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「北海道」命名150年[2018年02月07日(Wed)]

◆朝日新聞今日の夕刊、池澤夏樹の連載「終わりと始まり」は北海道について。

北海道という名が明治維新政府の太政官布告によって定められてから150年目となる。
命名者は幕末に蝦夷地を踏査した探検家・松浦武四郎。彼が提案した案のうち「北加伊道」の字遣いを変えて「北海道」となったそうだ。

◆池澤は、松浦が「北加伊道」とひねったのは「アイヌ語を痕跡でも残したいという松浦の意地ではなかったか」と推測する。
江戸時代にアイヌの人々を苦しめた松前藩の「場所請負制度」の撤廃を明治政府に訴えて容れられなかった松浦が開拓判官を辞任し位階も返上して二度と北海道に足を踏み入れなかったことに松浦の本意を汲み取っているのである。

そうした理解者がいないわけではなかったが、明治政府は戸籍法によってアイヌにも日本式の氏・名を強制し、1899年の北海道旧土人保護法によって「アイヌは旧土人という身分に押し込められた。」 *旧土人法の廃止はなんと1997年のことである。

◆その後の植民地・北海道の歴史を振り返って池澤の文章は沖縄戦に至る。

太平洋戦争の末期、沖縄は国内でほぼ唯一の地上戦の舞台となった。三ヶ月に亘(わた)る戦闘で二十万人以上が亡くなった。その大半が沖縄の民間人ならびに沖縄で徴兵された兵士だったのは当然として、他の地域から送り込まれた中で最も多くの死者を出したのが北海道だった。一万八百余名という数字は次位の福岡県の倍を上回る。
もともと北海道は軍事的な性格の濃い土地である。ソ連という仮想敵国を北に置いての経営だった。旭川は軍都と呼ばれたし、札幌の北海道神宮の大鳥居が北東を向いているのはロシアを睨(にら)んでのことと言われる。屯田兵もロシアを意識したものだったろう。
だから多くの北海道の兵が死地とわかっている沖縄へ送り込まれた。早い話が北海道人は命が安かった。

 *太字は当方。以下も同じ。

◆戦後はどうか? 命を安く扱う中央政府による植民地的北海道経営は現代にも色濃く残る。
国鉄分割民営化後のJR北海道の苦闘に触れ池澤は、次のように国の責務を問う。

現代の社会で交通権は基本的人権の一つではないのか。人々は駅があって鉄道が走っているからそこに移り住んだ。通勤、通学、通院の手段を保障することは国の責務ではないか。日本国憲法第二五条には「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」とある。
中央から見て僻遠(へきえん)の地も住民にとっては世界の真ん中なのだ。


まさしく。
「湘南のオアシス」というブログのタイトルをもって、観光化した「湘南」ではなくその奥、先日新築成った市役所界隈からは僻遠の地と自認するこの俣野の辺りも、高齢者にとって「足」の確保は最重要課題になっている(同列に語る話ではないと承知だが、課題に直面した身なら北海道の交通問題の切実さに少しは想像が届くだろう)。

明治150年讃歌に浮かれて僻遠の民の誇りを踏みつけていると、ジャガイモ、牛乳、北海道産米も手に入らず食糧危機に陥るのは必定で、平成の次の世はとうてい「治まる明(めい)よ」。

*******

明治維新が何だって?
時代劇の俳優たちより低い意識で
何の改革ができるもんか
  
 広津里香「異邦人」
より
  *詩は長嶋南子「花は散るもの 人は死ぬもの」(花神社、2016年)によった。

心の視力[2018年02月07日(Wed)]

大人になると、心の視力が落ちるのです。

                     木戸 沙奈


  『神奈川県福祉作文コンクール入選作品集』
   神奈川県共同募金会&神奈川県社会福祉協議会発行、2017年12月
      木戸紗奈「おっちゃんと私」より




陸自アパッチヘリ墜落・炎上[2018年02月05日(Mon)]

◆佐賀県神埼市の住宅に陸上自衛隊目達原駐屯地の2人乗りAH64D戦闘ヘリコプター(いわゆるアパッチヘリ)が墜落、炎上した。
隊員1名が死亡、もう1名の安否は現段階で確認出来ていない。
家にいた女児の負傷も伝えられている。

★【東京新聞 2月5日22時17分】
陸自ヘリが住宅に墜落、佐賀 隊員死亡、1人は行方不明
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2018020501002143.html

◆夕方のNHKニュースでは画面に「墜落」(カッコ付きで)とあるのに、アナウンサーは「不時着」という言い方をしていた。重大事故でないように見せかけたい、ということだろう。
しかし、炎上中の現場に向かう手持ちカメラの激しく揺れる中継映像が、現場記者の驚愕を伝えていた。

◆スタジオから情報を整理しながら伝えるアナウンサーや他の記者のレポートは事態の深刻さから逃げようとしがちだ。
しかし、現場の映像が伝えているものを読み取ろうとしないコメントでは真実から視聴者を遠ざけてしまうことになる。
扇情的な報道はゴメンだが、客観性や正確さを優先するあまり、目の前の生の現実を前にしても何も見ていないのではないか。
そうして、こうした事態を伝えるにふさわしい言葉を報道人としてみがいていないのではないか?

◆小野寺防衛大臣が「墜落」という言葉を使わない姿勢を続けている、との指摘もネットでは流れている。
それに調子を合わせてか、「予防的着陸」なる言い方で事故を矮小化する動きも出ているらしいが、ゴマカシはいいかげんにしてほしいものだ。言い逃れることが真っ先に頭に浮かぶようでは、このさき整備不良や部品の経年劣化などが原因・誘因として浮上しても真実を隠蔽する恐れがある。
南スーダンの日報問題と同じく組織的に隠蔽するのが体質だというのでは、犠牲となった隊員が全く浮かばれない。
ジャーナリストなら「墜落ではないのか?」と糾問するところから迫るべきだろう。

◆AH64Dは60機以上を導入予定だったのを、アメリカで後継新型機の開発がなされたために12機(13とする報道もある)導入にとどめる結果になった、いわくつきの攻撃ヘリである。
政府の導入計画のずさんさがその後のメンテナンスの不充分さにつながっているのではないか。
背景を含めあらゆる要因の徹底的な解明が必要だ。

アベ首相は同型機の飛行停止を「指示した」という。またぞろのパフォーマンスである。
他の機種にも事故発生の恐れがあるのではないか、低空で住宅の地域をなぜ飛ばねばならなかったのか、日米ともに事故頻発は何ごとかの兆候ではないのか、素人ですら質したい疑問は山ほどある。

*朝日新聞記事によれば、昨年(2017年)の自衛隊の空の事故だけでも、5月:北海道北斗市(陸自の偵察機)、8月:岩国航空基地内(海自ヘリ横転)、青森県沖日本海(海自ヘリ)、10月:浜松市沖(空自ヘリ墜落)と頻発している。6名の隊員が死亡、行方不明隊員も2名いる。
総点検が必要である。
★【朝日 2月5日23時16分】
自衛隊機の死亡事故、各地で相次ぐ
https://www.asahi.com/articles/ASL2564RRL25UTIL04T.html?iref=pc_extlink



《司法が黙認することは許されない》[2018年02月04日(Sun)]

弁護士ドットコムが1月31日の東京高裁・杉原判決(安保法制違憲とする自衛官の訴えを適法と認め、審理差し戻しを命じた判決)を取り上げ、猪野亨弁護士へのインタビューを載せている。

★【弁護士ドットコム 2月4日】
《自衛官の安保出動拒否、審理差し戻し、「司法の黙認が許されないことを示した」猪野弁護士が指摘》
https://www.bengo4.com/other/n_7377/

◆要点を抜いておくと、

出動命令が発動されていない現段階でも不利益を想定して認めた点で判決は画期的。
…出動拒否をした場合に受ける不利益を正面から認め、しかも戦闘部隊に配属されていない原告のケースについても対象とした。

高裁判決を前提にすると、安保関連法そのものの違憲性を問題にせざるを得なくなる。
→門前払いで憲法判断を回避した一審判決に対して、高裁判決は司法が黙認することは許されないということを示した。


◆安保関連法を強行成立させた時は「存立危機事態」という理屈で説明していたのに、この裁判において国は「存立の危機状態」はあり得ないと主張して来た。この矛盾についても猪野亨弁護士は指摘。2月3日の朝日新聞社説が批判するように、昨年の衆院選で「国難」とまで表現した北朝鮮情勢を、裁判では「国際情勢に鑑みても具体的に想定しうる状況にない」「(北朝鮮との衝突は)抽象的な仮定に過ぎない」と、ご都合主義のゴマカシを続けて来たのである。

★【朝日新聞社説2018年2月3日】
「安保法」訴訟 あぜんとする国の主張
https://www.asahi.com/articles/DA3S13343426.html


◆猪野亨弁護士は自身のブログでも今回の判決について取り上げている。
その結語を引いて置く。

その時(引用者注:アメリカからの出動要請)になればこの政府の訴訟での主張などなかったかのように「これが存立危機状態だ」と強弁することでしょう。
安保関連法が憲法違反であることは疑いなしです。
裁判所に求められていることは、はっきりと安保関連法が違憲であることを宣告すべきということです。
具体的に自衛官の生命に対する危険がある以上、統治行為論による憲法判断回避は許されないだけでなく、形ばかりの審理によって「合憲」などというお墨付きを与えることも許されません。


【弁護士 猪野 亨のブログ】より
http://inotoru.blog.fc2.com/blog-entry-3268.html




林芙美子「赤いスリッパ」[2018年02月03日(Sat)]

地球の回転椅子に腰をかけて
ガタンとひとまわりすれば
引きずる赤いスリッパが
かたいっぽ飛んでしまった


林芙美子「赤いスリッパ」の冒頭。
長嶋南子の『花は散るもの 人は死ぬもの』で知った。
威勢のよい書き出し。1937年の南京にはじまり、武漢、北満、朝鮮、太平洋戦争が始まってからはシンガポール・ジャワ・ボルネオと特派員や報道班員として行動の人であった作家芙美子そのままのような詩に思える。

ところが詩は次のように続くのだ。

淋しいなあ……
オーイと呼んでも
誰もスリッパを取ってはくれぬ
度胸をきめて回転椅子から飛び降りて
片っ方のスリッパを取りに行こうか
ああ臆病な私の手は
しっかり回転椅子にすがりついている。
オーイ誰でもいい
思い切り私の横面をはりとばしてくれ
そしてはいているも一ツのスリッパも飛ばしてくれ
私はゆっくり眠りたい。


◆長嶋南子に言わせれば、「生き方の倫理規定がない」林芙美子は「詩も自由奔放に書いて自爆しない。」
そうして「赤いスリッパ」や「私はどうして生きているのだろう」という詩を引いて、〈頼るものは誰もいない、何もない、女ひとり。孤独感が漂ってくる。〉と書く。

衆を頼む永田町の政権与党諸氏のなまなかのキモにはわかるまいよ。

*テキストは長嶋南子『花は散るもの 人は死ぬもの』(花神社、2016年)によった。



「超弩級」の東京高裁・杉原判決[2018年02月02日(Fri)]

現職自衛官の安保法制違憲訴訟に対する東京高裁判決

◆一昨日(1月31日)の当ブログで「大きな意味を持つ判決のはず」として取り上げた現職自衛官の安保法制違憲訴訟に対する東京高裁の判決について、澤藤統一郎弁護士の評価がブログ「憲法日記」アップされた。
一部紹介する。これを読むと新聞各紙の取り上げ方は隔靴掻痒の感じが強い。
各地で弁護団を組織しての安保法制をめぐる違憲訴訟が起こされている中で、この事件は現役自衛官による本人訴訟としてスタートしたことも初めて知った。当事者の切実な訴えが一審東京地裁の門前払い判決で退けられただけに、高裁差し戻し判決で一条の光明を見出した原告の視点に立った続報が読みたいところであった。澤藤氏の記事は差し戻し審への力強いエールである。

◆澤藤氏は、差し戻しを受けた係属裁判所=東京地裁は「ガチンコで、自衛隊法の合違憲判断に取り組まざるを得ない」「合違憲判断から逃れられない」。その意味で31日の東京高裁・杉原(則彦)判決は「超弩級」の「歴史的な判決」だと言い切る。
裁判の行方に目が離せなくなってきた。

【1月31日拙ブログ記事】安保法制違憲の判断を求める現職自衛官
http://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/756


【澤藤統一郎の憲法日記 2月2日】冒頭の一部を抄録(太字は原文)

自衛官違憲訴訟―これから改正自衛隊法の本格的な違憲論議が始まることになる。

一昨日(1月31日)、東京高等裁判所が「超弩級の」「たいへんな」判決を言い渡した。第12民事部(杉原則彦裁判長)の自衛官「命令服従義務不存在確認請求」控訴事件。原判決(原告敗訴)を取り消して、東京地裁に差し戻すこれは体制を揺るがしかねない歴史的な判決。
「超弩級」「たいへんな」と大袈裟な形容は、差し戻しを受けた地裁の係属裁判所では、「訴えの利益なし」とか、「抗告訴訟の訴訟要件の具備がない」などとしての門前払い却下判決の道が塞がれてしまったからだ。ガチンコで、自衛隊法の合違憲判断に取り組まざるを得ないからだ。

自衛官に対する「存立危機事態」における出動命令の根拠条文が、「改正後の自衛隊法76条1項2号」。条文は以下のとおり。
第76条1項 内閣総理大臣は、次に掲げる事態に際して、我が国を防衛するため必要があると認める場合には、自衛隊の全部又は一部の出動を命ずることができる。
1号 我が国に対する外部からの武力攻撃が発生した事態又は我が国に対する外部からの武力攻撃が発生する明白な危険が切迫していると認められるに至つた事態
2号 我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態
上記第1号が個別的自衛権の行使に関わる「武力攻撃事態」であり、第2号が集団的自衛権行使に関わる「存立危機事態」である。現職自衛官である原告は、「存立危機事態」に限っての出動命令に服従する義務がないことの確認を求めているわけだ。
一昨年9月に安保法制の一環として成立したこの改正自衛隊法の条項が憲法に違反して無効である、というのが原告自衛官の主張。
だから、「自衛隊法76条1項2号同条同項に基づく出動命令には服従する義務はないことの確認を求める」というのが請求の趣旨。差し戻し審では、この請求に理由があるか否かについて本格的な攻防が行われることになり、裁判所(東京地裁)は合違憲判断から逃れられない。だから、「超弩級」「たいへんな」事態なのだ。



◆この裁判を原告自衛官側は「命令服従義務不存在確認請求事件」ととらえて臨んでいることについても澤藤弁護士は言及している。
2004年東京で、さらに翌2005年神奈川で、日の丸君が代裁判として学校現場の教職員たちから起こされた裁判も「国歌斉唱義務不存在確認等請求事件」「神奈川こころの自由裁判」では「国旗国歌に対する忠誠義務不存在確認請求事件」) として提訴され闘われて来ているものであるからだ。
憲法判断を避け傍流的な理屈づけで当事者の人格・人権の毀損・侵害を軽視もしくは無視した判決が多い中で、裁判官の真摯な応答を求める原告や弁護士・弁護団の創意と熱意がこめられた命名であり、その脈流が自衛官によるこの裁判にもつながり、太さと力強さを増して来たと表現することも可能だろう。
ますます裁判の行方から目が離せない。


母語が瘠せているのに英語教育[2018年02月01日(Thu)]

DSCN5416.JPG
北山禎介中教審会長(左。1月31日、中教審総会-第115回-にて)

◆昨日の中教審総会、第3期教育振興基本計画の答申素案が議題の一つだった。年度内の3月には確定し閣議決定に付される予定のもの。

英語力重視の方針は変わらない。
目標(7)に掲げる「グローバルに活躍する人材の育成」の項で、英語力の指標としてCEFR(セファール:ヨーロッパ言語参照枠。2001年に欧州評議会が発表した外国語習得状況のガイドライン)を用い、中学卒業段階でA1(英検3級)以上、高校卒業段階でA2以上(英検準2級)を達成した中高生を50%以上にする、などの測定指標を掲げている。
(ただし「50%」という数字自体は第2期の基本計画でも同じ数字だったようだ。これを引き上げることが実際には困難であるという実状が図らずも露呈しているように見える)

各都道府県に引き続き求める「英語教育改善プラン」策定に当たっても、こうした数字を目標とするよう尻をたたくことになるのだろう。

◆これに対し、日比谷潤子委員(国際基督教大学学長)から根本的な疑義が出された。
「すでに英語教育には膨大なエネルギーを費やしている。にもかかわらず上がらないのはなぜなのか?」
少なからぬ人がこの発言に震撼としたのではと、委員諸氏、文科省スタッフの様子を見回したが、さすが大人達の会議、表情に変化なし、日比谷発言を直接受けた他氏の発言は残念ながらなかった。

◆しかし、内田樹氏のブログで、ちょうどこの問い掛けに対する解答の一つと言って良い重要な視点が示されていた。『街場の文体論』の韓国語版に付した序文の一節である。

内田氏は、韓国・日本とも、「母語が痩せ細る」言語上の危機に直面している、という認識から、次のように述べている。*太字は原文。


母語が痩せ細っているというのは、現実的には英語が支配的な言語になりつつあるということです。すでに各種の学会ではそうなりつつあります。自然科学系の学会ではしばしば日本人だけの集まりでも発表や質疑は英語で行われます。研究者たちは英語で論文を読んで、英語で論文を書いて、英語で議論する。韓国でも事情は同じだと聞いています。どちらも英語での大学の授業数が増えています。「留学生数」や「海外提携校数」や「英語で開講されている授業数」や「外国人教員数」が多い学校に助成金がたくさん分配される。だから、どの大学も必死になって英語に教育資源を集中的に分配するようになっています。日本では中学高校で英語の授業は英語で行うことが定められました。
こういう流れを「国際化」とか「グローバル化」といって肯定的に語る人がたくさんいます。でも、それはそんなに喜ばしいことなんでしょうか。とりあえず日本において統計的に一つだけわかっていることは、母語の教育を疎かにして、限られた教育資源を英語に集中するようになってから英語力が低下したということです。
この現実に慌てた政府は日本人が英語ができないのは学習開始年齢が遅いからだという根拠のない解釈に飛びついて、英語教育の開始年齢をさらに引き下げて、小学校3年生からの英語教育開始を決めました。結果はまだ出ていませんが、英語力を含めてすべての学力が低下することになるだろうと僕は予測しています。
なぜそんなことが起きるのか。それは言語政策を起案している日本の政治家や官僚や学者たちが「言葉を使う」という営みの複雑さを知らないからです。
彼らは言語というものを自転車や計算機のような「道具」だと思っている。こちらに道具を操作する主体がいて、あちらに道具がある。性能のよい道具を手に入れ、操作技術に習熟すれば仕事が捗る。そう思っている。でも、それは違います。言葉は道具じゃない。僕たちが言葉を使うというより、僕たち自身が言葉で作られているのです。僕たちが言葉を支配しているのではなく、むしろ僕たちが言葉によって支配されているのです。言葉は僕たちの血であり、肉であり、骨であり、皮膚である。それがどのような質のものか、どのようなかたちのものか、どのような特性を持ったものかによって、僕たち自身のものの考え方も、感じ方も、生き方もすべてが影響を受ける。



◆内田氏の予測が当たるかどうかは10年〜20年先でないと分からない、と思う向きは、記事全体を是非読んで欲しいが、それは面倒という人のために、その先も引用しておこう。

知的なイノベーションは(ほとんどの場合)母語による思考から生まれてくるからです。母語が痩せ細っていれば、知的なイノベーションは始まらない。


『街場の文体論』韓国語版序文の全文は下から(「内田樹の研究室」に飛びます)。
http://blog.tatsuru.com/2018/01/31_1426.php


内田樹街場の文体論.jpg
内田樹『街場の文体論』ミシマ社、2012年



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