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いやはや、またもや「いやさか」[2019年05月01日(Wed)]

DSCN0608.JPG
桐の花。例年ちょうど良い花の時期に来合わせることが少ない。

*******

◆「朝見の儀」、臣下が拝謁するという意味の名称を用いた点で民主憲法に違背する。
政府が各方面に発した通知の「祝意奉表」という用語も、作文したお役人自身、「『ホウ、ヒョウ(そう)か』などとダジャレで遊ぶ輩が出てきそうだな」と頭をかすめたものがあり、噴き出しそうになりながら、でも30年前も使ってるからOK、と踏んだのではないか?

つまりは「けしからず+おかしい」が入り乱れて、のどごしスッキリしないどころか、とうてい呑み込めぬ言葉ばかりが氾濫している。胃の腑に落ちず、無理を承知で仲間内の符牒を乱用するから、聞かされる民の健康によろしくない。

一例は、首相があいさつで口にした「弥栄(いやさか)」だ。神道との結びつきを意識せざるを得ない。TVを消して間もなく、胃の上辺がチクチクし出した。

平易なことばを使わないのは、衆に軽んじさせまいとする意識があずかっている。
それはまた、より適切なことばを用い定着させる努力を怠ったことをも意味する。
「伝統だ」と言い張って、分かりやすい言い換えを工夫しなければ、普通人の理解から遠ざかるばかりだろう。

◆思い出すのは、前天皇の成婚パレード(1959年)を報じたニュース映画だ。
語り手の日本語は、漢語・敬語のオンパレードで、はなはだ難解なものであった。

他方、NHK中継のアナウンサーの実況の言葉遣いはどうだったのかというと――当時我が家にはTVはなかったので文字起こしされたもので確認した限り――漢語の羅列は極力避けている。(「偽装馬車」とか「(旗)が翩翻(へんぽん)と春風に翻って」とか「大勲位菊花大綬章」などあるが、言い換えようのないものはやむを得ないとして。)
当時期待の新メディアとして、アナウンス用語の工夫も重ねて本番に臨んだのだろう。
敬語の使用も、ここ数日のTV新聞より60年前の中継の方がまだ控え目な印象だ。

成城大・森暢平氏による「1959 年皇太子ご成婚パレード,NHK 実況中継」(成城大「コミュニケーション紀要」Vol. 26, pp. 99-115[2015 年3月])を参照した。

◆新聞の敬語で違和感があったのは、退位した前・天皇・皇后の呼びかたに付す接辞だ。
今朝5月1日、朝日新聞一面、編集委員氏の〈言葉の力を信じ 語って〉という見出しの記事、山上憶良の「言霊の幸(さきわ)う国」を引きながら、「上皇さまと上皇后さまは、言葉を大切に選び抜いて用いていた印象がある。」と書いている。
「上皇・上皇后」が使い慣れないからだけではない。これに接辞「さま」を付けたのが妙なのだ。下には置かぬ称号の後にさらに「さま」を付けることの落ち着かなさが原因だと思う。

報道各社が皇族の名前の後に判で押したように付ける「〇〇さま」にも違和感を覚えるが、それとは少し違う。

一刻み高めた敬意を込めたであろう新呼称を、さらにもう一刻み高く持ち上げようとする――屋上屋を重ねようとする――と、敬するが上にも敬して結局、遠ざけることになっていないか? といぶかしむのである。
うるさくない所に敬遠して置いて、利用できるところはチャッカリ利用させていただく、新元号・退位・即位、絶好のチャンスじゃないか、TVの視聴率、週刊誌の売り上げ、商売商売……というわけだ(今朝の朝刊を開いて見ると良い、化粧品、飲料から家電まで、あやかり商法が幅を利かしている)。

なかんずく目に余るのは政治利用だ。骨の髄までしゃぶられた結果、さしもの「国柄」も、すっかりダシを提供し尽くして、やせさらばえた骨柄のみが目に付く令和の一日目である。

◆◇◆◇◆◇◆


見えないこよみ  若松英輔


こころには
誰の眼にも見えないこよみがあるのです
その人しか知らない
たましいのこよみ

時が過ぎ去るのは
この世のこよみ
でも 内なるこよみは違います
けっして過ぎ去らない日があるのです

そこには必要なことが
目に見えない文字で書いてある
昨日の場所には
こんな言葉がありました

 怒りは炎
 わたしが わたしでなくなりそうになるとき
 心に湧き上がり
 他の人へと飛び移る

こころが
怒りでいっぱいになるのは
わたしが
だれかのことばかり見ているとき

からだがこわばって
身動きがうまくとれなくなるのは
わたしが自分であることを
うまく受け入れられないとき

でも 怒りが消えるのは
許せない
そう感じる人のために
ひとり 静かに祈るとき

どうしてそんなことを
しなくてはならないのかと思いながらも
ゆっくりと
たましいの扉を開くとき

小さな隙間から入ってくる
(かす)かな光
それが燃えさかる
怒恨(どこん)の火を打ち消すのです


 『見えない涙』(亜紀書房、2017年)所収

◆詩の終わり近く、「怒恨」という言葉が強烈だ。
「静かな祈り」が「怒恨」の火を消すことになるにしても、それまで「怒」と「恨」の火が烈しく燃えさかっていたことを読者は知らされるのだから。
穏やかな語り口で始まりながら、最後の最後で、すさまじい炎が我々の顔をあぶり、チリチリ眉根が焦げる匂いさえ感じる。



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