◆ブラックな技能実習生の実態にフタをしたままの入国管理法「改正」強行採決にピッタリの詩が、高階杞一(たかしなきいち)の詩集『春'ing』(はりんぐ)にあった。
私の仕事 高階 杞一
スリッパを鼻につめていく
という仕事に就いてから二年目になる
右の鼻からつめて
左の鼻から出す
簡単そうに見えるが
なかなか大変な仕事だ
ひっきりなしに運ばれてくるスリッパを
どんどん鼻につめていく
昼休みはたったの三十分
年休もない
毎日
ただつめて
ただつめて
ただつめていく
時折 中でつまって
ぼくは
死にそうになる◆「
私の仕事」という風に、自分のしている事、として書いているので、自嘲であるとも戯画化した己の日常ともとれるが、「スリッパを鼻につめていく/という仕事」を、正直その通りの仕事だと述べて澄ましているような雰囲気の可笑しさに、我々は頰を緩め、次にその頰にヒヤリとしたものが走る。
最後、「ぼくは/死にそうになる」とスパリと書かれると、その通りなのだろう、と受けとめる以外にない。
そうして実は、こちらののど元に鋭利な刃物が突きつけられていると知って凍り付きそうになる。
仮に、この「私/ぼく」を三人称――「彼」とか「クリーデンス」(映画「ファンタスティック・ビースト2」のアイデンテティに苦悩する青年)とか――にすると、詩は告発に変じる。
すなわち、「彼」(やクリーデンス)をこの仕事に縛り付け酷使している者の非道を訴える詩に姿を変える。
しかし、作者はそうした高所からの断罪をやらない。あくまで「私/ぼく」の「仕事」として書く。
「スリッパを鼻につめていく」仕事が何かの比喩なのか・そうでないのか、誰かがそれをやらせているのか・そうではないのか、すべて読む者に委ねている。
平易なようでいて、実はなかなかシンドイ詩である。
この詩が全くそんな素振りも見せないまま、次のような問いを我々に突きつけているように思えるからだ。
――
あなたはスリッパを鼻につめていないのか?◆この詩集の帯にある「しめる」という詩もあげておく。
しめる 高階 杞一
蛇口をしめると 水は とまる
首をしめると 人は 死ぬ
自分で自分の首をしめていくように
静かな夕餉
お父さんガンバッテ
のフタをしめながら
ぼくは
ぼくのしめられる日を想う
その日もたぶん
妻はごはんをよそいぼくの前に置くだろう*「お父さんガンバッテ」というのは、このセリフで宣伝された栄養ドリンクのことだろう。
◆この詩も「ぼく」の平易な語りのあとで、我々に訊いてくる。
――
〈あなたの「しめられる」日は?〉高階杞一『春'ing』(思潮社、1997年) ★装画は
長新太