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すべて良いものの中にはあなたがいる[2018年01月21日(Sun)]

DSCN5338.JPG
◆今朝は良く晴れていた。ただ、関東地方、明日22日午後は数年に一度の大雪の予報。

********

◆亡母の神葬祭、滞りなく終えることができた。
霊璽(れいじ:白木に御霊(たま)を遷したもの)や墓誌に誌す諡(おくりな)で「媼(おうな)」をいただいた。
これまでは「大人命(うしのみこと:成人男)」や「刀自命(とじのみこと):成人女性」の諡をそれぞれ本名の下に付けて墓誌にも刻んでもらって来たが、今回は「媼命(おうなのみこと)」となる。数え年で95歳(満では93歳と11ヶ月)、長命を全うできたおかげである。
ちなみに長寿の男性は「翁」を諡に用い「翁命(おきなのみこと)」となると教わった。

*******

◆ナンシー・ウッド『MANY WINTERS』(金関寿夫訳)は、ネイティヴ・アメリカンのタオス・プエブロ・インディアンの人々が著者に語ってくれた言葉が詩の華を咲かせたもので、生命とこの世界への洞察に満ちている。その終わりの2編を引いておく。

〈年老いた女よ〉  ナンシー・ウッド

年老いた女よ、
それはあなただ。
わたしの魂の目でしか
あなたを見なかったときでさえ
それはあなただった。
年老いた女よ、
あなたとともにいて、わたしは見た、
枯れた丸太が命を与え
真冬の小川が、春のためにさざ波を立て
はるか彼方の山並みが
ものの始まりについてわたしたちに語ってくれるのを。
年老いた女よ、
あなたとともにいて、わたしは知った、
高いところでの平安を
強風に吹かれて身を丸め、太陽に向かって傾く
花の持つ意味を。
年老いた女よ、
いつも小さなものの中に、あなたはいた、
まるで自然全体が、あなたの考えを持っているみたいに。
だからわたしは、いろんなものから教わったのだ、
岩や虹、高い木立や蝶々から。
年老いた女よ、
あなたはいた、
自由に空を飛びまわる、孤独な鷲の中に
そしていつか荒涼の地で見た、鹿の目の中に。
年老いた女よ、
すべて良いものの中にはあなたがいる。
それらはわたしを目覚し、そして言う、
わたしはより豊かで、より充実した人生を送った
なぜなら、あなたがわたしとともに
生きていてくれたからだと。


〈たとえそれが、一握りの土くれであっても〉

たとえそれが、一握りの土くれであっても
良いものは、しっかりつかんで離してはいけない。
たとえそれが、野原の一本の木であっても
信じるものは、しっかりつかんで離してはいけない。
たとえそれが、地平の果てにあっても
君がなすべきことは、しっかりつかんで離してはいけない。
たとえ手放すほうがやさしいときでも
人生は、しっかりつかんで離してはいけない。
たとえわたしが、君から去っていったあとでも
わたしの手をしっかりつかんで離してはいけない。


*******

ナンシー・ウッド「年老いた女よ」p106-A_0001.jpg
〈年老いた女よ〉に添えられた挿画:フランク・ハウエル

*******

DSCN5361-A.jpg

◆「藤沢聖苑」に柳原義達の「道標・鳩」(1972/1979)があった(上下の写真2点)。
横浜高島屋の屋上庭園にも同題の作品がある。

DSCN5367-A.jpg



自然は何ものとも戦おうとはしない[2018年01月20日(Sat)]
ナンシー・ウッド「MANY WINTERS」(邦題『今日は死ぬのにもってこいの日』、金関寿夫訳)から――

〈死ぬことについて〉 ナンシー・ウッド

今にも秋が来ようというとき、わたしは山へ行く道を歩いていました。
太陽は明るく輝いて、木の葉を豪華な色に染めていました。
河の流れは、岩の上でゆるやかな踊りを踊り、「別れの歌」を歌っていました。
鳥たちもまた、季節の終わりが近づいたことをわたしに告げていました。
けれどどちらを向いても、悲しみというものはありません。
というのは、すべてはそのとき、そうあるべき姿、そしてそうあるべきだった姿、また永久にそうあるべきだろう姿を、とっていたからです。
ねえ、そうでしょう。自然は何ものとも戦おうとはしません。
死がやって来ると、喜びがあるのです。
年老いた者の死とともに、生の新しい円環が始まります。だからすべてのレベルでの祝祭があるわけです。
わたしは道を進んでゆきながら、準備がどっさり行われているのを目にしました。「最後の踊り」の準備の方も、相当なものでした。


◆とりわけ気に入ったのは次の2カ所。原文とともに掲げておく。

すべてはそのとき、そうあるべき姿、そしてそうあるべきだった姿、また永久にそうあるべきだろう姿を、とっていた
all was as it and had been and would be forever.

ねえ、そうでしょう。自然は何ものとも戦おうとはしません。
死がやって来ると、喜びがあるのです。
年老いた者の死とともに、生の新しい円環が始まります。だからすべてのレベルでの祝祭があるわけです。
You see,nature does not fight against anything.
When it comes time to die,there is rejoicing.
The new circle of life begins with the death of the old one
and so there is a celebration on every level.


今日は死ぬのにもってこいの日.jpg


どこへも行かず、あらゆる所へ行った[2018年01月19日(Fri)]

DSCN5310-A.jpg
枕辺に供える花を、と花屋さんに御願いした。
眺めていると、こちらの意を汲んでくれたことがしみ入るように感じられる。
花を生けるというのは生の調和を凝縮し、ついで放散させることのようだ。

*******

ナンシー・ウッド 『MANY WINTERS』 より  

年月の広がりの中で、わたしは自分自身を時間で包む。
人生の様々な層で、わたしを包み込む毛布のように。
わたしは君にこうしか言えない、
わたしはどこへも行かなかったし、あらゆるところへ行ったと。
わたしは君にこうしか言えない、
今や私の旅は終わったけれど、実はそれは始まっていないのだと。
過去の私と未来のわたし
それはいずれも、今のわたしの中にある、このように。

  *ナンシーウッド『今日は死ぬのにもってこいの日』
     金関寿夫 訳、めるくまーる、1995年

井伏鱒二の詩[2018年01月18日(Thu)]

DSCN5299.JPG
桜の幹。むかし村のお年寄りがうまそうに喫う「刻み」の莨(たばこ)入れは桜の樹皮と決まっていた。

*******

なだれ  井伏鱒二

峯の雪が裂け
雪がなだれる
そのなだれに
熊が乗つてゐる
あぐらをかき
安閑と
(たばこ)をすふやうな恰好で
そこに一ぴき熊がゐる


   井伏鱒二『厄除け詩集』(講談社文芸文庫ほか)

◆この莨を吸うポーズの熊も、歌舞伎の石川五右衛門のように、煙管で見得を切りながら降りて来るのが最も似つかわしい。
絵本の中に紛れ込んだような不思議な世界。

そしてふたたびは[2018年01月17日(Wed)]

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菜花(なばな)のようだ。つぼみを摘んだあとが見える。境川沿いの家庭菜園で。

*******

ふたたびは   茨木のり子

ふたたびは
帰らずの時
ひとはなんとさりげなく
家を出て行くものだろう

いつものように帰ってくる
なにげなさで
木戸を押して
ひらりと

そしてふたたびは



「茨木のり子集 言の葉3」(ちくま文庫、2010年。初出「読売新聞」1991年5月)
*******

◆「ひらりと」身を翻して造作ないことのようにこの世からいなくなる人もあれば、グダグダずるずるブツブツを繰り返してこの世に棲息する者もいて、大半の人はその間のどこかを右往左往しているのだろう。
「ひらりと」は、逝き去りし人を哀惜する残された者の、なすすべのなさを一言で表したことばだ。とらえたと思ってたぐり寄せたものはうすぎぬ一枚で、茫然と見ているうちにそれもまた光を受けた雪のようにたちまち溶けて消えていき、茫漠と夢の中をさまようごとくで。

「隻手への挽歌」人生にYesと言う[2018年01月16日(Tue)]

畠山千代子の詩文集「隻手への挽歌」の掉尾を飾るのは、書名となった詩群「隻手への挽歌」の一〜四である。

その「一」全体を引く。

隻手への挽歌一   畠山千代子

ありがとう
ありがとう
わたしのいとしい左手よ
おまえのさだめの
厳しくもなが過ぎた苦難の道を
よくも必死に堪えながら
ひたすらこの身を支えつづけて
ついに、もはや
老い枯れるばかりの
いたわしい隻手よ
やがておまえは
たたかい終わつて語らず知られず
報いられずに去りゆく
孤独な老兵の様に
ある日
火葬場のかま底に
灰の崩れる音ひとつ置いて
私に従いて消えて行くだろう
その音のはかなさに
わたしは いま
堪えがたくおまえがいとおしい
せめて
おまえのかなしい現し身を
この美しい晩秋の夕空に
たかくたかくかざし照らして
わたしだけが知るおまえの苦闘を
     忍耐を
そのてがらを
こころゆくまで讃えたい
言葉の限り声の限り
讃歌をおくりたい
けれども
おまえのその
救いようもなくうらぶれたすがた――
みみずの様にふくれあがつた血管――
石臼の様に硬まつた関節――
藁ござの様に荒れ荒れたその肌――
そのすがたが
わたしの胸をしめつけて
ことばを奪い声を消す
わたしはただ おまえを見つめながら
哀れなその五本の指に
遠い過去の日の白魚のかげをのせて
流れるままに なみだを流し
その涙に
心いつぱい「ありがとう」を託して
お前の背にそそぎ
せつない祈りを空におくる
「うるわしき晩秋の夕映えよ
 神の如き孤高の栄光よ
 その光もて
 この涙を宝石に変え
 しばしこの手を飾られよ
 ひそかなるいさおしを
 せめてひととき
 たたえられよ
 ねぎらわれよ!」

*******

★奇しくも母の看取りの日にこの詩を読み、ここに紹介することとなった。
右半身麻痺を克服しながら、リハビリに奮闘し左手で繕い物をするまでになり、左手同士の親指相撲ではしばしばこちらを負かした。
「ありがとう」のことばをすっとかけてくれる人であった。


畠山千代子「冬の夜」[2018年01月15日(Mon)]

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たぶのき(椨)。日大・生物資源科学部キャンパスで。

*******

畠山千代子『隻手への挽歌』、作品の配列は概ね制作順だという。
日付けの記載はないが配列からみて1934〜5年頃と思われる次のような詩があった。
弘前女学校(現在の弘前学院聖愛中学高等学校)に勤務していた頃である。

冬の夜   畠山千代子

小路を行く。
そばやの声が
冬空に凍りついて
街が寒々とねむりつづける。
洗ひ湯の湯気がスイスイ流れて
深雪はいよいよつめたく門をかため
雪片は
車ひく男の口びるから
わづかなぬくもりまでも奪ひ去る。

暗い部屋に子を抱いて
賣り上げの金を待つ妻の姿が
まつ白な雪道の上にちらつくけれど、
男の思案はいよいよさえて
街のねむりはいよいよ深まる。



◆1934(昭和9)年は大凶作の年であった。
「昭和史全記録」(毎日新聞社、1989年)によると、10月上旬の米の予想収穫高(全国)は前年の2割6分の減。明治38(1905)年以来の凶作に匹敵すると報じている(東京日日新聞)。

・岩手県教育課では小学校児童を総動員して冬の来ぬ今の中に薬草と食料となる草根木皮を採取させ薬草は直ちに金に代へ、草根木皮は貯蔵させることに決定(報知新聞)。
・青森県三戸郡の一村の如きは全然米食せず粟または稗だけを食つてゐるものが十五部落あり、しかも副食物が僅(わずか)に菜ッ葉ぐらゐで漸く胃の袋を満たしてゐるといふに過ぎず……同県警察部の調査によると、生活苦の犠牲となつて泥沼に沈み行く子女は現に七千八十七名……(東京日日)。などとある。
・11月上旬の読売新聞記事では、東京府職業紹介所長と東京府社会課員が東北六県視察、東北六県から出稼ぎしている婦女子の数は五万八千百七十三名(1934年の1〜9月までの集計)にのぼり、その中に身売りされた娘が多数を占めると報告している。
大凶作に加えて繭の価格の暴落で地方の窮状は極点に達していた。

◆詩は弘前とおぼしい街の雪の夜。そばの屋台を曳く男とその帰りを待つ妻。
男の思案は冴え返るばかりだが、まなかいに姿がちらつく家族に売上金を持って帰ることは未だできない。
農村の窮迫と疲弊は地方経済全体に及ぶ。
ふところも冷え切った雪の夜の街で、そばを注文してくれる客は一向に現れないのだ。
男の瞋恚(しんい…いかり)を何にぶつけたらいいのだろう。

◆前年(1933年)は2月に小林多喜二の虐殺があり、3月には満州問題で孤立した日本は国際連盟を脱退、外圧を軍事力でねじ伏せる国へと突き進む。ドイツでは全権委任法が可決してヒトラーが独裁政権を確立した。

「昭和史全記録」1934年11月の頁には木の皮をはぐ家族の姿とともに、献金で作られた戦車「愛国号」の命名式の写真が載っている。

1934青森木の皮を食べる.jpg(青森県)

1934愛国号戦車_0001.jpg
献金で作られた戦車の命名式


畠山千代子「静かなる海へ」[2018年01月14日(Sun)]

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寒さを更新する日々。土手の水たまりにも薄ら氷が。

*******

◆畠山千代子「隻手への挽歌」より、魂の自由を求める詩を。

静かなる海へ  畠山千代子

はるばると
何を求めて私が来たか?
海よ!
お前の平和は理解力を失つて居るらしい
私の心とは
あまりにも不調和な面だ。
海よ! ほんとに
私の生活を考えて見るがよい
日いつぱい立つてもまばたきすら禁じられ
油の流れの様な
しづかな、重い、苦しさ。
死の苦痛が、
バネの様に身を突き飛ばすか、
思ひがけない運命の開放令が
直立止め! とどなつて来るか
何でもよい、
不幸でも
幸福でも
只、身動き一つ許されないのだ。

海よ!
私はお前のいかりを借りに来たのだ。
社会は私に
こころよい狂気をゆるさず
生活の縷網(るもう)
打算を放擲する事を禁ずるのだ。
家族も、友人も、自分すらも
此の町、あの町と
朝陽をかぞへ夕陽を追ひゆく
ボヘミアンの旅を許さないのだ、
そして、私は、
ごむ風船の様に
胸一ぱいに張り切つた思ひを
ゴムの外皮で閉ざして
破裂か 開放か、
社曾に對(むか)つて
いづれかを待ちくたびれて居るのだ。
先鋭なる刃があらうか?
穴をあけて貰いたいのだ、
熱情の炎火があらば
やきつくされたいのだ。

海よ!
お前には自由があるではないか
なぜそんなに黙つて
お前までがそんな顔をして居るのか、
いかりの聲をあげないのか
狂はないのか?
泣かないのか?
私を呑み込んでくれないのか?

海よ!
それとも私とお前とは
こんなにも一つなのであらうか、
その色は
(じつ)に進退を知らぬ
運命の色ではないか、
だが海よ!
私の運命であつて呉れるな
ただ、魂の
自由な表現であつて呉れ
怒涛と、
狂嵐と、
慟哭と、
神秘と、
そして
永遠と。

 (『地上楽園』1932年十月号初出)
*縷網…細かな網の目のように身の自由を奪うもの
*******

◆掲載誌『地上楽園』は、民衆派の詩人・白鳥省吾(しらとりせいご。1890-1973)が発行した詩誌(1926〜38年)。白鳥もまた宮城県出身の詩人である。

◆「直立」を強いるものに抗い自由を求める熱情が「私」という「ごむ風船」を膨れあがらせている。

*福島大学、高島由貴・准教授の「畠山千代子関連資料の総合的研究」(福島大学研究年報第11号に掲載の研究概要。同年報p.95〜97。2016年1月)によれば、『地上楽園』に掲載された畠山千代子の詩作品が8編発見されたことが報告されている。
1938年までのそれらの作品を、戦前の女性表現者として、および同時代の世界潮流の中で読み解くことが必要だ。
 
福島大学研究年報第11号https://www.lib.fukushima-u.ac.jp/nenpo/issue/no11/03_kenkyuseika.pdf


畠山千代子「隻手への挽歌」[2018年01月13日(Sat)]

畠山千代子「隻手への挽歌」.jpg

畠山千代子(1902-82)の詩文集『隻手への挽歌』(新風舎、2005年)を少しずつ読んでいる。
送ってくれたのは東海地方の古書店U堂で、店主U氏の手書きの挨拶状が添えてあった。プリンタが故障のため納品書を同封できないことなどが丁寧にしたためてあった。
丁寧な梱包から、本を大切に扱っている方だとわかる。これまでインターネットで本を注文してハズれたことは幸いに一度もないが、今回の本はその中でも気持ちの伝わる届け方であったと思う。感謝しつつ少しずつ読んでいる。

心の水  畠山千代子

秋風が町の上をざわめき歩く時
私の心は
深い深い湖水の様に
ほんの少しだけ波だちます。
けれど、その底は、
雨が降ったとて
苦い水をそそがれたとて
しづまりかえつているだけです。
動かし得ないほどしづかです。
ただ、
深い心の水底から
熱涙のみが
ぼつぼつと湧き立つて来るのです。
よろこびもかなしみも
その青ざめた沈黙を破ることは出来ません。


*******

◆書名の「隻手(せきしゅ)」とは片手のことだが、編者の一人、齋藤智香子氏の解説によれば、畠山千代子は、八歳の時に事故で利き腕であった右腕を肩のところからなくしたという。だが、そのあと左手だけを使って何でもできるようになった。ミッションスクールで英語教育を受け、戦前は女学校で、戦後は高校教員として英語を教え続けた。
解説の最初に齋藤が書いている文章も豊かな示唆を含んでいるので、引いておく。

「隻手の音声(おんじょう)あるいは「隻手の声(こえ)」といえば、禅宗で精神の修養のために与えられる課題〈公案〉の中で、最も有名なものの一つなのだそうです。
二つの手を合わせて打てば音が鳴ります。でも片手だけだったら、どんな音がでるのでしょうか。禅宗の「隻手の音声」とは、その片手の音〈=声〉を聞き取りなさい、という課題なのだと聞きました。 
   (齋藤智香子 〈今なぜ「畠山千代子」なのか」〉)

〈関連記事ほか〉
【前回1月11日の記事】
http://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/737
【1月1日の関連記事;長田弘と吉川幸次郎(1)】
http://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/727
【青森県近代文学館の鎌田紳爾氏報告】(再掲)
https://www.plib.pref.aomori.lg.jp/top/museum/hatakeyamatiyoko.html



身と魂のかな床へ[2018年01月11日(Thu)]

そして私は
往来の群衆を逆にねつて
ひとみの洪水を泳ぎながら
私の働き場に急ぐであらう
身と魂のかな床へ。
私はたち上がつた。

或る朝の七時二分。

畠山千代子「或る朝」より(詩文集『隻手への挽歌』より。新風舎、2005年)

◆若かりし日にウィリアム・エンプソン(1906-84)から英詩の添削を受けた詩人・畠山千代子(1902-82)の詩の一節。

この直前では、勤めに出る身支度を終えて机上の鏡に向かい、そこに映っている自分の目を「するどくにらみかへし」「解つている」と自分に言い聞かせてもいる。
外は「しだれ柳のさみどりが笑む」北国の桜の季節。
通りに出れば花見に向かう華やいだ人々が歩いていることだろう。
その人の流れに逆らい、昂然と練り歩くように歩を進める自分をイメージする。

おのれの働く場が「身と魂のかな床」であるとは、心の向かわせ方のなんと厳しいことであろう。
己の身と魂をとことん鍛え抜く真剣勝負の場にこれから向かうのだと。

1929年5月4日と日付けがある。
当時作者は弘前女学校の教壇に立つ人であった。

先日、長田弘の随想集で出会ったエンプソン、彼がC.Hatakeyamaとその名を書き遺し、長く幻の詩人と言われた人の詩文集『隻手への挽歌』をさる古書店から送ってもらった。
ひもといてみると、いきなりかかる裂帛の詩句に出会ったのだった。

★【先日の記事】
http://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/727

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