について藤沢市役所に電話したところ、相当数の相談、申請があるそうだ。生活に支障を来すダメージを受けた世帯は市内でも少なくなさそうである。道路、通学路の一部閉鎖も依然続いている。
台風被害で出た粗大ゴミは9月24日まで無料回収する、という情報を先週得ていたが、それまでに仕分けの終わりそうにない世帯もありそうなので市の環境事業センターに電話してみたら、10月25日まで延期になった、ということだった。出せる大きさは長尺方向が2メートルの長さ、大人が二人で持ち運べる重さのものまで、ということだった。
台風で壊れた家電製品や水をかぶってしまった整理タンス類もOK、ということになる。

大事な生活情報の一つである。だが、自治会回覧でも新聞でも良い、広報してくれない限り、知らぬままでいる市民は多いはずだ。
知らされぬとやがて地元の保存山林にすら大きなゴミの不法投棄が続出することになる。

しかし、そうした被害の全体像や難儀を抱えた市民の声、生活情報を含めた15号台風の続報は、極めて乏しい。
各メディアの方たち、役所内の記者クラブにしがみついて何をしているのだろう。

*******


きのうの夢   石垣りん

子供たちは
どうしてお面をかぶりたがったのだろう。
氏神の祭りの小さな屋台
セルロイド製のおかめひっとこ。

大人になっても
どうしてお面を欲しがるのだろう。
このところ夏祭りの屋台にあらわれるのは
舶来のゴム紐につるされた七つの面。

「トージョーサンをくれ」
「はいよ」
銭を数えるあきんどの顔は
うつむいていて見えない。

おかしな夢だ。
むかしの面をかぶった大臣が
テレビの画面から語りかけてくる
国民のみなさん!


『やさしい言葉』(花神社、1984年)より。
*2002年童話屋発行の新装版によった。



| 次へ
検索
検索語句
最新コメント
根来珠青
銃剣道 歴史に目をふさぐおぞましさ (03/29) 当ブログ管理人
ジャーナリスト・安田純平さん解放との報【追記】 (10/26) 3億円で買える銃と弾
ジャーナリスト・安田純平さん解放との報【追記】 (10/25) マキシミリアナ・マリア・コルベ
コルベ神父のこと その2 (06/23)
若き音楽家リュカ・ドウバルグ (06/09)
タグクラウド
プロフィール

岡本清弘さんの画像
http://blog.canpan.info/poepoesongs/index1_0.rdf
http://blog.canpan.info/poepoesongs/index2_0.xml