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子どもたちに恥ずかしくない政治と社会を[2018年06月10日(Sun)]

雨の国会前、幾そたび


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◆時々強く降る雨もものかは、国会正門前にはアベ政権退陣を求める2万7000人もの人々が集まった。

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◆スピーチ前半は野党の人々。
福山哲郎衆院議員(立憲民主)は「もうええかげんにせえよ、たいがいにせにゃあかんで。子どもでもこんなことしたらあかんと分かるで。」と地元のことばで文書改竄・虚偽答弁が続く、これ以下はないというほどひどい政治状況を批判。
続く小池晃参院議員も誰も責任を取ろうとしないアベ政権を徹底批判した。

◆沖縄から山城博治さんは「我々は戦争の時代は望まない。原発の脅威、差別、戦争のない時代をつくって行きたい」と訴え、鎌田慧さんは日の丸・君が代、国定教科書に向かう教育に象徴される民主主義破壊に抗して、80,90になっても闘うと「老人」の誓いを宣言した。
佐藤学さん(安保関連法に反対する学者の会)は「今やアジアの平和の脅威は、戦争する国に邁進する安倍首相そのものではないでしょうか。」と、2日後に迫った米朝会談の帰趨に注目。
海渡雄一弁護士は、アベ政権が成立を強行した特定秘密保護法と共謀罪について、未だ一つとして実際に立件されたものが無いことは、これに反対する国民の声の力が大きいとしながらも、これらの悪法こそ戦争を支える法律であり、その廃止を引き続き求めることが必要、と呼びかけた。

*******

◆被団協の事務局次長である児玉三智子さんのスピーチも感銘を与えるものだった。
国民学校二年生だった7歳で被爆。父に背負われて帰宅する道々目撃した地獄図は今も鮮明だ。
抜粋で書き起こしておく。

原爆は人として死ぬ事も人間らしく生きる事も許さなかった。
……自分だけが生き延びてしまったという罪悪感、脳裏に焼き付いたままのあの日の地獄の光景、音、声、においを抱きながらその後の生活苦、世間の偏見・差別と闘わなければなりませんでした。
被爆者の苦しみは深く、今も続くものです。73年が経った今でもあの日が消えることはありません。
わたくしも、両親、娘、弟二人を次々と亡くしました。
悔しさと悲しさでいっぱいです。

……私たち被爆者は私たちが味わった地獄の苦しみを世界の誰にも再び味わわせてはならないと、再び被爆者をつくるな!核戦争を起こすな、核兵器無くせ!と国の内外に原爆被害の実相を語り続けてきました。……2017年7月国連会議に於いて核兵器禁止条約の採択として結んだのです。核兵器廃絶への扉がやっと開き、うれしく喜び合いました。
ですが、唯一の被曝国の日本政府が賛成しないことは被爆者として怒りを覚えます。

……核兵器廃絶までの道のりは未だ未だ困難なことがありますが、被爆者は訴えます。
ここに参集されたすべての皆様、青い地球を守るのか、破滅の道を選ぶのか、私たちはいま、岐路に居ます。核兵器の廃絶なしに世界の人類の命と安全を守ることはできません。
被爆者国際署名を広げに広げ核兵器のない世界を実現しましょう。
あの日瞬時に命を奪われた被爆者は憲法9条になった、と私は思っております。

惨禍を繰り返してはなりません。
世界に誇れる憲法9条を輝かせ、命と平和を守りましょう。
皆さん、ともに力を尽くしましょう。


★Youtubeに集会の全体がアップされている。
上の文字起こしもそれに基づいた。投稿者に御礼申し上げたい。
https://www.youtube.com/watch?v=b3hIR2FGR2k


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明日6月10日は国会前へ[2018年06月09日(Sat)]
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◆境川沿いを彩るアジサイの花列の中に、一風変わった一株があった。
カシワバアジサイという。
その名の通り、葉に切れ込みがあって柏の葉に似る。
葉の色がシソのように紫がかっているのは日光を受けて葉焼けしたもの。
花はまっ白で不思議な房状をなして風に揺れていた。

*******

6.10告知チラシ-768x1087.png

9条改憲NO!政治の腐敗と人権侵害を許さない!

明日6月10日は国会前へ

2018年6月10日(日)
14:00〜15:30


国会議事堂正門前

主 催:6.10国会前大行動実行委員会
事務局:戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会

★詳細は
http://sogakari.com/?p=3528


「父と暮せば」(3)えんぺつ[2018年06月08日(Fri)]

父と暮せば.jpg


鉛筆(えんぺつ)

井上ひさし「父と暮せば」第2場は夏休みおはなし会で子どもたちのために語る話の原稿を書いている美津江(伊勢佳世)の姿から始まる。

戯曲のト書きには「電球の下、文机(ふづくえ)の上で、白ブラウスにモンペの美津江が鉛筆でなにか書いている」とある。

手にした鉛筆を懐かしげに見る美津江のまなざしが印象に残った。
その鉛筆は美津江にとって特別な意味を持つものであることが第4場で明らかになるのだが、その予感を観客の胸にフッと小さく波立たせて物語の先へといざなう表情。

役者さんはセリフがあるところだけで演じているのでないというのは当たり前の話ではあるけれど、それを自然になしうるかどうかは役者によるだろう。
前に2回観た「父と暮せば」では気づかなかったワン・ショットである。

◆この鉛筆のいわれは、芝居の終局となる第4場で、明らかになる。

美津江 そいは大事な鉛筆(えんぺつ)じゃけえ、うちに戻してや。昭子さんとのお揃いなんじゃ。ピカのときにモンペの隠しに入れとったけえ、生き延びた鉛筆なんじゃ。

だが、竹造はその鉛筆を美津江の手からもぎ取り、折ってしまう。

その時、美津江が「申し訳なー(申し訳ない)」という思いで硬く鎧ってきた心の薄皮が切り開かれる。
その苦痛の極点のシーンとつながってゆくのである。

セリフのないところでの役者の仕草、視線や表情が、幾層もの「申し訳なー」を抱えた娘の再生の物語を大きな弧として描いてゆく、一つ一つの点描であることを知る。

◆第2場にあった竹造の次のセリフを思い出す。

竹造 おまいがしよるんはおはなしじゃけえ、言うそばから風がおまいのことばを四方八方へ散らばしてくれる。よい子たちのこころの中を通り抜けたおまいのことばは風に乗って空へのぼり虹になる。証拠はのこらん。比治山を吹き抜ける広島の風がおまいの味方なんじゃ。

占領軍の検閲を気にかける美津江を励ますセリフだ。

◆芝居もまた後に残らない。しかしこころを通り抜けたことばや表情は風にのって大きな虹を架けわたす。
役者の「えんぺつ」が描いてくれたこの虹は、いつまでも消えないばかりか四方八方に広がってゆく。

父と暮せばチラシ裏.jpg


本郷新「奏でる乙女」像/「父と暮せば」(2) [2018年06月07日(Thu)]

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◆俳優座を出てすぐの六本木交差点に本郷新の彫刻があった。
「奏でる乙女」と題するブロンズ像。
初代はコンクリート像として1954年に戦後復興と平和のシンボルとして建立されたが、損傷甚だしく、作者に再制作を依頼して1975年に完成したものだという。
雨の日にふさわしいメロディは何だろう。
昼にはどんな歌を口ずさんでいるのだろう。

【参照:本郷新記念 札幌彫刻美術館の「奏でる乙女」解説】
http://www.hongoshin-smos.jp/sculpture/kanaderu.html

◆本郷新(1905-80)は「わだつみの像」や「氷雪の門」で知られる。
最初に出会ったのは函館の石川啄木像だろう。小学校の修学旅行でこれを観たように思うが、観光絵はがきの画像とごちゃまぜになっているかも知れない。
ずっとのちに亡父母を案内して再訪したはずだが、その記憶も茫洋としている。

◆当ブログでは以前、二子玉川の「鳥の碑」や池袋の「母子像」を紹介した。
http://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/366

http://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/102

◆世田谷美術館には戦没学生記念像「わだつみのこえ」(1950年)があった。
昨年6月に撮影したものを掲げておく。
DSCN2146本郷新わだつみのこえ(世田谷美術館)-A.jpg

戦没した学生たちの遺稿集『わだつみのこえ』巻頭の次の詩句がモチーフになっているのはよく知られているが、遺稿集やこの像をめぐるあれこれの「事件」には、日本人の戦争体験への向き合い方を考えさせられる。

なげけるか いかれるか
はたもだせるか
きけ はてしなきわだつみのこえ


ひとくくりにできようはずはなく、さりとて個々を見舞った運命として記憶の底に追いやるわけにいかない体験について、美化や忘却によってゆがめ、なかったことにしてはならないこと、言うまでもない。「きけ はてしなきわだつみのこえ」という烈しさに居ずまいを正す者は、必ずや次に自分がなすべきことを模索し始めるだろう。

◆一方で聴く耳をもたない人が老若問わず存在することも事実だろうけれど、作家はそこにこそ届く表現を求めて止むことがない。

そんな作者の言葉を「父と暮せば」第2場から。
美津江が木下から預かった菓子箱の中から原爆瓦などを取り出す場面。

美津江 被爆者の身体(からだ)から出たガラスのかけら。
竹 造 ……むごいことよの。
美津江 原爆瓦。
竹 造 ……とげとげしいことよの。
美津江 熱で曲がってもうた水薬の瓶。
竹 造 ……おとろしいことよの。

竹造(山崎一)は美津江(伊勢佳世)が説明するモノの一つひとつに、それらに覚えた気持ちをことばにして沿わせていく。
これらのセリフのうち前の二つについて山崎は、「むごい ことよの。」「とげとげしい ことよの。」と形容詞のあとに一呼吸を入れた。
その一呼吸によって〈ほんに=ほんとうに〉という気持ちが重みを伴って加わる。
呑み込みがたい事態をヒリつくようないたましさを練り込みながらのどに押し込んでゆくような感じも伝わってくる。
聴く者は座席に居たままながら、身を乗り出して竹造のすぐ横に寄り添おうとすることになるのである。
これらを一息に言ってしまえば「むごさ」は抽象的な観念になってしまう。他人事になってしまうのである。
ことばに魂が入るとはこういうことなのかと感じ入った。


「父と暮せば」が始まった[2018年06月06日(Wed)]

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安田侃(やすだかん。1945〜)「妙夢」(2006年)

◆六本木のミッドタウンで。
安田侃の作品にはどこかで出会っているが、いま思い出せない。
閉館した鎌倉の近代美術館であったか。

◆関東は梅雨入り。
作品が雨に濡れていく変化が面白かった。
しかし立ち止まって見入る人はほとんどいない。

◆六本木交差点知覚の俳優座で始まった《こまつ座第122回公演》「父と暮せば」を観ての帰り。

*******

井上ひさしの傑作「父と暮せば」は、今回山崎一が父の竹造、伊勢佳世が娘の美津江、という新キャストで始まったばかり(演出・鵜山仁)。
客席はこれまでより若い世代が増えたように思える。

終盤、そっと鼻水をすすりあげるのがあちこちから聞こえる。

こういう芝居の後はしばらく明るい外には出られない。
しばし感想を書くなどしてからようやくロビーに下りる。

出口のスタッフに「ありがとう」の声をかけながら出るお客さんが何人もいた。

「父と暮せば」の中でもいちばん大事なせりふ「ありがとありました」を、観客も心の中で何度も何度も響かせているのである。

初演から25年、四半世紀の時間によって磨き上げられた作品だが、芝居の設定は昭和23(1948)年の夏。そこから数えて70年経た「いま」と、1945年8月6日その日に始まる3年間と。二つの時間を、演じる者も観る者も生きることになる。

*6月17日まで俳優座劇場。その後6月21日川西町、7月14日仙台で。



水は赤ん坊を 土は老人を[2018年06月05日(Tue)]

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◆水路に水が引き込まれ、田植えが始まった。
俣野橋際からの眺望、昨年までと違うのは左手の明治学院大グランドに夜間照明ができたこと。
点いている時が思ったより多い。
微妙に生き物たちに影響もあるのではと気になる。

◆ここから1キロ余り溯ったあたりの天王森泉公園では昨日から蛍の鑑賞会が始まった(6月7日まで)。
気温が上がるのに合わせて立ち昇る草いきれが夜も続くようなら、たくさんの蛍を期待できるのだが、今日は、日中こそ30度近くになったものの、夜に入ってスーッと涼しくなった。
それでも1匹だけ飛んでいるのが見られた。

*******

波   石垣りん

海の波はよせてくる
山なみは遠ざかる。

いのちも
たえず波打っている。

地球は波立つ青い星
生きている星。

――水は赤ん坊を置いて行った。
――土は老人を連れ去った。

たぶんその方向に
時は流れ。

 *石垣りん『レモンとねずみ』(童話屋、2008年)
 石垣りん(1920-2004)の没後に、未刊詩を集めて出された文庫版詩集。
 谷川俊太郎と茨木のり子の弔辞を併収している。

てのひらあて[2018年06月04日(Mon)]

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横浜美術館の彫像群から。
館の右ウィング、子どもたち向けのワークショップなどが行われるスペースの入口に置かれてある。
下も同じ。

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*******

なおしやさん   木島 始

めをほそめ
あごをしゃくりあげて
はなすなおしやさんに
びょうきのわたしはこういわれた

  ねまきのうえから
  きぶんのわるいところに
  てのひらをあてて
  こうとなえてもらうんです

  なおれ なおれ ななえ やえ
  なんぎ なんぶつ なおりましょう
  なおれ なおれ ななころび やおき

  すると ぬののうえから
  ひとのぬくもりつたわって
  ぐあいがきっとよくなりますよ

わたしはにがわらいをしてこういった

  そんなことをしてくれるひとが
  いるかしら?

なおしやさんはてをさしだした

  そんなことくらい
  してもらえないようじゃ
  びょうきにいつまでも
  つきまとわれます

わたしはためしにやってもらった
ながいあいだとなえてもらっていると
つらいみぞおちのつっかえがとれだした
ものはためし
なおれなおれのぬくもりつたわる
このてのひらあてをやってみないか

木島始『もぐらのうた』(1971年)より  
(『[新]木島始詩集』に拠った。土曜美術出版社、2000年)

*******

◆財務省の公文書改竄報告書が出た。
そうだろうとは思ったが、検察不起訴公表後のタイミングで、一応調査しましたと申し開きするためだけの報告だった。

省庁の中枢もまた国民をナメる重篤なビョーキだ。


防衛省の情報隠蔽が深刻だ[2018年06月04日(Mon)]

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水もしたたるアオサギ。
暑さにたまらず水浴びをしていた。

*******

防衛省の情報隠しが続々と明らかになっている。
しんぶん「赤旗」日曜版(2018年6月3日号)が2件報じた。

1 沖縄県辺野古の軟弱地盤報告書を隠蔽
米軍新基地建設に関する「シュワブ(H25)地質調査(その2)報告書」。
2017年に赤峰政賢衆院議員が報告書の提出を求めたが、1年以上明らかにせず。
今年3月にようやく公表された報告書には工事予定地の海底に地盤強度を示すN値が「0」の地点が5つあったという。これは「マヨネーズ」といわれるほど軟弱な地盤であることを示すもの。
基地建設に不都合なデータを隠蔽したと思われる。

2 イラク派兵で米軍が自衛隊車列に威嚇射撃(2004年5月)
イラクに派遣された自衛隊の第2次隊が2004年5月初めに民間警備会社とともに車列を組んでサマワに物資を搬送中、米軍が先頭の警備会社車両を重機関銃で威嚇射撃をして来た。
急遽自衛隊車両が割り込んで「仲間だ。撃つな」と知らせて攻撃を止めたのだという。
元隊員の証言によれば、現地では「『米軍は危ない。近づくな』といわれていた。理由は二つ。まず米軍自体がやみくもに撃つ。他の多国籍軍も誤写された」「ゲリラ戦では米軍は住民と『敵』を区別できない。「撃たないと撃たれる」と恐怖にかられている。…そんな米軍と行動をともにすればこちらも狙われる」

この2次隊の警備中隊長であった陸自3佐は帰国後、自殺している。イラクでの体験が背景にあった可能性は否定できない、と記事は指摘している。

◆イラク日報は2017年2月に当時の稲田防衛相が「残っていない」と答弁していたが、今年の4月にようやくその存在を認めるに至って、一部が公表された。
とはいえ、米軍による威嚇射撃があった第2次隊(2004年5月〜8月)や続く第3次隊(2004年8〜12月)、第4次隊(2004年12月〜2005年2月)についてはそれぞれわずか1日分しか公表されていない。無論、米軍の射撃事件は全く記載がない。
非公表部分に不都合な記録があったであろうと疑わざるを得ない。

◆不都合な事実を隠蔽したまま派兵の実績を稼ぐために隊員の命を危険にさらす。
その姿勢を全く改めようとしないまま、戦争法制下、戦闘地域での兵站や銃撃戦覚悟の駆けつけ警護という危険任務をできることにしたわけである。

*やたら撃ちまくる米兵というと「ネイビー・シールズ」シリーズなどのアメリカ映画を連想する。訓練シーン・実戦シーンを問わず蜂の巣状になってもなお撃ち続け、惜しげもなく薬莢がはじけてゆくシーンに肝をツブす。

2013年の暮れに南スーダンPKOの自衛隊が韓国軍に銃弾1万発を提供したという「事件」があった(政府は武器輸出三原則をあっさり外してみせたわけだ)。
結構な弾数だと思ったが、映画の通りならあっと言う間に射ち尽くしてしまうのかも知れない。
道に落ちているクギや木ネジ、果てはクリップまで、つい拾ってしまう資源小国のオジさんはただただ驚いてしまうのだが、「恐怖ゆえに撃ちまくる」というのは説得力ある表現だと思える。
タフで頼りになる米軍というイメージを取り払い、恐怖に取り憑かれて銃を手放せない人々という実相を教えてくれるからである。
「核抑止力」信仰も臆病さと恐怖心がその正体だということになる。




大人は なにもかも 忘れていくんだもの[2018年06月02日(Sat)]

DSCN7187青少年センター杉山寧デザイン1962-A.jpg
杉山寧(やすし)デザインによる神奈川県立青少年センター・ホールの旧緞帳(1962年製作)。
昨日の佐藤忠良「冬のこども」と同じく、同センターのロビーに展示中。
旧の緞帳を、最新・細心の技術で復元したそうだ。

*日本画家・杉山寧(1909-1993)は長く月刊誌「文藝春秋」の表紙を描いたことでも知られる。
三島由紀夫の岳父でもある(川端康成が媒酌人をつとめた)。

*******

こんなくりかえしは   木島始

戦争のときは
司令部いがいに
知るものがなくて
どこまでも どこまでも
歩いたもんさ
――と、大人が 言った

ぼくらも
行先おしえられずに
歩かされることあるよ
――と、子供が 言った

戦場では
いつも的(まと)は真暗闇(まっくらやみ)のなか
助かりたい一心で
めくらめっぽう
射ちまくったもんさ
――と、大人が 言った

ぼくらも
暗いなかで
ぶったおれることあるよ
――と、子供が 言った

魂というのは
あのとき
殺されたひとが
今でも生きているものにしがみついて
はなそうとしない姿のことなんだね
――と、大人が 言った

ぼく そんな
魂 みたことないなあ
だって 大人は
なにもかも 忘れていくんだもの
――と、子供が 言った

殺したことを
忘れられるひとは いないよ
知らずしらずに殺せるから
それで戦争が起こせるんさ
――と、大人が 言った

じぶんがやったんじゃない と
わかるようにしてあれば
大人って 殺したいとき
いつでも殺すの?
――と、子供が 言った

むかしから
よけい殺したほうが
勝つことになってるだろ
それで勝ったほうが
正しいことになってるだろ
――と、大人が 言った

――子供は 黙ったままだった



*『ふしぎなともだち』(1975年)所収。
『[新]木島始詩集』(日本現代詩文庫。土曜美術社出版販売、2000年)より

◆森友・加計学園疑惑、イラク、南スーダン日報、いったん米朝会談中止を表明したトランプ大統領に全面支持を内外に表明して世界を驚かせた日本政府、その後の米朝復旧路線にあわてて取り繕うしかない失態を演じて世界の失笑を買い、理解不能の国として外交上は完全孤立。
醜態を忘れてもらうために羽生結弦選手に国民栄誉賞、空席のままだった財務次官、国税庁長官をこのどさくさに任命して幕引きを図っている。TVは今日まで日大アメフト問題を微に入り細をうがち……。

だが、政も官もズタボロに朽ち果てた緞帳を復元する意志をとうに放棄しているから、醜悪な惨状は丸見えのままだ。
あられもない姿に国民は恥じ入るばかりだが、うつむいていても始まらない。
「行先おしえられずに/歩かされる」のは御免だ。切実に願う子供たちをこそ、救わなければならない。


ひとり ひとり つきとめよう[2018年06月01日(Fri)]

DSCN7184佐藤忠良冬のこども-A.jpg
佐藤忠良「冬のこども」(1965年)
横浜市西区紅葉坂上の神奈川県立青少年センタ―にいる。

*******

初心のうた  木島 始

どこを とおろうと
ほしを みあげ
ひとり ひとり つきとめよう
まちや くにの しくみを
ころしや つくり かりたてる
くにと ひとの しくみを

どこを とおろうと
ほしを みあげ
ひとつ ひとつ まきなおそう
まちや むらで はぐるまを
かくれた かぎを さがしあて
ゆめを うごかす はぐるまを

どこを とおろうと
ほしを みあげ
ひとり ひとり つきとめよう
わたしたちの みらいを
アジアの かがみに うつる
わたしたちの みらいを

 
『ふしぎなともだち』(理論社、1975年)所収
『[新]木島始詩集』(土曜美術社出版販売、2000年)に拠った。

 
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