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ロシア絵画、光の恩寵と変幻[2019年01月26日(Sat)]

◆トレチャコフ美術館収蔵品による「ロマンティック・ロシア」展は、彼の国の人々が大切にしてきたものに直に触れる良い機会だったが、とりわけ心にしみたのは光への細やかな感受性だった。
一日を朝から正午、夕景、さらに夜までを展示作品で並べてみる。
 *画像はすべて本展図録より

ミャソエードフ「秋の朝」1893年_0001-A.jpg
G.G.ミャソエードフ「秋の朝」1893年

「黄金の秋」という言葉がロシアの自然を代表する表現としてある。見る者を、まさにそのただなかに一瞬にして拉してゆく一枚。



シーシスキン「正午、モスクワ郊外」1869年.jpg
シーシスキン「正午、モスクワ郊外」1869年

縦111.2×横80.4cmというから大きな絵ではないのに、この空の高さはどうだろう。
この高い空の下を歩いてくる男女の会話や歌声が聞こえて来るようだ。遠くに聖堂、川の流れ、手前、轍の水に映った空と人々の姿まで、陽の光の恩寵にあずからぬものは何一つない。



シーシキン「樫の木、夕方」1887年_0002-A.jpg
シーシキン「樫の木、夕方」1887年

同じくシースキンの作品。右手奥の樹の中ほどや画面右上の枝と葉が仕上がっていない習作。
塗り残した部分は、傾きつつある陽の光をうけて名状しがたい輝きを放ち始めたために、そのままにするしかないと覚悟した画家の放念の表現であるかのようだ。
描きすぎることを抑えて絵筆をここで収めたという風情。



クルイジツキー[月明かりの僧坊]1898年.jpg
K.Y.クルイジツキー「月明かりの僧坊」1898年

古い礼拝堂の入り口で向かい合う巡礼と老聖職者。
地面に落とされた影によって、画面後方にも大きな木が聳えていることが分かる。
木々と空の深い色はそのまま精神世界の深みへと我々を呼ぶ。


月明かりの名画をもうひとつ。
本展の目玉であるクラムスコイの「忘れえぬ女(ひと)」、同じ画家による、対をなすような作品「月明かりの夜」である。

クラムスコイ「月明かりの夜」1880年_0003ーX.jpg
I.N.クラムスコイ「月明かりの夜」1880年

「忘れえぬ女」とは色も画面に占める人物の大きさも、ことごとく対照的だ。
全身に白をまとった女性は、水面に浮かんだ睡蓮の化身であるかのように神秘的である。



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