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都教委「都立高校改革推進計画・新実施計画(第二次)(案)の骨子」にご意見を[2018年12月21日(Fri)]

◆東京都教育委員会が「都立高校改革推進計画・新実施計画(第二次)(案)の骨子」に対するパブリックコメント(パブコメ)を募集している。

本日21日23:59まで受け付けているので、後掲の問題点を参照のうえ、ぜひご応募を。



概要
http://www.kyoiku.metro.tokyo.jp/press/press_release/2018/files/release20181122_01/01.pdf
本文
http://www.kyoiku.metro.tokyo.jp/press/press_release/2018/files/release20181122_01/02.pdf

◆12月21日(金)の午後11時59分まで、都教委宛メール又はFAXで。

〇FAX用書式 ⇒http://www.kyoiku.metro.tokyo.jp/press/press_release/2018/files/release20181122_01/03_1.doc

【宛先】東京都教育庁都立学校教育部高等学校教育課
ア 電子メールの場合 電子メールアドレス:koukoukaikaku@section.metro.tokyo.jp
イ ファクシミリの場合 ファクシミリ番号:03−5388−1727

【件名】「都立高校改革推進計画・新実施計画(第二次)(案)の骨子」を明記の上、関係する頁数を最初に記入の上、意見を。


《問題点》

1.【9頁】の体系図、【21頁】〜【25頁】の「T−2 グローバル人材の育成」の項

【25頁】に「日本人としての自覚と誇りの涵養」「日本国民としての自覚」等の文言を削除し、後掲の「○印」の表現に修正を。

生徒一人一人の考え方や国籍等の違い・多様性、憲法第19・20・21条の保障する「思想・良心・信教・表現の自由」など人権への配慮、を大きく欠いている。

【25頁】の「日本人としての自覚と誇りの涵養」「日本国民としての自覚」等、ナショナリズムむきだしで政治色の濃い文言は全て削除し、
〇「地球市民としての、世界の人々との友好・協調」「ナショナリズムを排し、国境を越え、世界の人々と連帯」「自分や他者の生命・人権を大切にする人間として」「国際社会に生きる人間として」等のグローバルな人間を育てる目標に相応しい表現に修正を。


2.【23頁】【25頁】

教材『江戸から東京へ』は絶版とすべき(使用しないでほしい)。
理由:第2次世界大戦は「日本が安全上の必要に迫られて起こした」、つまり自衛戦争だったという記述をし続ける等、その偏向性が指摘されている。
『江戸から東京へ』は廃版とし、都立高校生等に配布するべきではない。併せて今まで配ったものは回収・破棄してほしい)。
また、墨田区横網町公園の関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑の碑文を引用するにあたって、「六千余名」「虐殺」という重要な語句を削除した上、「てにをは」を改竄して、前後の文脈が"不自然"にならないよう装った。


3.【3頁】と【26頁】

「日本人としてのアイデンティティ……を醸成する」「日本人としての誇り」等の国家主義、政治色の濃い文言を削除して下さい。

東京オリンピック・パラリンピックに向け、都教委が16年4月から、都の全公立学校に義務化している"五輪教育"の「推進」について、『都立高校改革推進計画・新実施計画』(第二次案。以下、『計画』)は【3頁】で、「日本人としてのアイデンティティ……を醸成する」、【26頁】でも、「レガシーとして、生徒に身に付けさせる五つの資質」を、@ボランティアマインド、A障害者理解、Bスポーツ志向、C日本人としての誇り、D豊かな国際感覚と設定し、「この五つの資質の育成を図る」としている。
これは、都教委が16年1月14日に策定した『東京都五輪教育実施方針』が謳うもの。だが、『実施方針』は、この『最終提言』にさえない"国旗・国歌を尊重する態度"という文言を、恣意的に盛り込んだ。
しかし、国際オリンピック委員会(IOC)の五輪憲章は、表彰式等で掲揚・演奏するのは「各NOC(国際的な五輪活動の国内又は地域内組織)が採用し」、「IOC理事会の承認を得」た「旗・讃歌」だと明記している。つまり選手団の旗・歌のことであり、国旗・国歌ではないとしているのである。五輪教育に関係のない"国旗・国歌を尊重する態度"を、五輪教育に関係あるかのように装い、教え込もうと目論む、政治色の濃い施策である。


4.【2頁】と【5頁】、【7頁】、【8頁】

真に主体的・自立的な教育=生徒たちが主人公の卒業式・入学式を

『都立高校改革推進計画・新実施計画』が謳う「主体的」「新しい価値を創造する力」「自立した人間」「自立した社会人」「生徒の社会的自立に向けた教育の充実」に真っ向反して、都教委は卒業式等で、管理統制の国家主義教育を進めている。
卒業式・入学式等での"君が代"起立を強制する10・23通達を撤廃し、生徒一人一人が主人公(主役)の卒業式・入学式に戻すべきだ。
「全ての生徒の社会的自立に向けた教育の充実が求められる」と謳いながら、"君が代"起立強制を進めるのでは、真に「主体性」・「新しい価値を創造する力」を持つ「自立した人間」は生まれるはずがない。


5.【3頁】【7頁】

ピラミッド型の上意下達の学校作りをやめよう。

【3頁】の「管理職やミドルリーダー層のマネジメント能力の育成……等を通じて、計画的で組織的な学校経営の強化に向けた支援」および【7頁】の「組織的な学校経営の強化」の2箇所について。
これらは、”自民党・文科省・都教委→校長→副校長→主幹教諭→主任教諭→教諭”というピラミッド型の上意下達のシステムをさらに強化するもの。副校長は名称を教頭に戻した上、主幹教諭と主任教諭の職は廃止し、職員会議における教職員の闊達な意見表明・議論と意思決定に基づく民主的な学校運営に戻すべき。


6.【8頁】と【28頁】

教育委員会は政治的中立性を守り社会の事実と多様な考えを尊重すべき

【8頁】に「自立した社会人として必要となる能力を共通して育成する……全ての生徒の社会的自立に向けた教育の充実が求められる」、【28頁】に「生徒自身が自ら考え、自己実現を図る」とある。
これらを真に実現するには、公民科等での主権者教育で、政府見解や自民党等の政策、文科省・都教委等行政の考えや施策のみを"是"として教え込むことは、あってはならない。
政府見解や文科省・都教委等行政の考えや施策のみを教え込むのは教育基本法の規定する教育の政治的中立性に違反し、教育ではなく教化にほかならない。
主権者教育においては、政府見解や文科省・都教委等の考えや施策に偏重せず、政権政党や教育行政と反対の考え方も十分に取り扱われるべきだ。
実教出版『高校日本史』A・B教科書の採択妨害事件(参照)の愚を、都教委は繰り返してはならない。

【注】いわゆる国旗国歌法に関して、「一部の自治体で公務員への強制の動きがある」事実を注記した実教出版の教科書『高校日本史A・B』を、当時の高校指導課長・増渕達夫氏らが「都教委の考えとは相容れない」として同教科書の採択をゼロにする採択妨害を行った。
神奈川県教委も同様に同教科書を採択から排除する学校現場への政治的な介入を2013年以降続けた。




モモタロウ[2018年12月20日(Thu)]

DSCN9358_0000-A.JPG

尋常小学校読本(1909=明治42年)より「モモタロウ」
*12月19日、文科省「教育に関するシンポジウム」会場(3F講堂)特設展示コーナーで。

*******

でるでるモモタロウ   川崎 洋

ババ川へ洗たくに家をでる
ジジ山へしばかりに家をでる
ババ川ぎしにでる
川上からモモがまかりでる
モモの中から赤んぼうがはいでる
名前はモモタロウととどけでる
ジジババかわいくてなでるなでる
その力ぬきんでる
鬼をやっつけにいくと申しでる
キビダンゴふろしきからはみでる
サル・イヌ・キジおともを願いでる
鬼が島で鬼たちが飲んでさわいでる
サルはひっかくことにひいでる
イヌはかみつくことにひいでる
キジはつっつくことにひいでる
それぞれちょうしがでる
鬼の親分の目になみだでる
モモタロウ勝利をかなでる
いらい鬼は人の心にすんでる


 『川崎洋詩集』(ハルキ文庫、2007年)より

*******

◆「いらい人は貪婪を病んでる」と余計な一行を加えたくなるけれど、
〈ヘボな付け足しを天国の詩人は憐れんでる〉だろうな。

*******

◆同じく文科省の特設展示から
学制発布(明治5年)の序文(学事奨励ニ関スル被仰出書)を。
冒頭のモモタロウの「読本」とともに国立教育政策研究所所蔵のもの。

DSCN9406_0000学制発布-A.JPG
(天井照明の反射はご容赦下されたし)

*本文は下記などを参照して下さい。
http://www.geocities.jp/sybrma/61gakujisyourei.html


明治150年記念〈教育に関するシンポジウム〉[2018年12月19日(Wed)]

DSCN9360-A.jpg
「教育に関するシンポジウム」(2018.12.19文科省3F講堂)

明治150年を寿ぎたいのは誰か

◆政府主導の明治150年記念行事がさまざま開かれた2018年、文部科学省では「教育に関するシンポジウム」というのが開かれた(「教育シンポジウム」と簡潔にすればいいのに、なぜわざわざ「に関する」と長たらしいタイトルにしたのだろう)。

パネリストによる短いレポートには興味深いものもあったが、学者お二人による基調講演2つには全く感心しなかった。
「明治150年」に気を遣うあまり、この国の近代化に伴う負の歴史について語ることを全面的に回避したからである。

◆シンポジウム第二部のテーマは〈初等中等教育〉で、基調講演は小川正人・放送大教授による
「我が国の初等中等教育の成果と未来に求められる教育」。
最初に近代日本の教育の歴史を概観したが、教育行政が内務省の一般行政に組み込まれていったことと、各地の教育会の自立的な取り組みがあったことに言及していながら、治安維持法下の1930年代、教育弾圧事件が次々起こったこと、内務省が1930年代末から国民精神動員の中心となったことなどには全く触れない(特高の元締めは内務省であった)。

氏の専門は教育行政学のようだが、まさか歴史、とりわけ庶民の歴史に注意を払わなくても良い、と考えているわけではあるまい。
教育は学びたい人間とそれを支える人間がいて成り立つ営みなのだから、学ぶ主体を欠いて教育行政(学)が成り立つはずはない。

◆戦前の初等教育が尋常小学校から高等小、実業補習学校、そして青年学校(1939年)と整備されていく歴史にも触れているが、そうした中等教育の拡充の理由を「社会経済の発展からの要請と国民の上級学校への進学希望の増大」(レジュメより)と述べるのみで、教育分野に強力に作用した国家意思の存在(「教育勅語」はその威力を最大に発揮したものの一つであろう)について、意図的に語らずに済ましている。
学校が国家主義を注入し国民を戦争に駆り立てていった歴史について全く触れないで戦後の教育委員会制度について語れるはずがないではないか。

かくして歴史の隠蔽と改竄が進む。

*******

戦争    高階 杞一

黒板に
私は愛と書く
先生が教えてくださったとおりに

黒板に
私は夢と書く
先生が教えてくださったとおりに

黒板に
私は友達と書く
先生が教えてくださったとおりに

黒板消しはいらない

爆弾が落ちてきて
それらを一瞬のうちに
消す


『高階杞一詩集』(ハルキ文庫、2015年)より


辺見庸――〈誠実の凄み〉について[2018年12月19日(Wed)]

DSCN8571レディ・エマ・ハミルトン.JPG
「レディ・エマ・ハミルトン」という名の英国産の薔薇。

*******

辺見庸講演「存在と非在/狂気と正気のあわいを見つめて――『月』はなぜ書かれたのか」を聴く。(紀伊國屋ホール)
開演前のホールには11月16日の講演で言及があったバーバーの「弦楽のためのアダージョ」が流れていた。クラリネットによるものとカルテットによるものと。

◆講演は、いま世界が(この国も含めて)「すがれている」のではないか、下降し収縮する時代に私たちは生きているのではないか、という指摘に始まった。「末枯れる」=木などが枯れていくことを表すことばだ。

休憩を挟まず2時間半。しかしなおも語り尽くしたというのでない。時に伝え得ているか確かめるように間を置き、心を占め続けているものの像を目交(まなかい)に浮かべるようにして語った。
書き留めたことばのいくつかは改めて紹介したい。

◆電車の行き帰りに読んだ『しのびよる破局 生体の悲鳴が聞こえるか』から一節を――

ぼくは徒労だらけの、まちがいだらけの人生でしたけれども、いろいろな場所で、人の誠実ということにはそれはそれは教えられました。それはぼくが他者からあたえられた、照りかえされた誠実の凄みです。死にゆく人に夜半につきそい、痰を取りつづける看護師の形相、痛がるがん患者の背中を何時間もさすりつづける人のまなざし……やさしさやいつくしみともちがう、もっと荘厳な目の色の深さを見たことがあります。
ぼくはひとりになったときに、顔が自然にふっと赤らむ、つまり赤面することがあるのです。赤面するのは、多くを語らない彼女およびかれらにたいして自分が恥ずかしくなるからです。どんな宗教の持ち主であれ、あるいは無信仰、無思想の人であれ、よく語るぼくは恥ずかしいとおもうのです。かれらの心ばえというものに、高邁な思想も哲学も政治信条も勝てないとおもう。結局、僕は百万言積みあげたような複雑な理屈、行動のともなわない華麗な理屈よりも、その心ばえが圧倒すると思うのです。
そういう陰徳というか、額縁にはいることのない絵というか、人間の底光りするような、あるいは底光りとさえ気づかれないような徳というのか、そういうものがこれから世の中に見えてくるのかこないのか。自分はどうするのか。それはすごく、いつにもなく関心があります。
 


辺見庸『しのびよる破局 生体の悲鳴が聞こえるか』第五章〈人智は光るのか〉より(角川文庫、2010年)。
 *2009年2月放送のETV特集、講演をもとに再構成、加筆したもの。



事実のかたわらをとおりすぎることは[2018年12月17日(Mon)]
DSCN8565シスター・エリザベス.JPG
「シスター・エリザベス」という名前だった。横浜港の見える丘公園バラ園にて。

*******

片側   石原 吉郎

ある事実のかたわらを
とおりすぎることは
そんなはずではないようにたやすい
だが その
熱い片側には
かがんで手を
ふれて行け
事実は不意に
かつねんごろに
熱い片側をもつ


詩集『水準原点』(1972年)所収。
『続・石原吉郎詩集』(思潮社、1994年)によった。


辺見庸「わたしとマリオ・ジャコメッリ」[2018年12月16日(Sun)]

倒錯した状況に鼻先まで浸かって

◆教育の市場化の問題を考えながら辺見庸「私とマリオ・ジャコメッリ」(2009年)を読んだ。
10年前の「新日曜美術館」がもとになっている本だが、芸術表現のみならず文化・政治・社会と人間疎外について考えさせる。白い紙に思考のまとまりごとに墨滴を点じていったことばたち、
という体裁の本だが、問題意識は著者の体温を感じさせ10年後の今もなまなましい。
われわれにおいて、成長も気づきもほとんど無かった10年だったと悟るだけでも読む意味がある。

人間のために、人間が生きてゆくための、商品やマーケットは生まれた。ところが、商品やマーケットのために人間が存在するのが、現在の世界である。

そうした倒錯した世界を異様だと感じないほうが異様である。ところが現実には、CMの世界のほうを正常だと感じ、CMがないと逆に寂しくなるというひとがずいぶん存在する。それが生理的に身についているひとがずいぶん存在する。異様が正常になろうとしているのである。
 

 *以上、4章《資本、メディア、そして意識》p.87、〈倒錯した状況のなかで〉より

現代は芸術としての映像とコマーシャルの映像がまったくの等価になり、区別のなくなった時代である。そこでは資本の管理下、どちらも等しく「金銭」に換算される。端的にいえば〈表現は金〉なのである。ニュース映像と権力宣伝にも境界がない。あらゆる表現は政治的であり、コストパフォーマンスが計られている。もっとも非政治的に見えるものほど政治的である。発声さえも、視線さえもすでにして政治的なのである。
 *4章《資本、メディア、そして意識》p.95、〈表現者はいかにして資本と権力から自由であり得るか〉より


◆では、現代のそうした倒錯した状況に対して、ジャコメッリの写真は何を表現しているのか。
また、そうしてその映像表現の根にあるものは何か。

かれの映像はいわば内宇宙を撮る映像であり、外宇宙にでていく必要はなかったのだ。 *p.45

ジャコメッリは、静物、海辺の子どもたち、樹木、神学生、農地、町のひとびと、海、ホスピスの老人たちなど、いかなる「実在」の対象を撮ろうが、すべて自分の内面の異空間として表現する。その映像は異界のようにまがまがしく、幻夢のようにとらえどころがなく、識閾のようにはかなく漂う。このリアリストとしての逆説はすべて、実在というものに対する無意識下の不信に根ざしているのではないか。
 *2章《「時間」との永遠のたたかい》p.40、〈表現者はいかにして資本と権力から自由であり得るか〉より

辺見「私とマリオ・ジャコメッリ」.jpg
辺見庸「私とマリオ・ジャコメッリ」(NHK出版、2009年)
*表紙はジャコメッリの連作「スカンノ」(1957-59年)のうちの1枚。
中央の少年の顔だけがくっきりとしている不思議な作品である。



無邪気な正義からは[2018年12月15日(Sat)]

無邪気な正義からはしばしば無意識の悪がしみでてくる。

辺見庸「私とマリオ・ジャコメッリ 〈生〉と〈死〉にあわいをみつめて」(NHK出版、2009年)で出会ったことば。

イタリアの写真家・マリア・ジャコメッリ(1925-2000)について誌した本。
12月18日、紀伊國屋ホールでの辺見庸講演会、ジャコメッリについても触れるだろうか。




辺野古に土砂投入の暴挙[2018年12月14日(Fri)]

藤沢市内の熊坂兌子(なおこ)作品

DSCF0013熊坂兌子「貝」-A.jpg

熊坂兌子「貝」
藤沢駅北・サンパール広場にあったが、現在改修工事中なので、見られないと思う。
写真は2015年4月に撮影したもの。


DSCN5372-A熊坂兌子[太陽と共にかける].jpg

熊坂兌子「太陽と共にかける」
この小ぶりの作品は藤沢聖苑にある(藤沢市大鋸)。
従ってここで身内を荼毘に付す時でなければ目に触れる機会はないだろう。
窓外の光が中央の輝く円から射しこんできて、荘厳(しょうごん)というべき気韻を感じた。
上の写真はその感じを捉え得てはいないけれど。

◆熊坂兌子は藤沢高校に学んだ方と知った。第二期県立高校再編の一環で同校跡地の活用策が問題になった折りに、藤沢にも美術館を、という市民の運動が澎湃と起こった。この取り組みを牽引した方と聞く。母校への愛情と、芸術を日常の生活空間にという願いがエネルギー源であったことは疑いない。
 *残念ながら運動は実らず、跡地は大手住宅会社によって戸建ての分譲地として再開発が進んでいる。

*******

◆藤沢聖苑には柳原義達「道標・鳩」(1972/79年)もあった。
これは横浜西口・相鉄ジョイナス屋上の彫刻庭園にも置かれているものだ。
以前紹介した気がする。


DSCN5367-A.jpg

DSCN5365-A.jpg

★ジョイナスの森彫刻庭園の「道標・鳩」の写真を載せた記事は…
http://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/208

◆上の記事、奇しくも「辺野古に連帯を!」と呼びかけた3年前の短信だった。

今日、2018年12月14日、政府は辺野古に土砂を投入した
沖縄の人々の願いを泥まみれの足で踏みにじる蛮行である。

◆新聞の見出しには「普天間移設 節目」と、政府広報さながらの常套句が添えてあるが、県民の不屈の闘いが明らかにしたのは、辺野古新基地が「新たな基地の増設」による過重負担の強制であり、回復しがたい自然破壊にほかならない実態だ。
本土メディアの「政府強行 沖縄は反発」という見出しにも違和感を感ぜずには居られない。
政府と沖縄県双方を安全地帯から見下ろした書き方は「強きを助け弱きをくじく」結果しかもたらさない。
ジャーナリズムは裁判官でも相撲の行司でもない。

◆われわれ主権者・納税者としては、消費税として収めた税金がその蛮行に荷担した、と意識するか否か。そうしてその使い方注意深く目を光らすかどうか。
自ら荷担したつもりがなくても、非道の政府を放置し続けるなら同じことだ。


熊坂兌子の「平和の像」[2018年12月13日(Thu)]

DSCN9082熊坂兌子「平和の像 PEACE」1995.jpg

◆藤沢市民会館の前庭にある大きな大理石の彫刻も母子像のように見え、昨日の本郷新「太陽の母子像」に似て、幼な子が身を反らした姿勢。
そのようにして大きな母と引き合い均衡をとったかたちになっている。

藤沢ゆかりの熊坂兌子(なおこ)の「PEACE 平和の像」だ。1995年完成、戦後50年の節目に平和を祈念した作品と思われる。

◆台座には実はいくつものレリーフが刻まれている。
西側(市民会館前の江ノ島に向かう道に面した側)の台座には……

DSCN9078-A.jpg

左端のレリーフはバロック・チェロ(エンド・ピンがなく脚にはさんで弾くタイプ。弦はモダン・チェロと同じ4本)を弾く人と楽譜になっている。

DSCN9076_0000-A.JPG

譜面も描かれている。何の曲だろう。

DSCN9077_0000-A.JPG



本郷新「太陽の母子像」[2018年12月12日(Wed)]

DSCN9135本郷新[太陽の母子像]1976アイスクリーム発祥の地記念碑.jpg

本郷新「太陽の母子像」(1976年)だ。
アイスクリーム発祥の記念碑として横浜市中区の馬車道にある。
関内ホールに向かう道だから何度か通っていたはずだが、本郷新の作品だとは全く気づかなかった。

説明板に言う――

横浜沿革史に「明治二年六月馬車道通常磐町五丁目ニ於イテ町田房造ナルモノ氷水店ヲ開業ス……」と誌されています 日本のアイスクリームの誕生です 私達はこれを記念し このゆかりの地に モニュメントを建て寄贈いたします
 昭和五十一年十一月三日
社団法人 日本アイスクリーム協会 
      同  神奈川県支部


*******

◆気がつくと本郷新の作品だけでも5点目の出会いを迎えた。
過去の記事と紹介した作品は以下の通り。

「母子像」(池袋東口)
http://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/102[2015/2/7]

「鳥の碑」 (二子玉川高島屋SC本館前) [2016/11/2]
http://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/366

「奏でる乙女像」 (六本木交差点)および
戦没学生記念像「わだつみのこえ」(世田谷美術館) [2018/6/7]
http://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/883

◆今月の藤沢市広報によれば、市内のパブリックアートを調査して広く紹介する取り組みをスタートさせる由。地元で本郷新作品に出会う機会があるかも知れない。



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