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まてばいい[2018年07月21日(Sat)]

たいていのこと   堀江菜穂子

たいていのこと のりこえられる
たいていのことは なんとかなる
でも そのたいていにならないことが
いきているかぎり かならずある
いままでけいけんしたことのなかった
こんなんは おもくのしかかり
きゅうきょくまでおいつめられる
そんなときはただひたすら
ただじっと はをくいしばって
じかんがすぎることだけを まてばいい
じっと ずっと ただひたすらに
じかんがすぎるまで 心をかたく
はをくいしばっていたら
こんなんは あらしのようにすぎさっているから
あとからふりかえれば そのこんなんですら
たいていのことにくわわっているだろう


  堀江菜穂子『いきていてこそ』 (サンマーク出版、2017年)

◆1994年生まれの詩人は重度の脳性まひを患う。
小さいときから母が読み聞かせて来た詩を自らも書くようになった。

堀江菜穂子いきていてこそ.jpg


炎天下[2018年07月20日(Fri)]

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葛の花

*******

◆きのう今日と、荷物をいっぱい抱えて学校から帰る小学生の姿をたくさん見た。
夏休みである。
豪雨被災地では、終業式も仲間との交歓もかなわず、避難生活のまま夏休みに入った所も多いと聞く。

◆甲子園を目指す高校野球の熱戦も続くが、今日の神奈川は試合がない休養日。つい先日も無試合日があった。
100回記念大会で神奈川は2校の代表枠。南北2つの地区に分かれて大会は進行中だが、休みの日が増えたように見えるのはそのせいではない。試合会場が増えて過密日程が解消したようだ。

◆おとといの3回戦は、最初の着任校C高と最後の在職校F高が対戦、どちらを応援するか困る試合となった。加えてC高の監督はF高で同僚だったT先生。つまりTさんにとっては、かつて育てたチームの後輩たちとの対戦となったわけである。奇しき縁と言うしかない。試合は投手戦が続いて1対1のまま延長12回まで進んだが、最終回、一気にたたみかけて大量点をもぎとったC高の勝利となった。保土ケ谷球場での試合だったので、テレビ中継でTさんの采配ぶりを懐かしく拝見した。4回戦でも活躍されますよう。

*******

◆全国で炎暑の激戦が続いている中で、選手たちが熱中症に見舞われた試合もあった。
塁上のランナーがへたり込んだり、守備中にキャッチャーが倒れたのに交代要員がいないためしばらく休養させてから再開したという(三重県大会)。
練習で鍛えているから大丈夫ということでは決してない。

◆大人の都合で予定通りやろうとすると再び悲劇は起こる。
2年後、真夏のオリンピックも心配されている中、暑さ対策として伝統的な打ち水をと提案されていたことが再び話題になっている(去年都庁で打ち水イベントをやったとか)。
よしずや浴衣で和風のもてなしを、などという脳天気な話、これも国土交通省での有識者会議だった由。悶絶するしかない。

熱中死の続出を受けてTVではマラソンコースに植栽で木陰を作るとか輻射熱を防ぐ舗装に切り替えるとか、さまざまな対策を並べ立てる。
しかし、亜熱帯化した気候のもと、コンクリートでおおわれた真夏の都会で競技を行うこと自体がクレイジーな計画なのだ。

まっすぐな道   ジャック・プレヴェール

一キロメートルごとに
毎年のように
額のせまい年寄りたちが
子どもに路を差し示す
鉄筋コンクリートのみぶりで。


小笠原豊樹・訳『プレヴェール詩集』(岩波文庫、2017年)


国会正門前、7・19キャンドル集会[2018年07月19日(Thu)]

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◆会期末を迎えて異常が常態化した国会の正門前、安倍政権退陣を求める市民8500人が集まった。

野党議員からは国民の命と財産を軽視したまま財界の都合最優先のアベ政権批判が相次いだ。
豪雨被害対策を放置したまま「カジノ法案命(いのち)」とばかり答弁席に張り付く国土交通大臣、20億程度の財政出動で事足れりとして私邸にひきこもった首相、「赤坂自民亭」の酒席写真をSNSにアップして平気な無神経さ、会期延長してもモリカケ疑惑への責任を明らかにしないまま「働かせ方放題」法案に突き進む……。この先には「解雇自由」法案の提出も目論まれているそうだ。

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◆かつて霞が関官僚であった野党議員は、「ウソはつかない」という最低限守るべき一線が、隠蔽、改竄、虚偽答弁と幾つもの線を踏み破ってしまったのがアベ政権下のソンタク役人の姿だと批判した。

民主主義の土台が根底から崩されているのだが、悲鳴はあちこちで区々に上がっているだけでは大きなうねりにつながらない。

その間にも人々は内側からむしばまれていく。怒りを持続させるのもエネルギーが必要なのだ。

安保法制違憲訴訟の東京原告団からメッセージがあった。
明日7月20日の9時半、東京地裁で国家賠償請求訴訟の第8回期日を迎える(傍聴抽選は9:55)。

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神奈川の安保法制違憲訴訟の次回期日は8月16日。横浜地裁で行われる。

◆集会の締めくくり、韓国のキャンドルデモから贈られたキャンドルを手に、ソウルの町をおおった歌「真実は沈まない」を日本語ヴァージョンで歌った。

光は闇に負けない
まことはウソに負けない
真実は沈まない
決して諦めはしない


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流政之氏、浜田知明氏逝く[2018年07月18日(Wed)]

流政之氏、浜田知明氏の訃報
戦争を知る世代から何を受け取るか


◆おととい取り上げたばかりの彫刻家流政之氏の訃報に接した(7月7日逝去)。
享年95。
野外彫刻が多く、庭園も手がけたというので、各地で作品に出会う機会があるよう願う。

◆かのニューヨークWTC(World Trade Center)にも「雲の砦」(1975年)という巨大な作品があったそうだ。
2012年の朝日新聞のインタビュー記事によれば、
テーマは「永遠に変わらざる平和」。1955年に初の個展に出した、第2次大戦の日米のパイロットを追悼する木彫「」が原型だそうだ。

〈自作再見〉流政之「雲の砦」 永遠に変わらぬ平和を表現
【朝日 2012年6月23日】
http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY201206220289.html

◆上の記事によれば、「雲の砦」自体は9.11のテロ攻撃によっても壊れなかったが、救出の重機を入れるために取り壊されたという。
(上の記事に往時の「雲の砦」の写真が載っている。なお、2004年に、札幌の北海道立近代美術館に、半分の大きさの「雲の砦Jr.」を設置したとのこと。)

なお、流政之が制作の拠点とした庵治町は平成の大合併で高松市に編入された。
同じく庵治石を産する牟礼町も2006年、庵治町とともに高松市に編入された。
牟礼はイサム・ノグチ(1904-88)が60年代終わりからアトリエを構えて制作を続けた町である(現在イサム・ノグチ庭園美術館がある)。流との交流が背景にあるだろう。ともに彫刻・庭園を手がけた二人の作家の豊饒な作品が庵治石という素材から生まれたと言える。

★関連拙ログ
流政之の彫刻[2018年7月16日]
https://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/925

◆◇◆◇◆◇◆

◆今朝の同じ紙面に版画・彫刻で戦争を描き続けた浜田知明氏の訃報も載った。
享年100。

彼の彫刻と版画については後掲するいくつかの記事で触れた。
特に今年の4月、町田国際版画美術館で多くの版画作品に接することができたのだが、実は、数年前の神奈川県立近代美術館(葉山館)で新制作として発表された1点は未だ観ていない。
中国大陸で遭遇した一少女を、長年描かねばと思いながら果たせずにいたもの、という。

せめて図録によってでも観たいと念じているのだが……。

◆流政之は海軍のゼロ戦パイロットとして、浜田知明は大陸で陸軍の一兵卒として、それぞれに戦時を生き、のちに表現者として長い戦後を生きた。
忘れてはならないことの一切は作品の中にこめられている。
それを受け取るにせよ知らぬふりするにせよ、私たちよりはるか未来まで作品が生きていくのは確かなことだ。

浜田知明全作品_0165抱擁1984-A.jpg
浜田知明「抱擁」(1984年)
*『浜田知明作品集 COMPLETE 1993』(撮影:高山宏。求龍堂、1993年)より


【浜田知明関連記事】

★浜田知明の彫刻[2017年4月25日]
https://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/481
★シリア空爆――浜田知明の版画(1)[2018年4月15日]
https://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/827
★浜田知明の版画(2)[2018年4月17日]
https://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/828
★浜田知明の版画(3)[2018年4月18日]
https://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/829
★浜田知明の版画(4)[2018年4月19日]
https://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/830


「結果的に」を使うのはやめよ[2018年07月17日(Tue)]

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◆炎天下の校外学習、熱中症で小学校1年生が亡くなった。
愛知県豊田市の小学校である。

校長の会見での言葉に「結果的に大事な子どもの命がなくなってしまい判断が甘かったと痛感している」という言い方があった。
結果的に」――ほんらい責任を拡散させ、追及の矛先を鈍らせるための言い逃れでしかない。
政治家や役人が責任回避する際の、ドブ泥の臭いがプンプンする常套句。
手垢にまみれたギョーカイ用語に等しい弁解の辞を、子どもたちの命を預かる立場の者が苦し紛れに用い、しかも私たちのあらかたがそれを怪しまなくなっている。
国会や役所の悪癖が世に蔓延して末期的である。

◆「これまで校外学習では大きな問題は起きておらず、気温は高かったが中止するという判断はできなかった。」という言葉も伝えられている。
校長の言葉尻をとらえて叩くつもりはないが、「これまで大きな問題は起きて」いなかった、という経験にあぐらをかいたことが悲劇を生んだのであって、幾つかあったであろう「小さな問題」や考慮すべき条件を無視して惰性で実施に踏み切ったことを「判断」と呼ぶことはできない。

*******

あいつらが倒れるとき
下敷きになるのは幼年時代
幼年時代は無防備だから
つぶされるのはいつも幼年時代


ジャック・プレヴェール(1900-77)「幼年時代」より
『プレヴェール詩集』(小笠原豊樹訳。岩波文庫)

◆詩では「あいつら」とは「煤の色をした老人たち」のことで、老人のくしゃみが地球の回転を止め、草の芽吹きを拒む、と記す。
要するに、旧態依然の大人たちのために、無防備な幼い者たちは息をつまらせ、地球全体が危殆に瀕しているのだ。


流政之の彫刻[2018年07月16日(Mon)]

流政之の彫刻

◆横浜市西区紅葉ケ丘の神奈川県立青少年センター前に石の彫刻が立っている。
流政之(ながれまさゆき。1923〜)の「潮 TIDE」という1962年の作品だ。

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人の背丈ほどの高さにメッセージが彫られているのが珍しく、近づいて見た。

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「しっかり頼む」という言い方は、現代の大人たちの口からは出てこない。

流政之の公式サイトのプロフィールで確認すると、1962年、この青少年センターのために〈潮〉〈波〉〈舷〉の3つを制作したようである。
いずれ、〈波〉〈舷〉にも会う機会があるだろう。

★流政之オフィシャル・ウェブサイト
http://www.nagaremasayuki.com/flash/index.html

◆父は立命館創設者の中川小十郎。
教育者である父は、子にとって格闘の対象であったのだろう。
結果として息子は、のたうつような規格外の生き方をして来たように見える。
青春期の過剰なエネルギーを自ら持て余していたことを伺わせる記事が目に付く。

1941〜42年の項に次のような記述がある。

学業の才あまりかんばしからず立命館大学にこっそり入学。しかしここでも学校になじむことなく、勝手に乱学そのうち立命館日本刀鍛錬所に出入りし…授業をさぼって作刀、研ぎに夢中……

1943〜45年には――

日本危うしと海軍飛行予科予備学生、操縦専修となりゼロ戦パイロットになる。

1944年――

10月7日、敗戦をみることなく死んだ父にさすがと、雪降る父の墓石に雪をかためて投げつける。

◆敗戦後も鎮魂と検証の旅に身を投じて各地を放浪する。
彷徨の青春期を経て最初の彫刻展を開いたのは32歳である。

◆流が「潮」を制作した1962年は、四国の庵治村(のち庵治町。2006年、高松市に編入。庵治石で知られる。)の職人たちと「石匠塾」をつくり、石を素材とした作品制作に本腰を入れた時期である。

岩の間から水が奔騰して噴き上げる姿にも見えるが、逆に空から大地に降ろされた巨人の脚と膝の関節のようにも見える。

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〈潮〉は紅葉坂を登り切ったところにある。ここから海のある東方に目を遣ると、ランドマークタワーが見える。



「万引き家族」ー散乱する玉ネギ[2018年07月15日(Sun)]

◆映画「万引き家族」是枝裕和監督)を観た。
現下起きている家族をめぐる様々な事件ーDVであり、子どもへの虐待・ネグレクトであり、貧困であり―それらの傷を帯びた人々が都会の隙間に取り残された小さな古家の居間で、コタツの上の鍋を囲む。

6人の「家族」の関わりの時間が彼らの傷をくるんでいく。
彼らの奇妙な「絆」は逆に、世の中で家族の体を成しているように見える「普通の家族」も実は薄い膜でかろうじてかたちを保っているものでしかないことを照らし出す。

◆彼ら6人は声を荒げることがない。周辺の人々ー駄菓子屋の主人(柄本明)なども、万引きをする祥太(城桧吏じょうかいり)に穏やかな口調で諭すだけだ。

信代(安藤サクラ)は、少女ゆり(佐々木みゆ)の体の傷の痛みを誰よりもよく知るゆえに、職場のリストラであえて貧乏くじを引く。
声高に言い立てることのない人間は誰よりも傷つきやすい人々である。
誰かのせいにするよりは言葉をグッと呑み込んでしまう人々である。

その端的な例は、亜紀(松岡茉優)のバイト先・JK(女子高生)見学店の常連客である「4番さん」(池松壮亮)だ。
呑み込んだものの苦しさゆえに彼が発しようとする言葉たちは、プツプツと気泡になるばかりなのだ。

◆忘れ難いシーンがいくつもある。
細い縁側から6人が花火の音のする方を見上げる場面。
(実父母のもとで「じゅり」として生活する日々に戻った少女がベランダの隙間から外を見ようとする場面と重なる)

「家族」旅行として海に出かけ、寄せる波にジャンプするシーン。
その5人の「家族」に何か言葉をかけながら、自分の脚に初江(樹木希林)が砂をかけるシーン。

脚にさらさらと砂をかける初江の姿は、無論、結末への伏線となっているわけである。
撮影予定の全体が見通せていようが、そうでなかろうが、息を吸い、吐くことを最期まで繰り返すのが人間であること、と語っているような一人の老女の姿が目に焼き付けられた。
*本作のプログラムによれば、撮影はこの終盤にある海辺のシーンを最初に撮り、他は暮れから撮影、年を越してその先を撮るという日程だったそうである(樹木希林のインタビュー)。

◆プログラムには内田樹「万引きされた家族」中条省平「家族は自明ではない」というコラムが載っていて、オトクである。
(欲を言えば、文字組みが、ふところの窮屈な小さめのゴシックで読みづらかった。
他の書体で大きめのフォントで組んでくれた方が老眼の進んだ当方にはとても有り難い。)

◆内田樹のコラムは、映画に登場する小道具で、なぜそれでなければならないか分からないながら、妙に印象に残るもの、明示的なメッセージは含まれていないようでいてリアリティをはっきしているものの存在に触れている。
「万引き家族」では、家の中はさまざまなモノたちで埋め尽くされている。
よって、家の外にある小道具たちが幾重もの意味を担い、それでなければならない必然性を具備していることになる。
たとえば祥太があえてガードマンに捕まるためにとっさに手にした玉ネギである。
本気で逃げるためなら重い袋を手にするはずがない。塀から飛び降りてネットが破れ、転がって行く玉ネギを写して、落ちた祥太の姿は写さない。散乱した玉ネギは「万引き家族」の崩壊を象徴する。同時に祥太とゆりが押し入れの中で見つめたビー玉や、6人が音だけを楽しんだ打ち上げ花火に重なり合うものだろう。

◆実は先日観た「ザ・空気ver.2」でも玉ネギが登場する。
安田成美演ずる井原まひるのカバンの中に、仕事とは全く関係ない玉ネギが入っていて、TV局解説委員の秋月が顔をしかめるシーンである。
家庭持ちの井原と、生活臭とは無縁の秋月とを対照させる効果がある。
無論、剝いても剝いても同じような姿で、最後は何も残らないが、日持ちする万能食材であるところの玉ネギをシンボリックに用いているわけである。

万引き家族プログラム.jpg
「万引き家族」プログラム表紙
永井愛「ザ・空気ver.2」を観る[2018年07月14日(Sat)]

二兎社「ザ・空気 ver.2 ―― 誰も書いてはならぬ」を観た。
永井愛の作・演出による新作である(東京公演は7月16日まで、東京芸術劇場シアターイースト。その後9月2日の滋賀県まで各地を巡る)。

ザ・空気2−A.jpg

◆前作「ザ・空気」はテレビ局が舞台で、2017年の冬という時間設定。
今回は国会記者会館の屋上が舞台。人目をくぐって上がってきたネットテレビ局の井原まひる安田成美)が国会前集会に集まる人々を撮るためにスタンバイしている……。
そこに大手新聞社の政治部記者及川眞島秀和)や大手TV局解説委員の秋月馬渕英里何)らが現れて、官邸記者室のコピー機から発見されたペーパー(首相会見用に記者が書いたとおぼしきQ&A集)をめぐって騒動が沸き起こる。

メディアと政治の癒着の温床ともなりうる記者クラブという日本独特のしくみにフォーカスした作品である。

◆2018年現在の官邸とメディアが描かれていく。「あの方」(=首相)に近い人間たちの慌て方や何とか乗り切ろうとする彼らの姿には腹を抱えて笑ってしまう。
が、一寸考えれば、実際の政治やメディアの動きこそが今や喜劇として進行中なのだったということを改めて思い知らされる。
抱腹絶倒の笑いは明日のエネルギーのもと、と思いつつも、そうした政治を出来させ、ニュースを信じて疑わないでいるのが我々であってみれば、私たちは自分のことを笑っていることになるのかも知れない、と思ってフリーズしてしまう(「注文の多い料理店」の都会の紳士たちのように)。

◆モヤモヤ立ちこめる空気と格闘するようにタオルを振り回す井原安田成美)の闘いは、最後に自らに言い聞かせるように言う「メディアをうらむな、メディアをつくれ」に収斂されていく。
これはイタリアの「自由ラジオ」運動の言葉だ、と劇中で説明されるが、ネット放送局である「OurPlanet-TV」を立ち上げた白石草氏が『メディアをつくる -「小さな声」を伝えるために』(岩波ブックレット、2011年11月)で紹介している言葉だそうだ。
ネット時代の市民は情報の受け手であるだけでなく、自ら発信する主体でもあること、嘆いているヒマがあったら可能性に賭けて先ず行動をと、我々の背中を押してくれる。

◆最初に右手奥の宵闇に浮かび上がっていた国会議事堂は、終わりの場面で再び登場するのだが、そこに面白い仕掛けが施してある。単なる書割でなかったことを目の当たりにして観客はさまざまな象徴的意味を感じることになる。美術は前の「ザ・空気」と同じく大田創

*******

*昨年の「ザ・空気」については[2017年2月11日]の記事を
https://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/422



やさしさを織り込む[2018年07月13日(Fri)]

DSCN7576ジャルダン・ドゥ・フランス-A.jpg
ジャルダン・ドゥ・フランスという名の薔薇。横浜市営地下鉄の駅通路で。

*******

 一枚のはなびら  山下 俊子

「ヘルパーさん
 要介護二から要介護一になったの
 ケアマネジャーに再調査してもらってもだめなの」
なぜだろう
歩くのがやっとなのに
手足の痛みで着替えに時間がかかる
強い痛みは風呂で温めると楽になる
両手で杖をついていつもの銭湯へ行く
倒れそうになるのでヘルパーに付いてほしい
ケアマネジャーはデイサービスの風呂へいきなさいと言う
食事は配食サービスの利用をすすめる
好きでも嫌いで慣らされていく

あなたの楽しみは
車椅子で病院へ出かけるとき
春には公園の桜の花びらが降りかかり
秋にはハナミズキの紅葉の並木道
冬にはこころの芯まで凍えさせ
夏には暑さを額でうけとめ

ヘルパーさん
介護保険は人に幸せを届けるものじゃないの
介護保険にはやさしさが織り込まれていないの
介護保険は自立を煽り立てるだけの道具なの


山下俊子詩集『黄色い傘の中で ホームヘルパーの日々』 (竹林館、2009年)より


捨てられないものたち[2018年07月12日(Thu)]

DSCN7527チャールストン.JPG
チャールストンという名の薔薇。

◆昨日に引き続き山下俊子詩集『黄色い傘の中で ホームヘルパーの日々』から――

家 訓    山下 俊子

だめだめ捨ててはだめ
山盛りになったちり紙
まだまだ使えるの
台所の生ごみは捨てないで
植木におくから
(すす)げば破れそうな雑巾も使えると
でも
鍋の腐った煮物はだまって捨てた

捨てられない過去を背負って
歩いてきた九十年
捨てられないものたち
ほの暗い鴨居のうえから
夫の
祖父の 祖母の
曾祖父の 曾祖母の
顔がみつめている

命をもった古いものたちに囲まれ
座っているあなた
庭で
開きかけた赤いばらに
跳ねる光がまぶしい

    
◆時どき、ゴミ屋敷がTVで話題になる。近隣住民のヒンシュクの対象としてである。
「迷惑」を被った側からの取材はあっても、当人の側に立った取り上げ方をすることは稀である。

ヘルパーさんとしてそこに住む人間の傍らで堆積する時間の中に身を置かない限り、庭に咲きかけたバラに目が留まることはない。まして主の中に根を張り枝葉を茂らせ朽ち果てた後に遺すものに思いを遣ることなどない。





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