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2017年の〆[2017年12月31日(Sun)]

◆今年も〆の日を迎えた。恒例の境川クリーンアッププロジェクト(散歩がてらのゴミ拾い)の集計報告から。
2017年元旦から大晦日まで、ペットボトル773、空き缶1405、ビン71の合計2249本を回収した。
一日平均6.2本。その他のゴミも極力拾い、体感総重量はおよそ106kg(手応えに基づく極めて主観的な重さ。ただし8年の経験に裏付けられてさほど外れていない確信がなくはない)。
2000本を超えたのは初年度の2010年(この年は4月3日からスタートした)以来で、二度目の大台達成で慶賀の至り。ただし、そのころと違って現在は土手を水面近くまで降りて回収したりはしない(ひとえに原発事故後の土砂中の放射線量低からざりしを理由とする)。
その分、地元を回る範囲を広げ、自転車で徘徊する折に遭遇した獲物も多い。

*******

◆今年出た詩集で読むことができたものから幾つか紹介する。

藤井貞和『美しい小弓を持って』(思潮社、2017年7月)より――

藤井美しい小弓+憲法詩歌集_0001.jpg


のたうつ白馬 ―― 回文詩3  藤井貞和

震源は
震源は
のたうつ白馬

爆破のあとの
あしたは来るか?
ついに爆発
しか(=確)と
かだましく 神か
神隠し まだかと

過失?
白馬にいつ?
軽く果たし
あ(=足) のと(=音)

爆発 うたの
反原子
半減し

*かだまし(姧し)…心がねじけている、怠慢である

◆「回文」とは「たけやぶやけた」のように上から読んでも下から読んでも同じ音になるもの。
この作品では1行目「震源は」(しんげんは)をひっくり返して最終行「半減し」(はんげんし)と変貌させている。2行目以降も同様。
次の作品も同じ要領である。


この国家よ ―― 回文詩5

暗い来歴に
かなしいよ
人災よ
この国家よ
炉の震源は
遠のくより
箴言せよ
字はまだ
スクラム(=緊急停止)
停止や
試間、模擬、意図
いしだたみが快楽

規制の虜(=Regulatory Capture)
ほとんど愚昧
電源、この
喪失し
うその根源で、いま
愚鈍と
誇りとの遺跡
暗い鏡

ただしい問い、疑問
もしや、しいて
村、薬玉は
除染
原子力の音
反原子の
炉よ
かつ、この
今宵、惨事よ
石中に
きれい、磊落


◆1行目「暗い来歴(に)」(くらいらいれき)を逆さにして最終行は「きれい磊落」(きれいらいらく)と変貌させている。
なお、回文としての折り返し点は、タイトルを除いて全31行の詩行から構成されるこの詩の真ん中、すなわち16行目の「喪失し」であることが見てとれるだろう(単音で指摘すれば「喪失」の「つ」)。
単に回文という言葉遊びの折り返し地点というなかれ。原発の過酷事故をモチーフとするこの詩において中心を成すのは、かけがえのないものを喪失した感情であること、そうしてその感情を境に反転させられたこの世界を音で表現したのである。

意味の上ではたとえば「喪失し」の前行は「電源」であり、次行は「うその根源」。すなわち事故後でさえ基幹電力と位置づけることをやめない「原子力の平和利用」という国家の大ウソへの怒りが諧謔の衣裳をまとっているわけだ。

◆同様に最初の回文詩「のたうつ白馬」の折り返し点を見ると、16行ある詩行の折り返し点は8行目と9行目の間にある。
すなわち「かだましく 神か」を反行させて「神隠し まだか(と)」と変貌させていることが分かる。そうしてこの部分も実は感情が渦巻いて中心を成している。神にあらざるものが神を僭称することへの怒りである。
「かだまし(姧し)」という古語は「心がねじけている、怠慢である」という意味だが、「ねじけた心」ほど「神」から遠いものはないはずであるところ、この二つを続けて奇態を表現する。同時にもう一つの「怠慢」の意味からの連想によって「過失?」と繰り出して問い糺して行くのである。

◆藤井貞和の詩をもう一篇。昨年夏の津久井やまゆり園の悲劇を詠んだ作品。

悲し(律詩)

人のさがはここに行きつくのか、家族の心痛を知らず。
ことばよ、空しく駆け去って応えはどこにもない。
無惨な犯行の場に、いまきみを抱く涙 数行(すうこう)
現代の暗部に遺されて、われらであることを遂げない。
十九人を喪うわれら、何を愛(かな)しと言おう。
はくらくてん(=白楽天) よ、あなたにはもはやうたう理由がない。
心豊かでありたいのに、残忍な非行に向き合い、
地底に声を知るもののかず、ついになくなる 視界内。
(反辞)
われらとは、現代に律詩とは。 立ち向かうとは。


◆一年半が過ぎて園と入園者たちの今後については一定の方向が打ち出されたものの、直訴の手紙への対応を誤った公的な立場の人々の責任については何ら反省がないままである。
「われらであることを遂げない」世界では「ことば」は応える者を得られないまま飛散するしかない。しまいには「地底に声を知るもの」が一人として存在しなくなってしまう。亡き人が不在であるだけでなく、そのことばを知る人々もまた不在の世界である。
加害者は「意思の疎通ができない人間が生きてても意味がない」と考えていた。果たしてそうか?そう決めつけるところに私たちもまた立っていないだろうか?


*******

◆2017年5月3日に出た『日本国憲法の理念を語り継ぐ詩歌集』(鈴木比佐雄、佐相憲一・編。コールサック社)から2篇。


なんでじゃ なんでじゃ  佐々木淑子

なんでじゃ なんでじゃ
なんでわしらが どかねばならぬ
踏むな 汚すな
その下にゃ されこうべが埋まっとるぞ
(おばあたちが引きずられようとされる)
「年寄りに手を出すな おばあはこれでも
レディじゃど」
なんでじゃ なんでじゃ
なんでわしらが 泣かねばならぬ
軍靴を脱げよ
裸足で大地にぬかづけよ

なんでじゃ なんでじゃ
なんでわしらが どかねばならぬ
踏むな 汚すな
その下にゃ ウチナーの神が住んどるぞ
なんでじゃ なんでじゃ
なんでじゃ なんでじゃ

(オペラ『鳳の花蔓』より。演習場入り口でのおじいおばあの命がけの攻防の場面)

◆作者は詩人にして脚本家。

◆最後に若い世代の詩を一つ。2018年の世界がこうしたしなやかでまともなことばであふれますように。

*******

スモールワールド  井上摩耶

ねぇ、世界は小さいって言うけれど本当かもね
願えば叶うって言うけれど本当かもね
世界は繋がっていて
みんなの願いが叶っていくのかもね

誰かが誰かの願いを叶えていて
祈りを 悲しみを 喜びを共にしていて
グローバリゼーションっていうけれど
その言葉の意味より 奥深く心で
シンクロしているのかもね

だから悲しみが大きいとどんどん広がってしまうよ
涙の海が出来てしまう前に
止めないとね
絶対にダメだよって
これ以上の犠牲は哀しいよって
祈ることをしないとね  心からさ


藤井美しい小弓+憲法詩歌集_0003.jpg



ミンダナオ子ども図書館が元日のTVに[2017年12月30日(Sat)]

DSCN5033.JPG
センリョウ(千両)。黄色と赤がある。暮の墓参りに榊の小枝とともに持参した。

*******

ミンダナオ子ども図書館から元日TVのお知らせ

ミンダナオ子ども図書館(MCL)からメールが届いた。
フィリピン・ミンダナオ島で読み聞かせを中心に、スカラシップ、医療、保育所建設、植林を行っている現地NGO・特定非営利法人。

元旦(2018年1月1日)朝のTV東京「池上彰の新春生放送!2018年を初解説」にMCLが紹介され、スカイプで松居友さんも出演するそうだ。メール本文を転載する。

*******

元日の朝6時30分〜9時10分に、テレビ東京の池上彰さんの番組で、ミンダナオ子ども図書館が取りあげられ、先日行ってきた、戦闘で破壊されたマラウイ市の避難民の様子や、破壊された家、そして親を失ったりした子を優先して奨学生に採用し、ミンダナオ子ども図書館に住むようにして保護していく活動の様子が映されます。
戦闘地の映像は、主にわたしが撮影したのですが・・・素人で大丈夫かな?
サイトでは、宮木梓さんが写真を載せてくださっています。
http://www.edit.ne.jp/~mindanao/mindanews.htm

池上彰さんと生でスカイプで話します。パックンとも?

テレビに出るのは何だか恥ずかしいですが、多くの方々に子供たちの事を理解していただいて、支援者をさがすのが与えられた役目なのでがんばります。

以下が番組の紹介です。

http://www.tv-tokyo.co.jp/ikegamiakira/180101.html
*********************

元日の朝、池上彰が生放送でNEWSを伝える。現場は国内外、2018年の注目の場所。池上彰が世界中の現場とやりとりをして、2018年をニュース解説!

Gフィリピン・ミンダナオ子ども図書館
 フィリピン政府軍がIS(「イスラム国」)の影響を受けたイスラム過激派を掃討したばかり。
 果たして平和は訪れるのか?孤児院で奮闘する日本人に聞く

2018年1月1日(月)朝6時30分〜9時10分
池上彰の新春生放送!2018年を初解説
出演者:池上彰、相内優香(テレビ東京アナウンサー)、片渕茜(テレビ東京アナウンサー)
ゲスト:高橋英樹、宮崎美子、東貴博、パックン、小島瑠璃子


********

◆ミンダナオ子ども図書館:日記(松居友さんが執筆。講演会の日程なども掲載)には下記から。
http://www.edit.ne.jp/~mindanao/mindanewsdaiary.html

*******

これまでの関連記事:
★2015/2/19ミンダナオ子ども図書館(1)
http://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/106
●松居友さんの活動についての紹介は下記を
★2015/2/21ミンダナオ子ども図書館について(2)
http://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/107
★2015/4/6 ミンダナオ子ども図書館(3)
http://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/121
★2017/6/28 ミンダナオ子ども図書館の避難民救援活動に支援を!
http://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/544

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DSCN5037.JPG
センリョウの赤バージョン。

自我のはたらき[2017年12月29日(Fri)]

DSCN5028.JPG
ナナカマド。毎年のことながら、どうしてこんなにみごとな実がたわわに生るのか不思議だ。

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中井久夫『精神科医がものを書くとき』は素人にもわかる平易なことば遣いを貫きながら、考えるヒントに満ちた本だ。

たとえば、医師と看護師さんたちに向けた講演「公的病院における精神科医療のあり方」、ちくま学芸文庫版(2009年)169頁の「自我の働きから精神科の病気をみる」。

人間の自我の働きという点から病気を考えることが大切だと言う。
自我の大事な働きとして3つ挙げている。

(1)まとめる力とひろげるちから
人間の自我の働きにはまず、「まとめる力」と「ひろげる力」があります。精神統一なんていいますが、統一ばかりしていたら何もなくなってしまいます。ひろげなければ、新しい経験が入ってきません。しかし、ひろげたものはまとめないと、自分というものがひとつのまとまりでなくなってしまうわけです。
こういう微妙なつりあいが人間の正気を保つために必要なことです。


◆「統一ばかりしていたら何もなくなってしまう」
 ――統一や秩序、組織としての一体性をことさら強調するエライ人に対するにアマノジャクの効用も大事と考え直してみる。組織の内部にいてはオカシさに気づきにくい。
「ひろげなければ、新しい経験が入ってこない」という指摘にもなるほどと思う。
どちらがより重要、ということでなく、どちらも大事なはたらきで、両方の働きがつりあっていることが重要だという。

(2)外界と内界の区別
――夢の中ではこの区別がごちゃごちゃだが、目覚めている時の正気を保つには必要な働き。

(3)世界の中心であるとともに世界の一部
――自己は世界の中心であると同時に、世界の中の一人、あるいは世界の一部であるということです。この二つのことを同時に感じることが精神健康の目安のひとつです。


◆自分が世界の中心である、という意識は独善を意味しない。家族や友人といった密な関わりをもつ相手にはじまって、自分が属している地域や社会をどう理解するかは自分の目や耳が働いて感じ、知るのでなければ始まらない。
一方、相手が自分と異なる考えや価値観であることに気づくこと(=他者の発見・気づき)は、世界が広がったという実感をもたらす。自分がいる位置を確かめるのに有用であるだけでなく、相手への感謝と畏敬の念さえ生まれて、違うけれど共感できる、と思える所からは実りある協働も可能になるだろう。

◆国と国との関係についても同様のことが言えるのではないか。
2015年の従軍慰安婦問題をめぐる「日韓合意」について、韓国の検証チームが、「合意」は当時の日韓首脳の「側近による秘密交渉」で、元慰安婦の意見が十分反映されなかったと指摘したことに対して河野外相は「日韓関係がマネージ不能となり、断じて受け入れられない」と批判、安倍首相も「平昌五輪に行くのは難しい」と述べたと伝えられる。

一昨年末の「合意」は、「不可逆的」という言葉を用いるなど、加害側が居丈高な姿勢が濃厚で、とても解決とは言えないなと感じていたが、案の定暗礁に乗り上げる事態となった。
何より、元慰安婦の方たちの意思を考慮しない交渉であったことが致命的だ。国家が中心で、個々人がないがしろにされた結果である。

「北」の脅威を口にしながら韓国と仲違いしているようでは有事の対処・連携は不可能だろう。
何より国家が最優先で人間はその付属物でしかない、と言わんばかりの唯我独尊の態度、生身の人間の内面に及ぼす想像力の欠如を物語る。

寝屋川の家族におきたこと[2017年12月28日(Thu)]

DSCN4749阿吽.jpg
 島田佳樹「阿吽」(2017年)上野公園、奏楽堂付近

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大阪府寝屋川市で両親が娘を長期にわたり監禁し、栄養失調状態のまま凍死させた。
いたましすぎる。
いかなるものの犠牲なのか。

時事通信:12月25日】
★民家で女性凍死、長期監禁か=死体遺棄容疑で両親逮捕−大阪府警https://www.jiji.com/jc/article?k=2017122500625


毎日新聞:12月27日】
★寝屋川凍死:2畳の部屋に暖房設備なく
https://mainichi.jp/articles/20171227/k00/00m/040/180000c


*******

◆娘さんには精神疾患があって暴れることもあったから監禁したいうが、それはいっときのものでしかなかったはずである。医療や福祉にどこかでつなげることがどうしてできなかったのか。

◆精神科医の中井久夫『精神科医がものを書くとき』(ちくま学芸文庫、2009年)の「家族の方々にお伝えしたいこと」という章に、次のような一節がある(p.283〜)。

急性期を目撃すること、されることは、家族にも本人にも辛い。入院の意味の一つである。ただ、入院は生まれてはじめての環境に適応することであるから、「適応のための余分なエネルギー」をなけなしから支出することになる。入院後一週間に悪化するようにみえるのは「入院後適応症候群」が病気になることが多い。往診でここを通過できることがある。これを済ませてから入院ということもあり、入院しなくて済むこともある。家族の見ている前で患者がみるみる落ち着けば、本人にも家族にもとてもよい体験だ。しかし、一人での往診は初対面の場合には難しい。二人の医師(シテとワキだ)と、できればケースワーカーとがチームで往診を適時に実施すればずいぶん違うと思う。スウェーデンで計画されたことがあるけれど、まだどこでも実現していないはずだ。日本でやれたら日本の精神医療は一つのモデルを世界に提供したことになると私は思う。病気の人のところに健康な人間が行くのがほんとうなのだ。機会とか設備とかのために、病院に行くことが常態と錯覚されているのである。   *ゴシック、引用者。以下同じ。

◆自力で動けないケガや痛みの時は救急車をまず呼ぶ。精神の急な変調にも同様の対応をするのが本来だ、というのだ。体は何ともないようでも、どうしたらいいか患者は無論のこと家族もなすすべがない時がある。それに即応できる精神医療の態勢を、というのである。
この文章は1992年の兵庫県精神障害者家族連合会『二十五年のあゆみ』に寄稿したものだが、そのご四半世紀を経て、中井の提言は実現しているのであろうか。

◆次のような指摘もある。

患者の暴言暴力には、あのおとなしい子が別人になったと思いがちのようだが、いいにくいが、かつての両親、親戚のだれかとか教師などの昔の暴言のなぞりが多い。口調までそっくりだったりする。心の汚物の排泄でもあり、最初の自己主張でもある。「本心が出た!」「別人になった」と周囲が思うのはいちばんの不幸である。不幸とは悪循環がそこから始まることだ。ガラスにヒビがはいるように話が大きく破滅的になるかどうかは応対にかかっている。

◆さらにつぎのようなアドバイスも。

回復の一時期、母親のフトンにはいってくることがある。一般によい徴候である。父親に甘えるのはずっと後に来る。いっぱんに子どもは父親にはどう甘えてよいかわからない。「甘える」とは言葉以前に通じあえるものを求めることで、母親との間のほうがやさしい。だから父子の間には切ないものがある。父親はどういう人であろうと回復期の患者には「コワイ社会の代表」にみられがちであり、実際、その役をやらねばと思い込みがちである。父親は理解しにくい、されにくいものである。意外にも子どものほうから手をさしのべることがある。たとえば父親のフトンにもぐりこんだり、父親と背中合わせでうたたねしようとする。この体験のある人の治りは格段によい。どうか、気持ち悪いなどと思わず、このサインを受け取ってほしい。それはかならず「いっとき」であって、しかもその実りは遠くに及ぶのである。


◆寝屋川の娘さんからもそうしたサインが発せられていたのではないか。それを受けとめ損ねたとしても、回復を信じて見守る中で、ヒビを修復し、もつれを解きほぐす第三者の関与や支援がありえたはずではないのか。
それとも、それらが全く届かないほどに私たちは群れることを忘れ孤絶しているというのか?


中也と「茶色い戦争」[2017年12月27日(Wed)]

《そりゃお前さん、『茶色新聞』でとっておきのネタを探すしかないな。もう新聞はそれしか残ってないんだから。競馬とスポーツについてはそこそこイケてるって話だ。》

フランク・パブロフ「茶色い朝」藤本一勇・訳(大月書店 、2003年)

*******

◆中原中也の代表作の一つ「サーカス」は、ブッシュ(子)によるイラク戦争の時期に邦訳が出たフランク・パブロフの「茶色い朝」によって、改めて読み直されることとなった。とりわけ冒頭の二行である。


幾時代かがありまして
  茶色い戦争ありました


◆佐々木幹郎「中原中也 沈黙の音楽」もまた「サーカス」について〈戦争の時代あるいは宙吊りにされた青春〉という標題のもとで紙数を割き(第五章の2。p.173〜194)、特に「茶色」について、軍医であった父・謙介の日露戦争期の写真のセピア色であろうか、として中也の随筆を引用する。

茶色い戦争
……「幾時代かがありまして」は過ぎ去った年月をふり返ることだが、ふり返った先には「茶色い戦争ありました」(第一連)と言う。「戦争」に「茶色い」という形容詞が付くことについては、現在までさまざまな説があるが、おそらく経年変化でセピア色に変色した戦争写真のイメージから来ているだろう。父親謙助のアルバムにあった日露戦争期の写真だろうか。
このことを説明するように、中原中也は未発表随筆「一つの境涯」(一九三五年後半制作と推定)に、次のように書いている。

寒い、乾燥した砂混りの風が吹いてゐる。湾も、港市――その家々も、たゞ一様にドス黒く見えてゐる。沖は、あまりに稀薄に見える、其処では何もかもが、たちどころに発散してしまふやうに思はれる。その沖の可なり此方と思はれるあたりに、海の中からマストがのぞいてゐる。そのマストは黒い、それも煤煙のやうに黒い、――黒い、黒い、黒い……それこそはあの有名な旅順閉塞隊が、沈めた船のマストなのである。
「その時はまだ、閉塞隊の沈めた船のマストが、海の上にのぞいてをつた」と、貧血した母の顔が、遠くの物でも見てゐるやうに、それでもそんな時にはなにか生々と、後年私の生後七ヶ月の頃のことを語つて呉れるたびに、私は何時も決つて右のやうな風景を心に思ひ浮べるのである。つまり私は当時猶赤ン坊であつた。私の此の眼も、慥(たし)かに一度は、そのマストを映したことであつたらうが、もとより記臆してゐる由もない。それなのに何時も私の心にはキチツと決つた風景が浮ぶところをみれば、或ひは潜在記臆とでもいふものがあつて、それが然らしめるのではないかと、埒もないことを思つてみてゐるのである。
 (p.178〜179。太字は引用者)

◆中也誕生の1907年4月末に、父謙介は軍医として旅順に赴任、その年の11月に生後半年の中也は母親に抱かれて大連に渡り、父とともに旅順までの旅をしたとはいえ、旅順港に沈められたロシア艦隊のマストというリアルなイメージは、母の回想によって記憶に刻まれたものだろう、と佐々木は言う。
また佐々木は、「サーカス」という外来語が定着したのは1933年にドイツからやってきた「ハーゲンベック・サーカス」の全国巡演以後であって、それまでは曲馬団という訳語が普通であったこと、従って詩が発表された1929年当時では「サーカス」はモダン過ぎる用語であり、中也は当初「無題」としてこの詩を発表したことに注意を払っている。その上で、「サーカス」と名づけたのは『山羊の歌』編集期の1932年4〜6月だと推定している。
*なお、佐々木が責任編集した「新編 中原中也全集」(第1巻。角川書店、2000年)では、分冊にした「解題篇」に「サーカス」だけでも上下2段組で5ページもの解説が付き、4次にわたる作品の変化が跡づけられているだけでなく、〔外来語「サーカス」の用例について〕という項が1ページ半=3段分も付くという徹底ぶりで驚かされる。
それらの成果が岩波新書「中原中也 沈黙の音楽」にも生かされているわけである。

◆「サーカス」でじかに言及されているのは、セピア色に変わった戦争の記憶だ。
しかし記憶を過去へと押しやって、観客たちは「今夜此處での」サーカスの歓楽に時を忘れて空中ブランコを見上げている。サーカス小屋の中は平和を謳歌し満喫しているようにみえる。だが、果たしてどうか。

◆サーカス団でライトを浴びているのはブランコ乗りと口上を述べる道化(詩の歌い手)。
道化は小屋の中を自在に浮遊しているように想像できる。
「観客様はみな鰯」は、ブランコ乗りの動きを追って顔が一斉に同じ向きに動くさま。
それを群れる弱小な「鰯」にたとえているのだが、その「鰯たち」を道化が高いところから見下ろしているようではないか。笑われる者の笑う立場への転換があるのである。

◆さてテントの外はと言うと「真ッ闇(くら)  闇(くら)の闇(くら)」。
その暗闇の向こうに何が起きようとしているか、空中ブランコに目を奪われている小屋の中の観客たちには分からない。
「落下傘奴(らくかがさめ)のノスタルヂアと」がわかりにくい。
サーカス小屋のテントから落下傘へと連想が向かったのは自然であり、戦地の陣幕も連想される。
「落下傘にノスタルジアを覚えるような奴ら」という意味なら、落下傘部隊の活躍に郷愁を覚え、再び戦争を起こしたいと目論むやつら、ということになるだろうか。

ただし、本格的な落下傘部隊編成はドイツでは1936年。日本では日米開戦直後の1941年、スマトラ島パレンバンへの降下作戦であったようだから、この詩より12年も後のこととなる。とすれば、詩人の想像力は、近づく総動員戦の予感を詩によって表現した、ということなのだろうか。
(なお、日本軍の落下傘降下訓練は二子玉川のよみうり落下傘塔で行われ、戦後その塔が移設されて初代の江ノ島灯台となった。)

いずれにせよ、詩の最終連は、暗闇に乗じて「戦争でボロもうけ」を企むものたちがうごめいていることを暗示していて無気味である。


佐々木幹郎中原中也沈黙の音楽.jpg
佐々木幹郎「中原中也 沈黙の音楽」(岩波新書2017年)



中原中也の「サーカス」の朗読[2017年12月25日(Mon)]

171225六会駅前イルミナシオン.jpg

◆六会日大前駅前ロータリーのイリュミネーション。あちこちに豪華なツリーや電飾を見かける季節。一日の仕事を終えて地元駅に帰ってきた人を迎えるにはこれくらいの落ち着いた感じが好ましい。

*******

佐々木幹郎「中原中也 沈黙の音楽」は、副題にある通り、中也の詩を目で読むのでなしに、朗読して味わう詩であることに注意を向けさせる。

前回記事の「劫々」(ゴウゴウorコウコウorキョウキョウ)を中也自身は「ゴウゴウ」と読んだ、と推定したことが一つ。

もう一つ、声楽家・照井瀴三「詩の朗読」が示す「サーカス」の朗読法を次のように書いている。

「サーカス」は文字の上では七五調の歌謡のリズムが踏まえられているとわたしは先に書いたが、照井が紹介する「サーカス」の朗読法では、七五調にはなっていない。
例えば第一連は「幾|時代かが|ありまし|て/茶色い|戦争|ありまし|た」というふうに記されている。二、五、四、一/ 四、四、四、一という変則的な音のリズムである。意味の文脈を壊し、屈折させることによって、七五調を壊しているのだ。たぶん、中也がそのように朗読会で読み、それを照井は記憶していてそのまま紹介したのだと思われる。北川冬彦が書いている「一種異様な調子」は、この変則的な音のリズムのことを言うのであろう。これは友人たちの間で「サーカス」を何度も朗読しているうちに、中原中也が会得した言葉の伝え方であったと思われる。七五調の旋律的なリズムよりも、意味の文脈を思わぬところで切断させ、間を置いて、さらに続きを朗読したとき、人々は、その異様さに首を傾げて、耳をそばだてる。
詩の朗読は、つねに一回限りの身体的パフォーマンスであって、演劇に限りなく近い。詩とその言葉を使った歌曲(音楽)がそれぞれ別の作品であるように、朗読者が文字に書かれた詩を声にするとき、その声は文字表記のリズムを軽々と裏切る。文字化された詩に対して、詩の朗読は別の作品と考えたほうがいい。
(佐々木幹郎「中原中也 沈黙の音楽」第5章『山羊の歌』から『在りし日の歌』まで、p.189-190)

◆全8連から成る詩「サーカス」は、「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」を除いて七五調で一貫させている。〈天井に 朱きいろいで〉で始まる『朝の歌』の五七調とは対照的である。

七五調と五七調ではどう違うのか。
平たくいえば、七五調は先へ先へと転がり進むリズムを生むのに対して、五七調は、「五七」のまとまりを感じさせて、そのつど小休止するという違いがある。(その昔、古文で万葉集は五七調中心で荘重、新古今集は七五調が多く流麗、という単純化した特色として習った人も多いだろう。)

◆しかし、この定型的なリズムに乗っているだけだと、詩のことばはとっかかりがないまま消えていってしまう。何か心地よいものを聞いたな、という印象を受けただけで終わり、となりかねない。
照井の(そして恐らく中也自身の)「幾|時代かが|ありまし|て/茶色い|戦争|ありまし|た」という風に分節した読み方は、それぞれの詩のことばに「モノの手応え」と言うべき重さを与え、それらのモノとモノとがかかかずらい合うことで生まれる、摩擦や衝突、離反、はたまた親和、時になずみ、もたれかかりさえもするさまを、聴く人に感じさせるものであるようだ。

草野心平の回想によれば中也の朗読は「ハスキーな低音で、しかも胸に沁みこむようなさびしさとキリモミのような痛烈さがあった」というのだが、聴いてみたかった。


夜は劫々と更けまする[2017年12月24日(Sun)]

DSCN4974.JPG

◆電車乗り換えでホームで待つあいだ、湘南台駅裏の通りを眺めていたら白い物が積まれているのが見えた。目をこらすと牡蠣の殻のようだ。
海鮮居酒屋の看板に気づくのと同時に、中原中也「サーカス」の一節が浮かんで来て、ビールジョッキを手にのどを鳴らすお客の姿を思い浮かべた。未だ昼前だというのに。

観客様はみな鰯
  咽喉(のんど)が鳴ります牡蠣殻(かきがら)
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

     屋外(やがい)は真ッ闇(くら) 闇の闇
     夜は劫々(こふこふ)と更けまする
     落下傘奴(らくかがさめ)のノスタルジアと
     ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

       
        中原中也「サ−カス」より(『山羊の歌』所収。1967年版全集によった。)

◆今年出た本に佐々木幹郎「中原中也 沈黙の音楽」(岩波新書、2017年8月発行)という本があるが、その中で佐々木は、「劫々」を中也自身は「ゴウゴウ」と読んでいただろう、と推定している。新編の中也全集(2000〜04年。同じく角川書店)に関わった佐々木であるから証拠固めは手堅い。
詩集「山羊の歌」が刊行される直前の1934年の11月初旬に、詩人たちの朗読会が麻布の「龍土軒」で行われ、中也自身も自作を朗読した。その時の出演者の一人、声楽家の照井瀴三(てるい ゆうぞう)が1936年に出した「詩の朗読」という本に中也の「サーカス」を紹介し、そこで「劫々」に「ごうごう」と振り仮名を付けているのだという。この照井の本の出版記念会(1936年6月27日)に中也も出席しており、そのとき振り仮名を確認しただろう、と述べた上で、佐々木幹郎は《おそらく中也自身は「ごうごう」と読んでいただろう。》と結論づけている。

◆「サーカス」は高校の教科書にも載っていて、朗読される機会も多い。この佐々木の本が登場した以上、「ごうごう」という読み方が優勢になるものと予測するが、無論それ以外の読みが否定されるわけではない。従来の読み「こうこう」は、同音の「皓々」や「耿々」あるいは「煌々」の連想を誘い、外の闇と対照的なサーカス小屋の灯りをイメージさせる点で捨てがたい。

◆1967年版の「全集」では「劫々」に中也が刊行時に振った振り仮名と区別して( )書きで(こふこふ)と振っていて、「koukou」と読む立場を採用し、編注に「果てもなく」の意味であることを記している。しかしその注にはさらに、【ただし、「ケフケフ」と読めば、汲々と勉め励む意となる】と付記してもいるのだ。この「kyoukyou」という読み方を採用すればさらに感じが違って来る。
同音の「恐々」「兢々」「恟々」などが連想され、ハラハラしてブランコ乗りを見上げる観客の様子が想像される。

◆詩集「山羊の歌」刊行は1934年だが、「サーカス」が最初に発表されたのは1929年の秋である。彫刻家・高田博厚の紹介で「生活者」9月号および10月号に中也の初期詩篇群が掲載されたのであった。

◆前年1928年には5月に済南事件(陸軍第二次山東出兵)、6月に張作霖爆殺事件(満州某重大事件)があり、一方では28年11月に控える昭和天皇即位の大典を口実に、治安維持法改正(28年6月。死刑・無期刑を追加)によって思想弾圧が強化される中、29年に入って山本宣治代議士が暗殺されるなど国会をめぐる不穏な事件があり、この年、29年の秋には世界恐慌が始まる。議会政治の機能不全は軍令部の暴走を許し満州事変、日中戦争へと拡大されて行く。

◆そうした時代に作られた中也の詩は、サーカス小屋の熱狂に対するに、戦雲の闇が支配する外界の不穏を暗示する。幼年期の日露戦争の記憶と昭和の戦争との間、すなわち戦間期が中也の詩群を生み出す青春であったことになる。

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DSCN4953昭和3年11月大典記念碑-A.jpg
昭和三年十一月の刻印がある昭和天皇の大典(即位)記念碑
(町田市原町田の町田天満宮)

「七つまで」がちょうど良い[2017年12月24日(Sun)]

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葉の積もった桜の木の股から何の木かスックと一本萌え出ていた。
落葉樹と常緑らしき若木のコラボ。六会日大前駅裏で。

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群れの適正規模

中井久夫「微視的群れ論」(「精神科医がものを書くとき」)から、生き物の群れの規模について。

一つの群れというのは、一次的な家族とか友人とか職場の人です。職場の人でも本当に親しい人の十人前後の集団があって、それから背景としてのその他大勢という人たちがいる。そして、その中間の人たち、クラスメートとか職場の同僚とかいうのが、人間にとっていちばん処理しにくいものらしくて、少なくとも、日本人では、対人恐怖がいちばん発生するのは、この中間の人たちに対してです。

◆中間的な規模の群れの中でうまく生きることには相応の能力なり修練なりが必要、ということか。

中間的な距離のものは、人間は非常に扱いにくいらしいです。日本人だけではなく、スイスの学者も、中間の人間が扱いにくいという話をしています。
こんな実験があります。ネズミでも、一つの檻の中に入れてうまくやっていけるのが、七、八匹ぐらいでしょうか。それから三十数匹までは(要するに中間的関係になると)ネズミはやせてくるらしいです。
数が多いために個体としても対応できないし、集団としても対応できない。で、三十何匹以上になると、今度はまたネズミが太りだすんだそうです。もう集団一本槍の対処の仕方になって安定するのでしょうね。生物共通の問題なのかもしれません。


◆少子化の時代とは言っても小学校の1クラスは30人前後いるし、高校では40人が標準だ。
(我々の高校時代は1クラス48人ほど。少し上の団塊の世代となると50人がザラであった。)
そう言えば、ラッシュ時の電車は誰もが押し合いへし合いを覚悟して乗り込むのに、微妙にスキマが生じる時間帯だと、周囲との接触に、非常に気を遣っている気配が濃厚になる。Dバッグを背中にしょったまま駆け込んで乗ってうっかり接触した際など、「気を付けろよ」と言わんばかりに眉根のシワをこしらえた表情を示されることがある。車内アナウンスも鞄は前に抱えるよう呼びかけている。
電車の乗降口直ぐ横のスペース(ドアの戸袋前)は乗降の人の流れを邪魔しなくて済む特権的な場所と思っていたのに、最近はそこも安住の地ではなく、接触を避けて一旦ホームに降りてあげる人が増えたようだ。それが煩わしい人は車両の中へと移動する。
両開きドアの場合、乗降口周辺には2〜30人が蝟集するであろうから、「中間的関係」を強いられる空間となる。

ただ、これは同方向に向かっているということ以外は何ら共通点も、成就すべき共同任務も帯びていない他人同士の世界で、暫時の気遣いをガマンすれば足りる。

ところが、職場や学校ではそうは行かない。協働的にであれ、競争的にであれ、他者と一定の関係を保ちながら仕事や学習を進める関係が1年かそれ以上にわたって続くことになる。
先ほどの、ネズミにとって過ごしやすいのは一つの檻に7、8匹ぐらいだ、という話に戻すと――

これは、パーキンソンの法則で、会議というのは、七人ぐらいがよく、十人を超えると形式に流れて、実質的にはそのなかに生まれる小集団に決定権が移るんだという話にもつながるし、記憶心理学では有名な仕事があって、人間はそもそも七つプラスマイナス二以上の概念のかたまりを処理することができないんだといいますから、ものを分類するとかいうのも、外界がそんなふうにできているというよりも、人間の頭のつごうによってものを分けたり、見たりしているのでしょうね。
家族論でいうと、両親がいてきょうだいがいるけれども、きょうだいの数が五人を超えると、きょうだいどうしの相互作用のほうが、両親との相互作用より重要になってくるといいます。両親ときょうだいを入れるとちょうど七人ですけれども、七人以上の集団になると、親と子という世代間の境界よりも、一人一人の子としての行動が非常に重要になってくるようです。「七人のこびと」で白雪姫の家事は全部賄えるのですね。

こういう限界は、生物それぞれによって、そんなに違うものでもないのかもしれません。ひと胎の動物の仔は七、八が限度でしょう、ネズミでも。この限界を越すと、今度は集団になってしまって、それにはまったく違う対し方になるわけです。よく日本人の集団精神というけれども、日本人が集団性を発揮して仕事をするのは、だいたい数人でなんです。気の合った日本人が数人集まったら、これはたいへんものすごい力を発揮するといいます。一人一人の日本人というのは大したことがない。それから、ものすごく大量の集団の日本人というのも、怖いことは怖いけれども、創造的といえるかどうかわからない。ところが、数人の気の合った人間が、行動すると、これはすごいパワーを発揮するんです。
職場の人間関係はこの七、八人までの人間というのが、一つのユニットになっているのではないでしょうか。見かけ上は三十人の会社でも三百人の会社でも、そういうものはありますね。


◆そう言えば映画「七人の侍」もまさにこの黄金の数字が絶大な力を発揮する協働の物語だった。
(七福神もか)


「学校における働き方改革」中間まとめが出た

◆そうした生き物の特性に対する洞察・識見とは無縁なところで、中教審の「学校における働き方改革」の中間まとめが昨日(12月22日)中教審総会で承認され、林文科大臣に手交された。
正式名を「新しい時代の教育に向けた持続可能な学校指導・運営体制の構築のための学校における働き方改革に関する総合的な方策について」というものである。

来年度予算において教職員の仕事の見直しにより本来業務に注力できる態勢づくりのために人を配置する予算を確保したとは言え、実際には懸念だらけだ。例えば――

▲「児童生徒が補導された時の対応」を「基本的には学校以外が対応すべき業務」としている。警察、青少年指導員に対応を委ねよ、ということか。あるいは保護者に一義的責任あり、というのか?何もかも学校が抱え込まない、と発想を転換するのは良いとして、連携・情報共有のためのしくみと個人情報保全の問題はつきまとう。間違えるとゼロ・トレランス(厳罰化)に陥る危険性が大いにある。
▲部活動指導員の導入(外部人材)…「部活動の設置・運営は法令上の義務ではない」と明記しながら、その前提に立った抜本的な改善には至っていない。現状容認のまま人的措置の増加をとりあえず可能にしましたというだけでは、外部人材が増えることに伴う、スクールハラスメント(パワハラやセクハラ)の危険もまた増える恐れがある。
▲給食時の対応は本来業務だが栄養教諭等との連携で負担軽減可能だとしている。
…一つには食物アレルギーを持つ児童生徒への対応を想定しているが、そもそも栄養教諭は文科省の2016年度統計では公立小学校20,302校のうち3,866名しか配置されていないのが現状である。
また、クラスでなく、「ランチルームなどで複数学年が一斉に給食を取ったり,地域ボランテ ィア等の協力を得たりする」ことで負担軽減になると例示するが、小規模クラス中心の学校以外にとっては机上の空論であると言うべきだろう。
▲補助業務サポート・スタッフの導入…学習評価や成績処理についてもサポートスタッフが参画して教員の負担の軽減を、と言う。個人の成績などの流出を最も警戒しなければならない分野である。性善説に立つのは甘すぎる。
▲報酬を伴うサポートスタッフ導入となれば人材派遣会社にとってはビジネスチャンスでもある。
▲一方で休み時間の対応や校内清掃、給食指導に地域ボランティアの活用を掲げている。ムシが良すぎると言わねばならない。

◆文科省は「チーム学校」のかけ声のもと、コミュニティ・スクール(学校運営協議会制度)の推進を唱導している。地域ボランティア発掘の拠点ともしたいわけだろう。しかし、これ自体が9〜15名の委員で構成される組織なので、例の黄金の数字「7」に照らすならば機能的な活動ができるのか疑わしい。
このところの中教審の各種審議では「好事例」の例示に熱心だが、超人的な努力や多くの時間を注いだ結果の「先進的事例」では仕方あるまい。
普通の学校が普通の取り組みにいささかの工夫を重ねることで自由度が増し、そのためにうまく回って行くようでなければ長続きはしない。「持続可能な」というのもこの所のキーワードであるようだから、長持ちのするしくみとそれを支える協働の楽しさを実現することに最大の知恵を傾けなくてはならない。
その場合にあれもこれも、と複数の課題に注意を振り向けなければならないようでは普通人の手に余る。中井の文章にあるように「七つ」前後の概念を処理するのが人間の能であるならそれは個への最大期待値として置くにとどめて、あとは集団の協働作業がやりやすい環境を保障した方が賢明だろう。細切れの時間を寄せ集めたり、授業時間確保に汲々として雑談(多くの児童生徒の情報を共有する機会)や自発的な研修の時間を無くして行くのでは「角を矯めて牛を殺す」ことになりかねない。


《日本人が集団性を発揮して仕事をするのは、だいたい数人でなんです。気の合った日本人が数人集まったら、これはたいへんものすごい力を発揮する》と言われるのに、「ものすごく大量の集団の日本人」が一斉に右習えしてとんでもない方向に暴走しそうな状況であるからこそ、ちょうどよい「7」(以下)を心がけるのが賢明だと思う。

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「働き方改革」中間まとめを受けてコメントする林芳正文科大臣(右端)、北山禎介中教審会長(中央)、小川正人・同副会長(左端)*12月22日、中教審総会にて


パーキンソンの法則…イギリスの歴史学者シリル・パーキンソン (Cyril N. Parkinson)が提唱したもので、次の2つの法則からなる。
(1)「仕事の量は、完成のために与えられた時間をすべて満たすまで膨張する」(あるいは「役人の数は、仕事量とは無関係に増え続ける」)=放っておくと仕事の量とは無関係にスタッフの数が増えてしまうという指摘。
(2)「支出額は、収入額に達するまで膨張する」…あればあるだけ使ってしまう、という意味。


「国というのはそんなにもちませんね」[2017年12月23日(Sat)]

◆トランプ米大統領がエルサレムをイスラエルの首都と認定した問題に対して国連総会は緊急総会で撤回を求める決議案を採択した。
さすがの風見鶏・日本も当初の当惑を脱して(一応)賛成に回った(手柄にはならないけれど)。

ヘイリー米国連大使は国連機関に対して「圧倒的な拠出国」だと述べて撤回しないことを宣言し、会合の途中で退席したそうだ。まるで、満州をめぐる国際世論に反発して国連(国際連盟)議場から退場した松岡洋右主席全権(1933年2月24日)を思い出させる 。

亡国への一コマである。

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◆精神科医・中井久夫「精神科医がものを書くとき」を読んでいたら、そのエルサレムを引き合いに出して、都市と国家について述べているくだりがあった。

人間がつくった都市というのは、エルサレムでも何でもそうですけれども、千年単位でもちます。しかし、国というのはそんなにもちませんね。日本も、応仁の乱あたりで一遍切れたと考えてもいいぐらいだと、司馬遼太郎さんは言っておられるけれども、都市というのはしぶとい。
(「微視的群れ論」ちくま学芸文庫「精神科医がものを書くとき」p.200)

都市に比べたら国というのは長く持たない、とあっさり言ってのけていることにドキリとする。
なるほどそうかも知れない。

◆中井は、神戸の町を歩いていると、人間と人間の感覚が広いと感じる、という話から始めて、神戸の元町などの繁華街でも、人間と人間の間が透けて見える、という。ラッシュアワーでも、無理して乗らず、次の電車を待つ、という。

そして都市には都市ごとの定数のようなものがあって、その定数に応じて行動しているから、群れの中での振る舞い方が違うという。
車でもタクシーの渋滞に対する運転手の感覚(イライラする渋滞の程度)が町ごとに違うというのである。

そして、これらの違いが国単位なのか都市単位なのかというと、都市単位による違いなのだろうと述べたその後に、冒頭の文章が続く。

人が棲みついて都市の歴史が重ねられて行く。それは必然的に文化の醞醸(うんじょう)と蓄積をもたらしていくわけだが、そこで暮らす人間の振る舞いは、その文化によって形作られるということになるのだろう。
続いて次のように記す。

私は、二十八歳ぐらいではじめて東京に出てきたんですけれども、東京の知識人というのは、時間が明治維新から始まるんですね。関西では、明治維新というのは、ある過程の中のひとつの中間駅にすぎないんだけれども―― 。始まりというのは、だいたい織田信長から徳川家康あたりです。あのあたりから「現在」なんだという意識ですね。ぼくは東京に出てこんなに明治維新が大きな比重をもっているのかと思って、非常にびっくりしたものです。
実際、京都の町並みなどは、江戸の中期のものを反映しています。奈良と和歌山にある私の両親の実家も、私が子どものときに二百五十年たっていた家でしたから、三百五十年前までの実在感、連続感、現在感があったわけです。たしかにそこから先は茫漠としています。しかし、島根県とか兵庫県の播磨のあたりみたいに戦乱が頭の上を通りすぎたところだと、鎌倉時代まではすっと行ってしまうらしい。


◆時間の感覚がかくも違うとするなら、「明治150年」を祝うことなど、西の人間から見れば精一杯のお国自慢のようなものかも知れない。そうしてその「お国」は一度敗亡の辛酸を味わっているというのに、このところの「ニッポンこんなにスゴイ!」の自画自賛ブーム、どうやら衰亡の一局面に過ぎないのかも知れない。

◆中井の文章はさらに続く。

私は行ったことがないけれども、エルサレムなんていうのは、ここをキリストが歩んだという石畳が残っていて、オリーヴの園も残っている。二千年前の、当時としては小さな事件の跡が生きている。つまり、都市それぞれの歴史に、人間を方向づけるような歩き方から、振る舞い方、人間と人間の距離の取り方までを、規定するところがあるという気がしますね。当然かな。

ここにあるのは、我々の身の丈や身体感覚を起点として人間を理解しようとする姿勢で、言ってみれば「呼吸し思考する身体」が蚕のように言葉を紡ぎ出している、といった趣だ。

中井久夫精神科医がものを書くとき.jpg
中井久夫「精神科医がものを書くとき」ちくま学芸文庫、2009年

おびただしい欠乏と不毛と[2017年12月21日(Thu)]

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町田天満宮の牛

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 「われらの五月の夜の歌」より  三好豊一郎

地球はささえられている 千の手に千の苦痛に
地球はとらえられている 万の手に万の不安に
地球はとざされている 億の手に億の恐れに
地球はただよっている おびただしい欠乏と不毛と荒廃の闘争のうえに


◆「五月」を冠した詩の第一連。爽やかな初夏の夜であるのに、この不安と苦痛はどうだろう。
5連45行から成る詩の結びは……

死はわれらの幻映よりも大きく
沈黙は海よりも深い…


◆三好豊一郎(1920-92)は鮎川信夫と親しく、「荒地」創刊(1947)にも加わった。

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