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画家・堀文子さん逝く[2019年02月08日(Fri)]

◆日本画家の堀文子さんがこの5日に亡くなったと報じられた。謹んでご冥福を祈ります。

*******

◆東京生まれだが、大磯に暮らし始めたのは1967年というから、一世紀に及ぶ人生の半分余りを大磯町民であり続けた。
この間、軽井沢やイタリア・トスカーナ地方のアレッツオのアトリエを往き来して制作を続けたとのこと。「一所不住」の生き方を貫き、〈群れない、慣れない、頼らない〉を信条としたと聞く。

本屋で別冊『太陽』(平凡社、2018年11月発行)の堀文子特集が目に入った。
ページを繰って驚いた。
昼のTVで一部だけ見た「徹子の部屋」に飾ってあった絵が載っていたからだ。
「アフガンの女王」と題する、黒柳徹子がモデルの作品。
車椅子の堀と黒柳がこの絵の前で撮った写真も載っている。

堀文子アフガンの女王.jpg
アフガンの女王(2003年)

◆別冊『太陽』の特集号は〈日本のこころ〉というシリーズの一冊だが、中に紹介されている堀の世界は、作品・生き方ともに、到底そのような狭い枠に収まるものではないことが分かる。

これまで見た堀の作品たちと、手もとにある画文集の印象から、花や山を描いた画家、という先入観があったのだが完全に一新された。

◆2016年秋に平塚市美術館が湘南ゆかりの日本画家たちとして創画会ゆかりの画家たちを紹介していた。訪れた時は、堀のお弟子さんに当たる日本画家が解説を加えながら観て回るイベントがあり、若い画学生たちとともに貴重な話を聴くことができたのだが、堀の作品の前で話したエピソードが印象的だった。

さる展覧会の打ち上げでのこと、女性陣が男性たちに酒をついで回ろうとするのを堀が制止したというのだ。
会社のつきあいの席ならいざ知らず、絵を描こうとする人間がそうしたことをすべきではない、という理由だったと思う。
毅然と独立独歩の生き方を貫いた人なのだな、と感銘を受けた記憶がある。

◆大変な行動の人でもある。
2000年、幻のブルー・ポピーを一目見ようとネパールに出かけた話は知られている。

幻の花 ブルーポピー 2001年.jpg
幻の花 ブルーポピー(2001年)

◆別冊『太陽』は、2014年、安保法制強行採決の折に堀が新聞に寄せた投稿を載せている。
1936年、二・二六事件で銃剣を喉に突きつけられた恐怖を味わい、1945年には兄と弟の戦死を体験した者として声をあげずにはいられなかったのだ。

その全文を引いておく。

政府の暴走止めよう  画家 堀 文子 95 (神奈川県大磯町)

国民に相談もなく、十分な説明もせず瞬く間に特定秘密保護法を衆参両院ともに通過させた現政権の独断を私は許しません。
無謀な戦争を企て、何百万の兵士と国民の命を奪い、全国の都市を焼き、歴史が残した貴重な文化遺産を灰燼(かいじん)に帰した第二次世界大戦の苦痛。その過ちの末、私たちが得た平和憲法は、日本人の血と命から生まれた世界史に残る戦争放棄の誓いでした。
日本が軍事行動を起こすため、政府は平和憲法を改正したいが、国民の同意を得るのは難しい。そのことを知った与党は、平和を装いながら特定秘密保護法をつくりました。「国益のため」と本心を隠し、反逆者の名目で反対意見を抹殺するため、この法をつくったと思います。
平和を望む者を罪人にしてしまうかもしれないこの悪法は、かつての治安維持法そのものです。この法のために国民の反戦意見は抹殺され、戦争の地獄への道連れにされたのです。オリンピックに血道をあげさせ、国民を享楽的にさせた当時の国情と今の世相があまりにも似ているのに私は戦慄(せんりつ)を覚えます。
日本は再び危険な野望に向けて暴走を始めたように思えてなりません。今こそ国民が一致団結して危険な法の粉砕を図らなければ、後世に禍根を残します。今なら入口に戻り、路線を変えられます。
自民党の暴走を止めるのは、今を生きる国民の務めであり、責任です。
危急存亡のとき、国の暴走を許さぬ賢い日本人になる必要があるとつくづく思います。

 ★東京新聞 2014年1月9日 投稿欄「ミラー」から

*作品、新聞記事はいずれも〈別冊『太陽』100歳記念 堀文子 群れない、慣れない、頼らない〉(平凡社、2018年)から


〈象徴〉について[2019年02月07日(Thu)]

【お知らせ】

〈 2019年 教育の自由を求める学習会 〉

大川隆司 弁護士 講演会

自民党改憲案の真のねらいと思想・良心の自由
 〜改憲4項目と「日の丸・君が代」強制の問題を中心に〜


と き 2019年3月2日(土) 14:00〜16:30
ところ かながわ県民センター 604号室(横浜駅5分)

・「戦争する国」になるとはどういうことか?
・平和をつくり育てるために私たちに必要なことは? 

★自民改憲案の真の問題点を徹底的に明らかにします!!
★どなたでも参加できます。 (資料代500円)
主催:学校に「思想・良心の自由」を実現する会
*HPは⇒http://kokorofree.html.xdomain.jp/index.html

*******

◆日本国憲法憲法の前文に続く第一章(第1条〜8条)は〈天皇〉について書いてある。
残念ながら、ものを教わる立場の二十代はじめまで、これが最初に置かれていることの意味を誰かから教示された経験がない。
(法学をキチンと学んだ人を除いて大方そのようなものだろうけれど)

従って「主権在民(国民主権)」というのが日本国憲法の3大骨格の一つだということを繰り返し言われるたびに、(それなのにどうして条文の最初が天皇のことなの?)という疑問をくすぶらせ続けて来た。

今なら、そんな読み誤りをしないよう、最初に前文が重石のようにドンと置かれている、ということが分かるが、そうした組み立てになっていることも教わった記憶がない。

◆自分の不明を断然棚上げにして言うのだが、恐らく”不可侵”神話の呪縛が誰にもあって、第一章はスルーしてきたのだろう、と思う。

説明がないままに、学習者の胸中には、最初に書いてある条項は大事なことで、恐れ多くも赤線引いたり、ページをめくるためツバで湿らした指先でナゾったりしない方が良い条文、というイメージが出来上がってしまったのではないだろうか。

◆その意味で、「象徴」への己の処し方を述べた次の詩は貴重だ。


象 徴   柴田三吉

〈この地位は、主権の存在する国民の総意に基く〉

総意に基づいて一つの顔を描くならば
それは奇妙な表情を持つことになる
肯定と否定とに
無関心を溶かしてみれば
それは
あいまいな微笑を窮屈な輪郭に押し込んで
およそ人間がとりうる表情を逸脱するだろう

存在論的な解釈を試みるならば
それは全体のX%を欠落して
映像化されなければならない
思想は″厳密“を求めるが
それは生身の人間であることで
全体を装い続けてきた

私はわたしに属するなにかを
他の誰かが象徴するということに耐えない
私を構成する肉体
――色黒く中肉中背、乱視、毛深くはない
私を構成する精神
――明晰さに欠けるがいまも断崖を手離さない
それらすべては
私を離れて抽象されることはないだろう

私はそのものに対して人格を欲しない
私とその人はつながっていないのである
私とその人は一番遠い他人である
にもかかわらず
その人は私に対する差別を含んでいる

だからこそ
老人 ではなく制度よ
この国の風土をはさんで私は
その人の
なにごとをも象徴しないのだ


*日本現代詩文庫『柴田三吉詩集』(土曜美術社出版販売、1996年)より

◆「いまも断崖を手離さない」とはすさまじい覚悟の言葉である。
自分のことばで語る以上、常に断崖に立つ、という腹のくくり方を披瀝したと読めるが、もう一つ、グヮシッと岩をつかんだ手で断崖からの落下を、辛うじて食い止めているのだ、と述べているようにも読める。



珊瑚の海の詩ふたつ[2019年02月06日(Wed)]

◆昨日と同じく高田邦雄詩集『弱虫革命』から


ジュゴンの沈黙     高田邦雄

どこまでも透明な海
白砂に覆われた海底に
南国の陽光が縞模様を揺らしている

その宝石のような海は
水深の浅いまま 沖まで続き
広がるアマモの草原

その草原の中を二頭のジュゴンは
喰み跡をつけながら 進んでいく
夫婦なのだろうか 親子なのだろうか

遠浅の海だから
人家から離れているから
埋め立て工事が容易だから
新たな軍事基地が建設される
美しい国を守るために

七十年前 この島の海と陸で
二十万人もの命が散って
未だにガマと呼ばれる洞窟では
皇軍に見捨てられた少女や老人の
そして負傷兵たちの悲痛な叫びが
谺しているのに

その後も この島から多くの兵士たちが
不安な思いを抱き 飛び立っていった
ベトナムヘ イラクヘ アフガニスタンヘと

二頭のジュゴンは黙々と 草原を進む
この島の切実な祈りを 知る事もなしに

  
 高田邦雄『弱虫革命』(土曜美術社出版販売、2018年)より。

*******

◆『沖縄詩歌集〜琉球・奄美の風』というアンソロジーからも1編――

のっぺら坊の島    高柴三聞

溢れんばかりの陽射しに思わず目が眩む
街は観光でやってきた人々でいっぱいである
どの顔も笑顔だ
試しに静かに視線を落としてみるといい
砲弾と血の記憶が眠っているから

足元のアスファルトやコンクリートで
かっての戦争の記憶を閉じ込めて
そうして何もなかったかのように日常が横たわっていて
日々の暮らしは慌ただしく
後ろ髪を引かれるような気持ちで
土地や海がコンクリートに覆われて行くのを横目に
日常に溺れるしかない

那覇から遠い北の方で
トンブロックが海に沈められていく
サンゴの悲鳴と地響きが
私の胃に差し込むような痛みを与える
アスファルトとブロックとコンクリートに
覆われて島は顔を失いつつある
この島は、その内つるりとした灰色の島に
変わり果ててしまうかもしれない

私は、恐る恐る顔に手をやろうとした
自分の顔が目も鼻も口も失った
のっぺらぼうになっていやしないか
酷く恐ろしくて心配になったのだ
自分の顔の肌を触れられずに
ただただ指先が空を彷徨うだけであったのだ


作者の高柴三聞(たかしば さんもん)は1974年、沖縄生まれ。浦添市在住の由。

鈴木比佐雄・佐相研一・座馬寛彦・鈴木光影 編『沖縄詩歌集』(コールサック社、2018年)より。



高田邦雄の詩「なめるなよ」[2019年02月05日(Tue)]

◆厚労省の統計不正事件の鍵を握ると言われる大西康之・前政策統括官の更迭、口封じのための人事だと目されている。

「なめるなヨ」とブツブツ言いながら本屋に入ったら、そのものズバリの詩に出くわした。


なめるなよ    高田邦雄

あからさまな虚言と隠蔽
厚顔無恥な恫喝と懐柔

よくぞここまで
見くびられたものだ
確かに今までに何度も
騙され 誤魔化され
泣き寝入りをしてきたか

安全で低コストの原子力発電
北の脅威に絶対不可欠な米軍基地
都合の悪い情報を秘匿する秘密保護法
テロ防止と関係ないテロ共謀罪法
異次元金融緩和でのデフレ脱却
お題目だけの経済復興アベノミクス

いやはや
私たちはよく辛抱しているものだ
内閣支持率は落ち込まない

そんな中 権力者の都合のよいよう
関係者に便宜が図られる
国有地の払い下げ 新獣医学部の設立認可
白々しく 手続きは公平で適法に処理だと

権力者は夢想する
文句を言っていても
民衆はすぐに忘れるさ
喉元過ぎれば……

なめるなよ 民衆を

今までに散々に 騙され続け
ここまで馬鹿にされた民衆の怒りは
まさにマグマとなりつつ

喉元過ぎて マグマが大爆発


高田邦雄詩集『弱虫革命』 (土曜美術社出版販売、2018年)

高田邦雄「弱虫革命」.jpg

1943年生まれで、詩人・高田敏子の子であるという。
高踏的な「詩人」たちの韜晦癖とは無縁。
時事を直截に歌って、陳腐化することを少しも恐れない。




〈mine field〉[2019年02月04日(Mon)]

◆「国と国の戦争が終わったと思ったら、今度は国の中で人と人が戦争だネ」――今年93になる田舎の母の口癖だ。戦時下の青春を生きた世代である。

介護施設の元職員による入所お年寄りへの暴行疑い、千葉県野田市の小学4年女児の死――
ともに、守ってくれるはずの人が敵(かたき)となって危害を加えたこと、異変が周囲の人々にスルーされていたことなど、近年の同様の事件と共通する特徴がある。

事件を取り巻く情況への想像力と、踏みつけられる草の根方に身を屈めて手と体を差し出せるか、我々が試されている。

*******

義足の牛   柴田三吉

 (傷ついた牛がのろのろ犂を引きずっても、男
  はこの、時を反芻するいきものを咎めない。
  一筋の涎が、天と地を絶えることのない恵み
  で結んでいるからだ。)

みちばたに立てられた
標識
草を摘む女の子の横には
玩具のような、足
切り抜かれた新聞の写真に
不思議な光景をみて、私の娘は
そこに写し取られた文字を
辞書で引きはじめる

〈mine field〉
 ――わたしの、野

大地を信じて踏み出した
素足は
(わたし)の重さで、
しずかが午後を発火させたのか
切り口に年輪の鮮やかな
右足と
若木のように伸びる女の子の
もう一方の足

〈danger! mines〉
――わたしたちの、危険

誤訳を重ねたのち
ようやく娘は
野が孕む不穏に気づいた
〈mine〉
の綴りが隠すもうひとつの意味
〈地雷、地雷原〉


娘のなかで育ちはじめた
(わたし)の重さ、が
探りあてたのは
この時代に仕掛けられ
いつの日か
自らの足で踏むかもしれない
危ういもの

けれど娘が大きくなったとき
未知の野に
草を食むいきものは棲むだろうか
ひとの重さを背負って立つ
影絵のような
いきもの
傷ついた牛の輪郭を描きながら
私は、欠けた場所に
一本の線を補った


*詩集『さかさの木』(ジャンクション・ハーベスト、1993年)所収。
日本現代詩文庫『柴田三吉詩集』(土曜美術社出版販売、1996年)に拠った。


怒りは髪を黒くする[2019年02月03日(Sun)]

ケストナー光吉訳どうぶつ会議_0003-A.jpg

ケストナー「動物会議」で、人間どもに腹を立てるライオン・アーロイスの口癖がある。

光吉夏弥・訳(岩波子どもの本)では次のようになっている。

「しようがない人間どもだ!」と、アロイスは、じまんのたてがみをふりたてて、いいました。「わしのたてがみが、こんなに金色じゃなかったら、腹がたって、いっぺんに黒くなるところじゃが……


原著が出てからちょうど50年の1999年に新訳大型絵本として出た池田香代子訳は――

「まったく、人間どもったら! おれさまがここまで金髪(ブロンド)でなかったら、頭にきて、いっぺんにまっ黒になってるよ!


◆「金髪のたてがみが一気に黒くなる」という表現が面白い。
ドイツ語では怒りを表すのに「黒い色に変わる」という慣用表現があるのだろう。

「腹がたって」「頭にきて」という言葉もあるからアロイスが怒っていることは小さな読者にも分かるだろうが、大人に読んでもらった場合など、「たてがみが黒くなるの?」と質問する子も出てくるのではあるまいか?

日本語では恐怖や苦労で「(一晩で)髪がまっ白になる」という表現はあるが、黒い髪が普通であるせいか、「まっ黒に変わる」といった表現はない。

「髪の毛が逆立つ」とか「怒髪天を衝く」という怒りの表現は子どもにとって難しすぎる。
「とさかにくる」という言い方などは色も表現していて近そうだといっても、ライオンが鶏冠にきては迫力にかける。
「むかつく」などの単刀直入な表現は、原作の正義の公憤から遠いだろう。

高橋健二訳では「「黒くなる」という原語の表現にこだわらず「まっかになる」を使っていたように思う。アロイスのこの口癖は、繰り返しのおかしみを誘う。ただ、そのたびに「黒くなる」という訳語が引っかかるようだと物語が滞ると考えて高橋訳は分かりやすい表現に置き換えた、ということだろう。

「腹を立てるとブロンドが真っ黒になることもあるんだ!」とという発見は、若い読者のことばの世界を広げてくれるはずだから、どちらが正しいとか、より適切だとか判定を下すべき問題ではない。

井上ひさし版「どうぶつ会議」では、アロイスの口癖はあっさり削っていた。
原作の結末、メッセンジャーとして動物会議の開催を伝えに地球の反対側を目指したミミズが、南オーストラリアに着いたときにはもう会議は終わっていた、というオチも可笑しいのだが、これも割愛している。何せ、絵本とは言っても、池田訳で80頁あまり、市の図書館にあったドイツ語版ケストナー選集では108頁もあるお話で、映画が一本作れるくらいの物語だから、やむを得ない。
そのドイツ語版から、読み方分からぬままアロイスの台詞を探すと、次のように書いてあった。

,,O diese Menschen! Wenn ich nicht so blond wäre,könnte ich mich auf der Stelle schwarzärgern!’’

◆「schwarz」というのが「黒」らしい。そういえばドナウ川の源になるドイツ南西部「シュワルツワルト」というのが「黒い森」の意味だと聞いたことがある。
ひところ酸性雨で白く立ち枯れた黒い森の傷ましい写真が紹介されていたが、今は回復しただろうか?

黒々した森への再生が実現しているとしたなら、それはアロイス同様、森を痛めつけた人間たちへの自然の側からの怒りの表現でもある、ということだ。

我が白髪頭が一向に黒変しないのは、政治や役人の不法への怒りが未だ未だ足りないということか。


「動物会議」より象のオスカルの演説[2019年02月02日(Sat)]

DSCN9833.JPG
オオバン。例年この時期にみかける。4羽ほどが群れていた。

*******

象のオスカルの演説

象のオスカルの演説p.73.jpg

ぼくたちは、もうかんにんぶくろの緒が切れました。これいじょう、なにもしないで見ているわけにはいきません。みなさんの政府が、ぼくたちのだいすきな、そしてぼくたちがたいへん心配している子どもたちの未来を、つぎからつぎへと、やれ紛争だ、やれ戦争だ、陰謀だ、金もうけだといっては、危険にさらし、ぶちこわしにしています。
みなさんの法律によると、だめな親から親の資格をとりあげることができます。つまり、だめな親からは子どもをとりあげて、子どもをそだてるのにもっとふさわしい人に、あずけることができるのです。
ぼくたちは、この法律をつかうことにしました。そして、みなさんの政府から、親の資格をとりあげることにしました。ここ数百年、みなさんの政府は、子どもをそだてるというつとめにふさわしくありませんでした。こんなことはもうたくさんです。

エーリヒ・ケストナー「動物会議」より(ヴァルター・トリアー絵、池田香代子訳。岩波書店、1999年)




「…け……………ほっ……」[2019年02月01日(Fri)]

◆今日の夕刊のトップは〈インフル患者 過去最多〉というもの。
「推計222万人 全国で警報レベル」と見出しは続く。
全国約5千ヵ所の定点医療機関から報告された最新1週間の患者数が、1ヵ所あたり、57.09人だったとの厚労省が発表した由。これまた水増しして勤労統計不正追及から目をそらさせる狙いかも、と勘ぐりたくなる。
いずれにせよ、統計数値を鵜呑みにせず、必要な対策は自分で&不正はキチンと糺して追及の手は緩めないこと。
国民が一連の不祥事でその心構えを持つようになったことが厚労省の最大の「功労」ということだろう。

◆インフルエンザと言えば、昨日の新国立劇場、トイレで手を洗いながら、うがい薬とコップが用意されてあるのが目に入った。
今やのどを使う仕事ではないものの、せっかく用意されてあるのだから……と、試そうと思ったが、「水で十倍に薄めてお使いください」と貼り紙がある。
だが、蛇口から出たのは間違いなくお湯だった。水だけが出る蛇口はないかと見回した(お湯では効能が落ちるような気がするのである)のだが、他の蛇口を試して指先を凍えさすのはためらわれる。けっきょく、お湯で薄めてガラガラガラッとやった。
席に戻るとどの席も埋まって開幕を待つばかり。場内を見回しながら、役者さんは仕事がら用心怠りないだろうけれど、観客から伝染(うつ)されることだってあるだろうな、と心配になった。
「どうぶつ会議」は冒頭から動物に扮した俳優たちが客席の間を動きまわる。ウガイのススメは役者さんたちのためでもあるなあ、と感心した。
あと二日、役者さんもスタッフも、インフルに無縁で千穐楽を迎えられますよう。

◆昨日ロビーで求めた池谷のぶえ著「贋作 女優 池谷のぶえ」を読んだ。
めっぽう面白い。誕生から女優の現在までを読み手を眠くさせないよう秘術の限りを尽くして綴った自叙伝。

本名「伸枝」は「伸びる枝」だとずっと思っていたのが、ある日「伸ばす枝」だったということ、〈「勝手に伸びるわけないだろ。自分でどうにかしろ」という名前だったのだ。〉と発見したことが書いてある。
 *(その1 生誕〜幼稚園編)

自分に投げられてきたいろんな球を、「投げられた方向に手を伸ばしてキャッチしていくことが、これからの私に必要なことだと思うのだ」と書いてもいる。   *(その7 高校後編)

実人生も女優としての人生もその心組みで真っ向受けとめることにして来た生き方。
タイトルに〈〜涙の数だけ、愛を知る〜〉と付いているのが酔狂でないことを納得させられる一冊だ。


◆ある年の暮れの金曜日の終電の風景――

(――)終電で、ゲホッガホッガガガガガホッゲゲゲゲゲホッツ!!!!と、恐ろしいほど激しく、途切れることなく、咳をしている男性がいた。
経験者からしてみれば、確実に気管支炎のMAX期に突入している状況であり、そのつらさもわかると同時に、「その状況、どうにかしろや!」という気持ちにもなる。
咳は一番声帯に良くないらしいので、職業柄公演期間中などは、たとえその生理的衝動が起こったとしても極力我慢し、とうとう我慢できなくなった段階で
「…け……………ほっ……」
となけなしの優しさのすべてを使って一回の咳を大切に解き放っている身としては、湯水のように咳をしている人々を見ると、憎しみさえわいてくるのである。
その咳を、私が自由に使えたらどんなに幸せか…思い切り、咳をしたい!!!思い切り、風邪を引きたい!!!!!!

 *(その6 高校前編)

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