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流政之のことばたち[2019年07月09日(Tue)]

DSCN1161たぶん【ダールベルグデージー】キク科ティモフィラ属.jpg
ダールベルグデージー(たぶん)。
6月から咲き続けているが、名がわからないままだった。
花はタビラコに似ており12枚かそれ以上。葉はコスモスのミニサイズという趣。
いろいろ調べてズバリの画像を発見して、ようやく。

*******

流政之のことばたち

『流政之作品論集』(美術出版社、2008年)を中心に、流自身のことばを幾つか拾って置く。

私の造形感覚の根底に影響を及ぼしたのは、刀の焼き入れの仕方です。
1度、鍛金で刀の形に反りを入れたものを、土を付けて叩いて水平にする。そして炭の中に入れて赤めて、それを抜いた途端、水槽に入れて泳がす。すると急激な冷却と収縮により、真っ直ぐにした刀が、また元のカーブを描くんです。これを学んだ時に、すごい衝撃を受けましたね。
これは学校の先生が定規で教えるようなカーブとは違う。
刀でいうカーブとは、どう考えても直線的なものを追いかけている。
つまり日本の反りとは、視覚的には曲がっているが、精神的には直線だと

森村泰昌との対談〈日本とアメリカ 彫刻における「男」と「女」をめぐって〉

◆刀を焼き入れした瞬間の驚きが伝わってくる。「視覚的には曲がっているが、精神的には直線だ」という発見は、矛盾を内に孕む「モノ」が、水の力を得て解決のかたちに変じる一瞬間をよく伝えている。「力動的な止揚」とでもいうべきか。水から飛び跳ねた大魚の身震いに似たものが手・腕を通して伝わってくるようだ。

*ナガレスタジオ公式ウェブサイトのProfileに「立命館大の学生だった1941~42年、授業をよそに立命館日本刀鍛錬所に出入りして作刀・研ぎに夢中、この伝統的な技法によって生み出される刀の美しさと切れ味に驚く。」と記してあった(流の没後、その公式サイトは閉鎖になった)。
*それを元に書いた昨年の記事:2018年7月16日【流政之の彫刻】
http://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/925

***

自然の力のものすごさを記憶にとどめ、語りつがなければならない。そして、二度と悲劇が起きないよう、「島サキモリ」は島の守り神になってほしい。

五十嵐太郎「空を飛ぶ石」に引用された「朝日新聞」96年12月4日夕刊掲載のコメント。

93年の北海道南西沖地震で被害の大きかった奥尻島、ナガレパークの復旧工事を終えて。
「回天ガ原」は傾いたまま残し、96年、慰霊と島の守りとして「島サキモリ」が流塾生によって寄贈された。

*奥尻島にある流の彫刻群については奥尻島観光協会のサイトほかを。
http://unimaru.com/?page_id=40

***

形はつくるものから求める人々へ手わたすことによってこそはじめて生命をつかむものである

中村哲也「スタジオ拝見」より。
中村がナガレスタジオ(庵治半島)を訪れた折にサインしてもらったカタログにあった言葉、という。

***

少年時代、親父から古流武道を習わされた。武道には「受けてたつ」という武士道の思想がある。これも自分からは攻撃をしない。私が高松にいるのも、受けてたつ、の考えからだ。彫刻家として攻撃的に生きるなら、東京のような大都市に住めばいいんだ。攻撃の美学は好きになれないね。日本が再び武力の問題を考えるのなら、守ること、受けてたつことに、きっちりけじめをつけておかないといけない。そうしないと、また戦争することになる。

日本経済新聞2015年8月12日インタビューより
【彫刻家・流政之氏、「攻撃の美学」好きになれぬ(戦争と私) 戦後70年インタビュー、元零戦パイロット】
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO90128090U5A800C1000000/

◆改めて、去年7月に、横浜の青少年センターで初めて出会った〈潮〉が坂上から海を望むように立っていた姿と、「青少年諸君 しっかり頼む」と刻まれた流のメッセージを思い起こす。「人の背丈ほどの高さにメッセージが彫られている」とそのとき書いた。「『しっかり頼む』という言い方は、現代の大人たちの口からは出てこない。」とも書いた。

敗戦後、流は「敗戦の日本の姿を確かめるため」各地を歩きまわり倒れた墓を起こして放浪に明け暮れたという。現代人が陥りやすい「自分探し」の旅ではない。

流が起こした石の重さ、感触の総体は想像するほかないが、手を通して体内に入ってきたものを逆流させてかたちにして行く仕事は、それが成ったとき、見る者に手を触れるよう促してくるのは自然なことのように思われる。
「しっかり頼む」にはそうした思いがこめられているだろう。

◆あの石柱〈潮〉も坪庭に置かれた〈舷〉も、その前に足を停めた者が、「頼む」に足るものであることを信じて疑わない。
足を停めた者は自分が頼まれたものが何か、それぞれに考えるだろう。もし石に手を触れるなら(手を触れるように促す感じが、あの「割れ肌」の削り面にはあった)、その感触はながく記憶されるだろう。

DSCN1223-A.jpg

*****

◆流政之の公式ウェブサイトが閉鎖されてしまったのは残念だ。
黒御影を思わせる画面に白ヌキで記されたProfileは、流政之その人の語り口を生かしたもののようで印象的であった。

◆朗報もある。
制作拠点であった高松市庵治町のナガレスタジオがこの9月から公開予定(予約制)という。

★【四国新聞7/1記事】
高松・ナガレスタジオ 故流さんの拠点、美術館に 9月公開、60年の活動一望
https://www.shikoku-np.co.jp/travel/article.aspx?id=20190701000433

*詳しい作品リストを載せた以下のサイトに出会った(2015年までをカバー)。
https://nug.jp/ja/artists/masayuki_nagare

ネット上には、流政之の作品に街角や旅先で出会った人たちが写真や印象をに載せている。それらを手がかりに、足を運び、手を触れて対話するというのは悪くない(1000以上もあるそうだが)。




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