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最新式の「積極的平和」[2018年09月20日(Thu)]

◆日本政府が、シナイ半島でイスラエル、エジプト両軍の活動を監視する多国籍監視軍(MFO)に陸上自衛隊員2名の派遣を検討しているという。

★【朝日新聞9月17日
多国籍監視軍に陸自隊員の派遣検討 安保関連法の新任務
https://digital.asahi.com/articles/ASL9K525TL9KUTIL010.html?rm=492

そんなことまであったのかと、安保関連法という「闇鍋」の中に突っ込まれたものたちの一つをいきなり鼻先に押し付けられた気分だ。

できるようにした法律がある以上、使わなければ損だ、という狡猾さが鼻につく。

◆自衛隊については、南シナ海で海上自衛隊の潜水艦と護衛艦の対潜水艦訓練も行われた。
敢えて公表することで中国を牽制し、当然ながら反発を買い、緊張を高めている。確信犯的である。

★【朝日新聞9月17日
海自潜水艦、南シナ海で極秘訓練を実施 中国を牽制
https://www.asahi.com/articles/ASL9J4GVNL9JULZU00C.html

「専守防衛」堅持を口では言いながら、ひたすら軍事優先を進めて憲法無視の既成事実を重ねる。

◆持っていれば潜水艦も安保法制も使いたくなる。そうした現政権の危うい幼児性を感じるばかりだ。
だが派遣される隊員たちは、生身の人間である。彼等を頼りとし、無事の帰宅を常に願う家族がいる。
オモチャを扱うように命を弄ぶことが許されるはずはない。

*******

平和のはなし  三木 卓

平和がほしい 平和をちょうだい!
不器量な娘が青年にいう
明日の帰りに買って来て わたしを愛しているならば
お父さんの酒乱がなおり
わたしたちがいっしょになれるぐらいの
一番小さなものでいい!
青年はおずおず 頭の中で計算する
どこに売ってるだろう? 金足りるかな?
まあ探してみるか ともだちにでも聞いて…

平和をよこせ 平和を買おう―
貧しい青年が月賦販売店にいう
十カ月払いで平和をくれたまえ!
最新式の新婚むきのやつを!
目をまるくした店員は ひそひそ
やっと現われた支配人がいった
あいにく平和はこのところ品薄で…
すぐとりよせますですが その代り
新型マットレス ゴルフズボン
絶対遅刻しない目覚し時計ではいかが?

平和を早く 平和を送れ!
金繰り苦しい支配人は問屋にいう
いろんな形式とり揃え 大量にだ!
おまえのところは大体誠意がないよ
電話代はそっちにつけたからね
すると とつぜん くらやみのなかから
平和がやって来た あいさつぬきで
泥と血にまみれ重い袋を背負い
傷だらけの手をひろげて
割れた唇で息を吐いた そしていった
さあ 代ってこの袋を背負いたまえ
そしてぼくには 一杯の冷たい水を
飲ませてくれよ


 小海永二・編『精選 日本現代詩全集』(ぎょうせい、1982年)より



ヨネ・ノグチが眠る常光寺[2018年09月19日(Wed)]

その後のヨネ・ノグチ――美術評論

◆帰国後のヨネ・ノグチは日本語による詩を発表する傍ら美術評論も手がけ、浮世絵などの日本美術を海外に広める活動も行った。
大正8(1919)年発行の『六大浮世絵師』には歌麿・広重・写楽・北斎らへの論考のほか、西洋の詩人が浮世絵からどんな印象を得たか、米国・イマジズムの詩人ジョン・グールド・フレッチャー(John Gould Fretcher 1886‐1950) の一連の詩群「浮世絵に題す」によって紹介している。
次の詩などを霧のテムズ河の印象と並べてみるのも一興かも知れない。

隅田河畔  ジョン・G・フレッチャー

秋の風吹く夕、
灰青い渦巻く河の辺、
人は鎖で縛られ窮屈そうな小舟のように
じっと休憩して居る。

あるものは気楽な風のように
優優と動いて居る。

遠方の村は、藍茶褐色、鈍い青色、
河の土手に漂うて眠って居る、――
水は陰気らしく撃ち眩く。
通行人の喋舌は
灰色な不安な空の下で鈍って居る。

   
   *新字体、現代仮名遣いに改めた

野口米次郎六大浮世絵師.jpg
野口米次郎『六大浮世絵師』(岩波書店、1919年。写真は2001年の復刻版の函)

*******

ヨネ・ノグチの眠る常光寺(藤沢市)

◆戦時中に戦争翼賛の詩を発表したこともあって、1947年の没後、忘れられた詩人となっていたヨネ・ノグチではあるが、彫刻家イサム・ノグチの父として、またその母レオニー・ギルモアの映画「レオニー」(松井久子、2010年)が作られたこともあって、ヨネ・ノグチ再評価の機運がある。

◆ヨネ・ノグチは藤沢市の常光寺に眠る。彼の実兄が同寺の住職であったことによる。
墓は公開されていないが、本堂左手に「野口米次郎辞世の碑」がある。

DSCF0021.JPG
常光寺の山門(藤沢市本町4丁目)。浄土宗。鎌倉・光明寺の末寺であった由。

DSCF0028-A.jpg
野口米次郎・辞世の碑
上部に「Yone Noguchi」の署名、台座部分に「辞世の詞」として次のように刻まれている。

DSCF0027-A.jpg

鐘が鳴る
かねがなる
これを即ち
警鐘と言うのです
これが鳴ると皆
ねます さあみんな
ねむりましょう

野口米次郎臨終に際しての詞
昭和二十二年七月十三日


碑の裏面、「Yone Noguchi」の裏には次のように刻まれている。

DSCF0030-A.jpg

野口米次郎

明治八年十二月愛知縣津
島町ニ生ル 十九歳米国ニ渡
リ米英ニ遊学十三年 帰
朝後英詩人文藝評論
家トシテ立チ 傍ラ慶應大學
教授タリ 招カレテ英米佛
印度等各地デ日本文藝ニ
ツキ講演スルコト数度
昭和廿十二年七月十三日茨城県
豊岡村ニ永眠仝月廿十八日此地
ニ安葬 行年七十三歳

天籟院澄譽奎文無窮居士
松籟院清譽和光慈操大姉

昭和三十年三月九日
  野口満つ
  行年六十七


*野口米次郎の妻・まつの没後に建立したもののようで、まつの戒名と行年が一緒に刻まれている。
*なお米次郎の戒名を、Wikipediaでは「・・文」と「杢(もく)」の字で記しているが、上の写真からも読み取れるように「奎(けい)」の誤記であろう。
学問・文芸を意味する「奎文(けいぶん)」を戒名に込めて、その無窮であることを願ったものと思う。


モネの描いた霧のロンドンと2人の日本人[2018年09月18日(Tue)]
2018091513190横美前新宮晋.jpg
新宮晋「風の音符」(1989年)横浜美術館。
天候の具合にもよるのだろうが、美術館左翼の窮屈なスペースに置かれていて風の訪れもないので動きを楽しむことができなかった。残念。

*******

モネの描いた霧のロンドン

◆横浜美術館で開催中の「モネ それからの100年」展は、モネと現代アートとの対比や交響を呈示する卓抜な企画だった。
ただ、会場の都合か、作品の全体を見るにはスペース不足のところが目立った。岡崎乾二郎の2点組作品(「山の中腹のちっぽけな村は〜」および「自分の暮らした村がこんなに小さく思われたことはない。〜」と始まる散文詩のような長いタイトルをそれぞれ持つ縦180×横130cmの2作品)や、その近くにあった丸山直文「puddle in the woods5」(227.3×181.8cm)などだ。

◆一方、モネ自身の作品では、1899年に始まるロンドン連作群から、滞在したホテル、サヴォイからみて南南西に見えるテムズ河上のチャリング・クロス橋と、反対方向の東南東に架かるウォータールー橋(「霧の中の太陽」)とを背中合わせに展示し、不思議な場が演出されていた。
2枚の周りを何度かめぐって光の変幻を味わうことが出来た。

モネ「テムズ川のチャリング・クロス橋」(1903年)_0002.jpg
クロード・モネ「テムズ河のチャリング・クロス橋」(1903年)

展示室の入り口正面にあった。
太陽の位置と橋の影から正午近い時間の景とされるが、名にし負うロンドンの霧が全体を覆っている。右奥に霞んで見えるのは国会議事堂。
モネは霧のヴェールが生み出す神秘的な静かさと空間の広がりをことのほか好んだようだ
深谷克典氏の作品解説による。次の作品についても同氏の解説を参照した)。

モネ「霧の中の太陽」1904年_0001.jpg
「霧の中の太陽」(1904年)

まるで夕景のようだが、深谷氏の解説によれば、太陽の位置と方角からして、実は午前中の光景であるそうだ。未だ上って行く途中の太陽が水面を鮮やかな色に照らしている。

展示された2枚の絵を順に眺めることは、一日の中でいえば時間を溯ることになる。
幻惑された鑑賞者の足元にも霧が立ちこめてくるかのようだ。
  (*モネの作品、いずれも同展図録より)


◆モネが連作のためにロンドンに滞在して制作に集中したのは1899年の9月半ばから10月末まで、翌1900年の2月から4月まで、そして1900年1月から4月にかけてであるが、上の2枚の年記は順に1903および1904である。ジヴェルニー(池を持つ庭により「睡蓮」の連作が生まれていったところ)に戻ってからこれらの作品を完成させたことになる。

*******

霧のロンドンに2人の日本人

◆モネがロンドンで新世紀を迎えた頃、ロンドンには夏目漱石が留学していた。イギリスに着いたのは1900年の10月28日。1902年の12月5日にイギリスを発つまで、呻吟の2年余りを過ごした。
のちに次のように振り返っている。

倫敦(ロンドン)に住み暮らしたる二年は尤も不愉快の二年なり。余は英国紳士の間にあって狼群に伍する一匹のむく犬の如く、あわれなる生活を営みたり。(「文学論」序)

神経衰弱に陥り、転居を繰り返すが身を包む霧は晴れず、引きこもり同然の留学生活。
モネと街角ですれ違うことはなかったかと思うが、当時すでに世評の高かったモネの絵を観る機会があったかどうか。

*******

◆漱石が帰国の準備を進めていたころに、アメリカからロンドンにやってきた若き日本の詩人がいた。ヨネ・ノグチ(野口米次郎 1875-1947)である。そのイギリス到着は1902年11月20日。二人のロンドン滞在は2週間だけカブっている。

アメリカに続いてロンドンでも詩集を出そうと意気込んでやってきた青年ヨネ・ノグチだが、引き受けてくれる出版社は見つからず、やむなく自費出版で小詩集『東海より』(From the Eastern Sea)を出し、これが評判となる。
英米で詩人として盛名を馳せたヨネ・ノグチが再び日本の地を踏んだのは1904年の9月。18歳で飛びだしてから実に11年ぶりのことだった。
彼もまた、モネの描いた霧のロンドンを同じ頃に味わったわけである。

 *星野文子「ヨネ・ノグチ 夢を追いかけた国際詩人」(彩流社、2012年)によった。

「個と地球の欠如」した道徳教育(前川喜平)[2018年09月17日(Mon)]

2018091513190ヴェナンツォ・クロチェッティ「平和の若い騎手」横美前.jpg
ヴェナンツォ・クロチェッティ(1913-2003) 「平和の若い騎手」
横浜美術館にて。

*******

国家が個人や家庭の内側にまで手を突っ込んでくる時

◆文部官僚として、憲法および(1947年)教育基本法を基本原理として働いてきた氏にとって、それらが反故同然に扱われていく様をどのように見ていたのか。前川喜平『面従腹背』(毎日新聞出版)より耳傾けるべきことをあと2つ。
一つは家庭教育までが狙われていることへの警告だ――


私は個人としては教育基本法の改正には反対だった。「国を愛する態度」を教育に掲げることは個人の内心の自由を侵すものだと考えた。心と態度は表裏の関係にあるのだから、「態度を養う」と書けば心には影響がないなどとは言えない。「国を愛さない」内心の自由は保障されなければならない。教育行政条項は、法律に根拠を設けさえすれば学校教育のみならず、家庭教育も含めた教育への政治介入がやりたい放題になる危険があると思った。新10条の家庭教育条項は「父母その他の保護者」の子の教育への「第一義的責任」とし、生活習慣を身に付けさせることなどに、「努めるものとする」として、保護者に義務を課す規定ぶりになっている。この条項を手掛かりにして、家庭教育に国が介入する(たとえば「家庭教育要領」の制定)危険性も否定できない。


◆2006年の教育基本法改悪への教育界からの反対の取り組みにおいて、国家が家庭教育にまで手を突っ込んでくる危険は強く共有されていたとは言い難い。
しかし、3回目の策定を迎える国の「教育振興基本計画」とそれを受けて自治体が定める教育振興基本計画において、前川氏の懸念は現実のものとなりつつある。

政治によって個と国家のせめぎ合いが現実のものになるとき、しわ寄せは何よりも子どもたちや家庭に向かう。
それも、外からの強権的な政治力という形でなく、クラス・学校や地域など、属する社会からの有形無形の同調圧力や、和を乱してはまずい、と自ら規制する形で、すなわち消極的であるか積極的であるかを問わず、「自分の意志」で動くように(うまくいかなかったならそれは自己責任だと思うしかないやり方で)仕向けるかたちで進められる。
そのために機能させられるのが「道徳教育」である。
◆前川氏の警告2つ目として氏の言葉を引いておく。


立憲主義の下、国が教育課程の基準として設定できる道徳的価値は、憲法が立脚する「個人の尊厳」という根本的な価値及びその上に立てられた「基本的人権の尊重」「平和主義」「国民主権」という原則に則ったものでなければならない。「個人の尊厳を重んじ」「日本国憲法の精神に則り」という言葉は、2006年改正後の教育基本法にも残っている。ところが、学習指導要領が設定した道徳的価値の中には「自由」「平等」「平和」など憲法的価値と一致するものもあるが、その扱いは極めて小さい。
一方、「家族」「学校」「郷土」「国」という集団への帰属意識や、「節度」「礼儀」「規則」「公共の精神」など集団を東ねるための規範は、これでもかというほど並べられている。これらの多くは憲法からは導き出せない価値であり、さらには「父母・祖父母への敬愛」「国を愛する心」など、個人の尊厳という憲法的価値に違背する疑いのあるものも含まれている。人間の内面的価値への限度を超えた国家的介入であると考えざるを得ない。
「集団への帰属」の中で最も強調されているのは「国」である。そして「国」を超える集団への帰属意識は出てこない。「集団や社会」の中で「世界の中の日本人としての自覚を持ち、他国を尊重し、国際的視野に立って、世界の平和と人類の発展に寄与すること」(中学校)との記述はある。しかし、あくまでも帰属対象は日本という国であって、「世界」「人類」「地球」への帰属という視点は示されていないのである。
「個人の尊厳」と「地球市民」の視点が欠けている。私はこれを「個と地球の欠如」と呼んでいる。



◆学習指導要領やその「解説」に何が書かれているか、を知ることは重要だが、それと同等に「何が書かれていないか」をも知る必要がある。
それは教育関係者だけでなく、家庭や地域で見守る大人たちにも必要なことだ。
というと、「専門的なものはムズカシクテ……」と敬遠する向きが多いかも知れない。
しかし七面倒なことは何もない。大人の常識を働かせることと、人任せにしないこと、大事なことはそれぐらいだ。分からないと思ったことには「分からない!」と声をあげ、学校に対し教育委員会、文科省に対し(政党の文教部会に)説明を求めれば良い。

前川氏自身、在職中もツイッターでは次のように自由につぶやいていた(『面従腹背』巻末の「腹背発言集」)。

2013年2月21日
《高校無償化制度から朝鮮高校生を排除。羅李問題や核実験を理由に?生徒には関係ない!江戸の仇を長崎どころか火星で討つようなもの。露骨な民族差別だ。情けない。》

2013年5月11日
《人権は憲法によって『与えられた』ものではない。憲法によって『保障された』ものだ。誰からの侵害に対して?国家権力からの侵害に対してだ。》

2016年4月1日
《憲法は核兵器使用を認めているとの政府見解。ついにそこまで言うか!一般市民を大量に虐殺することが、最小限の自衛力の行使に含まれるはずがないではないか!》




『面従腹背』――政治と教育[2018年09月16日(Sun)]

2018091512590清川宗翠「なかよし」.jpg
清川宗翠(そうすい。1947〜)作「なかよし」。
高さ40~50cmほどの愛らしい小像だ。横浜市みなとみらい三菱重工ビル前。

*******

前川喜平『面従腹背』の第3章「教育は誰のものか」は政治と教育について述べている。

政治家による教育現場への不当な介入として知られるのが2003年の都立七尾養護学校事件だ。同校の教職員が工夫を重ねた知的障害児への性教育プログラムを土屋敬之都議(当時)が議会で取り上げて非難。当時の石原都知事の同調もあって都教育長は是正を約束する答弁をした。土屋氏らは都議3名が都教委指導主事とともにいきなり七尾養護学校に押しかけて暴言を吐いたばかりか、教材を無理矢理取り上げるなどした。
その後、都教委は校長降格を含め教職員への処分を行った。これに対して、教職員や保護者が提訴、2009年に一審東京地裁は都議らの行動は教育基本法が禁じる「不当な支配」に当たると判示、都教委も都議らの政治介入を放置し、処分も裁量権の濫用にあたるとして損害賠償を命じた。二審の東京高裁も一審判決を支持し、七尾養護学校の性教育が学習指導要領違反だとする都教委の主張に対しては、「その一言一句が拘束力即ち法規としての効力を有するということは困難」として「教育を実践する者の広い裁量」を認めた。最高裁も2013年11月に上告を退けて高裁判決が確定したものである。(別途、校長も処分取り消しを求めて提訴し勝訴している。)

◆前川喜平氏自身も、今年2月に名古屋の市立中学に招かれて行った授業について、文科省から市教委経由で中学校に質問状が届くという形で政治介入の当事者となったことは記憶に新しい。
同省に圧力を加えたのは自民党文部科学部会の赤池誠章部会長と池田佳隆部会長代理であったことが後に判明した。二人ともいわゆる「安倍チルドレン」である由。
文科省は、名古屋市立中学校への質問状送付は赤池・池田両氏からの圧力によるものではない、と説明するが、それは嘘だ、と前川氏は言い切る。
そうして文科省が悪者になることで二人の政治家を庇おうとしたことは「いじめの構図そのままである」と断じている。

◆自民党文部科学部会の強力な権限を背景に行った2議員の行為に対して、文科省は断るべきだったと考える前川氏は、次のように記す。

赤池・池田両氏の行為は、教育基本法16条が禁じる「不当な支配」にあたると考えられる。だから、文科省はその不当な圧力に屈するべきではなかったし、それをなんとかかわす方法はあったと思う。まず、この二人の政治家に対しては、学校現場への口出しは教育基本法違反になるからできないと言うべきだった。それでもやれと言われたら、いったん持ち帰って大臣や副大臣に相談すればよかった。文科省の行為は最終的に大臣の責任になるのだから、大臣にはこのような質問状を出すことが社会的批判を受ける可能性が高いことを説明し、大臣の了解を得た上で赤池・池田両氏に断りの返答をするという方法が取れたはずだ。

だが、そうしなかった。予算配分や国税を力の源泉にできる財務官僚や警察権力をバックにした警察官僚、あるいは補助金の差配を通して政治家と渡り合うことができる国土交通官僚や農水官僚と異なって、政治家に恩を売る手段も睨みを利かせる手段もないために「文部官僚は政治に弱い」のだ、という(本書131ページ)。

目下の文科省において、情報や内部文書をリークする人々が存在することから、世論の後押しを期待する人間が皆無でないことは伺えるものの、不当な支配に抗し切れないまま少数派として崖っぷちに立たされているのではあるまいか?
前川氏の現状認識は――

部官僚が政治に対抗する砦は法令と審議会しかない。法令の砦は、教育基本法の改正によりかなり弱体化された。そして、審議会という砦も安倍政権の下で形骸化が進んでいるのである。
審議会が形骸化する要因は2つある。1つは、政権中枢の内閣官房・内閣府が主導するスーパー審議会の設置(首相官邸主導体制)であり、もう1つは審議会委員の政治的な任命である。

(*そうした審議会の中に、第1次安倍政権の「教育再生会議」第2次安倍政権の「教育再生実行会議」がある)
教育再生会議・教育再生実行会議の委員の人選は、極めて政治的に行われ、政権にとって好ましい会議を持つ人物ばかりが任命されたので、そこから打ち出される改革案も当然政権寄りのものばかりになった。教育再生会議・教育再生実行会議は、首相直属の会議であるゆえに文部科学省に置かれた中央教育審議会(中教審)よりも上位の機関として位置づけられているので、中教審はこれらの会議で打ち出された改革案の具体化方策を検討する下請け機関のようになってしまった。

◆政権寄りの人物を委員として採用する「政治任用」は、中教審など文科省の審議会にも及んでいる」と、前川氏は言い、特に「第2次安倍内閣で文科大臣になった下村博文氏において顕著になった。下村氏は事務方が用意した委員候補者を一人ひとり吟味し、不適格であると認めた人物は排除した。また事務方が候補に入れなかった人物を自らの意向で任命した。その筆頭格とも言うべき存在が櫻井よし子氏である。
と述べている。

◆中教審の各部会やワーキンググループの傍聴を3年近く続けて来て、各委員の専門分野や考え方、期待されている役割なども見えてきたが、メールや文書によって委員各氏が意見を提出することもあれば、とりまとめ役である主査及び事務方との調整で決定して行く部分も少なくないことが分かって来た。
学習指導要領や教科書検定基準改訂で行った意見募集(パブリックコメント)に寄せられた意見をどう検討したか、など国民が期待する形でオープンにはなっていないことも問題である。中学・高校の保健体育で「銃剣道」が政治力によって無理矢理明記されたことが典型例だ。

◆政治的な介入が頻々と起こる現状は、まさに「教育行政の私物化」の姿にほかならない。
しかも、教基法「改正」の究極の狙いが憲法改正にあり(臨教審(1984年)を置いた中曾根総理の考えの根底にあった意図だ)、紆余曲折ありつつも、その地ならしを済ませたのが2006年の教育基本法改悪であったことを考えれば、「教育行政の私物化」は「憲法の私物化」=「国家および国民の私物化」と言って良い。

教育基本法「改正」を「文部官僚としてやりたくなかった仕事の最大のもの」と内側にいた前川氏は言う。

外側にいた者からすれば、以後12年(臨教審設置からだと3分の1世紀)、それでも何とか持ちこたえて来た、というべきか。


『面従腹背』の教育課程行政と日の丸・君が代[2018年09月15日(Sat)]

2018091513180冨永直樹「美しき広場」三菱重工前3−A.jpg
富永直樹(1913-2006)「美しき広場」(1986年)。横浜みなとみらい三菱重工ビル前で。

*******

前川喜平氏が考える「日の丸・君が代」強制問題
ー『面従腹背』(毎日新聞出版、2018年6月)〈教育課程行政〉の章から

学習指導要領の改訂をはじめとする教育課程行政の場合、「個」から出発する思想と「国家」から出発する思想は、正面から衝突する。その衝突は、後述するように国旗・国歌や道徳教育の取り扱いにおいて避けがたいものになる。

教育課程行政は、国家権力と教育とが直接交錯する分野だ。ここでは、組織の方針と私個人の思想・良心との乖離が最も大きくなり、面従腹背の緊張関係が最も強くなる。なかでも、日の丸・君が代の取り扱いについては、折り合いのつけようがない。
私自身は、日の丸を国旗とし、君が代を国歌とし、両者を日本という国のシンボルとして尊重することについて特段の抵抗感はない。しかし、日の丸がかつて軍国主義・全体主義の日本、侵略戦争をする日本のシンボルであったことも事実だ。だから、日の丸・君が代に違和感や抵抗感を持つ人たちの信条や思想は理解できるし、そういう心情や思想を抱くことは内心の自由であり、その内心の自由は国家権力による制約を一切拒否できる性格のものだと考えている。


前川氏は、学習指導要領が法的拘束力を持つ、という立場から1989年改訂の学習指導要領が教師たちに日の丸・君が代の指導を行うことを義務づけた、とする。
しかし教育法学者をはじめ学習指導要領の法的位置づけについては拘束力を持たない「指導・助言・指針」に過ぎない、という説から、大綱的基準(旭川学力テスト最高裁判決)であるとするもの、拘束力の強い「基準」であるという説まで諸説存在する。
もっとも、「法的拘束力あり」と考える前川氏自身、「今回の指導要領は書き込みすぎだと感じている。最小限の記述に限る「大綱的基準」に回帰し、もっと教育現場の自主性に委ねるべきではないかと思う。」と述べている。
また、日の丸君が代問題に関して文部科学省が、私立学校は「野放し」で公立学校に国旗掲揚・国歌斉唱を押しつける態度であるのはおかしい、と指摘し、これを差別することなく(締め付けるのではなく)、指導要領の記述は「望ましい」にとどめ(=1989年改訂より前の記述に戻し)、現場への関与は「助言」程度にとどめておけば良かった、と述べている。内心の自由に関する問題である以上、内心に対する強制は許されない、というのが氏の基本姿勢だ。


拒否は子どもの権利である

◆前川氏は、1994年10月12日、村山内閣のもとで、日の丸君が代に関する「指導の義務づけ」について政府の統一見解を求められた衆院予算委員会のことを記す。その夜官邸の総理執務室に文部省幹部も集まり、与謝野馨文部大臣が自らペンを執って見解をまとめた。
(教員への)《指導の「義務づけ」については「義務」という言葉を使わずに説明し、児童生徒に対しては内心まで立ち入った「強制」はしないと説明した。》というのである。
その上で、次のように記す。

「児童生徒の内心に対する強制はしない」という政府見解は、その後もしっかり維持されている。つまり、子どもたちには国旗・国歌を拒否する自由があるということだ。

◆「しっかり維持されている」なら、「歌わない」子どもやクラス、その担任への圧力は生まれるはずもないのに実際はどうか?
また、元文科省事務方トップが「国旗・国歌を拒否する自由がある」とまで言い切っているのに、大切なその「自由」を子どもたちにしっかり伝えてあげようとする大人はどれだけいるだろうか?

教育行政に携わる文科官僚は?各地の教育委員会の人々は?
そして誰より、子どもたちにじかに接している現場の教職員たちは?


前川喜平・著「面従腹背」[2018年09月14日(Fri)]

DSCN8326.JPG
木槿(むくげ)。
夏に長く咲き続けている印象があるが、一つ一つの花の寿命は1日〜3日程度らしい。次々と新たな花が咲き継いでいくもののようだ。

*******

前川喜平・著「面従腹背」より

◆前川喜平・前文部科学事務次官が上梓した「面従腹背」が店頭に出ていた。
手に取ったのは発売後1ケ月を経た7月末のもので、すでに第4刷。

★開巻劈頭、自由な精神を持つ独立した個人であることの大切さ、
日本国憲法が至高の価値として柱に据える「個人の尊厳」について説く。(下線は当方)

個人としてどのような見解を持つかは自由だ。それはあまりにも当然のことなのだが、実際には組織の中で仕事をするうちに、その組織の論理に完全に同化していく人間が出てきてしまう。本人は自分個人の意見だと思っているのかもしれないが、実はそれは組織の方針を自分の意見として丸ごと受け入れているだけだということが多い。その方が楽なのだ。与えられた職務と自らの内心との葛藤を経験せずに済むからだ。人間は無意識のうちに、楽な選択、得な選択をして、それを正しい選択だと考えようとする性(さが)を持っている。しかも、組織の論理は、組織の正当性を説明するため、よく練られており、いかなる批判に対してももっともらしい反論を備えていることが多いから、組織の論理を修得してそれを繰り返していれば、十分そこに安住できる。いわば「正当性のシェルター」のようなものなのだ。寄らば大樹の陰、長いものには巻かれろ、ということだ。
個人の見解が常に組織の方針と一致するなどということはあり得ない。常に一致しているとすれば、それは実のところ個人の見解が存在しないということだ。


◆政治家や公務員に限らない。会社組織、NPOや仲間と取り組む市民運動にも通じる話であろう。
あるいは一人の市民として、地域社会や国家と対する自分の立ち位置を確認する上でも。

次のようにも述べている。同じく「はじめに」から。

一人ひとりは尊厳ある個人である。自由な精神を持つ人間である。自由な精神を蔑(ないがし)ろにすることはできない。

★著書発売に合わせて開かれた講演「面従腹背さようなら。」がYouTubeで公開されている。
https://www.youtube.com/watch?v=0snBpUqTS3c



さようなら原発[2018年09月13日(Thu)]

DSCN8328.JPG


さようなら原発全国集会
 いのちをつなぎ くらしを守れ フクシマと共に

とき:9月17日(敬老の日)12:30〜
  (デモ出発は15:10〜)
ところ:代々木公園B地区
主催:〈「さようなら原発」一千万署名 市民の会〉

★公式サイト:⇒http://sayonara-nukes.org/

★集会ビラは 
http://sayonara-nukes.heteml.jp/nn/wp-content/uploads/2018/08/47da457317243554338712cf5b81f966.pdf
★集会プログラム
http://sayonara-nukes.heteml.jp/nn/wp-content/uploads/2018/09/62fe8a690a01fef7698a90578ac6b282.pdf

*******

◆北海道大地震から1週間が過ぎた。電力の回復は進んだが、なお節電を必要とする状況。
何よりも「起きない」とされた全道でのブラックアウトが起きてしまったことは衝撃だった。
にも関わらず、「泊原発が動いていれば停電はなかった」とする言説が一部に流れているそうだ。

◆それらの意見が臆断・妄説であることを牧田寛氏が丁寧に説いていた。

牧田寛
〈北海道胆振東部地震「泊原発が動いていれば停電はなかった」論はなぜ「完全に間違い」なのか〉 ⇒https://hbol.jp/174509

一部紹介する(下線強調および、注は引用者)。

原子力・核施設の安全を確保する為にとても大切なのは時間的余裕(時間稼ぎ)です。使用から何年も経過した使用済み核燃料は、十分に「冷えて」いて電源喪失後も緊急時対応に使える時間はたっぷりあります。したがって、人の手が加えられる限り(人が近づける限り)燃料溶融のような破滅的危機に陥ることは無いと考えて良いです。
これがもしも運転中の原子炉ですと、外部電源喪失後に非常用DG起動に失敗し、更なる措置にも失敗して原子炉の熱除去に失敗した場合、速やかに(約2時間程度で)炉心は溶融し、最悪の場合は原子炉が爆発、崩壊することで大規模核災害に到ることになります。もちろん、非常用DGは二重化されており、高い信頼性がありますし、今回は無事に起動しています。したがって、運転中であっても今回は無事に冷温停止に持ち込めたと思われます。  *DG:非常用のディーゼル発電機
しかし、事実として運転中と停止中の原子炉では根本的に内包するリスクは異なります
停止中の原子炉と運転中の原子炉とでは、安全余裕に雲泥の差があります。時々見受けられる運転中の原子炉も停止中の原子炉も、安全性に違いがないから運転していたほうが良いと言う無根拠の意見は、根本的かつ完全に誤っています。そのような言論には塵芥ほどの価値もありません


◆このあと原子力安全の柱である「多重防護」が日本の場合、どうなのか、憂慮すべき現状がつぶさに述べられている。ぜひ一読を。

◆3.11のみならず、さまざまな災害が教えてくれるのは、被害を最小限に食い止めるにはリスクを可能な限り分散させて置くことが大事だ、ということ。
人間社会のありようとしては、多様性を維持して行くことが破滅的な危機を避けるために有効であり必要なことだ、という認識が広く共有されることが重要になる。

*******

おりたたみ  アーサー・ビナード

人間の心のなかには
埋立処分場がない。ゴミの
焼却炉もなく、集積所すらない。
たえられないほどイヤなことが
あっても、すてることはできない。
どこか暗いすみっこのほうへ
うっちゃってしまえば、不法投棄として
あとで、かならずかえされる。

イヤなことがたまるいっぽう……
だが、落ち着いて点検して
ひとつひとつのイヤなことを
ひっくりかえし、くまなくさわれば
小さくできることがわかる。
おりたたみの椅子とおなじで
その肝心な関節をみつけ、おすか
引くか、たたくかで
平たく、収納しやすくなる。

秋の晴れた日、心のクローゼットから
おりたたんでおいたイヤなことごとを
だして庭先にならべ
虫干しするといい。


アーサー・ビナード『ゴミの日』より。(理論社、2008年)




敬老会――ちちんぷいぷい[2018年09月12日(Wed)]

敬老会

◆藤沢市と地区社会福祉協議会共催の敬老会があった。参加する地元の年配の方々に同道。
高齢化時代を迎えて案内をお届けする方々は2014年から83歳以上に引き上げられたが、それでも2日に分けて開催するほどたくさんの高齢者がいらっしゃる。
1日目は小田急江ノ島線の東側エリアの方々で、約200名の参加だという。

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祝辞、乾杯、昼食のあと、カラオケで自慢ののどを披露する方が次々とステージに登場。

「津軽のふるさと」の熱唱に耳傾けながらTV画面をみやると、弘前あたりから見える姿の岩木山が映っていた。

それに呼応するようにアトラクションとして津軽三味線の演奏があった。
地元民謡教室の湘風会の皆さん。

DSCN8408-A.jpg

じょんがら、津軽甚句、北海盆唄などなど。花笠音頭では会場の方々も花笠を手に踊りで加わり、締めはネブタ囃子で大いに盛り上がった。

***

◆帰りのマイクロバスが住宅地にさしかかると、ちょうど小学生たちの下校時間。

参加されたお一人に「お孫さんが小学校に通っていらっしゃる…」と話題にしたら、「小学校に通っているのはひ孫たちだ。」と言われて、そうか、あの子たちから言えば「ひいお爺さん」になるのか、とこちらのウッカリを修正してもらったのだったが、その方を含め、みなさん歩き方も話しぶりも若々しいので、「ひ」や「ひい」を付けて家族4世代(四生同堂!)をイメージするのは難しいのだった。

********

ちちんぷいぷい   川崎洋

きのう 学校からの帰りみち
すってんと ころんで
ひざっこぞう すりむいた
痛くて痛くて 涙が出た
そのときだ
知らない おじいさんが
ぼくの ひざっこぞうを さすりながら
「ちちんぷいぷい
 ぷよの おんたから
 はむくしゃくしゃ
 はとは ぽうぽう
 きじは けんけん
 おしょうさまは
 どうよくだ どうよくだ
 ぷい」
と いったんだ
痛いのが とれる おまじないだ と
おじいさんが いった
ほんとに
痛みが 少し とれたんだ
ぼく お母さんに
その おまじないを 教えてあげた
こんど すりむいたら
母さんに いってもらうんだ


川崎洋少年詩集『しかられた神さま』 (理論社、1985年)

*「ちちんぷいぷい」、まことにふしぎなおまじないだ。
「ちちんぷい 御世(ごよ)の御宝(おんたから)」の略だと言う。
この詩ではさらに由来不明の呪文が続き、効験あらたかな雰囲気を立ち昇らせながら、最後「ぷい」と煙に巻いて終わってしまうのが面白い。

10月6日「学習会」お知らせ+イルカショーの波紋[2018年09月11日(Tue)]

★お知らせ★

2018年 教育の自由を求める学習会

《新学習指導要領 徹底批判!!

…カリキュラム・マネジメント、アクティブラーニング
教育の市場化、高校版道徳を考える…


◆次期高校学習指導要領の問題点を徹底的に明らかにします。
・「育成すべき資質能力」とは何か?
・新設科目の「公共」「歴史総合」のねらいは何か?
・教育の市場化とは何か? など、本質に迫り、批判を加えます。

2018年10月6日(土) 14:00〜16:30
かながわ県民センター 302号室

(横浜駅西口下車歩5分) <資料代:300円>

◆主催:学校に「思想・良心の自由」を実現する会

会のホームページ&会場へのアクセスは…
http://kokorofree.html.xdomain.jp/index.html

どなたでも参加できます。
多くの皆様のご参加をお待ちしております。


181006ビラ鳥イラスト.png

*******

セーリング開会式、江ノ島イルカショーの波紋

◆9.11から17年が過ぎた。
あの年に生まれた子が高校2年生に成長するだけの時間だ。
ドキュメンタリーなど関連番組が出るかと思ったが、日本の中では目に付くようなものはなかった。日本人が中東に関心を向けた一時期は確かにあった。
今はどうだろう。国内の自然災害続発で内向き思考に傾斜することはやむを得ない面はあるものの、2年後の東京オリンピックの浮華にそそのかされて、地球上にはさまざまな価値観の人たちがいることを忘れて、独善と浮き足だった刹那主義に再び陥っている気がしてならない。

◆地元藤沢の江ノ島はオリンピックのセーリング会場となるが、大会運営のテストとなるセーリング・ワールドカップの開会式が9日に新江ノ島水族館で行われたそうだ。
開会式に先だって、同水族館の目玉であるイルカショーが披露されたが、これが国際セーリング連盟を失望させたと報じられている。

【9月11日NHK NEWS WEB
セーリングの大会でイルカショー 非難受け日本連盟が陳謝
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180911/k10011624491000.html

イルカ漁や水族館でのイルカショーへの批判の声が一部環境保護団体のものだけでなくなって来ている中で、海外の水族館では展示やショーを取りやめたところもあるという。
今回のセーリング開会式に参加した選手の中にも「ショックを受けた」とツイートしたメダリストがいた由。

洋上の風だけでなく、動物保護をめぐる国際世論の風向きにも鋭敏な感覚が必要だということだろう。


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