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加古さとしの悔悟[2017年11月30日(Thu)]
「加古里子 絵本作家の道」(福音館書店、1999年)のあとがきで加古は3つの重大な過誤をおかしたと告白している。

その第一は少年時代、軍人を志し一途に心身を鍛え、勉学にはげんだという誤りです。家庭の状況や時代の流れに託するのは、卑怯暗愚の至りで、幸か不幸か近視が進み、受検もできず、軍人の学校に入学できず敗戦となったため、禍根を拡大しないですんだものの、世界を見る力のなさと勉強不足は、痛烈な反省と慚愧となって残りました。時おり訪れるアジア各国でのご挨拶は、まず私のこのお詫びと反省ではじまるのを常としています。

続いて以下の2点。

第二の誤りは、この第一の過ちを取り返す滅罪の計画を探り、その実現には周囲への依存はもちろん、家族に困惑をかけぬこと、換言すれば個人的秘事として処理した処理しようとしたことです。

言葉遣いはあえて荘重に武張って記しているのだが、要するに第一の過誤からの回復のために、自分がなし得る200項目の目標を文化・教育・科学・社会の分野にまたがって定めその実行を進めて来たものの、そうは問屋が卸さなかったことを思い知らされたと言うのである。即ち――

幼少の子ども達からは「これまで一度も遊んでもらった事ないもん」と家事にうとかった点をまんまと見抜かれていた上、数年前に点検したら、目標項目のまだ半分も実現していない有り様でした。達成できぬ計画を立てた無知無謀無為の過ちとなって、再び悔悟に追い立てられている所です。

第三の過ちは、戦争で死ぬべかりし生命を残してもらい、親や妻子に人としてなすべき最小事をした残余の時間をおよそ四万時間と算定した事です。
早い話が第一の誤りに二十年を使い、第二の間違った計画準備に二十五年、合計四十五年間を費やしたものの、以後二十年生きることができれば、一日八時間、年二千時間だから四万という時間が、これまで受けた社会や人々への恩返しに使えるだろうと考えたのです。

ラフだが余裕を持たせた人生の設計図を用意して、多少浪費した時間があってもそれを取り戻すようにして生きてきたつもりだったのに、その決算はどうだったかというと――

とうに四万時間は使い果たし、しかも更に十年近く延長して長生きさせてもらっているのに、微々たる事しかできていない体たらくです。これではこの先、何万時間生かしてもらっても到底駄目ではないか。すぐれた才を惜しまれながら死んでいった友人や先人に比し、ベンベンと長らえ、時間を空費している重大な誤りであるのは明白です。
(中略)
もはや老人というより化石人に近いのに、今なお青臭い迷いや追求にあけくれているのは、我ながら進歩のない限りです。


1999年、73歳の時のことばである。
それからさらに18年。
どんな感想をお持ちだろうか。

◆時間を空費したという悔悟は目標に到達させないものの存在に気づくことから生まれるのではないか。若い時期、壮年の頃と老年・化石期とでは描こうとする対象の見え方の時間の質も違う。正面からしか見えなかったものが横顔も背面も見えるようにはなる(ならない者もいるけれど)。時間の進み方も直線ではない。右往左往、時に旋回、時に引き返し、ということだって無いわけではない(ムダを恐れて脇目も振らず真っ直ぐ進む者もいるけれど)。それがために「なお青臭い迷いや追求にあけくれている」のではあるまいか。
達観や悟達に住しているヒマがないこと、それが加古里子という絵本作家の本領なのだろう。
だるまちゃんが面壁八年の動かない姿でなく、手も足も出して活発に躍っているのは自然な話である。

加古里子絵本への道-A.jpg
「加古里子 絵本への道――遊びの世界から科学の絵本へ」
福音館書店、1999年。
「何年かをかけて作る科学絵本の九割方は意味を見出だすための否定の連続みたいなものです」
など、作家ならではの金言が満載の絵本制作秘密の玉手箱。



加古さとしの世界[2017年11月29日(Wed)]

かこさとしの世界

「だるまちゃんとあそぼ!かこさとし作品展」が開かれている。
だるまちゃん誕生から50年だという。ことし御年91歳の加古さんが藤沢にやって来たのは44歳の時だそうなので、藤沢市民としてもほぼ半世紀。だるまちゃんシリーズのほか数々の科学絵本がここから生まれた。
DSCN4829-A.jpg
「だるまちゃんとあそぼ!かこさとし作品展」入り口
だるまちゃん「どろぼうがっこう」の校長先生くまさかとらえもんがお出迎え。
(藤沢駅ルミネビル6階の市民ギャラリーにて。12月10日まで。)

◆会場には今年最初の当ブログで紹介した「だるまちゃんすごろく」が広げてあって、遊べるようになっていた。
加古さとしの「だるまちゃんすごろく」
http://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/399

上記の記事で、「里子」とはもともと俳号として使っていたものだと紹介したが、会場の年譜に、成蹊高校(旧制)時代の国語教師が俳人・中村草田男で、その薫陶を受けたことが書いてあった。
*「降る雪や明治は遠くなりにけり」で知られる草田男はすでに俳人として旺盛な活動を続けていたが、戦後は成蹊大政経学部の教授となる。

◆もう一つ、年譜で注目されたのは、小学校の記述だ。
武生東尋常小学校(現在の越前市)に入学した時の項に「担任の田辺なつお先生から心に残る教育を受けた。」と書いてある。

良き出会いが生涯の宝物となった幸福な例であろう。

*******

絵本を出すまで

◆年譜によれば、劇団プーク(なつかしい名前だ)での人形劇修業や紙芝居づくりとともに、戦後いち早く再開されたセツルメントの活動に加わっていたことが福音館の松居直さんの耳に入って絵本を出すことになったそうだ。
セツルメントとは、今で言う福祉ボランティア活動。貧困地区に宿泊所や託児所を設け住民の生活向上の支援を行う社会事業である。1923年設立の東大セツルメントは1937年に廃止されていたが、1949年のキティ台風の救援活動をきっかけに復活、加古はさっそくその子供会を手伝うことにした。その後、川崎にセツルメントをスタートさせることになって、勤務先の昭和電工に通いながら活動を続けたそうだ。そのあたりは「加古里子 絵本への道」(福音館書店、1999年)に詳しい。

◆展示されていた絵本や原画を見ると郷土玩具のほか伝承遊びもたくさん登場する。
それをうまく取り込んだものに「だるまちゃんとにおうちゃん」という面白い絵本がある。

だるまちゃんと力自慢のにおうちゃんが相撲をすることになる。
ゆびずもう、てたたきずもう、うでずもう、あしずもう、しりずもう、けんけんずもう、うでくみずもうと、さまざまな相撲で勝負する。
これを読んで、子供の頃の、体を使った遊びをまざまざと思い出す人が多いのではないか。
身体化された記憶、とでも言うべきか。

さて二人の相撲は5対5で延長戦にもつれこむ。
最後に二人はどうやって決着をつけたか。
そうしてその結果やいかに。

◆「だるまちゃん音頭」が出来たそうで、下のリンクから視聴できる。
http://www.fukuinkan.co.jp/ninkimono/daruma/ondo.html


◆もう一つたまげたのは、この年明け、2018年の1月には新作「だるまちゃん」が一挙に3冊も出版されるというニュースだ。

それは以下の通り。
「だるまちゃんとかまどんちゃん」
「だるまちゃんとキジムナちゃん」
「だるまちゃんとはやたちゃん」

これらの絵本には東日本大震災、福島の原発事故、戦中戦後から今に至るも続く沖縄への思いがこめられたと言う。
*「キジムナ」は沖縄のガジュマルの精霊である妖怪の名にちなむのだろう。

何とも旺盛な創作エネルギーであることか。子どもたちは言うまでもなく、大人にとってもまたとない贈り物となることと思う。



カミーユ・クローデルとロダン[2017年11月28日(Tue)]

ロダンカミーユ・クローデルとについては大彫刻家とその弟子にして愛人という片付けられ方をされることが多かった。それがロダン美術館で2回目のカミーユ・クローデル展が開かれ、日本でも1987年のまとまった展覧会が全国を回ったころから評伝も出、映画にも取り上げられるようになって、カミーユの作品そのものへの評価が本格的なものとなったようだ。

Aロダンの胸像1888-92-A.jpg
カミーユ・クローデル「オーギュスト・ロダンの胸像」(1888-92年)

◆カミーユがロダンに会ったのは1883年、カミーユが18歳の時である。ロダンは42歳。1880年に国から依頼された美術館の門扉の制作を進めていた。「地獄の門」である。
88年に美術館建設は中止と決まったが、ロダンは制作を続行、カミーユが手がけた部分もあると言われる。また、門の上、「考える人」の小像の上、装飾的な枠に並んだ首の一つはカミーユの首であるという。「考える人」像の真後ろに並ぶ4つの顔から離れた右手の顔=「考える人」像の背中を右上方から見下ろす顔として置かれている。

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ワルツ1891-1905-A.jpg
カミーユ・クローデル「ワルツ」(1891-1905)

のちにカミーユと交際することになる作曲家のクロード・ドビュッシー(1862-1918)は終生この像を手もとに置いていたという。

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カミーユ・クローデル「フルートを吹く女」(部分)1900-05年

上の2点、どちらも音楽が聞こえて来そうな彫刻だ。

◆弟ポール・クローデルは1905年、カミーユの彫刻について、《この世で最も「生気のある」、最も「精霊的な」芸術》と評した。そうして、ロダンの彫刻と対比して見せる。

先ほど触れた彫刻家(*ロダンのこと)の作る像が、それを彩る光線のもとで、隙間のない塊であり死んでいるのに対して、カミーユ・クローデルの群像は、常に内部に空無をはらみ、その群像に「霊感を与えた」息吹に満たされている。一方は光を拒絶し、他方は、明暗法の部屋の空気の中で、美しい花束のように光を迎え入れる。ある時は世にも愉快な空想によって、透かし彫りをした像が光線を裁断し、焼絵ガラスのようにそれを分割する。ある時は内側に窪みをもって、陽の光と閉じ込めた影との深い合奏により、一種の共鳴と歌とを手に入れる。
*ポール・クローデル「彫像家カミーユ・クローデル」1905年。渡邊守章 訳(1987年カミーユ・クローデル展図録)

◆姉の身も心も奪ってしまったロダンへの複雑な感情から、ロダンを酷評すること急な文章になっていることは否めないのだが、ここにはカミーユの作品に正当な評価を与えたいという熱烈な思いがある。
一方ではポール自身もまたランボーの詩との出会いから。マラルメへの親炙、1889年のパリ万博を契機とする東洋との出会い、信仰上の大きな転換、中国行きの船上で出会った婦人との恋など、熱狂と傷心の激動の時を生きつつあった。

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◆1898年にはカミーユはロダンと訣別する。カミーユは女性彫刻家として生きることの困難にはむしろ果敢に立ち向かうタイプではなかったかと想像するが、ロダンが長年連れ添った内縁の妻ローズとカミーユの間で煮え切らぬままでいたことがカミーユにとって大きな葛藤であったことは確かだろう。精神的な変調が彼女を襲う。その中で制作した「分別盛り」には三人のドラマが表現された。

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カミーユ・クローデル「分別盛り」 (1894-1900)

◆左からローズ、ロダン、そしてカミーユの表象とみていいだろう。
三者の表情、手の表情、体の傾きそれぞれにドラマがある。作品の周りを移動しながらどこに注目するかで、三人のそれぞれの葛藤を変化の相において感じ、さらに相互の関係の変位までも目の当たりにすることになる。

この「分別盛り」には石膏のものあるが、男の左手と引き止めようとする若い女の伸ばされた両手の位置や手の表情が異なっている。ポール・クローデルの表現で言えば、1895年制作のその石膏像では「嘆願する女にゆだねられているように見える長い腕は、実際には解放の道具であって、彼女を押し戻しているのである。」というのである。
*ポール・クローデル、1951年ロダン美術館でのカミーユ・クローデル展のテキスト(P.クローデル「眼は聴く」)

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わたしの姉の作品、その唯一の興味をなすもの、それは、その作品全体が彼女の生涯の物語だということだ。その痕跡は、ひとりの男性なり出来事なりの思い出に捧げられた偶像崇拝的な奉献や想像力の凝固でも、さまざまな背丈の標定でも、さまざまな装飾的形態によるいわば空間の植民でもない。表現されているのはひとつの情熱的魂である。
(同じくポール・クローデル、1951年ロダン美術館でのカミーユ・クローデル展のテキスト)

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カミーユ・クローデル「少女と鳩」1898年

横たわる少女は少女時代の自分なのだろうか、それともロダンとの間に得べかりしわが子のイメージなのであろうか。

ポールの姉・カミーユ・クローデル[2017年11月27日(Mon)]

ポールとカミーユ

ポール・クローデル(1868-1955)の戯曲は現在、本国フランスの演劇界では最もよく上演されるそうだ。
もう一つ、彫刻家カミーユ・クローデルの実弟として、この悲劇の天才彫刻家を後世に伝えた人でもある。
彼はまた駐日フランス大使として戦間期を日本で過ごしたが、「自分がついに見ることのなかった日本への夢を、若き弟の心にかき立てたのはいかにもカミーユであった。」と渡邊守章氏は書いている(1987年「カミーユ・クローデル」展図録、「二人のクローデルのこと――悲劇の分身、あるいは光の中の闇――」)
そのことを物語るように、カミーユには「波」という題の彫刻作品がある。

波1897-1903-A.jpg
「波」1897-1903年。

縞瑪瑙で造形した大きな波に呑み込まれようとする3人の女たち(ブロンズ)。
「水浴する女たち」がモチーフだが、北斎の「神奈川沖浪裏」に触発された構図であることが分かる。

カミーユ(1864-1943)は4歳年下の弟の胸像を少年期から壮年期の姿でいくつか遺している。いずれもモデルの内面を感じさせる作品だ。
下は16歳のポール。

私の弟1884-86-A.jpg
「私の弟」(1884-86年)
ローマ時代の青年像のような衣裳をまとわせ、青年期の入り口に立って鋭敏な感受性が奔出する直前の、不安を静かにたたえた表情の人物像になっている。

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「37歳のポール・クローデル」(1905年。石膏)
当時のポールは外交官として中国での公使館・領事館に一等書記官→領事として勤めていた。(1895年~1909年。上海や北京、天津など)

のちにカミーユの初めての回顧展をロダン美術館で開くことを実現させたポールは、同展に寄せて次のように書いた。

カミーユ・クローデル。
美貌と天分との勝ち誇るような輝きと、わたしの若き日々のうえに行使されたしばしば残酷な支配力とのさなかにある、かの堂々たる若い娘の姿がふたたび瞼に浮かぶ。

ポール・クローデル「カミーユ・クローデル」より(『眼は聴く』所収。みすず書房、1995年)

*写真はいずれも1987年、渋谷・東急での「カミーユ・クローデル展」図録より。
これが日本において初めてまとまって紹介されたカミーユ展であった。




ポール・クローデル「繻子の靴」の守護天使と四天王像[2017年11月26日(Sun)]

四天王像(興福寺南円堂)_0001広目天+増長天-B.jpg
四天王立像から広目天(左)と増長天。
ともに三つ叉の矛を手にしている。

四天王像(興福寺南円堂)_0003持国天+多聞天.jpg
持国天(左)と多聞天。
◆興福寺の南円堂に置かれている四天王像。運慶作との見立てもあるが今後の研究で明らかにされるだろう。
今回の運慶展では、北円堂に置かれてあったのではという仮説に立って、昨日の無著・世親像を囲むように展示されていた。そのために極めて演劇的な空間が用意されたという印象。
観覧する我々凡夫が彼らの視線にさらされるわけである。

*******

ポール・クローデル「繻子の靴」の守護天使と四天王像

◆「日本芸術文化振興会ニュース」という国立劇場の公演を紹介する月刊の小冊子がある。
その11月号にフランス文学の渡邊守章氏が《クローデル『繻子の靴』の「三つ又矛」》というエッセイを書いている。その中で、「四天王」像が持つ「三つ叉矛」を観た「衝撃」を書いている(同誌の15p.「1000字エッセイ」)。

クローデル『繻子の靴』の「三つ又矛」  渡邊守章
 
運慶の「四天王」が振り上げる三つ又矛――ああ、これだと思った。上野の国立博物館、「運慶展」での衝撃である。大正年間に、大使として日本に正味五年近く滞在したフランスの劇詩人、ポール・クローデル。彼が劇詩人として、外交官として、更には、その深層に蠢く虚構の影たちの総決算として、五年近くの歳月をかけて完成した一大長編戯曲『繻子の靴』。そこには、当然の事とはいえ、日本滞在中の体験や思索が、様々な変容を受けながら生きている。


◆渡邊氏はクローデルのこの長編戯曲「繻子の靴」を翻訳(岩波文庫上・下の2冊)したばかりか、演出家として上演時間8時間以上に及ぶこの劇の完全上演を昨年12月、京都で実現させた人だ。
題名の「繻子(しゅす)の靴」とは、ドニャ・プルエーズが履いていた絹の靴の片方を脱いで聖母像の両手に載せ誓いの言葉を唱えることによる。「悪へ向かって走る時には、片方の足が萎えておりますように!あなたの作られた垣根、それを飛び越えようとします時には、片方の翼が必ず切れておりますように!」(一日目=第一部の第5場)――この誓いを立てたがために、彼女の恋はすれ違いを繰り返す。

◆渡邊氏は演出家の視点から、この戯曲の三日目について筆を進める。

大航海時代、新旧両世界を舞台にしたこの「世界演劇」の「三日目」、つまり「第三部」には、新大陸の副王となったドン・ロドリツグヘの「禁じられた恋」を、彼の魂の救いのために犠牲にしようというドニャ・プルエーズを中心に、この「世界大演劇」の正念場とも呼ぶべき場面が続く。中でも、北アフリカ、モガドールで、彼女の「守護天使」との「救霊」をめぐる対話は、「臨死体験」の活用と言い、手にした釣り糸に結んだ針で魚を釣る「連理引き」の仕草を軸に展開される劇の表象といい、劇詩人クローデルの力量が遺憾なく発揮されている。
 「連理引き」…歌舞伎の幽霊物で殺された人物が幽霊として登場し、「見えざる糸」で敵を手繰り寄せようとする演技。クローデルの歌舞伎体験がここで生かされているという。

◆「三つ叉矛」が登場するのは三日目の第8場である。ここにも演出家としての想像を働かせる。

演出上の設定としては、プルエーズは、「臨死体験」をして、「地上に自分の抜け殻を見ている」事になっており、これも、二十世紀の十年代後半の話題の一つであったが、それ以上に、演出家の関心を惹くのは、十二神将の出で立ちの守護天使が、プルエーズを脅して叫ぶ台詞に、自分が使えるのは「釣り針」だけではない、「三つ又矛も使えるのだ」という、西洋図像学的に言えば、ギリシアの海神ポセイドーンの振りかざす「三つ又矛」を思い出させる箇所である。
そこで、冒頭に引いた「運慶の四天王」である。クローデルが作者まで承知で書いているとは思えないが、その四天王が「三つ又矛」を振りかざしている姿は、古代ギリシアの牧歌的な「海神」とはおよそ違う。劇詩人がどこまで自覚していたかは分からないが、鎌倉武士の守護霊の姿のほうが、キリスト教的図像より、余程「恐ろしく」かつ「神聖」である。
ただしこれも、劇詩人の想像力の「読み取り方」である。戯曲を読んで想像するのと、実際に舞台に立ち上げるのとでは、やはり二つの異なる作業なのであった。


◆守護天使は一日目の第12場では「円形の襞襟のある同時代(=大航海時代)の衣裳で剣を帯びて」登場すると指定されているが、再登場する三日目第8場では「奈良でみるような暗い甲冑を着けた守護神将の一人の姿」と指定がある。
この場面で、釣り糸が実在するかのように演技で表現されるのと同じく、守護天使が実際に「三つ叉矛」を持ち出す必要もないのではと思える。上演された「繻子の靴」を見ていないので確定的なことは言えないのだけれど。
少なくとも守護天使のイメージが、クローデルが奈良で見た十二神将像や四天王像として造形されているわけで、それを手がかりにして「三つ叉矛」の役割と登場人物との関係について何らかの解決を見出すことが演出家と役者の課題となるということだろう。「三つ叉矛」一つをめぐっても確定しなければならないことがいくつもあるのだと分かる。

◆作者クローデル自身はこの戯曲の序文の中で、「ト書きは、必要な場合には、舞台監督あるいは役者自身によって掲示されたり、読み上げられたりすればよい。」「間違えたりしても大したことはない」。時には背景幕がきちんと広げられてなくて後ろの壁を剥き出しに見せ、その前を劇場の事務方が行ったり来たりするのが見えてしまったとしても「お誂えの効果を生むだろう」と大胆なことまで書いている(前衛的な演劇に無理解な人びとへの皮肉かも知れないが)。
同時に「熱狂の中での即興という印象を与えなければならない」と最も肝心な(従って至難な)注文を付けることを忘れない。
その上で次のような痛烈な一言を放つ。

秩序は理性の楽しみだが、無秩序は想像力の愉悦である。

こうした警句に接すると、秩序・無秩序のどちらか一方に傾いてしまったほうが楽だと思いがちな天の邪鬼は恥じ入らざるを得ない。秩序と無秩序の間を自在に遊行して理性と感情の両方を満足させられるのが人間じゃないか。

*******

「恐ろしく」かつ「神聖な」表情をこの四天王像から選ぶなら増長天だろう。
大変な迫力である。
四天王像(興福寺南円堂)_0002-増長天ーA.jpg

運慶の父・康慶の作である四天王像の、同じく増長天(下の写真)の平板な表情と比べると、相当の違いである。

康慶作「増長天」1189年(興福寺).jpg
康慶作「四天王立像」のうち増長天(興福寺)

*写真はいずれも運慶展図録より。


運慶・無著像と世親像[2017年11月25日(Sat)]

◆上野で開かれている運慶展も会期末。
現存する運慶作およびその可能性が高い31作のうち22体が集結することとて訪れた日も入館規制があり、50分ほどを外で過ごした。

目当ては無著像(興福寺蔵)。高校の修学旅行が最初で、それ以来たぶん3回目の対面。
2度目は20年以上前の1月初めに、同僚たちと興福寺の国宝館で有名な阿修羅像などと一緒に観た。

◆今回は興福寺の南円堂にある四天王像を四囲に配し、それに囲まれるように無著像と世親像を置いてある。四天王像が当初は北円堂に安置された運慶作の像であるという説があるのでその組み合わせを今回試みたのだという(図録の浅見龍介氏の解説による)。

◆結果はどうだったかというと、殆ど演劇的な空間に身を置く感じがあった。
もし、それらの像の中にたった独り置かれたなら、自分がこの世に生まれ落ちてからのさまざまな記憶をたぐらざるをえなくなり、独りごちながらわだかまっているものを自分の体内から取り出してそれを見つめることになるだろう。

運慶無著像_0001-A.jpg

こちらが齢を重ねるごとに慕わしくなるのがこの像である。
写実的とよく言われる。それを良く示すのは無著像においては額や手の甲の盛り上がった血管だ。

無著像右手-A.jpg
*写真はいずれも運慶展図録より。

◆我われ凡夫の間近にいてくれる感じを与える。我々の身近にいる良く似た面立ちの人間を思い出す人も少なくないだろう。だが2メートル近いこの像は親しみと同時に気高い厳かさをたたえている。
魂の救済を求める者はこの像の前に立つことになる。


◆図録の写真を見るうちに、これと対をなす世親像が初めて近づいて来た。これまで無著像に惹かれる余り、難しそうな表情の世親像を遠ざけていた。顔の白い彩色は世親の方が多く剝落して顔面全体が黒っぽく見えることも災いしていたかも知れない。
実物を前にしながら気づかなかったこと―ーそれは、この世親像の方がより我々に近いところに立ってくれていたのだ、という発見である。下の写真がそれをよくとらえている。
眉根を寄せ、唇もやや歪めながら上に上げた表情。動きのある表情である。

世親像-A.jpg

◆ひとことで言うなら「惻隠」の表情だと思った。「孟子」にいう四端の心の一つ。あわれみいたむこころ、と一般に理解されているが、「孟子」では「怵タ惻隠」(じゅってきそくいん)と四文字で出てくる。子どもが誤って井戸に落ちようとするのを目撃したときの我々の心の動き方として説明される。ハッと驚いて手をさしのべねばと思う心の動きである。
我々が直面している困難や危険、窮状に気づいてこちらに近づこうとする瞬間の表情、それがこの世親像ではないか。
そう気づいてみれば、無著像が捧げ持つ包み(仏舎利を収めたものか)が世親の手にはない。最初にあったものが失われたのかも知れないが、だとするなら、世親は、彼が見たものの余りのいたましさに、手にしていた包みを思わず取り落とした姿にも見えてくる。

この二つの菩薩像が対になっている理由が想像できるように思う。


利用客のゆううつ[2017年11月24日(Fri)]

DSCN4726ムクノキーB.jpg
ムクノキ(椋の木)。黒く丸い実を付けているのが先日の大磯散策で見た木に似ていると思って上方を見やると、相当にノッポの木だった。上野国立博物館の本館ワキを平成館に向かう道の真ん中に立ちはだかっている。
運慶展を観た帰りで、右に寄ってカメラを構えていると、背後から誘導係が「左側を通ってお帰り下さい」と呼びかけている。近い所で2度3度繰り返すので、ようやく当方に向けて言っているのだと気づいた。

通路は混雑しておらず、これから入館する人に迷惑をかけているわけでは全くない。
誘導係の本務が人の流れをスムーズにすることにあるのは理解するが、例外をなくしたい意図からする声かけは、秩序維持が自己目的になっていないか気になる。「右側通行は”排除”ですかね」と半畳を打つつもりもないが、余計なお世話という感じはつきまとう。
これから入館する人たちは、目当ての彫刻への期待をふくらませているだろうし、観終えた人は目に焼き付いた四天王たちの姿を外の夕方の光に重ねて反芻しているかも知れない。
繰り返される声かけは、そんな気分に水を差す効果しかない。

◆この日の帰りの電車でも、電車の遅れを詫びるアナウンスが繰り返されて似たような気分が続いた。わずか3,4分の遅れで、しかも夕方である。先行する電車が線路への落下物だったかの通報を確認をしたためという遅延の理由と、遅れている時間が車内にアナウンスされた。
一時停止を余儀なくされた場合には何らかの情報が欲しいところだが、それとて1回放送すれば十分だ。この日は相模大野から江ノ島線に入ってからも到着駅名を告げるたびに遅延お詫びのアナウンスが流れた。その度に同じ遅延理由が繰り返される。1時間余りも電車に乗っている人間にとって、ありがた迷惑から苦痛に変わってくる。状況の大きな変化がないなら乗降口の上にある電光掲示などで流したらジャマにはなるまいに。目は閉じてしまえば余計な情報を遮断できるが、耳の方は音にさらされ続けるからだ。電車の走行音は常に聞こえていても気にならないのに人の声は耳障りになりがちだ。

◆そう言えば先週、つくばエクスプレスの電車が予定より20秒早く出発してしまったことについて会社が謝罪した、というニュースがあった。

ハフィントンポスト海外メディアが驚愕 ⇒ つくばエクスプレス、20秒早く出発して謝罪
http://www.huffingtonpost.jp/2017/11/16/tsukuba-express_a_23280224/

数分後の後続列車もあり、利用者からの苦情も特になかったというのに会社が謝罪のプレスリリースを出したのには会社の事情もあった由。
発車直前に予め流す音声放送があるのに、それを欠いたまま発車するというイレギュラーな出発となった、そのために乗り損なった利用客がいたとすれば相済まないという鉄道会社の方針らしく、海外メディアも驚きをもって報じているそうだ。お客様本位の徹底ぶりがいかにも日本的ということだろうが、果たしてどうか。

◆ここで気になるのは20秒早く出発させてしまった運転士の処遇だ。
始末書か再発防止研修などといじめられていないかどうか。
やらかしたミスごとに減俸の額が細かく社内規定で決められていたり、などというのは大いにありそうだ。
そう考え出すと、今時である。1つのミスの陰には車掌や駅ホームの駅員、それぞれの上司の労務管理のありよう、などなど複数の要因が関与しているので、その軽重に応じて課されるペナルティも事細かく決まっていたりして……。

◆そうした査定マニュアルなどがあってそれを機械的に適用するだけだとすれば、なかなかユルクない話だ。
キチンと定刻で走るのは大事だが、こだわり過ぎるとマニュアルとそれが管理する秩序優先の寒々しい職場というイメージしか残らない。
だが、そこまでやるか、と話題になって、社の好感度・知名度がアップしたのなら、むしろそのきっかけを作った功労者ということではないか。
粋なはからい、というのがあったかどうか。

◆あの国立博物館の誘導係の人も、一時間毎の発声回数のノルマなどあって、混み具合に関わりなく声かけ頑張らざるを得ないのかも知れない……と考えると、涙ぐましい感じすらしてくる。

光のくすぐり[2017年11月23日(Thu)]

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◆りんごを頂戴した。郷里でりんご園を営む従兄が丹精して育てた実りである。
宅急便で1〜2日で着くためか箱を開けると冷たい空気とりんごの香とが同時に立ち昇る。
金星という、こちらの店では見かけたることがない黄色いりんごと、紅いふじ
御礼の電話をかけたら叔母が出て、さすがに袋かけもできない年齢になったから二種類とも無袋だと言う。かつては虫を防ぐためと肌を美しくするために、ほとんどのりんごにとって袋かけは欠かせないものだったが、甘さが増すのでふじの無袋がふつうになって、他の品種にも無袋栽培が広がって来たようだ。

11月のこの時期に珍しくのっそり雪が降って、消える気配がないとの話。湘南の地も寒気が続いているが、冬型の気圧配置で上の写真のようにこっちが冴え返る晴天の時は、200里隔てた郷里の方は概ね雪のことが多い。それにしても11月の雪が根雪になるかも知れない聞くと信じがたい。

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偶作  ヘリック

幸運は忍び忍びやつて来てわが屋根にとまつた、
音無くつむ雪や、夜置く露のやうに。
それは不意打ちではなく、丁度日差しが立木に当たるとき
おもむろに光のくすぐりが枝々にひろがつてゆくのと似てゐる。

森亮・訳 「ヘリック詩鈔」岩波文庫、2007年
*ヘリック(Robert Herrick 1591-1674)イギリスの詩人。


生命を手段と見る我がまま[2017年11月22日(Wed)]

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生命を、全体としてでなく、一部の手段として見ると云ふことに人間のつみ重ねた我がままがある。

永瀬清子「象徴の厨」より「C」の後半(「続 永瀬清子詩集」思潮社、1982年)



「らめんと」国会[2017年11月21日(Tue)]

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九竅(きゅうきょう)からもの欲しげな手が出る人びと
 *九竅:「竅」=「穴」。顔にある目鼻耳口が「七竅」。それに下半身にある二竅を加えて「九竅」。

I保庸介・前沖縄北方大臣(参議院議員:自民)に政治資金規正法および公職選挙法違反の疑惑が浮上している。昨年、大臣の職にあった当時の沖縄の米軍基地工事への参入をめぐるものである。

★【しんぶん赤旗日曜版(11/19)】
鶴保前沖縄北方相に重大疑惑
新基地建設 業者が後援会長に1000万円超
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2017-11-17/2017111701_02_1.html

★【時事通信】
鶴保議員後援会長に多額資金か=業者が証言、選挙応援も−刑事告発を検討
https://www.jiji.com/jc/article?k=2017112001038&g=soc


◆下村博文・元文科相は、自分の本を政治資金で購入したという新たな問題が発覚した。
加計学園からの献金問題も未解明のままである。

★【毎日新聞11月21日】
下村元文科相党支部 政治資金で自著購入 1900冊分
https://mainichi.jp/articles/20171121/k00/00m/010/120000c?fm=mnm

本の題名は「教育投資が日本を変える」。「教育は投資だ」というのは彼の持論だが、比喩表現ななどではない。分かりやすく言えば「教育はカネになる」という発想である。
加計学園理事長の発想と同じ。
「〇〇はカネになる」の「〇〇」にはあらゆるものが代入できる。
いちばんもうかるのが「戦争」であること、多言を要しない。


「九竅」から蔓を伸ばすドクサイという毒菜

◆21日の参議院本会議での首相答弁、よく聴くと大変なことを述べていた。
大塚耕平(参院民進党)の憲法9条と自衛隊に関する代表質問への首相答弁である。

【朝日新聞11月21日夕刊】
大塚氏は自衛隊の明記で「自衛隊の存在や行動にどのような変化があるのか」を質問。首相は近年の世論調査でも自衛隊を合憲と言い切る憲法学者は2割にとどまり、多くの教科書に合憲性に議論があるといった記述があると指摘。「そうした議論が行われる余地をなくすことが私たちの責任ではないかと考えている」と語った。
http://www.asahi.com/articles/ASKCP24VSKCPUTFK001.html

◆教科書などにおいて自衛隊の合憲性をめぐる「議論の余地をなくす」とは、異論の完全なる排除を目指すと言うことではないか。
教科書検定について政府見解を書くように、とか諸説あるものについてはその旨を記述するようにと圧力を強めてきただけでは足りず、唯一絶対の説に一本化する、ということだ。
そういうのを「独裁」というのではなかったか?

NHK(Web版)ニュースの見出しは「首相 自衛隊違憲議論の余地無くすのが責任」
とあった。「異論を排除し独裁を目指すことを宣言」とは書かない。
九竅にはびこるドクサイにマスコミがウソという肥やしを補給するようではオシマイだ。
毒菜=独裁の結果は民草の枯死である。

【NHKニュース】「首相 自衛隊違憲議論の余地無くすのが責任」
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20171121/k10011230691000.html

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●らめんと  永瀬清子

悲哀の情況と云えばほかからみればただ視線が下方にまがること。
その時自分から云えば不幸なわが周囲だけ見えて絶対に遠距離に目がうつらぬこと。
自分は金属のまぶたをもったさびしい小さな街燈で、足許の青い草の上だけに投網(とあみ)をなげているということ。

永瀬清子詩集「私は地球」より(沖積舎、1983年)

*「らめんと」…lament:悲哀、哀歌、追悼の音楽

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