CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る
« 2019年02月 | Main | 2019年04月 »
<< 2019年03月 >>
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
最新記事
カテゴリアーカイブ
月別アーカイブ
日別アーカイブ
鏡と自画像[2019年03月03日(Sun)]

DSCN0158.JPG
早咲きの桜が満開だ。

*******

風景   石原吉郎

風景の中央へ
一枚の鏡面を押し立てる
鏡面の背後は
つまりは風景の
継続だが
鏡面がおしかえすのはついに
風景のこちら側だ
左右を明確に
とりちがえた
寸分たがわぬ風景は
もはや他界と
呼ぶしかないものだが
そこが入口だとの
保証はないままだ


詩集『足利』所収。
『続・石原吉郎詩集』(思潮社・現代詩文庫、1994年)に拠った。

◆先日、卒業式を間近に控えた小学校6年生の教室を見学させてもらった。
ちょうど図工の時間で、子どもたちは卒業式でお披露目する自画像の制作に余念がなかった。

◆自分の顔を見つめるには、ある諦めや覚悟がいると思う。
そのため僕自身は外出前に寝起きの頭がハネてないか確かめる時ぐらいしか見ない。
見るだけでなくその己の顔を描くとなったら、ほとんど絶壁でつま先立ちしたぐらいの気分だ。
世に知られた画家たちの自画像に、あえて不逞の表情を描いた演技性の強いものはあっても、弾んだ気分のものはほとんどないように思う。

ふつう、鏡の中の自分を視て描いているわけだから、左右反転して映じた己を視ることになり、他人の目に映る自分の顔ともまた違うのだろうと思う。
描く者は、鏡面のこちらと向こう側に居る者の異同やズレを感知しながら筆を動かすことになるのではないだろうか。自画像なるものを描いたことがないので想像で言うだけだが。

◆石原吉郎の上掲の詩、鏡面が「他界」への「入り口」だと言っているのは鏡の前に立ったときの未知への予感や不安を含むそうした感覚を表したものと読める。

◆さて自画像に取り組んでいた子どもたちは、鏡ではなく、大きめにプリントした写真を見ながら描いていた。デジタル時代ならではの制作方法である。
デジタルなら誰かに撮ってもらうだけでなく自撮りすることも可能だ。
さらにその画像を反転させることもできるわけだが、果たしてそれは鏡に映して視る我が顔と同じかどうか。考え始めたら眠れなくなりそうだ。


| 次へ
検索
検索語句
最新コメント
根来珠青
銃剣道 歴史に目をふさぐおぞましさ (03/29) 当ブログ管理人
ジャーナリスト・安田純平さん解放との報【追記】 (10/26) 3億円で買える銃と弾
ジャーナリスト・安田純平さん解放との報【追記】 (10/25) マキシミリアナ・マリア・コルベ
コルベ神父のこと その2 (06/23)
若き音楽家リュカ・ドウバルグ (06/09)
タグクラウド
プロフィール

岡本清弘さんの画像
http://blog.canpan.info/poepoesongs/index1_0.rdf
http://blog.canpan.info/poepoesongs/index2_0.xml