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フランクルに学ぶ[2018年06月21日(Thu)]

川崎市内の在日コリアンへの攻撃

◆川崎市内の公園のベンチなどで、在日コリアンを差別する落書きが大量に見つかっている。
ヘイトスピーチを続ける団体への市の対応の不充分さ(ヘイト団体主催の講演会に市が施設使用を許可したこと。6月上旬の講演会は抗議する市民の声によって中止された)がヘイトクライムを根絶できない事態を招いている。

在日の人々に対して「ウジ虫、ゴキブリ、日本から出て行け」などのヘイトスピーチが跡を絶たない。2016年に成立したヘイトスピーチ対策法を実効あるものに育てる行政の毅然とした対応が必要だ。


『夜と霧』のフランクル

河原理子「フランクル『夜と霧』への旅」に次のようなことばがあった。

ある集団――とりわけ、出生地や国籍など運命的なもので区分けされる集団――に「悪魔」のラベルをはって「一括判定」するのは、ナチスドイツの発想と同じなのだ。
 (朝日文庫版、p.211)

ユダヤ人を一括して敵視したことと、ホロコーストを行った「ドイツ人全体」を一括して非難することとは同じ発想だというのだ。

◆強制収容所から生還したヴィクトール・フランクルは戦後いちはやく集団的罪科を否定したことから、ナチスの罪を擁護するのか、とユダヤ人から批判もされたという。
しかし彼の次のようなことばに耳を傾け、我々自身が偏見や思考停止を克服しない限り悲劇は繰り返される。

《ナチズムは人種的狂気をひろめました。けれども、本当に存在するのは二つの「人種」だけです――品格ある人たちと、そうでない人たちと。この「人種」の分け目は国際社会にも、また国内の政党の間にもあります。強制収容所のなかでも、ときにはちゃんとした親衛隊員に出会うことがありましたし、またならず者の囚人もいたのです。ちゃんとした人たちが当時少数だったこと、またいつもそうだったこと、これからも少数派にとどまることを、私たちは受けいれるしかありません。事態が危険になるのは、政治体制が国民のなかからならず者を選んで上に行かせてしまうときです。

「だからあえて言う。どこの国だって、別のホロコーストを引き起こす可能性があるのです!」

 (同書、p.222)

◆「政治体制が国民のなかからならず者を選んで上に行かせてしまうとき」とは2018年、現在のこの国のことだ。
その暴走と転落を止めるために、《品格ある人と、そうでない人たち》との間に、「品格ナシと自覚するゆえにそれを得たいと努める人」を加えて置きたい。圧倒的多数はそこに生きておりそれが鍵を握っていると思うから。

河原理子フランクル『夜と霧』への旅.jpg
河原理子「フランクル『夜と霧』への旅」(朝日文庫、2017年。単行本は2012年)



『ゲッベルスと私』[2018年06月19日(Tue)]

「財務大臣の手口に学びました」……「あ、そう。」

◆加計孝太郎理事長が19日、初めて記者会見に臨んだという。

【毎日新聞】加計学園 理事長が会見、謝罪 監督責任で給与を自主返納
https://mainichi.jp/articles/20180619/k00/00e/040/245000c

◆さる芝居まで学ばなくても良いのに、と思う。
そもそも、「返納」と行ったところで、実際は自分の札入れから自分のがま口に移動するだけの話じゃないか。
税金を投入することになっている愛媛県民や今治市民の血税をあてにしての開学ではなかったか。

◆夜のニュースで確かめようと思ったら、NHKはサッカーの試合に占領されていた。
内閣支持率などニラミながら、かねて予定のサッカー中継のある日に会見をぶつける。
官邸の宣伝大臣と「公共放送」のアシストに唖然とする。

*******

なにも知らなかった 私に罪はない。

◆岩波ホールで『ゲッベルスと私』が上映中だ。
ナチス宣伝大臣ゲッベルスの秘書であったブルンヒルデ・ポムゼル103歳の独白。

DSCN7428-B.jpg

モノクロの画面に深いしわを刻んだポムゼルの顔が大写しになる。
語り口は明晰だ。

彼女の語りの間にゲッベルスの有名な「総力戦演説」が流れる。1943年2月18日、ベルリン・スポーツ宮殿での大演説「勇気を持って、危険な人生を送れ!」という呼びかけと民衆の熱狂を伝える実況放送は、同じ日にミュンヘンで兄とともに反ナチ抵抗のビラを撒いたゾフィー・ショルの映画『白バラの祈り』でも流されていた。

【参考記事】映画「白バラの祈り」から[2018年2月18日]
http://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/774

◆ポムゼルはショル兄妹の書類を預けられたことがあった。
しかし、見てはならないという上司の指示に従ったという。
しかし、兄妹を助けられたかも知れない、などという後悔の言葉は彼女の口からは出ない。
それどころか、戦争反対のビラなんかまくから死刑になるのだ、と言い切ったという。
(プログラム収載の多和田葉子の文章による)。

◆ナチスが行ったことには様々な証言も映像もある。
それらによって我々には一定のイメージが作られ、ある程度分かった気になっている。
だが、ポムゼルの証言の間に映し出される映像、とりわけホロコーストの記録から慎重に選ばれた映像は、そうした慢心をあっさり打ち砕く。

記録映像はアメリカのホロコースト記念博物館、スティーブン・スピルバーグフィルム&ビデオ・アーカイブ、アメリカ国立公文書記録管理局などのアーカイブである。

◆記憶し、歴史を検証する努力は日本でもオキナワ・ヒロシマ・ナガサキについては営々となされて来た。
しかし、かつての植民地で行ったことを堀り起こして記録し伝えることについては、個人や研究者の営為を除いて公的には区々渺々たるものであった。

加害の歴史に向き合わない者は、いつでも蛮勇に身を任せて号令を発し、拝命した走狗は喜々として忠誠を尽くす。


益体無し[2018年06月18日(Mon)]

DSCN6533-A.jpg
藤沢市役所の陶板レリーフ([旧=これまでの]新館入口にある )

*******

大阪震災

◆夜になって4人目の犠牲者の報を聞く。大阪府北部、高槻市を震源とする大きな地震があった。

最初に報じられた犠牲者はプールのブロック塀倒壊による小学生だった。
朝早く、あいさつ運動のクラス代表として早目に登校したのだという。

危険箇所の点検は後回しにして、子どもたちの取り組みを地域に示しひいては市教委・府教委にも胸を張りたいという発想が大人たちの中にあったのではないか?

◆被害報告が増えることが予測された中で、国会は参院決算委員会の審議が益体もなく続けられ、震災に係る政府の対策会議が開かれたのは発生後半日も経過し、夜に入ろうという時間だった。
無神経さに言葉がない。
数々の疑惑の坩堝(るつぼ)にかぶせたフタから悪臭フンプンたるシッポをはみ出させたまま、国会を閉じることしか頭にないためだ。

◆TV各局は地震被害を報じ続けたものの、震源が内陸であることが判明してからも画面には「津波の心配なし」の文字が大きく表示されたままだった。
被害は大したことがない、という印象を拡散した要素の一つかも知れない。
マニュアルや惰性で報じていて、臨機に判断するアタマを欠いているとしか思えない。

◆4人目の犠牲者発見は夜になってからだ。発見が遅れたのだとしたら、無念である。

もう一つ、この間、地元大阪府からのどのような情報発信が府・市民に対して国民全体に対して行われたのか、寡聞にして知らない。

嚠喨(りゅうりょう)と鳴りひびき[2018年06月17日(Sun)]

DSCN7401.JPG
ズッキーニ。
初めて見た。
花の色や大きさはカボチャに似る(実際カボチャの仲間だそうな)が、蔓にはならず、切れ込みのある魁偉な葉に守られるようにして花が根もとから咲き、そのまま実となるようだ。
大地から生命の楽音が噴出する、といった風情。

*******

「地上礼讃」より ポオル・フォル (堀口大學・訳) 

地をわれは見る、地をわれは聞く、
地はわが眼下にあり、地はわが耳中に生く。
嚠喨(りゅうりょう)と鳴りひびき、いや更に地は美(うるわ)し!


*嚠喨…笛やラッパなどが冴え返るように鳴りひびくさま

★ポオル・フォル(ポール・フォール Paul Fort 1872-1960)の長詩の第3連前半より。
堀口大學の訳詩集『月下の一群』(1925年)より。講談社文芸文庫に拠り、現代仮名遣いに改めた。


ひとびとは/氾濫のように/石をにぎつて[2018年06月16日(Sat)]

DSCN7396.JPG
カボチャ

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最初の無名戦士    黒田 喜夫

頭のうえを 眼のうえを 口のうえを
愛と叫んだ歯のうえを

知るかぎりの地平線からつづいている靴跡とおなじ脚が

ひとつの悔恨と憤激を 夜明けの小鳥のようにのびあがった手と足を

朝鮮で 安南で 馬来で流れた血とおなじ血でそめたとき

たえず戦争を病んできた列島に
夜から昼になまなましく渡された橋が生れる

おお海のように たたかいの音がきえる
くだかれた額から

ひとにぎりの米とひきかえた額のあざの
服従の班痕をはいで ひざを折つて

ふるい宮殿の この国のくらい歴史をつくってきた窓のまえに

ひとりの若ものがたおれたとき
ひとびとは氾濫のように そのうえを渡る

氾濫のように
石をにぎつて

装甲車のまえを
青ざめた銃列のまえを

花のようにつながつた言葉を
平和 平和 平和とさけんで

木霊のようにつづくもうひとつの言葉を
あれは すぐそこにあると呼びかわして

日本の冬宮は そこにあると
碑のようにゆびさす最初の屍をふんで。


*安南…かつてのベトナム
*馬来…かつてのマレー半島と周辺の島々

『詩爐』第一号(1952年10月)初出。
テキストは『黒田喜夫詩文撰 燃えるキリン』(共和国、2016年)に拠った。

◆「氾濫」や「冬宮」には同音転換による意味の重層が目論まれているであろう。
たとえば「氾濫」⇒「反乱」というう風に。

すなわち一人の無名戦士の死をきっかけに、彼が指さしたものに向かって、人々はあらゆるものを呑み込みなぎ倒す濁流のように反乱のうねりとなって押し寄せる。
悔恨と憤激で握りしめた指から流れる血を石ににじませながら。

  
反骨の士 鎌田慧[2018年06月15日(Fri)]

170918代々木公園DSCN3444.jpg
 ルポ・ライター鎌田慧氏(2017/9/18代々木公園「さようなら原発大集会」)

◆朝日新聞朝刊に5月末から載っていた「語る――人生の贈りもの」の鎌田慧篇(聞き手・小泉信一)が最終回を迎えた。
全14回のインタビュー、ことばとの出会いがある。

★(取材とは)
人に会うことによって、その触れ合いの中で自分にはないものが形成されたり新しい視点を教えられたりする。そういうことを積み上げていく過程こそが取材だと考えています。

★(ルポルタージュとは)
批判と変革の意志、同時代を記録しようという歴史意識が大切です。
「エリートコース」という名の高速道路を走っている人には「路傍の石」は目に入りません。本当のルポルタージュとは路傍の石の輝きとこわさを書くことにあるのではないでしょうか。

 (第1回=5月28日掲載。以下掲載日)

★(ギリギリで卒業したという高校時代)
惰眠と懶惰の日を夢み、
惰眠と懶惰の日を送り、
惰眠と懶惰の日を悔む。
過ぎちまつたぞ十八年。

 (高校3年、学校の自治会誌に寄せた詩。第4回=5月31日)

★(イタイイタイ病を追っていた鎌田に鉱山関係者から内部告発の文書が届いた。その手紙は――)
良心がとがめて寝つかれなかった」と言うのです。
良心は眠っていませんでした。

 (第9回=6月7日)

★(ある出稼ぎ労働者からのはがきをきっかけに、1972年秋から豊田市の自動車工場で季節工として働いた)
実際に労働に従事している人たちの本当の「精神的肉体的疲労感」はインタビューだけでは分かりませんよ。無限に繰り返される労働の中に自分を置いてこそ、理解し、表現できるのではないでしょうか。
 (第10回=6月8日)
*私事になるが、この72年から翌年春にかけて、我が父もハガキの主と同様に出稼ぎ農民として、鎌田氏と同じ愛知県内の建設現場で働いていた。父は当時49歳。浪人中の不肖の息子の学資を稼ぐためであった。
不肖の息子は受験の帰りに飯場を訪ねた。
同じ村から集団で働きに来ており、中には夫婦で出稼ぎに来ている人たちもいた。
女性たちの仕事は飯場のまかないである。振る舞われた「飯場のメシ」は、味噌汁、魚、漬け物に至るまで津軽の味であった。

*****

★(50歳過ぎから国境沿いの島々を訪ねて――)
与那国、小笠原……。歴史を調べると、住民は島を起点に国境を越え、互いに行ったり来たりしていたのです。国境の島は辺境ではなく、異文化と触れ合う場所だったのです。

★(脱原発を求める市民と伴走するペンの人として――)
ジャーナリズムも問われていますよ。未来を見通す思想は決して記者クラブにいては獲得できません。
 (どちらも第13回=6月14日)

*折から、永井愛の新作「ザ・空気ver.2」「誰も書いてはならぬ」との副題で記者クラブの問題を描くそうだ。永井は言う「公正と中立が、日本では並列で語られる。でも中立はどっちにもつかないこと。公正は悪いものを悪いと言うこと。ジャーナリズムは公正の立場によるべきなのではないでしょうか」
 (朝日新聞6月14日夕刊のインタビュー)

*****

★(反骨のルポライターという世評に対して鎌田慧自身は「抵抗がある」と言う――)
そもそも反骨精神が希薄な人をジャーナリストと呼べるのでしょうか。ジャーナリズムは「権力の監視役」。世界のジャーナリストが長い歴史と生命をかけて築き上げてきたのです。なのでわざわざ「反骨」を冠する必要はないと思うのです。
 (第14回=6月15日)
*かつて鎌田氏は『週刊金曜日』で「痛憤の現場を歩く」という連載を執筆していた。
もう一つ私事を記すと、2004年夏に東京・青山通りの国連大学前に2家族のクルド人難民が座り込み行動を敢行して難民問題がクローズアップされた。針の穴以下の日本政府による難民政策に問題提起を行ったものの、目に見える改善はなされぬまま、入国管理所に収容された人々への人権無視の処遇も続いている。
あの国連大前広場を「痛憤の現場」として鎌田氏に取材してもらえたら、と夢想していたことがある。
実現はしなかったが、その時に難民支援に関わった人たちは、その後もそれぞれの「痛憤」を原動力として取り組みを続けている。
「DAYS JAPAN」6月号に載った特集「日本に暮らすクルド人」、織田朝日執筆の「壮絶な入管収容所での日々」はその一つだ。)

「個人の生活を犠牲にし、素知らぬ顔で成立している国家の構造を解明したい」(著書『死刑台からの生還』より)と言う鎌田氏の信念は6月10日の国会前スピーチでも揺るぎなかった。
ペンの人・鎌田慧の奮戦はまだまだ続くはずだ。

「反逆老人」として書くべきテーマはまだたくさんあるんです。
 (第14回=6月15日)

生きると云うことは 覚悟がいる[2018年06月14日(Thu)]

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イヌツゲ(と思う)
緑の葉を従えて、必要最小限の器官をしっかり備えた小さな花が存在する感じが清々しい。

*******

  雲よ 武澤 順子

おーい、雲よ……
あの日の雲ではないだろうけど
あの日の私でもないんだよ
あれから……しっかり生きてきたんだよ


◆武澤順子は1933年に満州・旅順に生まれ、戦後引き揚げて福島県相馬郡新地へ。東日本大震災からの再生を「震災日記」に綴り生き抜く姿が、TVディレクターの息子・武澤忠によってドキュメンタリーとなった。

 天命  武澤 順子

命があると云うことと
生きると云うことは違います
生きると云うことは
覚悟がいると
近頃しみじみ感じて居ります


 *ともに詩集『生きてやろうじゃないの!』より
  (青志社、2017年)

武澤順子生きてやろうじゃないの!.jpg
 

しゅうしゅうと[2018年06月13日(Wed)]

DSCN7366.JPG
梅雨の晴れ間のカワセミ

*******

 手 紙   森田 美千代

梅雨の季節になりました
秋の果実も田の稲も 今は水が大切なのですから
しずかな雨なら少し我慢します
きゅうりの葉はいよいよ
手を広げ
おさない子どものように
背伸びをしています

空を見上げると
だんだん黒い雲が近づいてくるようです
菜園の野菜や果物も
つつましい暮らしも
この雨は
何かのはじまりではないかと

 ひたひたと
 人々のざわめきも
 しゅうしゅうと
 近づく鞭の不気味な空気
 抱えて

 ひびかない
 美しすぎることば
 
 遠い空の向こうで
 雷鳴 ひびく

不安定な梅雨空 びくびくしています
転ぶと骨が折れる歳になりました

いただいた命の重みを大切にしたいのです
季節を刻みながらかみしめて

七十年の季節
シュプレヒコールが聞こえます



『寒風(かぜ)の中の合図(シグナル)より(澪標、2016年)
 1946年に山形県白鷹町蚕桑に生まれ、神戸市に在住の詩人。

遠い道をいくためには[2018年06月12日(Tue)]

DSCN2630木槿.JPG
木槿(むくげ) 2017年7月撮影

*******

 膝    鄭 浩承(チョン・ホスン)

君もひざまずいてはじめて
愛を知ったのか
君もひざまずいてはじめて
歩けるということが分かるのに
一生かかったのか
真に冷たい床に
自らひざまずいたときが立ち上がるときだ
ひざまずいて
遠い山を眺めるときが出発のときだ
ラクダも遠い道をいくためには
先ずひざまずいて砂漠を眺める
ラクダも砂漠の道をいき
夜が更ければ
先ずひざまずいて
燦然たる星を眺める


鄭浩承詩選集『ソウルのイエス』の巻頭にある詩。【韓成禮(ハン・ソンレ)訳、本多企画、2008年】

鄭浩承(チョン・ホスン)は1950年1月3日、韓国・大邱(テグ)生まれの詩人。
北朝鮮軍が砲撃を開始して朝鮮戦争が勃発したのはその年の6月25日のことであった。



しろがねのボタン電池惜し[2018年06月11日(Mon)]

DSCN7367.JPG

田植えが済んだばかりの田んぼにカルガモ

*******

ボタン電池惜し

◆落としたボタン電池が変わり果てた姿になって見つかった。

数日前、路傍に停めた自転車が荷のバランス悪く倒れた。
その拍子に尾灯のカバーが外れたのではめ直して帰宅した。
電池が無いことに気づいたのは二日ほどした夜だ。
尾灯には充電式のボタン電池が入っていて、日中、太陽光で充電し、夜乗るときに振動で点るようになっているのにウンでもスンでもない。

雨が上がった翌々日、自転車がコケた場所に探しに行ったら、砂利の間にすぐ見つかった。
ただ、通行の車に何度も踏みつけられたのだろう、すっかりへこんでしまっており、サビも出始めていた。

森鷗外ではないが、「しろがねの ぼたん電池 惜し」という心境である。

扣鈕    森 鷗外

南山(なんざん)の たたかひの日に
袖口の こがねのぼたん
ひとつおとしつ
その扣鈕(ぼたん)惜し

  (第1連。「うた日記」より)

鷗外が若き日にベルリンで買い求めた「こがねのぼたん」を日露戦争に従軍した折に落としたというもの。
思い出の品であるボタンへの哀惜を歌ったものとして知られる。
第5連では次のように歌ってさえいるのだ。

ますらをの 玉と碎けし
ももちたり それも惜しけど
こも惜し扣鈕
身に添ふ扣鈕


「ももちたり(百千人)」、すなわち戦場で仆(たお)れた多くの兵士たちのことも「惜し」=無念だが、若き日の思い出も同様にかけがえがないゆえ「惜し」なのだと言う。

◆自転車のボタン電池はむろん青春の記念などではない。
当方のは物惜しみする性分ゆえの未練の対象物以上のものではない。
ただ、いささか後を引くようであるのは、自転車がコケそうだな、という予感があったのに、それを食い止めるべく身体が機敏に反応できなかったナ、という気分が残っているからである。

◆その余波ということでもないが、本日も同様の失敗をやらかした。
買い物の釣り銭を財布に戻そうとして手もとが狂い小銭一枚を落としてしまった。
10円か50円か100円玉か分からないが、落ちた音からして1円玉でなかったことは確か。
サッカー台の足もとを探すが見あたらない。膝をつき、台のキャスターを動かしてウラも探すがダメ。幸い他の客が来る気配はなかった。見る角度を変え何度か探したが、結局見つからず。

この時も、手にした小銭を落としそうだナ、という予感はあった。
未然に防ぐ動作に移行すべきなのに、落としている我が姿のスローモーションを、身体が反応しないもう一人の自分が眺めているような感覚、と言おうか。

◆帰る道々介護本で知った文句がいくつも浮かぶ。
いわく「手の巧緻性の低下」、いわく「QOL(生活の質)の維持」などなどなど。

それにしても電池1ケや小銭1枚に未練たらたらの我が器量の小ささ狭さよ。

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