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「全国学力・学習状況調査」の大問題[2018年08月31日(Fri)]

DSCN8261.JPG

◆トロロアオイ。去年もこの次期に同じ場所で咲いていたように思う。
この花が咲いていた去年の8月下旬は冷蔵庫がダウン。
おととしの真夏にはパソコンがダウンするも、奇跡的によみがえり、ついでに少しばかりパワーアップしてもらった。

◆今年の8月最後の日、外はやはり35℃をやや超えた。
家電でダウンした物は幸い無かったが、キウイの蔓が屋根裏の格子窓まで伸びていたので伐ろうと屋根裏に入って窓を開けたら、レール部分に蜂が4,5匹ひからびていた。夏前にアシナガ蜂の巣を2つ発見して除去したが、その折に居場所をなくした蜂たちが緊急避難を試みるもここで息絶えたのかも知れない。「殺生すべからず」を家訓にしているわけではないものの、見えない針がチクリ心臓をかすめる。

*******

全国学力テスト(学力・学習状況調査)の問題点二つ

◆昨日の記事の全国学力テストについて言い落としたこと2つ――

1.一つは、調査は、民間企業が行っている、ということだ。
個人情報の漏洩があったことの反省から、受検者は番号で表示し、個人を特定できるデータは業者に渡らないやり方に変わったようだが、問題と解答状況に関する全国の小中学生のデータが毎年、業者に蓄積されて行く。
すなわち民間業者はビッグデータを入手して行く仕組みだ。

それは何を意味するのか。
教育産業があってこその学校、という体制が築かれて行く、ということだ。

「学力テスト対策」と銘打った出版物も、教員への研修も主導権は民間が握る、ということである。直接「学力テスト対策講座」と銘打たなくても、「カリキュラムマネジメント力養成研修」など、通りの良いネーミングはいくらでもひねり出せる。

これは学校・教員をターゲットにしたものだが、子どもたち自身が最終ターゲットであることは言うまでもない。

現在、学力調査の成績は上の学校へ進学する際の選考材料には用いない、とされている。
しかし、現在、文科省は、児童・生徒の学習履歴をデータとして記録し、その人間の「学びのパスポート」として進学・就職、さらにその先々までも携行させよう、という考えを打ち出し、それに向けた事業を始めさせている。

すでに「classi」(ベネッセとソフトバンクによる教育事業会社)など、タブレット端末でクラウドサービスを利用するICT活用の取り組みが始まっているが、その将来形は個々の進路に直結させることだろう。教育産業が主で学校は従、極論すれば学校は要らなくなる、というのが最終形かも知れない。

プロジェクトの海外展開も視野にあるので、コンテンツとしての教材、学習法(教授法)および事業のノウハウ全体が商品と同様に輸出産業となる(それは既に始まっているようだ)。

そのために学校が、なかんずく子どもたちが毎年動員・奉仕させられて行く、ということで果たして良いのか、という問題である。

2.次に学力テストに際して行われるアンケート調査(質問紙調査)について。

子どもたちに対しては学習意欲や自己肯定感、地域への関心(2017年は保護者が学校の行事や授業参観に来るか、という質問まであった)などについて質問し、学校側にもそれらを促す取り組みを進めたか訊ね、クロス集計して学力調査との相関を調べているものだ。

例えば今年2018年の児童生徒に対する「規範意識,自己有用感」の質問は下の5つ。

・自分には,よいところがあると思いますか
・先生は,あなたのよいところを認めてくれていると思いますか
・学校のきまり〔規則〕を守っていますか
・いじめは,どんな理由があってもいけないことだと思いますか
・人の役に立つ人間になりたいと思いますか


3つ目の学校のきまりに対応する、学校側への質問は下記のようになっている。

《調査対象学年の児童生徒に対して,前年度までに,学習規律(私語をしない,話をしている人の方を向いて聞く,聞き手に向かって話をする,授業開始のチャイムを守るなど)の維持を徹底しましたか

これに対するクロス集計分析は

《調査対象学年の児童生徒に対して,前年度までに,学習規律(私語をしない,話をしている人の方を向いて聞く,聞き手に向かって話をする,授業開始のチャイムを守るなど)の維持を徹底した」と回答している学校の方が,教科の平均正答率が高い傾向が見られる。》
というものだ。
これなら何も訊くまでもない。落ち着いた環境が学習の定着を確実にするであろうことはふつうに予測できるし、子どもたちや教師も経験から知っているはずだからである。分かりきった結論を書くために全国すべての公立校小6・中3と学校に対して敢えて訊くのは別の意図がある、と考えねばならない。

この質問は2017年も児童生徒・学校の双方に出された。
毎年実施の質問をする本当の狙いは、こういうことだろう――

子どもたちに対して、《学校のきまり〔規則〕を守る人は学力が高い》《規則を守らない人は学力が低い》⇒ 《学力が低い人は規則も守らない》
これを徹底的に叩き込む、つまり、そういうことだ。「学力が低い者は規則も守らない、ダメなヤツだ。」だということを「絶対的真理」として意識に植え付けること。洗脳と言って良い


「高い・低い」を決めるモノサシは何か?大人たちが―自治体の首長も教育長も校長、教職員も例外なく―一喜一憂する平均正答率だ。他と比べてどうだったか、という相対評価である。
しかしこれは、旧い学力観であり、少なくとも新学習指導要領が掲げる新しい学力観では全くない。

◆クロス集計分析は教師たちに対しても全く同じ洗脳を行う。
学習規律の維持を徹底すれば正答率が上がる=規律の維持を徹底させないと正答率は下がる、という自動機械的な思考に馴れさせる意図としか思われない。

質問に「徹底」という言葉が昨年も今年もためらいなく使われていることに注意したい。
例外を認めてはいけない、と周知徹底することが重要だと考えられているのだ。

昨日の記事で触れた福井の中学校の、担任・副担任がうち揃って男子生徒を容赦なく「叱責」、罵倒したことの原因がここにある。

規律の維持で正答率をアップさせる。そのように結果を出せばボーナスや人事上の評価を上げる、そう考える大阪市長の発想が間違っていることは明らかだろう。
もしそれを強行すれば、学力テストを受ける前の年=小学校5年生と中学2年生の担任の引き受け手は大幅に減るだろう。……いや、敢えてその学年を持とうとヤル気満々の者も、教員の中には居るか……しかし、そのように「意欲的」な教師こそは規律の維持を徹底して貫くことに情熱を傾けるだろう。ゼロ・トレランス路線をひた走ることになる(福井の死に追いやられた生徒が中2だったことを思い出そう)。

大阪のようなやり方を本当にやったら、もはや教職は魅力ある仕事と思えなくなる。教員採用試験場には閑古鳥が鳴くだろう。

◆他の質問――「友達との約束を守っていますか」「人の役に立つ人間になりたいと思いますか」――これらも、学力調査との相関関係を強調するために動員される設問だ。
「約束を守る」こと・「人の役に立つ」ことがプラスの価値である以上、これに異議を述べない心的態度を「徹底」させることが重要あり、約束守れなかったり、人の足を引っ張ったりすることは排除されて当然だとみなされる。
しかし、人間は、約束を破ってしまったり、相手が好ましく思わない振る舞いに及んでしまったりすることがある。わざとそうするのではなく、本人の責に帰すことができない場合もしばしばある。そうしてその時に味わった挫折、葛藤や懊悩が、のちに意味を持って来るという経験もよく経験することだ。
それだけじゃない。一見アマノジャクだったり、常識外れに見えるヤツが、誰も気づかなかったことを見出したり、立ちふさがる壁を打ち破ってくれることは人類史上しばしばあったのではないか?
質問紙が示唆する人間像はそうした未知への可能性への期待をワザワザ葬り去っているとしか思えない。

◆学校への質問の中には下のようなものもある。

《調査対象学年の児童生徒に対して,前年度までに,学校生活の中で,児童生徒一人一人のよい点や可能性を見付け評価する(褒めるなど)取組をどの程度行いましたか》

こちらには「徹底」という文字はない。
「徹底」するには及ばない、ということか。
だが、子どもたちの良い点を見付けることこそ実は難しく、「褒める」ことでこちらの驚きや喜びを表現して伝えることはさらに難しい。また、褒めることは「学習規律の維持を徹底」する姿勢としばしば対立し、教師に葛藤と苦悩をもたらすこともまたよくあることだろう。
そうした事情に頓着せず、まるで素知らぬ風に「どの程度行いましたか」と、質問して来る。
ユルイ質問と言うべきか、あるいは無神経な質問と言うべきか。

*******

★国立教育政策研究所の
1.「2018(平成30)年度 全国学力・学習状況調査 報告書」は下から閲覧・ダウンロード
http://www.nier.go.jp/18chousakekkahoukoku/report/question/

2.「質問紙調査の結果」の「概要」は
http://www.nier.go.jp/18chousakekkahoukoku/18summary.pdf

3.「2018(平成30)年度全国学力・学習状況調査 質問紙調査報告書」(全体)は
http://www.nier.go.jp/18chousakekkahoukoku/report/data/18qn.pdf

4.「質問紙調査の結果(1)質問紙と学力のクロス分析及び 質問紙間のクロス分析」は
http://www.nier.go.jp/18chousakekkahoukoku/report/data/18qn_02.pdf


朝日社説から(3)学力テストの弊害について[2018年08月30日(Thu)]

◆一昨日(8月28日)の朝日新聞社説は「大阪市長 学力調査を乱用するな」という見出しだった。
大阪市の吉村洋文市長が打ち出した、全国学力テストの結果によって校長以や教員の人事評価やボーナス、学校への予算配分を増減させる、という乱暴な方針へのまっとうな批判である。

【朝日新聞 社説 2018年8月28日】
https://www.asahi.com/articles/DA3S13653441.html

◆大阪市長は学力テストの目的を取り違えているだけでなく、教育活動とその結果のあらわれ方についても無理解である点で教育行政に与る責任者として失格だ。

いかに問題に工夫を凝らしても、学力はテストで測れるものばかりではない。

またテストの結果が良かったとして、それに貢献したのは誰だ、ということになるのか?
小学校6年と中学3年の春に行うテストに寄与しているのはその前年度の担任教師となるのか、それ以前の担任は関係ないのか。
前年途中で産休その他の事情で担任が交代した場合に貢献度の多寡を見定めるのは誰なのか。
そのように重箱のスミをつつくような銓衡を始めたらキリがない。学習活動と結果にはタイムラグがあるから、当然出てくる疑問だ。

◆子どもたちのつまづきを把握して授業の改善に役立てるというのが本旨であるはず。
吉村市長はそれを忘れてニンジンを馬の前にぶら下げて見せたわけだ。

民主党政権での抽出調査にしたことは、いたずらな競争主義を薄める効果があったが、アベ政権復活で悉皆調査に戻し、各自治体は順位に一喜一憂するようになった。
そうした競争原理導入を危惧すればこそ、かつて犬山市は学力テスト導入にあくまで抵抗した。

点を上げるために教員が生徒に正解を示唆したり、学力の低い子を受検から外したり、上位校の校長名を公表する首長が現れたり、等々、懸念された悪影響は次々と現実のものとなっている。

膨大な経費と手間ヒマを費やして競争をあおる。
いきおい数値で測れるものの習得にだけエネルギーを注ぐ。

内田良・名古屋大准教授は翻弄される学校現場の姿に警鐘を鳴らしている。
★【8月29日】 全国学力テスト 事前練習に追われる学校現場 授業が進まない
https://news.yahoo.co.jp/byline/ryouchida/20180829-00094820/

小・中ともテスト対策として事前に過去問を練習させるために、授業が削られるばかりだというのである。

下位は底辺から脱するために、上位はその地位を維持するために、ともに地獄を見る、と記す。

余裕を失った教員は子どもたちに鞭を当てる。

その例として内田氏は、2017年、福井県池田中で起きた自殺事件をあげている。
担任からも副担任からも叱責・罵倒を受け続けた中2男子生徒が亡くなっケースだ。
これをを受け、福井県議会は「福井県の教育行政の根本的見直しを求める意見書」を2017年12月に採択した。

これについて氏は次のように述べる。

毎年複数の教科で「学力日本一」となっている福井県において、議会が「学力日本一であり続けることが目的化」しており、教員が生徒に向き合えなくなっていると懸念している点は、一つの教訓として注視すべきである。

駆り出される子どもたちからの異議申立・告発がすでに始まっているのではないか?


朝日の社説から(2)障害者雇用水増し問題[2018年08月29日(Wed)]

◆お詫び:昨日の記事で文科省が公開している次期学習指導要領およびその解説へのリンクを張りましたが、「カラースペースが無効です」という表示が出て閲覧できない場合がありました。
その場合は、リンクのURL上にポインタを置いた上で右クリックして「対象をファイルに保存」を選び、デスクトップもしくは適宜のホルダに保存してから開いて下さい。
(閲覧対象のPDFが大きいサイズのための不具合のようです。そのままでしばらく待つと表示される場合もあります。)
御手数をかけます。

*******

記事と社説の連動で批判鋭く

◆最近の新聞紙面の特長は、1面に主な記事の見出しがまとめてあることだ。
駅売りの新聞をザッと見して買う・買わないを決めるときには大いに助かる。

2つ目に、「▼2面=〇〇」など関連記事への案内が付いていること。
気になる話題について見落としせずに済む。

◆今日の朝日新聞1面トップは「障害者雇用 実際は半数」という見出しで中央省庁の障害者雇用数の水増し問題。
再調査後の雇用率ワースト3は国税庁(従来調査2.47%→再調査結果0.67。以下同様に数字を列挙)、国土交通省(2.38→0.7)、法務省(2.44→0.8)の順。
3倍以上もの水増しとは開いた口がふさがらない。
並んだ役所の名を見れば、この1年余りだけでもモリカケ問題から西日本豪雨被害への無策、多数の死刑執行などそれぞれに国民の厳しい視線にさらされて来たところばかりだ。

あちこちの大臣が会見で頭を下げる姿をさらしていたが、ここまで揃って法を無視して平気なのは構造的な体質というほかない。
つじつまを合わせることに長けた人間が、それを重用する現政権と気脈を通じて来た結果の一つに過ぎないという見方も可能だろう。

◆1面の関連記事ガイドに従って社説を見ると「許せぬ でたらめ横行」と舌鋒鋭く批判を展開。
「民間企業は法定雇用率に達しないと、納付金を課せられる。」と書いてあった。
調べてみると「障害者雇用納付金制度」の説明が見つかった。
《独立行政法人高齢・障害・求職者雇用支援機構》のサイト
http://www.jeed.or.jp/disability/koyounoufu/about_noufu.html

上の説明によれば「常時雇用している労働者数が100人を超える障害者雇用率(2.2%)未達成の事業主は、法定雇用障害者数に不足する障害者数に応じて1人につき月額50,000円の障害者雇用納付金を納付しなければならない」とのことだ。
この納付金は障害者雇用調整金や報奨金などに充当されて障害者雇用の促進につなげる、という仕組みのようである。
ただ、理解しがたいのは、この納付金制度や、雇用率算定が適正に行われているかチェックする体制が、省庁については適用されないで来たらしいことだ。
制度上の瑕疵、不備というべきではないか。

◆社会面(31面)の関連記事には当事者の貴重な声が取り上げられている。
その中からふたつ、紹介しておく。

《障害を持った人を採用するのはうっとうしいという感じが見えてならない》 (野党合同で28日に開いたヒアリングで障害者団体の声)

《障害者の雇用を率先する立場にありながら、人材の多様性が持つ意味を理解していないのだろう》(障害者雇用に取り組み、雇用率で7%近い34人の障害者を擁する機械メーカー、キトーの鬼頭芳雄社長)


朝日の社説から(1)「道徳」の「評価」[2018年08月28日(Tue)]

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先日の横浜西区、願成寺の近くで発見したミニシアター。
壁面ぐるりに洋画・邦画のスターたちが並んで、なかなかの壮観。
相鉄線の西横浜、京浜急行の戸部駅からいずれも歩いて10分ほどのところ。

DSCN8170-A.jpg

*******

◆朝日新聞の社説、二日続けて教育問題を取り上げた。
昨日、8月27日は「子ども哲学 対話が未来をひらく」というもの。
子どもたちが自ら問いを立てて自由に語り合う「哲学対話」の試みを紹介している。
NPOメンバーとして普及に取り組む河野哲也氏(立教大)が参加者に語りかけることばが新鮮だ。

《友達の話にゆっくり耳を傾けよう。自分の言葉で自由に語ろう。批判は大いに結構。でも人格攻撃はいけない。勝ち負けを競う場ではないから、人の話を聞き、自分の意見を変えるのもステキなことだよ――。》

人の意見に耳を傾け、自分の意見を柔軟に変えるしなやかさを持つ――ブレることはいけない、と信じ込んでいる大人には意表を突く言い方だ。だが、「君子は豹変す」という言葉も、過ちがあればすみやかにそれを改める、という良い意味であることを思い起こせば、心を柔らかに働かせることの大切さは分かっていても実行は難しい、と昔の人もよく知っていたわけだろう。

◆この27日掲載の社説には、1箇所、誤解に基づく記述があった。

心配もある。哲学対話は道徳の授業にとり入れられるなどしてすそ野を広げてきた。その道徳が正規の教科になり、定められた学習指導要領に基づいて教え、子どもに点数をつけ、子どもを評価しなければならなくなった。
やり方を間違えると、せっかくの対話が、教師が考える規範や価値観に子どもを誘導するための道具になりかねない。

  *下線・色字による強調、当方(以下も同じ)。

早速読者の指摘があったはずで、Web版では上の赤字部分を削除した形でアップされている。
翌28日の朝刊(手もとにあるのは13版でその30ページの社会面)に次のような訂正が載った。

▼27日付オピニオン面の社説「子ども哲学」で、道徳が教科化されることに伴い、「子どもに点数をつけ、評価しなければならなくなった」とあるのは「子どもを評価しなければならなくなった」の誤りでした。学習指導要領には「数値などによる評価は行わないものとする」と書かれていました。

◆「評価」って結局「点数をつけること」でしょ?という思い込みが、社説を書いた委員にも、デスクにもあったことを物語る。
 
★【朝日新聞 8月27日社説】子ども哲学 対話が未来をひらく
https://www.asahi.com/articles/DA3S13652296.html

◆道徳が「教科」になったことの意味は、(1)教科書を使うこと、および (2)評価をすること、この二つにあると言われてきた。ともに問題点大アリで、道徳の教科化に反対する声があがったのも当然であった。

このうち、「評価」について、新学習指導要領(小中とも2017[平成29]年3月に改訂)は一番最後に次のように記す。

生徒の学習状況や道徳性に係る成長の様子を継続的に把握し,指導に生かすよう努める必要がある。ただし,数値などによる評価は行わないものとする

*文科省のサイトの「学習指導要領」道徳編、p.158を参照
http://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/micro_detail/__icsFiles/afieldfile/2018/05/07/1384661_5_4.pdf

間もなく出た学習指導要領解説「特別の教科 道徳編」(2017=H29年7月。以下「解説」と略記)には、この項について、細かな説明を加えている。
たとえば――

これは,道徳科の評価を行わないとしているのではない。道徳科において養うべき道徳性は,児童の人格全体に関わるものであり,数値などによって不用意に評価してはならないことを特に明記したものである。


◆ところが、である。
現在各地で採択が進められている中学の検定済み「道徳教科書」では、児童生徒自身によるA〜Eなどの段階別自己評価表(振り返りシート)を付けた教科書が現れた。
「学習指導要領」には上掲の通り、わざわざ「数値などによって」と断ってあるにもかかわらず、だ。
「など」の中に「A、B、C」も「よくできた、まあまあできた、あまりできなかった、ほとんどできなかった」なども含まれると考えるのが自然だろう。

教科書会社としては、教員が行う評価ではなく、子どもたちが自分で行う「評価」だから問題ない、という言い訳を用意して検定に臨んだと想像するが、サイテーの大人たちである。
子どもたちが「できた・できなかった」のモノサシで我が身を量り売りする危険への慮りを欠いているからだ。不幸にしてこのモノサシ以外知らない子どもたちは、大人に気に入られることにエネルギーの大半を費やすだろう。

「解説」では一応、次のようにクギを刺している。

道徳性の諸様相である道徳的な判断力,心情,実践意欲と態度のそれぞれについて分節し,学習状況を分析的に捉える観点別評価を通じて見取ろうとすることは,生徒の人格そのものに働きかけ,道徳性を養うことを目標とする道徳科の評価としては妥当ではない。
*「解説」小学校版のp.109〜110(「解説」中学校版ではp.111〜112)

要するに、[ 自主,自律,自由と責任] 、[節度,節制]以下、[感動,畏敬の念]、[よりよく生きる喜び]に至る22の「道徳的価値」それぞれについて、「できた・できなかった」と評価するのはヨロシクない、と言っているわけだ。
(22の「道徳的価値」は、小・中で表現の違いがあるが、大半がかつての「修身」が掲げた徳目と呼ぶべきもの。「国を愛する態度」も当然のことのように含まれている)

◆「解説」には次のような説明もある。

(道徳における「評価」は)児童がいかに成長したかを積極的に受け止めて認め,励ます視点から行うものであり,個人内評価であるとの趣旨がより強く要請されるものである。これらを踏まえると,道徳科の評価は,選抜に当たり客観性・公平性が求められる入学者選抜とはなじまないものであり,このため,道徳科の評価は調査書には記載せず,入学者選抜の合否判定に活用することのないようにする必要がある

「個人内評価」とは、他の子と比較するのではなく、(個々の)「子どもたちの成長を積極的に受け止めて認め、励ます」ことで、したがって記述式で行うことが求められる、と解説は述べる。
それでもわかりにくさがつきまとう。
新しい「学習指導要領」の周知を図ると文科省は言うが、保護者やふつうの人たちに理解できるとは思えない。そもそも「解説」を一般の人が読むことはほとんどあるまい。
したがって、朝日の社説執筆者のように「評価」=点数を付けること、と考える人が大多数、という状態がこの先も続くだろう。

◆「数値などによる評価は行わない」という言い方が不充分だという認識は中教審にも文科省側にもないようだ。道徳において「評価」することの愚かさと危うさを敢えて考えないようにしている、としか思えない。
たとえば「評価」という用語を児童生徒の振り返りにも教師の振り返りにも同様に使って怪しまないところにもそれは表れている。
「解説」では第5章《道徳科の評価》は次のような3つの節から成っている。

第1節 道徳科における評価の意義
第2節 道徳科における児童(生徒)の学習状況及び成長の様子についての評価
第3節 道徳科の授業に対する評価

第2節では、児童・生徒が行う学習活動として自己評価の他に《相互評価》を推奨している。
また、《校長や教頭などの授業参加や他の教師との協力的な指導,保護者や地域の人々,各分野の専門家等の授業参加などに際して,学級担任以外からの児童の学習状況や道徳性に係る成長の様子について意見や所感を得るなどして,学級担任が児童を多面的・多角的に評価したり,教師自身の評価に関わる力量を高めたりすることも大切である。》という記述もある。複数の目で見るのは良いことではないかと言われよう。しかし、それはあくまでも大人の視点であって、子どもたちの身になれば、たまらんナ、という感じがぬぐえない。
《相互評価》とは、お互いの良いところを言ってあげよう、という趣旨のはずだが、いつそれが否定的評価に転じるか予測はつかない。「面従腹背」も「慇懃無礼」も大人の専売特許ではなく、子どもたちの世界でも、うわべだけ静穏、紳士的、友好的…ということはいくらでもある。

学校の中であれ地域であれ、「ほっといて欲しい」と心底思うことだってしばしばあるはずなのに、「道徳」の呪縛がアマノジャクを許さないようでは息苦しくてたまらない。

◆「道徳」教科書の検定を行った文科省側はどうか?
子どもたちの段階別自己評価表を載せた教科書、感心しないが容認した、ということを意味するだろう。「妥当ではない」と言うのは建前で、本音は違う、ということなら、文科省もまたサイテーである。
二枚舌であるばかりか、責任を子どもたちに押しつけている点で、下劣ですらある。

◆中教審の教育課程部会では目下「児童生徒の学習評価に関するワーキンググループ」が審議を重ねており、年内のとりまとめを目指しているが、先日、委員の一人から、道徳の「評価」は数値や段階による評価をするものではないことを改めて確認する発言があった。
「道徳」教科書の実物を見た委員として、危惧が現実のものとなりつつあることを憂慮した発言であることは明らかだったが、発言者はそれ以上の具体的な指摘を避けた。
それを良いことに文科省事務局からも発言主旨の確認などもなかった。

そもそも、子どもたちの伸びやかな成長を願う役所であるなら、段階評価=数値評価を促すような教科書をパスさせてはならなかったのである。

亀裂だらけの泥舟だと知りながら、もう下船できない。
文科省という傾いだ泥舟がどこに沈没しようと一向に構わないが、「道徳」というのが実は紙の舟で、そこに乗っている子どもたちを、大人たちは陸から見物しているだけだとすれば、何としよう?

*******

★【小学校学習指導要領解説 特別の教科 道徳編】下記から閲覧・ダウンロードできる。
「評価」についてはp.107~116に記載。
http://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/micro_detail/__icsFiles/afieldfile/2018/05/07/1387017_12_4.pdf

★【中学校学習指導要領解説 特別の教科 道徳編】も下記から閲覧・ダウンロードできる。
ただし、内容・章立て等は小・中ほぼ共通で、「評価」についてはp.109~118に全く同文で記載。
http://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/micro_detail/__icsFiles/afieldfile/2018/05/07/1387018_11_4.pdf


赤ちゃんクジラの胃袋にもプラ片[2018年08月27日(Mon)]


◆今月上旬、鎌倉市の由比ヶ浜に漂着したクジラの死骸は国立科学博物館の調査でシロナガスクジラの子どもと判明したが、胃袋からプラスチック片が見つかったことから、改めてプラスチックによる海洋汚染の深刻さが話題になっている。

漂着の赤ちゃんクジラからプラ片 【NHK NEWS WEB】
https://www3.nhk.or.jp/shutoken-news/20180827/0017478.html

体長10mあまりもあったが、生後3か月から半年ほどのオスの赤ちゃんクジラで、母乳で育つ時期であることから、泳いでいるうちにプラ片を呑み込んでしまったものと推定されている。

◆ニュースは、ちょうど藤沢市役所に展示されている、海岸のゴミ類を詰め込んだ魚のオブジェも紹介していた。
海岸に散乱するゴミの2割ほどは海岸で棄てられたものだが、残りは川を流れ下ってきた不法投棄・ポイ捨ての類いであるという。
ゴミの大元を何とかしないことには。

悲鳴上げるごみの魚=神奈川県藤沢市 【時事】
https://www.jiji.com/jc/article?k=2018080100330&g=soc

*******

ぷうぷう  工藤直子

うわさはすぐひろまった(くじらが ためい
き ひきうけますってさ)みんな くじらの
そばにいき たっぷりなやみをはなし たっ
ぷりためいきついた くじらはぱくっと た
めいきをたべ みんなのあたまをなでてやる
らいおんなどは みっかみばん よよよよと
ないて ためいきをたくさん はいたそうだ
ためいきでおもたくなったくじらは うみに
うかぶことにした そしてときどき ぷうー
と みんなのためいきを ふきとばしている
   くじらのからだが
 あんまり ひろいので
   くじらのこころは
    かくれんぼして
      あそんでる


  工藤直子:詩『でんせつ』より「でんせつ12」
(理論社、2000年) 


  
石垣りん「峠」[2018年08月26日(Sun)]

DSCN8142願成寺のコブシ.jpg
横浜市西区にある願成寺(高野山真言宗)のコブシの木。
大きくそびえ立ち、日差しを遮ってくれる心地よさに何度も見上げた。

◆横浜は坂の多い街だ。
願成寺も商店街のはずれから狭い坂(くらやみ坂)を上っていく途中にある。
保土ケ谷から来た旅人は、この坂を上り、峠のその先、戸部村・横濱村へと下っていくのである。


 峠    石垣りん 

時に 人が通る、それだけ
三日に一度、あるいは五日、十日にひとり、ふたり、通るという、それだけの――

――それだけでいつも 峠には人の思いが懸かる。

そこをこえてゆく人
そこをこえてくる人

あの高い山の
あの深い木陰の

それとわかぬ小径(みち)を通って
姿もみえぬそのゆきかい

峠よ、
あれは峠だ、と呼んで もう幾年こえない人が
向こうの村に こちらの村に 住んでいることだろう

あれは峠だ、と 朝夕こころに呼んで。
 


 *「峠」は石垣りんの第一詩集『私の前にある鍋とお釜と燃える火と』(1959年)所収。
  ハルキ文庫『石垣りん詩集』(1998年)によった。

◆峠を幾年も越えたことのない人々――大半の人たちは、そのように日々のなりわいを重ねて生涯を送るはずだったろう。

そんなことを思ったのは、願成寺の入り口に建つ二つの戦没者の慰霊碑を眺めたからだ。
いずれも日露戦争に応召し、生きて還ることのなかった若者たち。

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享年二七、および二九。一人は菓子職人であったことが碑の裏に誌してある。

◆もしその若者が峠を越えて戦地に赴くことが無かったとしたら……
何人もの旅人がこの寺の木陰に腰を下ろし、菓子職人心づくしの甘味で疲れを癒したことだろうと想像してしまう。

2018湘南ねぶた[2018年08月25日(Sat)]

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◆今年も湘南ねぶたの季節となった。

今回はコースを短縮して町田街道(国道467号線)、「六会日大駅入口」交差点で折り返し。
国道の渋滞を避けるためだろう。
そのぶん商店街両側歩道の見物席はギッシリの人波。

◆先導するドラえもん・アンパンマンねぶた、今年は二つとも表情が豊かだ。

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◆主役の人形ねぶた、今年は「鬼若丸」である。
すなわち、後の武蔵坊弁慶だ。

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母のおなかに十八ヶ月もいて生まれ、普通の赤子の三倍もあった鬼若丸は比叡山延暦寺に預けられていた。
比叡山横川で暴れていた八尺もの鯉を少年鬼若丸が退治する勇壮な場面。

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DSCN8222弁慶安宅の関−A.jpg

◆背中の送り絵は当然、成人した弁慶の姿。
歌舞伎「勧進帳」、弁慶が安宅の関を無事通り抜けた義経に追いつこうと急ぐ「飛び六法」の場面である。

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弁慶に付き従うようにしんがりを務めるのは、これも恒例となった金魚ねぶたである。

*湘南ねぶたの運行は明日も夜7時から、六会日大駅前商店街で。


木島始〈命のもとは〉[2018年08月24日(Fri)]

◆観ることのできなかった展覧会『画家の詩、詩人の絵』の図録が手に入った。
2015年秋の平塚市美術館から翌年夏の北海道立函館美術館まで全国5館を巡回したもの。
各美術館の連携のもとに成った、すぐれた企画展であったことが分かる。

◆このブログでも何度か紹介した木島始(1928-2004)の詩と絵に引きつけられた。

 木島 始

命のもとは
水なのは確か
では言葉って
どんな生れかた?



木島始1999「詩と思想」扉カット.jpg

*詩は「ほとんど死なない相棒たち 三十二篇」からの抜粋
 (『根の展望――連作体四行詩十三集』土曜美術社、1999年)
**絵は『詩と思想』誌の扉カット(1999年)

いずれも、平塚美術館ほか主催『画家の詩、詩人の絵』展図録より(青幻社、2015年)

◆「詩」は、幾重にもよじられた言葉をほぐしながら上方に昇って行こうとし、「命」はその滴りとして下方に生まれ落ちようと(もしくは胎内から生まれ出ようと)している。

大下智一(北海道立函館美術館)による木島始についての解説に次のような記述があった。

一九四四年、岡山の第六高等学校に入学、翌年岡山の寮が空襲で全焼した後、広島で被爆した同級生の介護をして敗戦を迎える。

木島の生き方の淵源に焦点を当て、キュレーターの志をも感じさせる一文だ。



「真実を知りたい」――女子受験生の訴え[2018年08月23日(Thu)]

DSCN8121パンパスグラス.JPG
パンパスグラス
九尾の狐が化身した玉藻の前の尾花ともいうべき豪奢な趣。
丈高く3mほどあった。

アルゼンチン産で、大草原(パンパス)の草という意味。
和名では「シロガネヨシ(白銀葭)」とのこと。
境川沿いのサイクリングロードで目を引いたので撮影、名前を調べようと思って帰宅したら、ちょうどローカルニュースで「パンパスグラス」の記事があった。
雌雄異株で、写真は雌株のようだ。

*******

◆東京医大の入試における女性差別問題、弁護士たちがホットラインを開設した。

【8月21日 BuzzFeedNews 伊吹早織】
「娘に顔向けできないから」 東京医大の入試不正、弁護団が電話ホットラインを開設へ
「もう本当に親としては、張り裂けそうな気持ちになりますよね」

https://www.buzzfeed.com/jp/saoriibuki/tokyomed-sabetsu?utm_term=.lqLnb2Eyr7#.jmO3YdJZ5N

上掲記事のコメントは子を持つ親として真情を語った神原元弁護士のことば。

◆弁護団の記者会見では、この春東京医大を受験し、二次試験で不合格となった女子受験生のコメントも読み上げられた。

「もしかして、自分もそのせいで不合格だったのではと思うと、本当に悲しく、悔しく、勉強も手につかない状態となっています」
この若者の「真実を知りたい」という訴えに、大学のみならず、世の大人たちは真っ正面から答える責務がある。

◆この問題にいち早く声をあげた作家・北原みのりのことば――

日本社会の「男女平等」は、男の下駄と女の沈黙で成立している。
もう黙りたくない。


8月11日AERAdot.(週刊朝日2018年8月17-24日合併号)
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180808-00000052-sasahi-life&pos=3





制服のボタンが真鍮から木に[2018年08月22日(Wed)]

◆詩によって原発災害に警鐘を鳴らしてきた詩人・若松丈太郎(福島県南相馬市在住)の近作『十歳の夏まで戦争だった』に出会った。昨年夏に出たものだ。
その中に、戦時下の金属供出を描いたものがあったので全行を写しておく。

制服のボタンが真鍮から木に  若松丈太郎

一九四一年に「金属類回収令」が施行され
一九四二年に「資源特別回収実施要項」が定められた
隣組などを介して「供出」という名目で
なかば強制的な金属類の回収がおこなわれた
鉄瓶など日用品までも供出させられた

火箸 五徳 十能 自在鉤(かぎ)
燭台 花器
火鉢 薬缶(やかん) 鍋 鉄釜
五右衛門風呂

(こて) 焚斗(のし) アイロン
  
(すき) 鍬(くわ) 唐鍬 鎌
箪笥(たんす)の取っ手 蚊帳の釣り手
灰皿 煙管(きせる) バックル
鉄柵 店の看板
(かね) 鐘(かね) 梵鐘(ぼんしょう)
銅像

金偏のものはなんでも
銅板葺きの屋根板を供出した家もあった
小さいときゴム長靴にベルトで固定して滑ったスケートも
ブリキのおもちゃも供出だ
最悪事態を想定しないで戦争をはじめたせいだ

抜いた釘を叩いてまっすぐ伸ばして使った
鉄釜が土釜になった
鉄の竃(かま)が土竃になった
五右衛門風呂が木風呂になった
マンホールの蓋が鉄製からコンクリート製に
金偏のものはなんでも
学校の制服のボタンまで真鍮(しんちゅう)から木になった
校庭の二宮金次郎が銅像から石像になった
鉄道の複線区間のレールが外されて
単線になった路線が各地にあったという
寺の梵鐘がなくなったかわりに
昼も夜もなくサイレンが鳴り響くようになった
「警戒警報発令」のサイレンだ
「空襲警報発令」のサイレンだ
本土空襲や艦砲射撃がはじまると
第一の標的は八幡製鉄所や釜石製鉄所などだった
そして軍需関連工場は操業不能な被害を受けた
精製しなければ航空機燃料にならなかった松根油と同様に
回収した金属類は国内の工場がほぼ壊滅してしまって
集積された梵鐘の山は戦後も野ざらしにされていた
戦争は資源浪費の最たるものだ
金属の巨大なかたまりを海底深くに沈めたりして


若松丈太郎「十歳の夏まで戦争だった」.jpg
若松丈太郎(1935〜)『十歳の夏まで戦争だった』(コールサック社、2017年)

*******

金属供出(2)_0003.jpg
東京府庁の鉄製門扉も撤去、回収された(1941年6月23日)


金属供出(朝日「戦争と庶民2」)_0006.jpg
古銅集貨協会に運び込まれたナベ、カマなど銅製品の山。
大阪市住吉区安立町で(1942年3月4日)


梵鐘供出.jpg
1942年11月21日、東京・駒込の蓮光寺に集められた本郷区内62寺の梵鐘、半鐘。
*梵鐘を運んで来たねじり鉢巻きの男性が無念の思いで梵鐘に手を添えてうつむいている。
詩の終わりにあるように、戦後も虚しく野ざらしにされたままのものもあったとは……。
詩の最終行のごとく「金属の巨大なかたまり」として海底深く沈んだままの戦時徴用船が先日TVで映し出されていた。ミクロネシアのトラック島に沈む民間船と遺骨。帝国の連合艦隊によって見棄てられたものたちであった。

*金属供出の写真とキャプションはいずれも朝日歴史写真ライブラリー「戦争と庶民2」(朝日新聞社、1995年)によった。

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