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巴里、ミラボー橋[2019年04月18日(Thu)]

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◆ノートルダム炎上の報で思い出したのは、高校時代に英語を教わったN先生のことだ。
東京外大のフランス語を出たと聞いたが、戦時中南方で乗っていた船が沈められた経験を持つと聞いた。

戦争がフランスに行く彼の夢を摘み取ったわけで、生徒間に「鬼」というニックネームで畏怖されながらも、ちょうど国語の教科書で習った朔太郎の詩「ふらんすへ行きたしと思へどもふらんすはあまりに遠し」(『純情小曲集』所収の「旅上」)の力も与って、学徒の花の都への夢よ、いつの日か実現を、と応援する気分が醞醸せられていたものとみえる。卒業アルバムにはメガネをかけた鬼のN先生が、くわえ煙草でバイクにまたがり(このスタイルで学校にやって来るのだった)、「どけ、どけ!巴里へ行くのだ!!」と吹き出し付きで描かれることとなった。

◆パリを描いた日本人画家の作品を見た折など、果たしてN先生の巴里行きは実現しただろうか?と思うことがあった。と同時に、見果てぬ夢のままというのも悪くはない、という考えを弄んでいたりもするのだから、我ら戦争を知らない世代は脳天気だった。

◆その英語の授業で何を学んだか、霞のかかった記憶の底に残っているのは、わずか1コマだけだったが、英詩を取り上げたことだ。R.ブラウニングの上田敏訳で知られる「時は春/日は朝〜」(春の朝'Pippa's Song')やW.ワーズワースの「水仙 Daffodils」などである。韻律についても触れた。キャサリン・マンスフィールドの「風が吹く」という小説もN先生の授業で読んだのだったか。詩のような短編だったように思う。
1、2年の教科書にも詩ぐらい載っていたかも知れないが、授業で扱わなければ一生触れる機会はない。わずか1コマでも英語の詩を取り上げてくれたことには今なお感謝している。

◆さて、巴里に話を戻して詩を一つ挙げるなら、アポリネールの「ミラボー橋」だ。
堀口大學の訳で知られる。


ミラボオ橋  ギィヨオム・アポリネール
               (堀口大學 訳)

ミラボオ橋の下をセエヌ河が流れ
   われ等の恋が流れる
  わたしは思ひ出す
悩みのあとには楽(たのし)みが来ると

   日が暮れて鐘が鳴る
   月日は流れわたしは残る

手と手をつなぎ顔と顔を向け合(あは)
   かうしてゐると 
  われ等の腕の橋の下を
疲れた無窮の時が流れる

   日が暮れて鐘が鳴る
   月日は流れわたしは残る

流れる水のやうに恋もまた死んで逝く
   恋もまた死んで逝く
  生命(いのち)ばかりが長く
希望ばかりが大きい

   日が暮れて鐘が鳴る
   月日は流れわたしは残る

日が去り月が行き
   過ぎた時も
  昔の恋も、ふたたびは帰らない
ミラボオ橋の下をセエヌ河が流れる

   日が暮れて鐘が鳴る
   月日は流れわたしは残る


*講談社文芸文庫版・堀口大學『月下の一群』(1996年)に拠った。

マリー・ローランサンへの失恋から生まれた1912年の詩。
大學がマリー・ローランサンと会うのはその3年後である。

さてそれから半世紀以上ものちに、セーヌ川に身を投げた一人の詩人がいた。
パウル・ツェランである。その場所こそ、このミラボー橋だったという。
1970年の4月20日のことであった。



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