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一語の分別(ふんべつ)[2019年04月30日(Tue)]

DSCN0606.JPG
田んぼのレンゲ。

*******

旧い友   若松英輔

あたらしい友達で
日常いっぱいにしてはならない
苦しいときも
じっと
かたわらにいてくれた
旧友の席がなくなってしまう

あたらしい言葉で
こころを一杯にしてはならない
困難のときも
ずっと
寄り添ってきた
(ふる)い言葉の居場所がなくなってしまう

言葉は
思いを伝える道具ではなく
共に生きる
命あるもの

だから人間は
試練にあるとき
もっと大切な何かを求めるように
たった一つの言葉を探す

たしかな光明をもとめ
わが身を賭して
伴侶となるべき一語を希求する


  詩集『見えない涙』(亜紀書房、2017年5月)

◆朝日新聞への高村薫の寄稿、「平成」の30年を振り返っている。
世界の大きな変化や大きな災害を経ても「日本社会の思考停止は基本的に変わることがなかった。」と述べた上で、「この国にはもはや変化するエネルギーが残っていない」と突き放す。

その苦さをかみしめた上で、そうは仰るがどっこい、と反駁し、その反駁を梃子に分別する人の多からんことを。思考停止をやめれば新たなエネルギーは湧いてくるはず、と高村は言いたいのでもある。

改元の浮華に酔うよりは、ゴトリと時を動かす一語を、自ら紡ぎ他からも引き出す明日を。


(まちがいでしたな)[2019年04月29日(Mon)]

◆十連休を車で出かける人は多いだろうけれど、せめてゴミは持ち帰りを願いたい。
近所の農家はトマトの世話と収穫に忙しい。街道に面した畑の傍らにポイ捨てのポリ袋や空き缶、ペットボトルのポイ捨てが増え始めているからだ。

旅先での恥はアベクンだけにしてもらいたいと、昭和生まれの人間としては切に願う。

◆ドライブ昨日に引き続き、鉛筆立てを木工で作ってみた。
転がしておいた庭木の幹の部分をスライスしてドリルでいくつか穴を開け、鉛筆を差せるようにしただけのもの。

DSCN0618.JPG

向こう側にノコギリで切れ込みを入れ、メモや付箋を挟んで置けるようにしたら少しだけお洒落になった。

◆◇◆◇◆◇◆


永劫に   池井昌樹

(あれですな)
あれですよ
あのまっくろな
しにたえたほし
あそこから
採取するんです
まっくろなほね
ほろぼした
その頭骨を
原因は
じきに解明されるでしょう
(業[カルマ]ですかな)
カルマです
負の連鎖です
極めて稀な事例です
もとは青々水を湛えて
それはきれいなものでした
それが災いしたのでしょうね
(まちがいでしたな)
まちがいでした
まもなく消えてなくなるでしょう
永劫に
(やみ)の彼方に


 池井昌樹『未知』より

◆探査機「はやぶさ2」が小惑星・リュウグウに人工的にクレーターを作ったことが確認出来たという。今月5日だったか、金属の塊を打ち込んだというニュースにはフーンと思っただけだったが、今回確認出来たクレーターが直径10メートルほどと聞いてウームと首をかしげたくなった。
猫のひたいほどの庭が跡形もなく吹っ飛んでいる大きさである。
「(まちがいでしたな)/まちがいでした」と人類の所業に審判を下すものがどこかで見ているような気がして。


いしゆみもて打たるる[2019年04月28日(Sun)]

◆テレビの「劇的ビフォー・アフター」という番組でやっていた、富士吉田市に住むもと布団屋さんの住まいのリフォームが素晴らしかった。家業を支えて来た綿打ち直し機の丸太や歯車、竹のすだれを生かした住まいに変身、父親と娘たちの驚きと涙が良かった。

触発されて何かリユースできるものはないかと見回して目が留まったのが味噌のプラ容器。フタの部分にカッターで「+」の切れ込みを入れて鉛筆立てにしてみた。

DSCN0611.JPG

味噌のラベルもそのままで工夫も色気もなく、TVでリフォームを請け負っていた匠の足もとにも及ばないのだが、チビた鉛筆が中で横になっていても見えるのがミソ(結果的にスケルトン&エコになっただけだけれど)。

◆◇◆◇◆◇◆


弩   池井昌樹

一本の線路が敷かれると
自然が半分失くなるという
一本の道路が敷かれると
一万の野生が消え去るという
二度とは戻ってこないという
一本の線路
一本の道路が
私たちヒトの中から
半分の自然を損なう
一万の野生を滅ぼす
二度とはあらわれないという
果てなく続く人工を
果てなく走る人工の
この最新車は快適だ
完全密閉された窓
原子力駆動の空調
地球に優しい環境の
私たちはいま快適だ
この上もなく快適だが
果てなく伸びゆく人工の果て
果てなくふくらむ栄華の果て
原始のほうから
いしゆみをもち
だんだんこちらへちかづいてきた
そのヒトが
たちどまり
ペッと唾(つばき)
何処へと知れず消えてゆくのだ
私たちヒトの胸から


*昨日と同じく池井昌樹詩集『未知』(思潮社、2018年)より。

原子力の文明社会に原始のヒトがツバをはき捨てて消えてゆく。
いしゆみによって鉄槌を下すには値しないのだ、「快適」で「地球に優しい」とうそぶく我々は。


ほしあかりと平和[2019年04月27日(Sat)]

DSCN0570エゾノギシギシ.JPG
エゾギシギシ

*******


平和  池井昌樹

わたしがいない
そらにはくもがうかんでいて

わたしがいない
まちにはひとがあふれていて

わたしがいない
そらはのどかで

わたしがいない
まちはへいわで

わたしがいない
けれどだれかがそらをみあげて

わたしがいない
けれどだれかがまちにくらして

わたしがいない
そらにはくもが

わたしがいない
まちにはひとが

はるかむかしのほしあかり
けれどみあげているいまも


 池井昌樹『未知』(思潮社、2018年)所収

◆「わたし」は「そら」に浮かんでいるようだ。
くもの下、人であふれた平和なまち、しかし、そこに「わたし」がいない。
いや、かつてはそこに「わたし」もいたのだろう。
今そこにはいない。
だがその平和なまちを見守ることはできる。
見守る「わたし」の気配を感じるのか、まれに誰かがこちらを見上げることはある。

◆まちが平和であるために「わたし」がしたことが何かあり、それゆえにまちは平和になったようだ。だが、何をなしたか「わたし」は語らない。
大切なことはまちが平和であり、それを「わたし」が見ていられることだ。

◆「わたしがいない」を繰り返すのは悔いや喪失感からではない。
それらは「わたし」と共に在った者が、平和なまちに暮らす折々にふと感じることではあるだろう。試しに、リフレインの「わたし」のところを空所にして、そこに他の言葉、代名詞(たとえば「あなた」)でも固有名詞(たとえば愛犬の名前)でも入れてみるがいい。
この詩はたちまち彼らを失った者の悲しみに変貌し、元の詩のフワフワした感じは消えてしまう。詩の語り手が、「あなた」や「愛犬」に先立たれた悲しみを歌うという、ありふれたものになってしまう。だがこの詩はそうではない。

大事なことは、まちが平和で、それを「わたし」がいつまでも見ていられることだ。
そうして時には、誰かがはるかなものを確かめるようにこちらを見上げ、その瞳に星明かりが、かすかでも見失うことのない希望の証しとして映ることだ。



ゲルニカ 平和 自由[2019年04月26日(Fri)]

◆4月26日、ゲルニカ空爆の日である。1937年のことだ。

「ゲルニカはオラドゥールとおなじように、ヒロシマとおなじように、生ける平和の町だ。これらの廃墟は、恐怖(テロル)よりももっと力強い抗議の声を挙げているのだ。」
と書いた抵抗の詩人ポール・エリュアールの作品から、よく知られた『自由』を。

オラドゥール…フランスのオラドゥール・シュル・グラヌという村。1944年6月10日、ナチス親衛隊により、たった一日で住民の殆どが虐殺された。


自由  ポール・エリュアール (安藤元雄訳)

学校のノートの上
勉強机や木立の上
砂の上 雪の上に
君の名を書く

読んだページ全部の上
まだ白いページ全部の上に
石 血 紙 または灰に
君の名を書く

金色の挿絵の上
兵士たちの武器の上
国王たちの冠の上に
君の名を書く

ジャングルと砂漠の上
巣の上 エニシダの上
子供のころのこだまの上に
君の名を書く

夜ごとに訪れる不思議の上
日ごとの白いパンの上
結び合わされた季節の上に
君の名を書く

切れ切れの青空すべての上
池のかび臭い太陽の上
湖のきらめく月の上に
君の名を書く

畑の上 地平線の上
鳥たちの翼の上
影を落とす風車の上に
君の名を書く

曙のそよぎの一つ一つの上
海の上 船の上
途方もない山の上に
君の名を書く

泡と立つ雲の上
嵐ににじむ汗の上
つまらないどしゃぶりの雨の上に
君の名を書く

きらきら光る形の上
色彩の鐘の響きの上
自然界の真理の上に
君の名を書く

目をさました小径(こみち)の上
伸びひろがった街道の上
あふれ出る広場の上に
君の名を書く

いまともるランプの上
いま消えるランプの上
一つに集まった僕の家の上に
君の名を書く

二つに切られたくだもののような
鏡と 僕の部屋との上
からっぽの貝殻 僕のベッドの上に
君の名を書く

くいしんぼうでおとなしい 僕の犬の上
ぴんと立ったその耳の上
不器用なその前足の上に
君の名を書く

僕の戸口の踏み板の上
いつも見慣れた品物の上
祝福された火の波の上に
君の名を書く

許し与えられた肉体全部の上
僕の友人たちの額の上
さしのべられる一つ一つの手の上に
君の名を書く

思いがけないものの映る窓ガラスの上
じっと黙っているときでさえ
心のこもる唇の上に
君の名を書く

取り壊された僕の隠れ家(が)の上
崩れ落ちた僕の烽火(のろし)台の上
僕の退屈の壁の上に
君の名を書く

望んでもいない不在の上
むきだしになった孤独の上
死神の歩みの上に
君の名を書く

立ち戻った健康の上
消え失せた危険の上
思い出のない希望の上に
君の名を書く

一つの言葉の力によって
僕の人生は再び始まる
僕の生まれたのは 君と知り合うため
君を名ざすためだった

自由 と。



安藤元雄・入沢康夫・渋沢孝輔 編『フランス名詩選』(岩波文庫、1998年)より


かながわ安保法制違憲訴訟、10月31日証人尋問実施へ![2019年04月25日(Thu)]

201904201715保土ケ谷宿今井川の鯉のぼり-1-A_0000.jpg
保土ケ谷宿・今井川の上を泳ぐ鯉のぼり

*******

かながわ安保法制違憲訴訟

10月31日の証人尋問実施が決定!


かながわ安保法制違憲訴訟、裁判長が交代し、どうなるか注目されたが、原告団が求めている証人および原告本人尋問が実現する運びとなった。

札幌地裁では4月22日、本人尋問も証人尋問も行うことなく結審し原告の訴えを退ける判決を下した。

一方で前橋地裁への提訴では、来る6月13日に3人の証人尋問を行うことが決まっている。

かながわの違憲訴訟もこれに続いて「安保法制が憲法9条に大きく違反するものであること」を法廷の場で明らかにし、司法に憲法判断を求めて行くことになる。

◆裁判長交代に伴い今日の弁論では、6名の弁護士の皆さんから、これまでの主張を簡潔にまとめて更新弁論が行われた。原告、傍聴者にとっても論点の整理と裁判に臨む意思を改めて確認する機会となった。
伊藤真弁護士からは、裁判官に向けて、憲法と自己の良心にのみ基づいて裁判官としての使命・職責を果たして欲しい旨、要請があり、弁論終了後思わず傍聴席からは拍手が湧き起こった。
原告の願いを言葉にしていただいたからだ。

◆今日の横浜地裁101号法廷には、司法修習生5名の姿もあった。裁判官や弁護士として次代を担う彼らにも、この言葉が刻み込まれたことと思う。
原告及び弁護団の願いは、今・ここから子・孫、さらにその先の人たちへと「平和で幸福に暮らす社会」を手渡したいということに尽きるのだから。

◆今後の日程は、6月27日の進行協議を経て、
9月5日(木)11:00〜第10回口頭弁論、そして
10月31(木)原告本人・証人尋問となった。
時間は11:00〜16:30である(休憩1時間を挟んで正味4時間、うち3時間半が原告側の持ち時間となる)。
証人として元内閣法制局長官、憲法学者、軍事・自衛隊問題専門家ほかを予定しており、原告たちへの尋問もある。
全国の訴訟の帰趨に大きく関わる最重要の段階を迎える。





教科書採択をめぐる川崎市教委・音声データ廃棄裁判[2019年04月24日(Wed)]

明日25日は
「教科書採択をめぐる川崎市教委・音声データ廃棄裁判」

4月25日(木)10時〜12時30分
横浜地裁川崎支部1号法廷
(川崎駅から徒歩15分)

◆2014年8月、川崎市教委で実教出版日本史教科書が採択から排除された問題で、教育委員会会議の音声データが市民からの情報公開請求後に消去されていた問題。

市民からの申立について川崎市情報公開・個人情報保護審査会は「音声データも公文書に該当する」と認定した(2015年12月)。しかし市教委はこの間、音声データを保存していたにもかかわらず、「消去した」と説明。
裁判の過程で、音声データは実際には2016年3月まで保存されていたにも関わらず隠し続けられていたこと、審査会、市民に対して虚偽の説明が繰り返されていたことが明らかになっている。

★原告への証人尋問が予定されています。
公的な記録の隠蔽、改ざんは市民の知る権利を侵害するものに他なりません。
こちらもぜひ傍聴と支援の輪を!



4月25日は横浜地裁へ![2019年04月23日(Tue)]

〈安保法制違憲訴訟かながわ〉
  第9回口頭弁論


2019年4月25日
横浜地裁101号法廷を埋め尽くそう!


4月25日(木)11:00開廷(101号法廷)

集合時間:10:00…横浜地裁、日本大通がわ入口前に(↓下の写真)
傍聴抽選:10:40ころ予定

DSCN9239#8191129地裁前.jpg
  (昨年11月の第8回口頭弁論、開廷前のようす)

★口頭弁論終了後、報告集会が11:45〜13:00、
横浜YWCAにて行われます(横浜地裁から徒歩7分)。そちらにも是非ご参加を。
◆横浜市中区山下町225(Tel:045-681-2903)


小さな呪文「幸あれ」[2019年04月22日(Mon)]

DSCN0552スイスチャード.JPG
赤い葉脈が目を引く葉野菜。スイスチャードというそうだ。和名はフダンソウ(不断草)、年間通じて取れる、という意味らしい。

*******


「幸あれ」   徳弘康代

明るい雨がパラッと降りだして
小さい自転車にのった子供のうしろを
透明の傘をさした親たちが歩いている
そのさらにうしろを歩いていると
「幸あれ」という言葉が降ってきた

それで「幸あれ」と心の中で
となえてみると
前の三人の辺りの空気が
光る雨で明るく見えた
それはとても自分の心によかった

地下鉄で前に座っている
古文練習帳をやってる男子に
「幸あれ」と心でとなえてみた
新聞をよんでるおじさんにも
「幸あれ」ととなえてみた
それはとても自分の心によかった

ということで
いやなやつの前でも
となえてやろうと思ったが
それはやっぱり
ちょっと無理
だった


徳弘康代『音をあたためる』(思潮社、2017年)

◆空から降って来た良い言葉は、啓示のようなもの。
世界が違って見えるのは自分ではないものの力による。
そのようにして受けとめた「幸あれ」という言葉を、こんどはみんなに分けてあげたくなる。
それは世界全体に向けた祈りなのだが、小さく心で唱えるだけの方が、「心によい」ことが続いてくれるように感じる。

「いやなやつ」にも「幸あれ」と唱えてやろうとやろうとしたが、やっぱり止(よ)す。
自分の心に良いことを欲張り過ぎる感じがするし、「いやなやつ」が「少しヤなやつ」ぐらいに変わった気がしないでもないから。
それにその「ヤなやつ」にも、「かくあれ」的な明るい言葉が降って来ないとは限らないから。


まよわず木である[2019年04月21日(Sun)]

DSCN0546-A.jpg

何の木だろう。
「そこに足を停めたまま目に焼き付けるように」と木から言われているような。
「じき姿を現す葉たちのあいさつを聴きにまた来るように」と語りかけられたような。

*******

木   田中清光

木の葉の一枚一枚は
木ごとに 対になり 互い違いになり
きちんとした文法をもって並んでいると見えるが

もっとよく見ると
集合して織りだそうとしている意味をもつ

とりわけ若葉のときには
文脈を鮮明に現わし
枝にそって分節し
つづれ織りのようにレトリックをつくって
光りや闇を編みあげるのが見える

空を翔ぶ
地上に帰属しきれない小鳥たちや昆虫の類が
もぐりこんでくると
にわかに葉の文様を波立たせ

しきりに木から流れだしては消えてゆく音があり
木に向かってたえず入ってくる音もまじえ
その渦巻にそって生き身を変化させ
枯れゆくまでのレース状の時間をつくる

小鳥が飛び立ってしまったあと
葉全体はにわかに無言になる
そこには意味を地に戻そうとする沈黙と
根の一筋一筋が世界の根にふれようとしてのおののきとが
細波のように寄りかえしているのかもしれない

すべての生物のなかで長命である木は
ながい歴史のなかの人間のあやまちの外で生きつづけ
時間をすら空間に変えて
終生まよわず木であることだけを表現しつづけている


*『言葉から根源へ』(思潮社、2015年)

DSCN0550.JPG
イチョウの若葉

*樹たちはいずれも横浜・戸塚区の東俣野にて


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