CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る
« 2019年06月 | Main | 2019年08月 »
<< 2019年07月 >>
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
最新記事
カテゴリアーカイブ
月別アーカイブ
日別アーカイブ
クモの糸のその先[2019年07月21日(Sun)]

DSCN0195.JPG

◆クモの糸が手前の手すりから真っ直ぐ白い道を指し示していた。
10メートル近くも木の方に伸びて行った先に巣を張っていた。

糸の張り渡しは、向こうの木の方から下に降りて来るという順番だったのかも知れないが、完成した仕掛けを地上から見る者は、手前から徐々に斜め上方へと視線を伸ばす、そういう手順を踏んで行って、その先に向かおうとする。
いわば眼に想像力の方が従って行く、というプロセスをたどることになる。
頭の中にイメージが予め在って、眼がそれを確かめる、ということではない。

このクモの糸に気がついたとき、まず思ったのは、「どこに向かっているんだろう?」ということであった。

言わば、糸の下端をスタート地点として斜め上方へと想像が向かい始めると、巣やクモの存在は通過地点に過ぎず、よそ見することも道草を食うこともせず、斜め上方へと眼と心は向かうようなのだ。

逆に、糸が今居る地点から下方に伸びていている場合には、下へ下へと眼は向かって行き、想像力はやっぱりその後について下って行くしかないだろう。

スタート時の方向が重要と言うことになる。

途中の軌道修正は? という点については、面倒な修正を加えるより、最初の方向を変えずに進む方を選ぶだろうと思う。すなわち惰性に従うという安楽を好むだろう。

さらに、地上に住する限り、下向きの力が常にのしかかっている。
(クモも網を張るのに重力を利用するらしい)

以上から教訓を得るとしたら、〈目先の利益に目を奪われていて、遠くまで射程を利かした想像力を持たねば、人も社会も転落するのはあっと言う間である〉ということになろうか。
クモの糸がそれを救ってくれる保証は全くない。

★「参院選、改憲勢力は3分の2を割り込むことが確実」と日付けが22日に変わったころのNHK特番。低投票率にもかかわらず、なのか、ドッコイ世の良識は……なのか。
論点を隠蔽し(イランvsアメリカ問題、イージス・アショア問題、辺野古問題etc.)与党に加担するメディアの状況は変わらないのだから、依然としてほっとしていられる情勢ではないけれど。




「平和」という名の列車[2019年07月20日(Sat)]

DSCN0188.JPG
ネムノキ。梅雨寒のせいか、長く咲いているようだ。

*******


平和  甲田四郎

私の少年時代平和があった
日本の敗戦から四年後の一九四九年
私は新制中学二年生
国鉄の第一次人整理三万七千人があり
七月下山国鉄総裁の轢死体が発見され
深夜三鷹駅で無人電車が民家に暴走し
八月松川で貨物列車が脱線転覆、運転士と助手が死んだ
じつにその九月、へいわが走りだしたのだ
戦後復活した最初の特別急行列車
庶民の夢子供の憧れそれはへいわと名づけられた
編成は三等荷物合造車・三等三輛・二等四輛・食堂車・一等展望車
展望車には鳩の上にへいわと書いた丸形テールマーク
その上で女優の木暮実千代が手を振って発車した!
東京大阪間を一往復、所要時間九時間
戦前の特別急行列車より一時間遅かった
浜松までは前後にデッキのある茶色のEF58電気機関車が
そのあとは日本最大の蒸気機関車C62が引っ張った
でのへいわの寿命は三ヵ月しかなかった
五〇年一月にはつばめになって
六月朝鮮戦争が勃発
七月マスコミでレッドパージ
八月警察予備隊令が公布となった
それでへいわは消えたと思われていたのだが
七年後、東海道線が全線電化になった翌年
五七年七月、東京博多間臨時特急さちかぜが
一〇月に忽然と東京長崎間 おおナガサキの
特急平和となって走り出した
(特別急行列車が特急になってしまったが)
私が大学三年のときだ
その寿命は二年足らず持って
五九年七月にさくらとなった
それが第二次平和だ
第二次というからには第三次があったので
第三次は平和は大阪広島間 おおヒロシマの
ボンネット型ディーゼル特急
六一年一〇月一日白紙改正によって出現した
この寿命はたぶん六二年六月までの八ヵ月だ
このとき東京広島間が電化され
大阪広島間に電車特急宮島が二往復現れて
消えた
それから後は平和は行方不明
六四年一〇月東京新大阪間に新幹線が開通
八七年四月国鉄分割民営化
JR六社となってから今に至るも行方不明
鉄道員の誰が平和を好きだったとか
誰が嫌いだったとか言うつもりはない
ただ、庶民の夢子供の憧れ それを平和と言う
駅ごとにスピーカーで平和、平和、平和と言う
それほどに平和を愛した時代がかつてあったのだ
短かった私の少年時代と、青春時代

でもそれから何十年
とつぜん私にふたたびの青春時代がやってきた
口づてに平和と言う 口づてに平和と聞く
まいにち言うまいにち聞く、平和をつくる
青春時代でなくて何だろう!


  (二〇一四年九月九条詩人の輪十周年集会で朗読)

新・日本現代詩文庫『新編 甲田四郎詩集』(土曜美術社出版販売、2016年)未刊詩篇より

◆甲田四郎氏は1936年生まれ。和菓子店を営みながら詩を書き続けてきた。

戦後初の特別急行列車「へいわ」に始まる「平和」の名を与えられた列車の歴史。
一旦姿を消しても繰り返し復活するのは「庶民の夢子供の憧れ」を乗せて人々の希望を担うものであったからだろう。

列車「へいわ」の発車から70年目の2019年、「平和」を希求する人間たち自身が機関車となり、各号車や食堂車となって各地を連結する。明日の選挙が新たな発車=始動でありますように。



「日の丸・君が代」問題等 全国学習・交流集会[2019年07月19日(Fri)]

DSCN0200-A.jpg
アザミにもいろいろあるだろうが、ヒレアザミという種類ではないかと推定。
茎のトゲトゲした感じが特徴的だ。
草のはびこる中にポッポッと点った紫の花に不思議な存在感があった。

*******

【謹告】

190721日の丸君が代全国交流集会.jpg
  
第9回
「日の丸・君が代」問題等 全国学習・交流集会


〈講演〉世取山洋介(新潟大准教授・教育法学会事務局長)
「日の丸・君が代」と子どもの良心形成

とき:2019年7月21日(日) 10:30〜17時
ところ:日比谷図書文化館コンベンションホール
(旧日比谷図書館の地階)
地下鉄:内幸町駅A7出口・霞が関駅B2出口・日比谷駅A1出口から3〜5分
     
*集会後、銀座デモがあります。
*翌7/22(月)に文科省交渉を行います。


NHKの報道、全くオカシイ[2019年07月18日(Thu)]

DSCN0205.JPG

◆◇◆◇◆◇◆


京都アニメーションへの放火という痛ましい事件が起きた。
海外のアニメ関係者のみならず、中国やフランスの駐日大使館からもツイッターで追悼、見舞いのメッセージが発信されている。

一般人も政治家も個人として哀悼の気持ちをSNSで発している。そのこと自体は自然な反応だ。
また、政治家であれば、与野党を問わず、メディアにどう取り上げられるか、意識して言葉を選ぶのは当然である。

ただし、参議院選挙戦まっただ中のこの時期にTVなどマスメディアが政治家のコメントを特に取り上げて報じるのはオカシイ。特定の政党への応援になるからだ。

現に夕方6時台のNHK総合のニュース、アベ首相のツイートを全文紹介していた。
野党党首もツイートしているのに、与党だけを紹介することが公正な報道に値しないことは言うまでもない。
たといアニメが「クールジャパン」の一つとして国策による推進が図られているにしても、である(一例;京都アニメーションが制作した「聲の形」山田尚子監督。2016年公開)は文部科学省がタイアップしていた等々)。
NHKトップの責任は重大である。





長梅雨の晴れ間[2019年07月17日(Wed)]

DSCN1280ハゼラン爆蘭(ハナビソウ花火草).jpg
ハゼラン。「爆蘭」と書くそうだ。
別名ハナビソウ(花火草)。線香花火が盛んに花を散らしたような茎と赤い小さな実、造化の妙を感じさせる。
斜め上から撮ったので、画面左に見えるつややかで小さな葉の方がハゼランの葉たち。
淡いピンクの花がすぼまった状態で幾つか見える。

*******

消しゴム   村永美和子

消されて
消されて
消されても

七月の入道雲は
四つ切りの画用紙に
湧いて出る


『村永美和子詩集』(土曜美術社出版、新・現代詩文庫、2009年)より。

◆長梅雨が続く。今日は久しぶりに晴れて外気温28℃ほど。
ただしまだ雲の峰がそびえる夏空とまでは言えない。

日照不足で曲がったキュウリが売り物にならない、という農家の嘆きは同情するが、さて「し」の字や「へ」の字になったところで味に変わりはないじゃないかと思う。

◆気象庁の梅雨入り・梅雨明けの記録を見たら関東甲信の場合、梅雨明けの平均は7月21日、とあった(1951年以降の記録に基づく)。

*各地の記録は下記気象庁のサイトから
https://www.data.jma.go.jp/fcd/yoho/baiu/index.html

◆なかなか梅雨が明けなかった年として記憶にあるのは1993年だ。
卒業アルバムのクラス集合写真撮影が雨天で延び延びになった上に、撮影日に欠席者が出て、全員揃うことを期した再撮影の日は夏休みに突入してからに設定せざるを得なくなった。
部活の合宿期間と重なったために、合宿先の山中湖を未明に出発して鎌倉まで戻った話は以前書いた。
*⇒http://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/34

◆その93年の梅雨明けを上のサイトで確認したら「ー」と記されていた。いつ梅雨が明けたのか、特定できなかった、というのである。

明けたような明けないような、とりとめのなさは、当てにならない記憶と同じように悪くない感じがある。
ヤキモキしたりアクセクしたことの大半はほとんどことごとく、大したことではなかった、というのが馬齢を重ねて来てようやく今、思い知ったことである。



おざなりな参院選報道[2019年07月16日(Tue)]

DSCN1201.JPG
キイチゴ(木苺)。赤い実が黒ずんでくるのでブラックベリーともいうらしい。
土手に続く家庭菜園の棚を掩うように蔓がのびていた。

*******

◆夕方6時台のNHK総合・首都圏ニュースを観てクラクラした。
夢でもみているのかと自分の目を疑ったほどだ。
東京都選挙区の「参院選」各候補の選挙戦を伝えるものだが、一昨日だったかの夕方に流したものと全く同じだったからだ。候補者ごとに街頭演説〜直接インタビューで紹介していくのだが、前回観たのと映像もコメントも全く同じ。一度流したものを編集し直すでもなくそのまま使い回したのであろう。
手抜きと言わんか、視聴者をナメていると言わんか。

*7時台のニュースでは、その中の一部だが、再び同じ映像を使っていた。もはや味のしなくなったガムを無理やり口の中に押し込まれたような。
それとも二、三日したら忘れていて気づかないだろう、とナメてかかっているのか?
(他のニュースでは、長梅雨でお客が来ないよみうりランドのプールを6時台・7時台とも取り上げていて――半分ほどに縮めてはいた。さすがに全く同じだと、いくら鈍い視聴者だって気がつく――続けて観てしまった首都圏の人間は嫌気がさすばかり。ひょっとしてそれが狙いか?)

◆選挙戦後半に入り、各候補は情勢分析や聴衆の反応をふまえて演説に軌道修正を加えている段階だろうに、それを追跡して伝えようという気は全くないと思わせるほどのおざなりな放送。

◆たとえば野原善正候補(れいわ新選組)の出馬は公明党にとって青天の霹靂ともいうべき事態で、台風の目となる可能性もあるはず(先の沖縄知事選では学会員の投票行動が重要な意味を持った)。しかし、創価学会員である氏が、公明党本部前で「立党の精神に立ち返れ」と演説した様子はネットメディアしか報じていない。電波メディアは 「れいわ」が巻き起こした旋風を黙殺する方針と見える。

◆掘り下げれば特定候補に加担する恐れがある、などと言い訳を用意しているなら、とんだ心得違いというものだ。
1票を投じる人間を決めるための豊富な判断材料を主権者に提供する、それ以外に公共放送の使命があるはずがない。


「事務的説明」だと言い張る役人[2019年07月15日(Mon)]

DSCN1229.JPG
1m超のトーチ状の柱に黄色い小花がたくさん。
名を明らめることできぬまま1年経って、また生えてきた。
葉は起毛状なのか、ボウっと白く肉厚の感じ。
花の名をご存じの方は、是非コメントで教えていただければありがたい。

*******


世紀の子供たち  シンボルスカ

われわれは 二十世紀を生き抜く子供たち
この世紀は政治的な時代
お前の われわれの そしてお前たちの
昼の用事 夜の用事
すべて政治的な問題にかかわりを持っている

好むと好まざるとにかかわらず
われわれの生きてきた時代は
肌の色が何色であるとか
目の色がどうであったとかいう
人種差別の時代であった

お前が発言すれば 反響がかえってくる
お前が沈黙すれば それはさらに雄弁な意味を持つことになる
いずれにしても政治的なこと

森や林を抜けて と
パルチザンの歌 歌いながら
行くことも政治的なこと

非政治的な詩を書きつけたとしても
やはりそれは政治的なこと
空に月が光っていても
それは既に月だけの問題に止まりはしない
なすべきか なさざるべきか これが問題だ
どんな問いも 愛の答えも
すべて政治につながっている

お前が政治的な意味を得るために
人間的である必要はない
石油であったとしても事足りたのだ
動物の餌とか リサイクルの原料だって
よかったのだ

または 生と死について論争するかたわら
会議用の机の形のことで
丸い方がいいとか 四角いのでよいとか
何ヶ月もの間 言い争っていた

その時 人間たちは断末魔の苦しみに喘ぎ
動物たちが息を引き取り
家々は燃えつき
田畑が荒れ果てていった
はるか昔の
より非政治的な時代とおなじように


つかだ・みちこ 編・訳『シンボルスカ詩集』(世界現代詩文庫、土曜美術社出版販売、2005年)
ヴィスワヴァ・シンボルスカ(1923-2012)はポーランドの人。

*******

◆21世紀はより政治的な時代として我々に生き抜くよう要請している。
ただ、その政治を執り行う者たちがこぞって唐変木ばかりなので、民草は沼地、砂漠や断崖ばかり続く険路を乗り越えて行かねばならない。

◆第7連、「会議用の机の形のことで……何ヶ月もの間 言い争っていた」という詩句で、先週12日に東京の経産省で開かれた、輸出規制をめぐる日韓実務者会議を連想した。

頭撮り(会議が始まる前のメディアによる写真撮影)の写真で目に付くのは、会議の場として日本側が用意した部屋の殺風景さだ。
積み上げたパイプ椅子やテーブルがむき出しに置かれたままの部屋で、日韓2名ずつが対面するテーブルは2台の会議用テーブルがくっつけて置かれただけで、名札も用意されていない。

窓際のホワイトボードには「輸出管理に関する事務的説明会」と記された紙が貼ってあった。
日本側は「協議の場ではない。説明するだけの場だ。」と言いたいのだろうが、大人げない。

幼児化した政治に付き合って、官僚までが子供じみたふるまいに及んで平気である。
そもそも「事務的」という日本語は、感情を交えず機械的に処理するという意味ではないか。
失礼にもほどがある。

ただただ、人の道を外れている、そのことに驚く(「国辱」などという物騒な言葉はワキに置いとく)。

冷遇すれば相手が頭を下げるとでも思っているのだろうか。
相応に教育を受けたであろういい大人が、木で鼻を括った言葉を用いて平気である。

さげすみの目は自国の民にも向けられているに決まっている。
人のおあしで食べさせてもらっていて威張るな!

【7月13日ハンギョレ新聞】
韓日、「輸出規制」後初めて実務会議…殺伐とした会議室、握手もなし
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190713-00033881-hankyoreh-kr



〈オアシスのような/広場のような〉[2019年07月14日(Sun)]

DSCN1243.JPG
カンナ。黄色もなかなか凜乎としていて良い。

*******


公共   石垣りん

タダでゆける
ひとりになれる
ノゾミが果される、

トナリの人間に
負担をかけることはない
トナリの人間から
要求されることはない
私の主張は閉(し)めた一枚のドア。
職場と
家庭と
どちらもが
与えることと
奪うことをする、
そういうヤマとヤマの間にはさまった
谷間のような
オアシスのような
広場のような
最上のような
最低のような
場所。

つとめの帰り
喫茶店で一杯のコーヒーを飲み終えると
その足でごく自然にゆく
とある新築駅の
比較的清潔な手洗所
持ち物のすべてを棚に上げ
私はいのちのあたたかさをむき出しにする。

三十年働いて
いつからかそこに安楽をみつけた。


粕谷栄市・編『石垣りん詩集』(ハルキ文庫、1998年)

*******

◆来年度から教科書検定が始まる高校の次期学習指導要領、必ず履修すべしとされる新科目の一つとして「公共」なる新科目がある。

戦後教育における社会科を解体する仕上げの象徴とも目される科目だが、天秤の右の皿にその科目「公共」を載せ、左の皿に石垣りんの詩「公共」を載せてみたいと、マジメニ思っている。

「職場と/家庭と/どちらもが/与えることと/奪うことをする」と詩にあるが、21世紀に入った現代は、ひたすら「奪うことをする」ばかりの職場や家庭が幅を利かせていて、詩のように一息つける安楽な「公共」空間は探すに難しいようだ。

新科目「公共」すらが、「谷間のような/オアシスのような/広場のような/最上のような/最低のような」場所(公衆トイレ)について、コクミンみんなのための場所だからということを根拠にして、例えば「3分以上そこを占有してはならない」というルールを「多数決で・みんなの総意として」決議する時間にならない保証はない。

「総意」はそれを肯うことのできない人間を排除するために利用される。
14日、武部勤・元自民党幹事長が選挙応援スピーチで「日本は天皇の国」と述べたという件も、偏狭・不寛容な排除の論理を振り回して、憲法無視のデマゴーグに等しい。

〈かかわらなければ〉ー塔和子「胸の泉に」[2019年07月13日(Sat)]


DSCN1241.JPG
この時期、本当に色・模様さまざまなダリアに出会う。

◆◇◆◇◆◇

◆元ハンセン病患者・家族による国賠訴訟への熊本地裁判決について、ブログ「アリの一言」の13日の記事に重要な指摘があった。

《ハンセン病家族判決の重大欠陥と沖縄・天皇制》
https://blog.goo.ne.jp/satoru-kihara/e/f5591ec89bd29255805009af067c864b

徳田靖之・弁護団共同代表が、判決が米統治下の沖縄における強制隔離政策は国の責任を負わないとしていることは「この判決の最大の問題点だ」と指摘し、判決確定後の国との協議で「最重要課題として取り組む」と述べたこと(10日付琉球新報)に触れた上で、「アリの一言」は次のように問題を剔抉する。

「米統治下の沖縄」すなわち1945〜72年の「沖縄における強制隔離政策」については国の責任は問わない。これはきわめて重大な沖縄に対する二重三重の差別です。


◆政府は控訴断念を表明しながら、一方で「法的問題点」をあげつらいそれを「政府声明」として出すというチグハグな態度に出た。しかも「問題点」といいながら、米軍統治下の沖縄での強制隔離政策については国の責任は含まない、とする判決を問題点として数えないのは、沖縄無視の態度こそはブレない政府の基本方針であり、新たな差別を沖縄に強いることなど思い至らないからだろう。

いずれにせよ、「政府声明」は、厚相や法相、国会議員等の責任を認めさせないという姿勢が露骨であり、被害の当事者である元ハンセン病患者および家族への気遣いは、つゆほどもないのである。

*******

塔和子に直接取材して書かれた安宅温「命いとおし」によれば、塔自身は「らい予防法廃止運動」に直接関わるよりむしろ「関心ない」と言い放ったという。
しかし、安宅が「らい予防法があってもいいということ?」と挑発的な問いをぶつけると、次のようなことばが返ってきた。

「まさか! 国は私たちを檻に囲い込んでおいて、死に絶えるのを待っているのだから、ガス室行きを病死か老衰死行きに置き換えて待ってるだけやもの。人間として扱っているとは思えない。けしからんことよ。私たちは間引きされたんよ。殺すと殺人罪になるから、死に絶えるまで檻に入れているんよ。殺さず生かさずやね」
「間引きよ、間引き」と繰り返すと、塔はそのまま黙ってしまった。
「私はね、国の罪を許したわけではないけれど、恨みつらみの感情を赤裸々にエネルギーにして、闘いたくはなかったのよ」ぽつんと言った。

◆1983年の詩集『いのちの宴』には、ふるさとでの少女時代を思い出す次のような一節もある。

ああただひとつ
楽しかった時代よ
小さな島の療養所で
もうすぐ三十七年目の夏を迎える
強制収容をした国家
不当な差別をする民衆から
遠くはなれた島の囲いの中で
飼い馴らされた動物のように
ただ静かに暮らして来て

  「静かに」(部分)

◆国家や社会の不当な扱いを生硬な言い回しで言挙げするのでなく、さりとて詠嘆調になずむこともせず、自足して閉じた世界にこもるよりは、ことばによって心を外へと解き放つこと。それが長続きする塔和子の「闘いのかたち」であったということになろうか。
安宅の言葉を借りれば、「詩作を通じて自己の尊厳を証明して見せること」、それが詩人・塔和子の〈無抵抗非暴力運動〉であった、ということなのだろう。


◆2007年、塔和子のふるさと明浜町(現・西予市)に文学碑が建てられたという。
碑は大島青松園がある庵治町の産である庵治石。
そこに刻まれたのは「胸の泉に」という詩である。


胸の泉に 塔和子
 
かかわらなければ
  この愛しさを知るすべはなかった
  この親しさは湧かなかった
  このおおらかな依存の安らいは得られなかった
  この甘い思いや
  さびしい思いも知らなかった
人はかかわることからさまざまな思いを知る
  子は親とかかわり
  親は子とかかわることによって
  恋も友情も
  かかわることから始まって
かかわったが故に起こる
幸や不幸を
積み重ねて大きくなり
くり返すことで磨かれ
そして人は
人の間で思いを削り思いをふくらませ
生を綴る
ああ
何億の人がいようとも
かかわらなければ路傍の人
  私の胸の泉に
枯れ葉いちまいも
落としてはくれない


『未知なる知者よ』(海風社、1988年)所収
安宅温(あたか・はる) 「命いとおし 詩人・塔和子の半生」(ミネルヴァ書房、2009年)に拠った(一部送り仮名を改めた)。

★文学碑の画像は、塔和子を歌う沢知惠の公式サイトにアップされている。沢にはこの詩に曲を付けた「かかわらなければ」をはじめとする8曲を収めたCD「かかわらなければ〜塔和子をうたう」をリリースしている。
ブログには塔和子、大島青松園との多年にわたる交流も綴られていて胸を打つ。

http://www.comoesta.co.jp/hitokoto/index.cgi?p_start=38




〈在らされている〉[2019年07月12日(Fri)]

DSCN1231.JPG
雨に打たれてか、低く身を屈めて咲くダリアたち。
土より立ちのぼり、惜しげ無く花びらを展げてまた土に還る。

***

塔和子の「在らされる」をうたう詩ふたつ



遠くからの声   塔和子

母から母へ
  母から母へ
はるかにはるかに流れて来た私が
人の繁みの中へ
ほうり出されている
繁みの中の個として
もうどこへもつながっていないのに
どこか遠い遠いところから声がする
私は今日
次の世代へ渡すべくあらされている母性

あなたよ
あなたの父性も
その父のその父の
はるかなはるかな始祖から
あなたへ流れて来た血を受けとめてあるのか
私たちらい夫婦は子を産まず
遠くからの声を
うさぎのように耳を立てて
聞いているだけ
流れをせきとめて立つことの
重たさが
透明にしみる一瞬を


◆◇◆

つき動かされなければ   塔和子

ひとつの言葉が私の心に落した
ひとしずくの重さが
私を立ち上がらせ考えさせ歩かせ
立ち止まらせ聞き入らせ見つめさせ
休むひまなく行為させる

ひとりの人間の
血の通ったうつくしいものが
終日私をほほ笑ませ
和ませ希望にもえさせ
力をみなぎらさせ喜びにひたらせ
孤独の闇を照らしつづける

一本の花が私の手に輝くとき
大地の秘密に思いを至らせ
季節のじゅんかんの中で
咲くようにうながされた花の
のっぴきならない開花について
陽の匂い土のにおいの中で
ゆりさまされゆりさまされた
その花でなければもつことのできない
匂いについてうっとりさせる形について
思いは心を光らせる

つき動かされなければ
聞き入らず見つめず
無いに等しい平(たいら)にあるのに
つき動かすものがあれば
こんなにもはげしい私は
どんなあつい神の希いによって
在らされているのか
私は
自分がもえるとき
私をつくったものの
いとも満足げな笑いをきく


*ともに『いのちの花』より(編集工房ノア、1983年)。
赤字強調は引用者。

DSCN1232.JPG

◆◇◆

◆Eテレ「こころの時代」が、〈辺見庸「在る≠めぐって」〉をアンコール放送する。
@2019年7月14日(日)午前5時〜午前6時
A2019年7月20日(土)午後1時〜午後2時


やまゆり園事件から早くも3年。
小説「月」の第1回に揺りさまされてからさえ、すでに2年近く。

辺見庸「月」#1[本の旅人]17年11月号.jpg

辺見庸「月」連載第一回の扉(KADOKAWA『本の旅人』2017年11月号)


検索
検索語句
最新コメント
根来珠青
銃剣道 歴史に目をふさぐおぞましさ (03/29) 当ブログ管理人
ジャーナリスト・安田純平さん解放との報【追記】 (10/26) 3億円で買える銃と弾
ジャーナリスト・安田純平さん解放との報【追記】 (10/25) マキシミリアナ・マリア・コルベ
コルベ神父のこと その2 (06/23)
若き音楽家リュカ・ドウバルグ (06/09)
タグクラウド
プロフィール

岡本清弘さんの画像
http://blog.canpan.info/poepoesongs/index1_0.rdf
http://blog.canpan.info/poepoesongs/index2_0.xml