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実践躬行の人―猪俣弥八の生涯(2)[2019年05月21日(Tue)]

猪俣弥八の生涯(その2)

弥八写真小サイズトリミング.jpg
猪俣弥八(1868-1902) *岩崎稔氏提供

◆21歳で渡米した猪俣弥八の胸中にあったのは何だろう。
岩崎稔氏がまとめられた「猪俣弥八、その知られざる生涯」に拠って、猪俣弥八の生の基底にあったものを見ておきたい。

◆弥八の非業の死を悼んで在米の人々によってまとめられた追悼文集『落葉』によれば、キリスト教宣教師と巡り会ってそれまでの放蕩生活が「神教に背き人道に悖る行為」と気づき、「祐然として悟り翻然として改め直ちにその教徒と為ることを得たり」という。

弥八は1986(明治19)年、18歳にして横浜海岸教会(米国改革派教会のJ.H.バラ夫妻により1972年創立)にて猪俣道之輔宮田寅治(昨日の記事でふれた金目民権トリオの人々)らとともに受洗した。
さらに翌年には、父母を含め家族がこぞって受洗している。一家を挙げて入信するには弥八自身の熱意が牽引力となっただろうが、それを受け入れる家族に精神的な強い紐帯があったことを想像させる。
やがて渡米の夢をふくらませる弥八を応援する思いも家族の間に共有されて行っただろう。

(弥八の墓碑を故郷・金目に建立した弟の猪俣松五郎(1870-1943)は、長兄・国治が早世したため家督を継いだ人だが、のちに金目村長を長く務めたほか、盲学校、農業学校、私立育英学校(それぞれ、県立平塚盲学校・平塚農業高校・秦野高校として現在に続く)の設立・拡充に尽くした人物。開明的で教育に熱心な家庭環境であったと言えよう。
*昨日の参考資料「広報ひらつか」No.729の盲学校での写真に、宮田寅治と並んで座る松五郎の姿がある。やはり顔の輪郭、目元に弥八と相通うものがある。⇒http://hiratsuka.johokyoyu.net/area/kaname/18062_A.pdf)

◆渡米の第一の目的は、大磯の自由民権演説会を契機に学び始めた西洋の政治・経済学を彼の地で探究したいという純粋な向学心であったろう。

同時に、弥八の胸中には、学問の背骨を成すキリスト教精神を生涯かけて具現化することが念頭にあっただろう。
実践の手本はすでに、日本を訪れた外国人宣教師たちの活動として身近にあった。


学問と信仰の実践躬行=生きて己と他に働く普遍の真理を求めて

◆渡米敢行は1888(明治21)年2月であった。
2年後にカリフォルニア高等学校(カレッジ)に入学、勤労しながら学ぶ生活を続けてゆく。
同時に教会との関係は持ち続け、オークランド(カリフォルニア州)の日本人教会、さらにM.C.ハリスの委嘱を受けてバカビル村の日本人教会に牧師の補助員として赴任し、娼家排斥運動に身を挺して取り組むことになる(1895年)。

神奈川では宮田寅治らにより1890年暮れの県会に廃娼建議案が提出され僅差で可決された。
クリスチャン民権家やキリスト教青年会の運動が結実したものだが、こうした女性解放の活動は在米の弥八にも伝わっていたことと思う。
人間の尊厳への情熱は信仰が要請するものであったのは疑いないが、弥八の場合、それを観念にとどめず、行動によって具体的に獲得して行くもの、信念は実現されるべきものだと、意識されていたように思う。
普遍的な価値は自他・男女・職業などの区別なく、現実に享受できるものでなければ本物ではない。
1901年、大学を卒業して新たな伴商会の支部長の任に就く弥八が述べた「満腔の抱負」とは、移民労働者である同胞たちもまた、この普遍的な価値を手にできるよう、持てる力を尽くしたいという「志」の披瀝にほかならなかった。

M.C.ハリス(1846-1921)
……アメリカ・メソジスト監督教会(日本では「美以教会」とも称した)宣教師。明治の日本人クリスチャンに大きな影響を与えた。
1873年、妻フロラ・ベスト(詩人)とともに来日。ウイリアム・スミス・クラークに懇請を受けて、札幌農学校の第1期・2期生(内村鑑三新渡戸稲造ら)に洗礼を授けた。1882年帰米後は太平洋ハワイ方面の宣教師として働いた。終生日本を愛し、墓所は青山墓地にある。
*アメリカに留学した若き日の松岡洋右(1880-1946)もハリスによって信仰に導かれた一人。
弥八に遅れること5年、1893年に渡米した松岡だが、オレゴン州立大を卒業したのは弥八より1年早い1900年であった。弥八の追悼集『落葉』には松岡も寄稿している。

◆◇◆◇◆◇◆

猪俣弥八資料の展観

◆来たる5月26日、第5回「湘南社」民権講座が伊勢原の雨岳文庫で開かれるのを機に、
今回見出された猪俣弥八の資料が公開されるとのこと。

渡辺延志(のぶゆき)さん(元・朝日新聞記者)の下記講演と併せて貴重な機会だ。

***

第五回「湘南社」民権講座

歴史を見つめる新たな視点を

講師:渡辺延志さん(歴史ジャーナリスト)
*朝日新聞・神奈川版に「神奈川の記憶」を連載。

とき:2019年5月26日(日)午後2〜4時
ところ:山口家住宅(国登録有形文化財)
伊勢原市上粕屋862-1 雨岳文庫 電話1(プッシュホン)0463-95-0002(山口方)

★アクセス:小田急線・伊勢原駅北口「神奈中バス」4番乗り場から「大山ケーブル」行き
「〆引(しめひき)」下車、徒歩2分
*略地図⇒http://www.ugakubunko.com/htdocs/?page_id=25

主催:公益財団法人「雨岳文庫」・NPO法人「雨岳文庫を活用する会」



自由を求めて――猪俣弥八の生涯(1)[2019年05月20日(Mon)]

猪俣弥八の生涯


◆神奈川における明治・民権家の事績にスポットを当ててきたNPO法人「雨岳文庫を活用する会」の研究から、また一人、知られざる日本人青年の生涯が明らかになった。

平塚市金目出身の猪俣弥八(1868.3.29―1902.5.13)という人物である。

◆タウンニュース・平塚版(2019年4月18日号)記事を転載する。

★「タウンニュース」記事オリジナルは以下から
https://www.townnews.co.jp/0605/2019/04/18/478231.html

***

金目から渡米 猪俣弥八の生涯
     日本人娼家排斥運動などで活躍


190418猪俣弥八資料タウンニュース.jpg
 弥八の死後届いた写真や追悼誌
  *写真・キャプションともタウンニュース社

明治期の自由民権運動が盛んだった金目村に、大志を抱いて単身渡米した青年がいた。猪俣弥八(1868〜1902年)は、現地外交官の伴新三郎らと共に在米邦人の生活支援に力を注いだほか、日本人娼家排斥運動を展開。現地誌に取り上げられるほどの存在だったが、35歳で強盗に銃殺された。河内在住でNPO法人「雨岳文庫を活用する会」の岩崎稔さん(75)や親族の研究により存在が明らかになった。

猪俣弥八は明治元年の3月、金目村の農家の次男として生まれた。大磯の叔父の家に泊まっては花街遊びに繰り出す若者だったという。

そんな弥八を変えたのがキリスト教の教えだ。「ただ無為に生きるのではなく、人のため、何かを成し遂げるために生きる」という教えは、放蕩生活を送っていた弥八に衝撃を与えた。1886年には、「金目の民権トリオ」として知られる宮田寅治、猪俣道之輔**ら7人と共に受洗。西洋の学問に触れ、ルソーやロックなどの啓蒙思想家の書物を原書で読みたいと米国留学を決意した。

1888年2月、貨物船で渡米。その資金をどう工面したかは不明だが、船の中で働きながら海を渡ったと親族に伝えられている。

現地高校に通った後、オレゴン州立大学に入学。日系人の就労支援に取り組んでいた伴に共感し、伴が経営する鉄道建設会社「伴商会」に入社した。ワイオミング州の支部長を任され、友人と栄転の祝いを料亭であげた際には「(弥八は)満腔の抱負を以って意気揚々」だったことが追悼誌で語られている。

弥八が積極的に取り組んだ活動として、日本人娼家の排斥運動がある。明治期に日本でも布教活動を行ったハリス牧師の指導によるもので、反発する動きもあったため、十勇士を募り娼婦を置く家を周り、廃業を迫った。教会で娼婦を匿うと、取り返しに来た者といさかいになったこともあり、命の危険を冒してまで活動する弥八の姿は話題を呼んだ。現地の雑誌に取り上げられるほどだった。

信念を持ち奔走する弥八を銃弾が襲ったのは1902年5月。銀行で給与300ドルを引き出したところを、部下の労働者につけられ、銃殺された。

約1カ月後、金目の家族の元に遺髪と写真、卒業証書と共に訃報が知らされた。弥八の死を伝える日系新聞の切り抜きや追悼誌、領事館からの手紙も届いたことから、現地日本人にとっても弥八の死が衝撃的だったことが伺える。

弥八の子孫にあたる猪俣立子さん(66)は、「家族の間でもよく分からなかった弥八さんの人生が浮かび上がった。本人も約120年越しに注目されてびっくりしているのでは」と目を細めていた。岩崎さんは「生きていたら、素晴らしい活躍をしたのだと思うと悔しい。弥八の存在を伝えたい」と話していた。


*******

【人名注】(岩崎稔さん提供の資料ほかに基づいて)
伴新三郎(1853-1926)
……外交官・安藤太郎と出会い、ハワイ領事館に勤務。帰国後、外務大臣・榎本武揚からアメリカ移民の現状視察の内命を受けてポートランドに渡る。
移民事業の展開には「民の力が必要」と考えるに至って官を辞し、移民会社駐在員を経たのち鉄道工事請負業を中心とする「伴商店」を設立、また移民の活躍の機会を確保するために製材業なども手がけ、邦字紙「オレゴン新聞」も発刊した。
※詳しくは田口孝夫氏の「北米日本人移民の架け橋:伴新三郎小伝」(Otsuma review,2017-07-01,p.87-96)を参照
http://id.nii.ac.jp/1114/00006489/

**「金目の民権トリオ」として知られる宮田寅治、猪俣道之輔ら
……宮田寅治(1854-1938)、猪俣道之輔(1855-1940)、森謗O郎(こうざぶろう 1856-1914)。
1881年に大磯に誕生した自由民権結社「湘南社」に学んだ彼らは、地元・金目においても活発に運動を先導し、盲学校設立など教育・福祉に力を尽くした。

※平塚市の広報や神奈川の書店・有鄰堂の広報紙「有鄰」に、自由民権運動研究家の大畑哲氏(おおはたさとし 1929-2010)が記事を寄せており、金目の風土が育んだ自由民権の脈動と文化の薫香を伝えている。

★「広報ひらつか」No.729(2002年10月15日号)
http://hiratsuka.johokyoyu.net/area/kaname/18062_A.pdf

★「Web版 有鄰」第419号(2002年10月10日)
https://www.yurindo.co.jp/static/yurin/back/419_4.html

***

◆タウンニュース・平塚版(2019年4月18日号)は、猪俣弥八の墓碑と親族との出会いから弥八の生涯を見出すに至る経緯も伝えている。
下記の記事も併せて読んでくださいますよう。

埋もれた金目の偉人に光
https://www.townnews.co.jp/0605/2019/04/18/478245.html?utm_source=dable


野草のような壮(つよ)き言葉を[2019年05月19日(Sun)]

DSCN0660.JPG
ギシギシ(羊蹄)。タデ科に属し、スイバ(スカンポ)の仲間というのは分かる気がするが、イヌタデなどとはずいぶん趣が違う。
総状の小さな緑の花たちは、5月の風と語り合い笑いさざめくために姿を現したかのようだ。

*******


言葉の護符  若松英輔

愛する者に
何かを捧げたいと願うなら
言葉を贈れ

断崖から
手を突き伸ばして
ようやく
つかみとった
一輪の花のような
美しき言葉を贈れ

悲しむ者に
何かを渡したいと願うなら
言葉を贈れ
踏まれても育ち続ける
野草のような
(つよ)き言葉を贈れ

弱き者に
何かを送り届けたいと願うなら
その人を
永遠に守護する
言葉の護符を贈れ


 *若松英輔『詩集 見えない涙』(亜紀書房、2017年)所収

◆気がついたらこの1,2ヶ月で同じ詩集から何編か紹介していた。
手にスッとなじむ押しつけがましさの全くない装丁(by名久井直子)は、詩のことばを最もよく伝えるように考え抜かれたもの。

若松英輔の詩集で最初に手にしたのは第二詩集の『幸福論』(亜紀書房、2018年。同じく名久井の装丁)で、以来6編目となる。
当ブログの掲載順にリンクを付しておく。

◆『幸福論』(亜紀書房、2018年)から

「夏の花」
http://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/947

「聖堂」
http://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/950

「心耳と心眼」
http://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/1110

***

◆『見えない涙』から

「旧い友」
http://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/1214

「見えないこよみ」
http://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/1215

若松英輔「見えない涙」.jpg




蟻の群れの私たち[2019年05月18日(Sat)]

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ホオジロ

******

中村稔の詩ふたつ

きらめく光の中に  中村稔

ヤシオツツジが咲き、みどりはふかく
日本列島に、はるか遠くから
湿り気を帯びた大気が近づいている。

チェルノブイリの石棺について語るもいい。
口をつぐんで立ちつくす難民について、
滅びゆく釧路湿原について、
憂い顔に語るもいい。

その声はどれもうつろに反響し、
はじけ散って空の高みに消えて行く。
憂い顔の騎士よ、きみは語りやめない、
いよいよ暗然と、しかし昂然と顔をあげて。

五月、人類の未来よりも、地球の未来よりも、
きらめく光のなかの一瞬一瞬に、私は
ひそかな私の生を賭けることにしよう。
 

        (1988年4月)

洪水の前   中村稔

鋏や鍋が私たちの文明であった時代、
祖父たちは確実に文明を支配していた。
私たちの文明が日に日に肥大し続け、
私たちはますます矮小になり、
私たちは人工湖の堰堤の下にうごめく蟻の群に似ている。
じきにダムが決潰する、としきりに警鐘が鳴っているのだが、
誰も箱舟を作ろうとはしない。
ただ鬱々と手を拱いて大洪水の到来を待っている
ある文明のたそがれどき。

   (1990年12月)
 *2編とも『続・中村稔詩集』(思潮社・現代詩文庫、1996年)より。

◆昭和の終わりから平成の初めにかけて、というよりはドイツ再統合を結節点に東西冷戦の終わりという大きな歴史転換の前後に書かれた二つの詩。
それから30年前後を閲したにもかかわらず、現在もほぼそのまま当てはまる(決潰を加速する蟻の穴がいくつか追加されたけれど)。

「暗然と」することも「昂然と」することも排して、一瞬一瞬に「生を賭ける」ことを密かに期した作者は当時、還暦を過ぎたあたり。

ひとつの文明のたそがれとしてのその後の30年を、いま現在、どう総括しているだろう。



国技館「占領」[2019年05月17日(Fri)]

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ハルジオン

*******

占領政策ふたたび

◆大相撲観戦のトランプ大統領のために千秋楽(26日)の国技館正面桝席(ますせき)が占領されたそうな。
しゃしゃり出ることしか頭にない日米トップ二人にとっては「国技」もそれを放送するTVも私有物でしかない。

***

銀河のように   池井昌樹

たまには相撲でもみるか
テレビをつけると
栃がいない
若がいない
大内山も房錦も
ヒゲの式守伊之介も
だれもいない
土俵上では熱戦が
くりひろげられているけれど
みんなしらないかおばかり
つまらないから
テレビをけして
うちみずをして
ぬれえんで
ひとりぼんやり
するものもない
もうだれもいない
けれどもこえが
ただいま
というこえがして
おかえり
というこえがして
もうどこにもいない
まどにあかりが
またひとつ
またもうひとつ
あんなとおくに
ぎんがのように


  池井昌樹『未知』より(思潮社、2018年)

大学入試への英語民間試験導入、撤回を[2019年05月16日(Thu)]

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ムラサキカタバミ

*******

◆再来年の大学入試から導入される英語の民間検定試験、懸念が現実のものとなりそうだ。
今朝のNHKニュースWeb版が取り上げている。
対象となるのは現在の高校2年生だ。

【NHKニュース 2019年5月16日 4時52分】
大学入学共通テスト 英語の民間試験 海外の業者による採点も

今のセンター試験に代わり再来年から始まる「大学入学共通テスト」に導入される英語の民間試験。文部科学省がその採点者として、委託された海外の業者なども認めていることがわかりました。専門家は、採点の質の確保や信頼性の観点で懸念があると指摘しています。

毎年50万人余りが受験する今の大学入試センター試験は来年が最後となり、再来年1月からは「大学入学共通テスト」が始まります。

このうち英語は、書く力と話す力を新たに測定するため、7つの民間事業者による英検やTOEICなどの検定試験が導入されます。再来年1月の受験生は来年4月から12月にかけて、これら民間試験を2回にわたって受け、そのスコアが受験する大学に提供される仕組みです。

試験の採点者について、文部科学省は受験生が在籍する高校の教職員を除くこと以外、条件をつけていませんが、関係者によりますと、アジアなど海外の委託業者や学生のアルバイトなども採点者として認められていることがわかりました。

これについて、7つの事業者を取材すると、大卒以上で、英語の指導歴が3年以上あることを採点者の基準としているところがある一方、海外の英語を話す人とだけしているところや、「機密事項」として基準を公表していないところもありました。

入試制度に詳しい東京大学高大接続研究開発センターの南風原朝和前センター長は「どの国で採点されているかも分からないくらいなので、国の共通テストとして利用するならば、採点者の資質が分かるデータを提供してほしい。外国での採点などは質の確保や信頼性の観点で懸念がある。国は実態を確認し、対策を考える必要がある」と指摘しています。


https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190516/k10011917451000.html

◆幾重もの公正さと個人情報管理の厳正さが求められる大学入試に民間検定試験を導入する危うさを指摘されながら、未だに考え直す様子が文科省にはない。
その理由は、
1に政治からの圧力、
2に参入する事業者が導入以降長期にわたって入手し続けるビッグデータのもたらす旨味、およびそれが生み出す利得のしかるべき筋への環流、といった骨がらみの利権がすでに動き出しているからだろう。

◆教育は未来への投資だ、と言い切った下村博文・元文科相のキャッチフレーズは現在も踏襲されているが、実際は大学入試の英語に新たな公的「投資」が注がれることはない。
必要な原資は、受験生・保護者が支払う受検料(+各自治体からの部分的負担)、および検定事業者自身の負担でまかなう(当然、事業者は将来にわたって回収できるよう、対策本の販売や海外展開を含む戦略を立て、採点に要する経費の切り詰め、新規問題にかけるコストも少なく済むよう、問題の全面的公表は控える)。

◆情報漏洩の危険性も飛躍的に高まる。
単純に考えても、仮に7事業者それぞれが海外の採点者に作業を委託すれば、データがやりとりされる機会だけでも7×2回を数える。さらに採点者の適性を検証する手立てはないに等しい。氏素性の定かでない人たちが入試データに関与することを危ぶまない方が不自然だ。

◆上記記事で、南風原朝和氏は国に対して「採点者の資質が分かるデータの提供」を求め、国としての「対策を考える必要がある」と述べているが、生ぬるいだけでなく「木によりて魚を求む」ような見当違いをしている。
そのような対策を立てる考えを最初から放棄しているのが入試英語改革に対する国の姿勢であるからだ。

◆せっかくこの問題を取り上げたNHKとしては、暴走列車が実際に走り出す前に、ストップをかける専門家の声を複数示して行くことが必要だ。
具体的には、現行方式を維持するだけで良い。センター入試に蓄積されたものをみすみすドブに捨てる必要がどこにあろう。

◆ことは入試の公正さに関わる。
まともな国なら、不安と疑念を抱かせたまま受験生に真剣勝負を求めることなどできるはずがない。


黒田三郎「妻の歌える」―草の根からの問い[2019年05月15日(Wed)]

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チガヤ

*******

◆東西冷戦のもとで手にして間もない平和憲法に蟻の一穴を開ける再軍備が進められて行った時代、戦後を支えた世代が何を考えていたか、知っておくことは大事だ。

海軍将校であった父を持つ黒田三郎(1919-80)は戦後NHKに入局、病と闘いながら家族を愛し40代後半まで勤める。
戦後詩を牽引する一人だった黒田の次の詩、「あなた方」に突きつける草の根からの問いは今も有効だ。

二字下げ、四字下げした詩行に耳を傾けたい。
「正義・祖国・平和」という「美しく重々しい」大義名分で進められる「再軍備」の動き。
それに対置される「私の小さな幸福/小さな平和/小さな希望」を胸に失わずにいる一人の妻は同時に、子を持つ母であり、兄たちを戦死させた妹であり、その貧しく無力な境涯から、それでも声を上げずにはいられない、草の根の連帯を信じ、地を響動(とよ)もす力をこめ、「あなた方は いったい何を守るというのですか」と。


妻の歌える  黒田三郎

  1

あなた方は
  正義のために
    と仰言います
あなた方は
  祖国のために
    と仰言います
あなた方は
  平和のために
    と仰言います

私から
この貧しい
ひとりの妻から
ただひとつの願いを奪い去ろうとして
あなた方は
大声疾呼なさいます
あなた方の
  美しい言葉
あなた方の
  重々しい身ぶり
あなた方の
  悲壮な決意

あなた方の大声疾呼する声は
裏通りのよどんだ空気をふるわせ
たてつけの悪い硝子戸をふるわせ
食器棚の上の一輪ざしをかすかにふるわせ
隙間風のように
私の耳を襲います

  再軍備
  再軍備
  再軍備

  2

たてつけの悪い硝子戸のなかで
一日中私のすることは
つくろい物や洗濯、食事の用意
編物の内職です
雨のふる日も風のふく日も
私のすることはまるで同じです
手先がかじかみ
爪先が凍えても
私は不平も申しませんでした
私は愚痴もこぼしませんでした
私は危険思想ももちませんでした
硝子戸のたてつけは悪くても
同じ屋根の下に愛する夫と住み
やがて丈夫な子を産み
微風と太陽とみどりの木立の間で暮したい
という仄かな希望で
私は胸がいっぱいでした
いや いまでも胸がいっぱいです

  3

               だが
あなた方の声は
私の耳の底で
次第に高まって参ります
  正義のために
  祖国のために
  平和のために
(銃をとれる者は銃をとれ!)
(銃をとれる者は銃をとれ!)

あなた方の声に服さない者の悉くが
その反対であるかのように
あなた方の声に服さない者の悉くが
非国民で売国奴であるかのように
あなた方の声は
私の耳の底で
次第に高まって参ります

  4

  私の小さな幸福
  私の小さな平和
  私の小さな希望

出刃包丁をもった泥棒とても
それを盗み出すことはできなかったのです
情け容赦もない税務署員とても
それを差し押えることはできなかったのです
屋根瓦を吹きとばす激しい風や雨さえも
すぎ去ったあとには
きらめく星を残してゆきました

               だが
あなた方は
ほんの
ひとことで
平気で
それを取り上げてしまおうとするのです
  正義のために
  祖国のために
  平和のために

十年前
そうして
私はふたりの兄を失いました

  5

新聞が伝えるように
スターリン首相が邪悪な心をもっているかどうか
私にはよくわかりません
ダレスさんが本当に私達のことを大事に考えて下さったのかどうかも
私にはよくわかりません
毛主席が私の知合の王さんのように義理堅いひとかどうかも
私にはよくわかりません

だが私は感じます
私の身の上に何が起ろうとしているかを
私は感じます
恐しい力が
私から夫を奪い去ろうとしていることを
夫に再び人殺しの鉄砲をもたせようとしていることを

  6

夫はいつも私に申しました
  「自分のことばかり考えるのは
  卑しいことだよ」と
何度も何度もそう申しました
  「自分のことばかり考えるのは
  卑しいことだよ」と
私は自分のことばかり考えているのでしょうか

  7

雑踏する夕暮れの町に
私は見るのです
  ひとりでゆくひとや連れ立ってゆくひと
  買物籠を提げたひとや手ぶらのひと
ゆき交う無数のひとびとのなかに
  遺家族がいます
  未亡人がいます
  今では物乞いになれた白衣のひとがいます
  孤児がいます
  戦災者がいます
ゆき交う無数のひとびとのなかで
私は夫の言葉を思い出すのです
  「自分のことばかり考えるのは
  卑しいことだよ」と

そうです
それは私だけのことではありません
  私と同じように貧しく
  私と同じように無知な
  すべての妻の運命です
そうです
それは私だけのことではありません
  母は子を
  妻は夫を
  妹は兄を
  子は父を
奪われようとしているのです
再び!
そうです
再び奪われようとしているのです

  8

あなた方は
  正義のために
    と仰言います
あなた方は
  祖国のために
    と仰言います
あなた方は
  平和のために
    と仰言います

               だが
あなた方は
今迄何をなさったのですか
夕暮れの町をゆき交う無数のひとびとのなかで
私は考えます
  雨のふる日も風の吹く日も
  つくろい物の洗濯 食事の用意
  編物の内職に追われとおしの私のために
いや私だけではありません
その日暮しのすべての妻や子のために
  私達の小さな幸福と
  私達の小さな平和と
  私達の小さな希望のために
あなた方は今まで何をなさったのですか

今こそ私は申します
  貧しく
  無力な
  妻や母や子や妹のために
すべての貧しく無力なものから
  小さな幸福と
  小さな平和と
  小さな希望を
    取りあげて

それで
あなた方は
いったい何を守るというのですか
  夫や子や父や兄を
    駆りあつめて
それで
いったい何を守るというのですか


『渇いた心』(昭森社、1957年)所収。『黒田三郎著作集T 全詩集』(思潮社、1989年)によった。



木を伐るばかものども[2019年05月14日(Tue)]

DSCN0641.JPG
クワが実を付け始めた

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丸山穂高衆院議員の北方領土をめぐる「戦争」発言、所属する日本維新の会からは除名処分となったが、議員失格であることは言うまでもない。
一人の例外的な人間の不規則発言とは思われない。これに同調する議員・有権者のいることに不穏な空気を覚える。

◆戦時国民歌謡の一つに、高村光太郎が作詞し飯田信夫が曲を付けた「歩くうた」 がある(徳山l(たまき)の歌唱で1941年5月発売)。その1番の歌詞は以下のようなものだ。

歩け歩け 歩け歩け
南へ北へ 歩け歩け
東へ西へ 歩け歩け
路ある道も 歩け歩け
路なき道も 歩け歩け


「路なき道も」のくだり、堅忍不抜の勇ましい姿というよりは、闇夜に泥濘を踏んで進軍し、そのまま冷たい湖底へと沈んでゆく兵たちをイメージしてしまう。生還を期することは放棄した、無表情の暗い情熱とでも言うべき不気味さである。

その列に加わるよう促す者らが、先の丸山議員の周囲で同じ空気を呼吸しているように感じるのである。

◆「歩くうた」を筆頭に1941年の日米開戦前夜の歌を集めた『1941年の哀愁 歌謡曲でめぐる日米開戦前夜の空気』というCDが出ている。
そのCDの2曲目「妹よ」(松平晃・歌。植村謙一の詞に松平自身が作曲)の歌詞の2・3番は次の通りだ。

妹よ
兄は各地に 転戦し
今度こそは 戦死せん
手柄を立てんと 思えども
武運つたなく 今迄に
戦死も出来ず 居り候

妹よ
兄が戦死を 遂げたなら
そなたは一人と なり候
されど泣かずに 時折は
靖国神社へ 訪ね来よ
それがそなたの つとめに候


ここでも死にゆくこと以外の一切の道を閉ざした「陰々」と形容するほかない情熱が、肉親への愛をも黒々と染め上げている。
生き抜くために智略を注いで勝利を得ようとするよりは、思考・判断することを他者に(自軍の参謀ばかりか、しばしば敵の動き・戦略にすら)委ねて、兵自身は戦闘遂行の手足であることのみを宗とするやりかた、あたかも必敗・必死を前提にしているようなやり方がここでは推奨されている。

靖国へとみんなで参拝する議員たちも同じ黒々とした陰を引きずっているとしか思えない。

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戦争   ジャック・プレヴェール
      (小笠原豊樹・訳)

きみら木を伐る
ばかものどもめ
きみら木を伐る
若木をすっかり古斧で
かすめ盗る
きみら木を伐る
ばかものどもめ
きみら木を伐る
ふるい木と ふるい根っこと
ふるい義歯(いれば)はとっておく
きみらレッテルを貼る
やれ善の樹だ やれ悪の樹だ
勝利の樹だとか
自由の樹だとか
荒れた森はおいぼれた木の臭いでいっぱい
鳥はとび去り
きみらそこに残って軍歌
きみらそこに残って
ばかものどもめ
軍歌だ 分列行進だ。
 


*小笠原豊樹・訳『プレヴェール詩集』(岩波文庫、2017年)
 

ほんもののトラへの備えが必要なわけ[2019年05月13日(Mon)]

DSCN0719.JPG
ノイバラ

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ほんもの   黒田三郎

みんななかよし
(幼稚園の先生も総理大臣も
言うことはおんなじね)
トラくんも
クマくんも
ぬいぐるみだもん
ちっともこわかない

ゆうぎをしたり
うたをうたったり
ふざけたり
けんかしたり
なにしてもみんななかよし

どうぶつえんへ行ったら
こわかった
(鉄の柵はあったけどね)
大きなほんもののトラが
じろりとにらんだ
ぷーんとへんなにおいもした


 『黒田三郎著作集T 全詩集』(思潮社、1989年)より

◆自分は大丈夫、と決め込むのも、明日にも空が落ちてくるかもと怯えるのも、ぬいぐるみを相手に遊ぶに等しい。
ほんとうに怖いものにきちんと備えをしておくのが身をもって痛さを味わった者の処し方で、動物園の猛獣に鉄の柵が必要なのと同じように、権力に対して憲法という備えが必要だと考えた彼らは、権力者の「へんなにおい」も自分の鼻でかぎ分けていた。


坂村真民「目をひらくためには」[2019年05月12日(Sun)]

DSCN0708トキワツユクサ.JPG
トキワツユクサ

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目をひらくためには  坂村真民

目をひらくためには
目をとじねばならぬ


*詩集『二度とない人生だから』(サンマーク出版、1999年)

◆坂村真民(しんみん、1909-2006)の詩は、人生行路の羅針盤のように読まれているのだろうけれど、「〜しよう」という調子には教訓臭を感じてかなじめない。
人が生きることは相当に複雑だ。単純に割り切れないものに分かりやすいことばを着せて事足りるわけではない。
引用した二行詩は「いま目を開けている」ことを指摘してドキリとさせる。
活字の向こうに作者が居てこちらを視ていると感じるからである。

次いで、目をとじたら何が瞼の裏に明滅するか、それとも何も見えない無明の闇しかないのか。
瞑目した状態を味わうのは自分自身以外になく、しかもその己は定めなく揺れてまことに頼りない、そのことを思い知る体験となるだろう。

いわば羅針盤を失った状態に放り出される、そこが良い、と思う。




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