〈平和の少女像〉を「表現の不自由展 V」で[2019年08月04日(Sun)]
◆「表現の不自由展・その後」で展示された「平和の少女像」(作者=キム・ウンソン&キム・ソギョン)、写真で見ると椅子が左にある。
作品の前に立つ人に座ってみて下さい、というメッセージだろう。
何を感じるかは座ってみた人にしかわからないが、少なくとも作品は、見る者に開かれたものとしてそこに在る、このことは確かなようだ。
◆開会直前の紹介記事の一つ「ハンギョレ新聞」Web版(7月30日)は次のように書いている。
*【タブー破り、日本最大の芸術祭で展示される“少女”像】
⇒http://japan.hani.co.kr/arti/international/34000.html
少女の後ろには後ろには影がさしている。影は少女ではなく、ハルモニ(おばあさん)の姿だ。少女の時に「慰安婦」として動員され、今はハルモニになった被害者の姿を象徴する。影には蝶も刻まれている。
◆当たり前の話だが、作品を目の前にしないと、何を言っても始まらない。
今回、電話やファクスで抗議した人で実際に作品を自分の目で見た人がどれだけいただろうか。
かくいう僕もこの少女像の写真や、これにまつわる報道で形成されたイメージを予断として持っているわけだが、なにがしか考えたことを述べようとするなら、バイアスがかかっていることは承知ながら、それでも可能な限り先入観を排し、作品から受ける印象に基づきたい。
それには作品の前に足を運ぶことが一番である。
◆上の記事を通して想像するのは、少女像の後ろにさしている影はそのまわりを経めぐることで感じるものがきっとあるだろう、ということ。
その影に刻まれているという蝶については、幽明境を異にした魂が蝶に姿を借りて我々に何かをささやきかけて来るもの、というイメージがある。しかし、これとて実際に見てみなければ確かなことは言えない。
そう思う人間が少なからずいる以上、作品は公開されるべきだ、というのが僕なりの目下の考えだ。
「表現の不自由展 V」が開かれるべきと考える。文化国家を標榜し、すくなくともそのことで世界から信頼をかちえたいと願うならば、だが。