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牟礼慶子の詩(3)[2018年02月28日(Wed)]

遠くの庭  牟礼慶子

もしも私が知らなければ
その場所はもともとなかったことになる
もしも私が聞かなければ
その声はことばとして生まれることがない

ああ 空高く枝を揺する楡の木
背後に茂り合う楡の木
遙か彼方には隠れている楡の木
見える木から見えない木まで
すべての木の身ぶりを
こんなにも大切に思うわけは
遠くの庭に用意されている一本の木
未知の友から送られてくる
親密な挨拶なのかもわからないから

どこかもっと遠くの庭で
はげしくかぶりを振り続けている私
その一本の木はまだ誰も見つけない

詩集『ことばの冠』(花神社、1989年)所収

◆最終連、どこか遠くの庭で一本の木になっている「私」は「かぶりを振り続けている」とイメージされている。この詩句だけでなく「遠くの庭」の詩全体が、だいぶ前に取り上げたリルケの「秋」を連想させる。
★もう一度抄出しておくと――
http://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/72


秋  リルケ (茅野蕭々・訳)

葉が落ちる、遠くからのように落ちる、
大空の遠い園が枯れるように、
物を否定する身振で落ちる。


◆「物を否定する身振」が「かぶりを振る」という同様の表現に置き換えられているだけでなく、「遠い園」という詩句も牟礼のこの詩の題「遠くの庭」にほぼ重なる。
違いは、リルケの「秋」では世界を俯瞰する超越的な存在の視線が意識されているのに対して、牟礼の「遠くの園」ではあくまでも地上に身を置いて、木の身ぶりとそれが語る「声」に全身を傾けていることだ。
「魂」は我が身を離れて木の枝や葉かげに浮遊するが、木の背丈を超えた高い場所で抽象や観念に変ずることはない。同じくリルケに親炙した鮎川信夫やその畏友・森川義信(1918-42。ビルマで戦病死)との違いは、「庭」という画された場を設定していることだろう。
区切られた「庭」に身をおいて、そこから離れることを自らに禁じた生き方に見える。

◆牟礼は20年余り勤めた中学校教員を40代半ばで退職している。
同居していた義母の「女なのに外に働きに出るなんてみっともない。旦那様の稼ぎが悪いと近所で噂されます。」という考えに抗しきれなかったためという。(牟礼慶子公式サイト「来歴」による⇒http://murekeiko.com/mure.html

◆女性が職業をもって生きることへの世間の風当たりをやり過ごす知恵であったかもしれない。
ただ、制約があるぶん、想像力はより強靱に鍛えられることになる。
世俗的な断念は、「庭」の向こうに耳目が向かうことを妨げない。
その耳と目は、「遠くの庭で」確かに一本の木として枝を伸ばし葉を広げている「私」がいることをありありと感じている。そうしてその木が語る沈黙のことばを全身で聴こうとする。
「もしも私が聞かなければ/その声はことばとして生まれることがない」と信ずるゆえに。

牟礼慶子ことばの冠.jpg

牟礼慶子の詩(2)[2018年02月27日(Tue)]

庭の中   牟礼慶子

天は高いところへ
ひばりの秘密をのぞきに行って
そのままおりてこない
雷と一しょにいて
いたましい声をたてることもある
途方もなく大きな庭だけが残って
来る日も来る日も持ち主をまっている

決して私のせいではない
いつまでも実らない草
年老いて片腕折られた梅もどき
それらの身がわりのようにして
私の人生ははじまった
人間と植物とのきってもきれないえにしは
だまって従ったまでのこと

知らぬまに行きついて
せまい門をくぐったとたんに道にまよった
故郷の村は日ごとに遠くなり
私が何もしたいわけではないのに
つらい目にばかりあわされる
かつて夢想した
運命の華麗さなどどこにも見あたらない

この荒れた庭に
果して春がめぐってくるのであろうか
粘土で作った
男の首などまたいで徘徊すると
記憶はぐんぐん崖の方に傾いて行き
これもはかりごとの一つにちがいない
私の髪にはもうまっ白に霜がおりている

 *詩集「来歴」(世代社、1960年)所収。
  テキストは現代詩文庫「牟礼慶子詩集」(思潮社、1995年)に拠った。

◆「ひばりの秘密」をのぞきに行ったままおりてこないのは「天」であって、それが実在するものであることは「私」にははっきり分かっているのだが、「私」はそこまで昇っていくことができない。「廃園」とともに持ち主を待つばかりだ。
この荒れ果てた庭に「春がめぐってくるのであろうか」といぶかるほどに、青春を謳歌する以前にすでに作者は、生きることに疲れたような懈怠の中に沈み込んでいるようだ。
詩の最終行「私の髪にはもうまっ白に霜がおりている」理由は、彼女の生きた時代にある。

女学校入学が昭和16年、戦争が始まって若い先生たちが次々応召して行った時代に青春期を過ごした詩人は次のようにふりかえる。

父方の従兄・母方の叔父が戦死。本所の大伯母の一家は東京大空襲で戦災死、死体も見つからなかった。短歌会の中で母とは妹のように親しかった真佐子さんは、終戦の数日後、未婚のまま日本の前途に絶望して利根川に自ら投じて亡くなった。幸運にも私は生き残ってしまった。年が若かったから。女だったから。たまたま郊外に住んでいたから。
  (「『流動』の時代」より)

◆「私が何もしたわけではない」のに「はかりごと」のように一方的に負債を押しつけられたような戦後。しかしそれを跳ね返す力がむくむく湧き出してくるようでもある。
道に迷って狭い門をくぐって行き着いたところは「戦後」という荒れ果てた庭で、いくら待っても実を味わうことはできそうにない。
だが、成算は不明でも、うろうろ動き出すしかない。

〈粘土で作った/男の首などまたいで徘徊する〉

豪胆不敵な詩句が我々を驚かす。
作者には、はっきりわかっていることがあるからだ。

 魂は手や足をはなれて 
 あんなに空に近い 
 木の枝に存在することもあるのだということを
  
   「魂の領分」より最終3行(詩集『魂の領分』1965年)

◆我々は一般に肉体という器の中に「魂」が収まっている、少なくとも生きている間は、と考える。
しかし、作者は、不自由な肉体からはしばしば離れて木の芽や、にこ毛の葉むれに「魂」は存在すると確信しているのだ。


牟礼慶子の詩[2018年02月26日(Mon)]

巨人  牟礼慶子

私は川の葦よりももっと伸びるだろう
と言った そして伸びた
私は庭の葉しげみよりもっと伸びるだろう
と言った そして伸びた
私は森の喬木よりももっと伸びるだろう
と言った だが今度は伸びなかった
この世には人間の身体にぴったりあてはまる背丈しか
用意されてはいないのだ
私の中身は無限に伸びて
空と肩を並べて立ちたかったのに
だがしかし年とともに
伸びる身体を持っているとしたら
それは大仕事だ
要は中身の問題になるから
年とともに輝きを増す魂がいるのだ
そうなると身体は人間の問題を離れる
すぐに勘定をまちがえる身体と
故障し易い魂しか持っていない人間が
空と肩を並べる巨人にならない方がよいとは
そんな理由からなのだ
  
第一詩集「来歴」(1960年)の一編。
現代詩文庫「牟礼慶子詩集」(思潮社、1995年)によった。

◆生が向かう方向とそれが拠って立つ土と。ふたつながらを動的に体現する樹という存在に格別の思い入れを持つ詩人。この詩にも登場する「庭」は生身の人間が棲息している狭い空間だ。
限定された場所でありながら、無限の想像を可能とする世界である。
狭い庭に生えた木も根を張り空を目指す点で森の喬木と違いはない。
「告る(のる)」ことが実現を約束するという古代的な確信からことばが発せられている。
謙抑的なことばがかえって強さを備える。
数字で扮飾した食言や権勢にあぐらをかいた虚言の類いはたちまち蒸発させるほどの。

◆牟礼慶子(1929-2013)は鮎川信夫らの「荒地」に参加。評伝「鮎川信夫ー路上のたましい」を著した。

12年ぶりの岡山行き[2018年02月24日(Sat)]

◆身内の葬儀で12年ぶりに総社市(岡山県)に行って来た。
冬場は良く知られているように関ヶ原あたりが雪に見舞われることは良くあるので車でなく新幹線にした。(実際、名古屋過ぎて岐阜に入り、車窓右手に見えた伊吹山は真っ白。オリンピックが出来そうなくらいだった。)

◆出発時に最寄り駅に着いてから財布や免許証入れなど忘れて来たことに気づいて引き返す羽目になって、一抹の不安はあったが、これが厄払いとなったか、あとは乗り継ぎも宿も順調に行った。

岡山から総社(そうじゃ)までは伯備線と吉備線の2ルートがあるが、結局往復とも吉備線に乗ることになった。

DSCN5615-A.jpg

◆桃太郎伝説の岡山のこととて、吉備線は近ごろ桃太郎線という愛称で親しまれている。
岡山駅では今風の桃太郎が描かれた車両が待っていてくれた。
正面は鬼と犬・猿・雉子の絵(夕刻で発車寸前のアナウンスに慌てたこともあり、ピンぼけ。よって割愛)。

◆各駅停車のローカル線は地元の訛りを聞けるのが楽しみの一つ。しかし、今回はあまり聞くことが出来なかった。学校帰りの高校生の姿も多かったのに、揃ってスマホの画面に見入っていて会話がない。スマホを持たない年配者はポツリポツリいるが、若い世代に挟まって所在なげであった。

◆出発前に、かつて泊まったことのあるホテルをネットで検索したら、今は営業していないことを知った。他の宿をいくつかピックアップして新幹線の乗ってから電話を入れてみる。運良く最初にかけたところが取れた。
総社の宿に着いてフロントの人にくだんのホテルについて訊ねると、ホテルは廃業したが一階で食べ物屋さんをやっているという。
オーナー夫妻が備中神楽の大ファンで部屋にも「温羅(うら)の間」など神楽にちなんだ名前が付けられていた。温羅とは吉備津彦命(きびつひこのみこと)に退治される鬼のことである。

翌日載ったタクシーの運転手さんにもこのホテルの現在について聞いてみると、上の階は老人ホームになっているという。とすれば、屋上の眺めのいい露天風呂、今は入所のお年寄りたちに極楽気分を提供しているということか。ともあれ、オーナー夫妻がご健在だと知って安堵した。

DSCN5622-A.jpg
◆総社はかの舟が生まれたところである。
幼年の雪舟像が駅前にあった。
総社市赤浜で生まれたことが誌されている。田園の中に生誕の地碑があった記憶がある。
雲が垂れ込めて雨が近い夕方にその近くを通りかかった折に、吉備高原を背景にした田園の景が雪舟の水墨画にそのまま重なる気がして驚いたことがある。中国(明)に渡り水墨画を学んだ雪舟だが、原風景はこれか、と思ったのであった。

◆帰り、岡山に向かう桃太郎線(吉備線)の先頭に「そうじゃ きびじマラソン」のプレートがあった。2万人をゆうに越える過去最多のランナーがエントリーしているとタクシーの人が言っていた。25日の日曜日開催である。その日にぶつかっていたら宿無しになるところであった。

DSCN5624-A.jpg




首筋に微風を[2018年02月23日(Fri)]

DSCN5606.JPG
皇居北の丸のお堀で

*******

谷川俊太郎『詩めくり』から

二月二十三日

風呂に入っている若い中国人にむかって
〈これ何?〉と大声で訊ねたのは
ラジオの前にいるイギリス人の女である
男がきれいな英語で
〈G線上のアリア〉と答えたので
女の八歳になる息子は首筋に微風を感じた

 (ちくま文庫、2009年)
◆日々のつぶやきや発見に加えて映画のワンシーンのような詩もある。
高橋源一郎の言葉から生まれた一日一編の詩が、故・天野祐吉「広告批評」が最初に出す単行本のためにとプレゼントされたという生い立ちの詩集。


財務大臣・国税庁長官殿に[2018年02月22日(Thu)]

腹がたっている時は自分がまっとうな人間であるような気がして元気が出る

  佐野洋子『私はそうは思わない』(ちくま文庫、1996年、p.111)


DSCN5601-A.jpg

◆納税者の厳しい視線が集まる国税庁の入り口。財務省と同居する。
建物は古いが霞が関界隈でも有数の広い敷地に立つのではないか。地図で見た敷地面積では、南隣の文科省、金融庁や会計検査院が同居する中央合同庁舎7号館の敷地の倍以上ありそうだ。

建物の周囲には1年以上にもわたって工事のフェンスがめぐらされている。
森友疑惑が浮上した去年の今頃よりも前からあれこれ工事が続いている印象ではある。
だけどそれにしても長すぎない?と別の疑念が頭をよぎる。
工事にかこつけて、財務大臣や国税庁長官にモノ申したい主権者・納税者を寄せ付けないバリケード代わりに利用していないか? と思いたくもなる。

財務省・国税庁・合同庁舎4号館DSCN2834.jpg

◆会計検査院などが入る合同庁舎7号館から見る財務省・国税庁(右のロの字形の低層ビル。左奥は中央合同庁舎4号館。内閣法制局などが入る)。

◆会計検査院は、2月9日に新たに出て来た300ページもの森友文書、会計検査院は精査の上、報告書の訂正版を出すべきではないか?財務省・国税庁を眼下に見下ろすビルに入居する省庁としてチェック・叱正の権能をしっかり発揮してほしいものだ。

*2017年11月22日に公表された会計検査院の報告書は下から閲覧・ダウンロードできる。
★「学校法人森友学園に対する国有地の売却等に関する会計検査の結果について」
http://www.jbaudit.go.jp/pr/kensa/result/29/h291122.html

非戦の背骨、金子兜太氏逝く[2018年02月21日(Wed)]

◆「アベ政治を許さない」の書で知られる俳人の金子兜太氏が逝った。享年98。
あの雄勁な書は、権力を私物化する者たちに頂門の一針であり続ける。

◆2018年元旦の朝日新聞には次の三句が新春詠として載った。

故郷  金子兜太

遠く近く秩父の山河猪と

中学五年山から星へ猪の如く

山並み覗く際もなく覗く脳裡


しかし、通例月曜に掲載される朝日俳壇には金子氏の選評が載っておらず、大きな空隙を感じながら二タ月が過ぎようとしていた。

◆12月10日の朝日俳壇には長谷川櫂氏と共選となった句への選評が、金子氏の俳句の世界と生きる姿勢を雄弁に語っていた。

素うどんのやうな亭主と冬籠  三浦大三(新庄市)

長谷川氏のこの句への評は〈「しんから温まれる人」、ととっておこう。〉というもの。
留保を含んで直截でない。比喩の解釈を示して食べるプロセスを飛ばしたために、コメントとして歯切れが悪いのである。

これに対して金子兜太の選評は《そっけないようでいて味のある男。》。
素うどんを食べるさまも味わいも彷彿とさせ、しかも明快である。

◆金子兜太はトラック島での体験をインタビューでもたびたび語っているが、非戦の意思は同胞を失った彼自身の戦争体験からくるばかりでなく、俳人として多くの人たちの投句を読み彼らの胸臆にわだかまる思いや祈りを我が事として読むことによっていよいよ不抜のものになって来ただろう。俳句を詠まない人も金子氏の作品を読むことによって静かに拳を固め、立ち上がらずにはいられないはずだ。

海に青雲(あおぐも)生き死に言わず生きんとのみ

水脈(みお)の果炎天の墓碑を置きて去る

死にし骨は海に捨つべし沢庵(たくあん)噛む



ふつうの人のこころに届く詩[2018年02月20日(Tue)]

詩人・豊公子さんの逝去を悼む

◆知人の奥様のお別れの会に参列した。

直接お目にかかったのは2014年秋、川崎市溝の口で開かれた九条の会の折。
駅から会場に向かうペデストリアンデッキで、ご夫妻連れ立って到着されたところに遭遇した。
電話や用向きの伝言を御願いすることが何度かあったが、いつも丁寧な言葉で受けとめていただいて来た。

◆喪主としてマイクに立った知人の話で、地元厚木市の「あつぎ九条の会」の旺盛な活動を支えて来た奥様の、詩人としての活躍を知った。
百数十号に及ぶ「あつぎ九条の会」会報の発行人であり、会報に連載する詩の制作も続けて来たことが紹介された。

◆会場入り口のコーナーでいくつかの作品を読むことができた。
どれもふつうの市民の心の中まで届くように、願いを柔らかに練り込んだことばであった。

その願いとは平和憲法を守り育てることであり、それはどこまでも家族・地域に根ざした生き方から湧き出るものであるように感じた。
そのような生き方から生まれる詩は、個からの発信というだけでなく、多くを受信しそれに応えようとする心の表現でもある。

たとえば、毎月九日、本厚木駅で続けて来た署名活動で出会った人々のことばたち。

駅頭にて  豊 公子(ゆたか きみこ)
    (*そのラスト2連)

ジャンパースカートの
娘さんがやって来た
「ありがとうございます
本当は私たちが
やらなければならないんです」
思い掛けない言葉だった
ずっと前から待っていた言葉だった

花柄の杖のおばあちゃん
「若い人が書いてくれたねぇ」
「はぁい」万感をこめて応えた


◆娘さんの装いやおばあちゃんの杖の花柄に目を留めている人は、相手の言葉だけでなく、相手の存在全体を注意深く見つめ、受けとめることが出来る人だろう。
そうした人のもとには自ずから人が集まってくる。


アベ政治を許さない   豊 公子

墨で書かれたポスター
駅頭で掲げる
何人 来てくれるか
いつもよりは多い予感

本厚木駅 駅前 北口
ポスター片手の人
横断幕を広げる人

次第にポスターがふえる
参加者を数える五六人
この街の駅頭宣伝で
こんなに集まったことがない
かぞえ違いかもしれない
もう一度数える六七人

通りすがりの青年
「一緒に並んでいいですか」
いつの間にか
朱色の「アベ政治を許さない」も並ぶ
心して 今度は声を
声を出しながら数える七五人だ

友人から熱いニュースが届く
ポスター持って
コンビニの前で二人で
信号の傍で数人


◆2015年9月16日、安保法制強行採決直前、横浜で公聴会が開かれた時の詩もある。

公聴会のあった日   豊 公子

横浜で地方公聴会があった日
我が家の夕食
夫が横浜の様子を話す
私は口をはさむ
公聴会で意見を聞いたら
公聴会の意見を確認して
さあどうしましょうかって
話し合わなきゃおかしくない
いきなり裁決はおかしいよね
「国会へ行く」と娘がいう
「もう夜だよ」と私
「じゃあ僕も行く」と夫
夫は財布の中を確認して
娘は夫の服装をチェックして
二人は出かけた
私は台所をかたづけ
パソコンにむかう
中央公聴会での
学生公述人の意見を読む


◆今現在を詩に読むことは容易でない。
記憶の減衰を加速させようとして目先を惑わすことに熱心な政治のもとでは、起きたことの輪郭が定かでないまま、読者の意識に引っかかる言葉のフックが外されやすいからだ。

上の詩では、歴史的な一日が夕食の家族の会話で描かれている。
「私」の「おかしいよね」という批評のことばの後に3人の短いことばが「 」付きで続く。
それぞれの役割がカッチリかみ合って行動に移る場面。
意思を固めた人々のドラマと言って良い。

家に留まる「私」は単に留守番役なのではない。
今ここでやれることを、なすべきこととして取り組む。
決然と肝を据えた人としてパソコンに向かうのである。

◆映画でも良いテレビドラマでも良い。
この詩を1シーンとして、今現在を描く表現者が現れないものか。

*******

*今日、2月20日は小林多喜二忌である。
厚木で例年行われる多喜二を偲ぶ集まりは豊和子さんの司会で行われて来たことも「お別れの会」では紹介された。案内を頂戴したこともあったのに参加できなかったことを残念に思う。
今は安らかな眠りを祈ることしかできない。


◆豊公子さんの作品のいくつかを「横浜詩人会議」のサイトで読むことが出来る。
またネット上には詩を載せた「あつぎ九条の会」の会報のいくつかがアップされている。

【横浜詩人会議】
http://keihinsiha.blog.fc2.com/blog-category-44.html



すすめられても ぎりめしくうな[2018年02月19日(Mon)]

DSCF0001.JPG

◆久しぶりに米屋さんへ行った。
先月、お供えとして田舎から送っていただいた玄米を半分だけ精米して貰った。
「花より団子と思って」と丹精の「あきたこまち」を送ってくれたのだが、米袋には保存の仕方も書き添えてあった。
玄米のまま三宝に盛ってお供えにしたあと、今朝初めて玄米のまま炊いた。
口にするとそれが育った田んぼに想像が向く。
おおげさに言えば、大地の恵みをいただいている感じがある。
やはり白米でも味わいたくなって10キロあまりを米屋さんに持参したのだ。

上の写真はお店に飾ってあった籾(もみ)から白米になるまでの愛らしいマスコット。
久しぶりにオニギリを食べたくなった。

*******

にぎりめし  阪田寛夫

にぎりめしは かるくにぎれ
にぎりめが つかぬほどに

にぎるてのひら しめりをくれろ
でもツバつけちゃだめ てにあせにぎるな

にぎるめしなら むぎめしもいい
おかずは にしめがよくにあう

にぎりめしには おはしはいらない
にぎりしめずに つまんでたべる

にぎりつかれて てについためしを
ひとつぶひとつぶ たべるのもうまい

すすめられても ぎりめしくうな
はらぺこにいちばん にぎりめし

  
   *「阪田寛夫詩集」ハルキ文庫、2004年


「すすめられても ぎりめしくうな」と言われて
ドキリとする政治屋とその取り巻きは世に多いだろう。
確定申告がスタートして佐川長官をトップに推戴する国税庁への批判の声は高まるばかりのようで、TVも取り上げざるを得なくなって来た。公然と「ぎりめし」をふるまう者がおり、それを食ってしまった者がいるという構図があからさまなのだから当然のことだ。

◆「税」の字、「のぎへん」=「禾」は米に代表される穀類、「兌」は抜け落ちる、という意味であるそうだ。税とは汗して手に入れた収穫から抜かれる米のことだ。税としてさっ引かれたものが横流ししされたりゴマカされていてはたまらない。私腹を肥やした輩こそが潔く年貢を納めるべき時機だろう。

映画「白バラの祈り」から[2018年02月18日(Sun)]

◆1943年の2月18日、ミュンヘン大学でゾフィー・ショルが兄のハンスとともに反ナチ抵抗運動を呼びかけるビラを撒いた日だ。
目撃した大学の職員が二人を拘束してゲシュタポに引き渡した(いつの世にも権力に迎合する協力者がいる)。
二人は同志のクリストフ・プロープストとともに4日後に国家反逆罪として人民裁判で有罪を宣告され、即日(!)処刑された。

彼らの平和的な抵抗運動は「白バラ抵抗運動」として知られ、映画にもなった。
1982年制作の「白バラは死なず」(ミヒャエル・フェアヘーフェン監督)を勤務校の芸術鑑賞会で生徒たちと一緒に観る機会があって、彼らのことを知った。
この映画を選んだ担当者の見識には、30年以上経った今も感謝するばかりだ(このブログをスタートしたばかりの実教出版日本史教科書排除事件の記事でそのことを思い出して引用している→〔2014年8月6日、飼い犬に手をかまれる日〕⇒http://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/17
「政治的中立性」を理由に史実を描いた映画すら敬遠しがちな現在、こうした映画を全校で観ることが可能かどうか。

◆「白バラは死なず」はドキュメンタリー風に描いた映画だったが、その後、ゾフィーの尋問調書など新たに発見された資料をもとに制作された「白バラの祈り ゾフィー・ショル、最期の日々」(監督マルク・ローテムント2005年(日本では06年)に公開)がTVで放映されていたので観た。

◆尋問するゲシュタポのモーア刑事とゾフィーのやりとりが胸に迫る。
抄録する。Mはモーアのことば。Sがゾフィーのことばである(字幕翻訳:古田由紀子)。

M:君はドイツ国民の幸福を案じている。ヒトラー暗殺を企てた卑劣漢とは違う。

S:じゃ、なぜ罰するの?

M:法があるからだよ。法がなければ秩序はない。

S:あなたの言う法はナチ政権誕生前の言論の自由を守る法よ。
今は自由に発言すると投獄か死刑だわ。これが秩序?

M:では法律のほかに何に頼れというのだ?

S:良心よ。

M:バカらしい。
法があり、人間がいる。
私の義務は両者が一致するか確かめることだ。あら探しじゃない。


S:法が変わっても心は普遍よ。

M:みんなが勝手に善悪を決めたらどうなる?犯罪人が総統を倒したら何が残る?犯罪的カオスだ。
自由思想、連邦制、民主主義、その結果どうなった?

S:ヒトラーが消えれば秩序を取り戻せるわ。独裁からも解放されるのよ、追従者からも。

M:独裁、追従者?中傷は許さない。

◆インフレ、失業や貧困をヒトラーが解決してくれたと信じるモーア刑事に、ゾフィーは国民を全面戦争に駆り立て犬死にさせているだけだ、と訴える(1943年2月18日は宣伝相ゲッベルスが総力戦を国民に説いた歴史的な日でもあり、映画には、捕らえられたゾフィーにラジオから流れるその演説を聞かせておけ、と看守に命じるシーンも挿入されている)。

学生として政府に守られ、食糧配給など特権を与えられている身であるのに、なぜ総統に反対し、誤った信念のために危険を冒すのか?と問われてゾフィーは「良心があるからよ」と答え、ナチが行っている蛮行の数々を挙げる。
とりわけユダヤ人の死の収容所送りだ。
モーア刑事はそれはただの噂だ、と否定し、ゾフィーを責める。

M:君は分かってない。間違った教育のせいだ。私に娘がいれば君のようには育てなかった。

S:ナチが行ったショッキングな話があるわ。
心を病んだ子をガス室送りよ。母の友人から聞いたわ。
病院の子どもたちをトラックが迎えに来た。
”どこに行くの?”と聞かれて看護師は”天国に行くのよ”
子どもたちは歌いながら乗り込んだ。
彼らに哀れみを感じるのは間違った教育のせい?

M:価値のない命だ。君は保母訓練を受けて心を病んだ患者を見てるはずだ。

S:だから分かるの。
どんな事情があろうと裁けるのは神だけ。
彼らの心は未知数よ。苦しみから英知が生まれるかもしれない。
命は尊いわ。

M:新しい時代の始まりを理解するのだ。


◆障害者を生きている価値がないと決めつけて抹殺する優生思想が息を吹き返している現在。75年前のよその国の話ではないと切実に思う。


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