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水無月祓えに替えて[2018年06月30日(Sat)]

◆1年の折り返しを迎えた。
水無月祓え(夏越しの祓え)の代わりに、境川クリーンアッププロジェクト(散歩がてらのゴミ拾い)の中間報告をしておく。

2018年元旦から本日まで、ペットボトル506、缶565、ビン63、締めて1134本。
1日平均6.3本で昨年と全く同じペース。年間2285本となる見込みであるが、それは皮算用。

3.11の大震災以後何日目になるか、というのも集計表に入れてあって、「2645日」となっている。

◆さる週刊誌に、相模川(茅ヶ崎市と平塚市の間を流れている)で鮎が入れ食い状態が続いており、相模トラフで懸念されて来た大地震の前触れではないかという記事があった。

鮎の豊漁は鮎の稚魚を食べる鯵が相模灘で激減しているためで、鯵が激減している理由は黒潮の大きな蛇行が発生しているからだという。それによってプレートにかかる力の変化が地震をもたらす、という説明だが、果たしてどうか。

◆境川でも小魚がしきりに川面を跳ねている光景を先日見た。
日が高く昇った時間なのに水面を跳ねる小さな魚が多数見られたのである。
それを狙ってカワセミも2羽飛んでいた。(カワセミの捕食は通例単独の時が多いように思う)。

昨日・今日、小さな羽虫が土手と言わず家の周りと言わず大量に発生。これは高温が続いているためだろう。

異常気象といったところで、感覚器官が退化して即応力に欠ける現代人にやれることはたかが知れている。だが、しかし、想像力ぐらいは干上がらせずに置きたいじゃないか……


われわれは、静かに従う人間なのか?
それともみずから反抗する人間なのか?
あるいはただ無関心な人間なのか?


長田弘「怒りと悲しみ」の第4連。シェーンベルクの音楽は「怒りだった。」と詩人は言い、さらに次のように結んだ――

〈怒りとは悲しみの事だ。〉

長田弘『黙されたことば』 (みすず書房、1997年)より。


ナショナリズムはレッテル貼りと押しつけを好む[2018年06月29日(Fri)]

DSCN7397.JPG
ヒルガオ。

関東地方に梅雨明け宣言。6月中の梅雨明けは観測史上初めてとか。

その朝の相棒との散歩の帰り、わが家から50メートルほどの交差点で霧雨に見舞われた。
散水している人も居なさそうだが、と見上げると、一刷毛ほどの薄雲が頭上をよぎるところだった。
天のシャワーを浴びたのはたぶん50メートル四方だけ。

お天気雨は吉兆ということになっているが、仮に凶事(まがごと)に出くわしたとしても、その時に「そう言えば」と振り返る余裕が残されているのは自分が幸いに生き延びた時であるから、お天気雨はやっぱり吉事(よごと)だったのだ、と思えば足りる。

*******

◆映画「英国王のスピーチ」の中に、ジョージ・オーウェルの名前がイギリスBBC放送との関係でチラっと出てくる。
第二次大戦の頃、彼はBBC東洋部で、東南アジア向け宣伝番組の制作に従事していた。

同じころ、鶴見俊輔はジャカルタの海軍武官府で連合国のラジオ放送を聴いて情勢をまとめる仕事に従事しており、しばしばジョージ・オーウェルの放送に聴き入ったと回想している(日米開戦後、交換船で日本と運命をともにしようと帰国した鶴見だが、帰国後すぐに徴兵検査を受けたものの、直ちに応召することになるとは全く考えていなかった由)。

そのオーウェルの「ナショナリズムについて」(1945年)から――

「ナショナリズム」というときわたしがまっさきに考えるのは、人間を昆虫と同じように分類できるものと考えて、何百万、何千万という集団をひとまとめに、平然と「善」「悪」のレッテルを貼れるときめてかかる考え方である。だがその次に考えるのは――そしてこのほうがはるかに重要なのだが――自分を一つの国家あるいはこれに似たなんらかの組織と同一視して、それを善悪を超えた次元に置き、その利益を推進すること以外にはいっさいの義務をみとめない考え方である。ナショナリズムと愛国心ははっきり違うのだ。二つの言葉はふつうきわめてあいまいに使われているから、どんな定義を下してみても異論が出るだろうが、ここには二つの異なったというより対立する概念がひそんでいるのであって、両者ははっきり区別しておかねばならない。わたしが「愛国心」と呼ぶのは、特定の場所と特定の生活様式に対する献身的愛情であって、その場所や生活様式こそ世界一だと信じてはいるが、それを他人にまで押しつけようとは考えないものである。愛国心は、軍事的にも文化的にも、本来防御的なのだ。ところがナショナリズムのほうは権力志向とかたく結びついている。ナショナリストたるものはつねに、より強大な権力、より強大な威信を獲得することを目指す。それも自分のためではなく、個人としての自分を捨て、その中に自分を埋没させる対象として選んだ国家とか、これに類する組織のためなのである。

*下線部、原文は傍点による強調。
『オーウェル評論集』より(小野寺健・編訳。岩波文庫、1982年)


ナナメの線を引いてごらんよ[2018年06月28日(Thu)]

DSCN7497ツバメ−A.jpg
3連ツバメの図。3羽の関係は分からない。

*******

◆地元のシネコンで山田洋次「妻よ薔薇のように(家族はつらいよV)」を観た。

題名の「妻よ薔薇のように」は、同名の映画を作った成瀬巳喜男へのオマージュであるだろう(成瀬の「妻よ薔薇のやうに」は1935年公開。2年後にはアメリカで公開され、日本の商業映画として最初の米国公開作品となった由)。

◆映画は職人の手わざを随所に感じる。
4組の夫婦が登場するが、彼らの人間関係を監督の指先から紡がれる糸が浮かび上がらせてゆく。
糸自体は目に見えないのだが、つないでゆくあたたかな指先が感じられる。

◆画面に写る椅子や本棚に至るまでそれは感じられて、本棚の下の方に漱石全集(岩波版)が置いてあったが、庄太(妻夫木聡)の嫂・史枝(夏川結衣)への思いを暗示しているように思った。
漱石の小説(「それから」など)における嫂の存在を思い出させるしかけで、伏線になっているわけである。

◆本作の中心は史枝の家出騒動だが、その解決への要に位置するのが庄太である。
親たちの離婚の危機に直面して苦しむ甥の謙一(大沼柚希)が自分の部屋に上がってしまうシーンがある。
二階の謙一の部屋へと庄太が階段を上がってゆく。
この時の階段の手すりが、二人の関係、すなわち叔父と甥っ子というナナメの関係を簡潔明瞭に表現していて印象的だった。

祖父の周造(橋爪功)が階段を降りてくるシーンとは全く逆方向のベクトルを示す。
「また俺の悪口を言ってるんだろ」などと憎まれ口を弄びながら階段を降りてくる時は左上から右下への動き。
それとハッキリ対照させた右上への動線を観客の目に焼き付ける。
庄太が甥っ子に何を語るか、観客の期待が高まることになる。

◆祖父母→親→子というタテ方向の関係、夫←→婦・兄←→弟といったヨコの関係に対して、
〈叔(伯)父・叔(伯)母←→甥・姪〉というナナメの関係による支えが大事だと良く言われる。

このところ起きる事件でも当事者を支えるナナメの線があったかどうか気になる。
肉親の間に限らない。職場や地域と彼らを結ぶナナメの糸が存在したかどうか。
それがあれば不幸な事件は起きずに済んだのではないか、と思うことが少なくない。

◆謙一の部屋のシーンでは、庄太のパートナーである憲子(蒼井優)も静かに部屋に入って来て見守る。
一瞬クドイかな、とも思えたのだが、平田家の一員として欠くことのできない一人、甥を支える一人であることを表現しているのだった。

今回の映画、ラストにも印象的な場面がある。
月を憲子が両手の指でつくったL字のフレームに収めるシーンだ。
(史枝が故郷の友人宅で十五夜を眺めるシーンは無論、その伏線。ラストシーンはその二夜ほど後ということが分かる月の形。)

そうして憲子の庄太へのセリフ……二人にとって、未だ見えないが確かに伸びつつある新たな糸=それは謙一にとっても新たな糸となるはず……それを予告するようにして映画は終わる。

もう次作の構想が監督の頭の中には姿を現しているのだろう。


妻よ薔薇のように(家族はつらいよV)公式サイト
http://kazoku-tsuraiyo.jp/

紙はかみさまだ[2018年06月27日(Wed)]

DSCN7430-B.jpg
岩波ホールから地下鉄・神保町駅に降りる階段踊場の石組み

紙はかみさまだ

◆楽譜の表紙やページの破れを何冊か補修した。

表紙は大きめの紙が必要。結局、旧いカレンダーを使った。
糊は木工ボンドと大和糊同量を、少量の水で溶いたもの。
壁紙を貼るときに使った広めの刷毛で糊をまんべんなく塗ったらすこぶる効率的かつ、きれいに仕上がった。

◆綴じ糸がゆるんでバラけそうになっているページは書道用の半紙で補強した。
ツナぐ2ページが同じ高さになるよう、下に適当な厚さの楽譜などを置き、隙間ができないように接着するのがコツである。
水彩画用の太めの筆で糊を塗ったが、平刷毛の方が良いかも知れない。

◆補強に使う和紙は雁皮紙が良い、とものの本に書いてあったが、大きめの文具店を探しても見つからず、これは断念。
何種かの丈夫そうな国産の書道用半紙を買って、そのうちの2種を試したら、どちらもまずまずの仕上がり。
ページのヘリのめくれにも紙を貼った。ページ同士がくっつかないように、乾かす時間を挟みながらの作業。
楽譜の背の部分も傷んでいたが、製本用のテープで表紙と背中をしっかり圧着するように貼って出来上がりだ。

最後は新聞紙で楽譜を包むようにし、大判の本を重しとして載せて乾くのを待つ。

◆一日おいて開いてみると、めくれはきれいに治り、紙を貼ったことが分からないほど一体になって、ページのめくり具合も良い。
紙を発明した先人の知恵に感謝するばかりだ。

*******

紙によせる   木島始

破いて燃して灰にできるから紙はいい と
暗殺指令書を始末するような連中だけが
はかなさのすばらしさを満喫したりして!
折り畳めるからこそ紙はすてきなのだ と
秘密を包む手紙の到着を祈るとき ひとは
はかなさのすばらしさに 墨をすいこむ
紙の誇らしさに 気づいているだろうか?
しらける嘘だぞ なんて呟かれまいとして
愛の告白を書きすすむとき ひとは
汗のにじむ掌紋のさざなみに送られて
その震えることばたちをのせる白い平たい舟
無心の紙のありがたさに気づくかしら?
ひとりきりの覚書 その符牒だけではなくて
人間の宇宙とかたちを縮尺しながら いつも
わたしたちの島では 古い紋章に工夫をこらし
新しい偶像に耽っては また皺のばし
神さまとより さする肌ざわりを夢みてきたのだ
証文とも歌とも地図ともなりうるこの紙で!


『[新]木島始詩集』(土曜日術社出版販売、2000年)より


金子兜太〈生きものとしての人間〉[2018年06月26日(Tue)]

DSCN7503.JPG
早くもヒマワリが咲いていた。
地元小学校で。

*******

金子兜太のことばたち

『金子兜太のことば』という本が出た(石寒太・編著、毎日新聞出版、2018年5月)。
その中からひとつ、ふたつ。

あたりまえに思っている幸せが、
いまどんどんと崩されていく。
理屈ではなく、自分に与えられたいのちは、
自分で守り生きていく、
それだけは、手放すようなことがあってはならない。


◆◇◆

社会の中の人間ではなくて、
「生きものとしての人間」、
そういう視点から見ないと、
それが作りあげた社会の正体は、分からない。



金子兜太のことば.jpg


藤沢市役所かいわいの陶板レリーフ群[2018年06月25日(Mon)]

DSCN7475-A.jpg

◆藤沢市役所の旧「新館」前の陶板オブジェ。本来は水を張って涼しさを演出していたようだ。
(あいにく制作者や経緯については説明板がない)
この周辺は再整備されて「藤沢メダカ」が鑑賞できるメダカ池を作る予定だという。
先週紹介した陶板レリーフ(下のリンク参照)を含め、うまく活かして欲しいものだ。
2018年06月18日の記事【益体無し】
http://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/897

◆旧「新館」(現在閉鎖中)の1階ロビーには片岡球子の陶板レリーフ「めでたき富士」があった(1983年設置)。
鮮烈に赤い富士を描いた迫力ある作品だが、窮屈な場所にあった。再公開の際には画面全体をゆったり眺められる空間が確保されることを願う。
(画像は下記サイトなどを参照)
★【日本交通文化協会のパブリックアート紹介のサイト
http://jptca.org/publicart043/

◆陶板レリーフといえば、JR藤沢駅の改札正面にも「湘南讃歌」と題する大きな作品がある。
ルイ・フランセンの作品だ。
上方にあるので見逃しがちだが、葉山峻市長時代の1980年に設置されたものだ。

DSCN4847湘南讃歌−A.jpg

◆ルイ・フランセン(1928-2010)はベルギー生まれの作家で、日本で数多くのパブリックアートを制作した。

作者と作品については同じく「日本交通文化協会 パブリックアート」の下記サイトを。
http://jptca.org/publicart018/

「夢の裂け目」にクラクラする[2018年06月24日(Sun)]

DSCN7441.JPG
初台、新国立劇場前の石組み

*******

音楽劇「夢の裂け目」の歌

今月は井上ひさしの芝居を2本観られたわけだが、新国立の「夢の裂け目」は、クルト・ヴァイルの音楽に井上が詞を付けた歌がふんだんに登場し、かの「ひょっこりひょうたん島」の世界を思い出しながら敗戦後、東京裁判進行中の日本を見せられる感じがある(音楽を担った宇野誠一郎の曲も使われている)。

第二幕六場では、『学問ソング』という歌が成田耕吉=上山と道子=唯月ふうかによって歌われる。

上山は紙芝居の貸元「民主天声会」に紙芝居の駄菓子や自転車などいろんなものを調達してくれる闇屋だが、実は大学で国際法を教えていたこともあるインテリである。
道子は女学校を卒業したばかり。耕吉が開示する世界と学問の関わりに好奇心をかき立てられ、二人の重唱へと進む。

学問 それはなにか
人間のすることを
おもてだけ見ないで
骨組み さがすこと

人間 それはなにか
その骨組みを
研き 研いて
次のひとに渡すこと


◆人間世界を見て考えること、その考えたことを未来に受け渡す意義を、平易な言葉でセリフにし、歌に乗せた。
大事な「骨組み」の一つには憲法(constitution)も含まれるだろう。

「夢の裂け目」は1946年の夏、東京裁判に証人として出廷する紙芝居屋の話だが、裁判進行と同時に帝国議会では新憲法案が審議されつつあった。
「夢の裂け目」に始まる井上ひさしのいわゆる東京裁判三部作は、いずれも9人の登場人物によって演じられる。「九条の会」呼びかけ人の一人でもあった井上らしい凝り方である。
今回のプログラムに寄せた加藤典洋のエッセイ「裂け目から泪が流れて痂(かさぶた)になること」によると、九人の人物たちは基本の人間関係も同型につくられており、役者は「夢の裂け目」「夢の泪」「夢の痂」の三部作を通して演じられるようにつくられている、という。
すなわち、同じ役者さんたちが三部作を連続して上演するということも可能だというのだ。
実際、2010年4〜6月の新国立劇場では、ほぼ同じ出演者により連続上演されたという。
演じる役者さんたちは頭の中がクラクラする日々であったことだろう。
(この時、「夢の裂け目」が始まったばかりの4月9日に井上ひさしは亡くなったのであった。)

◆フツーの人々の戦争責任というテーマを掘り下げて、否も応もなく天皇制にぶつかることになる。「有り」・「無し」のどちらかに立てば事が終わるという単純な話ではない。
ましてや、誰かに責任を押しつけて終わり、にはならない。
芝居はいったん幕を閉じても、観た者は手渡されたものの確かな重さを感じながら帰路につく。

*「夢の裂け目」はこのあと、6月27・28日、兵庫県立芸術文化センターでの公演がある。

沖縄慰霊の日の詩「生きる」[2018年06月23日(Sat)]

DSCN7469.JPG
人参の花。
緑のなかに白い花火が打ち上げられたようだ。
昨日載せた蜘蛛のみごとなレース編みに負けていない。

◆◇◆◇◆◇◆

沖縄慰霊の日

◆追悼式での詩の朗読は、今年も力のこもったものだった。
浦添市立港川中学校の3年生、相良倫子(さがら りんこ)さんが、自作の詩を朗読した。
最終行「私は、今を、生きていく」という決意のことばで結ぶまで、一度も原稿に目を落とすことがなかった。
相良さんが中学生の詩の部門で最優秀に選ばれたのは3年連続だという。

★沖縄平和祈念資料館から公表されている詩の全文をもとに、本日の朗読で読み上げたヴァージョンで転載する。
*いくつかルビを付した。
**今日の朗読では、第13連の6行目、「生きる事、命を大切にできることを」を、「生きる事、命を大切にできる権利を」として朗読した。)

***朗読の様子は下記などに動画がアップされている(一定期間のみ視聴できます)。
【毎日新聞】
https://mainichi.jp/movie/video/?id=5801003430001

◆◇◆◇◆◇◆

生きる   相良 倫子

私は、生きている。
マントルの熱を伝える大地を踏みしめ、
心地よい湿気を孕んだ風を全身に受け、
草の匂いを鼻孔に感じ、
遠くから聞こえてくる潮騒に耳を傾けて。

私は今、生きている。

私の生きるこの島は、
何と美しい島だろう。
青く輝く海、
岩に打ち寄せしぶきを上げて光る波、
山羊の嘶(いなな)き、
小川のせせらぎ、
畑に続く小道、
萌え出づる山の緑、
優しい三線の響き、
照りつける太陽の光。

私はなんと美しい島に、
生まれ育ったのだろう。

ありったけの私の感覚器で、感受性で、
島を感じる。心がじわりと熱くなる。

私はこの瞬間を、生きている。

この瞬間の素晴らしさが
この瞬間の愛おしさが
今と言う安らぎとなり
私の中に広がりゆく。

たまらなく込み上げるこの気持ちを
どう表現しよう。
大切な今よ
かけがえのない今よ

私の生きる、この今よ。

七十三年前、
私の愛する島が、死の島と化したあの日。
小鳥のさえずりは、恐怖の悲鳴と変わった。
優しく響く三線は、爆撃の轟に消えた。
青く広がる大空は、鉄の雨に見えなくなった。
草の匂いは死臭で濁り、
光り輝いていた海の水面(みなも)は、
戦艦で埋め尽くされた。
火炎放射器から吹き出す炎、幼子の泣き声、
燃えつくされた民家、火薬の匂い。
着弾に揺れる大地。血に染まった海。
魑魅魍魎の如く、姿を変えた人々。
阿鼻叫喚の壮絶な戦(いくさ)の記憶。

みんな、生きていたのだ。
私と何も変わらない、
懸命に生きる命だったのだ。
彼らの人生を、それぞれの未来を。
疑うことなく、思い描いていたんだ。
家族がいて、仲間がいて、恋人がいた。
仕事があった。生きがいがあった。
日々の小さな幸せを喜んだ。手をとり合って生きてきた、私と同じ、人間だった。
それなのに。
壊されて、奪われた。
生きた時代が違う。ただ、それだけで。
無辜(むこ)の命を。あたり前に生きていた、あの日々を。

摩文仁の丘。眼下に広がる穏やかな海。
悲しくて、忘れることのできない、この島の全て。
私は手を強く握り、誓う。
奪われた命に想いを馳せて、
心から、誓う。

私が生きている限り、
こんなにもたくさんの命を犠牲にした戦争を、絶対に許さないことを。
もう二度と過去を未来にしないこと。
全ての人間が、国境を越え、人種を越え、宗教を越え、あらゆる利害を越えて、平和である世界を目指すこと。
生きる事、命を大切にできる権利を、
誰からも侵されない世界を創ること。
平和を創造する努力を、厭わないことを。

あなたも、感じるだろう。
この島の美しさを。
あなたも、知っているだろう。
この島の悲しみを。
そして、あなたも、
私と同じこの瞬間(とき)
一緒に生きているのだ。

今を一緒に、生きているのだ。

だから、きっとわかるはずなんだ。
戦争の無意味さを。本当の平和を。
頭じゃなくて、その心で。
戦力という愚かな力を持つことで、
得られる平和など、本当は無いことを。
平和とは、あたり前に生きること。
その命を精一杯輝かせて生きることだということを。

私は、今を生きている。
みんなと一緒に。
そして、これからも生きていく。
一日一日を大切に。
平和を想って。平和を祈って。
なぜなら、未来は、
この瞬間の延長線上にあるからだ。
つまり、未来は、今なんだ。

大好きな、私の島。
誇り高き、みんなの島。
そして、この島に生きる、すべての命。
私と共に今を生きる、私の友。私の家族。

これからも、共に生きてゆこう。
この青に囲まれた美しい故郷(ふるさと)から。
真の平和を発進しよう。
一人一人が立ち上がって、
みんなで未来を歩んでいこう。

摩文仁の丘の風に吹かれ、
私の命が鳴っている。
過去と現在、未来の共鳴。
鎮魂歌よ届け。悲しみの過去に。
命よ響け。生きゆく未来に。
私は今を、生きていく。




白い文様[2018年06月22日(Fri)]

宙に浮かぶ白い文様

◆相棒との朝の散歩で不思議な文様を発見した。
宙に白いジグザグ模様が浮かんでいたのである。

DSCN7465-A.jpg

近づいて見ると細い絹糸のような蜘蛛の巣を白い木綿糸で縢(かが)ったように見える。

反対側に回って目を凝らすと文様の真ん中に細面の蜘蛛がジッとしていた。

DSCN7463-B.jpg

昨夜、これとは別種の蜘蛛を外に逃がしてやったが、それへの蜘蛛族からの返報だったのかも知れない。
それにしても天の造型の精妙森厳なること、恐れ入った。


新国立劇場にて[2018年06月21日(Thu)]

◆初台にある新国立劇場が開場20周年だそうで、記念公演として井上ひさし「夢の裂け目」が三演されている(小劇場にて6月24日まで)。

DSCN7432-A.jpg

思い立って早起きし、当日券に並んだ。

◆開演までの時間があり過ぎたので、ここで上演されたオペラの衣裳が展示されているのを見物した。
その一つ、1998/99年のシーズンに上演されたモーツァルトの「魔笛」、パパゲーノ(陽気な鳥刺し)と彼が恋い焦がれるパパゲーナの衣裳があった。

DSCN7451-A.jpg

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ギャラリーというのか、回廊状の2階からメインエントランスを見下ろすように展示されているので、いずれも後ろ姿しか撮れなかったのが残念。

◆説明板によると、この「魔笛」を振ったのは大野和士であったようだ。当時のオペラの芸術監督は畑中良輔(1922-2012)だった。ともに藤沢ゆかりの音楽家である。
なお、今シーズンからのオペラ部門芸術監督には大野和士が就任、開幕は新演出による「魔笛」だそうだ。

DSCN7456-A.jpg

DSCN7433A.jpg
新国立劇場入口へのアプローチからオペラシティの方を眺める。
浅く水をたたえた中に岩が配置されている。

逆にオペラシティ側から新国立劇場を見ると下のような情景。

DSCN7437-A.jpg

殆ど通る人もいない時間に出会えた眺めだ。


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