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こまつ座「どうぶつ会議」で歌った[2019年01月31日(Thu)]

DSCN9856_000-A.JPG

◆こまつ座「どうぶつ会議」を観る(こまつ座第125回公演)。「飛ぶ教室」で知られるドイツの作家、エーリッヒ・ケストナーの作品を井上ひさしが音楽劇に仕立てたものだ。

約半世紀ぶりの上演ということだが、ちょうどケストナー生誕120年でもある。
演出は田中麻衣子

原作は1949年。第2次大戦後まもなくだが、再び戦争だ食糧危機だ難民だと、世界をダメにするしか能がない大人の人間たちから子どもたちを守るために動物たちが立ち上がる物語。

会場にあった池田香代子訳の「動物会議」を求めた。
すでに岩波の子どもの本シリーズの一冊(光吉夏弥・訳)や、絵がモノクロだが高橋健二のかなり自由な訳によるものもあるけれど、池田訳は大きめの絵本であり、たくさん描き込まれた動物たちを存分に楽しめる。
そのあとがきによれば、この絵本の原案をもたらしたのはイェラ・レープマン(レップマン)だという。国際児童図書評議会(IBBY)を立ち上げた女性である。絵はケストナー作品ではおなじみのヴァルター・トリアー。

ケストナー動物会議池田訳.jpg
ケストナー「動物会議」(池田香代子・訳、岩波書店、1999年)

*******

◆井上ひさし版音楽劇「どうぶつ会議」はメッセージをストレートに打ち出し、昔子どもであった大人たちを歌に載せて「ひょっこりひょうたん島」的世界に連れ去っていく。

◆隣の席の、当方と余り変わらない年かさの男性が何度も歌に合わせて歌った。2度目か3度目の来場なのでは、と思われた。

動物たちと人間の大人たちとの交渉が始まる前に〈動物憲章〉の歌を観客たちも練習した。動物たちを応援するためにである。平日とて年配の方が多い観客たちも「子ども」として厚遇していただいたわけである。
この時も隣の男性はノッていて、ステージでお手本が唄われるときからもう口ずさみ始めていた。観客たちの番になると一層大きな声で歌うのだが、音は旋律をハズしている……と思いきや、違った。ハズれているのだが、フレーズの終わりではハモっているのだった。
こうした才に恵まれた人は尊敬してしまう。うらやましい限りである。

動物憲章の唄(3番まであるが、その1番だけ掲げる)
1.
ちいさいちいさい ぼうふらも
おおきいおおきい マンモスも
かわいいかわいい ひなどりも
こわいこわい 毒フグも
そして人間も―― (*ここは10拍分伸ばす、と指南があった)
せまい地球にしがみついている仲間さ


音楽は国広和毅
「動物憲章の唄」は音程の上がり下がりはあまりない。
最近小学生のリコーダー演奏を聞かせてもらった時に気づいたことだが、3年生くらいだと左手だけで大体のメロディーを演奏できる曲が選ばれているようだった(右手はたまに必要な程度)。
「動物憲章の唄」もそのように作られているのではないかな、と思った。
ぜひぜひ子どもたちにこの唄が口ずさまれ演奏されて、昔子どもだった人間たちもそれに美しく染まっていきますように。

◆忘れてならないのがネコの郵便屋さんを演じた池谷のぶえの歌声。最初につややかな魅力をたっぷり振りまいて、それに浸っていたいと思わせるあたりでチャチャが入ることを繰り返すという仕立てになっているので、彼女の歌声を聞くためにだけまた劇場に来る人もいるだろうな。
隣席のあのオジさん、また来るかも。

また来られない自分は、幸い手に入った「贋作女優 池谷のぶえ」(えんぶ、2018年)を心遣りとすることにして帰路に就いた。
 
贋作女優池谷のぶえ.jpg


◆象のオスカール役の上山竜治へのファンからのプレゼントがロビーを飾っていたのでその画像も紹介。

DSCN9853-A.jpg

*初台の新国立劇場・小劇場で2月3日まで。


橋本治が聴いた石工のことば 似て非なる首相演説[2019年01月30日(Wed)]

国会は空言の場となり下がった

◆29日の参院選本会議でアベ首相は「毎月勤労統計」の長年にわたる不正な調査で国民が蒙った不利益への認識を問われて「セーフティーネットへの信頼を損なう事態を招いたことについて国民におわび申し上げる」と答弁した。
朝日新聞などの報道では、この言い回し、前日の施政方針演説とほぼ同一で、しかも29日の答弁では4人の質問に対して判で押したようにこの表現を繰り返したという。

同じ絵柄が続いても金太郎アメはなめる楽しみがあるけれど、同じ空言を弄ぶだけの二枚舌でナメられる国民の方はたまらない。

◆きのう〈Dr.ナイフ〉氏がツイッターにアップした動画は驚くべきものだ。
首相の所信表明演説から原稿を読んでいない部分だけをまとめたものである。
https://twitter.com/i/status/1089832108837617665

ひたすら「〇〇を共に××して行こうではありませんか」というフレーズを繰り返す。

〇〇は「新しい時代を」であったり「日本の明日を」や「躍動感あふれる時代を」であったりする。それを受ける述部も「進めて」であったり「作り上げて」や「切り開いて」あるいは「責任を果たして」であったりするが、その結びを「共に××して行こうではありませんか」と呼びかけるパターンをひたすら繰り返す。
このフレーズに到達した時だけ首相は顔を上げて議場の議員諸氏に視線を向けるが、それ以外は原稿に目を落とし続けている。
見ているうちに、読み上げマシーンと化した首相の周りには、作文したブレーンの姿が青白く浮かんで見えた。
戦慄する光景である。

*******

橋本治逝く

◆作家の橋本治氏が亡くなった。
内田樹との対談集に次のような橋本氏のことばがあった。

桂離宮行って、石見て驚いたもん、ほんとに。考えて石を割っているんですよ。/きれいに割るのも技だけど、変に割るのも技じゃないですか。/「ここをね、こういうふうに変に割ってくれなきゃ困るんだよな」「あたしもそう思うんですよね先生」みたいなことをね、この石を置いた人間はなんかふたりでやっていたなっていうのが見えるんですよ。それぐらい変な石がね、こう置いてあって。「うわーっ」って石見てるだけで飽きないですよ、あそこは。俺、あれにはほんとびっくりした。/石の風景じゃないんですよ。「一個の石をそこに置く」という作業でね。そんなふうにやってたんだろうなあっていうのがわかるんだけど、それがわかるからこそ、いまもその石はすごいんですよ。だからね、人間が何かやるってことは、相当すごいことなんですね。

現代の人間である橋本に、石工たちの姿が見え、彼らの会話が聞こえてくる、というのである。

◆アベ首相の演説でも作文を書いた人間の姿が見え、彼らの会話が聞こえてくる。
「ここで切り、ここで顔を上げ、議場を見回すんですよ」「同じ言い回しが続きますから、飛ばさないよう、カマないよう、あと、スピードの変化もつけてくださいよ」「〈共に〉は特に力をこめ、TVカメラは常にとらえていますから、キメ顔大事ですよ」「こうかな?」etc.
……人の作文をそうでないように読むというのも「ワザ」と言えば「ワザ」であり、首相らが「変に割る」作業に熱心なのも似てはいる。
だが官邸に巣くう彼らが「割っている」のはこの社会であり、この地球であることが決定的に異なる。
石工たちがあえて変に割った石は今もこの世界に在って語りかけてくるが、官邸の主たちが「割った」あとには、瓦礫と累々たる死屍ばかりという光景が広がっているだろう。

◆石工たちと彼らとどこがどう違うのだろう。
続く橋本治のことばに耳を傾けてみよう――

だからねえ、できてるかどうかじゃなくって、とりあえず一所懸命やろう、やるとその一所懸命やった分が、何かになって、風のような雰囲気として人に感じられるか、絵になって見えるかはわかんないけども、ともかく一所懸命やろうみたいなね、そうしない限りなんにもないんですよ。その一所懸命ってことがわからないと、いくらやってもダメ。

「橋本治と内田樹」(ちくま文庫、2011年)P.91-92。
もとの対談は2004,2005年に行われたもの。




天をひっかく[2019年01月29日(Tue)]

DSCN9652-A.jpg
大巻伸嗣〈Echoes Infinity〜Immortal Flowers〉 ( 2015-16年)

◆赤坂見附駅から弁慶橋を渡って右手の、旧赤坂プリンスホテル跡地に出来た高層ビル「東京ガーデンテラス紀尾井町」前に在った。見ての通り、カラフルでにぎやかな作品。大きさもかなりあるが、見る位置によって派手さは薄れ、下の写真では周りを行き交い、佇む人間たちをも取り込んで空間を演出していることが分かる。

DSCN9657大巻伸嗣EchoesInfinity〜ImmortalFlowers2015-16-A.jpg

*******

骨の唄   伊藤勝行

木と言うな
風に鳴る木ではない
瓦礫のなかから
天へ突き出した腕だ
一瞬の爆発に呑まれながら
まだこの世に残っている腕だ
さいごに残った一本の
骨の指で
今夜も天をひっかいたのであろう
月が欠けている
うっすらと血を滲ませて

   〇

骨というな
雨にうたれる骨ではない
腐肉を喰らった木が
枯れ落ちたのだ
拾っても拾っても
腐肉を喰らった木は
骨の形に落ちつづけるのだ
南の島から
骨を拾いきることは
君の胸の
戦いの破片を抜きとる以上に
至難なことだ

   〇

雲というな
一筋の白く光る雲ではない
するどく切り裂かれた胸から
のぞいている空の骨だ
まぶしくとんだナイフの跡だ
その奥は開かぬがよい
わが胸の
病んだ肺にちらばる黒い星を
直視できる眼がないならば


  『ことば』(不動工房、1977年)所収。
  ここでは日本現代詩文庫『伊藤勝行詩集』(土曜美術社出版販売、2000年)に拠った。

「撃つ」ことは「撃たれる」こと[2019年01月28日(Mon)]

DSCN9653.JPG
ヒヨドリ


*******

撃つ   伊藤勝行

猟人よ
空を傷つけないで
一羽の鳥を撃ちおとすことができたか
墜ちた鳥よりはやく
弾道を伝って きみの足もとへ
もうひとつの影が墜ちたはずだが

猟人よ
みずから傷つかないで
一匹のけものを撃ちたおすことができたか
もうひとつの見えない銃口が
同時に
こちら側も撃ったはずだが


 『伊藤勝行詩集』(土曜美術社出版販売、2000年)

◆「撃つ」ことは同時に「撃たれる」ことだと承知している猟人は多くはないだろう。

海峡を隔てて同じ極東の民がいがみ合うことは、共に戴く天に在しますものに銃口を向けることに他ならず、それは同時に我が身を滅ぼすことだと、1943年、18歳の「軍国少年教師」として分教場長となった経験のある詩人は言いたいようだ。

◆19歳で出征するとき、教え子たちに遺言のつもりで語りかけた。
ダム工事で働いていた朝鮮人を父に持つ兄弟たちにも「天皇陛下の為にしっかりとやってくれ」と声をかけた。

戦後生きて帰ってみると、ダム工事は中断され、朝鮮人たちの行方も兄弟の消息も分からなくなっていた。
数年後、ある本で「日韓併合」の実態は、策略をもって植民地にしたのだと初めて知り、あの兄弟に何ということを言ってしまったかと深く悔いた。鉛のように固まって溶けることのないその悔いが青年・勝行にとっての戦後の出発だったという。


冬空の鳥[2019年01月27日(Sun)]

鳥の影 より  川中子義勝

磨かれた錫板のように
冬空は鈍くひかりを放ち
鏡に刻まれた擦過痕として
空の大きな瞳のなかを
鳥の光跡はよぎってゆく


 川中子(かわなご)義勝詩集『魚の影 鳥の影』 (土曜美術社出版販売、2016年)より

◆木々が葉を落とした冬、鳥は姿を隠す処もないまま孤独で厳しい姿を満目蕭条の世界にさらす。
6連から成る詩の最終連。




ロシア絵画、光の恩寵と変幻[2019年01月26日(Sat)]

◆トレチャコフ美術館収蔵品による「ロマンティック・ロシア」展は、彼の国の人々が大切にしてきたものに直に触れる良い機会だったが、とりわけ心にしみたのは光への細やかな感受性だった。
一日を朝から正午、夕景、さらに夜までを展示作品で並べてみる。
 *画像はすべて本展図録より

ミャソエードフ「秋の朝」1893年_0001-A.jpg
G.G.ミャソエードフ「秋の朝」1893年

「黄金の秋」という言葉がロシアの自然を代表する表現としてある。見る者を、まさにそのただなかに一瞬にして拉してゆく一枚。



シーシスキン「正午、モスクワ郊外」1869年.jpg
シーシスキン「正午、モスクワ郊外」1869年

縦111.2×横80.4cmというから大きな絵ではないのに、この空の高さはどうだろう。
この高い空の下を歩いてくる男女の会話や歌声が聞こえて来るようだ。遠くに聖堂、川の流れ、手前、轍の水に映った空と人々の姿まで、陽の光の恩寵にあずからぬものは何一つない。



シーシキン「樫の木、夕方」1887年_0002-A.jpg
シーシキン「樫の木、夕方」1887年

同じくシースキンの作品。右手奥の樹の中ほどや画面右上の枝と葉が仕上がっていない習作。
塗り残した部分は、傾きつつある陽の光をうけて名状しがたい輝きを放ち始めたために、そのままにするしかないと覚悟した画家の放念の表現であるかのようだ。
描きすぎることを抑えて絵筆をここで収めたという風情。



クルイジツキー[月明かりの僧坊]1898年.jpg
K.Y.クルイジツキー「月明かりの僧坊」1898年

古い礼拝堂の入り口で向かい合う巡礼と老聖職者。
地面に落とされた影によって、画面後方にも大きな木が聳えていることが分かる。
木々と空の深い色はそのまま精神世界の深みへと我々を呼ぶ。


月明かりの名画をもうひとつ。
本展の目玉であるクラムスコイの「忘れえぬ女(ひと)」、同じ画家による、対をなすような作品「月明かりの夜」である。

クラムスコイ「月明かりの夜」1880年_0003ーX.jpg
I.N.クラムスコイ「月明かりの夜」1880年

「忘れえぬ女」とは色も画面に占める人物の大きさも、ことごとく対照的だ。
全身に白をまとった女性は、水面に浮かんだ睡蓮の化身であるかのように神秘的である。



渋谷→独歩→ツルゲーネフ「あいびき」の少女[2019年01月25日(Fri)]

DSCN9826佐藤忠良牧羊神at渋谷西部B.jpg

◆渋谷で道に迷ったら西武デパートB館前で佐藤忠良の作品に出会った。
牧羊神だろうか、かつてこのあたりに暮らした国木田独歩をしのぶ文学碑。
伊藤整の撰文に言う――

明治二十九年、国木田独歩は愛妻信子に去られた悲しみを抱いてこの附近に住み、武蔵野を散策し田山花袋 柳田國男 宮崎湖処子などと交流した  伊藤整

昭和四十三年四月十二日
渋谷文学碑制作委員会
制作 佐藤忠良


◆独歩の「武蔵野」ツルゲーネフ「あいびき」に触発されたものだが、ちょうど渋谷のBunkamuraで開催中のトレチャコフ美術館所蔵品による「ロマンテッィク・ロシア」展に、この小説の少女・アクーリナが居た。

PPチスチャコーフ[ヘアバンドをした少女の頭部]1874.jpg
P.P.チスチャコーフ「ヘアバンドをした少女の頭部」(1874年)〈ロマンティック・ロシア〉展図録より

◆下に二葉亭四迷の訳を引くが、上の少女像が、その装いから表情に至るまで、生真面目なほど忠実に造形したものであることが分かる。

それは農夫の娘らしい少女であッた。二十歩ばかりあなたに、物思わし気に頭を垂れ、力なさそうに両の手を膝に落して、端然と坐していた。旁々(かたがた)の手を見れば、半(なかば)はむきだしで、その上に載せた草花の束ねが呼吸をするたびに縞(しま)のペチコートの上をしずかにころがッていた。清らかな白の表衣をしとやかに着なして、咽喉元と手頸のあたりでボタンをかけ、大粒な黄ろい飾り玉を二列に分ッて襟から胸へ垂らしていた。この少女なかなかの美人で、象牙をも欺あざむく色白の額ぎわで巾の狭い緋の抹額(もこう)を締めていたが、その下から美しい鶉色(うずらいろ)で、しかも白く光る濃い頭髪を叮嚀に梳(と)かしたのがこぼれでて、二ツの半円を描いて、左右に別れていた。顔の他の部分は日に焼けてはいたが、薄皮だけにかえって見所があった。眼(まなざし)は分らなかッた、――始終下目のみ使っていたからで、シカシその代り秀でた細眉と長い睫毛(まつげ)とは明かに見られた。睫毛はうるんでいて、旁々の頬にもまた蒼(あお)さめた唇へかけて、涙の伝った痕あとが夕日にはえて、アリアリと見えた。

*〈青空文庫〉によった。二葉亭四迷・訳のツルゲーネフ「あいびき」全文は下から読むことが出来る。
https://www.aozora.gr.jp/cards/000005/files/5_21310.html





テープカッターについて[2019年01月24日(Thu)]

◆テープカッターを新調した。税込228円ナリ。
細々とした雑貨を増やすべきではないのだが、30年ほど使ったものが切れ味が落ちてテープが粘つくことしきり、かつ本体のプラスチックも劣化したのでやむを得ない。
持ち運びしやすいよう、軽目のものにした。

下のように、なんの変哲もないデザイン。
MADE IN CHINAで大手ホームセンターが輸入販売元である。

DSCN9750.JPG

◆外箱を処分しようとしたら、「小巻テープも使用可能」と書いてある。
箱の説明書きを見ると、滑車の軸の部分が取り出せるようになっている。

DSCN9751.JPG

◆手前が小巻テープ用の滑車。このように入れ子状に、しっくり収まるつくりになっている、ただそのことに感動する。
小巻のセロテープをセットしてみた。

DSCN9752.JPG

◆小巻のセロテープはプラスチックの簡易なケースに収めて売られているものが多い。
ケースにはギザギザの刃も成型されていることが普通だから、わざわざ小さなテープを上のように普通サイズのテープカッターにセットする場面があるかどうか。
考えられるケースとしては、封筒ののりしろをテープで貼る作業を複数の人間でやっていて、大巻(径が75cmくらいのもの)のテープがなくなった、しかし小巻のテープは未だある、という場合だろう。
最後まで作業効率は維持したい、テープをセットする滑車の交換の方が、大巻のテープを買い足しに行く手間より少ないだろうことは想像がつく。
とすると、大小2つの滑車を仕込むよう発案した者は、テープカッターを使う人間は小巻タイプも用意して作業するハズと踏んだ上で、これをデザインした、ということになる。

大小のテープを用意するような人間も、手分けして行う作業中にテープを切らすなどでロスしたくないと考えるタイプの人間、ということだから、両両相俟って生み出された製品、ということになる。いくばくかの感慨が湧いてくるのを覚える。

*******

◆大小のテープを入れ替えている内に、カッター本体の軸受けとなる切り込みが2条彫られていることに気づいた。

DSCN9753.JPG

上の切り込みの位置で滑車の軸を使用するようにと、箱に書いてある。
では下の方は何のために使うのだろう?
試しにテープをセットした滑車の軸を下の方に落とすと、テープは底に当たってしまう。

思うに、梱包した時の高さを押さえ、箱のカサを小さくするためではないか?
上の彫り込みに滑車を置いたまま箱に入れてみると1cmほど高くなってしまう。
たった1cmでもコンパクトになれば保管・輸送のコストを押し下げる、ということなのだろう。
(処分することにした古い方のテープカッターを確かめると、やはり2条の彫り込みがあった。)
だとすると、コイン2〜3枚の小売り価格ながら、1cm身を縮める努力で何円かの利益につなげる努力を営々と続けてきた商品、ということだろう。


〈汚辱で海が埋ってしまったとき〉[2019年01月23日(Wed)]

DSCN9665-A青木野枝[空玉/紀尾井町(2016).jpg
青木野枝「空玉(そらたま)/紀尾井町」 (2016年)東京ガーデンテラス紀尾井町にて

*******

塵芥 より    金子光晴

塵芥の存在が、地球の重さより大きくなってしまったとき、
塵芥の良心と塵芥の政治が、世界にふたをして、

その汚辱で海が埋ってしまったとき、
その時は、すでに間近にきてゐるが、
 人類じしんも、その下に埋もれて、窒息し、さて言ふ。
『塵芥のない人生とは、汚れてゐない日々、とは、つまり
 真空のことだ。生きられる条件をもたぬ架空の世界のことだ。』


*6連からなる詩「塵芥」の最後2連。清岡卓行・編『金子光晴詩集』(岩波文庫、1991年)より。


〈卑怯者の影は水にも映らないよ。〉[2019年01月22日(Tue)]

DSCN9644紅菜苔の花.JPG
紅菜苔(コウサイタイ)という野菜らしい。紅菜花(ベニナバナ)とも呼び、アブラナの仲間とのこと。

*******

卑怯者   中桐雅夫

おれたちはみな卑怯者だ、
百円の花を眺めて百万人の飢え死にを忘れる、
強い者のまえでは伏し目になり、
弱い者のまえでは肩をそびやかす。

夢の階段をおりてもおれたちは疲れる、
朝の明るい薔薇色の指をおれたちは知らない、
とるに足りない不満を拡大鏡で見て、
正義と復讐を混同する。

おれたちはひとりで立っていられないから、
どんな旗でもいい、旗ざおに寄りかかり、
たくさん集まって安心しようとする、
頭が軽いので重いヘルメットをかぶる。

卑怯者は目的の毛布で良心を包むのが上手だよ、
卑怯者の影は水にも映らないよ。


*小海永二・編『精選 日本現代詩全集』(ぎょうせい、1982年)より

◆このような詩は、一度でも自分を「卑怯者」だと思ったことのない人からは生まれない。
強きを助け弱きをくじく者や、権威や強者に抗うことから遠く、復讐の感情に動かされているだけなのに正義の冠を頭に載せて周りを欺く輩は卑怯者だと言う。我々の多くがしばしばはまる陥穽だ。

最終連、「目的の毛布で良心を包むのが上手」というのも、ウソやゴマカシを「目的」の正当さで覆い隠そうとする我々の小ずるさを揶揄した表現。

◆厚労省の「毎月勤労統計調査」について組織的な改竄が明るみになった。
「法に基づく基幹統計調査」という大義名分の陰で、良心・名誉にかけて履行すべき責務に背を向け、目をつぶる。

「法に則って公正に実施した調査に基づいて適正に給与を支払う」などという簡単な約束を踏みにじる役人ばかり居て、ちゃんと「水に映る影」を持っている人間を探す方が難しいのかも知れない。



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