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大川隆司弁護士講演会近づきました[2019年02月28日(Thu)]

【お知らせ】 (再掲)

〈 2019年 教育の自由を求める学習会 〉

大川隆司 弁護士 講演会

自民党改憲案の真のねらいと思想・良心の自由

 〜改憲4項目と「日の丸・君が代」強制の問題を中心に〜


と き 2019年3月2日(土) 14:00〜16:30
(開場1:30)
ところ かながわ県民センター 604号室(横浜駅5分)

・「戦争する国」になるとはどういうことか?
・平和をつくり育てるために私たちに必要なことは? 

★自民改憲案の真の問題点を徹底的に明らかにします!!
★どなたでも参加できます。 (資料代500円)
◆ご来場者には日の丸・君が代問題の現在をまとめた資料を配付予定です。
「神奈川奈川こころの自由裁判」以来15年にわたる取り組みを集積した現時点での決定版になります。乞うご期待!

主催:学校に「思想・良心の自由」を実現する会
*HPは⇒ http://kokorofree.html.xdomain.jp/index.html

*******

DSCN0025.JPG
ナバナ。地元の畑で。

俣野界隈はブロッコリーが出荷シーズンのようだ。
小玉の西瓜ほどもある大きいのが地元野菜コーナーに並んでいてびっくりした。

トマト、ブロッコリーなど当地の特産品は我が相棒も大好物。
ナバナはどうか。試してみたことがない。
単にもったいないくて…という理由だが。


[2019年02月27日(Wed)]

DSCN0069.JPG

ベゴニアの仲間でないかと思ったがどうだろう。
夕暮れどき、咲き終えた花のピンクが葉の方に移動したように見えるのが不思議で眼に留まった。

DSCN0071.JPG



眼    伊藤勝行

   1

おとなが
宝石をつけたがるのは
うつくしい眼を失ったからだ

幼児は
なにもつけなくても
ふたつの瞳だけで
かがやいてみえる

   2

宝石をつけた達磨を
みたことがない

おとなも
達磨をまねて

よごれた手足を捨てるのだが
ついでに
ふたつの
眼も捨ててしまう

寝姿が幼児に近いのは
ついでに捨てた眼が
じつは
いちばんよごれていたからだ


『未完の領分』(1972年)所収。
日本現代詩文庫『伊藤勝行詩集』(土曜美術社出版販売、2000年)に拠った。



畏るべきもの[2019年02月26日(Tue)]

DSCN0112-a.jpg

トビ。上空から降下して鳩や椋鳥を慌てさせたのち、土手の向こうに姿を消した。
それきり上がって来ないので行ってみたら、コンクリートの法面の途中に佇んでいたので驚いた。
こんな間近で降り立った姿を見るのは初めて。

すぐ近くにハシブトガラスもいたが、それに構うようすもなく泰然自若。
風格というか気韻というか、ただ者ではない。

DSCN0095-B.jpg


一期(いちご)    石原吉郎

一期にして
ついに会わず
膝を置き
手を置き
目礼して ついに
会わざるもの


『続・石原吉郎詩集』(思潮社・現代詩文庫、1994年)

三つ目の「牢」[2019年02月25日(Mon)]

DSCN0038アオキ.JPG
アオキの実

*******

牢    石原吉郎

牢はかぞえて
三つあった
はじめの牢には
錠があった
つぎの牢には人があった
さいごの牢は
人も錠も
あげくの果ては
格子もなく
風と空とが
自由に吹きぬけた


『続・石原吉郎詩集』(思潮社・現代詩文庫、1994年)より

◆2つの牢屋を経て進んだ3つ目の牢が、それまでの錠前も監視も鉄格子すらもない自由な場所だったとしても、人はそこもまた「牢」であると思うことしか出来なくなっている、という意味か。
あるいは完全に自由な世界に人間はとうてい耐えることが出来ないものだ、という寓意なのか。

魯迅の短編「賢人と馬鹿と奴隷」(1925年)を連想する。

劣悪な暮らしにいつも不平をもらしている奴隷が、いつものグチを馬鹿に訴える。ジメジメした窓一つない小屋に暮らしているのだと。馬鹿はこれに憤慨して奴隷の家に行き、窓を開けてやろうとする。自由の風を入れてやろうとしたのだ。
しかし奴隷は喜ぶどころか、大声で騒ぎ立て、自分のために動いてくれた馬鹿を泥棒呼ばわりして追い払ってしまう。

奴隷の暮らしから抜け出すことを真に望んでいるわけではなかったのだ。
アメリカに隷属した日本、という国の身の処し方も同様であろうか。

◆そう考えて行くと石原の3つ目の「牢」は、格子も監視もない状態である風に装った「自由もどき」に過ぎないように思われてくる。

***

◆魯迅はまた「人生で最も苦しいことは,夢から醒めても行くべき道が無いことである。」とも述べている。(1923年の講演「ノラは家出してどうなったか」)

これに徴して現在の日本政府を見れば、アメリカ隷属以外に行くべき道がないと思い込んでいる状態、ということになる。
どうしてそうなったかと言えば、錠前や監視の経験に自ずから学んだ、というわけだろう。
石原の詩はそうした心理的馴致=習い性となった思考パターンを諷してもいるようだ。


おおめだま[2019年02月24日(Sun)]

◆沖縄の県民投票、辺野古埋め立て反対が72.1%(434,273票)、県民の意志が改めて明確に示された。
首相も米政府も結果をきちんと受けとめ、工事は即刻中止すべきだ。


おおめだま    木島始

せのびをしてね のぞいてみたら
みたことない
おおめだまが
たずねてきた

ふりかえるとね なかまはきえて
いたるところ
おおめだまが
ぎょろついていた

なかまはきえて ゆらゆらと
いたるところ
おおめだまが
ぎょろついていた


*「[新]木島始詩集」(土曜美術社出版販売・日本現代詩文庫、2000年)

◆「せのびをして」るのはシンゾー君、「おおめだま」は政府を注視し県民の意志を重んじないなら遠慮なく鉄槌を下す国民の目だ。


組織内からの抗議・異論に耳傾けよ[2019年02月23日(Sat)]

◆アメリカのマイクロソフト社の社員たちが、同社の技術が軍事利用されることに抗議の声をあげたという。

【NHK・NEWS WEB 2019年2月23日】
「戦争をゲームに」ゴーグル型端末の軍納入に従業員が抗議
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190223/k10011825651000.html

マイクロソフト社が米軍と契約を結んだゴーグル型の端末は、AR=拡張現実と呼ばれる技術によって、現実の風景の上にCG映像が映し出されるもの。
「戦争をまるでビデオゲームに変えてしまう」とする従業員たちが同社サティア・ナデラCEOに抗議の書簡を送り、兵器に使われる技術の開発をやめるように求めたとのことだ。
このNHKニュースによれば、グーグルが米国防総省から受注したAI=人工知能による無人の武器開発事業についても2018年、従業員の抗議を受けて契約更新を取りやめているという。

◆このニュースを報じた当のNHK自身にも現在、組織内からの抗議の声が上がっている。
今年6月に予定されている組織改編について、2月18日に出た「週刊ポスト」が報じた。

NHK組織大改変で“反権力”職員72名が提出した反論意見書
*Web版、2月17日の「ニュース・ポスト・セブン」によれば、
現在制作局内にある8つの「部」を6つの「ユニット」に改編するという計画で、殆どの部は横滑りで移行するユニットが用意されている中で、「文化・福祉番組部」だけが複数のユニットに分散して、事実上「解体」させられようとしている。これに危機感を覚えた同部の職員全員(70名余り)が制作局局長に「要望書」を出した。福祉と文化が切り離され、それによってNHK全体としての番組の多様性が失われることに強い危惧の声をあげているのだ。

https://www.news-postseven.com/archives/20190217_871306.html

◆「文化・福祉番組部」は「ETV特集」「こころの時代」「ハートネットTV」などを手がけて、番組作りへの評価も高い。民放と大差ないバラエティ番組が増えて来たNHKにおいて、公共放送としての使命を最も力強く担って来た部門と言える。

◆朝日新聞も今日の朝刊で「組織改編は現政権への忖度ではないか」とする危惧や批判を取り上げ、これに対してNHK自身がホームページ上に反論を載せたことを伝えた。

NHK組織再編で波紋 「政権への忖度ない」異例の反論
https://www.asahi.com/articles/ASM2Q5QZ0M2PUCVL030.html

◆IT企業であれ、メディアであれ、時代をリードする組織であり続けるためには、自由度が高く風通しの良い組織であることは必須条件だろう。
制作を直接担う人々の内側からの異論・意見をバネにできない組織には未来がない。

ここ10数年のNHKの変わりように照らして、今回の問題は、組織改革を隠れ蓑にしたNHK解体の最終局面に見える。


にんげんみたいなわたし[2019年02月22日(Fri)]

月の夜には    池井昌樹

むかしうみとかそらとかあって
さかなもとりもともにいて
いまからおもえばゆめのよう

むかしあさぼしよぼしがあって
あさからよるまではたらいて
みのたけほどのくらしがあって

むかしめおともおやこもあって
まずしかったしけんかもしたが
ほんとにたのしかったよなあ

いったいいつからなんだろう
こんなところにおしこまれ
こんなところにつるされて

ときどきえさなどあてがわれたり
きりなどふきつけられたりしても
うまくもかゆくもたのしくもなく

つきのよるには
むしょうにむかしがこいしくて
にんげんみたいにないたりもして


『一輪』(思潮社、2003年)より

◆今もあるだろうか、「かきかたえんぴつ」というのがあった。
真新しい筆箱に消しゴムや鉛筆削りとともに削ったばかりのやつを何本か収めてランドセルに入れた。
池井にはその「かきかたえんぴつ」で綴ったような、ひらがなの詩が多い。
そうして、平易な表現に、もらったキャラメルに涙のしょっぱさが混じったような孤独の味がある。別題として「むかしを夢む」とでも付けたいようなノスタルジアの気分が歌われている。

◆一編は七・五、七・七を基調としている。
七五でなめらかに言葉を紡いで行くが、結びはこの詩のように「〜して」と言いさしていることが少なくない。
それは、ことばにまつわる感情が何ものかの不在から生じているからだろう。
不存在への悲しみを表現するには詠嘆で完結させれば済むけれど、言いさして一編を終えるのは、不在のものをどこまでも求める生き方を選択しているからで、それがこの人にとって詩をつくることの意味だろう。

◆籠の中の鳥のような今の姿は自分ひとりを襲った運命なのではない。
幾世代も経て生き物の進化を逆にたどってしまったかのような人間の、その一人が「わたし」なのだ、と観じているひと。

190222池井昌樹『一輪』(抄)2003年.jpg



石工と医師[2019年02月21日(Thu)]

石工   鈴木漠

彼は卓抜した石工(いしく)であった
終日 他人の墓石を削ってくらした
いかに尊大な人間の生涯も
彼のものさしで はかられてしまう
奥深く澄んだ彼の瞳に
人々はとうとう気がつかなかった
無口な彼が 実は
墓石の削られる音に
その人間の幸不幸を読みとるべく
耳をすませているのだと知らなかったから
あけくれは静かであった
彼は死んだ
もう誰が
彼の生涯をはかり得よう
彼の魂の上に
誰が限られた重さの石を置き得よう


*入沢康夫ほか編『詩のレッスン』(小学館、1996年)より

*******

◆精神科のお医者さんの講演を聴いた。
依存症について。
「物質使用障害」という言い方もあるそうだが、ギャンブルや、薬物、インターネットなどに身も心も奪われて生活に支障が生じ、時に身体的危険にも及ぶ。

◆依存症になる要因として幼少期に周囲の大人への信頼がうまく形成されなかったことがあるという(信頼障害仮説)。
不安や緊張を持続的に強いられて育ち、周囲の大人から心理的なサポートを受けられないまま育つと感情をうまく調節することも身につかないまま、我慢し他人を頼りにしなくなる。
「心の中」に欠けているものの代用として「心の外」にある何かを絶えず探すようになって行くというのだ。

例として最初に挙げたのは、シンナー、覚醒剤、麻薬系の鎮痛薬依存症で回復に至らず亡くなった方たち。

職業上、医師が患者の死に立ち会うのは避けられぬことではあるが、出会った人たちの生い立ちの隈々から苦悶までつぶさに接する仕事は、相手の声に注意深く耳を傾けるという意味で上の詩の「石工」に通うものがあるように感じた。

◆患者は感情を言語化する自らの力と信頼できる他者を獲得することで回復に至る。
そこに至るまでの医師の根気と注意深い観察と耳を傾ける態度に感銘を受けた。

石工もまたそのように、亡くなった人間の死=生のかたちを注意深く見つめ、石から聞こえる音に、その人の物語を聴き取ろうとしているのではないか。


野見山暁治少年[2019年02月20日(Wed)]

◆朝日新聞朝刊の「語る―人生の贈りものー」に、画家・野見山暁治へのインタビューが連載中だ。
第3回の今朝は飯塚尋常小学校(福岡県)時代の担任と、旧制嘉穂中学(現・嘉穂高校)の美術の先生との出会いの話。ともに野見山を絵の道に押し出してくれた人物。

一人目、小学校の今中利身(としみ)先生は「おまえは私の言うことを聞かなくていい。好きなように描きなさい」と言ってくれた。

それを暁治少年はどう受けとめたか。

素晴らしいことですよ。先生と生徒が対等ということですから。なかなか言えることじゃない。

中学では美術部の顧問になった鳥飼竜海(たつみ)先生。
野見山の回想をそのまま引こう。

「絵は省略の方法なり」が口癖。山を望む風景を前に、先生は「山がそっくりキャンバスに入るわけないだろう。じゃあどうする? それを閉じ込めて、無理なく見せるのが省略であり、絵を描くことなんだ」と言う。壮大な世界を目の前に持ってくる絵は、まるで手品みたいだなと思いました。

◆記憶にとどめている二人の言葉は、どちらも野見山少年に直接語りかけられたものだ。
言葉が自由な世界を開いてくれた好例である。

*******

新川和江の詩に野見山の絵が添えられたぜいたくな本がある。
『これはこれは』という詩画集。

一対を紹介する。

地球よ    新川和江

億年啼きつづけて
鳥はまだその歌を完成しない
億年育ちつづけて
木はまだきわみの空を知らぬ
地球よ 地球よ
どうして炉の火を落せよう
元気よく手をあげるちびっ子たちの声が響いて
小学校は授業中だ


新川+野見山「これはこれは」_0050-A(地球よ).jpg

詩・新川和江、画・野見山暁治『これはこれは』(玲風書房、2000年)より


フィルム・カメラよさらば[2019年02月19日(Tue)]

◆愛用して来たカメラたちにサヨナラした折に、カメラに入ったままのフィルムが2本あった。
地元のカメラ屋さんに出したうち1本のプリントが出来ていたので数点載せておく。

もう1本はカートリッジ式フィルムで、たぶん勤続何十年かの記念品数種の中から選んだものだったと思う。カメラ屋さんの話では未だやっているところはあるはず、とのことだったから、そのフィルムはそのままにして置く予定。

◆今回現像・プリントしてもらった1本には2004年と思われる地元の田んぼが映っていた。
タイムカプセルを開けて見た感じがする。

04稲byフィルム3.jpg
未だ穂が出ないころのツンツンした稲が朝露を帯びている姿。
(当時は早起きしていたことが分かる。)

04年田んぼbyフィルム1.jpg
足もとの水草に目を向けるゆとりもあったらしい。

04田んぼbyフィルム2.jpg

カモたちもいい感じに映っていた。

◆放っておかれたフィルムなのに色合いがまずまずなのはたぶん写真屋さんの腕のおかげ。

◆総じて今よりも対象をちゃんと視て撮っていたことがプリントから分かる。
失敗したらフィルムがもったいない、と肝に銘じて撮るのは、アマチュアにとっては大事な心構えだったと思う。

*******

◆2004年撮影だと推定できるのは、この年の暮れにようやくデジタルカメラを手にしたからで、未だ400万画素程度だったが、けっこう活躍してくれた。動画撮影機能は、たぶん無し(あったとしても使おうという気が未だにない)。

◆引き取ってもらったカメラたちとの今生の別れに臨んで、彼らの勇姿を写真に収めた、その一枚を最後に掲げておく。

一眼レフ二機は揃って修学旅行に同行したこともある。
沖縄の玉泉洞だったか、洞窟内の熱と湿気のためにレンズが曇って大変だったことなど、思い出す。

DSCN9925-A.jpg


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