CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る
« 2019年04月 | Main | 2019年06月 »
<< 2019年05月 >>
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
最新記事
カテゴリアーカイブ
月別アーカイブ
日別アーカイブ
実践躬行の人―猪俣弥八の生涯(2)[2019年05月21日(Tue)]

猪俣弥八の生涯(その2)

弥八写真小サイズトリミング.jpg
猪俣弥八(1868-1902) *岩崎稔氏提供

◆21歳で渡米した猪俣弥八の胸中にあったのは何だろう。
岩崎稔氏がまとめられた「猪俣弥八、その知られざる生涯」に拠って、猪俣弥八の生の基底にあったものを見ておきたい。

◆弥八の非業の死を悼んで在米の人々によってまとめられた追悼文集『落葉』によれば、キリスト教宣教師と巡り会ってそれまでの放蕩生活が「神教に背き人道に悖る行為」と気づき、「祐然として悟り翻然として改め直ちにその教徒と為ることを得たり」という。

弥八は1986(明治19)年、18歳にして横浜海岸教会(米国改革派教会のJ.H.バラ夫妻により1972年創立)にて猪俣道之輔宮田寅治(昨日の記事でふれた金目民権トリオの人々)らとともに受洗した。
さらに翌年には、父母を含め家族がこぞって受洗している。一家を挙げて入信するには弥八自身の熱意が牽引力となっただろうが、それを受け入れる家族に精神的な強い紐帯があったことを想像させる。
やがて渡米の夢をふくらませる弥八を応援する思いも家族の間に共有されて行っただろう。

(弥八の墓碑を故郷・金目に建立した弟の猪俣松五郎(1870-1943)は、長兄・国治が早世したため家督を継いだ人だが、のちに金目村長を長く務めたほか、盲学校、農業学校、私立育英学校(それぞれ、県立平塚盲学校・平塚農業高校・秦野高校として現在に続く)の設立・拡充に尽くした人物。開明的で教育に熱心な家庭環境であったと言えよう。
*昨日の参考資料「広報ひらつか」No.729の盲学校での写真に、宮田寅治と並んで座る松五郎の姿がある。やはり顔の輪郭、目元に弥八と相通うものがある。⇒http://hiratsuka.johokyoyu.net/area/kaname/18062_A.pdf)

◆渡米の第一の目的は、大磯の自由民権演説会を契機に学び始めた西洋の政治・経済学を彼の地で探究したいという純粋な向学心であったろう。

同時に、弥八の胸中には、学問の背骨を成すキリスト教精神を生涯かけて具現化することが念頭にあっただろう。
実践の手本はすでに、日本を訪れた外国人宣教師たちの活動として身近にあった。


学問と信仰の実践躬行=生きて己と他に働く普遍の真理を求めて

◆渡米敢行は1888(明治21)年2月であった。
2年後にカリフォルニア高等学校(カレッジ)に入学、勤労しながら学ぶ生活を続けてゆく。
同時に教会との関係は持ち続け、オークランド(カリフォルニア州)の日本人教会、さらにM.C.ハリスの委嘱を受けてバカビル村の日本人教会に牧師の補助員として赴任し、娼家排斥運動に身を挺して取り組むことになる(1895年)。

神奈川では宮田寅治らにより1890年暮れの県会に廃娼建議案が提出され僅差で可決された。
クリスチャン民権家やキリスト教青年会の運動が結実したものだが、こうした女性解放の活動は在米の弥八にも伝わっていたことと思う。
人間の尊厳への情熱は信仰が要請するものであったのは疑いないが、弥八の場合、それを観念にとどめず、行動によって具体的に獲得して行くもの、信念は実現されるべきものだと、意識されていたように思う。
普遍的な価値は自他・男女・職業などの区別なく、現実に享受できるものでなければ本物ではない。
1901年、大学を卒業して新たな伴商会の支部長の任に就く弥八が述べた「満腔の抱負」とは、移民労働者である同胞たちもまた、この普遍的な価値を手にできるよう、持てる力を尽くしたいという「志」の披瀝にほかならなかった。

M.C.ハリス(1846-1921)
……アメリカ・メソジスト監督教会(日本では「美以教会」とも称した)宣教師。明治の日本人クリスチャンに大きな影響を与えた。
1873年、妻フロラ・ベスト(詩人)とともに来日。ウイリアム・スミス・クラークに懇請を受けて、札幌農学校の第1期・2期生(内村鑑三新渡戸稲造ら)に洗礼を授けた。1882年帰米後は太平洋ハワイ方面の宣教師として働いた。終生日本を愛し、墓所は青山墓地にある。
*アメリカに留学した若き日の松岡洋右(1880-1946)もハリスによって信仰に導かれた一人。
弥八に遅れること5年、1893年に渡米した松岡だが、オレゴン州立大を卒業したのは弥八より1年早い1900年であった。弥八の追悼集『落葉』には松岡も寄稿している。

◆◇◆◇◆◇◆

猪俣弥八資料の展観

◆来たる5月26日、第5回「湘南社」民権講座が伊勢原の雨岳文庫で開かれるのを機に、
今回見出された猪俣弥八の資料が公開されるとのこと。

渡辺延志(のぶゆき)さん(元・朝日新聞記者)の下記講演と併せて貴重な機会だ。

***

第五回「湘南社」民権講座

歴史を見つめる新たな視点を

講師:渡辺延志さん(歴史ジャーナリスト)
*朝日新聞・神奈川版に「神奈川の記憶」を連載。

とき:2019年5月26日(日)午後2〜4時
ところ:山口家住宅(国登録有形文化財)
伊勢原市上粕屋862-1 雨岳文庫 電話1(プッシュホン)0463-95-0002(山口方)

★アクセス:小田急線・伊勢原駅北口「神奈中バス」4番乗り場から「大山ケーブル」行き
「〆引(しめひき)」下車、徒歩2分
*略地図⇒http://www.ugakubunko.com/htdocs/?page_id=25

主催:公益財団法人「雨岳文庫」・NPO法人「雨岳文庫を活用する会」



| 次へ
検索
検索語句
最新コメント
根来珠青
銃剣道 歴史に目をふさぐおぞましさ (03/29) 当ブログ管理人
ジャーナリスト・安田純平さん解放との報【追記】 (10/26) 3億円で買える銃と弾
ジャーナリスト・安田純平さん解放との報【追記】 (10/25) マキシミリアナ・マリア・コルベ
コルベ神父のこと その2 (06/23)
若き音楽家リュカ・ドウバルグ (06/09)
タグクラウド
プロフィール

岡本清弘さんの画像
http://blog.canpan.info/poepoesongs/index1_0.rdf
http://blog.canpan.info/poepoesongs/index2_0.xml