ムンク変幻[2019年01月19日(Sat)]
鏡 高野喜久雄
何という かなしいものを
人は 創ったものだろう
その前に立つものは
悉く 己れの前に立ち
その前で問うものは
そのまま 問われるものとなる
しかも なお
その奥処へと進み入るため
人は更に 逆にしりぞかねばならぬとは
*小海永二・編『現代の名詩』(大和書房、1985年)より
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◆ムンクもまたゴッホ同様に多くの自画像を描いた。
「叫び」シリーズのインパクトが大きいために、メランコリーや精神の危機が強調され固定的に捉えられてきた嫌いがある。今回のムンク展は全生涯にわたり多面から画業を伝えてくれるものだった。
夏のノルウェーの明るさをバックにした、次のような自画像もある。
「青空を背にした自画像」1908年
「叫び」ー今回来ていたのは(1910年?)と推定されているものー及びそれと同じ構図による「絶望」(1894年)が並べられた部屋はさすがに大変な人だかりで、立ち止まらないで見るようにスタッフが誘導。照明も落としてあるので壁から離れたところからはよく見えない。
諦めてその先に進むと、人の列が切れたところにほっかりと明るい海辺の景が広がっていた。思いがけない贈り物に出会った気分。
「水浴する岩の上の男たち」(1915年)
この軽快さはどうだろう。まるでマチスのような。
◆会場の出口近く、晩年の「庭の林檎の樹」も豊かな色彩を盛った作品。
一本の樹を大きな花束のようにして見る者に差し出してくれた感じだ。
帰りの売店でこの絵はがきを求める人が何人もいた。
「庭の林檎の樹」(1942年)
エドヴァルド・ムンク(1863-1944)――長生きだったことも初めて知った。
ナチス支配下では「退廃芸術」の烙印を捺されたというが、多彩な作品がオスロの美術館に大切に守られて我々へのありがたい贈り物となった。
*作品写真はいずれも本展「ムンク展――共鳴する魂の叫び」図録(朝日新聞社、2018年)