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「朴」になじめなかった「僕」[2019年08月19日(Mon)]

DSCN1456ミント.JPG
ミントらしい。カメムシの匂い除けに効果ありというが、なぜかそのカメムシが幾匹も白い花に群がっていた。香を慕う虫も好き好き、ということか。

*******

大邱(テグ)    新井豊吉

小学生の頃 年一回開かれる基地祭りの
ホットドッグが大好きだった
おいしいキムチの作り方をスクラップしたのは
職についてからだ
しらふのあなたは
大きくなったら韓国から嫁さんをもらえが
口癖だった
二組の久美子さんの顔が浮かび
気持ちが沈んだ
日本人として生きていたので
夜間の朝鮮語学校は三日でやめた
呪文のようにつぶやいた
アボジ ヂムシセヨ
意味は定かでない
あなたがそういえばお父さんは飲むのをやめて
寝てくれると教えてくれた二度目の母
無頼派小説にあこがれ
高校生の頃短編をかきはじめたが
いまだにハングルは読めないでいる
はじめて持った外国人登録手帳は
スパイ映画のようで人に見せてはいけないと思った
日本育英会の奨学金はもらえなかった
成績より国籍が問題だ
行く気のなかった成人式に
招待状はこなかった
町の写真館で背広を着て
そっくりかえって撮った笑える写真
選挙には行きたかったが
選挙権はこなかった
役所でしか使わない朴に僕はなじめなかった
大学構内で指紋押捺の反対運動をする
日本人の前を太宰とシェイクスピアを抱えて
素通りした
公務員は受験資格がなく塾で働いた
面倒みていた後輩は飲み屋で
朝鮮人なら軽蔑します
小料理屋の息子である彼は朝鮮人の酔客に
いじめられるおふくろを視ていたらしい
優秀な彼はその男と私が他人であることに
気づかなかった
待ち焦がれたように日本人になった
公務員になり子供にも恵まれた
仲間になることを切望していたのに
遺失物係に届けたいような寂寥
落としたものは案外大切なものだったのか
他界したあなたに手紙をだしはじめる
慶尚北道大邱府南山町一六二
私が知っているのは本籍とあなたの名前だけ
大邱は今では大都市らしい
役所から返事はこない
同封した切手返してほしいな
屋台で知合った韓国人ビジネスマンに託してみる
本籍と名前だけでは親戚は探せなかったとのこと
ありがたい探してくれたんだ
留学生に大切な写真を渡してしまった
アルバムにあった凜とした学生服の男は
あなたの兄弟かもしれませんね
衿のバッヂから学校がわかるといった君は消息不明だ
写真だけでも返してほしい
あなたの見ていた故郷の山は川は
どんなだったのだろう
あなたは子供の頃から乱暴で意気地がなくて
だまされやすかったのだろうか
年とったのか涙もろくなった
尹東柱をよみ
「長河への道」を聴き
関東大震災 朝鮮人が井戸に毒をいれたという
デマがながれたとき
暴動を起こす日本人から朝鮮人を助けた
大川さんの逸話にほろり
東北弁の少年は血に誘われ
大邱へ大邱へと近づいている


*尹東柱(ユン ドンジュ) 詩人(一九一七〜四五)
*「長河(チョンハー)への道」 韓国人系日本人歌手 新井英一の代表曲
*大川常吉 朴慶南(パク キョンナム)(一九五〇〜)作家「ポッカリ月がでましたら」より

※注は原詩のもの
★『在日コリアン詩選集』より

◆新井豊吉は1955年、青森県生まれ。
冒頭の「基地」とは三沢基地のことであろう。

冗談のころもで包みながら、在日コリアンとしての半生を振り返る詩。
日本人となってみて取り落としたものの正体を確かめようと、亡父のふるさと・大邱に思いは向かう。



〈死んでたまるもんね〉[2019年08月18日(Sun)]

◆NHKが今夜放送した映画「ひろしま」(関川秀雄監督)は敗戦後まもない1953年の作品である。音楽は伊福部昭(やはり伊福部が音楽を担当した「ゴジラ」は翌1954年)。

月丘夢路が子供たちと映ったスチル写真だけは記憶にあるが、映画自体を観る機会はなかった。
被爆者自身を含む8万8千人もの広島市民がエキストラ出演し、海外での評価も高かったという映画でありながら長く封印されて来た理由の一つに映画の製作が日教組プロであったことがあるようだ。
政治の介入である。

日本政府のみならず、アメリカの意向も働いていたであろう。
米アイゼンハワー大統領が国連総会で「核の平和利用」演説を行ったのは、映画公開直後の1953年12月8日である。原爆被害の生々しい姿を人々の目から遠ざける必要があったろう。
かくて国際社会はもとより日本人自身の前からも映画「ひろしま」は姿を消されていたわけである。

◆◇◆◇◆◇◆

◆ヒロシマ・ナガサキの被爆者は日本人だけであったのではない。
日本国内に収容されていた外国人捕虜がおり、さらに多くの朝鮮半島からの人々がいた(被爆者の10人に1人は在日の人々であったとする調査がある)。
『在日コリアン詩選集』からもう一編を――


炭  趙南哲(チョ ナムチョル)

うちゃあ死にゃあせんよ
死んでたまるもんね

あのひと追っかけて慶尚北道の山奥から
広島に来たんが十八じゃけど よかったんは
三年間あのひとと暮らせたゆうくらいかね
あのひとはうちのまえの柿の木みたいに
ピカできれいに炭になってしまうし うちは
炭になりきれずに 灰だけ吸うてしもうたけんね

シアボジ(しゅうと)もシオモニ(しゅうとめ)も痛い痛いゆうて
泣いとったよ ほんま生地獄たあようゆうたもんよね
うちも立てんくらい痛かったんじゃけど
もう死んだほうがええゆうてなんべんも思うたんじゃけど
あのひとの子ども死なすわけにゃあいかんじゃないの

ようここまで生きてきたあ思うよ
シアボジは脱疽で両脚切ってずっと寝たきりで
ある日あっけなくあの世に行ってしもうたけど
シオモニは痛い痛いゆいもうてなんとか生きとってよ
女のほうがしぶといんじゃねえゆうてよう笑うんよ

灰吸うた女の体になんぼ汗水ふきだして
失対したけゆうて 一日なんぼになるいうんね
日本人の証人がおらんゆうてうちには手帳もくれんし
それで病人ばっかりの家族が生きてきたんじゃけえ
ふしぎなもんよね 神さんが生かしてくれたんかねえ

ピカがうちらの幸せをめちゃくちゃにしたんよね
うちゃあピカがほんまにうらめしい
アメリカも日本もにくったらしい
なんでよその国の戦争でうちが
こんなめにあわにゃいけんのか
いまでもわからんよ

いまさらそんなことゆうてもらちあかんしね
あのひとが帰ってくるわけでもないしね
ただね うちらの国が一つになるじゃまだけはせんでほしい

故郷にあのひとの骨の灰うめてあげるまではね
うちゃあ死にゃあせんよ
死んでたまるもんね


失対…失業対策事業。
失業者対策として公共事業等で雇用を進めたが、最低賃金をもさらに下回る労働条件であった。
手帳…被爆者手帳。申請するには3名の証人が必要など、日本人被爆者にすらいハードルが立ちはだかっていた。

森田進・佐川亜紀 編『在日コリアン詩選集』(土曜美術社出版販売、2005年)より。

趙南哲は1955年広島県生まれの詩人。



青い空を渡る鳥の渇き/その渇仰ののどのふるえとして[2019年08月17日(Sat)]

DSCN1431.JPG

***

◆昨日の金時鐘「化石の夏」同様に「石」で始まる詩をもうひとつ。

「一個の石」になることを念じる点も共通する。
「木や石ではない」ことに生きる拠り所を持とうとするのも人間だが、「石」になることを願う者もまた人間として、大地深く降りていって地下の水脈に働きかけ、人々の喉を潤すほとばしりとなることを願う。
多くの断念と悲しみによって残った一念は、個体への執着を離れて、幾千・億万の人々を生かそうとするのである。


在りたい   崔 龍源

もし生きうるとすれば
一個の石 石のなかにたたえられた
断念のひとみとして
そのひとみに灼きついて
流された億万の血の記憶として
死に絶えていった
あの美しい風景の中心(こころ)として

もし死なないでいるとすれば
錆びついた銃口としてではなく
撃たれた死者として
数限りなく射殺された希望として
暑い 渇いた荒野にふるえる
草木として
在りつづけるであろう
青い空を渡る鳥の渇き
その渇仰(かつごう)ののどのふるえとして

もし狂わずにいられるとすれば
棄てられる民として
戦争のときに まず最初に
捨てられゆく民衆として
一粒の種子の奥深くしまわれた
生へ 飢えかわくたましいとして
あらがい続けるいのちとして
閉ざされたくちびるとしてではなく
もし内部発光しうるとすれば
むつみ合う魚として鳥として獣として
決して癒されることのない場所に
人として在りつづけるであろう
縛られる手となろうとも
闇の底から発される声として
もし狂わずにいられるとすれば
もしまだひとつの祈りであるとすれば
形のないものとして たとえば
たえず咆哮する海の波濤として
ただひとりのひとの
限りないうみのかたちとして
もし在り続けることができるとすれば
悔いとして
あるいは昔のような存在として
吹き過ぎる風の言葉として
もし夢みつづけることができるとすれば
地球儀をまわす子供たちの
てのひらや垢や汗の匂いとして
そして 尽きない
いのちの継起 噴き上がる
ひと筋の水として
在りたい



崔龍源(さい りゅうげん)は韓国人の父、日本人の母のもと、1952年に佐世保市に生まれた詩人。

*昨日と同じく『在日コリアン詩選集』より。




空の深みへ降り立つ[2019年08月16日(Fri)]

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遠く西海を北上した台風の余勢で、かぶりを振り続けるコスモス

*******

化石の夏   金時鐘(キム・シジョン)

石とても思いのなかでは夢を見る。
事実ぼくの胸の奥には
はじけた夏のあのどよめきが
雲母のかけらのようにしこっている。
石となった意志の砕けた年月だ。
羊歯が印刻を刻んだのは
石にかかえられた古生代のことだ。
軍事境界とかのくびれた地層では
今もって羊歯が太古さながら絡んでいる。
見る夢までが そこでは
化石のなかの昆虫のように眠っている。
その石にも渡る風は渡るのである。
そうしてある日 それこそ不意に
炭化した種が芽吹いたオオオニバスのそよぎとなって
積年の沈黙をひと雫の声に変える風ともなるのである。
かげる季節は だからこそ
風のなかでだけにじんでゆくのだ。

もっとも遠くて立ちつくす一本の木に
一日は音もなく尾を引いて消えていった。
鳥が永遠の飛翔を化石に変えた日も
そのように暮れて包まれたのだ。
何万日もの陽の陰で
出会えない手があたら夕日を国訛りでかざし
口ごもる者の背後で
海は空とひっそり出会った。
もはや滅入の時をわれらは持たない。
一切の反目が火と燃えて
うすべに色にうすれる闇のしずもりをわれらが知らない。
くろぐろとあきらめは石に帰り
石にこそ願いは
ひとひらの花弁のように込もらねばならぬのだ。
思い至れば星とて石の仮象に過ぎないもの。
火口湖のように降り立った空の深みへ
ひとりひそかに胸のきららを埋めに行く。


森田進・佐川亜紀 編『在日コリアン詩選集 一九一六年〜二〇〇四年』
(土曜美術社出版販売、2005年)より

◆石にひとひらの花弁のように願いを込める。
その石は化石となって火口湖の深い底に埋められることで、湖水に余すところなく映る空の星と釣り合うかたちで太古からの時間の中に眠るのである。

宇宙大の気宇と化した石。

わたしの「人間」を奪い/わたしの主人になって/命令する日本語。[2019年08月15日(Thu)]

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木槿(ムクゲ)

◆ ◇ ◆

コトバのツケ   申有人(シン ユイン)

わたしの日本語には
だれにも見せたくない
ひとつの恥部が
こころのおくに 影を落とし
えたいの知れない
うしろめたいものが
密かに うずく。

その むかし
日本語の巧い朝鮮人を賞めるのに
――まるで日本人そっくりね!
と 頭をなでて朝鮮人を悶絶させた。
憶えば
わたしもこのお仕着せの世話になってながい。
半世紀の歳月は
不格好な借着のぬくもりに狎(な)れさせ
知らぬ間に母のコトバを逐いだし
わたしの「人間」を奪い
わたしの主人になって
命令する日本語。
打てば全羅道訛(サトリ)
素っ裸で飛びだしたわたしの母語は
ながい風濤に晒らされ
遙かな異国のコトバへ移りゆく。
母のコトバを逐いだした
日本語に黙ってしたがう
わたしは誰だったろう。
同じ時代に生きて
同じ母のコトバを
「死」で衛った詩人もいる。
母語で書いた自分の未刊詩集を
大事に持っていたため
残虐な日本語の拷問にあい
戦争末期福岡刑務所で死んだ
尹東柱(ユンドンジュ)は囚われても
「奴隷」にはならなかった。

植民地の「奴隷語」を
言語学者は(Pidgin)と称んだ。
悲惨な現実を生きのびるための
コトバのツギハギが〈ピジン〉であり
「物言う家畜」の日常語になるが
その子供たちには
「神聖な母語」であった。
生れくる子供に
その母が択べないように
母のコトバも択べなかった。
母から流れる
乳とコトバは
人間の証(しるし)となって
そのこころと肉体を育てる。
いま日本には
七十万の朝鮮族がいるが
その主流は在日三、四世で
その殆どは朝鮮語を知らない。
朝鮮語はかれらの母国語ではあっても
母語ではなかった。
かれらの母語は
正確な朝鮮語でも日本語でもない
「ツギハギ」の「イカイノ語」であった。
日本現代史が
この新生ニッポン語に
悶絶しないのはなぜだろう?


森田進・佐川亜紀編『在日コリアン詩選集』(土曜美術社出版販売、2005年)より

申有人(シン ユイン 1914-1994)
韓国全羅南道谷城郡生まれ。1920年に渡日。詩誌「コスモス」同人。著作集『狼林記』(皓星社、1995年)がある。

◆敗戦の日8・15は韓国においては光復節。
生きのびるために他民族のことばを身につけざるを得ない体験がもたらす屈折とそれがもたらす悶絶は加害側に意識されることはない。

「悶絶」や「恥」と表現する歴史には集団の歴史も個としての歴史も含まれている。
個としての歴史を置き去りにしては歴史認識の問題は半歩も先へ進まないだろう。

「わたしは誰だったろう」と自問する人間の前に立つ者が、彼の「悶絶」と「恥」に見合う痛みを自らの内に刻印できるかどうか。

◆◇◆◇◆

尹東柱(ユン・ドンジュ、1917-1945)について過去の記事は……

【詩人・尹東柱 没後70年】 (2015年2月16日記事)
http://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/105

【尹東柱〈星をうたう心で〉】 (2016年10月21日記事)
http://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/363


ラルス・フルデンの「前を見て」[2019年08月14日(Wed)]

前を見て   ラルス・フルデン
            大倉純一郎訳

一酸化炭素を吸っちまうということもある
馬に頭を蹴られちまうということもある
手を脱穀機のドラムに巻き込まれちまうということもある
海におっこちて溺れちまうということもある
肺病になっちまうということもある
手綱(たづな)を首にかけていたら、馬鍬(まぐわ)に巻きついて一緒に
引っ張られちまうということもある
蛇にかまれちまうということだってあるさ
前を見て歩かなかったら
蜂にさされることもあるし、それで死んじまった人だってある
氷で滑って、それで手足が折れちまったということもある
雄牛にとっつかまって、突き殺されちまうことだってあるさ
足で釘を踏んで、それで敗血症になっちまうことだってある
肺炎になっちまうということもある
あまり近よりすぎたら、めまいがしだして、それで急流に
おっこちまうことだってあるさ
死体を見たら、気がふれちまったということもある
プロペラに手をつぶされちまうことだってある
斧で自分をひっぱたいて血が止めどもなく流れちまうということもある
車からおっこちたら、頭が車輪の下にはまっちまったということだってある
いかなことにも成りうるし、いかなことも起こりうるものさ
前をみていないとね
前を見よう、子供たち! 


川崎洋・編『いのちのうた』 (あなたにおくる世界の名詩8 岩崎書店、1997年)より
*ラルス・フルデン(Lars Huldén 1926-2016)はフィンランドの人。

◆日本風に言えば「畳の上で死ぬ」こと以外の、さまざまな事故死のオンパレードである。
どれも「前を見て」いれば避けられるのだから、注意深く生きよう、と呼びかけているのだが、この詩には、〈一度は死ぬ以上、尋常じゃない死に方を味わいたいところじゃないか〉という気分に誘うところがある。
次いで、〈どうせなら、このリストにない最期を迎えたいじゃないか〉という考えが頭の中を占領し出す。
そうして、〈「死に方リスト」に存在しない死に方〉というのは、実は 〈人の注文通りじゃない生き方〉ということじゃないか! という考えに進むことになるようだ。
この詩が持つユーモアの効能である。



教科書で天皇への敬意強制が進んでいる[2019年08月13日(Tue)]

DSCN1305.JPG
オオマツヨイグサにカナブン

◆オスプレイを見た。引地川上空を厚木基地に向けて北上する2機。手もとにカメラがなく写真に残せなかったが、ツイッター上で発信している人がいた。

暑苦しさに開けた窓から昨夜も今夜も深夜の飛行音が聞こえている。

神奈川県のホームページには「オスプレイの飛来関連情報」というページがあるのだが、防衛省南関東防衛局が提供したものを載せるだけの、全く一方通行の情報でしかない。
主権国家でないことを雄弁に物語る一例だ。
強権にものを言わせて受け入れさせるなら民主主義国家とはとても言えまい。

飛ぶ回数が増えるにつれ人々が気に留めなくなったころ、狙い澄ましたように事故は起きる。
わが身でないことを祈るのみ、などというのは生き方として腐っている。

★神奈川県〈オスプレイの飛来関連情報〉のサイト
http://www.pref.kanagawa.jp/docs/bz3/cnt/f531088/

*****

教科書で天皇への敬意強制が進んでいる

◆各地の教育委員会で来年度子どもたちが使う教科書の採択が進む時期。
小学校社会科の教科書における天皇の扱いに明らかな変化が生じていることを報じる記事がある。
『紙の爆弾』(鹿砦社、2019年9月号)から転載する。
*原記事の「傍点」は赤字下線によって示した。

***

小6社会科教科書

「天皇への敬愛の念」教化を続ける文科省


   取材・文 永野厚男


右派勢力と文科省が癒着し右傾化進む

学校が教育課程を編成したり、教科書会社や執筆者が小中高校等の教科書を執筆・編集・発行したりする際、文科省が「大綱的基準として法的拘束力あり」とする学習指導要領(以下、指導要領)。
渡海紀三朗(とかいきさぶろう)文部科学大臣(当時。以下同)が二〇〇八年三月二十八日に告示した現行指導要領の、原案が公表された同年二月十五日、現首相・安倍晋三氏側近の衛藤晟一(せいいち)・自民党参院議員が文科省を訪れた。面会相手は、当時同省教育課程課長だった高橋道和(みちやす)氏と、同氏の部下で教育課程企画室長だった合田(ごうだ)哲雄氏(現財務課長)。
この〇八年指導要領は、@改定教育基本法の国を愛する態度∴逅ャを「第1章・総則」(全学年の全教科・領域を拘束)に盛り、A小学校音楽の君が代≠「いずれの学年においても」(即ち1年生=六〜七歳児から)と「指導する」の間に「歌えるよう」と加筆する等、政治色の濃い内容だ(以下、傍点は筆者)。
@は〇六年の第一次安倍内閣が改定を強行した教育基本法が響き、原案時点から盛り込まれていた。だが、Aは原案にはなかったものだ。
小学校指導要領の「音楽」における君が代≠フ変遷を振り返る。一九八九年三月十五日、西岡武夫文部大臣が官報告示した時は、「国歌『君が代』は、各学年を通じ、児童の発達段階に即して指導すること」と、成長・発達段階を配慮する文言が、一応は入っていた(ただし卒業式等、学校行事での君が代≠フ強制は格段に強化)。九八年十二月十四日、有馬朗人(あきと)文部大臣告示時から「いずれの学年においても指導すること」とし、成長・発達段階を配慮する文言が消えてしまった。だが〇八年指導要領の原案は、この九八年の文言を踏襲していた。
ところが衛藤氏は、その「いずれの学年においても指導すること」との文言にも飽き足らず、「これでは抜け道だらけだ。改正された教育基本法が空文化する」と高橋氏らに迫った。
この「抜け道」について、衛藤氏は「児童が『君が代』を歌えるようにならなくても教員は『指導はした』といえば済まされてしまう。『歌えるよう』指導するといった『到達目標』を明記しなければ、教育現場は変わらないのではないか」と指摘した――と、産経新聞(〇八年二月二十三日付)は報じている。
衛藤氏の所属する日本会議系の団体である日本教育再生機構(八木秀次ひでつぐ・理事長)は、「改定教育基本法・改定学校教育法の教育目標」(当然ながら国を愛する態度≠念頭に置く言い方)」「音楽共通教材の文部省唱歌」「大日本帝国憲法制定の積極的意義」「近現代史教育の自虐史観」「自衛隊」等で雛型の参照用コメント≠ワで作り、組織的なパブリックコメント工作を行なった(宛先の文科省教育課程企画室のメールアドレス・ファックス番号を明記)。
〇八年五月〜六月、筆者は研究者・元教職員・保護者らと文科省に延べ十五時間足を運び、『広辞苑』ほどの厚さのファイル二十冊に無造作に綴じた(もちろん目次も頁数も何もなく、読みづらい)パブコメの束を閲覧したところ、君が代・天皇・神話教育・自衛隊%凾ナ政府・自民党や前出政治団体の施策・見解・主張に沿う記述を求める、同一筆跡や改行箇所が(中には誤字まで)同じパブコメが百通・二百通規模で見つかった。
ところで、指導要領の原案公表から告示までの一カ月ちょっとの期間は、これまで、テニヲハやデータ的な修正はあっても、君が代≠「歌えるよう」と加筆する、日本国憲法第一九条・二十条・二一条の「思想・良心・信教・表現の自由」の侵害に直結する根幹的な変更を、文科省が強行することはなかった。だが高橋氏・合田氏らは、やってしまった。
合田氏が教育課程課長となり二年経った一七年三月三十一日改訂の新指導要領は、全校種(国≠フ概念や天皇の憲法上の位置付けの理解が困難な年齢の幼稚園教育要領に至るまで)、「総則」の直前に新設した前文にまで、前出@の国を愛する態度≠盛った。Aも君が代≠ノ「親しむ」という文言を幼稚園でも明記してしまった。
君が代≠ヘ新指導要領より遥か前から、小1〜小6の音楽教科書全てに楽譜入りで、小6の社会科教科書全てに五輪絡みで登場し、次の世代、さらに若い世代へと教え込まれ続けている。
文科省官僚と保守系政治家・政治勢力との癒着(パブコメ工作を含む)が、学校教育の政治的中立性を歪(ゆが)めているのは明白だ。
ちなみに、道徳教育強化を目玉にした〇八年指導要領策定の実質的責任者だった高橋氏はその後、出世街道を歩んだが、民間企業から高額飲食接待を受けた国家公務員倫理法違反で懲戒処分を受け、一八年九月二十一日に初等中等教育局長を辞任し退職している。



天皇への敬意〞の強制教化は?

教科書編集・執筆で大綱的に基準となる小学校学習指導要領は、一九六八年七月十一日の灘尾弘吉(ひろきち)文部大臣告示時から、小学校の6年社会はずっと「天皇についての理解と敬愛の念」を深めるようにすることが必要である」という文言で拘束。神話教育°ュ制も入れ続けている(これらは五八年十月一日告示の指導要領にはない。【注】参照)。
だが、一五年三月まで使用されていた社会科教科書の天皇の記述は、筆者が調べた限り、つくる会系の中学校社会科教科書≠除き、執筆者の良識が働き、他の人々と平等に、特に敬語(尊敬語)を使わず記述していた。
しかし、一五年四月使用開始の小学校社会科教科書から、文科省が検定意見を付けた形跡はないのに、教科書会社(当時は四社)のうち、教育出版(以下、教出)・日本文教出版(日文)・
光村図書の三社が「れる・られる」「陛下」という敬語を自主的≠ノ重複使用するよう変節してしまった(詳細は『マスコミ市民』一五年十一月号拙稿)。
こういう状況下、東京書籍(東書)は天皇の公的行為≠ニして被災地訪問の写真一枚の掲載に留め、「天皇は、国事行為のほかにも、こうした公的な仕事を行います」と敬語なしで記述している。



来年度使用開始教科書
天皇に三社とも敬語使用


二〇年四月使用開始(今夏、全国の教委が採択)の小6社会科教科書は、天皇については三社(光村図書が撤退)全て、政治編と歴史編との両方で記述している。今回は政治編に絞り、その記述を分析する。
「陛」は宮殿の階段の意で、「陛下」は「階下にいる近臣を通じて奏上する」意からできた敬語である。今回は東書までこの敬語を用い、三社とも横並びになってしまった。教出と日文がさらに「れる・られる」と敬語を二重使用した意図を、ベテラン教員は「自治体の長が任免する教育委員は、(沖縄県等を除き)保守系議員が多数を占める議会の同意を要するので、全国的に保守的な人の方が多い。そういう委員たちに採択してもらえるよう、天皇への敬語を重ねているのではないか」と分析している。



東京書籍

東書は大きく二回に分け、天皇に言及している。
一箇所目は、憲法の「国民主権」を記述した後に続く。
一七頁でまず、「日本国憲法では、天皇は、日本の国や国民のまとまりの象徴(しるし)であり、政治については権限をもたないとされています。天皇は憲法に定められている仕事(国事行為)を内閣の助言と承認にもとづいて行います」と本文に記述。
続いて「国会を召集。衆院を解散する。国務大臣を任免することや大使の信任状などを認証すること」等の国事行為を箇条書きした囲みでは、天皇に深く頭を垂れているモーニング姿の国務大臣らしき人物の小さい写真を掲載。
そして右下に、正座したり深く頭を垂れたりしている被災者に、笑顔で接する明仁氏・美智子氏のやや大きい二枚目の写真を、「被災地を訪問し、人々をはげます天皇・皇后両陛下 天皇は国事行為のほか、こうした公的な仕事を行います」というキャプション付きで載せている。「れる・られる」は使わなかったものの、東書まで「陛下」という敬語を使用するようになってしまったのだ。
二箇所目は、「国民の祝日」の中で、「天皇の誕生日を祝う」と天皇誕生日を説明した二九頁。ここでは特に敬語は使用していない。



教育出版

教出も憲法の「国民主権」を記述した後、天皇の記述を一七頁で一頁分に集約し掲載。
まず「国会の開会式に出席する天皇陛下」のキャプションの写真(参院本会議場の議長席より三段高い御席≠ネる位置で、明仁天皇が巻物のような紙を読み上げ、下の方に並ぶ国会議員らが起立し聞いている)を、「…国会の開会は、天皇が文書で公布します。これを『国会の召集』といいます。天皇は、憲法で定められた国事行為の他にも、全国植樹祭への出席や災害で被災した地域への訪問などの、さまざまな仕事も行います」という説明と一緒に載せている。東書同様、「陛下」という敬語を使ったが、この他の敬語は使用していない。
そして、この下の本文では、「憲法では、天皇を『日本国の象徴』と定めています。国民主権のもとでは、天皇は国の政治についての権限はもたず、憲法で定められた仕事(国事行為)を行います」と記述している。
そして右横に、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」と規定した日本国憲法第一条を、「基」を平仮名にするなどし、そのまま引用。その下に「憲法で定められた天皇の主な国事行為」として、東書同様囲みで、「(第六条)内閣総理大臣、最高裁判所長官の任命」を、続けて「(第七条)憲法改正、法律や条約の公布」等を、箇条書きで載せている。
この後、「災害からわたしたちを守る政治」の選択単元の五一頁右側・四枚のやや大きい写真の二番目に、「避難所を訪問される天皇陛下」のキャプションで、跪(ひざまず)き被災者に語りかける明仁氏の写真を載せている。「れる」と「陛下」という敬語の重複使用だ。
 



090812永野氏記事添付 教書社小20使日文天皇p13.jpg
*「れる」「陛下」と敬語を重複使用する日本文教出版

日本文教出版

日文も憲法の「国民主権」を記述した後、天皇は一三頁の「学習資料 日本国憲法と天皇」という枠で掲載。まず、「日本国憲法では、天皇は日本の国や国民のまとまりの象徴であり、その地位は、国民全体の理解にもとづくと定められています。象徴である天皇には、国の政治に関する権限はなく、内閣の助言と承認にもとづいて、憲法に定められた仕事をおこないます」と記述。
その下に東書・教出同様、「天皇のおもな仕事」を箇条書きし、「文化勲章を授与する天皇」のキャプション付き写真を掲載。頭の下げ方は、明仁天皇も白髪の受賞者もほぼ同角度だ。
右側には「東日本大震災の被災地を訪問される天皇・皇后両陛下」というキャプションで、東書一七頁と同じシーンの写真を載せ、「天皇は、憲法で定められた仕事以外にも、全国植樹祭・国民体育大会への出席や、被災地への訪問・はげましなどもおこなっています」と説明している。教出同様、「れる」と「陛下」という敬語の重複使用だ。



【注】指導要領の天皇への敬愛の念°ウ化の文言は約五十年間、同じだが、高橋氏・合田氏らは〇八年六月、『小学校学習指導要領解説、社会編』に次のように、国事行為以外も加筆してしまった。
〈「天皇の地位」については、例えば、国会の召集、栄典の授与、外国の大使等の接受などの国事行為や、国会開会式への出席、全国植樹祭・国民体育大会への出席や被災地への訪問・励ましといった各地への訪問などを通して、象徴としての天皇と国民との関係を採り上げ、天皇が日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であることを理解できるようにする。また、(指導要領の)内容の(2)の歴史学習との関連に配慮し、天皇が国民に敬愛されてきたことを理解できるようにすることも大切である。これらの指導を通して、天皇についての理解と敬愛の念を深めるようにする必要がある。『解説』は法的拘束力なき、文科省著作の参考資料に過ぎないのに、教科書の編集者らはバイブルのように縛られてしまうのだ。


永野厚男(ながのあつお)
文科省・各教委等の行政や、衆参・地方議会の文教関係の委員会、教育裁判、保守系団体の動向などを取材。平和団体や参院議員会館集会等で講演。

***

◆敬意を強制することはできない。内心の問題であるからだ。
ところが、敬語の反復使用によって。敬意を持たない人間は不心得者である、という発想が刷り込まれる。そのような思考のパターンに馴致させられた人々は異端児のあぶり出しに熱中し、しばしば狂奔しさえするだろう(過去の話ではない。あいちトリエンナーレの目下の事態と津田大介氏が登壇するはずだったシンポジウムの中止も一例だ)。

教科書の用語の変化は右派と文科省の思惑に迎合する形で進んでいる。
それは「教化」に過ぎず、教育に値しない。
新学習指導要領が高く幟を掲げた「主体的な学び」と完全に矛盾してもいる。
矛盾を強いられる学習者は真面目な者であるほど内面の崩壊へと向かうであろう。
かくて民主主義もまた死ぬであろう。





小澤征悦のファミリー・ヒストリーと公文書[2019年08月12日(Mon)]

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歩道に「影を正しうす」という姿で絶命していたアブラゼミ。

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公文書は大事だ

◆12日のNHK「ファミリー・ヒストリー」〈小澤征悦〜謎だった曽祖父の行方 75年ぶりの真実〜〉に驚いた。

母(女優・モデルであった入江美樹。本名ヴェラ)方の曾祖父・ピョートル・ニコライヴィチ・イリイン(1889-1954)の生涯をたどることを可能にした公文書の存在である。

一つは、ピョートルの生まれたトボリスク市の国立アーカイブ資料館にあった1897年の国税調査の記録である。ピョートル7歳の記述とともに、父親をはじめ、家族の来歴までが記録されていた。

もう一つは1945年9月、かつて白軍兵士であり外国(ハルビン、大連)に逃れたかどで、ソ連政府により25年の懲役刑を宣告されたピョートルの死をめぐる記録である。

ピョートルが収容されたのはカザフスタンにあったカラガンダ矯正収容所。
番組取材班の照会への返書であろう、カラガンダ収容所の記録を記した回答文書にピョートルの最期が詳しく記されていた。1954年4月26日に病死したこと。埋葬されたのはペスチャンヌイ第9収容所、墓石番号B27であることまでが記されてあった。

◆日本で言えば明治30年代に生まれ敗戦後まで生きた人物の生涯。
記録ぐらい残っているだろうと軽々には言えない。
公文書が一族の系譜をたどる資料として力を発揮した実例を番組で目の当たりにすれば、彼我の公文書保存への基本姿勢の違いは明らかだ。

◆2015年春に日本の国立公文書館でJFK展が開かれた折(キャロライン・ケネディ氏の駐日大使就任にことよせて開催)、アベ首相は資料協力を仰いだ米国立公文書館にならって我が国も公文書館を充実させたい旨語っていたはずだが、その後の森友・加計疑惑が証明しているように、公文書保存に力を注ぐどころか、文書改竄を仰せつかった財務省職員が自死したことさえ黙殺して今に至っている。
公文書隠滅が当たり前になったと言って良い。

◆だが、それもまた今に始まったことでない、ということも今回の「ファミリーヒストリー」は思い出させた。

それは、ピョートル(小澤征悦の母方の曾祖父)が収容所で懲役刑に服していたのと同じ時期に同じ収容所にいた阿彦哲郎(あひこてつろう 89歳)という日本人のエピソードである。
敗戦時に樺太にいた阿彦氏はスパイの嫌疑で逮捕され収容所送りとなった。やがて日本人の帰国が始まったものの、阿彦氏は名簿から漏れていたために帰国の機会を失ってしまったのだという。
ソ連側の帰国予定者名簿に不備があったとしても、帰国できた日本人への聞き取り調査や旧・樺太在住の邦人について徹底的にリストアップする日本政府の努力が継続されていれば、阿彦氏にも帰国のチャンスが訪れていたかも知れない(氏はその後収容所近くに暮らして家庭を持った。番組は、高齢で不自由な体の阿彦さんが娘さんの世話を受ける姿を映していた)。

敗戦の日を前に戦争特番が多く放送されている中で、ロシアあるいは南洋におけるずさんな遺骨収集と問題隠蔽の実態を取り上げたドキュメンタリーもあった。

数知れぬ棄民の歴史を今なお塗り重ねて恥じない。
脳みそが沸点に達する思いだ。

JFK展の記事は
http://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/126
http://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/128




〈生者たちは自分たちの沈黙を守っていてよいのか〉[2019年08月11日(Sun)]

DSCN1418.JPG
炎天にいよいよ尖る栗の実

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空虚  ジャン・タルデュー
       宗左近 


死者たちは戻ってこないでいる それなら
生者たちは知らねばならぬ何が残っているのか

死者たちは嘆くことができないでいる それなら
生者たちは誰を何を嘆くのか

死者たちはもう黙っていることはできない それなら
生者たちは自分たちの沈黙を守っていてよいのか


 宗左近『詩(うた)のささげもの』p.272(新潮社、2002年)

◆宗がこの本で書いているように、この詩は渡辺一夫が岩波文庫の『きけ わだつみのこえ ー日本戦没学生の手記ー』の序文の末尾に、あげたもの。宗左近による改訳である。

渡辺一夫訳も示して置く。


死んだ人々は、帰ってこない以上、
生き残った人々は、何が判ればいい?

死んだ人々には、慨く術もない以上、
生き残った人々は、誰のこと、何を、慨いたらいい?

死んだ人々は、もはや黙ってはいられぬ以上、
生き残った人々は沈黙を守るべきなのか?



◆同じ詩でありながら、渡辺一夫訳は慨嘆の色が濃く、いっぽう宗左近訳は死の事実を抑制的に見つめる所から始め、言葉を理詰めに連ねた上で厳しい倫理上の問い詰めに至る。
世代による戦争体験の違いによるというべきだろうか(宗の方が19歳年下)。


松永浩介「希い」[2019年08月10日(Sat)]

希い   松永浩介

すべての蕾をしてふくよかに
花々の香りを野にみたさせるために
さえずる小鳥らをして存分に
樹々の小枝にとびわたらせるために
大地にふりそそぐ太陽の光を原子雲で
怪しく曇らせぬために
……平和を……たしかな平和を

あれらのこども
あれらのおや
われらのはらからをしてまどかに集い
心たのしく語らせるために
星 その笑みかけるまたたきをさえぎらせぬために
平和を……限りなき平和を

そのはるかな呼びかけにこたえ
こだまを強く打ち返すために
山を越えろ
歌よ
海をもわたれ。


 小海永二・編『日本の名詩』(新装版、大和書房、1983年)より

◆戦後間もない時期の詩の言葉に濁りや韜晦が少ないのは、沈黙を強いる圧力が消えたことによるばかりでなく、「平和」の二字の担う意味がハッキリしていたからだろう。
「平和」に「積極的/消極的」の違いもなければ、「平和主義」というような食えるか食えぬかわからない観念のようなものでは金輪際なく、ブロックを積み種の芽生えを促すように、死や飢餓から解放された心身を世界に対して具体的に働かせることを意味していただろう。

平和に倦み、戦時の到来を冀(こいねが)うような倒錯した時代が訪れようなどと考えはしなかったに違いない。

世の中が複雑になったため、というより、複雑に見えるものを腑分けしシンプルに理解する手わざを忘れてしまったからだ、と思える。


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