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安保法制違憲の判断を求める現職自衛官[2018年01月31日(Wed)]

司法も本腰の一歩

◆安保法制違憲の判断を求める現職自衛官の訴えの利益を高裁が認める判決を出した。
一審の地裁に差し戻しとなる。

【毎日新聞】2018年1月31日 16時11分(最終更新 1月31日 16時52分)
安保法訴訟
現職自衛官の訴え、東京高裁が審理差し戻し

https://mainichi.jp/articles/20180131/k00/00e/040/300000c


【東京新聞】(共同)2018年1月31日 19時13分
「安保法違憲」自衛官訴えは適法 東京高裁、門前払いを取り消し
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2018013101001906.html


【時事通信】(2018/01/31-18:50)
安保出動拒否、審理差し戻し=現役自衛官が訴え−東京高裁
https://www.jiji.com/jc/article?k=2018013101210&g=soc


◆違憲判断につながる可能性が出て来た。
大きな意味を持つ判決のはずで、地方各紙はそろってWeb版でこれを載せた。
ところが今のところTVは報じていない。

NHK夜9時のニュースもテレビ朝日・報道ステーションも、ともに皆既月食に始まり貴乃花部屋の話題。その後もトランプ大統領、国会審議のごく一部と、判で押したように順番までほぼ同じであったのには唖然とした。
辛うじて報道ステーションは「線香問題」で辞任必至の茂木敏充経済再生相の件。
審議中に隣の野田総務相と談笑するシーンを流していたが、これは2日前の映像で、渦中の人物の締まりのない笑いを「緊張感に欠ける」とした自民・公明の協議と見解を伝えたのだった。
ただし、与党側の対応にしてからが「注意喚起でしのげる」と踏んで緊張感のかけらもないナメ切った態度。

同じく線香が寄付行為にあたるとして起訴された小野寺五典防衛大臣は、かつて議員辞職を余儀なくされた(2000年1月)はず。

何をやらかしても笑っていられるのが国会というところなのか。
それを追及しきれぬメディアもユルフン報道ということだ。


小笠原眞の詩[2018年01月30日(Tue)]

父は身一つで    小笠原眞


父は亡くなる数年前から
少しずつ身辺整理をしだした

もともと整理整頓の
得意な父ではなかったが
コツコツと身の回りのものを棄てていった
書籍から書類そして親書まで
思い出までもどんどんと棄てていった

生地の切れ端の一片でさえ
棄てることのできなかった母とは対照的に
鮮やかに気持ちがよいくらいに棄てていった

それは諦念なのだろうか
悟りなのだろうか
未練などないのだろうか

亡くなる一か月前には
もう着ることも無いからと
今まで着ていたコートや背広やら
なんとベルトまで棄て始めたのだ

きっと
身一つで
旅立とうと思ったのだろう

父は
どんどん生まれたばかりの
何も持たない人に戻ろうとしている
言葉のない世界に戻ろうとしている

あの世に行ったとき
それじゃ
あんまりかわいそうだと
妻は
棺桶に入れる品々を
父に確認しだした

時計 父は首を横に振る
文庫本 父は首を縦に振る
薬 父は首を横に振る
眼鏡 父は首を縦に振る
万年筆 父は首を横に振る
入れ歯 父は首を縦に振る

父は
ゆっくりと首を振る

どうやら
妻の声は聞こえるらしい
どうやら
あの世でも
好きな読書は続けたいのだ


  小笠原眞詩集『父の配慮』ふらんす堂、2017年

◆連れ合いに先立たれてから16 年、息子夫婦と暮らして来た父の旅支度である。
詩集には、父の生涯、青春時代、家族との日常が飾らないことばで綴られる。

◆詩人・小笠原眞(まこと)(1956〜)は医者を本業として十和田市に住む。
「哀しい眸」という詩は、若かりし日、大出血を繰り返し死を覚悟の苦しみの中でほほえみを見せて手を合わせた患者さんの話。必死の止血で助けたのだが、その時の患者さんの哀しそうな眸が忘れられないという詩である。一週間の延命を行ったことが果たして患者自身にとって良かったことなのか。30年後も思い出して自問するやわらかな心と人間をみつめるあたたかさとは不可分のもののようだ。

小笠原眞父の配慮.jpg

明治150年。大正・昭和はなくても良い?[2018年01月29日(Mon)]

明治150年だそうだ

DSCF0016.JPG

◆さるお役所で出会ったポスター。
明治150年を祝えと官邸発の押しつけキャンペーンである(担当は内閣官房の関連施策推進室)。
いうまでもないが、ポスターにしろチラシにしろ税金が投入されている。
それらを節約して振り向けなければならない部門があるはずだろうに。

◆いちばん問題なのは、歴史修正主義者もしくは歴史否定論者たちが上から目線で下々を動員していることだ。
明治のあとに続く大正・昭和の歴史にフタをかぶせたいのだろう。
現在の平和憲法が昭和前半の戦争の惨禍、自国民とアジアの無辜の人々を犠牲にしてようやく手に入れたものであることをあっさり閑却し去ろうとする現在の政権は、教科書の書き換え、道徳の教科化によって負の歴史にスミ塗りを重ねてきたと言って良い。

◆折しも平成に代わる年号の検討が進められている頃合いだ。
「平成」という年号がいかに品格のない命名であったか、以前書いたことがあるが、その経験に照らして今回も委嘱される学者先生たちに期待はしない。30年目を迎えた平成の世ではあるが、学術において理系偏重の文科行政が続いた結果、元号策定に動員される学者たちの劣化は免れまいし、森友学園に我が名を冠せしめる一歩手前であったアベ首相の周辺には、かの教育勅語を起草した元田永孚的「知識人」が推参するばかりであろうから、今から想像はついてしまう。

◆「明治150年」を寿ぐというなら、いっそ新元号に頭を悩ます手間を省いて年号のリユースしたらいかがか。2019年=明治152年から仕切り直し、ということでは?
そのように仮想してみると、間の〈大正・昭和・平成〉を無視するのか? とそれぞれの時代に生まれた人たちから不満が噴き出そうだ。
そうした当事者の憤懣によって「明治150年」キャンペーンの真の狙いがはっきり浮かび上がる。
キャンペーンは歴史をなかったことにしたいのだ。〈大正・昭和・平成〉の100年余だけではない。殖産興業の裏面に塗り込められた名もなき人々の歴史もまた抹消されてしまう。
先の大戦に応召し辛酸をなめた大正生まれの方たちが退場する時節、彼らの経験が非戦の意思として子や孫に継承されることがなければ、歴史の修正どころか捏造すらお茶の子だろう。「明治150年」讃歌はその序奏でしかない。

[2016年12月01日] の〈「平成」の世で消えた品格〉の項をご参照下さい。
http://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/382


*******

〈余録1〉
◆冒頭のポスターと同じデザインのチラシやロゴは「内閣官房」のサイトからダウンロードできるようになっている。そこに次のような断り書きがあって、無気味だ。

•内閣官房はこのページのファイルをダウンロードまたはご利用いただきましたことにより生じるいかなる損害につきましても何ら責任を負うものではありません。

〈余録2〉
◆内閣官房のサイトには、各地の関連イベントを眺められるページもあって、中に有用な情報がないわけではない。
たとえば、企画展の予告だが、町田市立自由民権資料館ではこの夏、特別展「五日市憲法草案(仮)」というのをやるらしい。
町田市の同資料館のページには未だ告知が見当たらないが、準備が順調に進んでいるのなら楽しみだ。
せっかくこれを紹介するのなら「明治憲法よりはるかに先進的だった五日市憲法草案」と宣伝してやるべきだろう。単に、「〈ニッポン、すごい〉キャンペーン、この指とまれ」と名乗りを上げさせるだけなら虫がよすぎる。


あとはあおあお[2018年01月28日(Sun)]

もうひとつの旅   八木幹夫

思いはなんども海を渡ったが
海を渡って異国の旅は初めてだ

あくせく働く
地上を離れ
空を飛ぶ
空飛ぶ夢はなんども見たが
地球の重力ぷっつり切って
ほんとに空を飛んでいる

(落ちないかしらね)
(落ちないよ)

あれがぼくらのニッポンで
あれがひのもといちの山
これでしばしのおわかれだ

ちちははが
働き詰めに働いて
土にかえった
ちいさな国のちいさな町

そこからぼくらはとびたった
海岸線に波がたち
あとはあおあお太平洋

雲の上
ぼくらはふだんと変わりなく
食事をしたり
となりの人と冗談話

(ほら 雲の中にきえていく あのふたり 大丈夫かな)
(きっと 大丈夫よ)

桜の花の散りかかる
墓にひっそり腰掛けて
ふたつのたましいが
空を見上げて
話してる

(さて おれたちもいこうか)

  『八木幹夫詩集』思潮社・現代詩文庫、2005年

◆八木幹夫は詩の朗読にも熱心に取り組んでいる人のようだ。YouTubeにいくつか朗読がアップされている。それを見るのは上の詩集を読んでからの楽しみに取って置くが、自作だけではなく様々な現代の詩作品が取り上げられている。

◆朗読は己の声を我が耳で聴きながら進む。
ならば、発した音が連想を刺激して繰り返され、転音し、広がり、はじけ、高まり、沈み、うねりして、しまいに暴れ出しもするだろう。八木の「大根心中」など、そんな詩だ。

◆この「もうひとつの旅」は、そうしたはみ出しをすっかり洗い去った最小限の言葉で出来ている。全体はゆったりした七五の調子(とそのバリエーション)に身を委ねて、機上と地上(墓に腰掛けたふたつのたましい)の短い会話が交わされる。
ここでは、話を聞く相手がすぐそばにいるので、己の声を自分の耳に環流させて確かめる必要がない。
そもそも話す必要もないほどに互いには分かりきったやりとりだ(その証拠にこれらの会話はどれもカッコの中に収まっている)。

ふわふわ空に浮かぶ雲のような会話。
機上の二人は初めての海外旅行、彼らが乗った飛行機を見上げている親たちは腰をあげて天国か極楽への初めての旅。
ともに重力やこの世のしがらみからぷっつり自由な同行二人だ。

父は人を[2018年01月27日(Sat)]

銃剣  八木幹夫

物置小屋にかくれた時だった。
埃っぽい闇の中で棚に頭をぶつけた。
禁断の場所だったが、子供は秘密の世界こそ好きだ。
棚から重さのあるものが足元に落ちる音がした。
ナイフでもなければ包丁でもない。
錆びが赤く浮き出た鉄の塊。
「じめた!」と思った。
あの頃、海のむこうの朝鮮半島では戦争が始まっていた。
かくれんぼをやめ、遊び友達と
カタコトの日本語を話すクズ鉄屋に売りに行った。
神社で紙芝居屋の水飴と黄金仮面を楽しんだ。
ついに父には聞かずじまいだった。
消し去るべきものをなぜ捨てなかったのか。
父は人を殺したことがあったのだろうか。
あの鉄の塊で。
『八木幹夫詩集』(現代詩文庫、思潮社、2005年)

◆八木幹夫(1947〜)は相模原在住の詩人。詩作と批評を詩の両輪ととらえ、朗読にも情熱を注ぐ。

ついに訊くことがなかった戦場での父の体験。
錆びた銃剣は父が持ち帰った戦場での体験の象徴だ。
売り払ってしまったことが逆に、訊くべきことがあったはず、というモノの重さとして我が体内に残り続けている。

八木幹夫詩集.jpg
『八木幹夫詩集』(現代詩文庫、思潮社、2005年)


差別の構図[2018年01月26日(Fri)]

六十なかばにして耳疑う

◆信じがたい放言だ。
松本文明副内閣相が自らのヤジのために更迭された。
処分としては全く不充分。議員の職も辞すべきであり、首相も任命した責任を取るべき事件である。
事は、沖縄県で相次ぐ米軍ヘリを巡るトラブルに関する野党党首の代表質問中に「それで何人が死んだんだ」とヤジったというものだ(1月25日衆院本会議)。
一義的には「人が死んだわけじゃないのに国会で取り上げるほどのことか」と言い放ったのだから、議員として不適格なのは明らか。
だが、それだけではない。
人の命を何だと思っているのか、人間性そのものに疑問符がいくつも付く発言なのだ。

◆人命軽視は沖縄への差別意識と結びついている。
こうした腐った性根には無数の欲望の蛆が蝟集していて、自分とその仲間以外のあらゆる人々を常にターゲットにしている。
このヤジに同調した者や苦笑いを洩らした人物もまた、同じ性根を分かち持つ輩ということになる。

不適格な人物が議員の職に「恋々と」留まることについて首相・官房長官らが容認したのであれば、内閣・政府与党の沖縄差別の体質に変化なし、ということである。

野中広務氏の無念

◆そうした折も折、沖縄へのまなざしを持ち続けた元官房長官の野中広務氏逝去が報じられた。
2001年3月、麻生太郎の卑劣な差別発言(野中氏の出自をあげつらって「あんなのが総理になってどうするんだい」と嘲笑った。)に深く傷ついた体験を持つ。
差別される者の痛みを知る人のニラミは残念ながら威力を失って久しい。
松本文明の差別発言は出るべくして出たと言わねばならない。

◆野中広務氏は一方で、「国旗国歌法」を成立させた人物でもある。1999年、小渕首相が国旗国歌法を出すつもりはないと答弁した直後に広島県立世羅高校長の自死事件が起きた。
事件をきっかけに法制化の口火を切ったのが小渕内閣の官房長官であった野中氏である。

1999年3月12日の国会では次のように答弁している。

「 国民に対しまして、例えば法律によって国旗の掲揚とか君が代の斉唱を義務づけるべきであるとか尊重責任を詳細に入れるべきであるとか、こういった御議論もあるわけでございますけれども、基本的には私、思想及び良心の自由、すなわち憲法十九条にあります関係等を十分踏まえて、そしてこれは対処をしていかなくてはならない問題であると思うわけでございます。」
★【1999年3月12日、参議院総務委員会会議録】
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/145/0002/14503120002004a.html
歯切れが悪いが憲法をふまえた答弁にはなっている。
しかし一旦法律が通ると実質的な強制力を発揮し、現在に至っている。
そのことを野中氏自身、数年後には反省している。
『差別と日本人』において国旗国歌法を振り返って次のように語っている。

僕は答弁でも、「国旗国歌は強要するものでも何でもない」と言った。だから第一条「国旗は日章旗とする」、第二条「国歌は君が代とする」。それだけですよ。だから強要も何もしないと。

◆対談の相手、辛淑玉(シン・スゴ)氏によるこの章の解説も引いて置こう。

教育現場での混乱の最大の原因は、日の丸君が代を強制しようとする学校や教育委員会の管理者たちが、「お上の通達だから」という理由をまるで方便のように使ったことである。本来なら、なぜ君が代を歌うのか、なぜ日の丸を掲げるのかという、日本の近代史や思想信条の自由についての深く分け入った議論をすべきだったのだ。そのような場を設けてこそ本来の教育だった。ところがいったん法律が通ると、そのような教育的な議論は、一切封印し、上意下達とばかりに国旗国歌を押しつけてしまった。

その後、第一次アベ政権による「教育基本法改悪」(2006年12月)まで、問題アリの法律だらけとなって現在に至る。解説は2006年当時の野中の次のような悔いの発言を紹介している。

後に野中氏はテレビ(TBS時事放談06年11月26日放送)で、「自分が小渕政権で官房長官やってる時に、国旗国歌法案を触発的にやったんですよ。やったけれどもね、そのあと自分振り返ってみたら、その勢いのまま、住民基本台帳とか、周辺事態法とか、もう怖い怖いのがどんどんどんどん出来たのを、自分で非常に反省してます」と語った。


その後さらに特定秘密保護法、戦争法制、さらに共謀罪……とキケン極まりない爆裂弾が仕掛けられて来たのが2018年の今現在である。

それらのほとんど悉くが米国の意を受けて成立させたものであることも明らかになった状況で、終末時計が「2分前」に進められたというニュースが流れた。
1953年以来の危機的事態を針は指している。針を進めた要因の何割かはアベ政権によると思うにつけ、野中氏晩年のアベ政治批判の努力を諒としつつも、事態を押しとどめるに至らなかった無念をいかんせん、と思わずにいられない。

辛淑玉野中広務「差別と、魚住_0001.jpg
野中広務・辛淑玉「差別と日本人」(角川oneテーマ新書、2009年)


サボテンのトゲ[2018年01月25日(Thu)]

DSCN5336.JPG

◆サボテンのトゲをやっと抜いた。
正月の箱根駅伝を観に行った帰りに見つけたウチワサボテンの紅い実をいくつか持ち帰った。
(1月3日の記事に写真⇒http://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/729
それを取りだして家人に見せようとした時にチクリとしたのを3週間もほったらかしていた。
愛らしい実が小さな金色のトゲで武装しているとは全く気づかなかった。老眼のせいである。
同じ理由で左の人差し指に刺さった微少なトゲを取り切ることができずそのままにしていた。
利き腕ではない左手の指の横腹なので、ものを扱うときに用心すればしょっちゅう痛むわけでもない。
放置した理由はもう一つ、指先の働きが鈍さを増していることがある。
本のページをめくる、小さな付箋を台紙から一枚だけはがす、などという時に上手くつまめない。
あと、レジで小銭を出す時など。小銭をつまむのもお札を数えるのも(どちらもさほど入っているわけではない)指先が命であるのに、モタつく。後ろに人が並んでいると焦る。
あと一円あればキッカリになる、と小銭入れを良く覗こうとして財布の入れてあるポイントカードをパラパラ落としてしまい、他のお客や店員さんの手を煩わせたことも一再ならずある。

◆そのうち、指の肉がくるんでくれて痛みも消えるのではないかと淡い期待を寄せたが、そううまくはいかない。時々忘れたころにチクリとする。
それでも放ったままだったのだからモノグサも念が入っている。
果てには、被爆した人や戦傷者が今もあちこち痛むと言う、その辛さの一端が分かるのではないか、この程度で大騒ぎしては申しわけないなどと、不謹慎千万な理屈さえひねり出してごまかしていた。

◆ウダウダと3週間が過ぎた今日、車で出かけようとハンドルに手を置いたら昼の日の光に浮かび上がったトゲらしきものの姿が見えた。
ようやく「よし、今日帰ったら、明るいうちに手術だ!」と決心が付いた。

「手術」敢行を後押しした出来事がもう一つある。
薬局で受け取ったレジ袋を手から取り落としたことだ。しかも立て続けに2度。
不器用な指でも動いてくれるうちに決行しなければならない。帰宅を急いだ。

………

◆帰宅後、マチ針、とげ抜き、カッターを火で消毒し拡大鏡も用意して取りかかる。
……幸い、マチ針だけによる1,2ミリの切開で事足りた。おそるおそる傷口を親指で押してみたら痛みはない。切開したことによる痛みはあるが、明日には消えているだろう。
皮下で一寸法師が針の剣を突き立てているような痛みではなくなっている。

DSCN5103-A.jpg
紅い実の頭頂にも胴の部分にも小さなトゲが生えている

◆人心地ついて思い出したのが、母方の祖父が日露戦争で受けたという銃弾のことだ。
「ジサマの体には今も鉄砲の弾が入っている」と親から繰り返し聞かされたが、祖父にそのことを確かめたことはない。祖父は平素口数の少ない人で、進んでいくさの話をしたこともない。
夏休みに母親の実家に行くと二階を格好の遊び場にしたが、その階段を上ったところに軍帽がかかっていた。軍帽の鉢巻き部分の鮮やかな紅い色とその中央正面に付いていた金色の★が今も記憶にある。

祖父は八十過ぎまで生きた。当時としては長生きしたと言って良い。
没後しばらくして行ったときに鉢巻きの鮮やかな紅に★の付いた軍帽は姿を消していた。
どこかにしまったのか、燃してしまったのか、訊いて確かめることもしなかったが、もうその二階を遊び場にすることはなかった。

◆祖父が従軍した日露戦争と言えば、1902(明治35)年の八甲田雪中行軍遭難は1月24日から28日にかけての事件(出発は23日)である。対露戦に備えた演習であった。

祖父も同様の行軍を経験したかどうか、遭難に際して八甲田を望む地元の若者として救援に加わるなどのことがあったかどうか、そうしたことも聞く機会はなかった。

1960年代初めころでも未だ子どもの遊びはチャンバラや戦争ごっこと決まっていたのに、地元で起きた大事件について何も知らず、頑是ないというも愚かな洟垂れ小僧であった。


〈こころまでタイホ出来るのか〉[2018年01月24日(Wed)]
DSCN5388.JPG

*******

◆ミャンマーの少数民族、ロヒンギャの人々への迫害・弾圧がやまない。
バングラデシュに逃れた人々の難民キャンプの様子を田中龍作ジャーナルが報じている。

★【ロヒンギャ難民キャンプ発】ゲットー化始まる 政府高官「強制送還は1〜3ヵ月遅れる」
http://tanakaryusaku.jp/2018/01/00017373

〜この間、連日レポートがアップされている。

★【ロヒンギャ難民キャンプ発】リーダー射殺と西側メディアなき国連視察
http://tanakaryusaku.jp/2018/01/00017353

★【ロヒンギャ難民キャンプ発】まだ続くミャンマーからの脱出 それでも帰す鬼畜
http://tanakaryusaku.jp/2018/01/00017325


*******

境節(さかい せつ)の詩に〈こころまでタイホ出来るのか〉という1行を見出して暗然とする。
過去の例外的な一人の人に起きた不運などではなく、今も誰にも起こりうることとして。

出口  境 節

壁におしつけられて
その人は泣いた
ゆきどまりの路地で
ひとり静かに泣いた
最後の瞬間まで あきらめないで
絵をかく
こころまでタイホ出来るのか
死のにおいを散らして
数多くの人々が死ぬ
理由もなく殺される人々
地獄におちるとは
どう言うことなのか
理づめではなく
肉体をむしばまれて行く
死にしょうぞくは着たくない
極度の不安にむしばまれて
人々は殺されて行く
大量の死が
日常に ころがって行く
希望はなくても
生きなければならないか
墓地に ほうむられた人は
まだいい
内気で孤独な絵を
生涯かいた人の墓に
薄陽(うすび)が さしている
「出口のない美術館」に
その人の作品がある
幸せな思い出を かいた絵もある
出口は
あるのか


*「出口のない美術館」とはダニエル・リベスキンドの設計によるフェリックス・ヌスバウム・ハウスを指すのだろう。フェリックス・ヌスバウム(1904−44)はアウシュヴィッツで殺害されたユダヤ人画家。

「出口」は詩集「道」(2003年)所収。テキストは現代詩文庫『境節 詩集』(思潮社、2015年)に拠った。


空が落ちて来るような不安[2018年01月23日(Tue)]
DSCN5374.JPG

10センチほどの降雪。道は午後には大体融けた。

DSCN5378.JPG

サギも冬毛なのか、胸元に山羊のヒゲのように豊かな羽毛が垂れている。
雪と白さを競っているみたいだ。

*******

立て続けの米軍ヘリ緊急着陸

◆また普天間の米軍ヘリだ。沖縄の渡名喜島に緊急着陸(23日夜)。
昨年10月、東村にCH53ヘリコプター緊急着陸し炎上、12月には普天間基地に隣接する小学校にドアが落下。県民の不安をあざ笑い抗議を踏みにじるように同じ小学校の上を再び飛行。
年が明けた6日にはうるま市の伊計島、8日には読谷村に、今回と同じAH1攻撃ヘリコプターが緊急着陸している。

◆事故が止まらない理由は、(1)整備および操縦技術の練度低下、(2)訓練の増加、(3)人命軽視(ひょっとして日本人への蔑視)のいずれか若しくはそれらすべてが相乗した結果であるだろう。
人命にかかわる重大事故が近いと予測することは決して杞憂ではあるまい。

【NHKニュース】1月23日21時41分
米軍ヘリ緊急着陸
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180123/k10011299921000.html

【日テレ NEWS24】1月23日 22時32分
渡名喜島に米軍ヘリが緊急着陸
http://news.livedoor.com/article/detail/14199831/
*ニュースへのリンクは一定期間のみ有効です。

*******

雲母   境 節

少女だった頃
戦争があり
外地に住んで
学校に通った
半分勉強があり
半分仕事をした
小刀で雲母を0.2ミリのうすさにして行く
〈飛行機に使うらしい〉
〈ふうん〉と思いながら雲母はぎをする
なにか いつも いっしょうけんめいだった
八月十五日が来る前に
一人のともだちが小声で言った
〈戦争はもう終るよ〉
〈そんなことあるもんか〉と思いながら気になった
敗戦は はっきりと来た
混乱と不安が街を取りかこむ
無法状態を経験し学校と友に別れた
はたちの頃
空が落ちて来るような不安が
たえず起った
雲母が頭上に舞い
じゅうぶんおどれなかったもどかしさが
0.2ミリになって
おそって来る

 詩集『鳥は飛んだ』から。

◆境節(さかい せつ)は1932年生まれ。
「はたちの頃」の「空が落ちて来るような不安」とは、戦時下の記憶だけでなく、彼女が成人に達したころ進行中であった朝鮮戦争がもたらしたものだろう。
昨日の永瀬清子と同じく岡山の詩人(倉敷市児島に在住の由)。永瀬は境について「透明度の高い人」、その詩については「澄明で限りなく卒直な心にバランスしている」と評している(『夢へ』序)。

境節詩集.jpg
『境節 詩集』(現代詩文庫、思潮社、2015年)

非情のやさしさをもって雪が降りつむ[2018年01月22日(Mon)]

DSCN5359-りす?A.jpg
◆「藤沢聖苑」で待っていると、神職の方々が窓の外を見やって「リスのようだ」とおっしゃる。
目をこらすと広いアプローチに接した斜面、さらに数メートルある擁壁を真っ直ぐ降りてきた黒い毛の生き物が見えた。平地に降りたところをズームで捕らえようと試みるも、顔が隠れてしまった。

◆予報より早く昼前から雪が降り出した。
ニュースはターミナル駅の様子を繰り返し映し出す。
惰性に胡座をかいたような番組づくり。
せっかくの静けさに口をつぐみたくなるのが自然だと思うのだが。
昨日のリス(?)も、今朝見かけたサギ、ヒヨドリたちも人間ほど無駄口はたたかない。

◆備中高原で生まれ育った母のために、同様に岡山で土を耕した永瀬清子の詩を一篇引いておく。

降りつむ  永瀬清子

かなしみの国に雪が降りつむ
かなしみを糧として生きよと雪が降りつむ
失いつくしたものの上に雪が降りつむ
その山河の上に
そのうすいシャツの上に
そのみなし子のみだれた頭髪の上に
四方の潮騒いよいよ高く雪が降りつむ
夜も昼もなく
長いかなしみの音楽のごとく
哭きさけびの声を鎮めよと雪が降りつむ
ひよどりや狐の巣にこもるごとく
かなしみにこもれと
地に強い草の葉の冬を越すごとく
冬を越せよと
その下から
やがてよき春の立ちあがれと雪が降りつむ
無限にふかい空からしずかにしずかに
非情のやさしさをもって雪が降りつむ
かなしみの国に雪が降りつむ

 永瀬清子詩集『私は地球』沖積舎、1983年

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