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堀田善衞の詩「祈り」[2019年05月31日(Fri)]

DSCN0888ホワイトレースフラワー(ドクゼリモドキ).JPG
ホワイトレースフラワー。
10日ほど前に撮ったもの。残念ながら先週の草刈りで姿を消した。
和名はドクゼリモドキと物騒だが、緑深まる水路のほとりに白い花が丈高く咲いて清々しい趣だった。
明日1日には田んぼへの水入れが始まるだろう。

*******


祈り  堀田善衞

見なれぬ場所へ 不意に
出たひとは眺めまはす そこらに
見知つたものはないか と そして
つひになにかをきつと見出すだらう……
ああいまし樹を離れようとしてゐる あの無花果は
あれはみたことがある 十二の秋に と――

そのやうにそのやうに たましひの幼な子は
頷きあふであらう 手をとりあふであらう
大きなめぐりを迎へたかのやうに
われらは深みでひとつである と はじめから――
眼ふせ それをいはずに……
するとそのしじまのなかから
羽搏きの音が起るであらう
たましひは眼を覚すであらう すべて新しく

家々はみな 違つてゐながら
似通つてゐる ひとが住むやうに と
愛も死も夢も 四季の自然も
見なれぬままに ひとは知つてゐる
静かな夕暮れの時間のうちに
それらのすべてを
そしてひとは忘れる 朝の時間に
それらのすべてを
限りなく新しく 限りなくなつかしく
われらの生は 孤独の深みでなんと広いのだらう と


*『堀田善衞詩集 一九四二〜一九六六』(集英社、1999年)より
 初出は1942年『詩集』2月号

◆「われらの生は 孤独の深みでなんと広いのだらう」という朝の発見は、死のあとの魂の再生のようだ。
「われらは深みでひとつである」とも述べている。
だから我々の目に映るものたちが、たとい見なれぬものに見えたとしても、それらは実は、とうに知っているものばかりであること、
我々がこの世に生まれ出たのも、いずれこの世から別の世界に出て行くことも、「大きなもの」がゆっくりと巡っている、その連なりの一つとしてであること、
それゆえ孤独であると同時に「ひとつ」であるから、安らかに眠っていいのだ、と語りかけてくる。


きょうそうばじゃない[2019年05月30日(Thu)]

DSCN0872.JPG
ジャガイモの花

*******

かけっこはきらい   江國香織

かけっこはきらい
わけがわからなくなるからきらい
きがせくからきらい
あっというまだからきらい
またされるからきらい
つまらないからきらい
あたしはきょうそうばじゃなくて
メリーゴーランドのうまなんだと
おもうの


かけっこはきらい.jpg

江國香織・文、いわさきちひろ・絵『パンプルムース!』より。
(講談社、2005年)

挿画「紫の馬と少女」の初出は「子どものしあわせ」(草土文化)1972年1月号表紙

*******

◆きらいなものを「きらい」といえる時間を経ておとなになることが大事なんだろう。
「きょうそうば」にはそれが許されない。
どころか、自分が「きょうそうば」なのか「メリーゴランドのうま」なのか寸刻も考えるヒマを与えられない。

◆5月17日に「教育再生実行会議」の『第11次提言』なるものが出たが、それが目指す「高等学校改革」を読むと、人間を馬のようにパドックで振り分けてコース変更を許さない意図が露わだ。
ましてや、ぐるぐる回るだけのメリーゴーランドの馬でいることなどは許されそうにない。
ゴールすることと、獲得賞金のことしか頭にない馬主が提案したみたいだ。

★官邸のサイトに「教育再生実行会議」の提言・参考資料がアップされている。
「馬主」の頭の中をチェックして置いた方が良い。
https://www.kantei.go.jp/jp/singi/kyouikusaisei/teigen.html

「提言」本文は⇒https://www.kantei.go.jp/jp/singi/kyouikusaisei/pdf/dai11_teigen_1.pdf
「参考資料」は⇒https://www.kantei.go.jp/jp/singi/kyouikusaisei/pdf/dai11_teigen_sankou.pdf

ねがうこと[2019年05月29日(Wed)]

DSCN0887ヒペリカム.JPG
ヒペリカム。
鮮やかな黄色の花と睫毛のように長い雄しべがビヨウヤナギかと思わせていたが、周りの球が赤味を帯びてきて、じつは実らしい。同じオトギリソウ属の園芸種だとか。

*******

◆理不尽な川崎市・登戸の事件――
この世に生を享けた以上、ままにならないことはいくらもあるが、せめて下のようなことばをかけてくれる誰かがまわりにいたとしたら……
それも叶わぬなら、自分に向けてほんの数呼吸つぶやくために、大きく一回、深呼吸するゆとりがあったならば……と思わずにはいられない。


よのなか   江國香織

はしれ いぬ
こぼれろ ミルク
もえろ ひ
きれ ハサミ
うれろ くだもの
ながれろ かわ
およげ カエル
かがやけ おつきさま
うまれろ あかんぼう
ふれ ゆき
なれ ピアノ
ながいきせよ おとな
それらぜんぶを
たしかめよ わたし


 文・江國香織/絵・いわさきちひろ『パンプルムース!』(講談社,2005年)


横転したままの大型バス[2019年05月28日(Tue)]

DSCN0884オオベニウツギ-A.JPG
オオベニウツギ(大紅空木)

*******

◆登戸の傷ましい事件、続報をさる病院の待合室で見ていた。
殆どの人がTV画面に視線を向けているようだったが、焦点を何に合わせればよいのか、また合わせられたとしても理解可能な像を結ぶのか判然としないままでいるように思われた。

たとえば和合亮一「廃炉詩篇」の次のような気分を誰もが味わっているのではないかとすら思えた。

(…略…)
だから無人の
大型バス
それが頭の中で激しく
横転している
だから
深夜に大型バスが
もはや
頭の中で激しく
横転したままだ
だから
眠れない
どうしてなのか
理由など
ないからだ
眠りたいから
見猿
聞か猿
言わ猿


和合亮一「深夜に大型バスがもはや/頭の中で激しく横転したままだ」の結尾。
(『廃炉詩篇』思潮社、2013年)

◆横転したバスがそのまま頭の中で転がったままである、というのは、横転したのがこの社会全体であることを表現している。
誰の頭の中も、そのような状態のまま。
この世界が修復も再構築もなされていないことは意識しているのに、なすすべもないから、あるいはなすべき人がなすべきことをしないから、私たちは猿になるしかない……のか???




若き漱石のホイットマン紹介[2019年05月27日(Mon)]

DSCN0923ヒメヒオウギ.jpg
ヒメヒオウギ。僅かな土から姿を現したと思ったら数日でたくさんの花を開いた。
以前アップした「ヒメヒオウギズイセン」とはだいぶ趣が違う。
葉が細い剣状で小ぶりのアヤメという点は共通。

*******

漱石とホイットマン

ウォルト(ウォルター)・ホイットマン(1819年5月31日–1892年3月26日)を初めて日本に紹介したのは漱石だという。

ホイットマンが亡くなった1892(明治25)年の10月、「哲学雑誌」に発表した『文壇に於ける平等主義の代表者「ウォルト、ホイットマンWalt Whitmanの詩について」』がそれである。漱石は未だ学生だった。

◆共和国の人民に必要な独立の精神、己を束縛するものは己の良心のみ、という気象を体現した詩人として賞揚している。

昨日の「ブロードウェイの行列」詩におけるホイットマンの世界観・アジアへのまなざしと関連する指摘があって興味深い。
いくつか印象に残ったことばを引いて置く。


★さらばホイットマンの平等主義はいかにしてその詩中に出現するかというに、第一、彼の詩は時間的に平等なり。次に空間的に平等なり。人間を視ること平等に、山河禽獣を遇すること平等なり。平等の二字、全巻を掩うて遺すところなし。

★〈時間的に平等なり〉とは、古人において崇拝するところなく、また無上に前代をありがたがる癖なきを云う。いわく、「古人も人間なり。我も人間なり。余は古人に就いて学べり。恨むらくは古人を九原(注 黄泉路。あの世)に呼び起こして余を学ばしむる能わざるを、合衆の連邦、豈(あに)古代を蔑視せんや。その功績を認識するにおいては敢えて人に後(おく)れざるを期する者なり」と。

★〈空間的に平等なり〉とは、場所によって好悪を異にすることなく、アフリカの砂漠もロンドンの繁華もみな同等の権利を有してその詩中出現し来たるを云う。

★智は不智に優(まさ)り、徳は不徳に勝る。ホイットマンは明らかにこれを認識するものなり。これを認識すると同時に表面上の尺度を撤去せんと欲する者なり。族籍に貴賤なく貧富に貴賤なく、これ有らばただ人間たるの点に存す。これホイットマンの主義なり。
 


 *1967年版の岩波・漱石全集により、現代仮名遣いに改めたほか適宜、句読点等を付けた。

◆漱石はこのように述べつつ、ホイットマンの詩は自由・平等・独立を体現するもので、ヨーロッパの社会的条件や古典の羈絆から自由であること、人と人を結びつける愛情が霊性に根拠を持つと考えていることを指摘している。

「manly love of comrades」

◆「愛」について述べる上で若き漱石が着目してるのは、ホイットマンのいう「manly love of comrades」(男たちの同志愛)である。また友愛のシンボルである植物calamus(ショウブ)をイメージして詩集『草の葉』は編まれていることに読者の注意を促している。
流石(さすが)、漱石である。

*このことと、漱石のたとえば「こころ」における「先生」と「私」の間の愛情については、多くの論考があろうから、それに譲る。

関連語「Camerado」については「大道の歌 15」で触れた。⇒http://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/1237

また「あなたのために、おお、デモクラシーよ」においても「manly love of comrades」の詩句が繰り返されている)。⇒http://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/1239



「万象の母」[2019年05月26日(Sun)]

DSCN0911.JPG
スイバ(スカンポ、イタドリ)の葉裏に毛虫クン。アゲハになるのだろうか?

*******

◆トランプ大統領接待のゴルフ中にアベ首相が農産物「密約」を交わしたのではないかと取り沙汰されている。根拠は今日昼過ぎのトランプ氏のツイッター。
〈Great progress being made in our Trade Negotiations with Japan. Agriculture and beef heavily in play. Much will wait until after their July elections where I anticipate big numbers!〉
(日本との貿易交渉で非常に大きな進展があった。農業と牛肉でとくに大きなね。日本の7月の選挙が終われば大きな数字が出てくる、待ってるよ!) (訳はLitera編集部による。下記の記事を参照)
★【Litera記事】
https://lite-ra.com/2019/05/post-4735.html

さもありなん。会う度に防衛装備の大量購入など気前よく国富を差し出して「朝貢外交」と揶揄されるアベ外交、一向に成長しない。
Twitterの「July elections」という複数形も衆参ダブル選挙を示唆されたのではと憶測を呼んでいる。

◆大相撲観戦のもてなし方・もてなされ方も異様ずくめ。
「米大統領杯」なるものでトランプ側は酬いたが、そのカップの面妖なことに啞然とした。
いわゆる天皇賜杯に大きさも形もソックリなのだ。
しかも今後、このカップを夏場所の優勝力士に授与するというのである。

今後5月場所千秋楽を迎えるたびに日本国民は天皇賜杯に引き続きトランプ賜杯を見せつけられ、米「支配」を再確認し続ける、というのではシャレにならない。

*******

サムライたちのブロードウェイ・パレード

◆1860(万延元)年、日米修好通商条約の批准書を交換するために派遣された遣米使節団一行のもう一つの目的は、通貨の交換比率の交渉にあったということだ。
トランプ大統領の来日がただの物見遊山でないことと事情は同じである。

米艦ポーハタン号および万一に備えて随伴した咸臨丸で太平洋を渡ったサムライたちは1860年6月、ニューヨークに到着、ブロードウェイのパレードに臨んだ。
50万人が集まったという見物人の中に詩人ウォルター・ホイットマンの姿もあった。
ニューヨーク・タイムズ紙に発表された長編の詩がある。



ブロードウェーの行列  ウォルター・ホイットマン



西方の海を越えて、こちらへ、日本から渡来した、
謙譲にして、色浅黒く、腰に両刀を手挟(たばさ)んだ使節たちは、
(あたま)あらわに、落着き払って、無蓋の四輪馬車のなかに反りかえり、
今日この日、マンハッタンの大路を乗りゆく。

「自由人」よ! 私の見るところのものを、他の人々もまた見るかどうか、
この使命の奉持者、日本の貴顕(きけん)に従う行列のなかに、
列の後ろに、また上に、周りに群がり、さては進みゆく隊伍のなかに見るかどうか、私は知らない、
だが、「自由人」よ! 私は私の見るところを君たちに歌って聞かせよう。

百万のマンハッタン人が、家のなかから街路へと飛び出すとき、
雷のはためくような砲声が、私の好きな威勢のよい唸りで、私を奮い起たせるとき、
円い砲口の巨砲が、私の好きな硝煙とその匂いのなかから、礼砲を発射するとき、
火を吐く大砲が、完全に私を不意打ちにし、空の雲がその美しい薄霞で、わが市街に天蓋(てんがい)をさしかけるとき、
壮麗な無数の直立するマスト、埠頭にある帆柱の林が、旗でいっぱいになるとき、
満艦飾を施した船ごとのマストの天辺(てっぺん)に船旗が掲げられるとき、
長旒(ながはた)がたなびき、街々の飾りの花綵(はなづな)が、家々の窓から垂らされるとき、
ブロードウェーの大路が、すべて徒歩の人々と、立ちならぶ観衆で満たされるとき、群衆の雑沓がその絶頂に達するとき、
家々の入口のあたりが人々で活気づき、幾万とも知れぬ人々の視線が、一時に釘付けられるとき、
かの島国からの賓客が進みゆくとき、行列がしずしずと前へと動きゆくとき、
呼出状が発せられ、幾千年間待たれた回答が齎(もたら)されるとき、
私もまたこれに応じ、起ち上がって街上に降りたち、群衆に交って彼らとともに眺め入るのだ。

 二

壮麗なマンハッタンよ!
わが同胞のアメリカ人よ! われわれの所へ、この時遂に東洋がやって来たのだ。

われわれの所へ、われらの都へ、
高層な大理石と鉄から成る美しい建物が両側に立ち並び、その間が通路となっているわれらの都へ、
今日この日、わが「対蹠(たいしょ)の世界の住民」がやって来たのだ。

「創造の女性」がやって来たのである、
言語の巣窟、詩歌を伝えた人々、古往(こおう)の民族、
血色鮮かに、考え深そうな、瞑想に耽り、情熱ゆたかに、
香気馥郁(こうきふくいく)、寛袍(かんぽう)ひらひらする衣裳を着なして、
陽やけの相貌、白熱せる魂と胴々たる眼光の持主、
波羅門の民族がやって来たのである。

見たまえ、私の詩題となるものを! それらのものと、さらに多くのものとが、行列のなかから私たちに向って閃(ひらめ)いてくる、
それは行列が動くがままに変化し、私たちの日前に、天来の万華鏡のように、行列の動きとともに変わりゆく。

たんに使節だけではない、また、かの島国から来た陽にやけた日本人のみではない、
インド人が立居振舞しなやかに黙々として現われる。アジア大陸そのものが、過去が、亡者が現われるのだ、
驚異と奇怪な伝説の朦朧たる夜明け、
封ぜられた魔訶不思議、古くて知るよしもない蜂窩(ほうか)の蜂ども、
北地と極暑の南国、東方のアッシリア、ヘブライ人、古代民族の最古のもの、
広大な廃墟と化した都市、移ろいゆく現世(げんせ)と、それら一切のものと、さらに多くのものが、この壮麗な行列のなかに在る。

地理も世界もそのなかにある、
汪洋(おうよう)たる太平洋と、島々の一群を成すポリネシア、その先の海岸線、
それが、これから後、君たちの臨む彼岸である――君ら「自由人」よ! 君たちの黄金の出る西の海岸から眺める彼岸である、
それぞれの住民をもつ彼方の国々が、奇しくも大挙してここへやって来たのだ、
雑沓する市場、両側にまたはその奥に偶像の立ち並ぶ寺院、仏教の僧侶、波羅門宗徒、そしてラマ僧、
支那の大官、百姓、商人、機械工、漁夫、
歌い女と踊り子、法悦の人々、蟄居の王者たち、
孔子その人をはじめ、大詩人と英雄と、勇士たちとインドの諸階級(カスト)の人々と、これらすべての者どもが、
隊伍粛々、あらゆる方角から群がり集う。アルタイ山脈から、
チベットから、まわりくねって漾々(ようよう)果てもなく流れる支那の四大河から、
南方の諸半島と準大陸の島々から、マレイシアから、
それらのものと、それらに属するすべてのものは、光り燿(かがや)いて私の目前に展開し、そして私に捉えられる、
「自由人」よ! 私がここで、彼らとそして君たちのために、歌い尽くすまで、
私もまた彼らに捉えられ、懇(ねんご)ろに彼らに引き留められる。

私もまた、声張りあげて、この行列に加わるのは、
私がその歌い手であるからだ。私は行列について声高らかに歌う、
私の西方の海上にある世界を歌う、
私は空の星のように無数な彼方の島々を歌う、
私はまるで幻のように私の前に現われた、古今無比の一新帝国を歌う、
私はわが主婦アメリカを歌い、より偉大なる至高のものを歌う、
私はそれらの島々の群れの上に、やがてうち建てられるであろう百千の栄える都市を歌う、
わが帆船と汽船とは、それらの群島の間を縫うて航行し、
わが星条旗は風にはためき、
交易は開かれ、幾世紀にわたる雌伏はその勤めを果たし、人類は潑剌(はつらつ)とふたたび誕生する、
生活と仕事は再び始まった――その目的を私は知らない――しかし、この古来のもの、アジア民族は、当然そうあるべきように更生して、
いま、世界注視のうちに、今日から発足するのである。

 三

さて、君たち、世界の「自由人」よ!
君たちは幾千年という無限の時のただなかに安坐(あんざ)しているのだ、
今日は一方から、アジアの貴顕らが君たちのところへ訪れ来たり、
明日は他の側から、イギリスの女王が、その王儲(おうちょ)を差遣わされる。

標識は逆転し、地球はとり囲まれた、
軌道は一周され、旅程は終りを告げた、
(はこ)の蓋はちょっとばかり開かれたのだが、それでも、香気は溢れるように、筥全体から匂いでる。

若き「自由人」よ! 万象の母、古くて尊いアジアに対し、
いつも渝(かわ)らず、思いやり深くいたわれよ、熱血の「自由人」よ、なぜなら、君は全的のものではないか、
君はその驕慢の頭(こうべ)を、いま彼方の群島から、その伝言を送ってきた、逢か彼方の母のために垂れるがよい。

その子供らは、そんなに永い間、そんなに永く西方へと道を踏み迷っていたのだろうか、そんなに遥かな漂泊の旅だったのだろうか、
その過去の朦朧とした歳月は、そんなに永く人間発祥の楽園から西方に向って展開していたものだろうか、
幾世紀という歳月は、その間(かん)全く人知れず、君のために、摂理のゆえに、その方面に、小止(おや)みなき徒歩(かち)の羈旅(たび)を続けていたものだろうか。

彼らは肯定され、彼らの旅程は終わった。彼らは今度は他の方面に向い、そこから、君たちのほうに向って旅するだろう、
彼らはこれからまた、君たち「自由人」のために、東に向って唯々諾々と行進するだろう。


(注)三章初節の「イギリスの女王が差遣わされる王儲」というのはヴィクトリア女王の皇太子ウェールズ公エドワードで後のエドワード七世のことである。

長沼重隆・訳『世界の詩集10 ホイットマン詩集』(角川書店、1967年)より

◆ホイットマンは日本からの使節団の姿に、西方はるか、アジアの人々と彼らが築いてきた歴史と文化の総体を見ている。中国・チベット・インド、その先のアッシリア・ヘブライ……。
アジア大陸だけではない。太平洋とその島々、ポリネシア……。山脈を越え海を渡り、時空をまたぎ越してそれらの放つ光が今ようやくここブロードウェイに到達し、なおもその先へと向かってゆくことを予感している。
ホイットマンのそうした視線を、見られる側=サムライたちが意識に上すなら、「日本的なるもの」がアジアとヘソの緒でつながっていること、血脈に溶けこんでいる「アジア的なるもの」を注意深く生かすことに豊かな可能性があることを、我々が属するこの世界が「万象の母」にほかならないことをハッキリと自覚するのではないか?


デモクラシーのために[2019年05月25日(Sat)]

DSCN0681ニガイチゴ.JPG
ニガイチゴ(たぶん)

*******

◆ウォルター(ウォルト)・ホイットマン(1819-92)の誕生日は5月31日、今年がちょうど生誕200年だ。


あなたのために、おお、デモクラシーよ  
            W.ホィットマン


さあ、私は永久不変の大陸を作ろう、
私は太陽がこれまで照らしたうちで、最も優れた民族を生みだそう、
私は秀麗にして魅力ある国土を築こう、
  僚友の愛をもって、
    僚友の終生渝(かわ)らぬ愛をもって。

私はアメリカのあらゆる河川に沿うて、また大湖水の岸辺に沿うて、また大草原にあまねく、樹木のように深々と、友愛を植えつけよう、
私はその腕をお互いの頸(くび)に巻きつけて離れがたない多くの都市をうち建てよう、
  僚友の愛によって、
    僚友の男性的な愛によって。

おお、デモクラシーよ、わが女性よ、あなたに仕えるために、私からこれらのものをあなたに捧げる!
あなたのために、あなたのために、私はこれらの歌を声顫(ふる)わせて歌うのだ。
 


長沼重隆・訳『世界の詩集10 ホイットマン詩集』(角川書店、1967年)より


平等は有害?[2019年05月24日(Fri)]

DSCN0675.JPG
強い日差しをあえて浴びているかのようなテントウムシ

*******


思い   ホイットマン

平等について――じぶんと同じ機会と権利を
  他人に与えるんじゃ、平等こそ自分に害
  があるみたい――他人が同じ権利をもっ
  ているんじゃ、まるでじぶんじしんの権
  利にとって、平等が必要不可欠でない
  みたい。


*木島始・編「対訳 ホイットマン詩集」(岩波文庫、1997年)より

◆平生「表現の自由」を唾棄しながら、自分が批判を浴びると同じことばを言い訳に使う人は丸山穂高議員に限らず政治家に蔓延していて、ヘイト・クライムでもしばしば耳にする。
「建前と本音」、「ダブル・スタンダード」、「ご都合主義」など様々な言い方で言われるけれど、法律が「誰にも平等に同じ権利」を保障するように定めるのは、害をこうむることの多い社会的弱者こそ救済を必要とするからで、圧倒的多数は辛酸を味わってきた人々の方だろう。

ただ、弱者とそうでない人の色分けがはっきりしているわけではない。
我々はそのどちらでもあり得るということを忘れて安全圏からモノを言っていることはしょっちゅうあり、それが弱者をイジメる結果をもたらすこともまた多い。

いざ、わが身にふりかかって見れば人の痛みがわかるハズなのに……と思いたいけれど、人の傷口に塩を塗る確信犯はなくならず、塩を塗っていることに気づかぬ人もそれ以上に多い。そうして、自分がその一人でないという保証は、どこにもないのだ。

道はわたしたちの前にある――ホイットマン[2019年05月23日(Thu)]

【お知らせ】(再掲)

5月26日() 午後2~4時

「湘南社」民権講座 

渡辺延志さん講演
 & 猪俣弥八・ミニ資料展


会場:山口家住宅   伊勢原市上粕屋862-1
    電話1(プッシュホン)0463-95-0002(山口方
) 


190526民権講座ビラ渡辺延志+ミニ展_0001.jpg

***

190526民権講演渡辺延志+ミニ展_0002.jpg


*******

ホイットマンの「大道の歌」  

猪俣弥八がアメリカに渡った時期(1888年)は、アメリカの国民詩人というべきホイットマン(1819-92)の最晩年に当たる。
カリフォルニアのカレッジやオレゴン州立大で勉学に励みながら、ホイットマンの詩を読んだり誰かの朗読に耳傾け、その自由の息吹に心をふるい立たせるひとときがあったかも知れない。

長編詩「大道の歌」の最終2連を掲げる。


大道の歌 より  ホイットマン

14

さあ行こう! 奮闘と戦いをとおりぬけて!
指示された目標は、取り消しはできない。

過去の奮闘は、成功したか?
何が成功したのだ? きみじしんがか? きみの国か? 《自然》か?
さあ、わたしの言うことをよく理解するのだ――どんな成功の結実からにせよ、
  たとえそれがどんなものであれ、もっと大きな奮闘を必要なものにするよ
  うな、何かが必ず現れてくるということは、事物の本質に備わっているこ
  となのだ。

わたしの呼びかけは、戦闘の呼びかけだ、わたしは、行動的な叛逆を
  はぐくむものだ、
わたしと同行するものは、乏しい食事、貧乏、怒る敵ども、見捨てられることに、
  しばしば出くわす。


15

さあ行こう! 道路は、わたしたちの前にある!
それは安全だ――わたしは試してみた――わたしじしんの足が
  充分に試してみたのだ――引き止められてはいけない!
紙は書かずに机の上に、本は開かずに本棚に置いておけ!
道具類は工場に置いておけ!
金は儲けないままでいい!
学校は立たせておけ! 教師の叫び声を気にするな!
説教者には演壇で説教させておけ! 弁護士には法廷で弁護させ、
  判事には法律の解釈をさせるがいい!

仲間よ、わたしは、きみにわたしの手をかそう!
わたしは、君に金より貴重なわたしの愛を与える、
わたしは、きみに説教や法律より前にわたしじしんを与える、
きみは、わたしにきみじしんを与えてくれるか? きみは、
  わたしと一緒に旅に来るか?
わたしたちが生きているかぎり、わたしたちは、しっかりお互い、
  結びついていようではないか?


 木島始・編『対訳 ホイットマン詩集』(岩波文庫、1997年)
  
*「仲間よ」…原詩では「Camerado」。スペイン語から借りたこの古いことばをホイットマンは好んだという。

移民と国策―猪俣弥八の生涯から思うこと(3)[2019年05月22日(Wed)]

アメリカへの日本人移民

◆困難に立ち向かう人々のために尽くそうとする猪俣弥八の志を中途で断ち切ったのは彼のもとで働いていた邦人の凶弾であった。

「湘南社」を中心にした民権散歩で教わったもう一人の人物、後藤𤄃(ごとうかつ。旧姓小早川。1861-1889)のハワイにおける非業の死が思い合わされる。
後藤の場合は、商売敵の反発がリンチ事件に発展したということだった。
猪俣弥八よりは3年早く海を渡り、ハワイに地歩を固めつつあった後藤もまた、移民として働く同胞たちの待遇改善に奔走した人であった。
「人はパンのみで生くるにあらず」と聖書は教えるにしても、今日の糧を口にすることが叶わぬ者の空腹を充たすことは難しい。

*拙ブログ「大磯をあるく(2) 2017年2月28日」参照
http://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/433

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◆(閑話休題)日本政府は改正入管法(今年4月施行)の定める「特定技能者」を、人手不足に悩む福島原発廃炉作業に外国人労働者を従事させられるとの方針を打ち出した。ノドから手が出るほど働き手が欲しい東電だが、「当面は」受け入れない方針を発表した。被曝の恐れや言語の不自由から起こりうる作業の危険を理由としているが、説明になっていない。では日本人の作業従事者には危険はない、と言いたいのか?被曝の恐れに常に身をさらして働いているではないか。

政府は事実上の移民を、移民ではないと強弁してきたが、来日して働く労働者自身やその家族への眼差しを示したことは一度もない。産業界・財界に都合が良いように移民政策をいじり、彼らを人間として遇せず、道具として利用することだけが大手を振っている。外国人だろうが、日本人であろうが働く者を人間として処遇しない点も今に始まったことではない。

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◆さて、アメリカへの移民だけに限ってみても、日本人移民は日米政府両政府の国策に翻弄されてきた実態がある。
今の私たちが忘れがちなことは、近代日本150年の最初の100年間、日本は多くの移民を海外に送り出した国であるという事実である。
その1世紀にわたる移民史を殖産興業〜欧米列強に伍し海外侵略〜その失敗とどん底からの復興の歴史(敗戦後の高度成長期まで)と重ね合わせれば、国策に翻弄されつつも必死にそれを乗り越えようとした普通の人々の物語が浮かび上がってくると思う。
日本は、1945年の敗戦後も60年代に高度経済成長を果たすまではブラジルなど南米中心に移民を送り続けた。現在はその子孫たちを含め海外から逆に日本へと働きに来るようになったわけである。

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100年にわたり移民を送り出してきた日本

◆明治の民権運動は、国の体裁と軍備を整えるための重税を担わされた国民の苦悶が原動力の一つであった。
文明とともにもたらされた欧米の人権思想がそれに形を与えた。意欲にあふれた青年たちと、伝導の使命に燃えた宣教師たちとの出会いが普遍的なもののために生きる道の門を開いた。
猪俣弥八や後藤𤄃の渡航とその後の生き方は、理念に基づく実践にほかならない。

◆無論、疲弊した農村の子弟にとっては、働き口を求めての移住であり、良い条件を求めて海外に向かう者が増大する。
アメリカの国策の変更によって、中国人移民が禁止され、それに代わる位置を日本からの移民が占めることとなった。

*1890年には中国人移民10万7千人余りに対して日本人移民は2千人余りでしかなかったが、1910年にはともに7万人強と肩を並べ、1920年には中国人移民6万人余りに対して日本人移民が11万人強と、逆転している。(貴堂嘉之「移民国家アメリカの歴史」p.149 岩波新書、2018年)

一方、日本政府からすれば、国内の産業だけでは養えぬ口を海外に求めさせることにしたわけで、特に日露戦争後はその必要が増した。

◆弥八らの渡米にも、彼らの内発的理由とともに外的条件と国の政策(時にそれは無策に等しい場合もある)が関わっているのは言うまでもない。

ちなみに、弥八が渡米した1888年の日本人移民入国数は404人であったが、亡くなった1902年には14,270人を数えている(飯野正子「もうひとつの日米関係史 紛争と協調のなかの日系アメリカ人」p.14有斐閣、2000年)。

弥八の命を奪った日本人も、この膨れあがった移民たちの一人であったのだろうか。
渡米後の暮らしぶりや凶行に至る事情は判然としないが、初期の日本人移民たちの仕事や住環境の劣悪さを物語る証言や記録は多い。

◆弥八が体を張って日本人娼家の廃止運動に取り組んだことは先述したが、ユウジ・イチオカ「一世 黎明期アメリカ移民の物語り」(刀水書房、1992年)には、欺されて荷物同然に貨物船に閉じ込められ売られてきた女たちなど、さまざまな例を載せている(同書p.35〜48)。国策に便乗して人身売買で稼ぐ業者たちが存在したわけである。

◆アメリカ側の対応も常に歓迎一色だったわけではない。
弥八没後のことだが、1907年の移民法改正や第一次大戦後の排日運動には常に人種主義がつきまとったし、黄禍論を選挙に利用する政治家さえ出現した。1913年の外国人土地法によって日本人の土地所有が禁じられ、1920年には借地権すらも奪われていく。

決定的であったのは1924年の移民法(事実上の「排日移民法」)だった。
アメリカへの道が閉ざされたことが日本の大陸進出(中国侵略・満蒙経営)やアジア各地への侵略を促すことになって行く。「王道楽土」を謳った満州への移民政策はまさに国策として進められることになったわけである。

石坂(北村)美那・石坂公歴(まさつぐ)姉弟

◆そうした近代日本の歴史を参看するうちに猪俣弥八と同じ1868年生まれの民権家、石坂公歴(まさつぐ)の名が目に留まった。多摩の自由民権運動をリードした石坂昌孝の子で、若き民権家として北村透谷(1868-1894)とも親しく交わった人物で、姉の美那は北村透谷の妻であった。
公歴は、父・昌孝の大阪事件連座や自由党の解散など民権運動の退潮を見るに及んで1886年に渡米。愛国有志同盟を結成、新聞「新日本」を発行して彼の地から日本政府批判の筆を執った。
だがその後は職につけず北米各地を転々とし、日米開戦時には日系人収容所に入れられ1944年、マンザナの日系人収容所で死去したという。

大阪事件…1885年,自由党左派が企てた、クーデターによる朝鮮の内政改革の試み。

◆石坂公歴の生涯は、弥八とは別の意味で不運の人生という印象がある。
山田風太郎『明治波濤歌』に若き日の石坂公歴が描かれているという。

また透谷に嫁した姉・美那(1865-1942)は、1894年の透谷の自死後、思い立って渡米、あしかけ9年の留学生活を送った人という。帰国後は英語教師となり、透谷の詩作品の英訳も進めたという。透谷がキリスト教に向かい、受洗するに至ったのは、美那の存在を抜きにして考えることはできない。

そうした姉と弟の人生が、太平洋をまたいで交錯しつつ別様の軌跡を描いて行ったこことになる。

まさに波濤を越えた人々の往来とそれぞれの波瀾万丈の生涯から学ぶことは尽きない。

猪俣弥八、石坂姉弟とも、民権運動の興隆とその余燼まで閲してそれを生涯に生かそうとした人々だが、地に足を着けた農の家に生まれたという点が共通する。決して数奇な人生ということではない。

◆無論、彼らは土地の名望家というべき恵まれた環境に育った。
一方で、貧窮からの脱出を夢見て海を渡りながら、思うに任せず苦界の淵に呻吟する女たちがおり、これを食いものにする者たちも存在した。
さらには、頼るべき同胞の命を奪うところまで追い詰められた人間すら現れたこともまた事実である。
異郷に活路を求めて身を粉にして働いても報われること少ない人々が圧倒的に多かったであろう。

だが、同時に彼らの困苦に目を留めて生計(たつき)の確保に砕身した後藤𤄃や猪俣弥八のような人々が確かに存在した。
それも単に同胞が苦しんでいるから、という理由ではなく、困難に直面している人が日本人であれ何人であれ、彼らが幸福に近づけるよう努めることが信仰や理想の実践であり己の生き方として自然なことだ、という確信があったからではなかろうか。
端的に言えば「博愛」ということになるが、それを観念でなく、目に見え手の触れることのできるものとして踏み行うこと(具体的には「労働することの喜び」を日々に行うこと)―ーそれが外からやってきたキリスト教や欧米の思想が日本人にもたらした最大の恵みではなかっただろうか。
猪俣弥八はそのことをアメリカで行いつつあった、という風に思われる。

いわば恵与されたものを、恵与の源流にさかのぼって確かめつつ、他者のための我が行いとして踏み行うこと、それが弥八の生き方であったのではなかろうか。

◆さて、この恵与されたものを、アジアの各地に棲む人々のために踏み行うべく(かつて日本にやって来た宣教師たちと同じ理想と使命感を燃やして)海を渡った日本人は、果たしてどれだけいただろうか? 

いや、海を渡るまでもない。これからこの島国に生路と活躍の場を求めてやって来る人たちのために、私たちは弥八のように向き合うことができるであろうか?

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*石坂公歴、北村美那の生涯については下記報告を参照した。
なお、タイトルは「石」とあり、父・昌孝についても「石阪」「石坂」が混在している。
下記報告タイトルは「石阪」を用いているのをそのまま転記した。

鶴巻孝雄「石阪公歴のアメリカ便り−公歴・美那・透谷関係史料の紹介−」
(町田市での透谷展の報告集『民権ブックス7 北村透谷と多摩の人びと』(1995年)所収の解説をネット上に公開したもの
http://www006.upp.so-net.ne.jp/tsuru-hp/toukoku/t-kourekisyokann.htm



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