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桜の木の根元で学校に上がった友を眺める[2019年04月08日(Mon)]

DSCN0013.JPG
一本の木に赤と白二色の花を付ける桃の木。
よく見ると白に赤の斑が入った花も混じっている。

*******

◆高校も今日であらかた入学式が済んだ。
さる県立高校、未だ幼い弟・妹を連れて登校した新入生もいてほほえましかった。

◆我が高校入学式は、はるか50年の昔となった。
恩師が壇上から光太郎の詩「牛」を朗々と読んだことに度肝を抜かれたこと、帰路に父親に連れられて地元政治家K氏の時局講演を聴きに市民会館に立ち寄ったこと、応援弁士として講演したのが若き日の河野洋平だったことは覚えている。

◆しかし年数積んでも生路はおろか人品・骨法ともにいささかも世に裨益するものを積んだと言えない我が現状に愕然とするばかりだ。

金子文子(1903-26)の自伝「何が私をこうさせたか」は読むべき本の一つであったのに、高校英語の使役のmakeの例文として題名を記憶したのみで、ひもとく機会がなかった。
関東大震災の混乱・流言の中で朴烈とともに「予防検束」され、大逆罪のかどで死刑宣告を受けた金子文子が、獄中で1925年に綴った自伝である。

映画「金子文子と朴烈」公開に合わせたか、岩波文庫で新版が出ていた。

◆父親が母親を入籍しないので無籍の子として成長した文子は学齢に達したのに学校に通うことができない。90年以上も経てましな世の中になっていなければなるまいに、21世紀の現代も同様の悲しみをこらえている子らがいるのではないか?

***

母は父とつれ添うて八年もすぎた今日まで、入籍させられないでも黙っていた。けれど黙っていられないのは私だった。なぜだったか、それは私が学校にあがれなかったことからであった。
私は小さい時から学問が好きであった。で、学校に行きたいと頻りにせがんだ。余りに責められるので母は差し当り私を母の私生児として届けようとした。が、見栄坊の父はそれを許さなかった。
「ばかな、私生児なんかの届けが出せるものかい。私生児なんかじゃ一生頭が上らん」
父はこう言った。それでいて父は、私を自分の籍に入れて学校に通わせようと努めるでもなかった。学校に通わせないのはまだいい。では自分で仮名の一字でも教えてくれたか。父はそれもしない。そしてただ、終日酒を飲んでは花をひいて*遊び暮したのだった。
私は学齢に達した。けれど学校に行けない。
後に私はこういう意味のことを読んだ。そして、ああ、その時私はどんな感じをしたことであろう。曰く、
明治の聖代(せいだい)になって、西洋諸国との交通が開かれた。眠れる国日本は急に眼覚めて巨人の如く歩み出した。一歩は優に半世紀を飛び越えた。
明治の初年、教育令が発布されてから、いかなる草深い田舎にも小学校は建てられ、人の子はすべて、精神的にまた肉体的に教育に堪え得ないような欠陥のない限り、男女を問わず満七歳の四月から、国家が強制的に義務教育を受けさせた。そして人民は挙って文明の恩恵に浴した、と。
だが無籍者の私はただその恩恵を文字の上で見せられただけだ。私は草深い田舎に生れなかった。帝都に近い横浜に住んでいた。私は人の子で、精神的にも肉体的にも別に欠陥はなかった。だのに私は学校に行くことができない。
小学校は出来た。中学校も女学校も専門学校も大学も学習院も出来た。ブルジョアのお嬢さんや坊ちゃんが洋服を着、靴を履いてその上自動車に乗ってさえその門を潜った。だがそれが何だ。それが私を少しでも幸福にしたか。

私の家から半町ばかり上に私の遊び友達が二人いた。二人とも私と同い年の女の子で、二人は学校へあがった。海老茶の袴を穿いて、大きな赤いリボンを頭の横っちょに結びつけて、そうして小さい手をしっかりと握り合って、振りながら、歌いながら、毎朝前の坂道を降りて行った。それを私は、家の前の桜の木の根元に踞(しゃが)んで、どんなに羨ましい、そしてどんなに悲しい気持ちで眺めたことか。
ああ、地上に学校というものさえなかったら、私はあんなにも泣かなくって済んだだろう。だが、そうすると、あの子供達の上にああした悦びは見られなかったろう。
無論、その頃の私はまだ、あらゆる人の悦びは、他人の悲しみによってのみ支えられているということを知らなかったのだった。

私は二人の友達と一緒に学校に行きたかった。けれど行くことができなかった。私は本を読んでみたかった。字を書いてみたかった。けれど、父も母も一字だって私に教えてはくれなかった。父には誠意がなく、母には眼に一丁字(ていじ)もなかった。母が買い物をして持って帰った包紙の新聞などをひろげて、私は、何を書いてあるのか知らないのに、ただ、自分の思うことをそれに当てはめて読んだものだった。

*花をひいて…花札賭博をして

 金子文子「何が私をこうさせたか」より〈父〉(岩波文庫、2017年)


金子文子何が私をこうさせたか.jpg



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